若き詩人の手/yo-yo
しさうに笑ひ、生きてゐる大切な右の手をまたもとの胸の上にしまった。私は人間の手といふものがどれほどの働きと、生きる証拠を重い病人に自信を持たせてゐるかを、知ったのだ」。
帰り道、犀星と津村はしみじみ話す。
<手を出されたときは参った…
<僕も参ったよ。あれが生きてゐる人の手だからね。
ふたりの会話はそれきり途切れてしまう。
かつて、軽井沢の犀星の別荘を訪ねてきては、庭の椅子で静かに居眠りをしていた道造を、犀星は「いつ来ても睡い男だ」と書いている。作家の仕事を邪魔してはいけないという、若さの遠慮があったのだろう。道造はまだ無名だった。
<僕の詩でも、ラジオで放送して
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