Lucyの田中修子さんおすすめリスト 2016年7月2日16時34分から2019年4月12日17時31分まで ---------------------------- [自由詩]がいこつつづり/田中修子[2016年7月2日16時34分] おかあさん、あなたのいない夏がまた来たよ そうしていま選挙の時期です 口癖のように歌のように あなたはいつも 社会貢献できてわたしの人生は幸せよ。 そう、甘ったるく高い声で 誰にも有無を言わさないように 偉大なものに盲目に繰り返し わたし、かなしかったの。 おかあさんわたしのひりひりが治るまえに あっけなく死んでしまった 駅前のスーパーに買い出しにゆくと 街頭宣伝が活発です わたしをみるたびに党員のひとが **子さんの娘さん。 ところころわたしを呼ぶのです わたしの名を呼べあんたらドあほか。 となじりたいのに、おかあさん、わたしは微笑って。 だれかがわたしの傷をふさぐことはできないのだと 数人目の彼がおかあさんのようにわたしを怒鳴るようになり つくづくしみました わたしはいまひとりで 老いた犬と、ぜんまいをまく朝顔と暮らしています 大きく政治が動き 理想が燃えあがるいま、そのうしろでおかあさんを懐かしみ わたしの心はまるで火葬場の真っ白な骨のよう それでもわたしは笑うのです、そうして柔らかな言葉を連ね。 誰かに好かれたい詩を書こうと揺れるとき おかあさんあなたに削られつくして わずかに残った魂をまたはかりうりするような そういうのはやめるのよ、これから魂をうんでゆくの わたしは今日の 真っ白な雲をまき散らした 真っ青な空をえがき 洗濯もの乾かす端からからりとして気持ちいい そんな静謐な日々を綴っていく。 ---------------------------- [自由詩]トランポリン/田中修子[2016年7月4日21時33分] いたく、つらく、寒くてまっくらなほど わたしのことば跳ねあがる 深く沈みこまれて溺れていくそのときに ばねが跳ね返ってきてわたしをひっぱたく さあ飛んできや なら、思い切り空に近く、風に笑い いつか、トランポリンが壊れて緩み 地に叩きつけられぺしゃんこになるとき いちばん、地から遠く、天辺。 ---------------------------- [自由詩]台風の夜の音重ね合わせて/田中修子[2016年9月23日22時57分] 雨のおとが体に刺さって下に抜けて行く その先のまちで 男が酒を飲んで煙草を吸い 女が風呂に入り石鹸の香りを嗅ぐ 花は季節に散る どうということもない あたたかな食卓が どれだけになって 成っているか知り たったひとつだったはずの 歯車が噛み合わず 怒鳴り 泣き それすらできないで 笑い 台風の夜 ぽたぽた とたとた ざんらざんら ととととと ぽんぽん 軽やかに秒が去る 水滴のようにね その先、その先 そして秋が来る ---------------------------- [自由詩]甕の底から/田中修子[2016年10月13日18時19分] お父さんは 甕にめだかを飼っています 夏 陽射しをまともに受け お水ゆだってあえいでるめだかの夫婦 あんまり可哀そうで私 みどりのホテイさま浮かべたよ めだかたちほっとして こづくりできたのおめでただ あたまのいいおにいちゃんと はねっかえりのいもうとと ひらりゆらぐ橙の尻尾きれいだな ふふ 家族ってすてきだな 秋のはじまりお父さん いっぱいに栄えたホテイさま 見栄えよくって刈り込んだ その次の日しんと冷え めだかはぜんいんのうなった ただ ホテイさまだけがぷかぷかと 浮いていらっしってさみしいな 冬には甕は凍るでしょ めだかの家族のお骨抱きしめ ホテイさまひとりわらってる 甕は冬のそらうつして冷え鏡 春になったらおとうさん またあたらしいめだか飼うのだろ ふふ おとうさん おかあさん おにいちゃん いもうとのわたし 家族ってすてきだな ペットショップを見てこよう 安くていいのをえらびましょ むなぐるしくなりめをほそめて空仰ぐ つめたくしずかな夜にはさ みどりのホテイさまが浮かんどって気づいたんだよ ここはそこで