渡邉建志[第3回批評祭参加作品] 2008年1月24日10時55分から2008年1月30日2時02分まで ---------------------------- 2008?1??24??28????? ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■雑記1/葉leaf[2008年1月24日10時55分] ■漫才と詩  前々から思っていたのだが、漫才もしくはお笑いと多くの詩は似ている。「笑い所」と「感銘を与える表現」が対応しているのだ。芸人は観客を笑わせるために、あの手この手を使う。詩人も、読者に感銘を与えるために、あの手この手を使う。audienceを楽しませるために技巧を凝らすという点で、芸人も詩人も似ているのである。  チュートリアルがM1で披露したネタは詩だと思った。福田が冷蔵庫を買ったことに対して、徳井は、あたかも福田が結婚したかのような反応をする。冷蔵庫を買うことに置いている価値が、二人では全然違うのだ。そこから生じる徳井の異常な反応が、日常的な価値文脈を逸脱するものとして、きわめて詩的であった。 ■「危機のなかの創造」をめぐって  「危機の中の創造」は北川透による谷川俊太郎論で、「谷川俊太郎の世界」(思潮社)に所収されている。  北川は本論考の中で、「戦後詩は、朝鮮戦争後の大衆社会状況に、その詩的表出力を本質的にかかわらせる方途を見失って、近代の詩の伝統に対して根底的な批判を喪失していった」ことが戦後詩の危機であるとしている。  だが、詩は絶えず(1)前代の詩を批判しながら(2)新しい社会に順応していかなければならないのだろうか。 (1)について  文化が移ろうのは、それまでの文化が批判され乗り越えられるからであり、その逆ではない。つまり、文化が移ろうということが分かっているからそれまでの文化を批判しなければならないというのは論理が逆転している。「文化は変遷し現在はその到達点ではない」という歴史批判的な知見は、文化批判すべきとの命法を基礎付けえない。そうではなく、文化批判すべきなのは、批判をしないと文化が停滞し社会に活力が生まれないからだ。  だが、批判にも様々な程度がある。定型詩を批判して自由詩にする場合と、前の世代の詩人の語彙が古臭いからもう少し新しくしようとする場合では、批判の程度がぜんぜん違う。前代の詩に対してわざわざ「根底的な批判」を加えなくとも、もっと穏やかな批判で十分詩の領域を活性化することは可能なはずである。むしろ、絶えず根底的な批判ばかりしていたら、それまでの積極的な蓄積が無駄になり、むしろ不経済である。 (2)について  社会の本質をなす特徴的な部分について詩がかかわりを持っていることは必要か。たとえば現代のような高度な情報化社会、あるいは高齢化社会に、詩は本質的にかかわる必要はあるのだろうか。大量な情報が高速に伝達されることは、詩に反映されるべきか。あるいは、高齢者が多いことは詩に反映されるべきか。  いや、多分そういう話ではなくて、もっと詩が関与しやすい社会の本質的特徴について詩が関与すべきと言っているように思われる。たとえば自然との関係の希薄化。あるいは人工的自然とのかかわりあい。さらには精神的な特徴で、たとえば現代を席巻する科学的精神に詩が関与すべきである、という主張。 ■敗北  詩は何かしらの力を持って読者に感銘を与えないと評価されない。読者に価値を認めさせるという意味で「勝利」しなければ権威が与えられないし正当に消費されない。  そのような詩をめぐる制度に疑問を投げかけるために、「敗北」の詩を書いてみても良い。つまり、徹底的につまらない詩を書くのである。例えば、小学生の日記のようなもの。それに「敗北」という題をつける。  だが、そのようにしてできあがった「敗北」という詩は、実は勝利の詩なのである。つまり、「読者との関係で勝利を収めた詩だけが生き残るというシステムを批判する」というコンセプトが、詩の歴史の中にそれなりの位置を占め、読者に対して訴える力を持ち、勝利する。  徹底的に敗北するためには、「敗北」という題を捨てなければならない。また、詩をめぐるシステムを批判するというコンセプトを捨てなければならない。だが、コンセプトを捨てたら、詩「敗北」は成り立たない。結局、詩「敗北」は中途半端に敗北しながら中途半端に勝利するというあり方しかできない。詩「敗北」には徹底的な敗北は不可能なのだ。 ----- ブログで書いた雑記。 面倒なので議論はしません。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■現代詩の記号論1/葉leaf[2008年1月24日17時02分] 1.序論  本稿では、現代詩を記号論的に分析しようと思う。だが、そもそもそのような理論的分析には意義があるのだろうか。理論的分析に対するひとつの批判として詩学屍体解剖説を取り上げ、それがどのような批判であるか、またそれに対していかなる反批判が可能であるかを探り、現代詩を理論的に分析することの意義を明らかにする。 1.1.隠喩について  詩を論ずることの意義を考えるに当たって、本稿では詩学屍体解剖説を吟味する。その先決問題として、隠喩の一般的な性格について少し述べておこう。  MC1.隠喩は(比喩するものと比喩されるものの)共通性を基盤にして成立する  MC2.隠喩は(比喩するものと比喩されるものの)共通性を読者に認識させる  たとえば、「彼は狼だ」という隠喩を考える。彼を規定する無数の属性のひとつに凶暴性がある。一方で、狼を規定する無数の属性のひとつに凶暴性がある。この「凶暴性」という点において、彼と狼は共通するのである。この共通項(この例では「凶暴性」)があるからこそ、「彼は狼である」という隠喩が成立する。これが比喩のMC1の側面(共通性を基盤に成立すること)である。共通項(「凶暴性」)は、第一項(「彼」)と第二項(「狼」)の比喩的結合を媒介しているのだ。また、MC1の側面は、主に、表現者にとって重要である。表現者は共通性の認識を基にして比喩的表現を作り出すのである。  次に、たとえば「人はカツ丼である」という隠喩を考える(「彼は狼だ」の例でもよいのだが、MC2の側面がより強く現れる例を採る)。この場合、読者は直ちにはこの隠喩を理解できない。人とカツ丼を媒介する共通項が思い当たらないからである。だが、表現者は、たとえば、人が激昂した時の熱とカツ丼の熱を対応させて(「熱」が共通項になっている)、比喩を成立させているのかもしれない。あるいは、人の情緒の微妙な具合と、カツ丼の味の微妙な具合を対応させているのかもしれない(「微妙な具合」が共通項になっている)。  この点についてもう少し詳しく分析する。人を構成する諸要素を人の「役割」と呼ぼう。人の「情緒」は人のひとつの役割である(これは、「情緒は人の果たすべき役割である」という意味ではない。情緒が人に対して何らかの役割を果たしているのである)。カツ丼の「味」はカツ丼のひとつの役割である。「微妙な具合」は、直接的には情緒と味とを比喩的に結び付けている。だが、情緒は人の構成要素(役割)であり、味はカツ丼の構成要素(役割)であるから、人とカツ丼は、構成要素間の比喩的結びつきを媒介として間接的に結びついているのである。多くの隠喩では、このように、第一項(「人」)と第二項(「カツ丼」)が、それぞれの項の役割(「情緒」「味」)を通じて間接的に結びついている。結びつきを媒介しているのはそれぞれの役割の共通項(「微妙な具合」)である。  本題に戻るが、「人はカツ丼である」という珍妙な隠喩に出会うことで、読者は、人の激昂した時の熱や、人の情緒の微妙な具合といった、人の精妙な側面について気づかせられる。そしてこれらの精妙な側面は、人とカツ丼それぞれの役割間の共通性なのである。これが、隠喩のMC2の側面(共通性を読者に認識させること)である。  MC1の側面は常に隠喩に備わっているとは限らない。表現者は、特に二つの項の間の共通性を認識することなく、良さそうな二つの言葉を恣意的に結びつけるだけかもしれない。また、読者の方でも、単に意外な二つの言葉の結合を楽しむだけで、それらの間に共通項を見出そうとしないかもしれない。すなわち、MC2の側面も備わっていないこともある。それでも、MC1・MC2は、隠喩の原則的なあり方として、知っておく必要はあると考える。 1.2.詩学屍体解剖説  高村光太郎は、詩学を「詩の屍体解剖」と言った。ここでは高村個人の抱いていた具体的意図は一応無視して、この言葉を文字通りに受け取って分析する。さて、ではこれはいったいどんなことを言っているのか。  「詩学」とは、詩を学問的あるいは理論的に分析する営為のことを言うのだろう。あるいは、特定の理論を前提としない一般的な分析のことも指すのかもしれない。では、「屍体解剖」とはどういうことか。 1.2.1.詩学屍体解剖説の前提とする比喩  まず、「詩の屍体解剖」という表現は比喩であることに注意しなければならない。詩には生命がないし、身体もない。だから、論理的には、詩を殺すことも解剖することもできない。「詩の屍体解剖」という表現においては、次のような隠喩が使用されている。  MD1.詩は生命を持つものである  MD2.詩は身体を持つものである  「生命を持つもの」の役割=要素として「生命」がある。MD1が成立するためには、詩のある役割が、「生命」と、ある共通項によって比喩的に結び付けられているはずだ。いったい詩のどんな役割が「生命」と比喩的に対応しているのだろうか。「生命」に対応する詩の役割と、その対応を媒介する共通項として考えられるものを、思いつくままに挙げてみる。  RCL1.【役割】詩を読んだときに感じる情緒的高揚 【共通項】充溢  RCL2.【役割】詩が読者に現示する生の真実 【共通項】本質的重要性  RCL3.【役割】詩が体現している有機的な美 【共通項】価値的重要性  詩は美を体現し、生の真実を読者に現示し、読者に情緒的高揚感を与える。それぞれの側面が、生命になぞらえられているのかもしれない。  次に、「身体を持つもの」の役割として「身体」がある。MD2が成立するためには、詩のある役割が、「身体」と、ある共通項によって比喩的に結び付けられているはずだ。「身体」に対応する詩の役割と、その対応を媒介する共通項を、思いつくままに挙げる。  RCB1.【役割】詩の内容 【共通項】構造性・機能性・充実  RCB2.【役割】詩を表現する文字や音声 【共通項】生命の容れ物であること 1.2.2.詩学屍体解剖説は詩学をどのように批判しているか  「解剖」とは、分析のことを指すのだろう。だが、分析者が詩を分析するとき、詩は死んでいるのである。死んだものをいくら解剖してみても、臓器などといった生命の舞台装置を知ることができるだけで、実際の生命活動を知ることはできない。実際の生命活動は、血液の流れ、臓器の運動、代謝など動的な過程であり、屍体のような静的な対象からはその実相をとらえることができないのである。屍体解剖がなぜよくないのかというと、それは生命の実相をとらえることができず、せいぜい生命の痕跡や生命の舞台しかとらえることができないからだ。   さて、1.2.1での分析をもとに、この批判をもう少し詳しく見ていこう。詩の「生命」の内実を明らかにすることによって、詩学屍体解剖説の詩学批判がどのようなものであるか、具体的に見ていく。  まずRCL1を仮定してみる。つまり、「詩を読んだときに感じる情緒的高揚」が「生命」に対応し、それは充溢するという点で生命的であると考えるのである。すると、詩学は詩の屍体解剖にすぎないという批判は、次のようなものであると考えられる。すなわち、  C1.詩を分析する際には、我々はたいへん冷徹であり、詩を楽しんでいるのではなく、詩を科学的対象のような無味乾燥なものとしてとらえている。そのような分析では詩の情緒的作用をとらえることができない。情緒的作用を抜きにしたら、詩は屍体でしかない。そのような分析では、詩の本質をとらえることができない。  次に、RCL2を仮定する。すなわち、「詩が読者に現示する生の真実」が「生命」に対応し、それは本質的重要性を持つがゆえに生命的である、と仮定する。すると、詩学屍体解剖説による批判は次のようなものであると考えられる。  C2.詩が我々に現示するところの真実は、人間の生の全体性のうちでとらえられる有機的で複合的なものであり、分析によってはその全的なあり方をとらえることができない。分析は、分析による真実の断面を示すのみであって、真実の全体を示すことはできない。  最後に、RCL3を仮定する。「詩が体現している有機的な美」が「生命」に対応し、それは価値的重要性を持つがゆえに生命的である、と仮定する。すると、詩学屍体解剖説による批判は次のようなものだと考えられる。  C3.詩を分析する際、我々は特に美を感じているわけではなく、機械的に分析する。これでは詩の本質をとらえられない。また、美は有機的・複合的なものであるから、理論的分析に適さない。 C3は、C1とC2を合わせたものである。だから、実際問題としてはC1とC2のみを検討すればよい。また、C1・C2によって、学問的分析だけではなく、理論によらない一般的な分析を批判することも可能である。それゆえ、詩学屍体解剖説は、理論的学問的分析のみならず、理論によらない一般的な分析をも批判していると考えることが可能だ。  ついでに、RCB1とRCB2をそれぞれ仮定したとき、詩学の分析の対象がどう変わってくるかも見ておこう。  RCB1のように「詩の内容」が「体」に対応すると考えると、解剖の対象が「体」である以上、詩の分析=解剖の対象は詩の内容であるということになる。そうすると、詩学は、詩の内容的分析(詩句の解釈や、主題の発見、内容の織り成す構造の分析、それぞれの詩句がどのように互いに関連しているかの内容的分析など)を為すことになる。  一方で、RCB2のように「詩を表現する文字や音声」すなわちシニフィアンの複合体が「体」に対応すると考えると、詩の分析の対象はシニフィアンの複合体であるということになる。そうすると、詩学は、詩の形式的分析(子音や母音の使い方の分析、押韻の分析、リフレインの発見、視覚的効果の分析など)を為すことになる。 1.2.3.詩学屍体解剖説に対してはどのような反批判が可能か  それでは、詩学の営為は意味のないこととして、詩学を排斥してしまってよいのだろうか。詩学屍体解剖説による詩学批判は、詩学を排斥してしまうほど強力なものなのだろうか。  まずC1を検討する。C1は、詩学は詩の情緒的作用をとらえることができないとして詩学を批判する。ここで、荒川洋治の「水駅」の次の箇所を引用する。  妻はしきりに河の名をきいた。肌のぬくみを引きわけて、わたしたちはすすむ。 ここで、この詩行を形式的に分析することを考える。「しきりに」「きいた」「ぬくみ」「わけて」「すすむ」といったひらがな表記によって、独特のやわらかさや多少の粘性を我々は感じる。ところで、やわらかさや粘性といったものは、分析者の情緒に与えられた価値である。ここでは、表記の仕方がどのような情緒的効果をもたらすかが分析されていて、決して詩の情緒的作用を無視しているわけではない。このように、情緒的作用を分析するのも詩学のひとつの役割なのである。  だが、ここで次のような再反論が起こるかもしれない。なるほど、確かに詩学によっても情緒的作用を分析できるかもしれないし、その分析の最中にも分析者はある程度詩を楽しんでいるかもしれない。だが、詩の分析の最中には分析という理性的作用がどうしても優位に立ってしまい、情緒的価値を楽しむという心の働きは後退せざるを得ない。分析の最中、分析者はある程度詩を楽しんでいるかもしれない。だがその楽しみは、純粋に詩を読んで楽しんでいるときに比べれば、だいぶ減殺されたものである。情緒的作用が後退するという意味で、詩の分析の最中は、分析者にとって詩はほとんど死んでいるのである、と。  しかし、かりに詩の分析の最中に詩の情緒的作用が不在だとしても、詩の分析が無意味であるということになるだろうか。鑑賞と分析では目的が違う。鑑賞の目的が情緒的高揚を得ることだとしたら、鑑賞において情緒的作用が不在なときは鑑賞は無意味であるということになるかもしれない。だが、分析の目的は情緒的高揚を得ることではない。分析の目的は論理的な理解を得ることである。ある分析を評価するとき、人はその分析がどれだけ精密かつ合理的に対象を理解しているかを基準に評価するのであって、どれだけ情緒的効果があるかを基準に評価するのではない。ある分析を評価する基準として情緒的作用を持ち出すのは、身長を測るのに体重計を持ってくるようなものである。評価する基準が適切でないのである。分析はそもそも情緒的高揚を得ることを目的としない。それゆえ、分析に情緒的効果が伴わなくても分析の価値はなんら減ぜられるものではないのである。  次にC2を検討する。C2は、詩学は詩の現示する真実や美(ここではC3の趣旨も含めて考える)を全体性においてとらえることができないとして、詩学を批判する。  まず、詩(より一般的には芸術)の現示する真実というものが何であるかを明らかにしなければならない。「真実」の内実として、次の三つが考えられる。  T1.真なる命題(思想)  T2.出来事・情景・心情  T3.人が真実を発見した時に感じる感情に似た感情(真実感)を引き起こすもの  たとえば、高良留美子の「雨滴」から次の箇所を引用する。  雨のしずくは 走っている乗用車の屋根の上に ときおり完全な半球状の植物を繁殖させる。  ここでは、「半球状の植物」は何かの比喩であるととらえるのが自然である。たとえば、雨と光でできる小さな虹を「植物」と言っているのかもしれない。あるいは、深読みするならば、「植物」とは、乗用車の機能性のような抽象的なものを、雨が奇跡的に具象化させ可視化させたものだととらえることも可能かもしれない。  だから、解釈=内容的分析によって、この詩行から、「雨は乗用車の屋根の上に、その乗用車の機能性を具象化させる」という命題の形の真実(T1)を抽出することができる。命題の形で表される真実(T1)はこのように内容的分析によって導き出せる。それゆえ、詩の現示する真実が命題の形をしていれば、それは原則として分析によって把捉可能である。  だが、今の引用部のような多様な解釈を許す表現の場合、分析者は、可能な解釈をすべて思いつくことはまずありえない。解釈の可能性全体の大きな広がりを「真実」と考えれば(T4とする)、分析は真実をとらえ損なうことになる。  次に、今の引用部は、雨が降っていて、乗用車が走っていて、その屋根の上に植物が繁殖している、そんな情景(T2)を伝えているのだといえる。この情景は、現実に対応物を持たない虚構であっても良い。つまり真でなくても良い。そのような情景があたかも真実のものであるかのように、我々に迫ってくれば良いのである。だが、詩における情景描写は所詮言語を超えるものではない。分析者は原則として、内容的分析によってその詩においてどのような情景や心情が語られているのかが分かる。文字通りの意味をなぞればよいのである。  だが、T2の場合も分析の限界がある。たとえば、詩人が情景に仮託してなんらかの心情を伝えようとしている場合である。この場合も、分析者は不十分な解釈しかできない可能性がある。  最後に、T3の場合について。引用部において、雨や乗用車や植物の情景は、ある種の切迫感を持って鑑賞者に迫ってくる。一方、世界や生についての重大な真実もまた、それを発見した者に対して切迫感をもって迫ってくる。この切迫感という点において、情景描写も真実の発見も共通するのである。それゆえ、情景描写が切迫感を持つとき、鑑賞者は、そこにあたかも真実を見たかのような感情(真実感)を抱くことになるのだ。  また、引用部においては、非現実的な描写により美が実現されている。この美の感覚もまた、ある程度の強度を備えるとき、人が重大な真実を発見したときに抱く感情に似た、目覚しい感情を鑑賞者に与える。それゆえ、詩の誘発する美の感覚が一定以上の強度を持つとき、鑑賞者はそこにあたかも真実を見たかのような感情(真実感)を抱くことになるのである。  だから、我々が芸術作品に接して真実感を抱くとき、実は切迫感や美感を通じて真実を見たように錯覚しているだけで、本当に真実を見ているわけではないことも十分考えられる。この場合我々は真実なき真実感を抱いているわけで、真実がないのだから、原理的に真実を知ることは不可能である。あえて真実に対応するものを挙げるとするならば、それは作品の性質やそれに喚起された鑑賞者のイメージなどである。それらが真実感を引き起こしているからである。ところが、作品の性質やそれに喚起された鑑賞者のイメージなどは複雑に絡み合いながら我々に真実感を喚起しているので、どの性質やイメージがどのように真実感に寄与しているのか知るのは容易ではない。  このように、何がどのように真実感を引き起こしているのかを分析するのは容易ではない。ここにも分析の限界がある。  これでだいたいC2の内実が明らかになったのではないだろうか。すなわち、  C2a.多様な解釈を許す表現に直面したとき、分析者は、解釈の可能性全体の大きな広がり(真実)に直面する。だが、分析では、可能な解釈のすべてを明らかにすることはできない。よって、分析は、真実の全体を把捉することができない。  C2b.作品は、切迫感や美感を通じて、読者に、真実感を抱かせる。だが、真実感は、作品の性質やそれが喚起するイメージなどが複雑に絡み合って読者に誘発するものであるから、真実感の原因を分析するのは容易ではない。  確かに分析によっては解釈のすべての可能性をとらえることはできないし、真実感の原因を完全にとらえることもできない。そこに分析の限界がある。その点、詩について文学的に含蓄深く書けば、解釈の可能性のうちの広い部分をカバーできるかもしれないし、読者に美感を与えることで、自分の感じた真実感をある程度読者に伝えることができるかもしれない(詩に関する文学的言説については、紙幅の関係上、本稿では深く立ち入らない)。  だが、だからといって、詩の分析は無意味なものとして排斥してよい、ということにはならない。分析には確かに限界があるが、その反面で積極的意義もある。分析するということは、理解するということである。詩に接するとき、我々には、鑑賞者として詩を情緒的に楽しみたいという欲求が第一次的にある。だが、詩を多く読んでいくにつれて、自然と、分析者として詩を理解したいという欲求も第二次的に生まれてくる。詩に対して誠実であろうとするならば、すなわち、詩の全存在を受け止めようとするならば、読者は単に詩を楽しむだけでなく、必然的にその構造や意味や機能などを分析することに導かれてゆくはずだ。人間は情緒的な楽しみだけでなく理性的な楽しみをも欲する。詩を理性的にも楽しむことによって、初めて詩に対して完全に誠実であることができるのである。詩は分析されることを求めているのだ。たとえその分析が不完全なものであっても。 1.3.詩を論ずることの意義  詩学に対するひとつの批判として詩学屍体解剖説を取り上げ、その批判の具体的内容を1.2.2で見た。そして、それに対してどのような反批判が可能かを1.2.3で見た。それらを踏まえた上で、詩を論ずることの意義を考えてみよう。  C1に対する反批判で述べたように、分析の価値をはかるために、鑑賞の価値をはかる尺度を持ち出してはならない。だから、分析の価値を「情緒的効果が伴っているか」という尺度ではかってはならない。では、分析の価値はどのような尺度ではかればよいのだろうか。  分析の価値は、それによって詩がどれだけ詳細に、統一的に、重層的に、発見的に、構造的に、論理的に理解できたかによってはかられるべきだと私は考える。分析は理性的な理解を目的とするからである。  こう考えたとき、理論的分析すなわち何らかの理論を前提とした分析が、重要であることが分かる。なんとなれば、理論的分析は、詩を統一的・重層的・発見的・構造的・論理的に理解することが可能だからである。ただし、我々の認識は、理論が単純であることを要請する(そのほうが理解しやすいから)ので、理論的分析は詳細な分析にはそれほど適していないかもしれない。だが、理論的分析と個別的で詳細な分析を組み合わせることによって、理論的分析のみに依拠した場合の欠点を補うことはできる。そして、C2の反批判で述べたように、詩が分析を求めている以上、このような分析的態度は詩に対する誠実さに他ならない。確かに分析には限界があるが、我々は分析せずにはいられないのである。  詩を理論的に分析することにより、我々は、詩を統一的・重層的・発見的・構造的・論理的に理解することができる。これが詩を論ずることの意義である。我々は詩に多く接してゆく中で自然とこのような分析を欲することになる。また、詩が我々に対してその全存在(構造・意味・機能などを含む)を投げかけてくるのならば、分析は、詩を誠実に受け止めるひとつのやり方でもある。もちろん分析には限界があるが、限界があるからといって無意味であるということにはならない。自然科学は自然界を完全に記述することはできないが、だからといって自然科学が無意味であるということにはならない。事情はそれと同じである。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■現代詩の記号論2/葉leaf[2008年1月24日17時03分] 2.現代詩の記号論的分析 2.1.記号論の基本  表現が内容を「意味する」という関係が成立しているとき、その表現はその内容の「記号(サイン)」であるという。たとえば「猿」という言葉(表現)が、外界に存在する猿もしくは猿のイメージ(内容)を意味するとき、「猿」は猿の記号である。このときの表現を「記号表現」もしくは「シニフィアン」、内容を「記号内容」もしくは「シニフィエ」、関係を「記号関係」と呼ぶ。この節では、(1)記号の分類、(2)記号を律する規範(コード)、(3)トドロフの「象徴作用」、について説明しておく。  まず記号の分類について。記号は伝統的に三種類に分類されてきた。すなわち、「イコン」「インデックス」「シンボル」である。  S1.イコンはたとえば肖像画であり、記号表現(肖像画)と記号内容(モデルになった人)が類似しているような記号である。  S2.インデックスは近接性に基づく記号であり、時間的・空間的近接性や因果関係、全体と部分の関係などによって成立する。たとえば煙が火を因果的に意味するとき、煙は火のインデックスとなる。  S3.シンボルは無契性(記号表現と記号内容が本質的には無関係であること)を特徴とする。たとえば言語である。たとえば「猿」という記号表現は、なんら現実の猿の特徴を反映していないし、現実の猿と近接しない。  また、動物的実践的世界での記号を「シグナル」と呼び、人間的観想的世界での記号を「シンボル」と呼ぶ分類もある。たとえば交通標識のように行動を支配する記号がシグナルであり、哲学用語のように人間の思考でもっぱら使用されるのがシンボルである。  さらに、「既成の記号」と「新しい記号」という分類を立てることも可能であろう。既成の記号とは、社会的慣習的にあらかじめ表現と内容の対応関係が定まっているものである。言語記号の大部分は既成の記号である。それに対して新しい記号とは、たとえばある昆虫の特定の行動(記号表現)に対して生物学的な機能(記号内容)を新たに見出すときに生み出されるものである。詩人が独自の隠喩表現を使って独特の意味内容を指示させるような場合も、既成の慣習に縛られない新しい記号が生み出される。  次にコードについて。我々は沢山の記号を使ってコミュニケートしている。たとえば言語を考えてみればよい。我々は無数の単語を複雑につなぎ合わせることでコミュニケートしているのである。これら無数の記号の織り成す体系がある。そして、そのような体系を規律する規範がある。この規範のことを「コード」と言う。  コードには「意味論的コード」と「統辞論的コード」がある。意味論的コードとは辞書のようなもので、記号表現と記号内容の対応関係を規律するものである。一方で統辞論的コードとは文法のようなもので、記号表現たちの結合の仕方を規律するものである。  ここで「選択制限」について言及しておこう。たとえば「青い軽蔑」という表現を考えてみる。この表現は文法的には許容される。だが、軽蔑については色を考えることができないから、「青い」と「軽蔑」の結合は原則として論理的には許容されない(隠喩としては許容されるが)。このような、語の論理的意味による結合の制限を選択制限と言う。  選択制限は、意味論的コードによる規律であると同時に統辞論的コードによる規律でもある。このことについて少し説明しよう。まず、原則として、「青い軽蔑」という記号表現に対応する記号内容は存在しない。いわば「青い軽蔑」は「辞書に載っていない」のである。だから、「青い軽蔑」は意味論的コードにより拒絶される。一方で、「青い」と「軽蔑」の結合を禁止することは、語と語の結合を規律することだから、統辞論的コードによる規律であるとも言える。  さらに、コードを補完するものとして「コンテクスト」に言及しておこう。メッセージの受け手は、コードだけではメッセージを解読できないことがある。たとえば、「私は象だ」という発言は、それが、「好きな動物は何ですか?」という問いかけの後に言われたものだというコンテクスト(文脈)の理解があって初めて正しく理解される。そのようなコンテクストがなければ、発話者が象という動物である、という意味にとられかねない。  最後に「象徴作用」について。トドロフによれば、象徴作用とは、二つのシニフィアンもしくは二つのシニフィエのあいだの類似的連合もしくは近接的連合である。語は象徴作用によって、自身と関連するシニフィアンやシニフィエを喚起する。トドロフは象徴作用を4つに分類している。  Sy1.シニフィエの類似(炎と愛、同義語など)  Sy2.シニフィアンの類似(同音異義、語音類似、韻など)  Sy3.シニフィエの近接(文化的意味、バラが愛を喚起するなど)  Sy4.シニフィアンの近接(パロディなど) ここで特に注目すべきはSy3で、だいたい「共示作用」あるいは「コノテーション」と呼ばれるものと一致する。「バラ」という記号表現はバラという記号内容を意味する。この通常の意味作用を「表示作用」と呼ぶ。この表示作用を前提として、「バラ」とバラの両方を記号表現として、愛という記号内容を意味するのが共示作用である。「バラ」という記号は、シニフィエの隣接によって(愛を伝えるためにバラを贈るという社会的慣習に基づいて)、愛という内容を喚起するのである。 2.2.芸術としての詩  芸術の非記号的側面を強調し、芸術の本質はその非記号的側面にあるのだと主張することも可能である。  TA.芸術は、記号作用によって鑑賞者に感銘を与えるのではなく、それ自身として鑑賞者に感銘を与える。芸術はそれ自身として自律性・完結性を持っている。 この主張は、抽象画や音楽についてはある程度妥当する。抽象画や音楽は原則として、明示的には何かの記号ではない。たとえば抽象画はその色や線、構成などによって直接鑑賞者の情緒に訴えかけてくる。何かを指示して、その指示内容を媒介にして鑑賞者に訴えかけてくるわけではないのである。  では、TAは詩についても妥当するのであろうか。詩が言語で出来上がっている以上、詩の記号性は明らかであるが、他方で詩がそれ自身として直接情緒に訴えてくる側面もある。詩が自律性・完結性を示すのは、その(1)視覚性と(2)音楽性の側面においてである。  まず視覚性について。ここで田村隆一の「恐怖の研究」から次の箇所を引用する。  かれらは殺到する  かれらは咆哮する  かれらは掠奪する  かれらは陵辱する  かれらは放火する  かれらは表現する 言葉の意味をしばし無視して、文字の形だけを注視してみよう。「かれらは  する」という比較的単純で丸みを帯びた、量産された台のような物に、「殺到」「咆哮」などの複雑で角張った造形物がはめこまれている。「量産され整然と並べられた台の上にそれぞれ異なった複雑な構成物が載っている」、我々はこの箇所において、このような視覚的印象を受け取る。その印象は特に記号作用を媒介とすることなく詩そのものから直接与えられる印象である。詩は第一次的に、文字の形や配置といった視覚性において読者に与えられる。そして、視覚性の段階でも詩は自律し完結しており、そのものとして読者の情緒に直接働きかけるのだ。  次に音楽性について。ここで松浦寿輝の「ウサギのダンス」から次の箇所を引用する。  トリウサギならばパタパタロンロン耳をふり ユルルンユルルンとのぼってゆく 「パタパタロンロン」は「耳をふ」る様子を意味する擬態語であり、「ユルルンユルルン」は「のぼってゆく」様子を意味する擬態語である。これらの語は、一応は記号内容を持つ記号なのである。だが、両方とも、既成のコードにはない擬態語であり、「新しい記号」として詩人が創造したものである。だから、読者はたとえば「パタパタロンロン」に対応する状態をすぐには思い浮かべられず、それゆえその時点では意味が不在である。シニフィエが不在なのだから読者の注意はもっぱらシニフィアンへと向かう。そこで、読者はもっぱら音に注意を向けるのである(当該擬態語は表音文字であるカタカナで表記されているので、読者の音に注意する傾向はさらに強まっている)。読者は「パタパタロンロン」「ユルルンユルルン」を前にして、何らかの意味を読み取るよりはむしろ、その音の響きを楽しむのである。音は詩そのものとして自律性・完結性を持ち、記号作用を媒介することなく直接鑑賞者に働きかけるのだ。  ただし、詩の音楽性については少し注意しなければならないことがある。それは、詩は多くの場合、音声で聴かれるのではなく文字で読まれるということだ。