栞/aidanico
ど私達はもう檸檬の頃を過ぎて仕舞った。
今彼方の発つ傍で、ほら一輪の、
大きな薔薇が泣いて笑うよ。さあ、
その袖で拭って御行きよ。
木洩れ日が鳥渡肌を、翳めて、僅かな光さえ、
受け容れまいとする事に疲れて、叉認めて、
「熱は、水と違って何時か冷めてしまう。」そして
あんなに鮮やかだった青や透明を濁してしまうみたい。
褪せて仕舞った沈丁花や椿、その色に何時までも染まっていることはできない。
とは解かって居たけれど、その笑顔や昼顔、口許が哀しいね。
だけど私達はもう疾うに“焦燥”の川を渉って仕舞った。
今私の居る傍で、叉大輪の
果敢ない菊が折れて白い、生命を、
息吹こうと必死なのを御覧よ。
もう幾年も咲いているような気がしています。
涸れることは、未だ私にとっての本当の恐怖では無い気がします。
本当とは何かを考えます。それは彼方だったのかも知れないと、
そうするような事はとっても詩的ではないと思うのですが、
そう考えて已まない私がいます、亦、
お便りでもあれば嬉しく思います。
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