わたしはめだかの骨なんね どうりで肉も薄くなるはずね ふふ とてもよろこばしい家族のかばね ---------------------------- [自由詩]そろそろかえろ/田中修子[2016年10月31日1時55分] 金桃にまぶしいさば雲の大きいの 沈んでく太陽にむかって ゆうゆう およいでく みず色のひろい、ひろいそらだよ 風がひえてきて葉っぱのにおいは甘くって こどもたち、眠そうに体温があがってる さようならいつかきっとまたねと手をふって あたたかな夜のねむりにかえりにいこう ---------------------------- [自由詩]横須賀の駐車場がみる廃屋のゆめ/田中修子[2016年11月3日0時48分] わたしに命をふきこんだのは 横須賀の廃屋のようなうちに猫と車と住む がんこなかんばん屋の男だった かんばん屋と猫と車はそのうちで 消えたがる女をなんにんも生かし わかれをつげてきたという かんばん屋が付き合ってきた女たちの中でも いちばんの消えたがりのわたしは そこにいちばんながくいついた女だった   ドアは壊れていて誰でも入れるから泥棒は素通りする お勝手の菊の模様のすりガラスは割れていた 床は腐っていて踏み抜きそう たたみはひざしにやけすぎてあまいにおい 風呂はとうに壊れてシャワーがぎりぎりつかえるだけだ 雨が降ればうちのなかにも雨が降る、風が吹けばうちのなかにも風が吹く 夏には裏の崖からのくずの葉にのまれてしまいそうで 秋にはふたりしてほっとしたものだ なつかしくまずしくいとおしく なによりかんばん屋のくちぐせだった 「たのしい」 がつまるうち いつかわたしの魂がかえるのはあのうちへ   かぎしっぽの猫はひたすらねむりつづけるわたしのまたぐらで毛たんぽになり 水色の大きい目の車が海の見える贅沢なスーパーへつれて行ってくれた   あのうちはもうない わたしがすてさせて 駐車場になってしまっている ---------------------------- [自由詩]秋の羽/田中修子[2016年11月13日2時14分] イチョウの葉がこがらしに 金色にかがやいてまいおどる秋の羽だ 地に落ちて みちゆくひとにふみしめられ 甘いかおりとサリサリの音 音はもしかしたら いなくなることに 泣きたてているこえなのかもしれないが みずからをうしなわれたかなしさに 飲み込まれてゆくこともなく 土にしずかにかえってゆくさま わたしもいずれはあのように こがらしに 金色にかがやき まいおどって みずからをうしなわれて天をめざすだろうか まだきみどりの残る イチョウの葉なのだ ---------------------------- [自由詩]陽のようないのり/田中修子[2016年11月16日0時44分] 「ひとはなぜ生きているのかなぁー?」 「うまれたからさ」 まつりごともかみさまも しんじないあなたはそういった 戦争に反対するお父さんとお母さん こどものわたしは ベトナム帰還兵とおなじびょうき 手当してくださいと差し伸べた腕を クリスチャンの先生はわらい 人はクズだ、と 泣くことも笑うこともできないんだ 色も味もぬけおちたんだ うつくしごとのうらには すてられた何かがおおすぎる 灰色の雲がうすぅくかかる夜空に 月がおそろしく大きく輝いている 散りかけた桜の葉は赤信号に照らされ真っ赤っ赤 おつきさまのうらには なにもかくされていませんように うまれたからいきているわたしたちの 陽のようないのりを照り返し 夜を すこしだけあかるくして ---------------------------- [自由詩]ことばあそび六/田中修子[2016年11月25日1時56分] あしたは雪が降るそうです 大気がこころを揺らすんだ あと三日で母が逝った日だ 目が腫れぼったくなる夜中 花柄の枕に涙が沁みて真昼 飛び降りても抱きしめると 窓の外雪が降り積もってた それはあのひとのそのまま 冷たく柔らかい愛情だった ---------------------------- [自由詩]冬の龍/田中修子[2016年12月13日21時58分] きらびやかな金の明かりが木にからみつき