「詩人」の「資格」/ななひと
ーラム」という場に参入している時点でポイントから逃れることはできないのである。ポイント制が嫌ならさっさと立ち去るのが正解である。
さて、私は何を言おうとしているのか。話が飛躍しているように思われるかもしれないが、インターネット詩においても「資格」は厳然として存在し、それは日々蓄積されている、ということである。「現代詩フォーラム」のポイント制を例にとったが、これは別の場所でも構わない。「評価される」「評価されない」という場がある限り、「資格」の問題が発生する。
要するに、みな「資格」の問題から逃れることはできないのである。
瀬尾氏はそうしたインターネットの内部の「格差」「差異」を全く考えないで、ネット詩を全否定する、という意味で、誤りを犯している。しかし、それに対して、生理的に、あるいは論理的に、反論することは無意味だ。なぜなら私たちはこの場にいる限りみな「同じ穴のムジナ」なのだから。それが嫌ならば、沈黙し、この場から消え去るしかない。そして存在しないものは、存在しない。
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