純粋正義への架橋3/チャオ
以前の文をさらに詳しく述べて行くことにしたい。
まず、誰かを助けることの発問について。
僕がどういう行動をとるのか、それはそのときでなければ分からない。そのときでなければ、僕はいかなる行動も取れないのだ。そして、何よりもそのときでなければ真の正義は理解できないのだ。その現状でない今、語られることといえば、助けるにせよ助けないにせよ、それは互いに、いいことと悪いことの可能性を行き来するだけだということだろう。
その発問以前の状態の僕の答えは無であり、ゼロではない。その発問を読み終わったほんの一瞬。その瞬間が僕の、ゼロ地点。無反響室だ。
いや、それはすでに、僕という人間の存在によって
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