「生命至上」が、普遍の価値なのか?/カスラ
して「生命至上」を思っている。しかし、生きて在るとは、生命体として生存することだけをいうのだったか。ひっくり返して、私が在るとは、いや「私」と今発語しているこの「意識」を、脳なる物質がいかにして非物質である「意識」を生み出しているか、あるいは化学反応や電気的パルスやタンパク質や受容体の様々な物理「現象」をいかに解明していったとしても、物質は意識を架橋しないことに変わりはないだろう。
しかれば、ここに、肉体という物質として“アル”とされてきた「私」と、意識という“ナイ”かのように見られてきた「ワタシ」が、同時にしかもまったく異なる存在の仕方で存在していること気づく。
さて、この肉体という物質の私だけでなく、あらゆるすべての物質の側と、ワタシという意識を含有する宇宙をも梱包する意識と、どちらが幻想の擬態と言うべきか。
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