新教派と資本主義の精神/白川水
 
借り物の肉体に、自我なんて大層な仰々しいパッケージング。
マーケットに定められた、仮の時価や期限を僕ら何時も気にしてる。
区分けられた記号でお互いを名付け合い、僕ら自分を理解した気分に浸ってる。

もっとその 身体を労れ。
もっとその 意味を疑え。
もっとその 存在自体を味わえ。
もっとその 汝自身を識れ。
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