宣井龍人のおすすめリスト 2022年5月6日18時06分から2022年6月27日0時01分まで ---------------------------- [自由詩]休日の過ごし方 夜編/夏川ゆう[2022年5月6日18時06分] 数え切れない星たち 休日の夜は何故かスローで あなたと過ごせる時間が長く感じる 夜景よりも何よりも綺麗な愛 幾つも積み重なった喜びが輝く 幾つも様々なことが積み重なって 良い流れに乗って あなたに出逢えたあの夜 お互いの魅力を引き出す夜 何も言わなくても伝わる想い 何も言わなくても伝わるけれど 声に出して想いを伝えたい そのほうが強く伝わる 休日の夜明日のことは一切考えない 綺麗な星たちが魅力ある夜に変える 静かな空間に愛が満ちていく ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇二〇年五月一日─三十一日/田中宏輔[2022年5月9日0時01分] 二〇二〇年五月一日 「柴田 望さん」  柴田 望さんから、同人詩誌『フラジゃイル』第8号を送っていただいた。お名前を知ってる方から知らない方まで、20名以上の方たちの作品が載っている。紙の質が上等で、これつくるのにいったいいくらくらいかかっているのか知りたいと思った。紙の同人詩誌、貴重な一冊をいただいた。 二〇二〇年五月二日 「申請」 @tamakiyuichiro @QHCNMzxPgAQ6iIc もう申請ははじまったのですか。国からはなんの連絡もないですけれど。 二〇二〇年五月三日 「ナンシー」 鏡は、わたしの目を見つめたまま、目を離さなかった。  日知庵で飲んでた。で、くじらのころの薄切り、さらすくじらを酢味噌で食べたんだけど、なつかしい味だなと言って、隣に坐っていたはまちゃんに言った。なつかしいという話から話が飛んで、むかしカップヌードルの自販機があって、あれ食べたよねって言ったら四十九才のはまちゃんも覚えてるっ言った。  丸い穴あけ機が出てきてお湯がどばーって出てきたよねって言ったらフョークがついてねって、はまちゃんが言った。ぼくはお箸がついてたかフョークがついてたか記憶がなかったけれど、フォークがついてたよねって言われたら、フォークの画像が目に浮かんだ。不思議だね、記憶って。  くじらの話とカップヌードルの話のあいだに、はまちゃんが日知庵にくるようになってどれくらい、10年くらいかな、ぼくは17年くらいかなって話をしたと思うんだけど、こまかい話はほかにもしてたかもしれない。だけど、くじらの話とカップヌードルの話はきっかり覚えてた。はまちゃんが49才で、ぼくが59才なので10才違うけど、カップヌードルの自販機は、ぼくが高校生のときぐらいに河原町で見かけたんだけど、はまちゃんも見たって言うから、カップヌードルの自販機、けっこう長いあいだ存在してたのかもしれないね。  フランスのプログレで、兄と妹のユニットで、「ナンシー」って曲をヒットさせてるんだけど、いくら検索しても出てこない。曲は鮮明に覚えているんだけど、その兄妹のユニット名が出てこない。だれか知ってるひとがいたら、教えて。いまから40年くらいむかしの話です。 @classicalL_P ゲーテのファウストは、5つの訳で持っています。 二〇二〇年五月四日 「韓国ドラマ」  読書すすまず、Gyao で韓国ドラマばかり見ている。しかし、それも飽きた。ジョーシンで、A4のコピー紙を2袋買ってきた。いま、書肆ブンの大谷良太くんに、こんど出す詩論集の編集をやってもらっているのだが、そのPDFが届いたら印刷して校正するためだ。重かった、2袋は。詩集も出す予定だ。 マスクまだ届かず。10万円も、どうなることやら。 二〇二〇年五月五日 「詩論集」  こんど書肆ブンから出る、ぼくの詩論集のゲラが届いたので、校正した。186ページの分量だから、いったんは数時間で校正し終わった。