「存在の彼方へ」を読んでみる2/もぐもぐ
こと」(p28)であるのだろうか。
『責任』、即ち応答は、呼び出す者がいるからこそ「応答」として成り立つ。ところが、神のような、居ながらにして居ない不可思議な者から呼び出された場合には、もはや私は、自分で語っているのかそれとも他者から呼ばれて応答しているのか、区別のつかない状況におかれてしまう。そのとき私は、自分の意志で動いていながら、自分のために行動しているのではない。私は、不在の何ものかの代わりに行為している。これこそがまさに文字通りの「身代わり」ではなかろうか。(恐らく、「不在の他者の呼び出しに応える」、というかなり奇妙な自己認識が、自発的に行為しているはずの私を、あたかも他者の(神の)代理人のように感じさせてしまうのだろう。)
神の呼び出しに応答することは、神の身代わりとして、その代理人として行動することなのだ。これからそのように、レヴィナスは語っていこうとしているものと思われる。
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