「忘れられる」ものとしての「信頼」−「存在の彼方へ」を読んでみる15(2)/もぐもぐ
 
ければ、そのときには私はその他者を無条件的に「信頼」している。なぜなら、「意思」により身構えていない限り、常に私には傷つき死に至る危険性が本来あるからである。「意思」によって身構えていないということは、私が自分の傷と死とを受け入れてあるということであり、それは、他者を無条件に「信頼」しているということに他ならない。しかしその「信頼」は、記憶されない。「意思」によるものでないために、その「信頼」は記憶を免れていく。私たちは膨大な時間を他者への無条件的な「信頼」の中で過ごしながら、その時間を「経過=喪失」してしまっている。信頼は原理上記憶に留められず、必然的に失われていくものなのである。

これが
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