詩が読まれるとき、第一次的に与えられるものは文字である。音は第二次的に与えられるのである。たとえば、「犬」という文字は、記号表現として、/inu/という音声(記号内容)を意味する。音は文字の記号作用の結果として与えられるのだ。詩の読者が音を楽しむとき、そこでは文字が音声を意味するという記号作用が先立っているのである。だから、詩が文字で読まれるときは、詩の音楽性は、文字が音声を意味するという記号作用を前提としているので、自律も完結もしていないことになる。  最後に少し注意を促しておく。たとえば音楽性は、記号作用を媒介することなく直接鑑賞者の情緒に働きかけると私は言った。だが、この場合、音楽性によって引き起こされた情緒的印象を、その音楽性の意味であると考え、そこに記号作用を読み取ることができはしないか、という意見も考えられる。だが、その意見を採用すると、およそすべての対象は、人に認識されることにより、その認識内容を記号内容とする記号であるということになってしまいかねない。たとえば犬を見て犬の視覚的イメージを得たとき、犬はそのイメージの記号であることになってしまう。これでは記号の外延が不当に広がってしまい、「記号」という語の「記号と非記号を区別する機能」が著しく減殺される。私はそのような意見は採用しないことをここに明言しておく。 2.3.記号としての詩  さて、TAに対しては批判が可能である。たとえば宗教画の美は、鑑賞者の抱く宗教的感情を抜きにしては語れないことが多い。ところが宗教的感情は、その宗教画が何を描いているか(何を意味するか)を知ることによって初めて生じるものである。宗教的感情は、宗教画の意味作用を前提にして誘発されるのである。だから、意味作用を度外視しては、宗教画の美を十分に語ることができない。  あるいは、詩の比喩を考えてみる。たとえば「青い軽蔑」という隠喩を考えると、ここでは「青い」という語と「軽蔑」という語の意外な結びつきによって(選択制限を破ることによって)美が創出されている。結びつきが意外で新鮮だと感じるのは、「青い」「軽蔑」という語の意味を理解しているからだ。「青い」が色を表し(意味し)「軽蔑」が精神作用を表す(意味する)ことを理解しているからこそ、結びつきの意外性が認識され、ひいては美が認識されるのである。ここでも、美の創出に意味作用が一役買っている。  さらに、ここで宗左近の「月の光」から次の箇所を引用する。  魚にエラ呼吸というものがあるのと同じように  この宇宙には月呼吸というものがあるのですよ ここでは、「月呼吸がある」という思想的発見が鮮烈であり大変美しい。このような認識的な美が詩行の意味作用を前提に成立していることは言うまでもないだろう。  このように、一見非記号的な働きと思われる美の創出に関してさえ、意味作用が不可欠の役割を果たしている場合があるのだ。意味作用がある以上、記号論はそれを分析することができる。記号論は、当然、美的ではない論理的構造的対象を分析することが可能だが、それにとどまらず、美的な対象をもある程度は分析することができるのである。  では、具体的に現代詩を記号論的に分析していくことにしよう。 2.3.1.意味論的コードの拡張  記号表現と記号内容は原則として一対一に対応する。たとえば「演算子」は「関数に関数を対応させる写像」を一義的に意味する。もちろん多義的な記号もある。たとえば「子」は「両親の間に生まれた人」「雌雄の間に生まれた動物」「養子・継子」「年少の者」など多数の記号内容を意味する。しかし、記号表現が一義的であれ多義的であれ、通常の記号使用は既成の社会的慣習的コードに従っている。  これに対して、詩における記号使用は、  Ex1.既成の記号に新たに共示義を付け加える  Ex2.新しい記号表現・記号内容を創造する ことによって、既成の意味論的コードからはみ出て、意味論的コードを複雑化し、拡張する。  Ex1について具体的に見てみよう。ここで拙作「法学」から次の箇所を引用する。  ひとつひとつの霧分子の硬い表面には権利が駆けめぐっている。創世記の時代には、権利は太陽の核内のねじれた闇のなかで、憂鬱に葉を茂らせていた。太陽が天球へとしずくを落としはじめると、権利は種となり、地上の分子たちの喜びの籠に下獄した。 「権利」は「自己のために一定の利益を主張したり、これを受けたりすることのできる法律上の力」という表示義(通常の意味)を持っている。この引用部では、それを前提とした上で、「権利」の意味内容に、新たに「権利の観念的内容を物質化した植物体」という共示義が付け加えられている。この共示義の付加は、文脈によって行われる。この引用部で作者は、「権利」という語を通常の文脈から引き離し、通常はありえない文脈に置くことで、「権利」に新しい新鮮な意味を持たせ、読者に驚きと感銘を与えようとしている。  Ex2はさらに分類することができる。  Ex2a.造語を作る  Ex2b.隠喩を使う  さてEx2aについて。造語を作るにもいくつか方法がある。(1)ひらがなやカタカナで全く新しい語を作り出す、(2)既存の言葉を結合させる、(3)新しい漢字熟語を作る、などである。  (1)の例として、天沢退二郎の「創世譚」から次の箇所を引用する。  ある日新鮮なホンダワラが  少女の死体にとんできてからみつき  ぐいぐい街路に曳いて走り出した 「ホンダワラ」は新しい記号であり、その記号内容は文脈によって充填されていく。とんできてからみつき走り出すから何かの生き物のようだが、「新鮮な」とあるから食物のようでもある。そのようなものが「ホンダワラ」の記号内容である。もちろん、「ホンダワラ」の語感から、なにやらほんわかしているがちょっと怖そうなものというイメージを抱くことも可能である。語感も「ホンダワラ」の意味形成に一役買っているのだ。  (2)の例。たとえば瀬尾育生のある作品の題名は「むらさき錯誤」というものである。もちろん「むらさき錯誤」という語は辞書に載っていない。新しい記号なのだ。意味も新しく付与される。  (3)について。岩成達也の「マリア・船粒・その他に関する手紙のための断片」から次の箇所を引用する。  では何故かかる皮膚病があたし達において生じるのか? それは、あたし達の船粒の内的深部の欠落−あるいはむしろ、欠落そのものであるあたし達の船粒の内的深部に、原因する。 「船粒」は造語である。だが、(「むらさき錯誤」についてもそうだが)「船粒」は「ホンダワラ」とは違い、文脈に依存しないでも、それ自身で意味を確定させることができる。「船」「粒」の意味内容から、「船粒」の意味内容は推測できるのである。たとえば、「船の本質を粒状に凝縮したもの」といった具合である。(3)のケースも、新しい記号表現と記号内容の創造であり、意味論的コードの拡張である。  次に、Ex2bについて。河津聖恵の「grazia…」から次の箇所を引用する。   この夜にほとばしる無は声を高め  時間を抜けおちる光は卵色から銀色へ 無は、論理的にはほとばしったり声を高めたりすることはできない。無は存在しないからである。また、光は、論理的には時間を抜けおちることはできない。時間は場所ではないからである。「ほとばしり声を高める無」「時間を抜けおちる光」は詩人が新しく創造した記号表現であるが、選択制限を破っているがゆえに、論理的には無意味であり、慣習的な意味を持たない。だが詩人は、こういった記号表現に、比喩として何らかの「記号内容的なもの」を持たせることを意図している。ここで「記号内容」ではなく「記号内容的なもの」と言ったのは、隠喩の意味するものが具体的に明確に特定される必要は必ずしもないからである。隠喩によって解釈の可能性の広がりを提示するだけで、読者に美を感じさせることはできるのである。  もちろん、あいまいな「記号内容的なもの」では満足できない読者もいるだろう。そのような読者は、詩人が創出した新しい隠喩記号の記号内容を特定しようとする。たとえば「時間を抜けおちる光」。ここでは、まず時間と空間が一体化されているのかもしれない。空間を透過してくる(抜けおちてくる)光は、それゆえ同時に時間をも透過してくることになるのだ。つまり、「時間を抜けおちる光」という記号表現は、「時間と一体化した空間を透過してくる光」と言う記号内容を意味するのだ、と読者は創造的に解釈することが可能である。ここでは、詩人が創出した新しい記号表現に、読者が新しい記号内容を付与している。このことによって、意味論的コードは拡張されるのである。 2.3.2.統辞論的コードからの逸脱  彼は知っている  水とは  怖るべき渇きを  溶けているということ 高岡修の「形状記憶」から引用した。「溶ける」は自動詞であるから、文法的には、すなわち統辞論的コードからは、目的語をとることはできない。ここでは「溶ける」が「怖るべき渇き」という目的語をとることによって、そのような統辞論的コードが破られているのである。  語は、「名詞」「形容詞」「自動詞」「他動詞」などの範疇に分かれていて、その範疇の結合の規則に従う。たとえば形容詞は名詞の前に置かれたり述語として配置されたりするものと決まっている。文法的範疇の結合の規則は強固に決まっている。だから、たとえば形容詞が主語の位置に置かれたりすると、「形容詞も主語になれるのだ」という主張は却下され、「形容詞が名詞化されたのだ」という主張が採用される。たとえば「美しいは醜い」において、「美しい」はもはや形容詞ではなく名詞なのである。  それゆえ、引用部においては、「自動詞も目的語をとれるのだ」という主張は却下され、「自動詞が他動詞化された」という主張が採用される。つまり、「溶ける」は他動詞化されていて、それゆえ目的語がとれるようになったのである。ここでは新しい結合の規則が創出されている。すなわち新しい統辞論的コードが創造されたのである。  「溶ける」を他動詞としてとらえるのならば、溶けるものは溶けることによって何らかの対象に働きかけなければならない。この引用部では、「水」が「溶ける」ことにより「怖るべき渇き」に何らかの働きかけをしているのである。試みに次のような解釈をしてみよう(あまり良い解釈ではないがこのくらいしか思いつかなかった)。水は水自身に常に溶けている。そして、この溶けるという変化は、水の本質として、水の潤いを示している。この潤いは渇いたものを敵対するものとして排斥する。「潤いとして正反対のものを排斥する」これが他動詞としての「溶ける」の意味である。水が「怖るべき渇きを溶けている」とは、水がその潤いを示すことによって、敵対する渇きを排斥することである、と。ここでは「渇きを溶ける」という新しい記号表現に、「潤いを示すことで渇きを排斥する」という新しい記号内容が付与されている。意味論的コードも拡張されたのである。 2.3.3.解釈の可能性の広がり  言語記号は、固有名などを除けば、たいてい普遍性を持っている。たとえば「雪が降る」という表現を考える。この表現には「解釈の可能性の広がり」が伴っている。「雪」は粉雪かもしれないし牡丹雪かもしれない。「降る」といっても、大量に降っているのかもしれないし少しだけ降っているのかもしれないし、場合によっては吹雪いているのかもしれない。 そのすべての可能性を、「雪が降る」はカバーしている。  だが、「雪が降る」の場合、読者は即座にその意味を理解できる。「雪が降る」はコードをなんら逸脱しない表現であるから、コードを参照すればよいだけなのだ。しかも人がコードを参照して意味を読み取るという過程は自動化されている。原則として、特に解釈する必要がないのである。場合によっては、文脈を参照することにより、「ここでは吹雪のことを言っているのだ」などと解釈することもあるかもしれないが、それはむしろ例外である。読者はコードの教える意味で満足し、ことさらに解釈しようとは思わないのだ。  それに対して、2.3.1、2.3.2で見てきた「コードを逸脱する表現」は、慣習的に自動化された記号作用をすることができない。2.3.1のEx1では、それまでにない新しい共示義が創出されているわけだし、Ex2では新しい記号が創出されている。2.3.2で挙げた例では、語の文法的範疇が変更されている。読者は、詩人が提示する記号表現に対して、慣習的に固定した記号内容を付与することができない。コードを逸脱する記号表現を前にして、読者は、「記号内容的なもの」すなわち「解釈の可能性の広がり」を心に抱くだけであり、即座には記号内容を特定することはできないのである。  コードに従う記号表現(CSとする)においては、慣習的に固定された記号内容が前面に出てきて、解釈の可能性の広がりはほとんど無視されていた。しかし、コードを逸脱する記号表現(ACSとする)においては、固定した記号内容がないために、解釈の可能性の広がりが前面に出てくる。しかもCSたとえば「雪が降る」においては、解釈は、固定された意味を中心にその細部を充填していく作業であるのに対して、ACSたとえば「船粒」においては、そもそも中心的な意味などなく、すべての解釈は原則として相対的である。Ex2aとして紹介した「船粒」は、「船の本質を粒状に凝縮したもの」という解釈のほかにも、たとえば「船を構成する原子・分子」、などの解釈を許容し、それらの解釈はどれが中心的というわけでもなく、原則的に等位である。  ACSでは解釈の可能性の広がりが前面に出てきて、そのあいまいさ、含蓄の深さが読者に独特の情緒的作用を及ぼすことがある(場合によっては美感を喚起する)。たとえば「時間を抜けおちる光」を読むと、読者は解釈の可能性の広がり(これはしばしば「豊穣である」と感じられる)に直面し、分からないなりにもなんとなく「いいなあ」と思う。詩人が意味論的コードを拡張したり統辞論的コードを逸脱したりするのは、言葉になりにくいものを言葉にしようとするためでもあるが、読者の「いいなあ」という反応を得るためでもある。 2.3.4.「世界の法則」というコード  よく判断できなかったが、彼女らは、何かかすかな歓喜に酔っているらしい。かわるがわる、交替しては、殺し合っているのだ。  ひとりが痙攣しながら死ぬと、次は、生き残った娘が、死んだ娘に、胸を切り裂かれる。剃刀が閃めき、麻縄が舞い、やがて、彼女らは、ぼろのように、ちりぢりに散乱して、雪に埋まったのである。 粕谷栄市の「犯罪」から引用。ここでは、死人が人を殺している。「死人が人を殺す」においては、「死人」に特に新しい共示義が付加されたわけではないし、新しい記号が創造されているわけでもない。だから意味論的コードは拡張されていない。また、「死人が人を殺す」は、主語−目的語−動詞という定型的な語の結合規則に従っているので、そこに統辞論的コードの逸脱・創造があるわけでもない。さらに、死人も人である以上論理的には行動できるので、選択制限が破られているわけでもない。だから、言語の次元ではこの表現はなんら問題はない。  だが、我々の常識から言って、死人が人を殺すことなどありえない。それは自然法則に反することである。「死人が人を殺す」という出来事は、言語の側から禁止されるのではなく、世界の側から禁止されるのである。  我々の現実は、自然法則や人間関係の法則などによって規律されている。それらの法則を「世界の法則」と呼ぼう。世界の法則もまた、テクストを規律するコードとして働く。現実にありえる出来事は許容されるが、現実にありえない出来事は、原則として世界の法則により禁止される。これは言語が要請するコードではなく、世界が要請するコードである。  世界の法則が破られるときに現れる世界は、現実存在しえないが、論理的には存在しうる。そこでは現実と論理が激しく対立する。読者はその対立に身をおきながら、新奇な世界の現出に胸をときめかせる。世界の法則というコードを破ることによっても、読者に情緒的興奮を与えることができるのだ。 3.結論  詩は鑑賞者に情緒的感銘を与える芸術作品であると同時に、論理的構造や機能を持った複雑な構成体でもある。だから、詩を誠実に受け止めるためには、その芸術作品としての側面だけではなく、論理的構造体としての側面にも目を向ける必要がある。分析とはまさに詩の構造体としての側面に目を向けることであり、もちろん限界もあるが、詩に対する誠実さの一つの現れである。  分析の価値を、鑑賞の価値をはかる尺度ではかってはならない。分析には鑑賞とは違った目的がある。分析の目的に徴すれば、分析の価値をはかるためには、それがどれだけ詳細に、統一的に、重層的に、発見的に、構造的に、論理的に詩を理解できるかという尺度によらなければならない。この尺度によれば、理論的分析が優れたものであることが分かる。  詩は、記号作用を媒介せずに直接読者の情緒に訴えかける側面もあるが、記号作用を媒介にして読者に感銘を与える側面もある。だから、詩の美的作用も部分的には記号論的に分析することが可能である。  現代詩においては、意味論的コードや統辞論的コードが破られ、新しく記号やコードが創造されることがある。その際、新しくできた記号の記号内容はただちには特定されず、解釈の可能性の広がりとして読者に与えられる。これが読者に美を感じさせることがある。  特殊なコードとして「世界の法則」がある。世界の法則を破ることによっても、読者に詩的感興を与えることができる。  本稿では、詩の「コードを破る側面」に主に注目してきた。だが最後に、特にコードを破らなくても十分美しい詩は書けるし、特にコードを破らない詩行も詩においてはたいへん重要であることを指摘しておく。それは、ストーリーや思想、認識、情景、感動などを分かりやすく直接示すことで、現代詩においてはむしろコードを破る表現よりも重要なくらいである。そのようなものの好例として、高見順の「葉脈」から引用する。  僕は木の葉を写生してゐた  僕は葉脈の美しさに感歎した  僕はその美しさを描きたかつた  苦心の作品は しかし  その葉脈を末の末までこまかく描いた  醜悪で不気味な葉であつた  現代詩のもっと多くの側面について記号論的に分析したかったが、紙数が尽きてしまった。芸術の記号論的分析にもそれなりの価値があることを分かっていただければ幸いである。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■詩投稿サイトについて/2TO[2008年1月24日20時15分]  批評祭ということらしいので参加させていただくことにいたしました。いくつ投稿できるかは分かりませんが、できるだけ書ければと思っています。よろしくお願いいたします。  さて、これから書き始めるにあたって、私観と一つ提案を述べさせていただきます。といいますのも、現代詩フォーラムに限らず、現時点ほどネットにおける全体的な詩のレベルおよび書き手のレベルが停滞している時は、かつてなかったように思われるからです。 (ところで私は「ネット詩の死」などという言葉を使うつもりはありません。「死」は時間と切り離されたものであり、曲がりなりにも現在ネットにおいて詩が書かれており、また今後も書かれ続ける限り、それは「停滞」と呼ぶべきものでしょうから。)  数年前までのシーンを思い出すならば、そこには大小数々の自由に詩を投稿できるサイトがありました。いとう氏のサイトover the sinから引き継がれたPoenique(やみなべ。)、また老舗と言ってよい日本WEB詩人会、脳ミソ気球団、うおのめ倶楽部などはまだ続いていますが、一日のアクセス数や投稿数を考慮すれば数年前とさほど変わりはないのではないだろうか(とはいえ、千年王国の惨状は筆舌にしがたいものです)。  閉鎖してしまったサイトもありました。詩人ギルド、ark、Verse-Verge、Poetic Free、そしてchori氏が創っては廃棄していた投稿サイトの数々(最後に残ったのは「くぐもり」だったでしょうか?)。……これはネットの流動性を考えれば致し方ないものかもしれません。  その一方で、新たに設けられたサイトもいくつかあります。詩遊会、みんなの詩(ポエム)、poecs、ことばcan。携帯版では投稿詩共和国、そして(自由投稿ではないものの)月刊未詳24。その他にも個人サイトに投稿掲示板を設置しておられる方もいるようです。  もちろん私もその全てを把握できているとは言えません。  現在もっともアクセス数の多い此処、現代詩フォーラムは先のサイトと比べれば新しい部類に入るでしょう。また、事あるごとにアクセス数を誇っている文学極道が大手投稿サイトとしては一番新しいのでしょうか。後者については、「芸術としての詩を発表する場、文学極道です。糞みたいなポエムを貼りつけて馴れ合うための場ではありません。」として、他の投稿サイトとの差別化を図っており、確かに作品についてはある程度の質を保っているようです。  投稿サイトについてこれ以上詳しくは調査しません(個人では無理な作業です)。ただ言えることは、目的を共有する数人のメンバーで作られた投稿サイト(文学極道もこれに当てはまるでしょう)が、現時点においては数えるほどしかなく、その他大多数のネット詩作者は、手っ取り早く作品を公開できるだけの現代詩フォーラムに集まらざるを得ないということです。  では、そのような有志はどうしたかというと、無目的性の際立つ此処に吸収されるか、同人誌として脱ネット化をし始めているように思われます(ここ2,3年のネット発の同人誌の数を考慮していただきたい)。 「みんな表現してない。体裁を繕っているだけ」(関田英介) ちょり->あ、それ、もうすこし具体的に言っていただけますか。 投稿者->ああ、多数派というのはキーワードだね、僕にとっては。 関田英介->うん。いとうさんが誰かへのレスで言ってるんだけど、みんな「詩」っぽくしようとしているんだよね。それが多数派の意識というか。 投稿者->そうそう、「詩」が先にありき、みたいな。 関田英介->そうじゃねえだろと(笑)。 投稿者->何で「詩」なの?という疑問が沸く。 関田英介->そうだよね>投稿者 ちょり->本来、テクノとかロックとかポップスがあるはずなのに。それをとにかく「音楽」だと主張しようとする、みたいな。 関田英介->そう。>ちょり 投稿者->うん、音楽好き、だからやるの、みたいな。表現の出発点が希薄なんだよ。 ちょり->そうまでして尊重、というか重要視される「詩」とは、じゃあいったいなにか、というと、どうしても何か空虚なものに思えてくるんですよね。 関田英介->結局、みんな褒められたいだけなんだよ。表現してない。体裁を繕っているだけ。 ちょり->ほんとうに形骸化しているというか。 投稿者->うん。俺なんか詩のサイトうろうろしてるのは「表現」をみたいからなんだよな。 関田英介->右に同じ。 投稿者->でも「詩」が先行して表現じゃないのが多いの。 ちょり->「詩」というのが「体裁」とイコールで結ばれてしまう状況ですよね。 投稿者->からっぽなら無理に作らなくていいよ、と思う。 ちょり->こうすれば詩だ、こういうのが詩だ、っていうのが一人歩きして。 関田英介->そうなんだよね。みんなそれっぽい作品をまだ模倣している段階なんだよ。 ちょり->結局出発地点を見失ってしまって。 投稿者->そうそう。 http://members.at.infoseek.co.jp/city_n/n-dan01.htmより引用  自戒も含め読み返してしまった第N区に掲載された以上の対談から、すでに5年以上の年月が流れたことになります。ネット詩はどこまで来たのでしょうか? そして投稿サイトは?  その上で私が提案できることは、いっそのこと現代詩フォーラムは幕を降ろしてはどうだろうか、ということです。そこからはたして何人の投稿者が書き続けられるでしょう? 言いたいこと、伝えたいことがあるのならば、詩などにしなくても誰かに直接言えばいい。あなたの「ひとりごと」を呟きがそのまま詩となるわけではないのだから。もし表現したいイメージがあるのならば、わざわざ言葉を使わなくても絵を描けばいい。そもそも言葉はイメージを表現するのに向いていないのだから。  あなたが無理をして詩を書く必要はない。別の表現手段などいくらでもある。体裁をつくろうだけの言葉は、いらない。 現代詩フォーラムを潰すことは、そのことを気づかせる良い契機になるはずです。 注:この提案は、もちろんもうひとつの大手投稿サイトである文学極道を擁護するものではありません。文学極道の面々も、ブローディガンやツェランのごとく、たった一人になったとしても書き続けられる者がどれほどいるでしょう? (良くも悪くもアカデミックな)紙媒体の詩的・詩学的レベルに恥をかく前に、とっととその大口を閉じるべきではないでしょうか? まあ、数百の読者のうち、たった一人に驚嘆を与えるような詩など、それがスイーツ(笑)のような凡百を嗜好する彼らには書きようもないのですけど。 参考サイト一覧(以下順不同) Poenique:http://poenique.jp/ 日本WEB詩人会:http://www.poet.jp/ 脳ミソ気球団:http://www.no-miso.com/heaven/index.html うおのめ倶楽部:http://uonome.omega-zz.com/ 千年王国:http://birdman.serio.jp/1000.htm 詩人ギルド:http://www.interq.or.jp/red/kota/poetguild.html(閉鎖中?) ark:サーバが見つかりませんでした Verse-Verge: ページが見つかりません Poetic Free:ページが見つかりません くぐもり:http://www.fides.dti.ne.jp/〜s-sen/(閉鎖) 詩遊会:http://si-you-kai.com/ みんなの詩(ポエム):http://www.gonta-poem.com/ poecs:http://poecs.net/ ことばcan:http://www.kotobacan.com/ 投稿詩共和国:http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=salooon24 月刊未詳24:http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=heart_throb_exp 文学極道:http://bungoku.jp/ 第N区:http://members.at.infoseek.co.jp/city_n/ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■気風は断絶したか?/岡部淳太郎[2008年1月24日23時09分]  稲川方人の「気風の持続を負う」(一九七七年)はちょっといい文章だ。荒川洋治の「技術の威嚇」(同年)への反論という体裁をとっているが、稲川の詩の書き手としての侠気というか使命感というか、論理を越えた真摯な気持ちが率直に綴られていていい。「やたらと状況論的把握に走りたがる思考は、人名と年次を並べてことを済ませる三文批評家と変わりがない」という荒川に向けられた痛烈な一文は、私にとっても耳の痛いものだ。稲川はここで荒川の「主体の態度がぬるい文章」を槍玉にあげつつ、「〈六〇年代詩〉以後という、少なくともわたしには粗末に出来ない題目を念頭に置きながら」そこから受け取ったもの(おそらくそこには愛着とともに異和も含まれているだろうと思われる)を素直に告白しながら、その〈六〇年代詩〉の「気風」を受け継いでいくことを宣言している。一種の信仰告白のようにも見えるが、先行世代の輝きだけでなく汚れさえも受け継いでいく、その覚悟が語られているのだと思う。少なくとも現代詩が残してきた歴史の上に立ち、その先にあるひとりの書き手として誠実であろうとしているように見える。  この文章で稲川は「気風」という言葉を使っているが、それは時代ごとにそこに書かれた詩を被ってきた詩的精神のようなものだろう。稲川は堀川正美が一九六二年に書いた「感受性の階級性・その他」という文章を援用しつつ、堀川の言う「詩の気風の交代」が〈六〇年代詩〉の頃にあったとする(堀川の言うことをそのまま認めているわけだが)。そして、その気風は(稲川のこの文章が書かれた一九七七年当時においても)いまだつづいており、「気風の交代」は起こっていないと見ている。  そこで気になるのが、二十一世紀に入って言わば「〇〇年代」が終盤にさしかかろうとしている二〇〇八年の現在、「詩の気風」はどうなっているのかということだ。なんといっても稲川のこの文章は三十年も前に書かれたものであるし、その年月の長さを思えばそれから現在までの間に日本の詩に何かしらの変化が訪れていてもおかしくはないと思える。果たして「詩の気風」はどこかで交代していたのか? 二十一世紀という現在における詩的精神はどんな様相を呈しているのだろうか?  あえて稲川が嫌う「状況論的把握」にもとづいて現在の日本の詩の状況を見渡してみる(それが近視眼的なものになってしまうかもしれなかったり、ほんの少し横目でちらっと眺める程度に落ち着いてしまうかもしれないのは承知の上である)。詩集があり、同人誌があり、商業詩誌がある。これはいまも昔も変らないが、それに加えて現在はやたら可能性ばかりが喧伝されてどこか落ち着きのなさげな「ネット詩」というものがある。いっぽうでそれぞれの書き手を軸にして見てみると、田村隆一や吉岡実など戦後詩の分野に華々しく登場した大家の多くは鬼籍に入り、それにつづく世代も日本の詩をリードするにはあまりにも年老いてしまっている。それ以降の六〇年代や七〇年代に登場してきた詩人たちも沈黙したり気ままに書いていたりで状況から離れてしまっているように見える。それより後の世代となると決定的にスター不足であるという感は否めない。つまりは、軸がないままにそれぞれがそれぞれの場所で孤独に存在しているだけのように見えるのだ。これは私の勝手な思いこみにもとづく見取り図ではあるが、現状はそこからあまり遠いところにはないだろう。  こうした現状を見てみると、果たして二十一世紀の詩の現場に「気風」などというものが存続しているのかと疑いたい気持ちになってくる。またそのいっぽうで、そんなに「気風」にこだわる必要はないのではないか、それぞれが孤独に存在しているのならそれぞれが勝手に良い詩を書いていればいいのではないかという思いもしてくる。もし「気風」が断絶してしまって雲散霧消してしまったのならば、それもいいのではないかと思ってしまいそうになる。  稲川方人が「気風の持続を負う」を書いた翌年には吉本隆明の「修辞的な現在」(『戦後詩史論』所収)という論考も書かれている。「戦後詩は現在詩についても詩人についても正統的な関心を惹きつけるところから遠く隔たってしまった。しかも誰からも等しい距離で隔たったといってよい。感性の土壌や思想の独材によって、詩人たちの個性を択りわけるのは無意味になっている。詩人と詩人を区別する差異は言葉であり、修辞的なこだわりである」という冒頭の文章はその当時の詩の状況をコンパクトにまとめたものだが、特に前半の「戦後詩は」から「隔たったといってよい」までを読むと、それが現在の二十一世紀の詩の状況を予言した言葉のようにも思えてくる。「詩」という中心軸があると仮定して、その大文字の「詩」から遠く離れたところにひとりひとりの書き手が散在している。吉本が言う「修辞」に力点を置く書き手も、「生活」などの個人的事象に力点を置く書き手も、大文字の「詩」から遠く隔たって、内実を何となくごまかしながら書きつづけているように見える。仔細に眺めればそうではないと言われるかもしれないが、全体としてそのような印象を抱いてしまいそうになることもまた事実で、問題はなぜそのような印象を抱いてしまうのか、現在の詩がそれぞれに個別で存在していてそれに無自覚なまま大手を振って歩いているように見えてしまうのはどうしてなのかだと思う。そこには詩だけに限らずこの二十一世紀という時代を被う時代的雰囲気が影響しているのだろうが、現在の詩がそのように見えてしまいかねないということは、どこかで「気風」の断絶や破棄があったのではないかという思いを惹き起こさせるには充分であると思う。  先ほども書いたように、「気風」が断絶しているか否かということは本当は大した問題ではないのかもしれないし、歴史の積み重ねの中でその重みにあえぐように詩を書くよりもいっそ歴史など捨て去って書いた方が身軽であり、その方がずっといいのかもしれない。ともかく私を含む詩の書き手たちが(「詩人」という言葉を使うのは自分にとっても口幅ったいのでこういうややこなれていない言葉に置き換えておくが)、過去に書かれた多くの詩作品が導いた結果としていまこの時代にいることは確かだ。たとえば「〈六〇年代詩〉の気風」でも「〈八〇年代詩〉の気風」でも何でもいいのだが(あるいはやや皮肉めいた言い方で「〈九〇年代Jポップ〉の気風」としてもいいかもしれないが)、それは個々の書き手が意識するしないに関わらず存在したものであり、それを見くだしてあくまでもひとつの個として書いていこうとする姿勢には疑いを差し挟みたいところだ。「気風」の存在を認めた上であえてそれに目を向けずに書くのなら(むしろ現代においてはそうした書き方が一般的であるかもしれない)まだいいし、そのような態度には一定の理念が入りこむこともあるだろう。だが、「気風」を見くだしてわがままにふるまうのは良くない。ひとりの人間が数え切れないほど多くの先祖が次の世代にバトンを渡した結果として生まれるのと同じように、いまここで書かれている詩作品は先行する多くの詩作品の存在なくしてはありえない。人は詩を書くことは出来るが、詩を発明することは出来ないのだ。  いまの私の気分としては、二十一世紀の現在に至るどこかで「気風」の断絶や破壊があったのではないかと勘繰りたいところだ。だが、ひとりの詩の書き手が詩についてどんなに悩ましい思いを巡らしてみたところで、詩が相変らず次から次へと生成されていくのは事実であり、時にそれらひとつひとつの詩作品がそうした思いに無頓着にふるまってしまうこともまた事実であるだろう。