純粋正義への架橋8/チャオ
 
うな考察でなければこの世のどの批評も無駄に過ぎない。なぜならば、すべての、創造者(作家、写真家、詩人、彫刻家、映画監督、などなど)は「人」を表しているに過ぎない。
そして、受け手はそれを感じ取り、みずからにその「人間性」を発起させるのだ。どの感情さえも、どの動作さえも、人を形成たらしめん一要素となる。
そしてそれらの限界が示されたとき、もはや、限界点は限界点ではなくなり可能な一要素として人の中に組み込まれる。
「人を超える」ためにまた、あらゆる感情を言葉にし、形にしていくことで、再び、「遠くへ」飛ばそうとする。そして人は、その繰り返しの中で人であることを獲得していくのだ。

話がずれるが
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