春愁/吉岡ペペロ
 

彼女の結婚ばなしを口に手をあてたまま聞いていた

彼女の逡巡や覚悟を聞いていた

その訓練は五年間積んできたはずだ

身動きもとれずに聞いていた

あなたが傷つかない相手なんて、あのひとしかいないよ、

幸せになる、ぜったい幸せになる、

じぶんでもいやになるの、ひとから反対されると、それもちがうと思うの、

春愁ということばが居心地わるく座っていた

彼女の春をなぜ愁える?

彼女の未来への不安?

じぶんの未来の茨?

いまこの瞬間彼女に幸せや不幸を与えられるのが

じぶんではないという事実のせいだ

詩人尾崎喜八が

あるキリスト者の詩人の墓前に立ちしとき

生まれた詩が春愁だった

悔恨はいつも過去にあるわけでも

未来にあるわけでもなくて

過ぎてゆくいまというこの瞬間にあるだけだ

身動きもとれずに聞いていた

ほんとうにうつくしいものだけを

希求し続けたキリスト者の境涯を

どこでどう踏み違えてしまったのだろう

彼女の結婚ばなしを口に手をあてたまま聞いていた

彼女の逡巡や覚悟を聞いていた

その訓練は五年間積んできたはずだ
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