だけど、ぼくは、けっこう、うかつ者だから、あしたもう一度、校正作業をしようと思う。そしたら、木曜日には郵便局から大谷良太くんに送れるだろう。  いま見たら、171ページだった。やっぱり、うかつ者だな、ぼくは。なんで186ページだと思ったんだろう。謎だ。 @Maverlyn99 おそらく、生まれつきのうかつ者です。思い込みの激しいたちでもあります。 二〇二〇年五月六日 「松屋」  超高速のエレベーターに乗る夢を見た。7階から1階まで、ぎゅんと。怖かった。  西院の松屋にでも行って、なんか食べてこよう。きょうも、書肆ブンから、こんど出る、詩論集の校正を一日中するつもり。  大谷良太くんちから帰った。冷麺なんかをご馳走になった。ぼくの詩論集の校正もすすんでいる。相変わらず、大量の校正箇所の数だ。言葉の少ない詩人の詩集が、うらやましい。こんどのぼくの詩論集は、引用と考察でぎっしりだ。171ページと、ぼくのものにしては短いけれど。 二〇二〇年五月七日 「ショパンのエチュード 第1番 ハ長調 op.10-1」  けさ、起き掛けに見た夢。教室で生徒に積分を教えていた。30年教えていたからだと思う。もう二度と教壇に立つ気はないけれど。  ELPの『ラブビーチ』のB面の組曲の二番目の曲、ショパンの曲だったんだね。YouTube でショパンの曲を聴いて、はじめて知った。BGMにジャズやクラシックを流すことがあって、それで知ったのだった。なんか、ちょっと残念な気持ち、ELPに対して。ぼくも文学で、よく引用という行為をするのだけれど。 ショパンのエチュード 第1番 ハ長調 op.10-1 だった。  日知庵から帰ってきて、ひさしぶりに、ピンク・フロイドの『原子心母』『おせっかい』『モア』『神秘』を聴いていた。ゆったりとした気分にひたれた。 二〇二〇年五月八日 「Love Beach」  ELPのアルバム、『Love Beach』のB面の組曲の2曲目、ショパンのエチュード 第1番 ハ長調 op.10-1 だった。YouTube でクラシックやジャズをBGMに流すことがあって、ショパンの曲を集めたものを聴いていてわかったのだが、文学でいえば引用かな。ぼくもよくする。でも、なぜだか、なんかちょっと残念。  あさ、5時くらいに起きた。することがない。オールディスの短篇集『スーパートイズ』も、つまんないからなあ。それでも、半分は読んだ。しょうがない。つづきを読もうか。 二〇二〇年五月九日 「細菌列島」  邦画『細菌列島』を Amazon で買い直した。むかし持ってたんだけど、あまりにくだらなかったのでブックオフに売り飛ばしたのであった。いま考えると、主人公の男の子がデブで好みのタイプだったので、買い直したのであった。北朝鮮らしき国が細菌の発症元のパンデミックを描いたコメディー映画だった。  ちなみに、これ、竹中直人さんが北朝鮮らしき国の総統役で出てるんだけれど、竹中直人さんのウィキでははずれていた。ちょい役じゃなかったのだけれどね。ウィキ書いたひと、見逃してるんだね。もうほんとに、おばかな映画だったもの。 二〇二〇年五月十日 「政治的なツイートは控えていたのだけれど、これはしときます。#検察庁法改正案に抗議します」  夢を見た。死んだ母親が出てきた。電灯がつかなくなったので、買ってきてと頼まれて、はいと返事したところで、目が覚めた。母親が死んでることに気がついたからだろう。でも、すぐに気がつけなかった。死んでることを忘れていたからだろう。ボケがはじまると、気がつかないままなのだろうか。  政治的なツイートは控えていたのだけれど、これはしときます。#検察庁法改正案に抗議します 二〇二〇年五月十一日 「ブラウザ」 @Maverlyn99 ありがとうございました。ブラウザをかえるだけで解決しました。機械音痴なので、パソコンはわからないことだらけです。言葉ひとつとっても、今回、ブラウザという言葉をはじめて知りました。  