作者:一番目の批評者/紀茉莉
 
批評というフィルターは、作品を見る目の数だけあって、
よい、と称えられて、甘さと接し、
わるい、と評されて、その作品を描いた意味を再確認させられる。

文字にわざわざインストールする“なにか”を
いちばん知っているのは作者で、
だからこそ効果的に意図するものをきりとることができるのだといえる。

作者として、いつも批評の目をもっているのか、といえば、
もしかしたらそうではないことも当然かんがえられるのだが、
(それは、つくりこまない、というスタンスなどで)
通常、「作品」として“詩をつくる”際には、かならず批評の目は第一フィルターとして、意識的、無意識的にあるし、また、なくて
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