虹村 凌[遺書] 2009年6月30日23時51分から2009年7月2日22時47分まで ---------------------------- ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]遺書(1)/虹村 凌[2009年6月30日23時51分]  俺は書きかけの遺書をクシャクシャに丸めて、ゴミ箱の方向へ適当に放った。もう、これで六度目である。今日一日で、六度も遺書を書き直している。今週に入って、七十四回、今月で百八十六回も書き直している。  特に莫大な財産がある訳でも無く、必要無いと言えば必要無い。自殺する予定でもないのだが、動物とは何時死ぬのかわからぬのである。備えあれば憂い無し、死ぬ前に何かの形で自分の気持ちを、意思を、残しておいて悪い事はあるまい。  ところで、何故にこうも書き直しているのかと言うと、俺は遺書に完璧性を求めているからだ。遺書とは、その人の最後の言葉であるからして、その人の全てなのである。その人の全てが、そこに表現されるのである。故に、ミスは許されない。誤字脱字など以っての他。文法的誤り、熟語の使用方法、その他全てにおいてミスは許されない。  美しい遺書を書く為に、ペン字講座にまで手を出したのだ。しかし、途中で「日本人ならば、ペンなどと言う洋式よりも、筆であろう」と思い、習字講座に変更した。  しかし、なかなか理想の遺書は書き上げられぬ。思った様に滲まず、思わぬ所で滲み、思った様に掠れず、思わぬ所で掠れる。なかなか、思い通りに行かぬのである。少しでも思い通りに行かぬ場合、それは失敗とみなされ、先ほどの様に、クシャクシャに丸められ、投げ捨てられる。  俺はホープに火をつけると、深く吸い込み、大きく吐き出した。灰色の煙が固まりになって、俺の目の前で踊る。ナメクジの交尾のようにグルグルと周り、そいつはやがて上昇して、消えていく。  ふと思い立ち、俺は立ち上がった。ポケットの中の小銭を確認すると、家の鍵を掴んで外に出た。カーテンを閉め切っていたお陰で、外がどのような明るさなのか理解していなかったが、外の世界は朝とも夕方ともつかぬ、薄暗い曇天であった。ホープを排水溝に投げ捨てて、一度大きく伸びをしてから、自動販売機のある方向に向かった。  自動販売機に向かう途中で、現在は平日の朝である事を知った。どうも、スーツ姿のサラリーマンが多い。OLや学生もいる。これは、間違いなく平日である。そして、朝である。何故なら、それぞれの顔が、色々な期待や欲望に溢れているからだ。夕方であれば、それらの顔に浮かぶ欲望や期待と言うのは、食欲と睡眠欲に限られてくる。少なくとも、俺はそう思っている。ところが、朝の顔と言うのは面白い。色々な事を考えているであろうその顔は、実に私の想像力をくすぐる。  何かよからぬ事を考えている者、本日の予定に絶望しながらも打開策を練っている者、素晴らしい一日になる事を信じている顔。そのそれぞれが、何らかの理由によって支えられているのだろう。テレビや雑誌の占い、前日の行動や言動、それも他人の行動や言動まで含めれば、色々な事が考えられる。  一番面白いのは、男女で通学したり、通勤したりするカップルである。彼らは、会話をしたり、しなかったりする上に、その会話の内容も千差万別である。下さない話から、真面目な議論まで幅が広い。面白いのは、下らない話の方である。何故、その会話に至ったのか。会話の切欠なんぞ、そこらじゅうに転がっているのであるが、しかし、その会話に至った経緯が気になる。例えば、昨日職場で見かけた女性の服装等が話題である場合、何故、今日になって昨日の話をするのか。ただ単に昨日は忘れていたのか、何らかの拍子に思い出したのか、それとも似たような服装の人物とすれ違ったのか。他にも色々あるだろう。そのファッションを肯定したり否定したりを繰り返しながら、その幸せな空気を辺りに発散している。そしてそれに無自覚である場合が非常に多い。個人的には、そのどちらかが冷静になり、周囲を意識した瞬間、と言うのが面白い。挙動がとたんに堅くなる。その無様さは、見るに耐えないのだが、面白いのでついつい見てしまう。  そんな短い間の人間観察の何が面白いかと言えば、その様に一瞬だけすれ違ったりする見知らぬ人間が、この日本国に一億人以上存在し、それらの内3000前後の人々が日々死ぬんである。