清野無果「■批評祭参加作品■ネット詩fについて」を読んで、インターネットにおける言語表現について/田代深子
 
。最果タヒが発見した言語表現の可能性は、すでにしてインターネットにあふれる無数の独語の先にあったということだ。
 インターネットにおいて「話すように書く」ということはすなわち、他者と自我とが、同時にその表現と出会うような速さで書く、ということになっていくのだろうか。だとすれば、現在ポピュラリティの高い小説群が、紋切り型の言語表現の集積となっていることも、逆説的にうなづける。インターネットで書くことを始めた若い作家たちは、数少ない文章経験の中から拾い上げてくる紋切り型の表現を自動書記的に並べることから始めるしかないのだろう。しかし、やがて速度はもっと速くなる。紋切り型を整えることすらできないほどに。そこに記号が登場し、印象と質感だけを基調とする言語群が表現として現れる。それが文学の可能性と、言えないことがあるだろうか。
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