いまも「気風」が存在するのかどうかと関わりなくそうしたふるまいをつづける詩作品たちはまるで放蕩息子のようでもあるが、それらの詩作品によって眼を見開かされたり感動したりする人がいる。そうした人々への誠実な問いかけまたは答としての詩を、ひとりひとりの書き手がとりあえず書きつづけていくしかないのだろうし、それをつづけていくことで新たな詩の「気風」が生まれてくるのかもしれない。 (註)稲川方人「気風の持続を負う」、荒川洋治「技術の威嚇」、吉本隆明「修辞的な現在」の三篇の論考は『現代詩手帖特集版 戦後60年〈詩と批評〉総展望』(二〇〇五年・思潮社)を参照し引用した。また「気風は断絶したか?」という表題は、北村太郎の論考「孤独への誘い」第1章「空白はあったか」を多分に意識したものである。 (二〇〇八年一月) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■「美しいミサイル」 いとう/たりぽん(大理 奔)[2008年1月24日23時25分] http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=99852 「美しいミサイル」 いとう  自分の感覚や言葉、理論、知識・・・宗教や思想でもいい。それらを総動員しても理解できないものが目の前に現れたとき私はどうするだろう。理解できない理由を他人のせいにしたり、あるいはそれは存在しないものだと目をつぶったり、そうあるべきではないと否定するだろうか。そのようなあり方は、読み手としての私ではないと心がけたいと思う。読み手にとって作者の心情や意図は風紋をつくる風のようなものであって、その成り立ちを科学的に詳しく解析しても風紋の美しさは永遠に理解できないだろう。この一年「美しいミサイル」という作品は私にとって、児童公園の砂場にできた風紋だった。目を閉じてしまえば気にすることもなかったが、砂場をながめるときにはどうしてもその理由を知りたくなる風紋だった。 しかし、謎解きはしない。それはこの詩の本質を包み隠しかねないから。 私がこの作品から感じたのは 孤独 だ。それが作者なのか私の中の何か、なのかはわからない。ただひたすら満たされることのない、それが「潰すもの」のように思えてならない。欲・・・性欲、物欲、権力欲・・・戦争、誕生・・・「境界をみることのない」人間の世界の輪。平たく「世界」といってしまえばそれがいちばん近いと思うが、もっとも遠い温度のようにも思うわれる。ひとくくりにされた世界ではなく、あくまでも人間、小人に比喩される人間がひとりひとり持ち、手をつなげていった輪の名前。そこに硬質な「美しいミサイル」だけがこの世のもののように置かれている。その何という人間不信。自分からをも孤独な心。 謎解きはしない、といいながらもこの詩には謎めきの罠が張り巡らされている。小人達、輪、妊婦・・・それぞれに意味を持たせてパズルのように組み合わせてみても最後まで埋まらない空白が用意されているだけだ。幾重にも幾重にもシンボリックな言葉を重ねながら、それでいて辿り着けない。 武器は美しい。殺傷力の高いものほど洗練された美しさを持っている。でも美しさは誰も殺すことはない、美しいというそれだけでは。作者の中の「美しいミサイル」はいったいなんだろう。美しいとは。ミサイルは誰もが持つ凶暴な牙のような武器。「弱いまま/生きていられますように」と願えば願うほどいつかミサイルは放たれ、何かを得て何かを失っていく。孤独なまま過ごせない弱さと閉じられていく自我。強さが自分の輪郭を奪っていく。 公園の砂場で不思議な風紋を踏みつけてみる。儚いその輪郭はあっさりとその姿を失う。そして無数の砂だけがある。先程まで風紋をつくっていた砂が。風紋とは輪郭の名前だったろうか。砂にはその本質はなく、ただ風の姿を一瞬写し取った・・・この詩のように。 (文中敬称略) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■鏡の詩「フィチカ」/Rin K[2008年1月25日13時38分]  子どもの頃「怖かったもの」がたくさんある、チャルメラのラッパ、ギャル、雷に、「かちかち山」の絵本・・・。そんな中で、私が何よもり恐れていたものが天狗のお面であった。  そのお面は私が六歳のときに暮らしていた祖父母宅の客間の壁にかけてあったものだ。誰がどこで手に入れたものか、祖父母でさえも記憶にないという。今改めて見れば「笑点」の歌丸師匠にどことなく似た、人の良さそうな顔である。当時この客間が私の部屋として与えられていた。一度このお面を外してほしいと祖母に交渉したが、昔からここにあったから動かさないほうがいいという、どうもスッキリしない理由で断られてしまった。後々聞けば、祖母も天狗が怖かったらしい。  なぜそんなにもただのお面でしかないこの天狗が怖かったのか。それは、見るたびに表情が変わるからである。あるときはにらみつけているように、またあるときは微笑んでいるように。友達とケンカをした日に天狗を見れば、その目は吊り上っていた。家の前の掃除を手伝った後に天狗を見れば、その表情はおだやかだった。かわいがっていた犬が死んでしまった日は、天狗の目からも確かに涙がこぼれていた。今思えば、あの天狗は心の鏡だったのかもしれない。見るものの内面をそのまま映し出していたから、硬い木製の筋肉でありながらも、恐ろしいまでに自在に表情を変えたのだろう。  「フィチカ」  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=141580  この詩を読んだとき、ふと私は「天狗だな」と思った。怖いという意味ではない。心の鏡という意味で。この詩は自らは何も語りかけてこない。書き手の感情がほとんど含まれていないのだ。  書き手の感情が痛いほど伝わってきて、それが心を揺さぶる詩。心に警鐘を鳴らし、問いかける詩。言葉遣いや表現を存分に味わえる詩・・・。ひとことで「詩」と言っても実に多様である。そしてそれぞれに魅力がある、。しかし「フィチカ」のような「鏡の詩」とは、なかなか出会うことがない。  フィチカの「雨」はただの雨ではない。「言葉」である。と、この詩を最初に読んだときに感じた。それはきっと、そのとき自分がある人から受け取った言葉に悩んでいたからであろう。その言葉は厳しく、冷たいものであった、この詩の表情も、同じように厳しかった。天狗のお面で言うと、こちら側を穴のあくほど見つめているという感じである。そして、「悩みの種であるその言葉の真意を考えろ」と語ってきた。 >雨の言葉がわかる人だけ、 >雨を愛する人にだけ、 >フィチカは笑みを返してくれる もちろん詩に説明がなされているわけではない。自分の心の奥底に潜んでいたレジリエンスを映し出し、それが語ったまでだ。 寄せられたコメントを見てもそうだが、この詩を「あたたかい」と感じる人もいれば、そのときの私のように「厳しい」と感じる人もいる。フィチカの「雨」は雨なのか、それとも何かを象徴しているのか、それも人によって捉え方が異なる。また、読み手のそのときの心の状態でも表徴を変えてみせるだろう。現にこの散文を書くにあたり、再度読んでみたところ、今度はおだやかな表情を見せた。  「鏡の詩」。それに映された自分自身の心を感じることも、詩の楽しみ方の一つであろう。  ルナクさんの詩は「詩人の詩」ではなく「歌人の詩」だ、と思う。それはリズム感の問題だけではなく、言葉の響きに大いに関係がある。「フィチカ」これは空想の国の名である。実は、投稿される前に初稿を見せてもらっていたのだが、そのときはこの国の名は、良く似た別のものであった。ところが実際に投稿されたものは「フィチカ」に変わっていた。テストで、「最初に書いた答えで合っていたのに!」ということが多い中、このチェンジは正解だと思う。丸みを帯びた響きは、鏡が反射するようにキラリと光って読者の目にとまる。  「鏡の詩」に定義はない。どの詩をもって「鏡の詩」とするかは、読者が決めることだ。「フィチカ」は私にとっては数少ない「鏡の詩」である。子どものころの天狗を未だに忘れられないように、この詩もずっと心に残り続けるであろう。   ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■ネット詩fの裂け目から/2TO[2008年1月25日14時47分] 「ネット詩fについて」清野無果さん http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=100523  裂け目を開くために私は頁をめくる。アリストテレスの「詩学」では、大まかにいって詩作というものを「再現(ミメーシス)」と定義しているが、そこで挙げられている悲劇・喜劇・音楽という各詩作において、それぞれを隔てているものは、媒体(メディウム)であると語っている。ここでアリストテレスの挙げている媒体と言うのはリズム、歌曲、韻律であるが、そのうち後者2つは言葉の使用を前提としている。アリストテレスは、悲劇・喜劇を「あるものは媒体のすべてを同時に用い、他のものは媒体を部分部分に使い分けているという点で異なっている」*1として説明する。リズム、歌曲、韻律というのは技術(テクネー)であり、これらを使用することによって詩が創られているというのである。  すると、アリストテレスのいう「詩」とは、媒体(メディア)の複合体によって生み出される「再現(ミメーシス)」であるといえる。アリストテレスにとって、書かれた詩句とはそれ自体が媒体(メディア)なのである。したがって、我々が今「詩」と呼んでいるものは、それ自体がすでにひとつの「メディア」であるということができるだろう。  すなわち、問題となりうるのは「紙媒体の詩/ネットの詩」というメディアの二項対立ではない。「詩のメディア」ではなく、特定の「メディアの詩」でもなく、「詩はメディア」である。したがって、「詩におけるメディア」は「ネット−詩−紙媒体」と記述されるべき問題なのである。  とはいえ、「紙媒体の詩/ネットの詩」この二項対立構造を定立せざるをえないことこそが、詩壇がモダニズムの残骸にまみれていることを如実に物語っている。ヘーゲルによって提示され、マルクスによって厳格化されたイデオロギー闘争、すなわち弁証法の匂いが「インターネット」と「紙媒体」という分割には強く感じられるのである。紙媒体はひとつのメディアであり、他方ネットはまたひとつのメディアである。だが、現状においてこれら2つのメディアの違いと言うものをベースとした議論がどこまで発展しているのだろうか?  常識的に考えれば、詩作品の原稿の管理は作者が行うものであり、投稿掲示板にある作品は原稿そのものではなくコピーであるから、それを削除されるということは、例えていえば詩誌に送った作品が没になった、また例えれば、書店に置かれていた詩集が店頭から取り下げられた、といったようなことで、作品の原稿そのものが削除されたわけでも、著作権を侵害されたわけでも、もちろん、詩人としての存在を否定されたわけでもない。  これは、印刷物とネットという「メディア」の違いを考慮に入れていない。なるほど、「投稿掲示板にある作品は原稿そのものではなくコピーである」という見解には、(留保付ではあるが)一部同意できよう。しかしながら、次の「たとえていえば詩誌に送った作品が没になった、またたとえれば、書店に置かれていた詩集が店頭から取り下げられた」という例えは的外れである。これらの例は、印刷物において該当する例であり、それをそのままネットにおけるそれに持ち込むことはできない。なぜネットにおけるアーカイヴが上記の例のように、印刷物のアナロジーとして処理されてしまうのだろうか? それは未だに「ネットにおける詩」についてのエチカが確立されていないことを如実に物語っている。  この例示においては「投稿した作品が削除されること」が、「書店に置かれていた詩集が店頭から取り下げられた」という、商業的なものとして類推されているのは注目に値する。この場合、後者は”物的な流通”として公共空間から姿を消すことを意味するが、前者は”現前的なもの”として公共空間から消え去ることを意味しており(はたして店頭から消えた詩集が焚書されてしまうのであれば別だが)、例としては不適格なものであると言うのは前に述べた。しかしながら、ここで重要なのは詩集(詩作品)がその流通を前提として記述されている点である。詩作品は商品であるかぎりにおいて、そこには市場というシステムが存在する。ここには市場での流通という印刷物についての論理が、ネットにほぼそのまま持ち込まれており、さらにこれはそのまま「現代詩フォーラム」のシステムにおいても当てはまる。ポイントを換金するという議論が時々に散見されるが、まさにこのような議論は現代詩フォーラムという擬似市場システムが生み出す当然の帰結であると言っていいだろう。ポイントはそのような市場における通貨であり、それゆえ管理人はポイント制限という形で、通貨のインフレを防止するのである。  そのような文脈で見た場合、たしかに投稿者が消えることによって、その商品としての詩作品も流通網から外されるという論理はなりたつ。しかしながら、ここはネット空間であり、印刷物の論理が適応されるべき空間ではない。(別に自分は市場そのものを批判しているのではない。ただ、ネット空間において、市場としての別のあり方が存在するのだと言っているにすぎない。)  ネット詩における第一の定理は「詩が彼における現前のすべてである」ということ、すなわち「作者としての実体は、詩によって出現する」ということ。作者が作品を作るのではなく、作品が作者を作り出すのである。それゆえ、ネット詩における作者あるいは主体とは、ここのテクストの配置によって生み出される一つのテクストにすぎない。それゆえ、投稿掲示板からの作品の削除は、一種の全面的否定であり、姿なき殺人である。現代詩フォーラムとは(程度の差はあれ)SNSであると表明しており、だからこそそこに「登録した人」がいるわけだが、それはタダのハンドルネームであり、そのハンドルネームまで含めて、作品が「中の人」を作り出すのである。たしかに作品の消去によって「中の人」が消えるわけではないが、そのネット空間における作者は実際に抹消されるのである。  これまでの議論から2つ目の定理が浮かび上がる。「ネット空間において、オリジナルは存在しない。」すなわち「ネット空間における作者/作品は、すべてがシミュラークルとして存在する。」という公理である。したがって、もう一歩進んだ議論をするならば、「ネット詩、と呼ばれるようなものは、すべて複製芸術である。」ということもできるだろう。(勘違いしないでほしいが、自分は「紙媒体/ネット」という二項対立にそって議論を展開しているのでも、紙媒体に対するアンチテーゼとしてネットを語っているわけではない。ただ、それぞれのメディア固有のあり方を無視することなく、両者を取り上げようとしているにすぎない。ジンテーゼなど求めてはいないし、そもそも不可能である)。  現代詩フォーラムは擬似市場システムであると言ったが、それを作り出したのは監視者としての管理人である。もちろん、「暴言、誹謗中傷などへの適切な処理、入退会の管理など、BBSの管理者は自身の裁量権限のもとにそれらを適切に行う必要がある。」しかし、だからこそ我々はその管理人に対して倫理を突きつけなければならない。現代詩フォーラムが擬似市場であるとしても、我々は商品ではない。ただ、現状を考慮すると、ネット詩について書かれているものは、(今回挙げたものを含め)ほとんどが「印刷物としての詩」というディスクールから逃れていない。ネット空間における詩作に固有のエチカを打ち立てること、そこからこの「文学空間」は始まることになるだろう。 *1 アリストテレス「詩学」岩波文庫、p.23 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品「批評によせて」/風音[2008年1月25日17時09分] 批評祭開催、というのを読んで 「いいな、」と思った。 でも自分には知識も理論もない。 語るべき言葉を持たない。 第一批評したいものがない。 辞書によると 「「批評」は良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じること。」 とある。 批評祭、いいな、と思ったのは なぜなんだろう。 たぶん 現代詩フォーラムが大好きだから 少しでも盛り上がるのが うれしいだけかもしれない。 普段批評なんてしないわたしみたいなひとも ちらりと別の顔を出す。 批評しなれたひとは もちろん素敵な批評をしている。 そういう批評たちが集まって 読むだけでも楽しい。 批評ってむずかしいな。 客観的になる。 でも自分の主観ももちろん入れなくてはならない。 いつも批評に投稿してる方たちに 敬意を。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品 ■ 芭蕉庵にて /服部 剛[2008年1月25日21時21分] 僕は今、滋賀県・石山寺の境内にある芭蕉庵にいる。  紫式部が「源氏物語」を書いた部屋が本堂の入口に あったが、そこは観光コースの雰囲気で初詣の参拝 客が絶えず立ち止まるが、本堂から離れた場所にひ っそりと建つ芭蕉庵に僕は魅かれるものがあり、微 かに開いた襖から忍び足で入り、明かり一つ無い畳 の部屋の机の上で、この旅日記を書いている。  微かに襖を開いた外の日向から、参拝客の賑やかな 話し声は通り過ぎ、砂利道の小石を踏む足音は、遠 い過去から遥かな明日まで近づいては遠のいてゆく、 時を越えて歩む旅人達の足音のように聞こえる。  かつてこの部屋に松尾芭蕉がいたと思うと不思議な 気持になるが、今から数百年前、確かに独りの俳聖 がこの部屋から、木々の葉を吹きすぎる風や、夜の 境内を淡く照らす月の光を観ていたのだろう。  元旦の今日、年の初めに行った松尾芭蕉の墓前で、 昨夜の大晦日に比叡山・延暦寺でいただいた木札に 書いた一つの願いを思いながら瞳を閉じると、在り し日の俳聖の霊魂の花は今もこの部屋の暗闇に現れ、 開花するのが観える気がする。 瞳を開けると、壁には一本のススキの陰が、頭を 垂らし、揺れていた。  ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■気分と物語/岡部淳太郎[2008年1月25日22時22分]  詩に魅了され詩を書きつづけていこうと決意した者の多くが一度は抱く疑問として、「詩は何故読まれないのか?」というものがある。これは特に日本の詩人たちの間ではずっと昔から語られてきたことでありやや手垢がついたもののように見えるが、自分なりにこの疑問について考えてみたい。  詩が読まれないということは、人々の間で詩に対するネガティヴなイメージが定着してしまっているからだと思われる。そのようなネガティヴなイメージによって詩が社会的に規定されてしまっている。だから人々は詩を語らないし、詩というものを最初から考慮のうちに入れずに素通りしてしまっているのだ。それでは何故、そのようなネガティヴなイメージで詩が捉えられるようになってしまったのだろうか。この問題を突きつめて考えるには、詩を語るだけではどうも足りない。特に日本において詩の社会的立場が低いように思われるのだから、日本の歴史や日本人の気質といった大きなものを語ってみなければならないような気がする。それとともに、日本の詩の歴史(それは近代詩以降に留まらず、和歌や俳句なども含まれる)を合わせて検討する必要があるだろう。西洋に比べて日本の詩が特異な道を歩んできたことは周知の事実だが、その歴史が人々の間で認知され日本人全体の気質に照らし合わされた時に、一般の日本人の間での詩のイメージというものが形作られていく。その過程をひもといてみたい。  日本では古来より独自の短詩定型が発達していた。和歌や俳句の究極まで研ぎ澄まされた形式は、中国の漢詩や西洋のソネットとはまた違ったミニマルな美しさを湛えている。一部に長歌や連歌といった形式もあるものの、一般の日本人にとって詩は概して短いものであった。わずか十七文字や三十一文字の中に抒情を溶けこませる。そのストップモーションのような瞬間のキレこそが日本人にとっての詩というものをイメージさせてきたのだと言える。人々がそこから受け取るものはやはり瞬間の抒情である。たとえば相聞歌のようなものから物語の雰囲気を感じ取ることはあるだろうが、物語そのものを受け取るようなことはない。そこにあるのはあくまでも抒情と詠嘆であると人々は見做してきたのだ。短歌や俳句の本質がどうこう言う以前に、人々にとってそのように受け取られてきたということはとりわけ重要だろうと思われる。何よりも字数の制限があるということがそうした印象を強めさせているだろう。また字数の制限というものは(ごく最近でも、若い人たちが五七五と指折り文字を数えて短歌や俳句を作ってみることがあるように)、決まったルールの上に則ったある種の遊びのようなイメージを人々の間に流布させてきたように思う(余談だが、現代詩よりも短歌や俳句を手がけようとする人の方が多いのも、一部はここに端を発しているような気がする)。こうした古来よりの詩的なものに対するイメージが集積することによって、その和洋折衷版とも言える現代詩へのイメージもまた形作られていく。さらに言えば、現代では短歌や俳句は「良い趣味」として遇されるいっぽう、現代詩は「きもい」ものだと認識されているようなところがあり、それは現代詩が和洋折衷であるぶん、それだけ西洋的な「揺れ動く自我」的な要素が強く、そのためかえって一般の人々から見れば奇異なものに映るということがあるのだろうと思う。  それに加えて、日本人全体の気質というものが挙げられる。日本人はとかく真面目で協調を重んじる民族であるとされているが、そうした真面目さや和を尊ぶ気質が、詩的なものから精神的な距離を置いてしまうということがある。先述した抒情や詠嘆といったものは社会から離れてひとり別の道を行っているというイメージで捉えられやすく、和を尊ぶ真面目な日本人からすると単に怠けているだけのように見られてしまうのだ。風流という言葉があるが、それはひとり俗世間から離れて気取っている鼻持ちならない態度だというふうに受け取られやすいのだ。  ここまで見てくると、日本人が詩に対してネガティヴなイメージを持ってしまう理由が何となくわかってくるだろう。だが、問題はそれだけではない。先ほど指摘した物語の欠如というものが、人を詩から遠ざけさせる大きな理由のひとつとしてあるように思える。現代詩には物語的要素を持つ作品もいくつか見られるものの、小説やドラマなど多くの物語が氾濫する現代にあってはそれらが振り返られることは少ない(元々読まれていないのだから振り返るも何もないのだが)。何より詩は抒情であり詠嘆であると規定してしまった人々にとっては、詩を読むより前にそれ以外の多くの物語を簡単に享受してしまえるのだから詩ははなから考慮の外に置かれてしまっているのだ。思うに現代は物語が氾濫した時代であるが、逆にと言うべきかそれゆえにと言うべきか、物語の氾濫の度合いに比例して人々は物語を求めつづけてしまうようなところがある。物語というからにはそこには流れがあり骨格がある。ひとつひとつの場面を際立たせるための筋肉や贅肉もあるだろう。言わば読んで納得できるだけの要素が揃っているのだ。それに比して詩の方はどうかというと、わざと関節を脱臼させたり筋肉を痙攣させたりもするし、思わせぶりに置かれた言葉は不可解に映りもするだろう。そのため、詩は門外漢には何のことやらわけがわからないものに成り果ててしまうのだ。それに人々にとって詩はは抒情と詠嘆であるというふうに規定されてしまっているのだから、物語を求めようとする者にとっては興味の対象外になってしまう。古来より集積してきた詩的なものに対する人々のイメージは動かしようのないものとして定着してしまっていて、いくら詩とはそんなものではないと言ってみたところで、人々は定着したイメージのみで語りそこから先に進もうとはしないから、それを覆すのは至難の業ということになってくるのだ。  それにしてもどうして人々はこうも物語を求めてしまうのかと不思議に思うのだが、それは恐らく人々の生というものが昔もいまも変らずに味気ないものだからなのだろう。現代にあっては下手に物語が溢れ過ぎているぶん、人々はそれに触発されるようにしてなおさら物語を求めてしまうようなところがあると思われる。物語を渇望し物語に触れることで、人々はますます詩から離れていく。世に氾濫する数多の物語に比して、詩は人々の頭の中で徹頭徹尾「気分的なもの」として認識され、求められもしなければ顧みられることもない。どうやら現代日本において詩は無用の長物であるらしい。だが、世界は思わぬところで詩的な姿を垣間見せることがある。世界そのものは物語的であると同時にきわめて詩的でもあるのだ。人々にとって不意打ちのように訪れる世界の詩的側面を思えば、詩は死んでいるように見えて、その実深く潜行して地下水のように人々の心の中に眠っているのだということが出来るかもしれない。 (二〇〇八年一月) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■詩について書いてみる 詩は歌うもの 物語は読む物/よしおかさくら[2008年1月26日0時30分]  難しいことはわかりませんが、詩について思ったことをそのまま書いてみます。詩がもっと歌われることを信じて。  詩を書こうとして書く人も、書いてみたら詩になった人もいると思う。例えば、「かなしい」という一行があるとする。けれどもしばらく日が経って、どう「かなし」かったのか、なにが「かなし」かったのか、はっきりとは覚えてないことに気づく。それで具体的に書いたりする。テクニックはそれに伴って鍛えられる。はじめは模倣から始まるのではないかなと思う。世の中には古今東西、詩人がたくさんいる。気に入った詩人の作品を真似て、書いていくのだろう。隠喩、暗喩、風刺とか覚えたりしてね。同時に詩人のプロフィールを知って、深遠の淵に立っているような気持ちにもなるだろう。なぜかはわからないけど。  その後、喜怒哀楽だけではない、複雑な感情を表現するようになる。感情だけでなく、どうしようもない痛みを詩の中で知る。楽しかった詩が苦行に思えたりする。だって、ぴったりな表現が見つからないまま朝が来てしまった。なぜこんな思いを? もちろん、詩にとりつかれているから。詩を書いている時は無心になれる。それでも、機械的にひたすらペンを走らせる人もいるだろうし、ノってこなければ書かない人もいるだろう。かといってここまでくれば腕に差は出ないんじゃないかしら。  詩には普段考えていることがそのまま出る、つまりイコールが自分になるということだと思う。タイトルの後に名前を書くが、あれは名札のようなもので、その詩には自分の名札がついていると思った方が良い。当然のことだが。自分の名札をつけた詩が、自分が作った詩を歌うのだ。  詩は歌である。メロディは無くとも、歌になって読み手の胸に響くよう書かれたものである。わけがわからずとも、人生の局面において思い出され、初めて意味の通じることもあるかもしれないと思う。読み手が自分であったとしたならば、幾度か不意に思い出されて、改めて甦り、歌われなくては、と思うのである。  一方、物語は読む物だ。字さえ読めれば意味がわかり、感動が自然と伝わってくる。わざわざ自ら考えることはない。体験を重ねて歌う必要がないのだ。詩を読むのには物語を読むのよりも、難関が少し多い。同じ経験がなければわからないままで、素通りする人が多いだろう。また、物語のように続きが気になることもない。その上、割とすぐにその一編は終わってしまうだろう。歌のように暗唱され、覚えられるのならば、詩はもっと歌われるはずだと思う。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■「 そやから何で阿呆やねんやろとツッコミ待ちで考えてみる。 」/PULL.[2008年1月26日7時52分]  阿呆である。「あほ」ではない「う」の付く「あ、ほ、う」である。できれば「う」の部分に歌心を持って言ってもらいたいのだが、それは筆者の好みの問題なので、だからどうだと押し付けるつもりもないので安心して阿呆していただきたい。  さて阿呆である。阿呆って何なのだろう?馬鹿とどう違うのだろう?そう考えるだけで筆者のような阿呆は、三日三晩ぐらい眠り込んでしまいそうなのだが、それは筆者が阿呆であるのが関係してるのかどうかすらも考えるだけで阿呆みたいなので、よくは解らない。  また阿呆である。ついさきほど「阿呆みたい」と書いたが、「みたい」ではない、これは、「阿呆そのもの」なのである。「阿呆みたい」と「阿呆そのもの」との間には「北緯三十八度線」よりも暗い河が、いつの時代も流れているのである。その暗く冷たい河を泳ぎ越えて知性からの越境を果たしたとき、我々ははじめて、身体の隅々まで染み付いた「阿呆みたい」が洗い流され、「阿呆そのもの」に生まれ変わるのである。  またまた阿呆である。この書き方も四度目の阿呆である、なのでこれを読んでいるあなたからもそろそろ「四度も同じ書き方を続けるなんて、やっぱこれを書いてる人って阿呆なんだ。」と思われているかもしれないが、阿呆なのである。阿呆とは日常であり人生なのである。日常といえば筆者は友人知人に対して「阿呆かおまえ。」と思うことはない、「阿呆やなおまえ。」としみじみ確認するのである。類が友を呼ぶように、筆者の阿呆が阿呆の友人知人を呼んでいるのではないことは、阿呆の友人知人の名誉のため、ここで断言しておく。  阿呆は、群れるものではない、阿呆は、自らの意志と、持って生まれたのではなく自ら見いだして磨きを掛けた阿呆によって、ひとりの、阿呆になるのである。阿呆に友情は必要ない、あるのはどちらがより阿呆であるかという、命と、阿呆を掛けた闘い、のみなのである。  ではここからは実例を挙げて説明してみよう阿呆である。  近年ぐいぐいと阿呆の腕を上げているのが「内館牧子」である。「内館牧子」と「朝青龍」のどちらがより阿呆なのかという議論も、世界中の阿呆阿呆関係者の間で盛んにされていることで、それが原因で何件もの阿呆のサイトの「炎上」も起きているのは、これを読んでいるあなたもよく知ることであるが、異論反論喧々囂々あるのを承知で筆者の考えを述べさせてもらえば、やはり、「内館牧子」に軍配が上がる。それは性別の問題でも、年齢の問題でも、ましてや人種の問題ですら(はみ出して言うなら横綱審議委員には「杉浦日向子」がなるべきだったのだ、そうしていれば今頃は…)ない。  「内館牧子」の阿呆は、「内館牧子」だけの一個人の特別な固有の希有な天才による奇跡的な阿呆、なのである。だがその阿呆の天才も、元横綱審議委員長の「渡邉恒雄」通称「ナベツネ」には遠く及ばない。  「ナベツネ」の阿呆は昭和の闇が産んだ(「ナベツネ」自身は大正生まれ)禍々しいまでの阿呆、なのである。そうでなければあの「たかが選手が。」発言など、できようはずもない。あの発言は…いや、あの発言こそが、大正生まれの滅び逝く旧世代の阿呆の権化「ナベツネ」が、九十年代の半ばから急激に精力を伸ばしはじめた次世代のなまっちょろい阿呆へと送る、辞世の「激」なのである。かつて就職活動で唯一落ちた中央公論社を買収しそこから「渡邉恒雄回顧録」などというトンデモ本を出版できるツラの皮の厚さとクソしついこい読売新聞の勧誘員のような執念深さがなければ到底発することもできない渾身の阿呆を込めた一世一代の辞世の「激っ!」なのである。  「ナベツネ」の後継問題については、細心の注意を払って行わなければいけない、なぜなら、あまりにその阿呆の「品格」にばかり拘りすぎると、阿呆ではなくなってしまうからである。阿呆は誰の内にも潜む「資質」ではあるが、そこにアクセスをサクセスできる者は、限られた、選ばれた者だけなのだから…。  阿呆とは本来、自ら名乗るものではない、それは自然と湧き起こる、赤が「赤」と呼ばれるように、青が「青」と呼ばれるように、気が付けば周りのみんながそう呼んでいる、阿呆とは、「称号」なのである。  人類の歴史を振り返ってみて、阿呆になり損ねた者はあまりにも多い。前世紀から今世紀だけでも「ヒトラー」「スターリン」「ムッソリーニ」「毛沢東」「ビンラディン」「フセイン」「麻原彰晃こと松本智津夫」「ブッシュ(第四十三代)」「ヒロヒト」などなどなどな(ながーーーぁくなるので簡単に思い付いた限りにしました、これを読んでいるあなたも、自分だけの「阿呆になり損ねた者リスト」を作ってみるのも、阿呆で、面白いかもしれません)ど…彼らはありあまるほどの阿呆の才を持ちながら、ついぞ、「阿呆」という称号を授けられることはなかった。    阿呆とは、笑いでもある。  阿呆とは笑い笑われ笑う笑えるでほんま顎が外れるまで笑かしたろかちゅうか笑えるでほんまあんさんもこんなもん最後まで読んでしもて阿呆やなぁ。            了。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■時が終る、詩が始まる/岡部淳太郎[2008年1月26日15時17分]  ある時から、あるいはある場所から、生きるということの価値が揺らぎ始める。それは上昇に向かう揺らぎであるかもしれないし、下降へ向かう揺らぎであるかもしれない。そのどちらであるにせよ、それまで漠然と過ごしてきた日常に変化が生じ、すべての事物がぼんやりとかすれて遠い物のように見えてしまったり、あるいは逆に突如隠されていた意味を声高に主張し始めるように思えてくる。それはひとつの時の終りであり、同時に新たな位相に変化した時の始まりでもある。  