祈り−「存在の彼方へ」を読んでみる3(2)/もぐもぐ
 
さて、レヴィナスの議論が、「弱肉強食の『生』」ではなく、それとは「別の仕方」を提示しようとするものであることを先に確認した。そして、その「別の仕方」とは、祈り、即ち「幸あれ」という、生への肯定の言葉ではないだろうかと、私の推測を述べてみた。

「弱肉強食」対「祈り」。相当抽象的な、宗教色の強い枠組みではある。

とにかく、この宗教的な枠組みを、何とか当たり前の思考の中に位置付けることが出来ないか、もう少し整理してみよう。

スタート地点は、「万人の万人に対する闘争」であった。
これを次のように定式化してみる。
A「戦いによって初めて生は成り立つ」
物質的に生存している限り、肉体を
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