純粋正義への架橋14/チャオ
 
て、読み手を表象させるようなそんな表現にあこがれるのだ。「絶対零度」地点に物語を置くことができればそれは可能なのだ。だが、そこへ人間が立ち入ることは許されない。なぜならば、人は熱を持つからだ。

その熱は命であり、それを否定したとき、絶対零度という観念さえ消えてしまうのだ。果たして、僕らに、その表現は可能たらしめるのだろうか。「純粋」というその言葉はその一転を目指し進む道程だと僕は考えている。さらにもっと的確にいわざるを得なければ、その結果たどり着いたその一点だけなのだ。
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