くらい空に昇りゆく あれは龍 私はいっとき 唐の皇帝よりえらい人になる ものがなくとも こころさえあれば だれだって 唐の皇帝よりえらい人になる ---------------------------- [自由詩]インディアン・サマー/田中修子[2017年2月17日21時25分] きみが ふるさとを いとしく呼ぶ あいづ と づ、にアクセントをおいて うかうか 夜行バスで きてしまった きみが歩いた町を 見たくなってさ 雪の白と温泉の湯気 ツララが青く澄み 地面に したたって 水のあまい匂いが たちこめていた 都心に近いわがやに帰り かわりばえのなさに目をとじて よくあさ洗濯のために 窓をあけたら どっと あのあまい匂いが あいづ のほうから いっさいをのみこむ波みたいに おしよせてきている 青いツララのなかには 梅や桃や桜のつぼみ ねぼけたおさかな 光る風 金色のモンシロチョウが しまいこまれて 今日の陽に ぞくりと うきたち ほどけて 今日は、小さくとも かならず 春 あいづ からやってきたきみ わたしの 春 ---------------------------- [自由詩]くりかえしくりかえそ/田中修子[2017年3月7日15時51分] わたしが家事をしながら ことばをちょこちょこ書いてるあいだ きみは 外でるんるんはたらいて 手作りべんとうがつがつ食べる うちに帰ればむしゃむしゃゴハン つーんと薄荷のお風呂に入り そそくさしたく あしたにそなえ 目をとじるとすぐ ぐうぐうねむる くりかえし くりかえし わたしはせっせとゴハンを用意 季節の野菜は安くていいな たけのこ菜の花ふきのとう おべんとう箱ぎゅうぎゅうつめて 洗濯機をぐるぐるまわし ぱたぱたはためくお洋服 いたむきみの腰にきく 薄荷のお風呂をじゃぶじゃぶいれる きみのにおいと寝息はあんしん わたしもすやすやねむってる くりかえし くりかえし 今日はおやすみ、特別な一日だよ いちゃいちゃしてから春へおでかけ 頬にあたる風がなんだか ぽかぽかするね きみとあるきまわるとすぐ夜になって 月は 目をほそめた猫みたいにみゃあ、みゃあ そんな くりかえし くりかえそ ---------------------------- [自由詩]花の針/田中修子[2017年4月4日22時43分] あなたは針で わたしを刺していった はたちきっかりでいったあなたの のこしたことば いくど読み返したことだろう 「あなたにわたしを息づかせるよ」 あなたを愛で殺してしまっただれか そのだれかはあなたのこと きっととうに忘れてしまっているだろうに なんでわたしはひんやりした影を 抱きしめつづけている 「ねえねえねえ なくしてから気付くなんて ばかだ」 埃のたつ紙でわたしはいまだ 喉をいためている この紙のなかにたしかにあなたの息がある わたしは満開のまま咲き続けるあなたを うちに棲ませて生きている 「ありったけの花をあげる 消えるまでの涙をあげる」 白い唇を噛んでかかえこんでいる 針の花束 --- ※「」内は友人の書きのこした言葉です。 ---------------------------- [自由詩]みどりの沼にひそむ/田中修子[2017年4月14日0時53分] 飲み込んだ言葉が 胸にわだかまりの どろりとした沼を作る 沼の中で 人に見捨てられ大きくなった亀が 悠々と泳いでいる よく見ると 子どもを食ってふくれた金魚の尾が ひらりひらり こっちへおいでと赤くさそう この風景をとどめよう そして私の胸はまた痛む それでも今日は素晴らしい日 二度と繰り返さないこの空 桃色、青色、金色のかさなる雲に足をとめた 強く吹く風は海からのものだろう ゆうぐれに月はひどく大きい 目をうつ白さに息を飲んで そうすると少し楽になる 私は痛む緑の沼だ 沼の中には大きな亀と 子どもを食ってふくれた金魚 よく見ると金魚は人魚であった 人魚の顔は私、 口の裂けるようにわらった ---------------------------- [自由詩]おかあさんの音/田中修子[2017年4月18日23時40分] あなたはわたしのなかにいる