誰が予想しようか?その多種多様な顔をした人々が、今日死ぬとは思わぬ人々が…中にはいるかも知れないが…、一日で3000前後、と言う俄かには信用しがたい数字を残して死ぬんである。  勿論、その3000人の中に、俺が何時入るとも知れぬのだ。だから、俺は遺書を書く。書きたい。書こうと思っているのだ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]遺書(2)/虹村 凌[2009年7月2日16時45分]  果たして、俺は目的の自動販売機の前に到着した。俺が欲する飲み物は、あまりメジャーでないのか、近所ではここの自動販売機にしかない。俺はポケットの中から小銭を取り出し、投入口に入れた。チャリン、と言う音を立てて一枚だけが返却口に落ちてきた。少しばかり、苛立ちが募る。俺は乱暴にコインを取り出し、再び投入口に入れた。ようやく、自動販売機のボタンが緑色に輝いた。ゆっくりと、その中の一つのボタンを押した。ガシャン、と言う音と同時に、取り出し口の中に缶が転がった。  俺は身を屈め、その缶を取り出そうとした瞬間に、苛立ちが沸点に達しそうになった。俺が好き好む炭酸飲料のボタンを押したにも関わらず、飲みたくも無い清涼飲料水、ピーチネクターが出てきたのだ。ボタンを押し間違えたのか?まさか。何時ものボタンを押したのだ。配置だって変わってた訳じゃない。俺はピーチネクターを自動販売機の足元に置くと、ポケットの中に残っている小銭を確認した。もう一本なら、買える。再び、その小銭を投入し、その炭酸飲料の配置と、それに対応するボタンを確認して、ゆっくりと、力強く、ボタンを押した。  ガシャン、と派手な音を立てて、缶が落ちてきた。俺はゆっくりと身を屈め、缶に手を伸ばす。今度はピーチネクターではない。しかし、どうも俺が飲みたい炭酸飲料の模様にも見えない。ゆっくりと缶を掴み、取り出して見た。それは、見た事も無い缶珈琲であった。俺は身を起こし、足元に置いてあったピーチネクターを掴むと、思い切り自動販売機に投げつけた。  ゴキン、と言う音がする。遅れて、自動販売機が警報音を響かせ始めた。俺はゆっくりとホープを取り出し、火をつけて、大きく吸い込んだ。煙が、肺の中に満たされるのをイメージしながら、ゆっくりと吐き出す。肺の中の息を吐き出しきってから、思い切り自動販売機に蹴りを入れて、俺はその場を後にした。  気分転換を図ろうとして、こうも苛々するとは思わなかった。今日はもう遺書を書くのをやめた方がいい。こんな気分じゃ、まともな遺書なんざ書けるはずがない。俺は腐る気持ちを、かろうじて落ち着かせながら、自分の部屋へと帰る道を歩いた。  カーテンで閉ざされた暗い部屋に戻ってくると、少しは気分が落ち着く。だが、急がねばなるまい。俺には残された時間が少ないのだ。  「30代以上の人間を信じるな、Do not trust over the thirty」この格言通りであれば、あと五年と半年で、世界の真理が手に入る。既に手中に収めている事も、無きにしも非ずだが、それはあまりにも、自分自身を高く評価し過ぎだろう。  別段、その世界の真理を手に入れたいが為に生きている訳ではない。しかし、手に入るのなら、手に入れてみたい。ただ生きていれば手に入るものでもなかろうし、もし手に入れたとしても、それは俺だけの真理であって、誰かが理解出来る訳でもないだろう。ただ、考えねばなるまい。足掻け、悪掻け。あと五年半。五年半経って、それでも手に入れられない事も考えられるが、もし手に入れて、それを忘れるくらいなら、俺は。  カーテンの隙間から差し込む光が、丸めた遺書の上を通って、俺の右足を焼いている。眩しいその一条の光は、痛みさえも感じさせず、ただただ、俺の足の一部を真っ白に焼いていた。  俺は机に歩み寄り、下書き段階の遺書を手に取って眺めていた。今俺が死ねば、これが遺書になってしまう。だから、死ぬ訳にはいかない。出歩かなければ、少なくとも死ぬ確立は随分と低くなるだろう。間抜けた事故死なんてごめんだ。通り魔に殺されるのも、阿呆臭い。早き遺書を書き上げて、外の世界を闊歩できるようにならなくては。そしてその制限時間は、あと五年半しかないのだ。  何時か、何時かきっと書き上げる。そんな事では、到底書ききれるものじゃないだろう。人間はいつもそうだ。何時か、きっと何時か。後回しにした課題を、間際になって解決出来た例は無い。