こんど書肆ブンから出る、ぼくの詩論集、原稿が一つ抜けてて、追加編集を大谷良太くんにお願いした。ぼくのミスで作業を煩雑なものにして申し訳ないと思った。こういううかつなところがあるから、ぼくは、ぼくのことを自信をもって信用できないんだな。 二〇二〇年五月十二日 「神様がくれた14日間」  Gyaoで、韓国ドラマ『神様がくれた14日間』を、夜中からいままで見てた。おもしろかった。つづきがまだあるのだけれど、第6話まででも充分におもしろかった。これからクスリのんで寝る。もう朝だけれど。おやすみ、グッジョブ! 二〇二〇年五月十三日 「バンド・オン・ザ・ラン」  きょうは、しんどかって、一日中、寝ていた。きのうから今朝にかけて、いっきょにドラマを見ていたせいなのか、それとも気候がおかしいのか、体調が変だ。 #検察に安倍首相に対する捜査を求めます  気持ちの悪いツイートが返信された。ぼくが政治的なツイートをしたからだが、世の中には、自分と意見が違うと攻撃するひとがいるのだなと思って、ぞっとした。もう政治的なツイートはしないでおこうと思う。気持ち悪い思いはしたくないからね。  ポール・マッカートニーの『バンド・オン・ザ・ラン』を聴いている。ぼくが中学一年か二年で、はじめてLPレコードを買ったときのものだ。ポールはやっぱり天才だと思う。カラオケで、ぼくが歌う曲の2つがここからだ。 二〇二〇年五月十四日 「風邪をひいた」 @ekaba62 風邪をひいたみたい。熱が少しあって、鼻水が出て、からだがだるい。きょうも、おとなしく部屋で休んでおきます。 @ekaba62 ありがとうね。ただの風邪だと思う。季節の変わり目でもあるし、体調には、えいちゃんも気をつけてね。  きょうも、身体がだるくて、しんどい。一日、ゆっくりと横になっていようと思う。鼻水が出て、熱もあるようだから、風邪かもしれない。とにかく、きょうは映像も見ずに横になっていよう。 @ekaba62 えいちゃんは若いからね。でも、ほんと、身体には気をつけてね。 二〇二〇年五月十五日 「須藤謙太郎」  Amazon で注文していた『細菌列島』のDVDが到着したので見てた。細部まで記憶していたDVDだったのだが、主人公役の須藤謙太郎があまりにかわいいおデブなので、買い直してよかった。ただ、現在の須藤謙太郎がどうしてるのか知りたくて検索してみたが、有用な情報は得られなかった。 二〇二〇年五月十六日 「夜のみだらな鳥」  ようやく、ブライアン・オールディスの短篇集『スーパートイズ』を読み終わった。よいなと思える短篇が一つもなかった。タイトル作品も、三部構成だったが、しょぼかった。ぼくの好きなオールディスだけれど、この短篇集は出来がいまいちだったな。  きょうから、寝るまえの読書は、ドノソの『夜のみだらな鳥』にしようと思う。むかし、20年ほどむかしかなあ、さいしょの数ページを読んで、途中でほっぽり出したやつ。読めるかな。いまページを開けて見たら、字が詰まり切ってる。難物だな。 二〇二〇年五月十七日 「細菌列島」  こんど、書肆ブンから出る『詩論集』 一篇増やしたから、総ページ数190ページになった。校正をいまからするのだけれど、この校正って作業、どうにも好きになれない。自分の文章だから見て苦痛になるわけじゃないけれど、量が量だからね。しんどいのだ。  Amazon で買い直したDVDの『細菌列島』レンタル落ちのものだから、30円だった(送料が350円くらいだったかな)から、べつにいいんだけれど、YouTube に『細菌列島』がアップしてあって、なんだかなあって気分。 二〇二〇年五月十八日 「詩論集」  こんど書肆ブンから出る『詩論集』の2回目のPDFプリントアウト・チェックが終わった。あした、大谷良太くんちに持って行く予定。寝るまえに、もう一度、チェックするかな。どこに見落としがあるか、わかんないからね。 