あなたの肌にはその日になると 青や緑の痣が浮かぶのだと 教えてくれた うごかない左腕で 必死に笑ってた じっと見つめるとちからのぬけた顔になった それはわたしのほんとうの顔だった あなたはわたしでわたしはあなた 静かなひととき またぜったいに会おうねとさよならした その一週間後にあなたの 心臓がとまった 燃やしてしまいたかった あなたの肌に 青や緑の痣をつけた男らのこと それを恥とした家族のこと あなたを殺したすべてを 殺せないのなら なにももう見たくはないのに まぶたを縫っては ハサミでひらきつづけた 神さまも仏さまも法律も薬でさえ あなたをなにからも守れなかった 体にあなたを刻みつけた あなたはわたしのなかに孕まれている 泣きつかれて膝に抱き 綿棒でそっと耳かきをしてあげる わたしもあなたもほんとうは知らないおかあさんの音 すこしおやすみ --- 耳かきがおかあさんの音、というのは友人のことばをお借りしました。 ---------------------------- [自由詩]さよならブランコ/田中修子[2017年5月1日21時20分] ちいさな公園で ブランコをこいでいる あれはともだち ほうりだされたカバン あそびすり切れたクツ おりおりのかわいい花 うつりかわる葉のいろ 近くなる遠くなる空 すりむいて熱いひざこぞう てのひらは金属に煙たつ 水のみばの錆びたにおい そろそろイチジクの葉を着よう ブランコを高くこげた 虫のことなんでも知ってた じゃんけん強かった 夕暮れ さよなら まーたーあーしーたー まーたーあーしーたー もう会えないかもしれない いきなり大人になる横顔 影みたいにどこまでも のびる声 ともだちの名前 みんなわすれた ---------------------------- [自由詩]戦争/田中修子[2017年5月24日21時34分] ある日ふとおかあさんとおとうさんに 問わずにはいられなかった 「戦争ってそんなに悪いことなの?」 「当たり前のことも分からないなんて、そんな教育をした覚えはありません!」 「僕たちが平和のためにどれだけ戦っているか 分からないのか!」 ピシャリと閉じた 閉じられたドアのこっちで唇をかんだ かわいい絵本を卒業したころ 見せられたもの 原爆で黒焦げになった死体 ケロイド ナパーム弾で焼けた子ども ホルマリン漬けの赤ちゃん 放射線で死んでゆく村 そんなのばかり 目を閉じられない ひとってこんなにきたないことができるのならば 戦争が起きて ひとはぜんぶ 灰になって 狼や鹿や 花や葉っぱや みずくさやお魚や そんなのだけ残ればいいのにな そうしたらきっと きれいだろうな 戦争が起こったなら 焼夷弾が真っ赤におちてきたら 燃え尽きていく家のなかで おかあさんとおとうさんは わたしを抱きしめてくれるかもしれない  いま 少し年をとって  公園で遊んでいるこどもたちが いつか  人を殺したり 殺されたりされるかもしれないことを思うと  それは 戦争は ないほうがいいに決まっているけれど  もしおとなたちが  こどもたちの心の中で起きている  荒れ果てたかなしみに気付かないのなら  たぶん そこからもう 戦争ははじまっています ---------------------------- [自由詩]なつみかんとおとな/田中修子[2017年6月8日2時00分] 庭でとれた夏蜜柑 刃元で厚い皮に線を引く ふくいく 薄皮はぐと 黄王がぎっしり 時間の結晶をたべる からだに飾れなくても どこにでもきれいな宝石がある スーパーの帰り 見上げれば 敷き詰められた天青石の空 バロック真珠の雲たち ちいさいとき 香水も宝石も いらないで シャボン玉吹けば なんだかうれしかったのはなんでかな いま、飾りつけないと なんだか恥ずかしいようにおもうのは なんでかな ---------------------------- [自由詩]さいごはしとしとと雨/田中修子[2017年6月14日21時41分] いつか死の床で吹く風は、さらさらとして すべての記憶をさらうでしょう むせびないたかなしみは いずれ天にのぼって雲になり雨とふる 