水面を泳ぐガチョウ/
 
てなかったとしたら、
こんなにも無数に溢れる情報(刺激)の中から、僕は「そのとき」の自分と同じ目をして
いま、「そいつ」を探しあてることができるだろうか。

ある日、大切に飼っていたペットのガチョウのためにと、
仲間(ガチョウ)たちがたくさんいる牧場へ自分のガチョウを連れて行き
その場で離してやった男は、日が傾き、そろそろ自分のかわいいガチョウを
連れて帰ろうとしたときに、一体「どれ」が自分のガチョウだか
まるで見分けが付かなくなってなってしまい、
とりあえずてきとーにガチョウを1羽持ち帰った...というどうしよーもない話...。

交換可能であったとすら言えてしまうそれ...。

...話が大きく脱線してしまったが、

「そして」「僕」は「そのとき」「そこ」にいた。

たぶん水面下で無限に折り重なるそのめぐりあわせだけが、
いまの自分を成してるよーな気がする。
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