「批評」という運動が体現する解釈の現場/ななひと
。それぞれの語はそれぞれ、意味やそれが連想させる概念や、あるいは音的特徴を雑然と持った物として立ち現れてくる。それらが相対的に検討され、二つの語の連結が、意味的に、連想概念的に、音律的に「妥当であろう」あるいは「十分に詩的であろう」と見なされる規範に従って配列されることが決定するだろう。ここでも、この結果によってのみ、物事はとりあげられるべきであるとかんがえてはならない。批評家と被批評家の間には、この作業を通して、多岐に渉る美的公準線に関する思想・感覚をぶつけ合わせあるいはすりあわせるのであり、そしてそうしている間、二つの対象は、制御に無関係に意味・音の衝突と連続を繰り返し、連想は不定形に無意味と
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