信じているうちは遠ざかるものは なにもおもわなくなるときにすべりこんできた においたっていたむなしさはいま しずかにみのってこうべを垂れているでしょう ひそやかにあるのです 声高に求めずとも すぐそこに、すべてが 死の床につくときに、記憶をさぐるように吹く風は いましている息を重ねたものだから さいごの溜息はきっと、雨上がりのいいにおいなのでしょう ---------------------------- [自由詩]女のすてきなあばら骨/田中修子[2017年7月25日0時10分] いつか完成するだろうか あばらの中のいくつかの空洞は 満たされて、微笑んで眠るだろうか 脂肪に埋もれる柔和な女になれるだろうか 昔は違ったのよ と笑って言うことができるだろうか 抱かれるのではなく、抱くことはできるだろうか 不幸を埋めるのではなく、幸福さえ産むことはできるだろうか 自分の脂肪を愛して、安らかに眠ることはできるだろうか あばら けっして完成されることのないわたし 少女にも男にも憧れてならぬから せめて乳房を削ぎ取ってしまいましょう 陥没し もりあがるのを さらさらとなぞる おそらくは 受け容れて生きていくように決めていた わたしははじめから爛れ落ち、自らに火を放ち 青白く燃えてかがやいているあばら骨 ---------------------------- [自由詩]黒いぐちゃぐちゃ爆弾/田中修子[2017年8月5日17時23分] わたしのお父さんには ふたつ 顔があります 男と同じだけ働いて 子どもを産んで 社会活動をしなさい というお父さんの顔は真っ暗闇に覆われて そばにいるのに目を細めていくら探しても なんにも見えない 触れない うちを守って 子どもを愛し 好きなことをできたらいいね という顔は、とぼけていて、ちゃんとそこにある お母さんは真っ暗闇に覆われたまま逝ってしまって ほんとうになにも思い出せないのです ぽっかりとあいたおそろしい穴ということだけ 「顔も体形もそっくりだね」と言われるけれど 家族の絵を描こうとするとあの人のところだけ 黒いぐちゃぐちゃ よって、わたしも黒いぐちゃぐちゃ かえして わたしのだいすきな家族を かえして ふつうの日々を虚ろのようにのみこんだ偉大な理想なんか かえせ あんなものかたっぱしっからたたっこわしてやる どんなにか、平和を祈りたかったでしょうか なのに、あんなにもまっくらすぎて 焼夷弾がパっと火をつけてくれて こわがりながら燃え上がれたら あの家は少しは、あかるかっただろう、などど わらいますか わたしを このようなことをいったら 真っ暗なお父さんも真っ暗なお母さんも ゴミをみるようにわたしをわらったのはかろうじてみえましたので いまだ泣きも怒りもしない、すこしニヤついた 気味の悪い顔で わたしはあなたをみあげています ---------------------------- [自由詩]童話の指輪/田中修子[2018年3月25日16時21分] 新宿の伊勢丹の いいお店で働いていたときに うんとお買い物してくれたおばさまの ぜんぶの指にひかる指輪みて がっかりしたの わたしの中には スニフの落ちたガーネットの谷から拾い 長靴下のピッピのお父さんのくれた金貨溶かして 金にガーネットひかる うんとしっかりくる指輪がとっくに どっかにあって 働いてお金ためて買いたかったが (なぜだか王子様がやってきて捧げてくれる 予感はなくて) どうもそんな指輪はこの世にないと 気づいてしまったときだったのよ ---------------------------- [自由詩]きみのとなりにユーレイのように/田中修子[2018年6月10日12時22分] きみのかあさんになりたい お洋服を手縫いしたり 陽に透けるきれいなゼリーをつくったり おひざにだっこして絵本を読んだりする いつも子育てのことで はらはらと気をもんでいる きみのとうさんになりたい 上手な火のおこしかたナイフの使いかたを教えよう 子育てノイローゼ寸前のかあさんを 「こら ちょっとやりすぎだ」 と抱きしめて デートにつれだしたりする