二〇二〇年五月十九日 「アンティシペーション」  ドノソの『夜のみだらな鳥』やっぱり退屈だ。途中で2回、居眠りしてしまった。まだ32ページに入ったところなのに。また読むのやめようかな。サンリオSF文庫の短篇集『アンティシペーション』でも再読しようかな。 二〇二〇年五月二十日 「夜のみだらな鳥」  催眠効果があるということで、不眠症のぼくの寝るまえの読書に、ドノソの『夜のみだらな鳥』を読むのがいいかもしれない。見方の問題だ。 二〇二〇年五月二十一日 「サッポオ」  きょう、ひさびさに、呉 茂一さんが訳されたサッポオの詩を読み直した。短くても、伝えることの多い詩だと思った。 二〇二〇年五月二十二日 「悪霊」  夢を見た。部屋に悪霊が入ってくる夢だった。必死で、悪霊退散、悪霊退散と唱えていた。 二〇二〇年五月二十三日 「蜘蛛女のキス」 @kohimon プイグの作品ですね。ブックオフで108円のコーナーによくあります。 二〇二〇年五月二十四日 「アンティシペーション」  サンリオSF文庫のアンソロジー『アンティシペーション』を読んでる。まず、イアン・ワトスンの『超低速時間移行機』、ロバート・シェクリイの『隣は何をする人ぞ』を読み直したのだが、まったく内容を憶えてなかった。いま、3つ目の、ボブ・ショウの『闘技場』を読んでるけれど、これまた記憶にない。 二〇二〇年五月二十五日 「柿色」  夢のなかでだけれど、書店の漫画のコーナーの新刊本のところを見ると、3分の1くらいの本の表紙の絵の地の色が柿色だった。ただそれだけだけど、意外だった。 二〇二〇年五月二十六日 「日知庵」  日知庵で飲んでたら、むかし付き合ったことのあるひとが入ってきて、びっくりした。何気ない挨拶はしておいた。びっくりした。 二〇二〇年五月二十七日 「アンティシペーション」  サンリオSF文庫のアンソロジー『アンティシペーション』を再読し終わった。1作も記憶になかった。読み直しが終わったいま、目次を見て、作者の名前を見て、内容を覚えているものは、最初のイアン・ワトスンのと最後のブライアン・W・オールディスのだけだ。読んだばかりなのにね。クリストファー・プリーストのも覚えているか。それにしても、すさまじい忘却力だ。 二〇二〇年五月二十八日 「夜のみだらな鳥」  このあいだまで寒かったのに、もう暖かくなってきている。59歳半ば。あと何回、季節の変わり目に遭遇するのか、わからないけれど、子どものときのように無邪気に時を過ごせなくなっている。  ささいなことを憶えてる。三十代の後半かな。付き合ってた子に、歯磨きのあとの口ゆすぎの回数が3回だったことについて、「3回しか、ゆすがないの?」と言われたこと。それ以降、4回は口をゆすぐことにしている。  ドノソの『夜のみだらな鳥』いま、ようやく80ページ。物語に進展がほとんどなく、脈絡のない話がつづくので、どういった筋書きかも追うことができず、退屈の極み。むかし、高額で購入した記憶があるのでがまんして読んでるけれど、中断したい気持ち満々。 二〇二〇年五月二十九日 「夜のみだらな鳥」 ドノソの『夜のみだらな鳥』。読ます気がないのかと思えるほどに退屈な本。 二〇二〇年五月三十日 「夜のみだらな鳥」  ドノソの『夜のみだらな鳥』120ページまで読んだのだが、いまだに脈絡のない文章を読ませられてる感じで、なにを読んでいるのかまったくわからない。よくこんな本を翻訳したなと思えるくらい。もうちょっと読んでみるけど、飽きたら途中で読むのやめようかな。 @hidarikata 内容はハチャメチャです。読んでて意味がわからないところだらけです。文字は書かれてある。ただそれだけです。 @hidarikata 読みにくい本はいっぱいありましたが、意味は通じました。百年の孤独も途中で読むのやめました。これもやめるかもしれません。読んでおもしろさに惹かれて読みすすめるような読書がやはりいいですね。  