私自身、思い返してみれば、そうした「揺らぎの時」を経て詩に参入してきたような気がする。何も知らない少年だった頃、外面的には何の変化もないように見えたものの、ある揺らぎが私の中で起こり、その当時つけていた日記に初めて詩のようなものを書き記した。いまとなってみればとても読めたものではないし、思い出すと恥ずかしくもなってくるが、当時の私にとってみれば、ふいに訪れた「揺らぎの時」をわけのわからぬまま何とか手なずけようとするせいいっぱいの試みだったのだろう。おそらくあの時に私の幼年時代は死に絶え、それと入れ替りに少年時代が産声を上げていたのだ。  それからいくつかの節目を体験してきたように思うが、いまここで書いている私にもっとも大きな影響を与えた「揺らぎの時」は、まぎれもなく二〇〇四年三月に起こった妹の死だった。最近ある小説を読んでいたら語り手の甥が死ぬ場面が出てきて、その後の語り手の心理描写を読むと妹が亡くなった後のことが思い出された。悲しさとか淋しさとかいった感情よりも先に、まるで現実ではないような不思議な感覚が訪れる。それはひとりの身近な者の死という事実によって惹き起こされるものだが、それは同時にそれを体験した者の心が変ってしまうことの表われであり、古い時から新しい時へと移りゆく過程に起こる現象なのだろう。いま、妹が亡くなった時とそれから数ヶ月間のことを思い出す。それは私にとって、もっとも大きな「揺らぎの時」であった。それを境に、私の詩はまったくといっていいほど変ってしまった。いや、それ以上に、私の生そのものが本質的な変化を遂げてしまったのだ。あれほど大きな揺らぎを潜りぬけてしまったからには、もうそれ以前の自分には戻れない。ただその揺らぎを受け止めて、その結果として変ってしまった自らの生を歩いていくしかないのだ。  ここでいう「揺らぎの時」とは、何も死などの重苦しい出来事に限らない。思春期の淡い片恋でもいいし、結婚や就職などのめでたいことでもいい。誰かから精神的影響を受けるとか教えられるとか、あるいは引越や旅行やいじめや病気やその他もろもろ。時が常に変化の連続であるとするならば、普段は些細な変化に気づかなくてもふとしたきっかけで目の前の変化に気づき、それによって自らが変化するということもありうる。その時に、あるいは後になってから、あれが変化のきっかけであったと自覚されるようなものであったなら、それもまたひとつの「揺らぎの時」であったのだ。  人ひとりが持つ心の領土はそれほど広くない。どんな人間にも限界というものがある。その限界を越えるきっかけとして、「揺らぎの時」はやってくる。それは頼んだわけでもないのにある日突然やってくるものだが、それによって限界の範囲はほんの少し広げられる。その体験が「揺らぎの時」と称されるほど時に苦痛や非現実感をともなうものであるのは、そこで古い自我がいったん死んでいるからだ。それが展開する時の一種の心象として、苦痛や非現実感などが現われる。そこで古い時と新しい時の交代が起こる。こうしてひとつの通過儀礼のようなものを潜りぬけた後、ある種の人々はそれまでとは違う何かを探そうとする。それは詩であったり他の芸術であったりするかもしれないし、あるいはまったく別の登山をするとか放浪の旅に出るとかいったことであるかもしれない。ともかく「揺らぎの時」の後の人は新しい自分にとまどっていることが多いので、それを確かめたり手なずけたりすることで気持ちを静めようとする。また、それまでとは違う新しい自分に変化を遂げてしまったからには、それ以前とそれ以後とではやることへの態度や質といったものにも変化が起こらざるをえない。そうして人は「揺らぎの時」を迎えるたびに、自分を失くしてはまた作り直していくのだ。  あなたはどこでもない「いまここ」にいて、生きている。日常はどこかぼんやりとしていて、何となく何かをわかったような顔をしている。そんな連続する退屈な日々の中のある時、ある場所において、あなたをひとつの揺らぎが襲う。それまで味わったことのない妙なもの。心の中に広がる、得体の知れない新しい感情。あるいは感傷。自らの周囲のすべての物や人が、それまでとは明らかに違うただならぬ雰囲気を発しているように感じて、あなたはとまどう。とまどいながら、あなたはそれらの新しいものたちの中に成すすべもなく飲みこまれていく。世界はあなたを中心にして、どうしようもなく揺れている。それでもその揺らぎの謎をつきとめようとして、あなたはおぼつかない足取りで歩き出す。あなたの時は終ったのだ。そして、その終った場所から、あなたの詩がゆっくりと始まる。 (二〇〇八年一月) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■喪服の者たちが向かうところ/岡部淳太郎[2008年1月26日22時22分]  ビートルズに「Baby's In Black」という曲がある。世界的大成功を収め、現在に至るまで影響力を失っていない彼等にしてはあまり有名ではない地味な曲で、その後、ただのラヴソングではない歌をいくつも生み出していくことの前触れとなるような、奇妙なラヴソングだ。語り手の男はある女に思いを寄せているが、彼女はいつも喪服のような黒い服を着ている。彼女には男がいたが、その男は去ってしまった。おそらく死んでしまったのだろう。そのために彼女は悲しんで黒衣を着ているのだ。直接うたわれているわけではないが、語り手の男はそんな彼女に対して過去を捨てこれから先のことに目を向けてくれと言っている。もちろんその「これから先」の中には、自分とともに未来を歩んでほしいという語り手の願望がこめられている。  親しい者が亡くなると、人はいわく言いがたい感情に包まれる。それは悲しみというとおりいっぺんの感情だけではない。それは淋しさであったり、悔しさであったり、茫然自失の無感情のようなものだったりする。それらの複雑に交錯しからみ合った感情をひとことで総括するなら、混乱という言葉がもっともふさわしいかもしれない。  個人的な話になるが、私は四年前に妹を失っている。その直後の自分の感情はまず第一に何が起こったのか理解出来ないという非現実感であって、妹が亡くなった当日は本格的な悲しみの感情はやってこなかったように思う。ところが翌日になって、報せを聞いた叔母と従姉妹の二人が家にやってきた時に激しい悲しみに襲われた。親戚とはいっても普段は離れた場所に住んでいてほとんど顔を合わせることのない彼女たちの前で、私は激しく泣いた。通夜や葬儀の時はそれを滞りなく進めるのにせいいっぱいで悲しんでいるゆとりはなかったが、日にちが経って普通の日常に戻った時に、ふっとフラッシュバックのように悲しみが舞い戻ってくるという体験を何度もした。電車に乗っていて乗客たちを眺めている時に、ああ、この人たちは俺が妹を亡くしたばかりだということを知らないんだ、俺の妹が死んでも世界は変らずに回りつづけているんだと思ったり、当時勤めていた会社で仕事中に急に悲しくなって、ひとりで外の駐車場にうずくまって泣いたりということがあった。このようなことは、親しい者を失った後の喪失感からその存在がもういない状態の日常へと強制的に移り変らされ、それに慣れていく過程で起こるもので、変な言い方だが心が痙攣しているような状態なのだろう。  妹が亡くなった後、そのことをテーマにした詩や散文をいくつも書いてきた。直接的なテーマとすることもあったし、サブテーマとして扱うこともあった。それらの詩や散文を書くことによって、妹の死という重い現実からの精神的リハビリをしているような感覚がはっきりとあった。妹の死から今年で四年が経つことになるが、さすがにそれだけの時間を経てしまえば当初の激しい混乱や悲しみからはぬけ出してしまっている。それでも変らずこのテーマは自分にとって切実なものであるので、私は今後も妹のことを書きつづけるに違いない。たとえそれが妹の死を詩作に利用していることになっているのだとしても、私は変らずにそれをつづけていくことだろう。  私と同じように親しい者の死を扱った詩作品はいくつもある。有名なのは宮沢賢治の「永訣の朝」などであろう。近年でも高階杞一の「早く家(うち)に帰りたい」という名作がある。また、ネット上でもそのような詩が散見されるが、気になるのはそれらの詩を書いた後で、書き手はどこに向かうのかということだ。喪に服することを服喪という。喪服という言葉の漢字を入れ替えた言葉だが、これらの死をテーマにした詩を、仮に「服喪詩」または「喪服詩」と呼ぶことも可能かもしれない。私の感じ方だと、別に親しい他者の死を扱っていなくても、それらの詩と似たような表情を持つ詩がある。それは語り手と作者がほとんどイコールになっていて、精神的な変調などの作者の内面の苦しみがつづられているようなタイプの詩だ。それらは多くの場合、作者自らの内面を見つめることにのみ集中していて、その裏で自らが死や破滅といった場所に落ちていくことを危惧または予見している。そのような詩の場合も、やがて訪れうる自らの死を予見して自らのために喪服を着ているようなものだ。過去に訪れた他者の死とやがて訪れるかもしれない自らの死。向いている方向はまったく正反対であるものの、詩の中で喪服を着ているという点では同じであるので、これらの詩を総括して「喪服詩」と呼んでみたい。また、これらの詩がこのような同じ言葉で総括されうるのは、他者の死であろうと訪れるかもしれない自らの死であろうと、語り手にとって取替えの利かない大切な事象が扱われているために、時に周囲の事物に対して盲目になってしまいかねない点が非常に似通っているためでもある。  喪服の特徴をただひとことで表すとすれば、それは黒いということにつきるだろう。喪服は黒い。その夜の闇のような根源的な色は、目立たないと同時に異様に目立つものでもある。地味な色であるために目立たず、身を隠すのに好都合のように思われるが、しかし様々な色彩があふれる普通の日常の中にあっては、逆に目立ちすぎるほど目立つものだ。街中や住宅街などで葬儀の行き帰りのような喪服の集団にでくわすことがしばしばあるが、それを見ると誰しも一瞬ぎょっとするものだ。それは彼等を見ている私たちが普通の日常の中にいるため、そこから離れた者たちとして彼等を見てしまうからなのだ。つまり、黒というのは日常的な色ではない。私たちが日常にふさわしい様々な色彩の衣服を身にまとっているのに、彼等の着ている黒衣には日常ではない夜の闇のような宇宙の深淵のようなものが沁みこんでいる。また、喪服からすぐさま葬儀、人の死というものを連想してしまうので、死が持つ非日常性や葬儀が持つ一種の儀式性も、私たちをぎょっとさせる理由になっている。ともかく日常に慣れきった人間からすると、黒という色の放つ非日常的なこの世のものならぬ感覚は脅迫的ですらあり、そのために人を驚かせとまどわせる効果を持っている。  それは詩においても同じことで、過去の他者の死を扱っていようと未来の自分の死を扱っていようと、それらの詩の表情はいちように重く黒い。よくネット上などで自傷などの内容が語られた技術的に稚拙な詩を見ることがあるが、その時に感じる読者のとまどいは、街中で喪服の集団に遭遇した時の感情とそう大差はないと思われる。また、先ほど黒は目立たないと同時に異様に目立つ色だと書いたが、「喪服詩」における語り手または作者の場合も同じで、他者の死を扱った詩の場合は語り手よりも彼の語る死者が主人公であり、そのため語り手が一歩後退して親しい死者を哀惜しているように見えるものの、親しい者を亡くしたという事実のために語り手の感情が逆に目立ってしまっている。訪れうる自らの死を扱った詩の場合は、精神的な変調その他のために語り手は自らを取るに足らない存在だと見做していて、そのために「詩の中で描かれた社会」から一歩退いているが、内向きになった感情を詩の形で外に向かって発信しているために、そこには非日常的な装いが与えられて語り手とその感情が目立ちすぎるほど目立つものになってしまっている。  そこで先ほどの設問に戻ろう。詩における喪服の者たちが向かうところはどこか? 普通の社会では、喪服から日常の衣装に着替えた後はそれにふさわしい生活に戻り、心の中も死者のことをひとまず脇に置いてその者がいない日常生活に慣れていくことが要求される。最初に挙げたビートルズの「Baby's In Black」の語り手のように、いつまでも過去に留まっていないでこれから先のことに目を向けてくれと、社会全体から要求されているのだ。端的に言ってしまえば、「喪服詩」の語り手または作者たちに対しても、同じようなことが言える。訪れうる自らの死を思って感情が内向きに震えているような詩の場合は特にそうだと言える。向かうところはどこか? などと言っても、そこに留まっている限りはどこにも向かいようがないだろう。だが、他者の死を扱った詩の場合は少々事情が異なる。詩という表現形式そのものが一種の非日常であり、なおかつ死という重い事実のために、読者はそこに一定の価値を見出すだろう。少なくとも、ただ自己の内面を見つめているだけの詩よりも読者の賛同を得られやすいと思う。だが、それだけでは自分は親しい者を失ったのだという感情に居直ることにもなりかねず、自傷的な自らのために喪服を着ているような詩と同じ自我偏重の罠にはまってしまう危険性がある。私自身も妹の死の直後に書いた詩とその少し後に書いたものとでは、同じテーマを扱っていてもトーンに違いがある。簡単に言ってしまえば落ち着いてきたということだが、死という残酷な現実とその中に放りこまれていた自分を客観的に見られるようになってきたのだ。いつまでも慟哭していては一辺倒の調子になってしまうし、ひとりの詩の書き手として向かうところを思えば損でもある。親しい者の死というのは確かに大切なテーマではあるが、たったひとつのテーマに規定されてしまうのはもったいない。それを捨て去るのではなく、自らの中で温めて、時には取り出して吟味してみることも必要だ。その間に他のテーマで詩を書き、また時々思い出して親しい他者の死について書いてみる。それを繰り返すことによって、ひとりの書き手としての「私」が向かうところがおぼろげながらも見えてくるのではないだろうか。  ビートルズの「Baby's In Black」で、語り手が思いを寄せていた女のその後は語られていない。果たして語り手の呼びかけに彼女は振り向くだろうか? それが語り手とともに歩む未来でなくても、彼女がいつまでも悲しみの場所に留まりつづけていることを、死者は決して望んではいないだろう。 (二〇〇八年一月) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■「にぎやかな街」 水無月一也/たりぽん(大理 奔)[2008年1月26日23時21分] http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=146107 「にぎやかな街」 水無月一也  引力というものが本当に万有であるなら、斥力もまた常に働いているのでしょうか。幸せな未来を求めるが故に足下に口を開けた淵の深さにとらわれてしまう。やさしい、という簡単な言葉で救うことのできない喪失がこの作品の冒頭から流れ込んでくるのです。  言葉を持たないものたちにまで問いかけ、沈黙の夜にやはりとうなずきながら。でも、どこかに救いはないかと。街はひとを溶かし込んではくれないのだと、寒さの中で空を見上げもしないで。そう、この詩では作者は一度も空を見上げていないのです。そこにあるのは街と雪にみたてた自分の胸の奥の重力に引き込まれていく姿。  「ひとりぼっち」そう規定された自己が「後悔を置き去り」にして言葉を得る。なんという痛々しさ。私の胸の奥、陽気さに紛らせて忘れてしまったはずの孤独の残像がきりりと痛むのです。それは作者がこの作品に込めた痛みには遙かに届かないかも知れません。しかし、胸を揺り動かす熱が、灼き焦がす。ものがあるのです。  「いつかの昔」を忘れ去るのではなく「言葉」として問い続けると最終連は結ばれます。  大丈夫。あなたは決してひとりぼっちではない。全てを手に入れることはできなくても、大切ないくつかを手に入れるでしょう。いや、わたしがいうまでもなく、すでに作者は自分の引力を信じることができるのだと思うのです。だからこの詩は彼の筆から放たれたのでしょう。彼の斥力が痛みを言葉にして。 おかえりなさい。水無月一也! 私はこの言葉達にあえてよかった。 (文中敬称略) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■「あなたについてのモノローグ」  佐々宝砂/たりぽん(大理 奔)[2008年1月27日1時01分] http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=146424 「あなたについてのモノローグ」  佐々宝砂 「結局のところあなたについて書くほかはないのだ。」  なにげなく放り出されたような言葉が妙に引っかかる。ごく当たり前の、むしろ陳腐な宣言ではないか。ノートの端、教科書の空白、あちらこちらに書き付けた(愛しいあなたに会いたい)(あなたしか見えない)(こんなに好きなのに)などといった甘ったるい言葉、青臭い言葉達の総集編のような宣言。  加えて選択肢は常に複数あるのだともいう。先カンブリアの奇怪な生物たちが進化していく道筋が無数にあったのに、目の前にある世界はどうだろうか。アノマノカリスはどこにいる?ハルキゲニアは?結局、私の前にいるのは「あなた」だけなのだと。  この作品には星もなく、月もなく、花もなく、シャンデリアも、虫たちも、妖怪もいない。もちろんバージェスの役者達もいない。まさにモノローグとしての宣言があるだけだ。佐々宝砂が意味を憑依させる単語達を全て消し去って、仮面を外した言葉だけが宣言を投げ出している。  普通だなぁと思う。それは常識的という意味ではなくて、よく見かける風景という意味での普通だ。演じられたなにかではなく、寝起きの顔だ。意表をつかれた質問につい本音を答えてしまった時の恥ずかしさすら感じさせる。でも、それを投げ出すことにどんな意味があるのだろうか。  いけない。その意味を問わせるのは罠だ。でも、その罠にはまってしまいたい衝動にもかられる。正気を取り戻せ。これは単なるメルヘンだ。夢見るポエムだ。そして寝言のように繰り返す、あたりまえの恋心なのだ。 (文中敬称略) 参考文献 仮想地下海の物語 佐々宝砂 ミッドナイトプレス刊 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■ダイアリーポエム調の散文/mizu K[2008年1月27日2時56分] 批評祭参加作品■ダイアリーポエム調の散文  午前6時半、目覚ましの音で目を覚ます。目を覚ますが再び眠っていたらしい。再び鳴 ったベルの音に目を覚ます。目は覚めているのだがまだベッドの中でもぞもぞする。恋人 におはよーメールをする。返信なし。起床する。床がつめたい。ひやひやしている。さむ いさむいいいながら洗面所へ。顔を洗い歯を磨く。わずかに出血する。髭を剃る。剃り残 しがすこしあるがめんどくさいのでそのままにする。パンとインスタントコーヒーの準備 をしながら着がえ。メール着信あり。「おはよー、それじゃおやすみ、ぐー」つれない。 ネクタイがあさっての方向をむく。強引に直す。そしたらさらに曲がりくねったので、再 びほどいてしめ直す。絞めすぎて、死ぬ。ぎゅー。  マーガリンが切れている。ジャムだけ塗る。コーヒーを飲み干す。シンクにてきとうに 置く。水でてきとうに流す。放置。寒さで指がすこし切れている。腕時計をつける。靴を 履く。足がうまく入らない。靴べらを使う。ドアを開けて閉め、鍵をかける。首をすくめ る。数歩あるいて忘れ物に気づく。鞄を取りにまた室内に入る。また鍵をかける。階段を 降りる。すこしこける。ひやっとする。すこし霜が降りている。息をはあはあする。早足 で歩く。向こうから中年サラリーマンが歩いてくる。朝日に光っている。拝む。三叉路を 左に曲がる。前方を妙齢サラリーウーマンが歩いている。スカートがタイトすぎる。拝む。 横のアパートから小学生が駆け出す。ママーはやくしてー。いつもこの時間杖をついてた ぶんリハビリ中の老人とすれ違うようにして地下に吸い込まれる。向かい風。生え際を気 にする。階段をおりる。通路を歩く。だれもが不必要なほど大きく靴音をたてている。改 札を抜ける。エスカレーターでおりる。ホームのいつものところに立つ。アナウンス。悲 鳴のような轟音。ドアがあく。乗る。ぎゅうぎゅう押される。なんとか吊り革につかまる。 ドアがしまろうとするが誰かが駆け込む。再びドアが開く。「駆け込み乗車は...」録音音 声が機械的に喋る。走り出す。風きり音がひゅうひゅういう。携帯を取り出したいが痴漢 しそうなので動けない。目だけ動かす。前の座席の人は口をぽかっと開けて寝ている。 ぐーでもつっこみたくなる。後ろの男のなまあたたかい鼻息が襟にかかる。なにも感じな いことにして目を、閉じようとしたとき斜め前の座席の人の胸元が気になりだす。ちらち ら見る。いろいろ妄想しかけるが耐える。目を閉じ、ようとしたらまた妄想しだすので広 告でも読むふりをする。“某人気女優(バストxxcm)が脱いダ!”だそうな。“某マジカ ル・ミステリー・スピリチュアル・カウンセリング・セラピストの信じられない真実!!” だそうな。“超セレブの高木ブー”だそうな。  降車駅に着く。ドアが開く前から背中に圧力を感じる。たぶん背後の鼻息のおっさんが 押している。殺意を抱く。ナイスバディのおねーさんだったらいいのにと思う。ホームに 吐き出される。歩く。エスカレーターの右側を音をたてて歩く。改札を抜ける。ラッシュ に巻き込まれたご老人が駅員となにか話している。誰かの携帯が落ちて通路をすべる。だ れも見ない。また風が強い。地上にでる。出口でなにか配っている。空が、まぶしい。ビ ルにむかって歩く。歩きながら人間ウォッチングする。あのイケメンサラリーマンの靴は かっこいいと思う。すると自分の靴が気になりだす。今度の週末に買いに行こうと思う。 あいつらまた朝からよろしくやってる。殺意を抱く。バーコードのおじさんはいつも左側 を歩く。毎朝鬼のような顔をしてすれ違う人がいる。ビルに近づく。すると同じ会社の人 間が目につくようになる。それまでも同じ方向に歩いていたはずなのだが。しかし挨拶は しない。エレベーターのところでやっと今日初めて気づいたように挨拶をする。ぎゅうぎ ゅう詰め込まれて今度は階上へ。だれも喋らない。数字だけにらんでいる。あるいは携帯 を打つ音。  自分の席に着く。今日も上司のネクタイはひどい。メールチェックする。いくつか返信 する。いくつかは詫びを入れる。いくつかには高圧的に書く。恋人ににゃんにゃんメール する(こっそり携帯)。ミーティング。寝る。あとでいやみを言われる。アポの確認。昼 飯のことを考えだす。それから12時。同僚と颯爽と外へでる。定食屋へ入る。肉豆腐。 「あのxxがー...」「昨日のアレ...」「マジ?」「ひゃあひゃあ」「へらへら」等。用はな いがコンビニをのぞく。某新商品を買う。オフィスに戻る。サーバーからジュースをつぐ。 派遣の“お茶くみさん”と話す。「ハケンってけっこうたいへんなんですよー」「そうな んだー、はははー」「ジュースはセルフですけど、お茶はやっぱり人の手でいれたほうが いいですよ、ぜったい」「もうプロですもんね」  プレゼン資料の準備。1年目くんに無理難題をてきとうに指示。それから颯爽と営業に 出る。JRで移動。混んでいる。転職の広告に目がいく。ふいにベビーカーから泣き声。そ の子の目の前にはドブネズミ色のスーツがいくつか立ちふさがるように立っていた。そう いえば「車いすに乗った状態での視線の高さでは、黒い服装をしている成人男性が目の前 に立っていると恐怖感を感じることがある」と聞いたことをふと思い出す。まわりの乗客 にはきつい視線をそちらに送っている人もいる。あるいは渋面で目を閉じている人。次の 駅で降りる。  ホームでおばあさんがおろおろしているようだが、気づかないふりをする。ホームの端 の方で思い詰めた顔をしている人がいるようだが気づかないふりをする。階段をミニスカ ートのじょしこーせーが歩いていて、もちろん気づいてじーっと見る。ミニスカートのへ んなおじさんも歩いているが、むろん無視する。改札を出たところで颯爽とGPS起動。颯 爽と取引先へ向かう。なのに颯爽と道に迷う。颯爽と先方へ「電車のダイヤが乱れまして ー」と遅れる由、伝える。20分遅れで颯爽と到着。超美人の受付嬢に「xxのxxと申します がxx部のxx様に今日アポイントをとらせていただいているのですが」と伝える。ついでに ナンパを仕掛ける。涼やかにかわされる。笑顔のままだったが、目は「コイツコロス」と 言っていた。  15分も待たされる。「いやー、すまんねー、急用が入って、はっはっはー」「いやーこ ちらもですねー、いきなり人身事故とかがどっかであったみたいでー、はははは」「いや ー、それにしても寒いねー、はっはっはー」「まだまだ続きそうですよ。それにそろそろ 花粉が...」「いやー、花粉なんてのはね、軟弱なやつがなるんだよ、はっはっはー」「そ、 そうなんですかー、それはもううらやましいかぎりですー」ひどい花粉症なのでこの男に 殺意を催す。あと最初に必ず「いやー、」というのがムカつく。あと「はっはっはー」と いう笑い声もムカつく。むしろこの男の存在自体ムカつく。が、そろそろ本題に入ろうと すると、「失礼します」と“お茶くみさん”が入ってきて話の腰を折られる。「ちっ」と 思いながら“お茶くみ”さんを見るとこれまた超美人で、この会社の採用基準は顔か(! と思う。まあそんなもんだろう。  商談は「はっはっはー」の笑い声にうやむやにされ、ほとんど進展せずまた後日、とい うことになる。こりゃ上司にいやみ言われんだろな、と思ってへこむ。1Fの受付嬢の前も どんよりとして通る。強面の警備員に見送られてビルの外に出ると冬なのに意外に日ざし が強い。あー温暖化とかいうけどよう、でも風は冷たいんだよう、と悪態つきながら、ま あ気分転換が必要だ、とパチンコ、はさすがにアレなのでタリリリーというカフェに向か う。向かう途中、路上駐車している車でサラリーマンが寝ている。くそう、いい気なもん だ、とさらに悪態つきつつカフェに入る。が、「申し訳ございません、ただいま満席でご ざいまして、でへへ」と言われ、キレそうになるが、「お、お持ち帰りで...」と口が口走 る。「はい、ではメニューはこちらです」「えええ...っと...」相変わらずメニューが覚え られず焦る。じわっと体が熱くなる。「えええ...っと...カフェ、、ラテ...」「ホットになさ いますか?アイスになさいますか?(なんか汗かいてるよこのヒト、きもっ)」「えええ ...っと...ホホホット...で」「サイズはどうなさいますか?(じゃあ最初っからそう言えよ、 ばか)」「えええ...っと...、あのーそのーええー、ちゅ、ちゅうくらいのを...」「ではト ールサイズでよろしいですか?(サイズくらい知っとけってーの)」「あ、、はいいいい」 「かしこまりました、コンブリオ!(あーぁー)」  帰社。商談が進展しなかったので、こっそりと席に着く。いくつか入ってきていた仕事 をこなす。それから1年目くんに指示しておいたことがまったくやれていないので鬱憤た まってがみがみ言う。1年目くん窓から飛び降りそうになるのであわてて止める。あーぁ ー、いやな位置にいるもんだ、転職してぇ。ちょっと言い過ぎたかなと思い休憩室でコー ヒーをおごる。  定時。「おつかれさまっしたー」颯爽とタイムカードをきる。恋人からにゃんにゃんメ ール着信。にゃんにゃん返信。夕食を一緒ににゃんにゃんすることに。しかし、「それよ りもきみをにゃんにゃんしたいよ」と調子に乗って返信すると、音信が途絶える。心配に なって電話する。出ない。ど、どうしたんだーっと電話しまくる。十何回目かで彼女が出 る。「あ、ごめーん、今夜急用入っちゃったのー、じゃーねー♪」断線。つーっ、つーっ、 つーっ。憔悴して帰宅の途。再び満員電車。  家の近くのコンビニに晩ごはん調達に入る。酒コーナーにラブラブなカップルがいて殺 意を覚える。ハンバーグ弁当に目星をつけつつ、それにパスタサラダでも、と思っている と、その間に別の仕事帰りの同じく寂しい一人暮らしのサラリーマン風に最後の一個を持 っていかれる。そいつに殺意を覚える。仕方ないのでトマトとバジルとタンドリーチキン のオムレツ味噌醤油味付け中華風という得体の知れないものを買って帰る。夜道は電灯が 寒々としている。誰も歩いていない。空は曇っている。大方、付近の工場が夜になるとこ っそり煤煙を出すからだろう。東京は星が見えない、といったのはどの詩人だったか。  階段をがたがたのぼり、ためいきと一緒に鍵を出してドアを開ける。電気をつけるとま るで代りばえのしない室内だ。携帯をベッドのふかふかに叩きつける。すぐパソコンの電 源を入れる。起動する間に着がえる。そろそろ洗濯しなきゃな、と思う。パソコンの前に 弁当を並べ、“現代詩フォーラム”というサイトにいく。ログインする。“日付順投稿リ スト”を見る。最近“批評祭”っていうのをやってるみたいだがよくわからないし興味な いから関係ない。投稿リストを見ているとホンキートンクの女さんが投稿しているのでう れしくなる。さっそく読みにいく。(以下全文) 【自由詩】愛と情熱のセレナーデ          ホンキートンクの女 熱い吐息とこの脈打つ心臓は貴方のために ああ、わたしの命はすべて貴方のために燃えているわ! つれなくしないで! わたしを放さないで! 世界は今、二人だけのもの... この世界が生まれたときから わたしと貴方の運命はもう定められたこと... 今夜、貴方とお別れするの、とてもつらかったわ 貴方の炎のようなくちづけが... ああ、なんて甘美な瞬間! それからわたしは少女のように頬を赤らめて 白い階段をかけあがったの それはガラスの階段 わたしの心臓はとても熱く、とてももろい、 もし貴方がいなければ...  感動して涙がとまらなくなる。もちろんポイントする。コメントも書く。「今まで読ん だ詩のなかで一番感動しました!」間違いなくこれはトップ10に入るだろう、いや、現 代詩フォーラム始まって以来の高得点を得るだろう!そして、そして、その作品の価値を 見抜き、まっさきにポイントを入れたのはまぎれもなく...!  と、ひとり熱くなりつつ、ディスプレイの光と蛍光灯の下で中華風弁当とパスタサラダ を食べビールを飲んで、泣いていた。それからRT会議室でちょっと喋って風呂に入った。 恋人からは今夜はもう連絡がなかった。あーまた明日もあるのかよ、と思いながらベッド に入る。バタン・キュウ。昼にコンビニで買った某新商品はまだ鞄のなかにあった。 Rolling Stones "Honky Tonk Women" http://www.youtube.com/watch?v=faEEro38pEA http://www.youtube.com/watch?v=0RlMjjcYz-Y ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■「 この際なので批評祭の主催者をちょっぴり意地悪くイジってみる。 」/PULL.[2008年1月27日4時58分] 「批評祭参加作品■オリジナリティ幻想・忘我」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=146495 相田 九龍 (題名の「」は本文と区別するために作者の了承なく勝手に付けた。)  もう書き出しのところから「ダメだこりゃ。」本ネタに入る前に作者が脳内でオナニーして射精してしまっている(筆者にはそう読める)ので、「前戯」も何もあったもんじゃない。これでは読者は作者の射精した精液の後始末をさせられているティッシュである。しかもそのティッシュは鼻水だか前回のオナニーだかにも使われた「使い回しのがびがびのティッシュ」である。  早漏でもいいのだ、じっくりと時間と観察と情熱と自問自答と悶悶と愛情(筆者的には愛情は別になくてもいいけど…)を掛けて、作者の考えている「オリジナリティ」とやらについて「前戯」をして説明してくれれば、読者はちゃんと(それなりに)答えて、応えてくれるのだ。これでは「こたえる」ではなく「堪える」になってしまっている。  作者の相田九龍氏が読者との関係を絶ち、孤高や孤独を気取るタイプなら、このまま「堪える」書き方を続けても一向に構わないのだろうが、各所での発言や今回や前回の「批評祭」の主催者を(無謀にも)買って出る姿を「読む」と、そうではない人物に、筆者には「読める」のである。  例えばまず、野球選手のスイングや、ピアニストのタッチについてなど、読者にとっても解りやすいオリジナリティーの「実例」を出して、読者を「あたためて」から、それから、本ネタに入る。そうすれば多少すっとんだ「ネタ」でも読者は意外とすんなり、「読んで」くれる。読者はわがままで自分勝手で意地悪でくそったれな存在だが、それを書いた作者以上に「それ」について知っているし、想像力もずーーーっとすっとんでいる。   ここから、意地の悪い「読み」を、する。  この作者には、読んでくれる読者に対する「不信感」のようなものがあるように、またその「不信感」に対して「堪える」だけの耐性が「弱って」いるように、読んでいて感じることが、ある、多々ある。この作者は、読者に対して身を預けていない、許していない、だから読者は「あたたまる」こともなく、「前戯」もなく射精された、徐々に「体温」を失い冷たくなってゆく精液を拭き取る「使い回しのがびがびのティッシュ」に、なるのである。  この作者にはこの作者の考える「この作者のそうあるべき姿」があり、それは、幻想であるように筆者には「読める」し、そうやって自分を囲い込むのもまた、オリジナルではなく、ありふれた人間の姿に、読める。