靴墨の詩/かいぶつ
 
う言うと少女は首を横にふり
詩人の足元に積まれた詩集を指さした

  これのことかい?

いたいけな少女は小さく頷くと
詩人の鞄の上に小銭を置き
詩集を大事そうに抱えては
嬉しそうに微笑んだ

詩人は今すぐにでも少女を抱きしめたかったが
それは許しがたい罪な行為だと自分を戒めた
その時ほど自分の薄汚れた姿を恥じ
悔やんだことはなかった

詩人の生涯で売れた詩集は
少女が手にしたその一冊だけだった
残りのほとんどは盗まれ
最後の一冊は失くしてしまった

詩人は天涯孤独のままこの世を去った
名も
言葉も
遺さず
ただひとつ遺したものは
使い古しの靴墨だけだった

それから何年の月日が経ったのだろう
小高い丘の上、心地よい風が吹いている
遠くからは汽笛の音が聞こえ
空は青く澄み渡っている
そこへゆっくりと歩いてくる
ひとりの若くて美しい女性

その手には一冊の詩集が
大事そうに抱えられている

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