「忘れられる」ものとしての「信頼」−「存在の彼方へ」を読んでみる15(2)/もぐもぐ
イメージが流布している今日においても、他者への絶対的信頼としての宗教は、どこかでまだ生き残っている。
宗教は、自分を捨てて何かに帰依することを求める。それは、現実の「合理的」な「闘争」社会のなかでは、往々にして悪用される。だが、自分を捨てること自体は、本来善でも悪でもない。宗教に入ることを止めるのは、単に周囲の人の「常識」なのである。「合理性」により、損得計算により構築された社会を完全に離脱してしまうこと、ホッブズ的な理論によって説明可能な社会から「逸脱」してしまうこと、それ自体が「常識」に対して限りない「不安」を引き起こす。宗教への不安は、自己を捨ててしまうことに対する不安なのである。
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