Lucyのイナエさんおすすめリスト 2015年2月2日9時45分から2016年10月21日10時31分まで ---------------------------- [自由詩]寒い夏/イナエ[2015年2月2日9時45分] 七月のある日 兄は ぼくを呼んだ 風通しの良い部屋に一人伏せていた兄は 「今度は帰れないかも知れない」という 「弱気なことを…」 ぼくはそう言ったきり次の言葉が出ない 幼少時父も母も病で亡くし  長い間離れ離れに暮らしてきたわたしたち 間にいた兄姉も夭折して 十歳ほど年も離れた兄とぼくだけが成人した 肉親としての特別な情愛は湧かなかったが  他人の顔色をうかがって媚びを売り少年期をおくってきたぼくが この世で唯一心を開ける人  二人で居ると安心できる何かはあった 兄は 早くから軍人になっていた 復員後暫くして見つかった肺結核 何度も入退院を繰り返すことになった   法事などで親戚のものが集まったときなど たいして飲めもしない酒で酔うと戦争の話をした 復員して間のない頃は  八路軍と銃火を交えて何人か殺したとか 襲撃されたあとには 仕返しに近くの集落を襲って略奪や暴行をしたとか 事実か作り話か知れないようなことを陽気に話していた が 時が経つに従って 話は沈鬱になり かつて国の繁栄を信じて死んでいった仲間を思ってか 取り残された無念感にさいなまれていたらしい やがて 生き残ったのは役に立たないからさ が口を突いてからもう戦時の話はしなかった 地道に生きていくことを選んで地方都市の公務員になり 町の一角でひっそりと暮らしていた 一時結婚もしていたのだが その頃にはすでに片肺を失っていたのだ 義姉は入退院を繰り返す兄に嫌気が差したか 他の男の元へ走った そのときも兄は シャバに居るより入院が長いのだから仕方ないさ と言って、連れ戻すと息巻く友人達を制した その頃からこのこと有るを予測していたのかも知れない 役所の同僚達が 兄を病院へ送っていく車で来ると 寝具や僅かばかりの身の回りの物を車に積み込み 此処にあるものは何でも自由に使って良いからね と 薄ら微笑み乗り込んでいった   今 黒枠の写真をちゃぶ台に置き   広くなった部屋に座していると    主の去った家の壁から冷気が押し寄せ   身震いを禁じることが出来ない   まだ 八月になったばかりだというのに                      ー昭和四五年の夏のことー ---------------------------- [自由詩]あなたを見ている人はいる/イナエ[2015年2月14日16時39分] 日本にはね 本当の荒れ地も 砂漠もないんだよ 確かに  火山の荒れたガレ場や 海浜の砂丘は あるけれど それは 緑豊かな大地のツマ それがあって それも含めて 大地は一層美しくなる 荒れ地や砂漠がある所は 人の心の中 誰ひとり信じることができない心の中 誰ひとり愛する人も     愛してくれる人もいない心の中 見ていてくれる人が     ひとりも居ない心の中 でもね そんなあなたを どこかでじっと見ている心がある あなたは気付いていないとしても 近くに居ないとしても 何年も前に別れたとしても 遠くからそっと見ていてくれる そんな人がひとりやふたり居るものさ ---------------------------- [自由詩]平和を釣る/イナエ[2015年2月20日10時15分] 西の山に陽が近づいて 1日が終わろうとしていた 男は川面すれすれに延ばしていた竿をあげ 帰り支度を始めた ゴカイを川に返し 椅子をたたむ 通りがかりの人が声を掛ける  「連れましたかね」  「連れませんな」 男は答ながら魚籠を引き上げ  中の釣り果を川に逃がした 通りがかりの人は  「逃がすのですか 折角釣ったのに」 男は答える  「まあ 狙ったものとは違いますから」 通りがかりの人  