暴力と責任、若しくは<善悪の彼岸>−「存在の彼方へ」を読んでみる11/もぐもぐ
読み、語られる度に恐怖を感じる思想というものがある。
それは人類の歴史上、しばしば「宗教」という名で呼ばれてきた。
極限的な思考は、常にある種の宗教を含んでいる。日常と非日常、現実と非現実の臨界が人の生死の場所であるならば、宗教は絶えずその臨界から発生して、非日常における生の指針を、日常における死の指針を与えてきた。
私は宗教やその思想に殆ど通じているわけではないが、例えばレヴィナスが依拠する旧約聖書、これが恐ろしい書物であるというのは、感覚的に伝わってくる。ニーチェも言っていたと思うが、そこには人間の残酷の全てが詰められている。全能の神の手により行われる、人知を超えた、余りにも
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