純粋正義への架橋4/チャオ
社会と個人には決定的な相違が生じるわけはない。
社会は個人の集合体であり、どんなとっぴな思想であろうと、その思想を包括し得ないことには社会としては成り立たないはず。
かとおもえば、僕らはみな、社会に締め付けられる。まったくの開放は、恐怖以外の何者でもない。考えてほしい。もし、殺しが許されたのなら・・・・。
もし、盗みが許されたなら・・・。
個人にあたえられた法律。つまり理性が完璧な状態で機能するのならば、人が絶えず築き上げた歴史の頂上で、社会に束縛される法律などはいらない。
だが、必ずしも理性が個人を規制してはくれない。それゆえに、法律は生じるのだ。
「一器械である吾人はもう何も言
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