「大物狙いですかね」  「まあそんなところで」 男は会話が成り立ったことに 違和感を覚えながらもおかしがった 男は平和を釣っていた   仕掛けなど無くても良いけれど   仕掛けがないと物足りないのだ ひとり川に向かい 糸を垂れる すると 男の周りを取り巻く無数の糸は断ち切られ ただ一本の糸が川と繋がる 男はゆったりと川面を流れる雲を眺め 男の中を去来する想念   兄姉の確執 子の将来   会社の不満 社会の不安 を糸を通して 絶えず表情を変えて流れる川に話しかける 川は男の垂らすつぶやきを黙って聞き 流していく こうして男の一日が暮れていく ---------------------------- [自由詩]傷跡の痛むときに/イナエ[2015年3月5日17時44分] 切り裂かれた皮膚から 去っていった細胞が シクシク泣いている あの日開いた傷口は 新しく育った細胞にふさがれて 戻る場所はもうない ---------------------------- [自由詩]舗装農道/イナエ[2015年3月7日14時54分] どうして アスファルトで覆ったのでしょう 芽生えようとしていた希望が 誰にも知られず 死んでしてしまったら  訪れた春は悲しむでしょうに ---------------------------- [自由詩]年を取るとはこういうことかーざるそばー/イナエ[2015年3月10日8時50分] 夏でも冬でも昼飯はこれが良い 薬味ネギに わさびを効かせた付け汁で泳がせ 一気にすすり込む が 長く伸びたまま食道を抜けることなど 所詮無理な話 かたまって 食道の途中で速度を緩めた  あんたそばでしょ  喉を鳴らして   食道に入ったんだから  するすると   通り抜けてください  立ち止まっては  後から行くものが通れません  皿の上には旬のフルーツが待っています         ---------------------------- [自由詩]ピアノの去った日に/イナエ[2015年3月13日9時28分] サラリーマンが命を担保に金を借り 建てた家々の集落 書割のような中流階級 文化を支えたピアノ 音の断片が集落の中を 誇らしげに 恥ずかしげに 歩いていたのは何時のころだったか 口を閉じたのは何時からだったか 大型テレビに邪魔にされ 縫いぐるみの席になり 部屋の隅で家族の様子を眺めていたピアノ 今朝 男ふたりに支えられ 近所への挨拶もなく ひっそりと出ていった 肩寄せ合って見送っていた縫いぐるみは これから何処に座るのだろう ---------------------------- [自由詩]開胸手術/イナエ[2015年3月29日12時17分] その男は  幾つも電球を並べた灯りの下で ぼくの胸を切り開き不機嫌な心臓を取り出した 心臓の中に豚を入れ調子よく動かそうというのだ 更に男は心臓のあった空洞を覗き込み ぼくさえ知らない潜み物を探っている  ぼくは少年の頃から  沢山の秘密を隠してきたが  心臓の裏には隠していない  大事なことは脳の奥深く  秘密基地に隠してあるから    心臓の周りにいた*イトメは 動きを止めてひっそりと成り行きを見ている おしゃべりな口がハアハア言い出した 危ない 大事な秘密を漏らすかも知れない それを察してか女の人が口を塞いでくれた  と思ったのは甘かった  ぼくが抵抗出来ないことにつけ込んで  気道に管を突っ込み  喉に絡んだ潜み物を吸い出しはじめた  うっかり漏らしてしまった尿も  袋に溜めて潜み物を探っている その間に男は 冠動脈に潜み物がいて血流を止めているのを見付け ぼくの腕から血管を一本抜き取り バイパスを作ってしまった 男が豚の入った心臓を取り付けると イトメが一斉に 元気よく踊り出した     大変だ  血流がスムーズになって  秘密基地に隠した大事なことが流れ出そうだ     {注イトメ=観賞魚の餌になるイトミミズ} ---------------------------- [自由詩]蟻/イナエ[2015年4月8日18時25分] 庭に遊び場があったころ 雨の後には水たまりが出来 蒼空を写していた 青空には雲が流れ 雲の中にぼくの顔があった けれども 水たまりが有ると ハンドテニスや長縄跳びが出来ない 早く遊びたくて 屋敷の溝まで水路を作った 何人か集まって 水路を延ばしていくと 水路作りに夢が生まれて 庭石を迂回させたり ダムを作ったり とうとう水のトンネルまで出来て 木の葉の小舟が流れ 来合わせた蟻がお客になって あの蟻は何処まで行っただろう ぼくらの夢も一緒に乗せて ---------------------------- [自由詩]ビルが朝陽に囓られるとき/イナエ[2015年4月25日10時16分] ビルが朝陽にかじられて 吐き出された陽光は窓をすり抜け 昨夜の恥部を暴き出す 人々は慌ててカーテンを閉じ ベッドを隠し 朝を始める わたしと来たら 病室のカーテンを開け放ち 陽光の中へ全身を投げ入れ 細菌にまぶされた身体を 消毒するのだ 白い少女が来るまでは ---------------------------- [自由詩]「歩」の少年/イナエ[2015年4月30日22時08分] 盤面に行儀良く並んだ歩兵 敵の攻撃を真っ先に受け将を守る 時には味方にも無視され 時には邪魔もの扱いされる歩兵 敵陣深く突入して将となるも あっさり討ち死に そして 次には 味方だった将を殺せと命じられる 指し手の意のまま操られる駒 叔父の家の欄間から 見下ろしていた少年兵 幼かったぼくのあこがれだった従兄 家を建て替えられてから もう掲げられることはなかったけれど ぼくには今もはっきりと見える 自ら志願した飛行兵 白いマフラーをなびかせて飛び立つ姿 そして 艦砲射撃の中に突っ込み 火だるまになっていった姿 これが国を守ることだと おのれに言い聞かせて 少年を 煽ったものは誰だったろう 煽らせたものは何だだったろう           (「蕊」五五号テーマ「歩」の詩より) ---------------------------- [自由詩]戦慄/イナエ[2015年5月19日9時19分] 中学生になってはじめて学校へ行った日 いくつかの坂道を登り下りし いくつかの集落を抜けてたどり着く 坂道は辛かったが  ところどころに桜が花をつけていて 気分は悪くなかった 集落は緊張した 子どもに噛みつく言い伝えの犬が吠えていたり 何かと噂のある青年が にたにた笑っていたり それらに目を合わないように急いで通る抜けた その日 学校は古びた門柱もあたらしく見え どこか都会風な雰囲気が漂っていた 学級が決まり式も終わったが 遠くから来たものたちは弁当を食べて帰る ぼくは給湯室に準備された大きなヤカンの お茶を教室に運んだ どうしたことか教室は空だった そのうち戻ってくるだろうと ひとり 弁当を取り出した 女の子達がどやどや入ってきた ガヤガヤと話しながら弁当を広げた 男の子は誰も戻ってこなかった 仕方なく教室の片隅で弁当を広げた 一人の少女がヤカンを持って 湯飲みにお茶を注いで廻っていた 片隅にひとりで居るぼくのところに来た ぼくは弁当箱の蓋を差し出した そこへお茶を入れるのがぼくらの習わしだった すると少女は 湯飲みないの と聞いた 意外に思って 口ごもるぼくをよそに 少女は大声で他の子に聞いた 「誰か余分な湯飲み持っていない?」 