無為自然、苦しみて、苦しむことなく。/生田 稔
れないというのが真の理由であった。自殺を試みること数回、十七歳から発心した学問への道は意外なところへと曲がっていった。
僕は自分が生まれたことを悔やんだ。こんなことになるのなら生まれてこなかったほうがよかったと幾度思ったことか。十七歳から二十七歳の十年は清い生活を目指した向上への年月であった。声から死を宣せられてからも、清さへの道はやまず。二十七歳からはクリスチャンの伝道者となった。
ものみの塔聖書冊子協会、いまでは戸別伝道で有名になっているが、その頃は京都市
千本丸田町の幼稚園のホールを借りた小さな集まりであった。全部あわせても百人いるかいないかぐらいであった。
この集会に交わった
[次のページ]
戻る 編 削 Point(3)