殺さないものとしての同族−「存在の彼方へ」を読んでみる15/もぐもぐ
的には自分をしか、感受することはできない。痛みも喜びも、他者のそれは、「表現」されたものを通してしか「感受」することはできない。感受しうる特権的な立場にあるという点で、自己と他者は区別される。
「殺すな」「生かせ」という命令において、始めて、自他の「同族関係」、及び私が「感受しうるという特権的な地位にあること」が告知される。
これはどこか、ハイデガーの「存在の意味への問い」と似た発想であるのかも知れない。「死への先駆的覚悟」において、始めて「存在の意味」は告知される。レヴィナスはこれを少し書き換える。「責任」(「殺すな」「生かせ」という命令)において、始めて「主体性の意味」が告知さ
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