きみのばあちゃんじいちゃんになりたい かあさんもとうさんも苦しそうなとき ちょっぴり預かって あくまでこっそりと いつもより贅沢な 歯の溶けそうなチョコレート菓子を 買ってあげたりする 内緒ですよ きみのともだちになりたい かあさんにもとうさんにも なんとなく話せない あのことを ひそひそ話すんだ なん時間だって きみの先生になりたい しかめつらしながら授業するあいま 生きることにほんとにひつようなことを ボソッともらして 校長先生にしかられる きみの 恋人になり……はべつにいいかな わりとテレビとか本とかに載っているし でも、空想と現実はちがうのである ガッカリするでないぞよ きみがもう だれかの かあさんでありとうさんであり ばあちゃんでありじいちゃんであり ともだちであり 先生であり 恋人……はいいんだった で、あるとして それでもぼくは ひつようなときに ひつようなだけ きみのそばにいよう ---------------------------- [自由詩]永遠の雨/田中修子[2018年6月21日0時31分] いつくしみを ぼくに いつくしむこころを ひとの知の火がなげこまれた 焼け野が原にも ひとの予期よりうんとはやく みどりが咲いたことを  アインシュタインはおどけながら呻いている  かれのうつくしい数式のゆくすえを あなたがたの視線はいつも ぼくらをすり抜け よその とおくの つぎの  ちいさなヒトラーが泣いている  打擲されてうずくまっているあわれな子 ここにいる ここにいるのだよ ぼくは そうして きみは 母の父の わらうクラスメイトらの まるで 業火のような そしてこのようなひ ぼくのことばもまた  あのひとびともまた かつて  愛情を泣き叫び希う  子らであったことを  ぼくに あのひとらに  おもいださせておくれ 雨よ、ふれ 六月の雨、紫陽花の葉の、緑けむる 淡い水の器がしずかに みたされてゆく あふれだす色の洪水で ぼくの 母の父の クラスメイトの 科学者の独裁者の兵士の 胸に焼け残っている 優しいものだけ にぶくかがやく砂金のように とりだしておくれ  絵本を破ることのできるちからづよい  手をくるめば  ぼくは  いまここで、永遠に  だきしめられた きみもまた永遠を かならず 与えたひとであったのだ ---------------------------- [自由詩]クローズド/田中修子[2018年7月15日16時19分] わたしがおばあちゃんになるまで あるだろうとなんとなく思ってた レストランが 「閉店いたしました 長年のご利用をありがとうございました」 さようならのプレートが 汗ばむ夏の風にゆれてた 鼻のまわりの汗 うー 小学生のとき おとうさんと あたらしいお店さがしをしていて みっけたのだった テーブルの上にいつも ほんとうのお花が飾られていて お水はほんのりレモンの味がした お客さんの声がざわざわして 子どもがさわいでも音楽と混ざり合って 耳に楽しくて 緑に花柄のテーブルクロスはたぶん ずうっと洗われてつかわれていて 少しずつ色褪せていく様子が とてもやさしいのだった ということに いま気づいたのだった わたしは おとうさん や おにいちゃん 死んでしまったおかあさんとおばさん に電話をして あのお店がなくなったことを ともに悲しみたいのだけれど あれからほんとにいろんなことがあって ありすぎて 戸惑った まんま ---------------------------- [自由詩]とりどりのいき/田中修子[2018年7月24日15時13分] 名も付けられぬとりどりの色をしている砂の文字列に埋もれて やわい肉を縮めこませ 耳を塞ぎ あなたに握りしめられればその途端 脆くパリンとわれてしまうような うす青い貝になってしまいたいときがある いびつな真珠 海岸に打ち上げられた心臓の、血管まで浮かび上がっている塩漬けのかたくて軽いクルミ 骨董屋さんで300円で買った花のような透きとおるガラスのプレート ヘンリー・ダーガーの画集 いま夢らしい夢から すこし、そう二、三歩距離を置いたようにベビーベッドがあり 血が乳になり 