共に生きる(2)/megie
 
んな事を仰っていました。
「私にだってどうしても愛せない人に会う。その人には
普段は何もしない。でも、病気の時には助けに行くの。
それが私にできる、最大の愛の実践。無理は必要ない」

最近の私には、何が正しいか違うのかさえ訳が分らない。
ただ、「共に生きるには?」と自分に問うばかりです。
それともこんな問い自体が意味を失ってしまってるのか。
ごく単純に、争いごとが嫌で仕方がないだけなのですが。

私の住むエリアに、いわゆる「新興宗教」の建物がある。
この間そこから人が出てきて裏口にお辞儀して帰った。
建物施工後、小学校への通学路が変更されたようだった。
親御さんのお気持ちは良く分かる。悪事ではない。でも。

苦しくても辛くても、考え続ける事、意見を交換する事
そんな小さな事からしか答えは産まれないと信じている。
もう絶望はしないと、自分に誓ってしまったから(笑)
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