「何故人を殺してはならないの?」−「存在の彼方へ」を読んでみる5/もぐもぐ
 
い、或いは手放すことは自由である。レヴィナスならこれを「支配する主体」というだろう。
ハイデガーは自分のまなざしで世界を見つめる。その中から「関心」のあるものを任意に手に取り、そして捨てる。「意味がある」といっても、「関係がある」といった程度のものであり、必ずしも積極的な関わりを要求するものでない。「道具存在」とか「道具連関」という言葉をハイデガーは用いていたと思うが、ハイデガーにとっての「意味」は「道具」である。道具は役に立たなくなった時点で捨てられる。

世界は道具である、とすれば、私は世界が訳に立たなくなった時点で、その世界を捨てることができる。

抽象的な言い方になってしまった。
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