その瞬間だった  ぼくの中を不思議な戦慄が走り抜けたのは ---------------------------- [自由詩]コーヒーを待ちながら/イナエ[2015年6月16日9時04分] ここは都会の海の底 コーヒーを待ちながら眺める窓の外 都会の空から夜が消えても 海の底には闇が淀んで 淀んだ淵の岩間から覗けば 摩天楼のような海藻が ゆらゆら揺らぎ 海の底に赤い人や青い人が 降り積もり 海藻の間を車が泳ぎ これから始まる未来を前に テレビの窓から過去が流れ出し 白い人が流れ出し ベッドを押して流れ出し ベッドの人がつぶやく泡は 海藻に絡みつぶつぶと空に爆ぜ やがて今日の未来が流れ出し ああ 未来の… コーヒーが入りました ---------------------------- [自由詩]夏草/イナエ[2015年6月20日9時04分] あなたを焼く炎は 煙さえ立てることなく 空に消えて 後には 黒枠の中で ほほえむあなただけが 残っている    空に 光りの砂  さざめき 大地に広がる 夏草の波 ---------------------------- [自由詩]臍帯/イナエ[2015年9月2日11時45分] 箪笥の奥深く秘められていたいくつかの小箱 おそらく母の物であろう歯の欠けた櫛に 出合ってわたしの心が波立つ そして 夭折した兄たちの名に混じって ボクの名が乾ききった小箱 それはぼくと母を繋いだ橋であった ふたりの幼い兄を追って 幼児のぼくに面影さえ残さず消えた母 羊水に浮かぶわたしに 母はなにを伝えたのだろう 母の去った道を 何度探し求めたことだろう だが道は何時も閉ざされていた 今 眺める乾燥した管も ことばの路も 視線のはいる隙間も閉じている 困惑して目を上げた先に 鴨居の母の眼 ---------------------------- [自由詩]物を両手には持たないで/イナエ[2015年9月22日17時18分]        ー年を取るとはこういうことか7ー 若者よ ズボンをはくとき ベッドに腰掛けなくても履けるか 家中の者が畳の上で生活していた頃から 立って履くのが常だった 布団の上で寝転がって履くなど 怠け者か病人のすること 今でも立って履くことに変わりはない 時々よろけそうになって壁に手をつくが… 若者よ 両手に荷をぶら下げて階段を下りるか わたしだって… 先日 右手にケーキ 左手に手羽先ぶら下げて リズミカルに下り始めた駅の階段 足下を見ると階段が揺れてリズムが狂い 思わず足を止めたけれど  体は前にのめり 左手が壁をこすって  焼き鳥が階段を下りていく 階段を二段飛ばして下りていく若者よ 両手に荷物を持った人には近づくな 君の若さの雰囲気が 老人のリズムを狂わせて バランス崩して 君を杖と頼ったとき 老人の下敷きになって落ちる覚悟はあるか 両手に土産ぶら下げて 壁にそって階段をゆっくり降りて行く老人よ 不測の事態に 片手の荷物を捨てる覚悟があるか ---------------------------- [自由詩]未完のまま/イナエ[2015年11月8日18時18分] 閉め切った窓のすき間を すり抜けた時報のチャイムが 昼寝のベッドへ潜り込み 勝者を確信していた私の手が 上げられる前に目を覚まさせる 惜しいことをした 確かに戦っていたのだ 始めから負け戦だと分かっている試合に 挑むものなど有ろうか 戦って 戦って 例え勝ったと思っても 勝敗は手が上がるまで分からない 浮き石を踏んで滑落したり 落ち葉に足を滑らせ深い渓谷に落ちたり 思いもかけず手が滑って暴投したり 不意に現実が飛び込んだり 夢には完結はない 人生もまた 完結することがあるのだろうか 紆余曲折の行路にも 喜怒哀楽の登頂にも その先には更に続く道があり 他の峰が見えてくる 再び挑む山峰 眼前から迫る落石を岩陰で避け 追ってくる蜂群を地に伏せてやり過ごし 足を掴む蛇を払い飛ばしても  頭上から唐突に落下してくる火山弾や 桟道の曲り角に隠れているかも知れない熊 死は生の途上で唐突に現れる それを人生の完結といえるのか ---------------------------- [自由詩]「目をつむると」 ー歳を取るとはこういうことか(9)ー /イナエ[2016年1月25日10時12分] 目をつむると見えるものがあった 遠くの山頂に輝く光 道は途中で草むらに隠れ どこまで続いているか見えないけれど どこかに沢が有り 林間に小道が有り 小動物の通る道など きっと到達するルートはある 無ければ 己の力で切り開くだけだ そう意を決して上ってきた 今 目をつむっても見える物は 歩いてきた道 山腹の沢や沼 麓の都会の喧噪 光に照らし出されたステージ 丸い光の中に立っているわたし 今 目をつむって見える山には 岩壁の前に立つ孫たち  なんと危なっかしいことだろう  ここから見れば   先人たちの開き 舗装した林道が  白いたすきのように山頂へ続いているのに ああ 目をつむって見上げるものは 暗い岸壁をよじ登る孫たち ---------------------------- [自由詩]塀の中が生きる世界の全てだとしても/イナエ[2016年2月15日18時32分] 花粉も埃も取り去った無菌室で くらしていますが 危険はどこかに潜んでいて いつも隙をうかがっているのです みがききぬかれた手すりが 不思議なことに 摩擦をなくしていたり すべらないゴムスリッパが 平らな床でつまづいたり 空からとどく魅惑に満ちた波動 こっそり入り込む微生物 これら法に縛られないものたちは ワクチンやガードの編み目を抜け からだの中へやすやすと忍び込みます へだてられた外の世界が どんなに広がっていようとも 見えない塀が有って 住める世界はわずかな空間 ここに居ても 頭の中は無限に広がって 過去にも未来にも 宇宙のはてまでも行けるのです 吹雪く窓の外をながめ 時を忘れた生活にふっと幸せを感じるとき そんなときがいちばん危険です 長い年月のささやきが一度におそって 希望でかためたバリアは破壊されそうで ---------------------------- [自由詩]地獄/イナエ[2016年3月22日10時07分]    人は生死の境をさまようとき    花園を見ると言うけれど    地獄の蓋が開くという彼岸に    見たのは色を失った現世だった 闇の空から眺めていた 墨色の広大な砂場には まばらにかがやく銀色の砂つぶ 浮き沈みしている顔 顔 顔 口をOの字に開け何かを叫んでいる が 声は聞こえない 今 鈍く光る流砂に 沈んでいったのは見知った顔 後に残った手が  五本の指をひらひら振って 声も言葉も失った絶望の叫びを 吐きだし 振りまき 押しつぶされて沈んでいく 銀色の流砂と見えた物は 粉砕された骨の燐光か 音も光も呑み込む暗黒の砂粒に 練り合わされ燐光は消えていく 希望の見えない暗黒の空から ワタシが眺めている 蛍光の粒が消えていく闇の中に わたしの顔が沈んでいくのを ---------------------------- [自由詩]賽の河原/イナエ[2016年3月22日10時31分] 久し振りに訪れた賽の河原 幼子が鬼に虐められていないかと降り立てば 広々とした河原には鬼が一匹 所在曲げに石をつんでいた おめえ 何やってんだ 子どもが少ないが  まさか食っちまったのではないだろうな  ああ びっくらこいた  なんや お地蔵さんかいな やっとか目やなも  食っただなんて 人聞きの悪い   そんなことできませんわ  まあ 聞いとくりゃせ  あそこに一人で石積みしとる子のことやがなも  親に殴り殺されとか言うことやけど  なんもしゃべらんで ひとりで石積んどるがな  不憫で 不憫で見とられんわな なんと 鬼の目にも涙かよ  そんな冗談いってられませんがね  おめゃぁさんの石頭で 親の頭かち割って  針の山にでも連れて来てくりゃせ  仲間の鬼どもにこづき回させ   血だらけにして 針の山登らせたいがな  それよか 釜ゆでがええかな   ま 閻魔様が決めんさるこっちゃけど  あの子は 早よ 極楽へ連れてってくんさい   