純粋正義への架橋18/チャオ
 
光に照らされた物体は、色彩を帯びることにより、それらの意味は四方八方へと広がる。赤が好きな子がいれば、赤は喜びの意味を持ち、赤が嫌いな子がいれば、赤は嫌悪の意味を持つ。

だが、赤は、光の反射によって作られた、ある物体の色彩の可能性でしかない。それ自体では、赤の意味も価値も持つことはできないのだ。

光という第三者が、ある物体という第一者を照らすことによって、第二者に赤の存在を表象しうるのだ。相互に重なり合った関係によって赤という概念は成り立つ
だが、その概念が成り立ったとしても、それはまだ、一個人の尺度でしか行われることのない自己満足の概念でしかない。
赤が、赤である証明が必要となる
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