ありふれた「幻想」を抱える作者が『オリジナリティは幻想だ。それぞれはそれぞれである。それ以上でも以下でもない。そして、私は私だ。』と書き「伝えたい」のなら、「戦場」だの「ニヒリスト」だの「サン=テグジュペリ」だのといった「便利な薄っぺらい道具」を使うのではなく、もっと臭いのする、くさい、体臭のする「道具」あるいは「肉体」を使って書く方が、この作品にも、作者にも、向いているのではないか『僕にあなたが触れること。あなたに僕が触れること』とはそういうことなのではないか(「満員電車」の例えの部分はもっと「抉って」書くべきだし、筆者は「それ」を読みたい)。  とはいえこれさえも、こんな文章さえも、手垢の付いた「どこかで読んだことのある聞いたことのある」オリジナリティーのない幻想のような屁理屈にすぎない。しかもいくらどんなことばで書いて伝えたところで、相手に、誰かに、「読んで」もらえなければ、書いたことすらもないただの「幻想じみたひとりごと」になるのだ。 「触れる」ことはできなくても、「読む」ことも「読まれる」ことも「ここ」ではできる。投稿の後、これは筆者の「幻想じみたひとりごと」で終わるのだろうか、それとも、            了。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■クラシック音楽についての印象/葉leaf[2008年1月27日7時39分] ■音楽は侵す  フランクの交響曲ニ短調を聴いていて感じたのだが、音楽はどうやら聴き手の心や体(あるいは心と体が未分化のまま融合しているもの)を侵すようである。  特に弦楽器は私を削り取っていくような感じであるし、管楽器は私に穴を開けていくかのような感じである。音楽とは畢竟攻撃であって、音楽を聴くことの快楽は被虐の快楽なのかもしれない。  音楽が鳴り止んで沈黙が訪れたとき、果たして私はへこまされたゴムボールが元に戻るように、侵害された心身を弾力的に元に戻すことができているのだろうか。音楽によって奪い取られたものはなかったか。 ■私という楽器  音楽を聴いているとき、音楽を鳴らしているのはCDプレーヤーではない。私である。私が楽器として奏でられているのである。  私は振動する絃であり、息を吹き込まれる管である。私は弦楽器の音も、管楽器の音も、打楽器の音も、あらゆる音をあらゆる高さであらゆる強さで鳴らすことができる、万能の楽器である。  私は時折奏でられることに飽きる。奏でられることに耐えられなくなったとき、私は音楽を聴くことをやめる。奏でられたくなったとき、音楽を聴き始める。 ■炎  音楽は炎である。明確な形を持って静かに燃えることもあれば、激しく乱舞することもある、色のない冷たい炎である。音楽=炎は決して煙を出さない。燃料は燃焼によって完全に消滅し、別のものに姿を変えることはない。  音楽=炎は、胸の辺りでいらいらしている砂のようなもの、脳の層の間に固着した重い金属液のようなもの、を燃料とする。音楽=炎は少しずつこれらのものを吸い上げていき、不思議と非生命的な地平で燃え続ける。  音楽=炎は燃え移る。だが燃え移った瞬間、別種の炎になってしまう。この炎は色を持ち、熱を持ち、人を楽しませることができる。人の肉体に燃え移るからだ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■いま詩を書くということ/岡部淳太郎[2008年1月27日11時34分]  いつだって「いま」だった。「いま」の状況を見据え、「いま」の自分の心から導き出すようにして詩は書かれてきた。詩の歴史がずっとそうだったということではない。ひとりの書き手である私自身のことだ。私はいつも「いま」に縛られ、「いま」という時間に促されて書いてきたのだ。誰であってもそれが当たり前のことであるのかもしれない。人は過去や未来に生きることは出来ない。それらの違う時間を意識してはいても、結局身を置いているのは「いま」でしかない。だが、時おりそれが不思議に思えることがある。人は何故「いま」の中でしか生きられないのだろう。時間を飛び越えて歴史のような詩を、また予言のような詩を書くことが出来ないのはどうしてなのか。  私は妙なことにこだわっている。どうしようもない原理的なことを覆せないからといって、子供のように駄々をこねている。おそらくそれだけのことなのだろう。だが、そう思って納得してはみても、まだ承服しきれない何かが残る。それは何なのか?  二十五年にも渡って詩を書いてきた。書けない時もあれば、書きすぎるくらいに大量に書いたこともあった。その結果の二十五年。それがこの程度のものでしかないのはわれながら恥ずかしい限りだが、とにもかくにも詩を書いてきた。最初は自己流で気ままに書き始めたのが、次第に意識的に書くようになってきた。「現代詩」や「近代詩」と名づけられた先行詩人たちの詩を読み漁り、それを自分の書くものに反映させようとしてきた。だが、いまになって考えると、私はその読書量に応じて不自由になってきたような気がする。「現代詩」の重みの中であえいでいて、いま詩を書くことが私には少しばかり苦しい。読書の楽しみということもあったが、それと同時に自分の詩作に生かすために読んできた「現代詩」の数々。それはまるで重石か一種の脅迫のように私の前にある。書棚に並べられた数々の詩集の群れが「われわれは現代詩である」と静かに主張している。それでも私は詩が好きで書くことが好きだから詩作をやめることはないだろうが、それらの「現代詩」の重みとあるいはもうひとつ、自らが書いてきた詩、自らの過去の重さに押しつぶされようとしているのだ(大した実績もないのにこういう言い方をするのは変な話だが、ともかく量だけは多く書いてきたのだ)。  いま、ネットと同人誌と商業詩誌とで(あるいは目に見えない場所でも)、新しい書き手たちが登場してきている。私には彼等がまぶしく見える。年寄りの戯れ言のように聞こえるかもしれないが、彼等には才能と情熱とそれらを表現するための実行力がある。おそらく彼等の若さに嫉妬してもいるのだろうが、二十五年に及ぶ詩作の末にちょっとした迷いを抱えてしまっている私には、彼等のあり方というものが圧倒的に正しいように見えてしまうのだ。ひとりひとりにはそれぞれに悩みや迷いもあるのだろうが、総体的に見てしまえば彼等は自分自身を信じているように思えるし、その信じるという態度が私にとってまぶしく見えるのだ。また、彼等は私のような勉強という過程を潜りぬけずに、素手で詩をつかんでいるようにも見える(あくまでも見えるというだけの話で、若いなりに勉強や努力をしているのだということは承知の上である)。これも若さゆえの特権なのだろうが、その瞬発力が私にとってはうらやましい。  とにかくいつまでも愚痴を言っていても仕方がない。「いま」という時間とはいったい何だろうかということに戻ろう。若い書き手にとっても私のように無駄に年を重ねた者にとっても、「いま」という時間は等価である。いや、いまの私の気持ちからすると、等価でなければならないのだと言った方がいいかもしれない。八十年代だとか二十世紀だとか二十一世紀だとか、時間をそれぞれのディケイドに分けて考えるのは怠惰なことであるかもしれないが、人が考え出した便利な時間区分であるということも出来る。おそらくそうしたディケイドごとにそれぞれの時代精神というものがあり、後から振り返ってみればあれはこんな時代だったと総括されるようなものなのだろう。いまでは過ぎ去ってしまったそれらの時間もそれぞれの時の現場においてはまぎれもない「いま」であったのであり、詩人たちもその他の人々もその「いま」の時間的位相、「いま」の精神の中で生きていたのだ。そのことにとやかく言うつもりはないし、常に「いま」の中でしか生きることが出来ない人間を後になってどうこう言っても仕方がない。とにかくいつだって大事なのは「いま」であり、それを認められない者は生きられない。過去の中に退行するか、見えるはずのない未来を夢見て座りこむしかないのだ。  時を自由に駆け巡ることが出来ないからこそ、「いま」は重要なのだ。時はいつも「いま」しかない。常に連続する「いま」の中に置かれて、生きて書きつづけていくしかない。若い書き手にとっては未来が待っているかもしれないし、私にとっては過去が振り返りいつでも調べることの出来るデータベースとしてあるのかもしれない。前のめりになりそうになるのと後ろ髪を引かれそうになるのと、それぞれに方向は異なっているように見えるかもしれないが、両者ともに足はしっかりと「いま」の土壌の上にある。いま詩を書くということ。歴史の総括や検証でもなく未来への不確かなヴィジョンでもなく、「いま」の混沌の中でとりあえず書こうとすること。すべての人がその日一日を生きているように、いまここにある空気を吸っては吐き出すように書いていくこと。それがまぎれもない「いま」の書き手たちの実存である。迷っている場合ではない。「いま」に向かって進むのだ。私の「いま」はここにあり、同じく「いま」を生きている人々とともに唱和することを私に要求している。 (二〇〇八年一月) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■詩のない批評:「反射熱」へ宛てて/2TO[2008年1月27日20時26分] 反射熱――りふれくと――Reflect Reflection――反射、反射熱、影響、現れ、映像、鏡映  谺を返そう。それもより大きく、その熱にやられないように大きな熱量をもって。“りふれくと”のエントロピーは増大していく。「われら」の温度を取り込みながら、それは渦を巻くようにますます増大していく。なるほど「ねじれ」がここにある。『われら』は『太陽と月の相関の間でねじれている』が、それはどのようにして見つめられるのだろう。そして“Reflect”という視線と“反射熱”という現象とはどのようにして共になりたつのだろうか?  「投げられた風の速度」と「向けられた眼差しの距離」とは相関関係にある。このことは「投げられた−風」という系列(セリー)を任意の場におけるベクトル方程式とし、ある対象(ここでは仮にXとする)をその媒介変数として「向けられた−眼差し」という異なる方程式(2つめの系列(セリー))と対応させること、またその「速度」も同じく対象=Xを関数とする速度ベクトルとし、その積分によって「距離」を求めることは可能であるように思われる。では、この「対象=X」とは何か。「投げられた−風の−速度」という1つめの系列(セリー)と「向けられた−眼差しの−距離」という2つめの系列(セリー)とを対応させ、それを共振させうる「声」である。「われら」の間にあるのはこの声の音、1つの系列(セリー)から異なる系列(セリー)へと送り出され、再び送り戻されるという「声」の“りふれくと”。いみじくもドゥルーズが語るように「リフレインは対象=Xに関わり、歌の節は分岐するセリーをなすが、そこを対象=Xが循環する」。この意味で「友」とはまさに「とも」という声の音であり、その音に「共」を聞き取ることである。そこには2つの眼差しがあり、そのような仕方で存在するのが「常に問う存在。問われる存在。」なのである。この「問う−問われる」存在が、その間を駆け巡る声にこたえること、そこにはまさしく「対話」があるのであり、その言説にエドモン・ジャベスのごとき「砂漠/流砂」が位置なき位置として、それも無償のものとして、”りふれくと”という現象として出現するのである。  「向けられた眼差しの距離」が「問う−問われる」存在との間にある。では「鏡」に映るものにとっての距離とは何だろうか?宮川淳の言うように「距離は見ることの可能性」であるならば、鏡は「映った像」と「映るもの」のどちらにも属していない。鏡の表面には距離などないからだ。だからこそ、鏡は<見ないことの不可能性>であり、その魅惑だといったのである。「なぜなら、魅惑とはまさしくわれわれから見ることをやめる可能性を奪い去るものにほかならないのだから」。また、彼は鏡像とその対象との間にそのずれ「自己同一性の間隙」を感じ、「自己同一性の間隙からのある非人称の出現」を視てとった。そして、その「背後のないことそのもののあらわれ……」が、鏡の魅惑<見ないことの不可能性>だとしたのだった。だが“りふれくと”とはまさにその現象であり、そこにこそ非人称的な呼びかけはあるのだ。“reflection”とは「反射熱」であり、「他者への影響」、もしくは「現れ」であり、そしてまさに、そのような無数の呼びかけ・呼応の声の糸一つ一つからなる織り重なり(テクスト)に現れる「映像(イマージュ)」なのである。『鏡……その裏で成長するもの』、その計画とは、織り重ねられたスクリーンの拡大、そしてそれに上映される映像(イマージュ)と、そのドラマのプラン(plan)に他ならない。したがって、『その裏で成長の計画はゆっくりと進行する』。それというのも、この織り重なり(テクスト)の外において作者は書くのであり、演劇は舞台の裏で慌しく進行し、映像(イマージュ)はスクリーンに投影される以前に撮られるからである。するとここに時間のパラドックスが認められるだろう。鏡の表面の裏側もまた表面であり、鏡の表面は今まさに出来事であるが、その出来事は鏡の裏においてすでに計画されたものとして「進行していた−進行している」のである。すなわち、次のように言わねばならない。現象・出来事としての“りふれくと”は時間を巻き込んでおり、それゆえそれは歴史における特異点として現れる、と。それは理念的には時間(詩史という時間)のいかなる性質にも属さない例外的なポイント、定義することのできないきわめて発散−分岐的なポイントとなるはずである。たとえ集束するとしても、それは『太陽−月』、あるいは『問う存在−問われる存在』という両極の特異性をあらためて証明することになるだろう。双方の承認をもってはじめて、「対話」は「対話」たりえるのである。どちらの場合でも、真の冒険が“りふれくと”から始められるのである。  では“りふれくと”には危険が含まれていないというのだろうか。もちろんそうではない。そもそも“reflect”とはre(もとへ)-flect(曲げること)であるのだから。そして、『あなたの熱が私をあたため、私の熱があなたをあたためる』ように、「降りしきる雨が私を凍えさせる」ことも忘れてはならない。「冷たさ」もまた「熱」なのである。あるいは「逆風」、「邪悪な眼差し」といったものにさえ私たちは耐えなければならないだろう。しかし、そのような「平坦(plain)な戦場で 僕らが生き延びること」は、戦線をどこまでも延ばしていくことによって、むしろ共生へのプラン(plan)を練ることになるだろう。つまり、上演されるドラマのシナリオを増やすこと、そのシェーナの独唱を混唱へと導いていくこと、眼差しの関数にひとつの定数を導入することetc…であるだろう。ただしそのような定数はre(もとへ)向かうものでなく、“りふれくと”もしくはその“りふれくしょん”を、それ視る無数の瞳へと向かわせられるような定数πやeであるべきだろう。……冒険には常に危険をともなうものである。スリルのないインディ・ジョーンズ、恐竜のいないジュラシック・パークなど考えられるだろうか? はたまた恋に落ちない007やイーサン・ハントのミッションなど誰が望むだろう? “りふれくと”とはそのようなスペクタクルアドベンチャーとして視られるべき事件なのである。  さあ、冒険だ。危険や困難をただ耐えるのではなく、むしろそれを歓待すること。『健康な熱』だけでなくあらゆる種類の熱を『平和のうちに祝福する』こと。それが“りふれくと”である。その歌声は常に振動であるがゆえに『常に惑う存在』であるだろう。だが、その揺らぎとは常にハーモライズの可能性であり、また共鳴への可能性であることを忘れてはならない。『うたいながら生き、うたいながら生かされている』とは、まさにこの混声の歌声であり、歓待という歓喜の歌を歌うこと、その態度であるのだ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■余白について考える試み/岡部淳太郎[2008年1月27日20時33分]  詩を構成する要素のひとつに喩や韻律などの他に余白というものがあると思うが、それはどうも語りにくい要素のように思われる。というのも、喩や韻律などは文字としてちゃんと人の目に見える状態で表われているのに対し、余白は文字をともなわずにただの白い空間としてそこにあるだけだからだ。言い換えれば、喩や韻律が独立してそれそのものとして語ることが出来るのに対し、余白はそれのみで語ることは出来ない。常に余白を生み出している文字(詩の内部を形作っている箇所)との関係なしには語れないのだ。地球上のすべての土地に木も草も生えておらず、家やビルなど何ひとつ建っていなければ、それは空地とは言わないだろう。それは単なる荒涼とした空間であり、それが空地と呼ばれうるためには、様々なビルが建っていたり、田畑などに利用されていたり、道路が通っていたり、そうした土地利用を経てなおも余る場所として出現しなければならない。それと同じことで、余白は文字として利用された部分との関係なしには語れない。だから、どうしても語りづらいものがあるのだ。かく言う私も、余白を取り上げて論じるのは初めてのことであり、それだけに見当違いなことを書いてしまいそうで不安ではあるのだが、とにかく手探りで書いてみようと思う。  先ほど余白は文字との関係なしには語れないと書いたが、試しにいま私の部屋にある書物の中から、小説と詩集と歌集をそれぞれ一冊ずつ取り出してみよう。基本的にどれでもいいのだが、文庫本やアンソロジーなどの類はなるべく避けようと思う。何故なら、それらはスペースを有効利用するためか余白をある程度圧縮してしまっているからだ。なるべくならそのようなシリーズではない初版本やハードカバーのものを選んでおきたい。そこで選んだのが、小説は黒井千次『K氏の秘密』(一九九三年・新潮社)、詩集が池井昌樹『一輪』(二〇〇三年・思潮社)、歌集が武藤雅治『暗室に咲く白い花』(二〇〇七年・ながらみ書房)である。詩集や歌集は時に版型の大きいものが見られるが、ここに挙げたのはいずれも小説と同じサイズの版型である(B6判。歌集『暗室に咲く白い花』のみソフトカバーのため見た目はやや小さく見える)。要するに、小説や評論集などの一般的な文芸書でよく使われるサイズだ。同じ版型の本を複数並べてみることによって、それぞれのジャンルごとに余白への意識の違いが見て取れるだろう。  こうして見てみると、当然のことながら小説『K氏の秘密』がもっとも余白への意識が薄い。これはひとつのテーマに則った連作短篇集だが、それぞれの短篇のタイトルがあるページにのみ目立った余白がある。本文が始まる前に本文よりもかなり大きな文字でタイトルがあり、その前後を本文四行分ぐらいの余白が占めている。もしもタイトルと本文が同じ大きさ同じフォントで、その間に一行の余白もなく連続して書かれていれば、読者はタイトルと本分を区別出来ず、作者や編集者がタイトルであるとした部分も本文の一部と見做してしまいかねない。だから、ここでの余白は単にその両者を区別するために設けられているに過ぎず、それ以外では読みやすさへの配慮といった意味ぐらいしかないだろう。散文とは住宅密集地のようなもので、そこに未使用の空間が生じることをなるべく避けようとするものだ。また、小説の会話部分などで紙の下の方に目立つ余白が生じることがあるが、それもそういう書き方が慣習になっているという程度のことで、それ以外の文学的な意味はないのが通常である。それに比して、短歌の余白はどうか。歌集『暗室に咲く白い花』は一ページに二首の短歌が印刷されているのみであり、あとはページ数を示すノンブルだけでそれぞれのページにかなり大きな余白がある。単純にすべての歌が三十一音であるとして、仮にそのすべてを平仮名で表記するなら、一ページに合計六十二文字しか記されないということになる。実際には当然漢字と平仮名と片仮名が混合しているので、文字数はもっと少ないだろう。文字の大きさもかなり大きい。小説『K氏の秘密』と比べてみれば一目瞭然だが、それは散文における一文字の占める割合と短歌におけるそれとの大きな隔たりを示している。詩も短詩型文学という点では短歌と同じではあるが、これほど大きい文字で表記されることはまれであろう。ひとつの歌における一文字の比重が高いために、一文字ずつをより丹念に読むことが要求されるし、大きくとられた余白がその意識をさらに高めさせてもいる。  ここからがやっと本題である詩の余白の問題になってくるが、まずはせっかく取り上げたので、詩集『一輪』を見てみよう。それぞれの詩人や詩作品によって違いがあるが、この詩集の場合は一行の長さがわりと短い。最大で十五文字ぐらいであろうか。そのために、各ページの下の方に大きな余白が現れている。ページの下半分以上が余白である。詩集によく見られることだが、詩が記されているページが三ぺーじとか五ページの奇数になっている場合は、左側のページが丸々全部余白になっている。そのため、次の詩は必ず偶数ページから始まっている。それはひとつの慣習でもあろうが、同時にページをめくるという動作が一種の頭の切り替えにもなっているため、ひとつの詩を読み終って次の詩に進む時にいったんリセットされる、つまり次の詩を読み進むための準備作業が出来るということでもあるのだろう。  次にこの詩集から離れて、詩全般における余白というものを考えてみたい。詩に余白が現れるにはどんな場合が考えられるだろうか。まずタイトルと本文の間の余白があり、連と連の間の余白があり、同じ行の中にあっても文字と文字の間に余白が現れることがある。また、先述のように行の長さに応じてページの下に余白が現れるし、特に現代詩においては他の連よりも意識的に行頭を下げた連を設けることもあり、そのために他の連がある箇所とは大きさの異なる余白が現れることがある。また、いっけん余白とは無縁のように見える散文詩も、一行の文字数を二十五字とか三十字とか限定することで、余白を生み出している。小説や短歌における余白がひとつの決まった形で出現するのに対し、詩に現れる余白は千差万別である。余白の存在を意図的に有効活用しようとしているのが特徴である。たとえば草野心平の有名な「冬眠」という詩があるが、タイトルの他には大きめの黒い丸印があるだけで、あとはすべて余白だ。この詩に代表されるだろうが、詩における余白というものをいろいろと見ていくと、一種の視覚効果を狙うようなことが多く試みられている。余白がただの紙の余った部分ではなく、そこに書かれた文字と連動することによってその存在が意識されるという構造になっていて、余白の存在によって詩が引き立つようなところがある。それが詩における本文と余白の関係性であろう。このように詩、とくに複雑化して様式が一定ではない現代詩は、余白への意識が高い。何も書かれていない余白を詩の一部として利用しようという考えが、さほど意識的にではなくともそれぞれの書き手の間で共有されているものと思われる。  余白とは何か? それはただの未利用の空間ではなく、未利用であることが利用していることになるような不思議な空間のことであろう。詩などの文芸において、文字を使って内容を書き記すのは当たり前のことであるが、ページ全体がびっしりと文字で覆いつくされていたとしたら、ただ息苦しくなるだけで中身を味わう余裕はないだろう。以前、地元の図書館で戦後詩の全集本のような大冊を見たことがあるが、それは何と四段組で、ページ全体に小さな文字が大量に記されていた。限られたページ数で少しでも多くの詩を収録するための措置であろうが、それと引き換えにもともとあったはずの余白が削り取られて、余白の付随しない単なる文字の群れとしての詩がそこにあるだけであった。もうひとつ、個人的に思い出したことを書いてみる。もう何年も前のことだが、ある人が私の持っている詩集の余白部分をさしてもったいないと言ったことがある。それは詩と関係のない人であるからこそ出た、効率重視の考え方であろう。確かに現代という時代は、すべての余白を何とか埋めてしまおうと試みる。未利用の空間や時間があるとそれを持て余していると見て、何でもいいのでそれを埋めることに躍起になっている。とりあえず余白が埋められさえすれば、精神的な安心感が得られるからだ。未利用の土地があれば、そこに公園や駐車場を造ったり、店舗やビルを建てようとする。人々が集って会話する場合なども、ふと言葉が途切れて沈黙が訪れると、それに耐えられずに何とか言葉を発しようとする。言わば現代は余白への恐怖を無意識のうちに抱えた時代であり、それを恐れてとにかく何とかそれを埋めようと必死になっている時代だということが出来る。そこを何で埋めるかよりも何でもいいのでとにかく埋めてしまえという考えの方が先に来るので、必然的に質的な低下を招来することにもなってくる。そんな時代の中にあって、余白が付随することに大きな意味性を見出している詩は分が悪い。こんなところにも、詩が読まれない理由の一端があるのかもしれない。  最後に、タイトルにもあるようにこれはあくまでも試みであり、これをもって自分の余白論のすべてというわけではない。語りきれない見渡しきれない余白がまだ大量に残っているのは承知の上である(もっとも、私の書く批評のような文章のすべてが言ってみれば試みでしかないのだが)。現代詩について語る言説においても、余白論というのは意外なほど少ないように見受けられる。それは余白というものがもともと持つ語りづらさに原因があるだろうし、その静かに置かれているだけの空間が人をとまどわせる力を持っているような気もする。余白についてはまだ語りつくされていない。それはただの白い空間であると同時に、未踏の荒野であるのかもしれない。 (二〇〇八年一月) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■僕たちの罪は、どうすれば癒されるのだろう/2TO[2008年1月27日23時12分] yuko「まいそう」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=136784 *この論考はひとつの詩作品に対する考察でありながら、ある「歪んだ妄想」に関するネタバレが含まれている。 “貝殻のなかに/浮標の鈴のようにはっきりと死を読みとる”                 ―――ディラン・トマス "貝殻は、人が死ぬのは間違っていると、耳元でささやく。"                 ―――ジャン−ミッシェル・モルポワ  「まいそう」における特権的なイマージュ―――「かいがら」について語りだそう。「空間の詩学」のなかでガストン・バシュラールは「貝殻」という物質が詩人に喚起させる想像力を分析した。「貝殻」に封じられた潮騒の響きに耳を澄ます前に、まずはその言葉に耳を傾けよう。「貝殻にはきわめて明瞭、確実、硬質な概念が対応するので……これについてかたらなければならない詩人は、さしあたってイメージに不足する。……形状がしめす幾何学的現実によって引き止められてしまう」*1。たしかに「まいそう」のうちで言及される「かいがら」はその形殻についてのイメージを持っていない。その形象だけをみれば、細かく砕かれるだけの「空っぽな貝殻」にすぎないだろう。  だが、大いに結構! この貝殻は「美しい耳を模造し」「桃色の きみの頸」のごとき、詩人を「何より一つ、悩ました貝」ではないのだから*2。私はこの「まいそう」という作品自体がひとつの「かいがら」であることを示そう。私の目指すところは、そのような「隠れ家の夢想」*3、そこに象られた模様―――「BAROQUE」、あるいは「歪んだ妄想」を描き出すところにある。  さしずめ、この詩の水の流れるうちに「かいがら」を見つけ出そう。まず「わたし」は「かいがらをみつけるたびに、冷たいみずで洗う。」(第一連)。「それからひらべったい岩のうえで、かいがらを細かくくだ」き、「そっとへやへもどると、かいがらたちを、いちまいいちまい、棺のうちがわにはりつけていく。」その行為は「まいばん、棺にかいがらをはりつけていくこと、きっとそれが、わたしの祈りだった。」(以上第三連)。最終連に当たる第四連に「かいがら」という単語は登場していないが、代わりに貝殻を貼り付けられた「棺」の「そのふたを閉じ」られた姿、その形体が「二枚貝」を連想させるに相応しい「かいがら」のイマージュを見出すことができる。  この最終連で見出された「かいがら」というイマージュは、改訂によって生み出されたことに言及しておく必要がある。互いに向かい合わせにある二つとして同一のテクスト―――改訂を施された一編の詩。それぞれに表される違いを考察することは、二枚貝に挟まれた青空を精査することに等しい*4。推敲を重ねていくという作業は、「付け足し」「削除」「書き換え」といったことの単純な反復ではない。それは互いの稿を反復として差異を作り出していくこと―――その差異を作り出すのは作者である「わたし」であるのだが―――作品の「質」を更新していくことである。第二稿で大幅に付け足された最終連の記述は、古い殻を脱ぎ捨てるような「脱皮」ではなく、むしろ繭の中で溶かされた皮膚の構成物質が羽根の神経組織へと転用されていくような「飛躍」であると見なすべきである。  このように作品は作者、あえて言うなれば「わたし」にとって生成されていく。ところで、バシュラールは貝殻のイメージの持つ「大きなもの/小さなもの」、「自由な存在/鎖につながれた存在」、「隠されたもの/明らかなもの」といった弁証法を強調している*5。それは彼の「もっぱらイメージを想像力の過剰と見なす方法」*6によるものだが、この弁証法を別のところで「(現実的なものと想像的なものとの)交互の状態を生きるだけでなく、現実が夢の一潜勢体であり、夢が一現実であることが理解されるアンビヴァランスにおいて、これらの状態を統一すること」*7としている。バシュラールにおける「弁証法」なる語の用法について深入りはしないが、彼にとっては「現実的なもの/想像的なもの」(あるいは「主観的認識/客観的認識」とも言えるだろうが)との交叉する統合の地点にあるものこそ「物質(性)」であると言ってもいいように思われる。しかしながら、そのような弁証法的な対立が同時に含有されるパラドクサルな地点、先の表現を使えば「大きなものでありながら小さなもの」、「隠されたものでありながら明らかなもの」といった、不思議の国に迷い込んだアリスが経験したような地点にあって、はたして「物質(性)」はその性質を保つことができるだろうか? そして、作品=「わたし」であるような地点においては?  このような問いは、さしあたり「一回で二つの方向[=意味]へ行くこと、射ることが、生成することの本質である」*8という地平へと落ち着かせることにしよう。そのような生成の地平にあって、「改訂」という差異化の運動は、作品/作者といった区別を(逆説的にではあるが)巻き込み、「書かれる(べき/ための)平面」としての「余白」、あるいは「内在平面」として解消させる。「まいそう」においては、「改訂」によって作品形式の構成が変化しているが、それは狭められると同時に拡張されるような「余白」の砂原において持続するのである。そして、そのような「内在性の浜辺」において、「まいそう」における存在者は「かいがら」としてのBAROQUE*9として、「ひとつでありながら、ひとつでなく、バロックはすべてのもののなかに」*10ある。なぜなら、「まいそう」されるものは「かいがらに埋もれてしまうだろう」(第三連)から。  すなわち、この詩に現われる「わたし」とは「自然」である。スピノザの「神」が即ち「自然」であるように、そのような意味において、「わたし」はこの「せかい」に属している。「あしくびのアンクレット」として現われる「わたし」の身体は、けっして“せかい/わたし”という分け距てられた存在ではなく、あくまで“せかいの延長”としての一義的な内在性としての身体なのである。また、あえてこういうならば、それは「襞」としての身体、それもこの詩の形体をつかさどる「かいがら」―――「BAROQUE」の表面に象られた「襞」の部分なのである。それは、             そらをささえる無 数のあおじろい手首が、そこかしこで松明を かかげ、星ぼしを繋ぐあわい糸が夜空にうか びあがる。  このようにして「襞」(としての身体)は「松明」によって、そのシルエットを闇に浮かび上がらせる。あるいは「そうしつによって、完成させられた」「奇形児たち」(第二連、第三連)という姿として。「そうしつ」としてその歪な輪郭を現す「奇形児」という「BAROQUE」もまた、この詩の「かいがら」という「襞」の一部分であるのだ(それを導くのもまた「潜水艦のサーチライトみたい」(第二連)な光であることを確認すべきである。「BAROQUE」の歪められた形態は、光によってその形式を獲得する)。 ・僕たちの罪は、どうすれば癒されるのだろう?  最終連において、さながら「綺麗な水」を求めるあのイライザのように「わたし」は祈る。それも、「わたしもまた名前をもたず、祈るすべさえあいまいなまま」、「いつかえいえんまで、舟をこいでいこう」(最終連)と願われる。ここで展開されるイメージについては、私としても再びバシュラールにご登場願おう。 死が水のなかに存在するのだ。われわれはこれまで葬送の航海のイマージュをとくに喚起してきた。……(水は)完全な分散状態におけるわれわれの存在の滅亡を知らせるのだ。……水はもっと完璧に分解する。それはわれわれを完璧に死ぬように手助けをする。*11  身投げした「奇形児たち」は、海の水のなかにあって、その肢体のとどまるところを私たちは知らない。それはバシュラールの指摘の通り、あるいは「あおいはねの蝶が鱗粉をまき散らして」(最終連)いるように、分散した状態にあるのかもしれない。