親よりはやく死んだいっても   ここへ来る子やないがな  あの姿見ていると  こっちゃまで鬱陶しゅなって力抜けてまうがな ---------------------------- [自由詩]ことば/イナエ[2016年4月5日8時55分] 言の葉 とはよく言ったものだ 青春に芽吹いた言の葉も 人生の秋ともなれば 渋く色づく としても やがて散る 散った言葉は ぼろぼろに朽ちて  形も意味も喪い 芽を出すことなど 一切ない だが ある種の言葉は 亡霊になって 人の間を漂うことがある たとえば クラークさん 「少年よ 大志を抱け」 人は勝手に拾いあげいうだろう 少年だけだ 大志を抱くのは 少女も 青年も 老人も 大志など 大して必要ないのかと  ---------------------------- [自由詩]水に浸かるボール/イナエ[2016年5月1日22時14分] グランドの脇の水路に サッカーボールは半身を浸していた 昨日も今日も橋桁に寄り添って 沈むことも飛ぶことも出来ないで 流れることさえ出来ないで 水面に出た半身が陽に焼かている 赤耳亀が時々ヘディングして遊んでくれるが 人間の子どもは見ぬふりをして通り過ぎる 大人たちの手垢が黴びていたり 動物の排泄物の上を転がったりして 得体の知れない病原菌が 染みついているかもしれない 汚れたボールは捨てよう 新しいボールはほしい 人間の手垢の付いていない 生きものの臭い染みこんでいない 真っ新(さら)なボール 人間の生まれる前の真っ新な地球が 新しいボールを手渡された投手は 唾のついた掌でこねる 真っ新な地球も 誰かがこね回して汚すだろうか ---------------------------- [自由詩]摘果/イナエ[2016年5月14日10時20分] 隣近所の思いを気にしながら育てる桃 摘花はほどほどにして花を愛でてもらい 消毒は風のない朝ひっそりと行い 花が過ぎて ようやく形のできてきた実を摘果する このときワタシは 親から切り離される子を思う心を断ち切り 理屈を付けて桃を食らうエゴをむき出しにする  この実は成長が遅いから  この実は付いた場所が悪いから  この実は他の実と競合しているから 虫に喰われることも 人に喰われることもなく 生を終えてしまった子らを集め ワタシは自分の手を眺める  いずれ親に振り落とされると弁解しても  より大きな より甘い桃を食いたいという欲求に応え  幼い生を切り落とした無慈悲な手 眼を背けた桃の根元には 陽光を求めて花柄を伸ばし 数輪の花を付けたオダマキが虫を呼んでいる ---------------------------- [自由詩]スマートフォンの間で/イナエ[2016年5月30日11時34分] 朝の光に濡れた電車には 七人掛けのシートに七人が腰を下ろし つり革にも人の手がゆれていた 厳つい男と痩せた男の間に 若い女がはまり込み ゆらーり ゆらりと 自分の世界で揺れ始めた 厳つい男の肩が 女の肩を押し返す 揺れて女は 痩せた男の肩に当たる 痩せた男は 体をよじり尻をずらすが 隣に座った化粧の強い眼の端が 放った視線に射られて 動きは止まり 肩がこわばる 二つの肩の間で女が揺れる 厳つい男はスマートフォンを取り出し 流れる経文を見つめて仏像になる 女の肩は痩せた男の肩に挑む 痩せた男は 肩を前によじり 後ろに逸らして 女を避ける 電車は波打つ  女は揺れる  男は逃げる スマートフォンを手に男は 思いがけない女難に遭って 勤行のできない困惑に あたりを眺め 救けを探す 揺れる電車の人々は波に乗り  それぞれが手にしたスマートフォンに 描きだされる穢土の世界を 思い思いにさすらっている ---------------------------- [自由詩]backbone/イナエ[2016年9月22日15時05分] 