「割り切れなさ」と懐疑論−「存在の彼方へ」を読んでみる6/もぐもぐ
 
。自分には「不利」でも、それでも大切にしているもの、そうしたものを、どうやって説明すれば良いのか。どう伝えればいいのか。

レヴィナスはこういった割り切れない「私」に、それを見直していくことの中に、「生死という利害」(=「存在」)とは別のあり方(=「超越」「存在の彼方」)の手掛かりを見出すのだろう。

これからの議論で、レヴィナスは、この割り切れない「私」が実は「誰」であるのかを、検討していくことになる。私は、本当に独立自存の「私」なのだろうか。それとも「あなた」とより結び付けられた、矛盾し割り切れない「わたし」であるのだろうか。万人に対して闘争する「個人」である以前に、わたしはあなたであり、あなたがあるからこそわたしがあるのではないだろうか。
曖昧である。だが、結論(「断定」)を急ぐ前に、こうした曖昧さを見つめ、それと真摯に向かい合おうとするレヴィナスの議論に、もう少し耳を傾けてみなければならない。



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