批評祭参加作品■僕たちの罪は、どうすれば癒されるのだろう/2TO
 
」「桃色の きみの頸」のごとき、詩人を「何より一つ、悩ました貝」ではないのだから*2。私はこの「まいそう」という作品自体がひとつの「かいがら」であることを示そう。私の目指すところは、そのような「隠れ家の夢想」*3、そこに象られた模様―――「BAROQUE」、あるいは「歪んだ妄想」を描き出すところにある。

 さしずめ、この詩の水の流れるうちに「かいがら」を見つけ出そう。まず「わたし」は「かいがらをみつけるたびに、冷たいみずで洗う。」(第一連)。「それからひらべったい岩のうえで、かいがらを細かくくだ」き、「そっとへやへもどると、かいがらたちを、いちまいいちまい、棺のうちがわにはりつけていく。」そ
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