しかしながら、そのような分散は、砕かれた「かいがら」を「まいばん、棺にかいがらをはりつけていくこと」(第三連)という行為によって、あいまいな「祈り」のもとに集約される。しかも、その「祈り」はエクリチュールを伴わない。それは砕かれた「かいがら」を「かれら」へとして贈/送ること、ただそれのみである。あたかも「綺麗な水」という結晶を、イライザあるいは同相の存在者である「欠落のために生み出された」マリアに贈/送るがごとく……。だが、それは「奇形児たち」の「そうしつ」を埋め合わせるのではなく、新たに「BAROQUE」の形象を「棺」へ、またはその「かいがら」のイマージュに生み出すことである。  なぜなら、「わたしたちは、どうしようもなくゆるされている」(最終連)といった留保なき赦しは、おそらく生成の過程の最中にあるからである。それは「かいがら」がイマージュとして現われたこの最終連のほとんどの部分が「改訂」によって書き出されていることと連動している。そして、最後に書き足された「せかいじゅうのわたしたちにひとつの名前と、ねがわくば一輪の花をそえて。」(最終連)という一文によって、「わたし」である「せかい」は、いつか「ひとつの名前」―――「赦し」という徴を、そして「死」を与えることを言明する。それらは同時に「せかい」としての「わたし」にも自ら与えられるのであり、「あさやけ」のごとく光をもって「BAROQUE」としての「まいそう」、あるいはその歪みを自己として生成し続けることでもあるのだ。 脚注 *1 ガストン・バシュラール「空間の詩学」筑摩書房、2002、196p *2 ポール・ヴェルレーヌ『Les coquillages』 *3 同、バシュラール「空っぽの貝殻も……隠れ家の夢想をよびさます」199p *4 なぜなら、そのような考察は「貝/sciell」という古い単語の中に「空/ciel」を見つけることと同じである。 *5 同、バシュラール、pp203-205 *6 同、バシュラール、206p *7 ガストン・バシュラール「空と夢−運動の想像力に関する試論」法政大学出版局、1968、p19 *8 ジル・ドゥルーズ「意味の論理学」河出書房新社、2007、16p *9 このようにして「まいそう」を「かいがら」として一義的に位置付けてしまっても、何ら問題はない。なぜなら「BAROQUE」とはその語源において「歪んだ真珠(Barocco)」を意味しているからだ。 *10 ムービー「われらの主あらざる多重神格者よ」、PS2『BAROQUE』、sting、2007 *11 ガストン・バシュラール「水と夢−物質の想像力に関する試論」国文社、1969、137p ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■余白の海についての試論/2TO[2008年1月28日0時54分]  北川透は「詩的レトリック」の中で、詩における「余白」のあり方をいくつか挙げている。それらをまとめると「定型に伴う余白」「観点の移動を表す余白」「意味上の展開を媒介する余白」「二つの片歌の問いと答えの間の余白」「意味の流れの切断としての余白」となるが、しかしこれらはただ単に「余白の機能」を列挙してあるだけであって、詩における、またはテキストにおける「余白の概念」というものについて何ら考察を加えているわけではない。それらは「余白の分析」であって、余白の本質に関わるものではない。「余白」という海に向けて出航するにあたっては、まず「余白」という海図を素描する必要があるだろう。その鍵となるものこそ群島(archipelago)なのである。  今福龍太によれば「archipelago」とは「archi」が原型・祖形といったギリシャ語の接頭語であり「pelago」が「海」ということであるらしい。「その上で辞書を引けば(中略)二つの訳語があって、『群島、列島』という訳語と『多海島』という訳語」となる。すると、「群島という概念には、ネガとポジがヒュッとひっくり返るような動きがあらかじめはらまれている。」*11ということになる。これを「テクスト」と「余白」に当てまめることもできるだろう。だが、ここでは文字通りそれを「島=言葉」と「海=余白」として考えよう。なぜならば、「海」とは「表面」として光を反射する「鏡」であり、汲みせぬ余剰であり、グリュッサンの『<関係>の詩学』に掲げられている詩句のように、海面上とは「統一」であって「海は<歴史>」だからだ。そして、それはドゥルーズの「空虚な桝目と位置なき所有者」という言葉と同義の「パラドックス的審級は、鏡である。」といった言葉にと共に裏付けることができる。またそれは局所的にはデレック・ウォルコットの「カリブ海に住む私達多くのものは、いまなお多島海(archipelago)の理想を持っていますが、それは皆さんがここで、アメリカと名づけられた隠喩を手放さないのとまったく同じことなのです。」という言葉が示しているように、「アメリカ」へと広がっているのである。  書物」を「言葉=島」と「海=余白」という「全‐世界(トゥ=モンド)」、として思考すること、そのような「列島的思考は我々の複数世界の歩みに合致している。(中略)それは迂回の実践を容認する。(中略)それは<痕跡(トーラス)>の諸々の想像界の射程を認知し、認証するものだ。 その<痕跡(トーラス)>こそ吉増剛造が指摘した「傷の多島性」「傷を蓄積するような海との関係性」ではないだろうか。そして「言葉=島」と「海=余白」とで構成された「全‐世界(トゥ=モンド)」という「列島的思考」によって、吉増剛造の「書物」をあらゆる『航海日記』として読むことが必要なのではないだろうか。そして、このような「列島的思考」こそ、新たなテクスト読解性として、「群島的テクスト読解性」として、船の尖先(Style)を向けるべき方向であるように思われる。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■「 寝た子は起こすなそやからおちんちんについて勃起しないで考えてみる。 」/PULL.[2008年1月28日2時20分] 『おちんちんをおちんちんと意識して確信したのはいつか?』と問われると、これは非常に答えにくい、何しろ股間の沽券に関わる問題である(しかも股間の保険には未加入だし)。少なくとも「のぼり棒との禁断の出逢い」よりも前であることは確かだし、「ひとりでおしっこできるもん」状態になった後であることも、確かである。  古ぼけたトラさんとウマさんの秘密の履歴書を紐解いてみるならば、小学校の低学年の時に近所のお祭りにお稽古ごとをさぼってひとりで行って、真っ赤な唇をしたおねえさんに声を掛けられて連れられて境内の裏で、まだつるつるちんだったおちんちんを「撫で撫で」してもらって「おこづかい(五千円!だった)」をもらったのに、何だかすごく悲しくて不安になって近くのどぶ川の橋の上から泣きながら、五千円札(当時は樋口一葉ではなかった)を破り捨てたまさにその時ではなかったか、そして、半ズボンの中で(パンツはおねえさんが持って帰った)まだ痛いぐらいにむくむくしているおちんちんを押さえ付けながら(抑え付けることはできなかった)、むらむらむらむらと胸の奥で渦巻き込み上げてくる「あの」ものの中で『そうか!おちんちんとはそういうものなのか!』と確信したのではなかったか。  だからおちんちんをおちんちんだと確信した後、おしっこをする手の中のおちんちんに向かって『これはお前のほんとうの姿じゃない』と突き放し、またのぼり棒との禁断の放課後に耽溺しながらも『お前はぼくのほんとうの相手じゃない』と冷たく毒づき(だがのぼり棒はさらに冷たく「冷鉄」だった)、時折朝に「ほんとうの姿」を見せるおちんちんにどこか後ろめたい安らぎと「回帰感」を覚えるのは、当然のことだったのかもしれない。  好きこそ物の何とやらというらしい、小学校の高学年になる頃にはもうすっかり、おちんちんと、それにまつわる様々な現象と結果とどきどきと幻滅について、知るようになっていた(だがまだ今も「知り尽くして」はいない)。実際にそれを体験したのは中学の頃で、すでに頭の中で何度も何度も繰り替えし予行練習をしていたことを、「なぞる」のは、ひどく落ち着いた行為で、心臓がじょじょに冷たくなってゆくのが相手に知られてしまわないかと、そればかりそればかり気にしながら、行為を続け、終えた。  オナニーを覚えたのは、その後だった。  行為の後それを、誰にも言うことはなかったが(言えないややこしい関係だった)、それでも授業の最中や部活の練習の最中に、ふと、想い出してしまうことがあった。そんな時は、おちんちんに命令して(おちんちんに命令をするのは小学校の時に覚えた)主張を思い止まらせ、後で、家に帰って、夜。家族が寝静まるのを注意深くじりじりと待って待ち続けてから、続きを想い返し、小学校の頃に調べ一度実行しようとして途中で虚しくなって止めた「方法」で、そう、したのだった。  さて、これを書きながら過去のあれやこれやエロやを想い出して勃起しているのかというと、勃起しながら書けるほど筆者のおちんちんは器用ではない、実際のそれのときは相手の状態を確かめ感じながら、する、が。それを書くときはまた違う、しずかな冷静さで、仕留めるように、書いて、いる。  おちんちんは器用じゃない執念と修行によってほんの少し、ちょっぴりの「芸」は身に付けられるけれど、おちんちんはそんなに器用じゃない年々、だんだん器用じゃなくなってゆく、おちんちんは、こまったやつなのだ。しかも極端な遅漏でいつもこまらせているの(因みに、早漏よりも遅漏の方が女性のウケがいいのかというと、実はそうでもない。延々延々射精しないおちんちんのずっこんばっこんに付き合わされる女性器は腫れ上がることもあるし、それに何より相手の「女性としてのプライド」を傷付けることもあるのだ………)だがそれはまた別の話で、別の機会に書くのかもしれないし書かないのかも、しれない。            了。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■〈日常〉へたどりつくための彷徨 ??坂井信夫『〈日常〉へ』について/岡部淳太郎[2008年1月28日6時53分]  私たちはみな生きている。〈日常〉と名づけられた普遍の中を、誰もがみな例外なく生きていて、そこから離脱することは許されない。だが、時にそこから否応なく離脱させられて、戻ろうとしてもなかなか戻れずにいることがある。そのような状態にある者にとっては、慣れ親しんだはずの〈日常〉こそが異世界である。彼はそこで孤独に陥りながら自らの心の声を聞く。たとえば夢想するなどして、自らのうちに深く沈潜する。そうして孤独の中に浸っているうちに、求めたはずの〈日常〉を厭わしく思うようになる。それはひとつの悲劇であるかもしれないが、詩的な驚きに満ちたものでもあるのだ。  坂井信夫『〈日常〉へ』(二〇〇六年・漉林書房)は、そうした〈日常〉へたどりつくための果てのない彷徨を記録した書物といえるかもしれない。「1」から「25」までのナンバーをふられた無題の詩篇がずらりと並ぶ。そこに書かれた言葉は魅惑的で謎めいている。 黄泉から戻ってみると 日常は いつものように続いていた まるで昨日もそうしていたかのように 妻は台所で鯖を焼いている――だが いつのまにか家のまわりは 鴉たちの鳴き声に充ちているのだ  詩集冒頭の「1」の書き出しである。ここで話者は自らが「黄泉から戻って」きた存在であることを語る。「黄泉」すなわち「死者の国」である。〈日常〉から果てしなく離れた異世界からの帰還。だが、それは華々しく祝福されるわけではない。〈日常〉にあふれる様々な事物はどこかよそよそしく他人のような顔をしている。「鴉たち」はまるで話者といっしょに「黄泉」からついてきてしまっているように見える。ここで早くもこの詩集全体を貫く謎のような言葉たちのうちのいくつかが登場している。さらに先を読みつづければ、この後にもまだまだ同じような謎の言葉がいくつもの章にまたがって散りばめられているのがわかる。「黄泉」「鴉」の他にも象徴的な「釘男」もあるし、「六角橋」「上麻生道路」「西岸根」などの地名、「骸」「犀」などの言葉もある。さらに他の書物からの引用部分が何度も折りこまれたり、話者が目撃するそのたびごとに違う内容の貼り紙があったりする。これらのしつように反復される言葉たちは、いったいどんな意味をまとっているのだろうか。 六角橋のマンション二階まで出かけ 一時間かけて全身の疲れをほどいてもらう (「2」) 死者Kも ぼくも ほんとうは 色あせた黒い服をいつもまとっているのだ それから六角橋のほうへ進み 旧道をとおって帰りかけた すると いつのまにか新しいマンションが建っている (「4」) きょうも六角橋の迷路をさまよう (「8」)  いくつかある地名のうちのひとつ「六角橋」の出てくる詩行を、ランダムにぬき出してみた。おそらくこれはこの詩集に散りばめられたキイワードの中でももっともわかりやすいものだろう。「橋」は伝統的に此岸と彼岸を結ぶものの象徴であり、ここでもそのような役目を担わされていると見ていいと思う。だが、ただの橋ではなく「六角橋」である。その役割は微妙に違っている。「4」での「六角橋」は伝統的な此岸と彼岸を結ぶ存在となっているが、「8」ではいささか趣きが違う。ここでは「六角橋」は「迷路」となっている。おそらく「六角」にヒントがあるのだろう。正方形でもなく真円でもない六角形。その中に迷路が隠されていると想像してみるのも楽しい。「橋」はこの世とあの世を結ぶが、「黄泉」から〈日常〉へ帰ってきても、渡った橋が迷路を内包しているのだから、すぐに〈日常〉にたどりつくことはないのだ。  それにしても、この詩集には異様なまでに死の臭いがしみついている。死と孤独の臭い。この詩集には様々な事物が登場するが、どういうわけか生きている者はほとんどいない。いるのは「鴉」や「骸」であり、「釘男」であり、「死んだタカハシ」や「詩人K」などの死者たちである。話者の妻などごくまれに生きている者が登場することもあるが、それは話者に対して必要以上によそよそしくふるまう。生きているといっても自分自身の言葉を発することがないから、まるで風景のように見える。話者は「黄泉から戻って」きたゆえに、心身ともに死の臭いをまとっている。だからこそ〈日常〉を復元することが出来ないし、生きている者すべてが他人のように感じられてしまうのだ。  そしてそこに話者自身が招き寄せたのか、謎の「釘男」が立ち現れてくる。 散歩から帰ってみると 玄関のまえに誰かが立っている――釘男(くぎおとこ)だ かれは左手に鴉の屍をぶらさげ それを五寸釘で扉にうちつけた (「1」) わが家にたどりつくと玄関のまえに 待ちうけていたように釘男(くぎおとこ)が なんにもしなかった一日を祝福するように 穴のあいた片手をあげるのだ (「4」)  釘男はいつも話者の前に現われる。話者の家の玄関のまえに立ち、「鴉の屍をぶらさげ/それを五寸釘で扉にうちつけた」り「穴のあいた片手をあげ」たりという行為は謎めいていて不気味だ。こうした記述から「釘男」を死神か何かのように感じてしまいそうになる。たしかにそのような側面も持っているのかもしれないが、どうやらそれだけではないようだ。もう少しこの「釘男」について見てみよう。 公園のベンチに坐った男が 寄ってくる鳩たちめがけて餌を投げている かれは職がないのか 週日が休みなのか ただ無表情に餌をあたえつづけている (中略) 鳩たちは餌をついばみながら 「グル グル」と鳴いた あれは 餌をあたえる者への服従のしるしなのか それとも平安をもたらす鳴き声であったのか (「15」) 真夏の陽をあびて ひとりの骸骨が いまにも崩折れそうになりながら立っている かれはいつからバスを待っているのかと まるで奇妙な問いがわきあがり その掌には硬貨が握られているかと サングラスをはずして顔を近づけると 骨だけの手の甲に黒い穴があいているのだ まさか釘男のなれの果てではないだろうと ひとりの骸骨を しげしげと眺めた すると首から紐が垂れさがり 焼けこげの板がいちまい ぶら下がっている そこに書かれた文字は判読を拒んでいるが ただひとつ「××の王」とだけ読めた (「17」)  ここで引用した「15」にはこの後「そういえば かつて〈グル〉と呼ばれた男は/髭だらけの顔でブラウン管のなかに笑っていた」とあり、「平安をもたらすはずだった男とその仲間は/いつのまにか殺戮をなりわいとする軍団となり」という記述がつづく。そして章の終りで「餌をあたえていた男は立ちあがると/穴のあいた掌(てのひら)を宙にむかってかざした」という記述があって、そこで初めて読者はこの男が「釘男」であることを知る。途中の「かつて〈グル〉と呼ばれた男」の記述は一種の新興カルト教団の教祖を思わせるが、それがさりげなく「餌をあたえていた男」と重ね合わせられているような書き方がなされている。そして「17」での「ひとりの骸骨」となってしまった釘男だが、彼が首からぶら下げている板には「××の王」と書かれているのだ。このような記述を見ていくと、釘男がイエス・キリストを模倣した存在のように思えてくる。そういえばキリストも磔刑の時に掌に釘で穴を開けられている。最初に話者の前に登場した時に「鴉の屍をぶらさげ/それを五寸釘で扉にうちつけた」とあるのも、釘男の出自を遠回しに言い表しているようで興味深い。だが、釘男はただ単純にキリストそのものの象徴となっているわけではないだろう。詩集の前半でまるで死神のように見えるふるまいをしていたあたりを見ると、生(あるいは聖)と死の境界に立つ者という表現がふさわしいかもしれない。そう考えると、釘男が玄関の前に立っているのも何やら象徴的だ。  そして、登場回数こそ少ないものの、妙に印象に残るのが「犀」だ。 夜があけると また 何人かが犀になっている――いま 世界はそんなふうではないのかと ぼくは玄関先においた掃除機に叩(はたき)をかけながら ぼんやりと そう考えている (「7」)  初めて犀が登場する「7」の書き出し部分である。この後、話者は「あのときなぜか/おれだけは犀にならないと決めこんだ」と昔を思い出しているのだが、やがて掃除をしながら「ぼくの両腕は/いつのまにか硬ばりはじめ」ていて、「背を折りまげてホースを動かしていると/そのまま元にもどらな」くなる。そして、「鼻のうえに小さな突起物が生えて」「両肢は かたい皮膚で覆われ」、話者自身が犀になってしまう。新聞を見ると、「昨日の犀変身者は○人」という記事も出ている。人間が次々に犀に変身しているという事態が、ここでは起こっているということがわかる。  さらに犀の登場する場面を見ていくと、「10」にこの犀の謎を解くような詩行が出てくるので、これも引用してみよう。 深夜の横浜上麻生道路を けたたましい爆音で走りまわっている あれは暴走族ではない――あれは 夜になって犀に変身した若者たちだ (中略) もう かれらをパトカーは追わない 夜中の一時に110番する住民もいない みんな毛布をかぶり おし黙って ただ嵐が通過するのを待っているのだ  これを見ると、犀は人間でない者、人間でありながら人間としての常識やルールを理解していない者ということになる。だが、これだけだとただ単に迷惑を顧みない若者で終ってしまっていて、それでは少し弱い。あともう一箇所犀が登場するのは詩集最後の「25」においてだが、せっかくなのでこの章は全行を引用してみよう。  横浜上麻生道路に立つと、二十年まえに走 り去った暴走族のすがたが甦る。あのころ犀 であった少年たちは、いまどうしているのだ ろう。みんな十年かけて人間になったあと、 ジャンクフードを貪りながら労働にまみれて いるのか。それとも犀であったころを懐しみ ながら暗い部屋で眠っているのか。あのころ 犀をみかけることは稀だった。だが、いまは どうだ。わずか二十年が経っただけなのに、 路上を往きかうのは犀ばかりだ。かたい角(つの)を ふりかざしながら挨拶を交わしているではな いか。かれらは、いつ自分が犀になったかも 気づかないままスーパーTOPにつめかけ、 デニーズを満席にしている。だれもが犀でい ることを疑いさえしない。それはたんに慣れ てしまったからなのか。かつて犀となった者 は白い眼でみられていたが、いまではだれも 異様とは思わない。むしろ人間のほうが歩道 のはしっこを遠慮がちに歩いている。だが、 いまはこんな風景さえみられなくなった。も はや車道を渡ってくるのは、ぜんぶ犀だ。い や、もう車さえ走っていない。ふいに、ぼく の眼のまえで一頭が駆けだすと、つられて数 頭がつづいた。もう長いこと舗装されていな いアスファルトの車道には、ぶ厚い砂ぼこり が積もっている。かれらは蹄を蹴たてて走り まわった。風が――いや絶望が、もうもうと 舞いあがった。みわたすかぎり犀しかいない 光景が現れた。その群れは看板をゆりおとし 広告柱をなぎ倒し、砂塵をまきあげながら道 路いっぱいにひろがった。角をふりたて厚い 胴体の皮をふるわせ、奇妙な叫びごえをあげ ながら渦をまいた。そのとき忽然とすがたを 現した釘男は、穴のあいた両掌をたかくあげ て犀たちを静めようとした。けれど狂ったよ うに群れはかれめがけて襲いかかり、踏みく だいた。ぼろきれのようになった釘男は、そ れでもようやく立ちあがり、なにものかを阻 止しようとふたたび両腕をあげた。そうして 犀たちが去っていった後を、一歩ずつ踏みし めるように上麻生道路の砂けむりのなかに消 えてゆくのであった。  この散文詩が詩集全体をしめくくっているのだが、ここにおいては犀の存在が圧倒的になっている。これを読むと、犀とはつまり、醜い心を持ちながらそれを自覚しようとしない、本当は弱い存在なのに徒党を組んで強く見せかけている、感性が鈍磨し自我だけが肥大した存在であるように見える。彼等は〈日常〉から外に一歩も踏み出ることがない。〈日常〉という狭い世界だけを世界のすべてであると思い、自我の命ずるままに疾走し振り返ることのない存在。「衆愚」という言葉によって言い表しうるような、人間のどうしようもなく醜い部分が拡大された存在なのかもしれない。いまや圧倒的多数になってしまった犀の群れを鎮めようと、釘男が現れる。だが、彼の力も無力であり、犀を押しとどめることは出来ない。釘男は〈日常〉と〈非日常〉との境界に立ち、その両方を必要とする。そして、話者もまたそうであるだろう。だが、犀は〈日常〉の中にしか住んでいない。彼等は〈日常〉に入り切ることの出来ない話者を尻目に、〈日常〉から〈日常〉へと移動する。あとには、疑うことを知らない〈日常〉が通りすぎていった後の残骸が残されているだけだ。  結局、この詩集は何を語っていたのか? おそらくそれは明示できることではないし、明示するべきことでもないのだろう。ただ、孤独をまとった話者が〈日常〉へたどりつこうとして彷徨している姿だけが、執拗なまでに克明に記録されている。だが、たどりつくことはかなわず、話者は相変らず〈日常〉と〈非日常〉の狭間に立って呆然としているだけだ。そして私たちは〈日常〉へと至る道が意外なほどに長く曲りくねっていることを知り、その道のりの過酷さを思って自らの〈日常〉もまたそのような不安定なものであるのかもしれないと思って、足下に視線を落とすことになる。そこには、見慣れたはずの〈日常〉が他人のような顔をしてゆらゆらと揺れているのだ。  坂井信夫『〈日常〉へ』(二〇〇六年十二月漉林書房刊) (二〇〇七年二〜三月) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■食い違う夢 −『私たちの欠落(夏の日の)』藤丘 我流読解−/大村 浩一[2008年1月28日12時57分]  食い違う夢 −『私たちの欠落(夏の日の)』藤丘 我流読解−  批評祭に寄せて、ふたつの文章を書く構想でいた。ひとつは、フォーラムの 外で書かれたものについて、もうひとつはここに書かれたものについて、だ。  外のひとつには諏訪哲史の『アサッテの人』を選んだのだが、あまりに重厚 で(この小説は散文詩として読むべきだ)短時間ではとてもモノに出来ないと 分かり、後日改めて挑戦することにした。いまは冒頭に引用されたアルトーの 『精神の秤』を取り寄せている。芥川賞の、詩に無理解な男性の選考委員ふた りの酷評のためか、この小説は半年経っても不当に低く評価されたままだが、 人がことばを発すること、ことばと関わることのスリリングさと危険を、あん な風に切りだしてのけた小説は、近ごろの日本にはない。詩人が着目すべき領 域のことを、学者風にでなく、ことばの職人的な手つきで切り出してのけた。 あれこそ詩人からの批評や解題を必要としている作品ではないだろうか。  そういうわけで、フォーラムの中から作品を選ぶ事になったのだが、山下達 郎のように「棚からひとつかみ」という訳にはいかない。山下さんの場合には 何かしら自分にとって見所のあったレコードを棚に納めたから出来るのだが、 フォーラムの場合は本屋や図書館のように、知らないうちに色々な作品やら雑 文が集まってくるのだから。たまたま手にとった本が指圧の本だったら、お前 はそれを文学書として批評するのか大村?(悶)  野中英次のマンガみたいなカラミ方は止めて〜。こういう時には私は個別の 作品の良し悪しより、作者で選んで取り上げる事にしている。  なぜかと言うと、誰でも瞬間風速で良い作品を書ける事はあるが、それが千 三つでは、その詩人が詩を通して何を実現しようとしたいか詩人自身に分かっ ていない、と考えられるからだ。こういう詩人は大抵、褒めた途端に脱線して 駄目になるか、半年続かない。あるいはその批評を言質にして世間に駄作をま き散らす。それでは取り上げないほうがマシというものだ。  私は批評とは本来、作品について読者に新しい視点を与えるために書かれる ものだと考えてはいるが、優れた批評が特定の作者・作品を盛りたてていくと いう作用は認めるし、否定もしない。だからこそ取り上げる詩人が自分にとっ て、アーチストとして人間として信頼出来るかどうか、ということが大切にな ってくる。批評の結果、人生を傾けかねない「詩」の世界に相手を引きずり込 む事になるかもしれないのだから、立場が上であれ下であれ、選ぶ以上は選ぶ 側にも責任があると私は考えている。  …今後のためにいろいろな話の糸口を作っておきたくて、藤丘さんには失礼 だが無関係な前置きを長々と書いた。やっと本題に入る。      * * *  藤丘さんという詩人の存在をはっきり認識したのは、恥かしながら拙作にポ イントを頂いてからだ。ポイントを返す時、おざなりに最新作に返すのは私は 嫌で、少なくも近作から何作か読んで気に入ったものに返すようにしている。 それでその時作品リストを見て、高得点ぶりに驚いたものだ。「現代詩フォー ラム」のポイントは、芸人への投げ銭より気安く入れられる評価の指標だが、 (批評の考えと矛盾するが、私はポイントについては気軽に扱う方が良いと思 っている。無闇に重く考えて、読者からのレスポンスが減ってしまうよりは良 いから)、それでも大概の作品が30〜60点とは尋常ではない。  作品ごとの掲示の日付の間隔は広く、ネットにあっては寡作の詩人に見える。 息の長い詩人だ、ということだ。作品も精選していると思われる。そのため上 位チャートから外れた後もポイント蓄積が続いて、深い森に静かにそびえる大 木の如きポイントになるのではなかろうか。秀作は多いが、今回はその中から 私の好きな『私たちの欠落(夏の日の)』を取り上げる。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=119708 #私たちは互いを必要としながら #それぞれの場所で夕陽を眺め #明日の湿度を欲しがり飲み込む振りをする # #あなたと私は #埋もれてしまったいつかの夏に #栞を置いたままかもしれない #それでも私たちは真実を口にしない #私たちの日常には触れ合うことを拒む痛みがある  この冒頭第1連と第2連で、この詩が扱おうとするテーマは明らかにされて いる。夫婦あるいはそれに近い間柄のふたりの、それぞれが抱えて生きる秘密。  読解にあたっては「あなた」は配偶者ではなく、親や兄弟、あるいは会社を 呼び変えたものかもしれない、と仮定してみるが。「明日の湿度」と「いつか の夏」いう表現が、その仮定を覆す。「湿度」の隠喩からは生体的・性的な要 求が窺われ、それをお互いに依存しあう関係とは、互いの存在そのものを相手 が左右し得る濃密な関係だと想像できるし、「いつかの夏」からは世間で言わ れる「一夏の過ち」も連想される。  いやこの「いつかの夏」はそんな陳腐なものではないかも知れない。もっと 内面的なものかも。外からはそう見えても仕方の無いことだったかも知れない が。…そんな弁明を加えたくなるのは、この2連の整った言葉遣いに、この詩 の主人公の鋭い決意のようなものを、大村が感じ取るからだ。 「互いを必要としながら」「それぞれの場所で」「飲み込むふりをする」親密 さを擬態するそれぞれの人影の、何と孤独なことか。「それでも私たちは真実 を口にしない」「私たちの日常には触れ合うことを拒む痛みがある」  そしてこの作者の表現力の真骨頂は、埋もれた記憶のことを、熱心な詩の読 者の脳裏へ一発でイメージさせる「栞を置いたまま」という部分である。 #急な雨の日の窓硝子に反射する #輪郭のぼやけた #あなたかもしれない横顔を見ることがある # #遠い夏の陽射しの #揺れの中に置いてきてしまった #あなた #かもしれない面影を #瞬きの合間に抱きしめることがある  第3、第4連どちらの連も「あなたの」の断定ではない点に注意して欲しい。 「あなたかもしれない」ということは実は「あなたではないかもしれない」と いう事なのだ。  私はあなたを愛している、と言いながら、実は私のなかのあなた(のような 誰か)の面影を追いかけているだけなのかもしれない。雨の日の曇った窓硝子、 瞬き、外からの信号が遮られた時にだけ、無意識の自分が再生するその面影。 それはあるいは、自分が自ら抹消した不実な行為の、記憶の残滓なのかも知れ ない。 #私の喉は閉じたままで #幾つかの小さな空気孔が #今日一日分の赤血球を分離させて行く #白い雨は私たちの昼を浸食し #夏の #ぬるい海へ流れる  この第6連が、大村には正直よく分からなかったが。もしかするとこの詩の 主人公は透析治療のようなものを受ける必要がある病気で、もう動けない状態 なのかも知れない、と思った。ならば第一連の描写は、夫婦の寝室ではなく夕 暮れの病室、という事になる。 「喉は閉じたまま」が深い沈黙を意味するだけならば病気ではないが。この場 合には「赤血球を分離させて行く」のは主人公自身の身体の細胞という事にな ろう。  ここに出てくる「白い雨」とは何だろう。「夏の/ぬるい海へ」と「私たち の昼」を浸食して押し流していくもの。記憶や意識を解かして曖昧にしていく、 日常を流れて行く時間(の浸食作用)のことだろうか。 #月の隠れた夜にあなたと私は #幾つかのガス灯を数え #カバンの中の折り畳み傘をひろげて唄を歌う # #朝と夏の雨は混ざらない #私たちの姿は少しも奇妙ではなく #暗闇では慈愛に満ちている  この第7連と第8連、実は1セットなのだと思う。  やや唐突な感じのする第7連だが、これがないと第8連の「朝」や「姿は少 しも奇妙ではなく」といった語句の存在理由が説明困難になる。  第7連、「月の隠れた夜」に「傘をひろげて」いるのだから、この連のシチ ュエーションは「雨」だ。そしてこの詩の中に「朝」を描いている連はひとつ もない。  大村が思うに、第7連は主人公が夜明けから朝にかけて見た「夢」ではなか ろうか。ということは「朝と夏の雨は混ざらない」とは、大村が我田引水に言 い換えると「私の夢や妄想のなかに、日常の浸食作用は及ばない」と言ってい るのではないだろうか。  そして「月の隠れた夜」は「暗闇」つまり夢の中だから、あなた(かもしれ ない人)と私が「傘をひろげて唄を歌う」「姿は少しも奇妙ではなく」、お互 いに「慈愛に満ちている」。(<編集し過ぎだったらゴメン)  第7連で描かれる映像は、まことに詩的だ。けぶるガス灯、鞄から小さな傘 が開かれ歌になる、小から大へ拡大する暗示の面白さ。  そんな奇妙な映像を描きながら、それを「奇妙でなく慈愛に満ちている」と 断言する。これは主人公のなかの不可触の領域が、外部の真実に対して勝利し たことを意味するのではないか。 #次第に私はとても狡くなり #何もかもを忘れている素振りで #浅く眠りながら #眼の奥で望んでいる夢を一つ見ている  最終第8連は、この内面の勝利を追認して終る。最後の1行が、ここまでの 経過を締めくくる格好で置かれている。      * * *  難解な部分のある詩だったが、重層的で精密な表現であったため、アタマの 悪い私にもどうにかここまで読み解く事が出来たし、そうした読み込みに耐え る、面白くて優れた詩だった。今回のが見当違いの解題だったら、どうかお許 し頂きたい。  全体に硬質な言葉を選び、下卑た解釈や描写を拒みながら、人間関係の精神 的な、内的な虚構性に迫った詩だと感じた。  恋人や夫婦は、相手の全てを知り尽くして契りを交す訳ではない。  自分の中にいる異性像をユング心理学では確かアニマあるいはアニムスと呼 ぶと思ったが。自分が求める相手の人物像には、自分の意識・無意識の願望か ら、過去に自分と係わった様々な人や物事との記憶が影響し合い、重なってい る。相手の何を愛しているのか、現実には本人にだって分かってはいないのだ。  そして相手が何事か隠している、ズレていることを承知で始める恋愛もある し、ズレたまま婚姻に至る事も多々ある。「骨まで愛して」なんて古い歌があ ったが、実際には、互いの多少のズレや秘密は、飲み込む積りで恋愛は始める ものだと私は思う。  