玄関の虫/小川 葉
幸せなときに限って
幸せを知らない
河原のベンチに座りながら
そんな時が誰にでもあるように
思うことがあった
ベンチに座ると
夏の虫が僕のまわりで
いっせいに鳴きはじめるものだから
泣いてるのは
僕だけではなかった
肌寒くなりはじめた頃
また同じ河原に行って
同じベンチに座ろうとしたら
僕を待つ妻が
そこに座っていた
もう秋の虫が鳴いてるの
だからおうちに帰りましょう
妻はそう言って
僕と手をつないで家路に就く
もうひとりではなかった
家に帰ると
玄関で虫が鳴いていて
とても懐かしかった
幸せとは気づかないだけのことなのだ
虫がかぼそく
そんなふうに鳴いていた
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