純粋正義への架橋11/チャオ
 
の問題から、現実へ導き出す変遷が誰かに伝わることが出来たからです。これは僕にとり、安心することでした。
「〜10」では、前々から考えていたミントさんの詩を考察させていただきました。それは、社会性と自我性を考えるとき、どうしてもしたかったことでした。
ひとつの真理が生まれるとき、そこに反応する社会性と、決裂する社会性。それこそが、正義のもつ、不可能性であり、また唯一無二の絶対的な存在ゆえんだからです。

そして今回、僕は僕を振り返ることによって、再び、この文書から距離をとったのです。近づきすぎると、へたくそな文章がさらに、へたくそになってしまうから。
僕が描きたい「正義」は、第三者と、自分達が、ともに諸手をあげる「正義」であるからです。
戻る   Point(0)