実際には、人はずっと孤独なままだ。相手を欺いていると思えばなおさら。 この詩の最終連の「浅く眠りながら」に、主人公の、その愛しい何者かの記憶 を「墓場まで持っていく」決意の凄みを感じた。  …とこんな感想やら批評の文章を、休日出勤を前にまだ眠っている妻の隣り の部屋で、私はひとりで書き始めたのだ。 追記:  藤丘さんの作品に関しては、「海と人と」について、詩誌 “kader0d”で昨 年話題となった広田修さんが、脱構築批評の手法で取り組んだ批評があります。 http://www15.plala.or.jp/sgkkn/poetry/criticism/criticism.htm 2008/1/27 大村 浩一 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■狐のかわごろも/石川和広[2008年1月28日21時52分]  なぎら健壱のアルバムを聴いた。詩も面白いし、演歌だか民謡だか流しだかフォークだかパンクだか前衛だかわからないセンスの良さ。さらに美声。しょぼいはずなのに全然貧乏くさくない。もっとふざけた人かと思ったが、半端な感じではない。昔読んだ彼の『私的フォーク大全』という70年代フォークの列伝も面白かった。知性とか理性が、泥臭さを排除することなくなりたっているので、上品なんだと思う。ほめすぎかもしれない。    駅のゴミ箱に 頭をつっ込んで  ゴソゴソ かき回す奴らを笑えるか  奴らの目ざすものは 東京スポーツ  東スポ中毒笑えるか 本当に笑えるか  ゴミ箱で見つけた そうした新聞が  工業新聞だったとき 意識がとうざかる  それでも やっとさがしだす 東京スポーツ  きたないものでぬれている しっかり汚れている  (なぎら健壱作詞‘ラブユー東京スポーツ‘より)  曲の題名は「なみだ〜のとおきょう」で、おなじみのアレです。「笑えるか」という問いかけは大まじめだし。  また、「工業新聞」も、いいです。  「きたないものでぬれている」は、かなりいいです。  正直、題材が古くなっているんですが、大阪でいうと地下鉄の千日前線 って、感じでしょうか。東スポなんですが。駅のゴミ箱って、オウム事件の辺りで激減しましたね。ある時代の平和や大衆や貧乏なんだけれど、ルポルタージュ風に何かを定着している気がします。  なんだろう。「きたないものでぬれている しっかり汚れている」って叙情で歌っている形で、相当リアルなのかなと。新聞の質感から漂うどうしようもない感じ、読み捨てられるためにある虚ろさでしょうか。    中原中也の有名なフレーズに「汚れつちまつた悲しみに」って、ありますね。あれと東スポの汚れは遠いのか近いのか。なんでしょうね。「つ」という撥音が二回出てくると変ですね。例えば…  汚れつちまつた悲しみは  たとえば狐の革裘(かわごろも)  革裘?調べました。何で狐なのかな。妙に気になります。こういう諺があるようです。 引用します。 「狐裘羔袖」(こきゅうこうしゅう) 全体としては立派に整っているが一部に不十分な点があるたとえ。また少々の難点はあるが全体から見れば立派であること。 高価な狐の皮衣に子羊の皮の袖をつける意。「狐裘にして羔袖す」と訓読。 http://yojijukugo.hp.infoseek.co.jp/15.files/sonota.htm どうも狐のかわごろもってのは高価で立派。でも、それだけじゃないようです。中国で「狐のかわごろも」がもっている神話的な力について。 『春秋緯』では「帝伐蚩尤乃睡夢西王母遣道人、披元狐之裘以符授之」と黒い狐の裘が特別な力を持っていたとしている。 裘に限らず九尾の狐や白狐、玄狐などは古来より神聖な力を持っているとされ、その姿を現わすことは吉兆や不幸の前触れとされていた。九尾の狐については現在では『封神演義』で有名な殷王朝を滅ぼした狐精の美女妲己の話が有名である。『封神演義』は明に書かれたものだが、「狐が妖獣であるイメージは古くからあり、紂王をその魅力で誑かした妲己の狐説は古くから信じられていた」[一一]と二階堂善弘氏は言っている。 http://www.hum.ibaraki.ac.jp/kano/student/00takahoshi.htm (中国志怪小説の研究―狐のイメージの変遷―高星さおり)  例えば日本では狐憑きやらがありますね。ある種の狂気というかトランスというか。中国では霊力さえあるんですな。  何が言いたいかっていうと、中也の言葉が「狐の手袋」だったらまたイメージがちがいます。「子ギツネこんこん」とか。その後雪も出てきますし。でも、それらにも通じているし、また古代中国だけでなく日本でもそうだけど得体のしれないエネルギーのことでもある。かわいくて、こわくて、あやしくて、警戒心が強くて。変なんだけど高貴で、音楽に満ちている着物。着物ってのは、裸をかくす衣装だから、それによって他人を誘惑します。中也における誘惑的な他者性あるいは魂なのかなあと。    中也の詩は独特の古代的な調べがあるから、よけい遠くへいける。引用します。  汚れつちまつた悲しみは  なにのぞむなくねがふなく  ここもすごいですね。のぞむ、ねがふ。それぞれちがう言葉なんだけど、近いような。 調べもいいですね。次も引用。  汚れつちまつた悲しみは  倦怠(けだい)のうちに死を夢む  「けんたい」っていうと、倦怠期みたいですけれど、「けだい」って読むのですね。「けたい」だと「懈怠」で仏教の言葉のようです。ある「懈怠」の解釈について引用します。 『法相二巻抄』には、 もろもろの善事の中に怠りものうき心なり。 といわれている。善事をしないのである。おそらくは、しなければならないという気持ぐらいはあるのだろうが、実行できない。善事が実行できなければ、後退あるのみということになる。人間は生きている限り、前進か後退のどっちかである。とどまることはあり得ぬから、前進しなければ後退のみが残るということになる。 ピアノのことであったのだろうか。一週間練習を休めば誰にもわかる。三日休めば、一般の人にはわからなくても専門家にはわかる。一日の怠慢は、聴衆の誰にも気づかれなくても、本人にだけははっきりわかるというのを聞いたことがある。これはピアノに限ったことではないであろう。人生万事、きっとそうに違いない。 http://www.plinst.jp/musouan/yuishiki30.html  中也のいう「倦怠」は、この文でいうと「一日の怠慢」にあたるような「聴衆の誰にも」気づかれない場所で感じる過失に近いのではないでしょうか。それは誰にも気づかれなくても何かが見ている。けれど、何が失敗であるか感じているのだけど、表出できないために苦労するどうしようもないものかもしれない。中也のこの詩は恐らく青年期の心理みたいにも読めるでしょうけれど、謎の欠落を抱えているためにどうしようもなく愛したり愛されたりする。そして、そのことに盲目であるためにどうしていいかわからなくなる人間の条件ではないでしょうか。  例えば子どもの頃、夢は何かと聞かれて「サッカー」と答えますよね。理由は「かっこいい」とか。でも、いつのまにかサッカー選手でなくて、ただの工員になってたりする。この仕事が好きだという自信はなくて、なぜその仕事しているのと聞かれて、「生活があるから」と答える。でも、中也は「なぜ生活するの」まで聞いてしまう。あるいは、「なぜ生活するんだろう」と思いながら、進めない。例えが間違っているかもしれませんが。  しかし、時々、だれでも「なぜかな」って考えることもあるかもしれない。考えてなくても感じていて悩みがある。けれど、目の前のことをかろうじて、やって何かしら糊している。中也はそういう役割とか脈絡が外れている。むき出しの欠落です。それは、青年期とか何とかではなくて、そういうぶらりとした状態をかろうじて我々は「愛」や「私」で埋めているのかもしれない。けれど、生きているのは、そういうかろうじて埋めている状態なのです。中也は欠落を埋めなくて、そのことにも罪を感じています。そういう形で、そうとしか生きられないんだけれど、それが限界なんで、それはいい悪いの問題じゃないといっている。    いわば、中也は、生活と生活からはみ出してしまうもののうち、生活を切り落とす。生活を切り落としてしまったら、生活からはみ出してしまうものは空白というか存在しないものになります。幽霊とか、確かに狐のかわごろもみたいな得体の知れない何かになってしまう。幽霊だとしたら死ねないわけで、だから「死を夢む」なんだと思います。  なぎら健壱から離れてしまいましたが、「思へばとほくへきたものだ」ということでお開きです。でも、中也は常識の常識みたいなことを述べている気がしてしかたないのです。  それは「悲しみ」にしては「汚れ過ぎていて」、もう何の変哲もない残骸のように感じられる何か。無理やりこじつければ、ぬれた東スポみたいな。そのもののしょうがなさのような。愛おしさのような。  どうしようもない物狂い。物狂おしい感じ。やっぱり「ラブユー」かなあ。 2007.1.18 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■走るレプタイル/石川和広[2008年1月28日22時03分]    エリック・クラプトンの『レプタイル』http://wmg.jp/artist/ec/WPCR000011100.html。これは愛する伯父にささげられているようだ。レプタイルは「ろくでなし」とかそんな意味だっけ。村上春樹がその著書『走ることについて語るときに僕の語ること』の中でジョギングしながら聴いているとしっくりくるし、聴けば聴くほどいいと書いていたのだ。影響を受けやすい僕はツタヤでレンタルしてMDに入れた。ただし僕はジョギングはしない。というか走るのがまるっきり苦手なのである。春樹さんは長編とか骨太の小説を書くには肉体的な持続力が大事だから走っていると書いていた。それ以前に春樹さんは「一人でコツコツ」やる内省的な作業が好きなようなのだ。春樹さんにとって「走ること」と「長い小説を書くこと」は近い作業のようなのだ。体の状態やモチベーションを徐々にその作業に馴らしていくことや、最初苦しいのもある地点を過ぎると、とても気持ちよくなることや、その結果この作業が止められないような麻薬性をもつことなどである。  この本も、『レプタイル』も、別にランナーでなくてもいいと感じられる。僕は学生時代、通知表に「いつもコツコツやっています」と書かれていたのだが実は非常に飽きっぽい。また春樹さんのように「自分に向き合う」のが実は苦手で誰かと一緒の方が安心する。どうしようもなく淋しがりやの人間なのである。  しかし春樹さんの言うこともよくわかる。たぶん自分の人生に起こる出来事や、自分の生きているこの世界のことに何らかのこだわりみたいなものがあって人は書くことに向かう。驚きとか怒りとか悦びとかとっかかりは何でもいいのだが、それを何とか形にできないか、保存しておくことはできないかと思うから創作に向かうのである。  けれども、世界はたえず流転し、私の存在もかよわいウタカタのものである。たちまち流されてしまいかねない。  だから自分のスタイルを作る。春樹さんのこの本はそのスタイルの一例を語っているように思われる。ここで引用。  生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉からこんこんと湧き出すように、文章が自然に湧き出し、作品ができあがっていく。努力をする必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。だからひとつの水源が乏しくなってきたと感じたら、思い切ってすぐに次に移ることができる。自然の水源にだけ頼ってきた人は、急にそれをやろうと思っても、そうすんなりとはできないかもしれない。  人生は基本的に不公平である。それは間違いのないところだ。しかしたとえ不公平な場所にあっても、そこにある種の「公正さ」を希求することは可能であるように思う。                  (村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』p65)  まあ村上春樹も成功者だからちょっと嫌味かもしれないがその辺は仕方ない。あるいは詩はまたちがうかもしれないが、この「水源」にたどり着くのに途方もない時間と粘り強さが必要なのはどのような事業でも同じ。けっこう肉体的なものなのかもしれない。少なくとも村上春樹はフィジカルに「書くこと」を捉えている。  走ることはたえざる持続である。毎日あるペースでやらないと体がなまってしまう。書くこともそう。春樹さんは別に「毎日書け」と云っているわけではない。そうではなくて、書くことも毎回新しい動機があるのだから、それをいかに持ちこたえることができるのか。一般的な方法論があるわけではないので、自分なりのスタイルを作った方がいいと言っているみたい。そのスタイルは不変ではない。世界も自分も変わって行くからだ。春樹さんは「老化」を語っているが新しい「呼吸法」を見つけていくことは「走る」のにも「書く」のにも大事な事なんだろう。  新鮮な呼吸が体にとってフィードバックであるように書くことも自分と世界との対話であるだろう。    クラプトンはブルースを白人の側から再解釈したと言われているが、どうなんだろう。もしかしたら黒人のものを収奪したといえるのかな。黒人のミュージシャンは成功している人も多いけど、貧しい人はその何百倍もいる。安易に人種だけで貧困の問題は語れないんだろうけれども。本物の黒人音楽って何だろうと思った。こないだ森進一が歌う「ラブイズオーバー」を聴いて、これはソウルミュージックかもしれないと思った。こぶしを利かすのではなく一言一言切るように切り裂くように語りかけてくるその様子は素晴らしかった。歌は、どうしようもない、ろくでもない境遇のそばにいる。普通にはそうおもわれていないが村上春樹のジョギングだって、そのようなやるせなさの中で生きていくひとつのあり方である。 2007.10.27初出(後部分的に改稿) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■砕かれていること/石川和広[2008年1月28日22時20分]  作品を提出するときに、やっぱり自分だけではこれがいいものかどうか、とても心もとない気がいつもしています。  僕はおうおうにして物知りのように大きく語るわけなんだけれど、何となくいいものだという予感はあっても、どきどきする。作品を出すというのはこの弱気の虫があるから尊いのではないかと思ったりする。  ニーチェや最近ではバタイユにひかれるのは、彼らは自分の着想に自信を持っていた反面、自信のなさや、仮説を立てては、ああ、ちがうという予感に砕かれて、何度もやり直すということがあるからだ。  バラバラに砕かれて、頭が真っ白になって、へたりこんでしまう。こういう体験が彼らのテクストの表面からは見えないけれど、フランス風のエッセイ思考を好んだニーチェは、だから、その瞬間の着想を短く書き留めるという方法を取ったのではないかと思う。小林秀雄の言うようにニーチェは健康の問題を抱えていたからそうだともいえるけれど。僕は小林とは違う感じを持っている。  彼らが何に砕かれていたかというと、昔風に言うと神の啓示といえるかもしれないが、「神は死んだ」や「無神学大全」の人たちはそう表現できない。  ニーチェは「人は三分とひとつのことを考えることができない」といったが、時間と思考はそういう関係にあるのだろう。集中力があろうがなかろうが同一性が砕かれ、時間の中に断絶が出来る。こちらの方が人間の思考の生理に近い。  時間というのは線でありつながっているというイメージが強いが、実はそうでもないようなのだ。こないだ統合失調症の病理に絡んで、計見一雄という精神科医が云っていたが、彼は道元を引用している。  道元は時間というのは生まれて(現成)してはその瞬間に無に帰すといっている。時間は不連続なのだ。  だとすると、時間はずーっと延びているのではなく、真っ白の瞬間がある。人間だってしょっちゅう呆けていることになる。健康な人間は適当に呆けることができるのかもしれない。ずーっと呆ける事ができず緊張している人はこの世界から糸が切れたように深い混迷に入る。  ニーチェも晩年呆けてしまった。バタイユの父は進行性の梅毒で脳をやられ精神障害だったそうだ。そのことがバタイユに影を与えている。  バタイユは、真っ白になってしまう時間にも精緻な思索と等量の価値を与えたのではないかと思う。詩を書く上でも、自分の底に「白痴の自分」を置くこと。それは自己の作品をより完璧にすることではなく、より儚いもの、砕かれたもの=死のようなものとして提示することに必要である。  一方に完成の意志が働いていることが重要である(バタイユには大向こうにヘーゲルがいたし、ニーチェにはプラトンやいろんな人がいた。それとの勝負で「弱さ」が重要だったのだ)が、自分がより砕かれバカになって行くことは詩には必要だと思っている。自分がそこに届いているかはわからないけれど、だからこそ、こういうふうに書いておく。きっと粉々に砕かれた人は私が書くようには書かない。力説するより、その過程を黙って曝しているはずだ。  三つ子の魂百までという。僕は自分の変わらなさを味わう。けれど、僕は自分の変わらなさをとことんまでは味わっていないと思う。自分のどうしようもない変わりがたさを味わい続ける過程が恐らく「内的な変化」といえるはずだ。その変わりがたさは一生くみつくせることはないだろう。そのようなわからなさが恐らく意味の源泉である。意味とはわからないものが放つ無限の色彩と音楽だろうか。 2007.9.22初出(後部分的に改稿) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品 ■ 詩友への手紙 〜この世を去った友へ〜 /服部 剛[2008年1月28日22時50分]  今日の仕事帰り、電車を降りた後に歩道橋で立ち止ま り、数日前にこの世を去った君のことを考えていると、  静かな雨が降り始めた。昨夜のBen’sCafeでそ の知らせを聞いてから、僕はその事実をどう受け取れば いいのかわからなかった。君はこの地上から見えない場 所に、隠れてしまったかのように感じる。   君と出逢った頃に、Ben’sCafeのガラスの壁 の中からこちらに手を振る君の姿や、大学卒業後の進路 について悩んでいた君と飲み屋で語り合った日を思い出 している。あれから君は、僕の想像を超えた闇に幾度も 抵抗してもがいていたのだろう・・・   君がすでにもういないということが、まだ実感できな かったが、今朝、バスを降りて職場へと歩きながら、僕 は顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。   職場について、今日集まるお年寄りが飲むお茶をやか んに入れながら、君のことを考えてふと顔を上げると、 ついさっきまで動いていた時計の秒針が止まっていた。   今日一日、何度僕は君の名を呼んだことだろう。そし て何処かへ姿を隠したようにこの世から去ってしま った君に、(僕は生きるよ・・・)という只一つの決意 を、今日という日の間に、何度僕は心に呟いただろう。  僕は不器用に、みすぼらしい、あるがままの姿で、こ の地上の旅を歩いてゆく。日々の職場の老人ホームを、 Ben’sCafeの「ぽえとりー劇場」を、皆で素晴 らしい場に育んでゆくという夢がある・・・人の心に残 る一篇の詩を書くという夢がある・・・三ヶ月前に渋谷 のCafeで君と話した時も、僕は君にそう伝えた。   君がいなくなってしまった後、僕は職場で転機が訪れ、 僕の前には今迄越えたことの無い未知の壁が立っている。 僕はその未知なる日々に向かっていかねばならない。 君の死をどう受け止めていいかわからずに立っている僕 は、たとえこの寂しい心に哀しみの風が吹きぬけても、 目の前に壁があっても、(僕は生きる)・・・この一つ の決意のみが、今の僕に伝えられることだ。君との出逢 いを、無駄にしたくはない。風になった友よ、どうか、 空から僕等を見ていてほしい・・・かけがえのない仲間 達と織り成してゆく、この人生という夢の日々を。  君が大学を卒業したあの頃、僕は君に向けて一篇の詩を 書いた。あの日僕が、この詩にこめた想いを、今夜もう 一度、想い巡らせたい・・・  僕は明日も君の名を呼び、 只一つの決意を、胸に呟くだろう。  http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=29798  ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■回り道、つぶやく。 ??五十嵐倫子『空に咲く』について/岡部淳太郎[2008年1月28日22時53分]  人の心の動きというものは不可思議だ。大抵の場合、人は首尾一貫して考えているのではない。ぼんやりとほとんど何も考えていないこともあれば、何かについて一途に思いを巡らそうとしても、眼に映るもの、耳に聞こえるものに惑わされて思考が中断してしまうこともある。あるいは自分の身体の状態が思考の邪魔をすることもある。空腹であれば食事のことを考えるし、考えごとをしながら歩いていても、たとえば石につまずいて転べば、痛みが思考に取って代わってしまうだろう。五感によって外から取り入れた情報を、脳は瞬時に処理しなければならない。内部での思考よりも外部から来る情報の方が、脳にとっての優先順位が高いからだとも言える。そんなふうにして、人の心は日々回り道をしている。誰もがそうと意識することなしに、自らの中での彷徨を日々体験しているのだ。  五十嵐倫子(のりこ)詩集『空に咲く』(二〇〇六年・七月堂)を読んだ。ここにはいま述べたような人の心の中の日々の回り道が、飾ることなくつづられている。いっけん平明な詩のように見えるが、心の動きの過程を克明に記しているので見かけ以上に難解なところがある。 日曜日の夕方 このまま終わってしまうのはいけないような気がして 外に出てみる ショッピングセンターまで歩いていく 1階から6階まで くまなく歩き回って もう何も見るものが無くなってしまって それでも何も買うものが見つからなくって 下へ 下へ 下へ 下へ 地下1階は食料品売り場 誰かが食べているのを見て 何となく たいやきを 1つだけは気が引けるから 2つ買う 家に帰ってからチンして食べることにして 外へ 外へ 外へ 外へ 桜咲く公園へ 散歩しよう (「たいやき 友だち」部分)  心の動きをそのままつづったような詩行である。「日曜日の夕方/このまま終わってしまうのはいけないような気がして」というのは、とてもよくわかる感覚だろう。その後につづくショッピングセンターの描写、「誰かが食べているのを見て/何となく たいやきを/1つだけは気が引けるから 2つ買う/家に帰ってからチンして食べることにして」という詩行などは、心の動きを描く際の手つきが実に決まっている感じがする。また、その前後の「下へ/下へ 下へ 下へ」「外へ/外へ 外へ 外へ」というのは、心の動きを視覚化したような詩行だ。  この後につづく詩行をもう少し引用してみよう。語り手はショッピングセンターを出た後、「公園へと渡る橋の上で」ひとりの男と出会う。 ふと隣を見ると 男が立っていた 私を見下ろしている瞳と出会う あぁ 好きな顔だな。 目が離せなくて 「たいやきを一緒に食べませんか?」 「・・・・・」 「しっぽの先まであんが入っているんです」 差し出すと 男は少し微笑んだ 知り合うなんて そんなものだ (「たいやき 友だち」部分)  先に引用した「家に帰ってからチンして食べることにして」という計画は、男の登場によってあっけなく軌道修正される。「1つだけは気が引けるから 2つ買」ったことが功を奏したような形だが、別にここからロマンスのようなものが始まるわけではない。結局この男とはただ一緒にたいやきを食べ、「しばらくのあいだ/夕日がビルの谷間に沈んでゆくのを眺め」るだけで終ってしまう。物語は発展せず、ひたすら語り手の心の動きだけがつづられていく。何気ない日常の、よくある日曜日の情景。それを心のフィルターを通して掬い上げている。 ページをめくる 右の人差し指の腹で 本の左端の下までなぞって ぺりっ ページをめくる この響きがいい めくるめく季節を読み飛ばして 最後のページへ (中略) ふと 指先の感触を意識する するり とたんに何か 風が吹いたようにすり抜けてしまう 時間は 無限に流れていくけれど 生きているものたちには 限られている 時間 (「ページをめくる」部分)  読書に集中しているその思考が「ふと 指先の感触を意識する」ことによって中断される。これまでの例で言えば、思考の中断は心の回り道をそのまま追うことになっていて、それが語り手の偽りのない心の道筋を誠実に伝えることでもあったのだが、ここではやや趣きが異なっている。本を読む、「ページをめくる」という行為は、長い人生の道を歩むことの比喩になっていて、その中断は生を俯瞰的に見つめ直すことにつながっている。それは自らの生に対する見つめ直しであると同時に、「生きているものたちには/限られている/時間」、つまりこの世の生全体を見つめ直すということにもなっている。そしてそれは、「とたんに何か 風が吹いたようにすり抜けてしまう」という、気づきの瞬間でもある。この詩の最終連、「だけどもしかしたら/答えはいつのまにか本文の中に書かれていて/最後のページで/その答えを知るのかもしれない」という結びはやや常套的に過ぎる嫌いもあるが、読者を納得させる力を持っているし、作者の誠実な心の動きの結語としては順当だろう。何よりも、作者の誠実さがやや無防備すぎるように見えるほど真っ当に表われていて、読者はそこに親しみを覚えるであろうことは想像に難くない。  これまで述べてきたような語り手の心の動きを丹念に追っていくという書き方は、無駄に詩を長くしていると思われるような危険性がある。心の動きが回り道をしているのを忠実に追っているがために、詩そのものも回り道をしている。余計な道草を食っているように見えてしまいかねない。だが、逆にこのような書き方をすることによって、平明でありながらも豊かな抒情を立ち上げることが可能になっているのだということも言えるだろう。  たとえばAという状況があって、そこに語り手の心情Bを投影するというのが、日常から詩情を立ち上げる際の一般的な手法である。この場合、語り手は最初に示された状況Aの裏に隠れている。そして、詩の核心となる箇所(多くの場合は詩の結末の部分)でひょっこりと語り手の心情が顔を出す。そういう手法が普通なのだが、この作者の場合、まず語り手の心情Bが大前提としてあって、それに忠実であろうとするがために状況Aがいくつにも細分化されてしまう。普通なら状況の裏に隠れている語り手の心情が初めから顕わにされていて、状況は心の動きにつれて変化する背景と化しているのだ。それがこの詩集の大きな特徴と言える。冒頭近くで述べた「いっけん平明な詩のように見えるが」「見かけ以上に難解なところがある」というのは、こういうところを指している。読者はみな語り手と完全に一体化することは出来ないから、その心の動きについていくという作業はいっそう難解にならざるをえない。語り手の心情がまっすぐではなく曲りくねって伝えられているために、読む方からすると語り口は平明であっても語り手の心の動きについていくのが難しいということになるのだ。  しかし、私はそこにこれらの詩の美点を見たい。ここまで散々述べてきたようにそれは作者の誠実さから来るものであるし、ささやかで目立たないものであるとは言え、ある種のレトリックとして作用してもいるからだ。  これまで見てきたように、この詩集には物語はほとんどない。語り手の心の動きが詩集の中の主人公として立派に機能しているから、物語が入りこむ余地がないとも言える。だが、ひとつだけ例外がある。「エマ」と名づけられた作者の母の死をテーマにした詩がそうだ。 ?きもだめし?ってしたことある? 私はね 真夜中に墓地に忍び込んだことがある 墓地には灯りがひとつも無いから、真っ暗闇なんだよ 石の路を踏み外したら よろけて土の上 しっとりとやわらかい感触にビクリとした 一面の墓石がぼうっと闇にひそんでいたよ だけど会いたくて 勤め帰り 夜も深く沈んだのに エマが亡くなって四十九日目だったから こっそり会いに行ったんだ (「悲しい人いませんか?」部分)  珍しく誰かに語りかけるような口調で始まる。「エマ」と名づけられた亡き母に語り手は会いに行く。「石の路を踏み外したら/よろけて土の上/しっとりとやわらかい感触にビクリとした」という詩行は、語り手の心の危うさを表しているようにも見える。この詩でも相変らず語り手の心は様々な方向に動く。だが、それがこれまで引用してきた詩と決定的に異なるのは、その心の動きが「エマ」の死によってその死に沿うような形で動いているところだ。引用部分の後、「友達からメールが届」くが、それも「『メイが死んじゃった・・・』/一緒に暮らしていたシェパード/もう寿命だからと言っていたけれど、私も悲しくなったよ」と、「死」というキイワードに沿ってのことである。当たり前だと思ってはいけない。肉親の死という切実なテーマであればあるほど、作者はその切実さから逃れられないものであり、普通は「死」という一点に向かって言葉が凝縮していくはずなのだが、この場合「死」はそこに向かって凝縮するものではなく回転運動の中心軸であるような書き方が成されているのだ。つまり、「死」というものを中心にして、語り手の心がぐるぐると回っているような印象を受けるのだ。「死」を中心軸にして動いているから、どうしても「死」から逃れられないし、どうしても「エマの死」へと回帰せざるをえないような構造になっている。 今日なんだか悲しくなった。 茜色の空を見たとたんに この感じは そう たぶん きっとね、死んだ人の悲しみが映っているんだと思う 残していく人を想って どうか深く悲しまないようにって祈っているんだと思う それが茜色に染まって 私の中の霊がふるえるんだ だから友達みんなにメールを送るよ 『お元気ですか? お変わりありませんか? 私に届いた悲しみは、あなたのものではありませんか?』 (「悲しい人いませんか?」部分)  ここに引いた「この感じは/そう/たぶん」とひと言ずつ改行していく部分と、「それが茜色に染まって 私の中の霊がふるえるんだ」という一行も相変らず危うい感じがある。そして「友達みんなにメールを送る」のだが、それは自らの悲しみを確認すると同時にそれへの代償行為であるように見える。それにつづく「『お元気ですか? お変わりありませんか?/私に届いた悲しみは、あなたのものではありませんか?』」という問いかけは、「友達」への問いかけというよりは自らに向けての問い直しのように響く。そして、この詩は「悲しい人いませんか?/悲しい人いませんか?」という問いかけが繰返されて終る。この問いかけも、自らへの問い直しであり「悲しい人」は結局自分であり、それを再確認することによって「エマの死」を自らの内に大切にしまいこんでいるような印象だ。  引用した詩以外にも、ところどころで語り手の心は揺れ動いている。そこには女性らしい細やかさも認められるし、ひとりの生活者としてふと立ち止まってしまうがゆえの苦さもある。だが、語り手は「空に咲く」ことをあきらめていないように見える。それは生に対する誠実な態度であり、自らの心の軌跡をたどり直すことによって生まれてくる恩寵のような何かなのかもしれない。人が日々心の中でたどる回り道。その中で発せられるつぶやき。その過程を丁寧に記録したものとして、この詩集はある種の貴重な爽やかさを読者に与えてくれる。  五十嵐倫子『空に咲く』(二〇〇六年十月七月堂刊) (二〇〇七年七月) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■犬の登場する詩/木葉 揺[2008年1月29日1時25分] 批評には苦手意識を感じてしまうけど、書けるようになりたい。 重い腰を上げるには自分の好きなものと関連させてしまおう。 と思ったのですが、余計悩んでしまいました。 犬の詩は犬好きから冷静な判断を奪ってしまいます。 なので、失礼になってしまいますが、冷静な判断を失った言葉で 書きますが、感じたことを言葉にする練習として許してください。 「現代詩文庫56 吉原幸子詩集」(思潮社)から 詩集「幼年連禱」の「仔犬の墓」 もうタイトルの時点でずるいでしょう。 墓っていうだけで涙目になるのに、仔犬って! 第一連 地のなかに 仔犬はまるくなって お菓子の紙袋を前あ し抱いて 眠ってゐる お菓子の紙袋を!前あしに!(すみません) 時代ですね。今は「ドッグフードしか食べさせちゃダメ」とか 「おやつや料理もペット用のみ」という時代らしいですが 昔はあまり詳しいこと知らなくて、人間の食べるものをそのまま あげていました。 なので、「お菓子の紙袋」をお墓に入れる気持ちがわかります。 しかも「お菓子の紙袋を抱いて」出なく、「前あし」という単語 を入れるなんて想像しちゃうじゃありませんか。 ヤダ!想像したくない! 本来もの抱くような形でない「前あし」、 肉球の温かさを感じさせる「前あし」 でも実は、既に持つ力も温かさも失われているんですよね。 (中略) 二連目、三連目は 忙しくて相手にしなかったことや 病気に気づかなかったことへの侘びなどが書かれています。 最終連 しっぽといっしょにお尻までふってたおまへ なげたビ スケットをどうしてもうけとめられなかった おふるの 首わがゆるゆるだったおまへ 捨て犬でなくなってから たったひと月 あんなに いのちをよろこんでゐた は づかしいほどなめてくれた みつけてくれた おまへ 茶いろのやせっぽっち 愚かさほど愛情を刺激するものはありません。 