■批評祭参加作品■ 金(キム)は好きなんだけど、/いとう
 
ん自分の脳内や内面からなけなしの想像力を搾り出して書いておきながら、いざ作品になった暁には、「それは私ではない」と言いたがる、ずいぶん都合の良い話もあったものだ。しかし、多くの人がそういうことを言いたがるという事実にはやはり理由がある。「私」から切り離した詩を書きたいが、書けないからである。詩の中に自分の刻印を認めるのが恐ろしいのである。そこで、私たちは「イメージ」という便利な言葉を発明し、誰のものでもないが何かを感受させてくれるものを作り出そうと必死になる。しかし結局、イメージとは、「世界」と「私」が関係を取り結ぶ手段でしかないのだから、「私」の指紋がつくのは当たり前だし、逆に言えば、そうした私
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