久しく流したことのない涙のようにあふれ あのひとは 母乳をあたえなかったが きっと乳房の痛みを 父に隠れ うめいて職場でしぼりだしたことだろう 日日 何百枚も 恋人たちや 春をひさぐ女と春を買う男が ねむって よごれたシーツを 中国人やベトナム人とにぎやかな怒声を交わしながら かえ 八階建てのビルの従業員階段をかけあがる きみ 何百枚も雪崩来るお皿を赤く腫れてボロボロになっていく手で 現実味をうしなうほどに洗っていたようなころがいちばん生きていた 金に換算されていく体の時間は濃くて 空想に埋没し 逃避するうす青い貝殻がうちがわとそとがわから破られて 赤く青く黄色く電球の 点滅するこの都市のなかに ぺたぺたと肉の足音を立てて また肉体の壊れるように 鮮烈に 呼吸をし 衰えていきながら 生きる文字を綴る日が いつか来るだろうか ---------------------------- [自由詩]置手紙/田中修子[2019年1月21日10時58分] 美しい本と空と地面があった あるいてあるいて 夜空や 咲いている花を 吸い込んでいくと かさかさになったこころが 嬉しがっているのを 感じた 雨の日には 本を読んだ 子どもらのあそぶ 不思議な魔法や、庭や、冒険の こむずかしい悩みをつづるより しずかで 丁寧で うんとやさしいことこそ わたしの失ったものだ ということに気付いたのが このところ あなたにいつか 贈り物をしたい 贈り物ができるほどの こころになりたい あなたのなかにある庭に みどりが芽吹き 花が咲き 風が吹いて 鳥が来て 葉が落ちて すこしさみしくて 寒くても そのぶん 夜空には星が光るだろう 月はしずかに照らすだろう あなたの かなしみといかりに それらが しずかに吸い込まれ ひたひたと 満たしていく日日を わたしの 小さな庭は まだまだ泣きたくなるほど貧しいのですね もうすこし 待っていてください いつかあなたに 贈りたいものがある それはまだわたしの桜の蕾のなかに眠っているのでしょうから ここに置手紙を 残していきます ---------------------------- [自由詩]うす布/田中修子[2019年4月12日17時31分] 金の明かりに照らされた 夜桜のトンネルのした を 屋台の光が金色だ。林檎飴をひからせている。 夜叉か、この、爪、爪を磨いて、 夜桜の香にあてられる、 この手が銀の羽になろうとしている、羽ばたきの、音、が いやだ、まだここにおる、おる、 林檎飴、かじる。 澄んだ飴のくだける音、そのさきのまあるい果実、 したたる林檎のその汁はイブの香り、 湯気を立たせるわたしの、赤い着物。 血の赤をしている。みだらに切ったばかりの血の赤を、 リンゴの香りはイブの香り、イブは夜叉、そしてわたし。 金朱! 銀橙! の、花びらが散るよぅ、 魔女は火刑に、 (花弁その、   五枚のうす布を縫い合わされたスカートの裏側    ひるがえって街灯に照らされている     わたしらはふしだらな女たちのそのうちがわを      酒をのみながら好色に覗き込んでいるんだろう) 呵々、笑って歩こう ほらあ、桜の花びらが舞い降りてそのうす布が、 わたしの髪の毛を死で飾ってくれる。 くびりころしてきましたよぅ、幾人も、この世に溢れかえる怨嗟の声は、 病身の、秒針の音 (うるさいねっ  チク、   タク、    チク、     タク、えいえんの音) と共に 桜の花びらが散る 金朱! 銀桃! の、花びらが散るよぅ、 魔女は火刑に処しましょう。 わたしは、 火の柱。 夜をあおぐ、長くたなびく黒髪の焦げる、 風に仰がれて舞い散る桜の花びらに ポッと 炎が うつる。 火柱、黒く焦げる体、内腑で爛れる林檎飴のにおいは鼻をついて甘い。 キャラメルのにおい。--幼児の口。 燃え上がりながら、つめが伸びる、爪が硬質の銀の羽になる。 娼婦たちの嘆きのうす布は引き裂かれて燃えあがった。 あなたらはもう素顔を見せていい。 桜並木がゴウゴウと燃えあがる。 ここは錦に織られた絢爛の、夢のそこ。 ---------------------------- (ファイルの終わり)