頭と骨と鰭を付けた鯉が 泳ぐのを見た 首を落とされた鶏が 庭を走るのを見た 背骨のない蛸が泳いでも 背骨を抜いた鮎は泳げない 骨牌のような積み木(ブロック)が 髄で繋がっている背骨 重い頭を支えて 電柱のように屹立し さっ さっと歩く ささっと走る ふんわりと跳ぶ すっくと下りる なんと素敵な仕草であることよ だが 永年 支えた脳の重みに 積み木がずれて痛みが走る  ゴリラのように尻突き出して 時には長い手で 思想の詰まった重い頭と 内臓の詰まった上半身支え のそりのそりと歩いていたら オリンピックの感動は 得られなかったか 肉を削り落とされた鯉が 泳ぐのを見た 首の無い鶏が 羽ばたくのを見た ---------------------------- [自由詩]天変地異  あるいは/イナエ[2016年10月9日18時56分] いつも 未来を見つめているのですが 計画を練り  ガムをかみながら 現在を過去に葬っていく 未来を見ていると 疲れるのでしょうか そうともかぎらないようです 不意に 横から入り込む未来 ハンドル操作もむなしく 展開する光景が現在だとしても 穏やかに進んできた過去には戻れない それでも 私(ひと) 前に広がる永遠を信じて 現在を過去に送っていく ---------------------------- [自由詩]指向性。または、発熱の日に/イナエ[2016年10月12日18時52分] どんなことを言おうと そりゃまあ 自由ですけどね だからといって 妄想したことを 有ったようにしゃべりちらしちゃいけませんわな 妄想だよってしゃべりゃいいだろうな 想像だよってしゃべってもいいだろうな 希望だよってしゃべるとどうなるのかな むかし 小学生に たいなあ詩を書かせた人があったな   「美味しい給食食べたいなあ   「青空を飛ぶ翼が欲しいなあ 「宿題無いと良いなあ   「先生休むと良いなあ 本音を出すのは悪くない たいなあの中には   上昇志向もあって だが 次第に下降思考になって 「悪貨は良貨を駆逐する」と言ったのはグレシャムだっけ* ここでも当てはまってしまった真実 群衆の声がひとつにまとまる美 しかし 隊列の中にいてよそ見する人間が 危険を見付けてくれることだってあるだろうに     *グレシャム=一六世紀イギリスの財政家 ---------------------------- [自由詩]ミーアキャット/イナエ[2016年10月15日18時59分] 曙時に穴から這い出し 尻尾を立て太陽に体を向ける 体温増加が目的ならば 一匹ぐらい 背中を暖めていてもいいだろうに どうして皆が同じ方向を向いているのだろう 父は ぼくと弟を傍らに並ばせ 東を向いて 地平線を離れる太陽に手を合わせた しかし  大人になったぼくは 冬の朝 背に光を受け 西に沸き上がる雲をみつめるのだ ---------------------------- [自由詩]狭い部屋/イナエ[2016年10月21日10時31分] 広い邸宅など要らない ベッドは 身体を横に出来るスペースがあれば良い 食卓には 茶碗の置ける隙間があれば飯は食える とうそぶいて 新聞が 雑誌が 広告が  テーブルに積み重なり ベッドの上の空間に張り渡したロープに 洗濯の済んだ下着が空間を埋めて ソファーは外出に使ったコートが居座る 台所を見れば 買物袋の中からはみ出した大根ジャガイモ 床に缶詰を転がして かたづける手間も 取り出す手間も省いた 菓子の空き箱を活用した筆箱には ボールペン シャープペンシル 色鉛筆 直線定規にはさみまで放り込んだ 手を伸ばせば そこには欲しいものがいつでもある はずなんだが ボールペンを使おうとすると ボールペンはない 赤色鉛筆を使おうとすると ボールペンがやたらに出てくるのだ ---------------------------- (ファイルの終わり)