ドノソの『夜のみだらな鳥』いま212ページ目。ようやく読める代物になってきたというところ。ムヒカ=ライネス の『ボマルツォ公の回想』と同じく身体的な奇形がモチーフの中心にあるみたい。 二〇二〇年五月三十一日 「夜のみだらな鳥」 @RT36115795 ぼくの記憶では、子どものころ、アイスキャンディー、5円でした。  ドノソの『夜のみだらな鳥』いま300ページくらいのところなんだけれど、話が、過去に女子修道院にある女性の福者と呼ばれる聖人みたいな女性がいたかどうかというものになってきた。奇形の話は中断か終わったみたいだ。450ページある。こうなったらさいごまで読む。  ドノソの『夜のみだらな鳥』いま370ページ。物語はまとまりつつある感じだ。これから、頭の毛を刈って、お風呂に入って、日知庵に行く。『夜のみだらな鳥』のつづきは、きょうの夜中に。そして、あしたの昼間に。おそらく、あしたじゅうには読み終えると思う。 ---------------------------- [自由詩]詩人というそのおもさ/アラガイs[2022年5月12日1時54分] 低気圧を駆け抜けていくオレンジ色の光 曇り顔が灰色から墨色に変わるそれは 、壺を仕留めたせいだろう きっかけはちょっとした背中の痛み 割れそうな傷口を絹糸で塞いだ モーメント 抗うには遅すぎた蜃気楼ノ 欲望に、顔を出す永久凍土が              塩素系 冷たく カルキ   そこ歴史は嘘をつくことになり     嘘は言葉を二色に混ぜ合わせ  きみの乳液よ 骨髄は執念に浮かび溶け出した 季節は順風かそれともここ 明日ならばもう少し耐えられるのか 重力から 、筆を手に折り考えてみるその軽さ 文字にされる罪人の戯れ                 化身と読まれる意 ゲンザイ形の杞憂 稀有な味だね  駄目だ            詩人たちよ ---------------------------- [自由詩]静けさとラジオ/夏川ゆう[2022年5月13日18時15分] 今はテレビよりも ラジオを聞きたい気分 軽快に喋り盛り上がるラジオ 居間の静けさを壊すことなく 上手く馴染んでいる 雨が降りそうで降らない 天気予報が曇りだと告げる 静けさが何とも言えず好き ラジオが楽しくて 読んでいる本の内容が入ってこない ラジオから流れる音楽は爽やかなもの 家の中も広い庭も静か ラジオだけが鳴り響いている 生きるヒントが多い 静けさとラジオが混ざり合う 眠くなり寝てしまった ---------------------------- [自由詩]打ち壊したの章(ブレーキで二輪車を担ぐもの)/アラガイs[2022年5月14日1時18分] はじめに言っておくがわたしはこれから仕事をしなければならない。たった一時間だが、1100円と少し色つきの重労働だ。これから丑三つ時を過ぎれば街は深く暗い静寂に覆われる。路面も眠っている。陶酔感よりもリスクのほうが心配になる。季節を変えて雨風が容赦なく脆弱な身体を懲らしめるだろう。わたしは鈍った足腰や眠気を抑えつけてもこの二輪車で立ち向かわなければならない。無論使命感など持ちたくはないが、無理にでも期待され任せられれば使命感も立ち上がるというもので、ああ、まったく困ったものだ。振り返ればこれも無知の仕返しだと根に深く思うのもやめた。ただ糧として小銭入れにつないでおくこと。これも自分が撒いた種だと諦めることにしたのだ。 こうして散文のように話しを書き進められていくことには抵抗感もある。それは自由詩というジャンルに括られ、まるで板に縛られているかのようだ。  ここで話しを動機に戻そう。 一度捨て置いたモノを思い返してみる。ということが気になったからだ。 その昔一輪車という仮名で詩を書いた男がいた。不真面目で手荒い語気ばかりが気になる初老の男だった。出鱈目な言葉もよく並べていたが何故か気になる詩を残している。 