真実/小川 葉
からは緑の血が流れる。ころんで泣く幼児を、母がいたわる。泣いているのは、幼児だけではない。
そんな悲劇が、この世にどれだけあることだろう。考えるほど、いよいよ私は、やりきれなくなって、しかしそんな悲しみは、悲しみとは呼ばない。公に認められない、名もない悲しみは、悲しみではない。しかし考えてもみたまえ、それこそが、真の芸術の対象であるということを。いかにも大義そうに生きているような、仕合せ者が考えている悲劇など、みな虚構である。
排除すべき対象があればこそ、そこには偽善の大義が生じ、なぜかそれが真の希望であるかのような錯覚を人はする。排除される対象には、錯覚する希望もなく、ただあるのは芸術の才能、謂わば、真理を見抜く目である。芸術表現には、苦悩が不可欠なのである。希望を錯覚し、そうして仕合せを予感したとき、彼はもはや芸術家ではない。
だめだね。こんなつまらないことを書くぼくは、今、仕合せなのかもしれない。まだまだ、嘘っぽいもの。
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