「大胆」な「懐疑論」と異なった「リアリティー(現実)」−「存在の彼方へ」を読んでみる8/もぐもぐ
*内容的には、7ではなく6の「懐疑論」の議論からの続きです。
「存在」(生、利害)からの超脱の道を捜し求めるレヴィナスは、「存在」(利害)が「〜である」という「断言」として表現されることに着目する。「〜である。」その文章は、時に「断定」として、「あなたの勝手な意見」として取られ、若しくは時に「真理」として、全ての人が否応なしに従わなければならない「現実」とか「規範」として受け取られる。
「真理」であると同時に「断定」である、「〜である」。「〜である」の持つこのような多義性は、一体何に由来しているのだろうか。
「真理」があるとすれば、それは否定することの出来ないものだろう。
「真
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