だから、早く書き上げねばなるまい。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]遺書(3)/虹村 凌[2009年7月2日22時47分]  一条の光。今までの人生で、何度かその光を目にした事がある。絶望、それも深い絶望の中にも届く光は、どんなに心を奮い立たせる事か!狂信とも言える程に、その光を盲目的に信じ(光を盲目的に信じる、と言うのは可笑しいけれど)、我武者羅に進む事が出来る。その結果、絶望に死ぬ事は無く、晴れて、生き延びる事が出来た。そうそうある事ではないが、そう感じる事はいくつかあった。勿論、その光有るが故の副作用とも言うべき、負の効果もある。信用や金、その他の何かしらを失っている。絶望の中で死ぬ代わりに失うのだから、俺個人としては、それほど痛手でもない。絶望の中で死ぬ代わりに記憶を失う、などと言われたら、俺はかなり悩んだ挙句、死ぬ方を選んでしまいそうだが…。  俺は手に取った、下書き段階の遺書を眺めながら、そんな事を考えていた。ホープを取り出し、口に咥えて、再び遺書に目を落とす。この下書きも、下書きの下書きを元に作ったものだし、その下書きの下書きは更にその下書きから書き、その下書きは下書きとも呼べぬメモの様なものから作成されたのである。どうしてそこまで遺書を書きたいのだろうか、と自分でも不思議に思う。おそらく、最後まで格好をつけたいのだろう、と思う。何時死んでも格好がつくように、遺書を書き上げ、この恥と屈辱の多い人生を多少なりとも格好良く演出したいのだろう、と言う結論に至った。既に格好のついていない人生なのだから、最後の最後に格好をつけても、そんなに決まらないと思うのだが、どうしてだか、俺は格好付くと思っているようだ。  そんなところだけ格好ついてもな、と呟いて、俺はホープに火をつけた。短いその煙草、名前をホープと言う。俺は小さな希望をポケットに入れて歩いているんだぜ、と言ってみたいのだが、未だにチャンスに恵まれていない。どれ程ホープを吸い込もうと、特別な事はある訳でもなく、日常に特別な希望も現れたりしない。長い目で見て、薄い希望を垣間見る事はあるが、それも何か違う気がする。「希望」。美しい、甘美なその響きは、色々なものを覆い隠し、麻痺させる効力があると、俺は思っている。希望があるから、大きなリスクを無視したり軽視して、突き進んだりする。一条の光、それこそが、希望。麻薬みたいなものだな、と思う。そう考えれば、希望と言う名前の煙草を吸う、と言うのは笑える皮肉かも知れない。  俺はホープを大きく吸い込んで、灰皿に押し付けた。この部屋にある、唯一の時計である、充電器につなげっぱなしの携帯電話を見ると、時計が午前8時半を表示していた。俺は大きく伸びをして、今日はもうかかない決意を硬め、薄汚れた万年床に横になった。煙草と汗の匂いがするシーツと布団の狭間で、再び遺書についての考えをめぐらせる。  俺の行動は、正しいのか。そう考える事もある。恐らく、世間の大多数の若者は、自殺する者を除いて、俺のように遺書を書いたりする事はしないだろうと思う。いや、案外、ブームになっているかも知れないが、外界では何が起こっているのか、新聞も読まなければテレビも無いこの部屋にいると、何もわからない。まぁ、ブームになっていようがいまいが、あまり俺には関係無いが、あまりに酷いブームだと、それに乗っかっているようでむかっ腹が立つ。しかし、それを確かめる術も持たない俺は、黙って横になるのみ、である。確認しようと思えば、即座に出来る事ではあるが、それを確認しようとも思わないので、俺は黙って横になっている。誰とも口を利かない一日が、またこうして終わっていく。別に珍しい事でも、大した事でもない。こうやって、誰とも口を利かない日は年中ある。別に友達がいない訳じゃない。友達がいなけりゃ、遺書も書こうとも思わなかっただろう。別段、普段言えない感謝の気持ち、みたいなふざけた気持ちを書き記すつもりは無い。ただ、何時死んでも良い様に準備している、と俺は思っている。  眠たくなる俺の意識とは裏腹に、窓の外の喧騒は活発になっていく。俺は空調のリモコンに手を伸ばし、スイッチを入れる。カビ臭い匂いを吐き出しながら、冷たい空気が流れ出してくる。 ---------------------------- (ファイルの終わり)