殺さないものとしての同族−「存在の彼方へ」を読んでみる15/もぐもぐ
自由、合意なければ拘束なし、という考え方は、一方で他者からの抑圧を退けるための武器として、政治的・社会的に、度々活用されてきた。だが、自由は常に、他者を害することの自由、殺人の自由をも、同時に含意しうる。レヴィナスはここで、この殺人は、人工的な社会の弊害ではないかと考えるのである。
果てしなき懐疑論としての哲学。人が人を殺す、人間のみが同族同士殺しあう、この余りにも自明な命題を、レヴィナスはもう一度問い返す。果たして本当にそうなのかと。それはホッブズ的な「社会」、「人工」的に作り上げられた「自由」こそが、人間をしてそうさせているのではないかと。動物ですら、同族殺しはしない。人間に与えられた「自然」も、「同族」を「殺すな」という命題を呟いているのではないだろうか。人工の社会の騒音に埋め尽くされていく日常の中で、一片の「人間的」な「自然」について、レヴィナスは、もう一度問い返そうとするのである。
戻る 編 削 Point(0)