現実、夢、リアリティー−「存在の彼方へ」を読んでみる8(2)/もぐもぐ
 
レヴィナスの「懐疑論」への注目はかなり執拗なものである。「懐疑論」の論理性というよりは、まるでその存在自体がレヴィナスの思考の梃子になっているかのようである。

「存在するとは別の仕方でを思考するためには、懐疑論が誇示するこのような大胆さにも勝るとも劣らない大胆さがおそらくは必要である」「いわゆる論理的思考は懐疑論に対して数え切れないほどの反論を、それも「反駁不能な」反論を突きつけてきた。にも関わらず、懐疑論はこのような反論をものともせず繰り返し蘇生する(ただ蘇生するだけではない。懐疑論は哲学の嫡子としてつねに蘇生するのである)」(p32)

さて、この「懐疑論」の主張の異様さは、「真理」
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