犬は考える動物でありながら、「お尻をふる」という最も格好悪い 動作で喜びを表現する。 ビスケットを受けとめられなかったのには、 仔犬ならではの不器用さともとれるけど、 飲み込みの早い仔犬ではなかったという性格や個性も感じさせ、 無二の存在であったことが伝わってきます。 四行目の「いのちをよろこんでゐた」には考えさせられました。 それまでの言葉との触れ合いで培われたセンスが 思い出が押し寄せるときにも、こういう表現を生むのだなぁ、と 自分の犬との似たような体験を思い出しながら感心しました。 目に浮かぶ喜んでいる姿は、犬自身は他の事で喜んでいるはずだもの。 やはり溢れる感情のままのように見えて、作品として形となっている のだと思いました。 最後「茶いろのやせっぽち」で終わるところも、それを感じます。 でも単純に、だからお菓子を抱かせたんだな、 もうそれでいいじゃない!という気持ちにもなります。 吉原幸子本人が「幼年連禱・NOTE」の中で、納めた詩について 「作品としての不完全さの意識が、長い間、私に詩集をまとめる勇気 をもたせなかった」と書いています。 確かにその後の詩集の方が情の流れや風景やイメージが比較的、複雑 で奥深いと感じました。 どうなんでしょうね。何が良い詩なのか、感動させる詩なのか。 私は「仔犬の墓」に揺さぶられて、返って犬が出てくるの詩は素直に 評価しなくなりましたよ。 やはり犬や動物が好きでない人にとって、どう感じるのかを考えると 作品としての好みではない部分で、極端に読む人を偏らせてしまう。 あまりにも冷静さを失うので、他の詩と同列で読むことができないです。 なので、屁理屈かもしれないけれど、通常の「詩を読む」という行為 と離れたところで触れたい。 別のところで、思いっきり「大好きだ」と叫んでみたい作品です。 でも、詩を書いてない人に詩を紹介するときには、 その人が動物好きであれば真っ先に見せたいです。 宣伝効果抜群ですね。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■You?/2TO[2008年1月29日5時10分] 批評祭から遠くはなれてみる。 アフリカじゃ紛争が終わりそうもないし、パレスチナなんて終わりもまったくみえてこない。 一方で、キャンパスでメシ食ってのうのうとしてる奴だっているし…たぶん私だってそう。 誰かがカネをもうけてて、他のとこには何にも周ってこない。 それに人間はみんな罪背負ってて、どーにもこーにも赦されないらしいっていう、とんでもない不条理。 それに比べれば、ここや2ちゃんで誰かが起こしあってる応酬なんて、何てこともない。 私はチャップリンの「街の灯」っていう映画が人類史上一番の映画だと思う。 それには人間が生きていくってことが全部入ってるから。 「Be brave, Face life.(勇気を持て、立ち向かえ。)」ってチャップリンが自殺しようとした男に言う。 こんなたった4語で、生きていくのに一番大切なことが言える。 「You?」って、最後に眼が治った女性はチャップリンに言う。 それを聴いてチャップリンが笑う。ほんとうに嬉しそうに笑う。 どんなに人に、自分自身に絶望しているときだって、それを観ると必ず泣いてしまう。 少しだけ立ち上がろうという想いが湧いてくる。 「You?」っていうセリフは、全映画史を通じて最高のセリフだと思う。 凡百の詩句よりも詩篇よりも、この一言の方がずっとずっと強い。 映画批評とか映画史だとか……そんな論には表すことのできない素晴らしいものがそこにはある。 たぶん、この言葉ひとつでチャップリンはあの後ずっと生きていけるのだから。 そんなに長くも生きてはいないし、そんなに多くの人に出会ったわけでもない。 だけど悲しい人もいた。酷い生活の人も、そして、去りゆく人にだって会ってきた。 そこには様々に交わされる言葉もあった。優しい言葉、笑える言葉、 時には、ひどく傷つけあう言葉さえも。 詩や作品は、そういった感情や言葉が創り出した一片の雪の結晶だ。 それを読むこと、観ることは、あなたの静止した水面に雪が落ちること、細かにその表面を波立たせることだ。 震える湖面、その奥底にあなたが見つけ出したものこそが、たぶん「美しさ」と呼ばれるものだろう。 そして批評するとは、指を結晶に触れ、その体温をもって雪を水へと還すことでしかない。 ―――「触れること」。 その仕方によっては暴力でありうるだろう。また時には労わりを、優しさをもって抱きしめることでもあるだろう。 この腕、この指、あるいは言葉や眼差しによって、誰かの名づけられた感情や想いに自分の体温をうつすこと、 雪の冷たさを温もりとして、時には一粒の涙の代わりに、それを重力に乗せることであるだろう。 でもそれは結局、人が生きることでしかないのだ。 本当のことを言えば、誰かの詩の出来が良いか悪いかなどどうでもいい。 あなたが書きたいことを好きなように好きな言葉で書けばいい。 けれども、覚えておいてほしいと想う。 すべての詩、言葉において大切なのは「You?」と言えること、つまり、「あなたに生きてほしい」と伝えることだ。 そして批評において大切なのは、彼女が「You?」といった後に映し出されるチャップリンの笑顔の、そのまた後の、 スクリーンには映し出されることのなかった光景(シーン)を描き出すことだ。 それは、おそらく彼ら2人が互いの手を握ること、そして言葉と言葉とを交わすこと、 つまり「触れ合う」こと、人と人とが「生き合う」ことの光景であるはずだから。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■「散文的な夏」 岡部淳太郎 /たりぽん(大理 奔)[2008年1月29日19時12分]    私は冬が好きだ。周囲が生命にあふれるどんな季節よりも。雪深い雪原をトレースしていくとき、全ての冷たさの中で暖かい自分の体温を信じられる。吐く息に水蒸気が混じっているのが見える。大地の精気が星空に吸い込まれまいと戦っている音を感じる。一つ一つの命が大切に思える冬が好きだ。岡部淳太郎、その作品は季節にたとえると「夏」の匂いが濃いと感じる。むせかえる夏草の匂い。私が触れることのできた作品の多くにそれを感じる。突き進んでいこうとする季節の中で叫び、なき、いじけ、たじろいでいるように思える。私は夏は苦手だ。暑さや強い日差しもそうだけど、とにかく「よだきい」のだ。しかし、ここで季節の好き嫌いを戦わせるつもりは毛頭ない。  私が岡部淳太郎の詩について考えるとき、ついその「夏性」にとらわれて作品と言う「個」ではなく岡部淳太郎という「場」を評してしまいそうになる。それは作品群に一貫して流れる地下水脈のようなものを強く感じるからだろう。深く静かに枯れることなくそれは作品を育てていく。同じ水と同じ土に毎回撒かれる「詩」という作物。そのひとつがこの作品だ。そしてそれは決まったように夏に収穫される。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=45908 「 散文的な夏 」  岡部淳太郎   冒頭からの四つの連のなんという密度。これは夏の日差しではなく、それが焦がす存在の影だ。歩きながらその速度で追いかけていく作者と追い込まれていく影。陽炎がゆらめきアスファルトが溶け、夏がそこに存在する。それはとても「散文的」に。文型的に散文という視覚的な試みを意図しただけにとどまらないその密度に私は苦手な夏を感じる。真冬に読んでも暑苦しい。それほどまでに、夏は作者から発散されたと思う。  作者は後半、夏から季節を移そうとするかのように歩みを緩める。立ち止まり、自らの中にある「汚れ」を見つめる。汚れとは何なのかを解析しても仕方のないことだろう。ずれていったもうひとつの夏それが「おまえ」。暑苦しすぎる夏を抜けて立ち止まったときに見上げた空はやっぱり夏だっただろうか。    春や秋、そして冬が巷にはあふれている。だからこそ夏が、岡部淳太郎の存在感が増してくる。蒸し暑さと激しい日差しはきっと容赦なく照りつけるだろう。そして私はきっと「よだきぃ〜」と思うのだろう。でもその季節をくぐり抜けなければ四季はめぐらない。夏は場に左右されてはいけない。 追われてゆく 夏を 静かに死なせよ 空の句点の中心に 夏を そっと投げこめ 想いは強い日差しに隠されて輪郭をはっきりと見せない、ずれていったもうひとつの季節への挽歌。真夏の挽歌。ん〜やっぱり暑苦しいのは苦手だ。考えがまとまらない。 最後はやけくそ。夏は苦手だけどね、この詩はとっても心に残ってるよ岡部さん!!(ああ、感想文になっちまった) (文中敬称略) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■難解さへの接近/岡部淳太郎[2008年1月29日20時39分]  実を言えば、詩の現場で実際に書きつづけている人々にとっては、外部の者がどう言おうと関係ないのである。それぞれがそれぞれに優れた詩を書きつづけていれば良い。詩に向かう動機や信念は人によって様々であろうから、それに口を差し挟む必要もない。詩の書き手はいつもそれなりの敬意を持って詩に接している。その態度に揺らぎはないだろう。だが、時にどうしても詩の外部から向けられる声が気になってしまうことがある。昔からずっと言われつづけてきた「詩の難解さ」ということを始めとする、詩に興味を示さない人々の視線が気になって仕方がないことがある。  詩という文芸ジャンルは、特に日本においては周囲の動向を無視して気ままに歩いてきたように見える。だが、それと同時に詩ほど外部の声を気にしてきたジャンルも他にないのではないだろうか。一般の読者を置き去りにしつつもいっぽうで彼等に色目を使う試みを何度も繰り返してきたのが詩であり、そのようないっけん矛盾しているとも取れるような心理は詩のアイデンティティの不安定さを表しているようにも思える。いわゆる「難解な詩」がいくつも書かれるいっぽうで、幾度もわかりやすさへの接近が試みられ、押韻定型などの古い源流へ遡ろうとする動きがあった。詩は前に進もうとしてもなかなか進めずに、何度も足踏みをしてきたようにも見える。そうまでして詩を立ち迷わせている心理とはいったい何なのであろうか?  ひと口に詩といっても、その適用範囲を思いつく限り大きく取ってみれば、詩という名の下に様々な形態のものが表われてくる。一般人にとってもっとも親しみのある歌謡の詞、わらべうた、短歌や俳句などの伝統的な短詩定型、あるいは漢詩、あるいは宗教的な祈祷や呪文の言葉も詩であるかもしれないし、「おまえは詩人だな」と言う場合や日常生活における抒情的な場面での「詩」もあれば、近代詩や現代詩もある。このように詩という言葉が示す範囲は非常に広く、それは詩の守備範囲の広さを示すと同時に、他方では詩の立場の危うさ、詩の不安定さを示してもいる。それらひとくくりに「詩」と呼んでしまえそうな様々な小ジャンルの中で詩は揺らいでいる。また一般の人々の方にしてみれば、別に現代詩でなくても詩を享受する方法はいくらでもあるから、あえて小難しいイメージのある現代詩になど近づこうとはしない。他に取替え可能なものがごろごろ転がっているのだから、手軽に入手出来る「その他大勢」を選ぼうとするのはごく自然な成り行きであると言える。ひとつのジャンルが果てしなく細分化し複雑化するのは現代社会の常であるが、日本における「詩」という概念はとりわけそれが著しい。現代詩はそれらの同じく「詩」と名づけられた隣人たちと肩を並べて、いささか居心地の悪い思いをしているように見えてしまう。  詩のこうした曖昧模糊とした感じが人を詩から遠ざけると同時に、詩の自立をさせにくくしている。どうしても外部の声を気にしてしまうのは詩がマイナージャンルであるがゆえなのかもしれないが、そうして外部の声を気にしつづけることで、よりいっそう詩は不安定になっていっている。他者の視線を考慮に入れることが自立を阻んでしまっている。たとえば「わかりやすい詩」とはいったい何であろうか? 単純に言えば、詩に関係のない一般の人々であっても読めばすぐに了解出来る散文的な文脈で書かれた詩のことであろう。一種の読者サービスと言ってもいいかもしれないが、サービスとはいつもオプションであるべきであり、サービスすることそのものが本意であってはいけないと思う。わかりやすい詩がいけないというのではない。結果としてわかりやすくなったり、そのようにしか書けないとかそのように書くことが合ってる等の理由でわかりやすいものになっているのであればいいのだ。そうではなく、最初から一種の態度として読者を意識して目指すわかりやすさというのがいやらしいのであり、やや大げさに言えばそれは詩の中心にあるべき内実がないままで書かれてしまっている。それは、そうした読者サービスとしてのわかりやすさを目指す書き手の多くが忌み嫌う、「現代詩壇」的な難解さのドグマに落ちこんでがんじがらめになっている詩と同じ過ちを犯しているのだ。両者に共通するのは内実がおろそかになっているという点であり、外面の意匠としてのわかりやすさや難解さの皮を剥いでみれば同じ荒涼が広がっているのだ。  私は表面的な意匠としてのわかりやすさが詩を救いうるとは思っていない。そんなものはたわごとであると言ってもいいくらいだ。詩の朗読を私もやることがあるが、それはあくまでも趣味としてであり、詩を朗読することが詩の読者の裾野を広げるなどとは信じていない。それは一種の迷妄であり、詩の本質や社会的立場を考慮に入れることのないおめでたい考えであると思っている。詩とは書くことによって常に差異が意識されるものである。一般の人々との差異。社会や時代との差異。これまで書かれてきた多くの詩作品との差異。日常言語との差異。大文字の「詩」との差異。そうしたもろもろの差異を抱えこんだ危険物として詩はあるのであり、決して外部と同調するためにあるのではない。また、多くの差異を抱えているがために、詩はいつも分裂している。だからこそ不安定であるのかもしれないが、少なくともその分裂が詩を詩たらしめてきたのであり、こうした差異や分裂が本質的に存在しているからこそ詩は難解なのだ。それは表面的なわかりやすさや難解さと関わりなくあるものだ。つまり、表面的にわかりやすい詩であっても、それが詩である以上は必然的に難解さを孕んでしまっていると言えるし、詩を書くということは、そうした難解さへと接近することでもあるのだ。  いっぽう詩の外部にいる一般の人々に対しては、変な幻想は捨てた方が書き手にとっては良いのだろう。詩がここにあってなおも日々書きつづけられているのは事実だが、だからといって人々は簡単に振り向いてはくれない。私は最近よく詩の社会的立場というものを考えるのだが、それを思えば詩に関わりのない普通の人々が詩を(とりわけ「現代詩」を)気にしてくれる可能性は限りなく低いと言わざるをえない。私の考えでは詩が人々に受け入れられないのは、そうした詩の社会的立場とともに、日本人独特のものの考えや時代的背景等もかなり影響していると思う。ひとりの書き手が頑張ってどうにかなるレベルを越えていて、一筋縄では行かないところまで来ているのだ。そうでなければ、これまでさんざん詩と読者の関係が言われ、詩の現場の方でもそれなりの試みをしてきたのだから、この問題はとっくに解決していてもおかしくはないだろう。  詩とは誰のためにあるのでもない。作者のためでも読者のためでもないし、ましてや「詩壇」のためにあるのでもない。詩は詩としてそこに静かに存在するだけだ。書き手としては、とりあえず書いていき、そのいっぽうでそれぞれの人生を生きていくしかない。また、詩の外部の人々も同じように生きていくだろう。その両者が出会うことがあるとすれば幸福なことに違いないが、幸福とは目指すべきゴールではなく、ひとつの結果として恩寵のようにもたらされるべきものなのだ。 (二〇〇八年一月) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■怠惰な物差し ??あるいは違犯と視線について/岡部淳太郎[2008年1月29日21時58分]  個人と社会の関係性を考える時にどうしても気になるのが疎外の問題だ。気になるというよりも、個人的にはぬきさしならない命題として私の頭の中に長年こびりついてしまっていると言った方が良い。恥ずかしい話だが、基本的に社会生活というものが苦手で自ら進んで群衆の外に身を置きたがる悪癖が私にはある。だから、どうしても社会から疎外された個人という問題が気になってしまうのだ。  筆者の個人的な話はこれくらいにして先に進もう。いま私が考えているのは「違犯と視線」ということだ。違犯とは平たく言えば社会からの逸脱であり、視線は逸脱したものを眺める人々の眼差しということで、この二つが合わさった相乗効果によって個人は社会から疎外される。このへんの構造を少しばかり考えてみたい。  違犯という言葉を辞書で引くと、「法令にたがい、罪を犯すこと。法を破ること」(『広辞苑 第二版補訂版』)と書いてある。この定義に従うと法律に抵触した者、いわゆる犯罪者のみを扱うということになるが、これだけでは私が考えている問題をカバーするには足りない。ここではそれを、前記の定義に加えてかなり大ざっぱに「社会の秩序やその空気を乱す、またはその恐れがあると考えられる者」として論を進めたい。  世の中には数え切れないほど多くの人間が住んでいて、その個性はそれぞれにばらばらで千差万別だ。そのばらばらな個人を束ねるのが社会というシステムであり、それを十全に機能させるために法律や常識といったものがある。人が日常を生きるということは社会の中で生きるということであり、個人の力に限界がある以上ほとんどの人は社会の中で社会のルールに従って生きることを選ばざるをえない。より正確に言えば、幼い頃から社会の中でまっとうに生きることを周囲から教育されて育つことで、そこにモラル感や人が先天的に持っている自己防衛本能などが働くことによって、社会の中でまともに生きなければならないという意識が育てられていくのだ。だが、最初に書いたように人の個性は千差万別であり、時に社会の枠からはみ出した個性を持つ者が出てこざるをえない。そのような突出した存在が現れるのを社会は望んでいない。社会の中の一構成員として過不足なく生きるのに成功している人たちも、そのような存在を望まない。というより、疎ましく思ってしまうようなところがある。何故なら彼等はそれぞれ独立した個人でありながら、いっぽうでは社会に溶けこんで十全に生きているという時点で社会全体の意志を代弁する者になってしまっているからだ。こうして突出した存在は社会から疎外される。精神的にも物理的にも疎外されて、後にも先にも行けない状態になってしまう。  ここで言う「突出した存在」とはすなわち存在そのものが違犯であるような人間、または意識してか無意識のうちにか違犯としての部分を抱えてしまった人間のことである。その違犯とは先ほど挙げた法に背くことだけに限らない。人より行動や思考が鈍かったり、何らかの病気に罹っていたり、背が低い醜い容姿をしている等の身体的特徴であったり、特異な趣味嗜好を持っていたりと、およそ人間が持ちうるありとあらゆる「個性」が挙げられる。言い換えれば人は誰でも違犯者になりうるのだ。卑近な例を挙げると、知能に優れた者が学者たちの中にいても目立たないが、普通の人々の中にいれば「あの人は学者さん」ということで自分たちとは違う存在として見られてしまう。その時々で属する場所によって、優性は容易に劣性に転化しうるのだ。社会の中に数多ある小さな共同体はそれぞれに社会全体の縮図であるから、その共同体の意にそぐわない者は異端になってしまうし、逆にその個性が共同体の質と似通ったものであればその心配もないということだ。私自身も経験のあることだが、普段の近所づきあい等においては「詩を書いている変な人」という目で見られていても、同じような詩を書く人々の集りに参加すればそのようなこともない。むしろ能力によっては賞讃されることすらある。それと同じことだ。  このように高度に複雑化した現代社会においては、誰でも違犯者のレッテルを貼られる危険性がある。それぞれの個性が社会全体から見て特殊なものであれば、その危険はいっそう増していく。だからなのであろうか。種々雑多な個性が多く集る都市部であるほど人と人の間に距離感がある。それは他人の個性を極力眼に触れないようにしてやり過ごそうとする現代人特有の生活術であるのかもしれない(逆に言えば、その距離が小さい地域ほどそこに住む人々の個性に大きな隔たりがないということでもある)。そうして人々の間の関係性が希薄になってくると、他人を理解しようという気持ちが次第に失われていく。そうすると、他人を単純に図式化して便利な物差しで計ってしまおうという気持ちになるものだ。それは何も違犯者だけに向けられるものではなく、こういう仕事をしているからこうなんだろう、あの大学を出たんだから偉いんだろうと、社会的に見て有益と思われる特徴に対しても単純な図式を当てはめて見てしまう。ましてやそういう思考法が違犯者に対して向けられると、人々の視線は冷たいものにならざるをえない。他人について本当に理解しようと思わないから扱いはぞんざいになるし、他人のことを本当に考えようとしないから自らの心も人からの良い影響を受けずに狭い範囲に留まったままになってしまう。そこから現代社会が抱える人間の関係性を軸にした諸問題までの距離はほんの一歩であろう。  他人に単純な図式を当てはめて、何となくわかったつもりになるのは罪深いことだと思う。そうして当てはめた図式は便利な物差しではなく、怠惰な物差しであるということに気づくべきであろう。突出した個性を持つ者を前にして「きもい」のひと言で済まそうとするのは、個性の異なる者を最初から締め出そうとする態度であり、そこに留まったままではお互いに成長は望めない。長い目で見れば自分にとっても非常に損なことをしているのだ。また、違犯という言葉の本来の意味に立ち返ってそれを法を犯してしまった者としてみるならば、「犯罪者」として白眼視することで彼が社会の中でやり直そうとするのを妨害していることにもなり、それが再犯を誘発することになるのであれば社会全体にとっても好ましくないだろう。  言ってみれば、違犯者を違犯者としてのみ見ることは、彼を社会全体から疎外すると同時に、そのような視線を送る自分自身をも疎外させているのだ。いじめをした者はその自覚がないということがよく言われるが、それ以上に違犯者を疎外することによって自分自身も疎外しているということにほとんどの人は気づかない。そこに気づくことが出来ないのは、忙しい現代社会でその日一日を生きることにせいいっぱいの現代人の限界であるのかもしれない。だが、怠惰な物差しで簡単に規定できるほど人は単純ではないということぐらいは気づいてもいいだろう。誰もが多かれ少なかれどこかはみ出した部分を持っているのであり、違犯者になりうるか否かはそのはみ出し方の多寡でしかないのだ。結局、異常だとかおかしいとか言われている者は人よりも多くはみ出しているというだけで、本質的に考えればいわゆる普通の人との間に差異はない。現代という時代の複雑さは人々を等価にする。昔ならば富豪と貧者の間には明確な線が引かれていたかもしれないが、現代にはそのような明確な区分は存在しない。だから誰もが一夜のうちに英雄になれると同時に、違犯者として落ちぶれてしまうこともありうる。違犯者を眺める視線が怠惰であるのは、彼が違犯しているという「いまこの時」しか見ていないからであり、もしかしたら他にありあまるほどの美点があるかもしれないのに、違犯しているということのみによって彼の全人格を規定しようとするからだ。そのような視線を送っていた者が、違う時や状況の下では新たな違犯者となってしまうかもしれない。明日はわが身なのだ。人を図式化して見るのは真の理解ではなく、狭い自我への退行である。あまりにも多くの他者が生きている社会においてすべての見知らぬ他人への理解を望むことは不可能であろうが、願わくば、他人に対して礼を失することのない優しい社会であってほしいものだ。 (二〇〇八年一月) ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭参加作品■吉野弘氏への手紙/服部 剛[2008年1月29日22時26分]  今僕は、ショパンの曲を聴きながら、以前古本屋で手 に取った「吉野弘詩集」を開いています。薄く赤茶けた 表紙の中心には太陽らしきもののデッサンが描かれてい ます。なにげない日常の場面を描いた「夕焼け」という 詩は、だいぶ前に初めて読んだ時から印象に残り、その 詩情はいつまでも心から消えることなく生き続けるのは 何故だろうと問いながら、僕はふたたびこの名詩を読も うとしています。  いつものことだが  電車は満員だった。  そして  いつものことだが  若者と娘が腰をおろし としよりが立っていた。 うつむいていた娘が立って  としよりに席をゆずった。 そそくさととしよりが坐った。  礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 娘は坐った。 別のとしよりが娘の前に 横あいから押されてきた。 娘はうつむいた。 しかし 又立って  席を そのとしよりにゆずった。 としよりは次の駅で礼を言って降りた。  娘は坐った。  二度あることは と言う通り  別のとしよりが娘の前に  押し出された。 可哀想に  娘はうつむいて  そして今度は席を立たなかった。 次の駅も 次の駅も  下唇をキュッと噛んで  身体をこわばらせて----。  僕は電車を降りた。 固くなってうつむいて 娘はどこまで行ったろう。  やさしい心の持主は いつでもどこでも  われにもあわず受難者となる。 何故って やさしい心の持主は 他人のつらさを自分のつらさのように 感じるから。 やさしい心に責められながら  娘はどこまでゆけるだろう。 下唇を噛んで つらい気持で 美しい夕焼けも見ないで。   誰もが身を置く電車の中で(いつものことだが若者と 娘が腰をおろしとしよりが立っていた。)という詩が始 まって4〜6行目ですでに、人間の自己中心性と、この 世の縮図が垣間見えます。この詩の中で一番姿が浮かび 上がる(うつむいた娘)が二度としよりに席をゆずった その美しい心は、無情なこの世の片隅にそっと咲く一輪 の花のようです。   娘が席を立ち、立っていたとしよりが腰をおろす、そ のひと時の間に「人としてかけがえのない 何か 」があ るのを感じます。二人目のとしよりに席をゆずった娘も、 三人目のとしよりには席をゆずれなかったという人の心 の弱さにまなざしを注ぎ、うつむく娘に(可哀想に)と 語りかけるところに、この名詩の本質があるのでしょう。 そして、電車を降りた僕が駅のホームに立ち、美しい夕 焼け空をみつめながら、三人目のとしよりに席をゆずら ず、(下唇をキュッと噛んで身体をこわばらせた娘)に 想いを馳せ、(やさしい心の持主はいつでもどこでもわ れにもあらず受難者となる。何故ってやさしい心の持主 は他人のつらさを自分のつらさのように感じるから)と 心に呟くところにこの詩の核心があり、読者の心に消え ることの無い灯をともすのでしょう。  今から五十年前に書かれたこの一篇の詩の中にいる娘 は、いつまでも読者の心に生き続けるでしょう。そして、 (やさしい心に責められながら)電車の席に坐り、何処 かの駅へ運ばれてゆく娘に(可哀想に)というまなざし を注ぐあなたの詩魂を、かけがえのない宝物のように、 僕はそっと胸にしまい、この詩集のページを閉じること にします。    * 文中の詩は「現代詩文庫12 吉野弘詩集」     (思潮社)より引用しました。   ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]批評祭遅刻作品■時を止める?「殯の森」と「ノスタルジア」における垂直のメタファー/渡邉建志[2008年1月30日2時02分] (http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=168092の冒頭に転載) 映画は時間とともにヨコに流れる「時間芸術」である。しかし、それはときに、一瞬にして強く深くタテへ垂直に食いこむような感銘を観るものに与えることがある。そのタテに喰い込んだ感銘だけで、その映画のことを覚えていられるし、逆に言うとそういう時を止める強度のない映画に興味はない。そのショットにおいては、宇宙観、世界観ともいうべきビジョンが、時間軸に垂直に、(ぐわっと)広がる。そういったショットは、作家の絶対的確信を持って撮られているものだということには、間違いがない。作家は必ず強い確信を持って、あるショット、ここぞと言うショットを撮らねばならぬ。たとえ、見るものが、「この場面はいったい何を意味しているのか分からない」と思っても構わない。「何を意味しているか分からないけれど、とにかくこのショットには作家の並々ならぬ切実さがある」と思うならば。 時を止めるということ。切実なメタファー。 大江健三郎が「オペラをつくる」(岩波新書)で、映画と小説を比較してこんなことを述べている。 小説の場合、時計の針をいったん止めて、その瞬間での情景を説明をする事ができる。たとえば、馬車が走っているシーンでは、馬車には屋根が付いていて、屋根の上にはシェードみたいなものが縛りつけてあって、御者の横には女が乗っている、ということが語られる。そしてまた、時計の針が進行しはじめる、「馬車は走っていく…」というふうにして。 一方、映画の場合は、時間を止めることができないために、いつも現在としての場面を呈示することになり、メタファリックに拡がる瞬間がない、と、ある若い学者が言う。ところがたとえばタルコフスキーを見れば、情景が進行しているのだけれども、そこにひとつの大きなメタファーが停止したように拡がるのを確認することができる。このように大江は語る。 タテにメタファーが直立して拡がり、それがメトニミックに物語を横につなげていって、そしてまたメタファーがタテに拡がる、そのように進行していくものが、小説のみならず映画でも可能であるということ。世界とはこういうものだというビジョンが一挙に提示されるメタファー的な瞬間が、なんとかかんとか物語の軸において、時間を与えられつながっていくということ。(物語というものは直立するメタファーを横につなげるための装置にすぎない、などというと極言だろうか。)そのビジョンなりメタファーなりが、魂の救済と強く結びつくとき、アンドレイ・タルコフスキーの映画の宇宙は、見る者の心の中に立ち現れ、拡がり始めるだろう。 僕はビクトル・エリセとアンドレイ・タルコフスキーと佐々木昭一郎が好きなのだけれど、同じくこの三人を好みの作家に挙げる河瀬直美の「殯の森」を見ながら、大江健三郎が武満徹に語りかけていたこの「縦に拡がるメタファー」ということを強く思い出さずにはいられなかった。「殯の森」はストーリーとしてはややリアリティに欠け、横の展開で人を惹きつける映画だとは言いがたい。しかしながら、ところどころに「縦」の瞬間が露呈するところにこの作品の魅力がある。 最後のシーン。主人公の初老の男性が穴を掘る。とにかく掘り続けている。なぜ掘るのか分からないまま、われわれは彼が穴を掘り続ける行為を見続けることを強要される。見る人によっては、単に退屈でつまらないシーンかもしれない。しかし、その行為には、無目的的に見えるがゆえにかえって何らかの彼にとっての切実さが伴っているようにも感じられる。その切実さに共振しえた時、見る人のなかにひとつのメタファーあるいはビジョンが拡がるのだ。このシーンの切実さは、演技者、キャメラ、音声、監督、その場にいたすべての人たちに貫通しているように感じた。そしてその切実さは見る者へまで突き通り、その心の中で拡がりうるものではなかったか。 彼は穴を掘ったあとに、穴にうずくまって寝転がる(この行為もまた何のためだか分からない)。そこへ空からヘリコプターの音が降り注いでくる。ストーリー的に解釈すれば、このヘリコプターは山に遭難した彼の救助のために来たにすぎない。しかし、ここで(映されることのない)ヘリコプター=彼=穴の垂直の関係のなかに、「殯の儀式を終えた彼への天からの祝福」とでも言いうるメタファーが拡がっていないだろうか。それはたとえばタルコフスキー「ストーカー」におけるゾーンの「部屋」に降り注ぐ祝福の雨のようなメタファーだ(これもまた天からの垂直な運動)。 「何かを信じて」穴を掘るという行為の切実さは、同じくタルコフスキー「ノスタルジア」の温泉のシーンにおけるろうそくの火渡しの行為の切実さと同種のものだ。「ノスタルジア」のこのシーンにおいては、主人公が手に持ったろうそくの火を対岸のろうそくへ点けようとして、こちら側の岸からゆっくり歩いていくのだが、風が強くて途中で消えてしまう。すると主人公はまたこちら側の岸へ戻って、延々と同じことを繰り返す。シーンはカットされず、ろうそくの火が無事に対岸に着くまでキャメラは回され続けるだろう。その過剰なまでの切実さ。ある人はこの長い長いシーンを退屈の一言で片付けるかもしれない。しかしその切実さを汲み取るものには、その「行為」がいかに彼らの魂(とその救済)に深く突き刺さっているかを感じ取るだろう。その過剰なキャメラの長回しにおいて、たしかに時間は流れているけれど、本当に時計の針は動いているのだろうか?ひとつの切実なメタファー/ビジョンが演技者とキャメラと観客を貫いて拡がるとき、それは止まっているのではないか? 映画を見るとき、不意討ちのように、われわれはこのような強くて深くタテに垂直に入り込むようなビジョンを目撃することがある。そのような体験を求めて、いつも期待はずれに、僕は映画を見続ける。 ---------------------------- (ファイルの終わり)