わたしは以前から物忘れがひどく、人の名前もたちまち三秒で忘れてしまう。そして何かのきっかけでふっと思い出す。これはいわゆる痴呆症状の現れだ。つい最近も彼の書いた詩を思い起こすような出来事を経験した。いや、経験というよりは、わたしの脳内のリズムがあちら調子に狂ってきているせいかも知れない。だとしたらしめたものだ。幼児並みの純粋さが甦り、予想以上に波が際立つとも限らない。 ( こうしてお碗をとりまして〜汁をじゅるっと吸いまして〜麺もちゅるちゅるすすります〜 ) このような文句で書かれたのか定かではないが、書かれた当時その奇妙さにわたしの評価は好ましくなかったと思う。この奇声を発する少女と作者の関係が奇異に読めたからだが、しかし時を隔ててからこの奇声と同じような調子を口ずさんでいる自分に気がついた。いつの間にそうなったのか、本当に気にも止めないうちに。それもハングルやらハンユイやら可笑しなラテン語やらと、わけのわからない言葉でかって気ままに替え歌を作ってしかも声にだして歌ってしまうという。阿呆の鳥(阿呆鳥にはわるいが)この所作を傍で誰かが耳にすれば、この男は気が触れたのか、きっとそう思うに違いない。流行歌一( ビッチュギャッザービッチュギャッザ〜とじまり、ビッチュギャザービッチュギャザー〜こまわり〜)笑 なんのことはない、鈴木あみのBetogetherだった。とりあえず検索してみてやっと取り戻すことができた。 こうなれば独り言も天声を極めていくことになる。あたまの回転は戻る。自らブレーキを壊して軸はぶれる。空間は変調に止まる。痴呆症の男が知的好奇心に蝕まれている。 ヤンバルクイナやあ、やれやれ障害者よりも厄介だ。  と、そろそろ時間差が近づいてきた   続く ---------------------------- [自由詩]2018年5月15日の私からのメールが届きました。/足立らどみ[2022年5月15日7時59分] ▽ 5月病/5月3日の ?? 短文から ▽ 少なくとも、色と数と線と面とが、つながる 脳内神経の束を強制的にブチ切った上でーー 再構築の島で、死ぬほど虚しくならないでね 後生だから、22才で、綺麗にまとめないで ーー ?? の22才前に決心した話だけど、少なくとも、 色と数と形を ?? の意識から放棄したことがある。 人種とかのことではなく、精神の病んでいる 若者として、誰それに教わったことではなくて、 ?? で決めただけのことで、危ない実験の続き、、、 その後、 脳内神経の束を強制的にブチ切った感覚のあと、 再構築の島で、死ぬほど虚しくなつた 今の30才離れた若い人をみて、?? 重ねてしまう のは、歳をとったのか、人類の種として、普通 の行為なのかはわからないけど、昨日のNHKの 人類の話のように、ホモ・サピエンスは、当初 から、この種の初めの頃から、先達の間違いと 成功を次が疑似体験して習得できていたということは、 今の、次の世代、時代のAI/ロボットも、サピエンス の延長なんだなと思うのであった。 ?そんなテレビの内容ではなかったか(笑)。 ーー 少なくとも色と数と形とが つながる脳内神経の糸の束を 強制的にブチ切った上でーー 再構築の島で、 死ぬほど虚しくならないでね 後生だから、未来を綺麗にまとめないで ーー と、真夜中に誰に伝えたいのか判らない。 名宛人は、貴方だ。 ---------------------------- [自由詩]鼓笛隊は反旗をひるがえす/ただのみきや[2022年5月15日13時30分] ひとつの声が磔にされた 影が七つ震えていた 見つめるだけで魚の群れを孕み 蒼いシーツをまとって巻貝を奥へと遡るひと 血を流す鍾乳石 鏡自身の顔  その微笑み 宝石箱に喰われた指 そのクスクス笑いの匂い * ガラスの木霊が太ももに刺さっていた あばらには紅い糸が まつ毛には野焼きの煙が いつまでも絡まって 記憶は歌い 歌は踊った 夢中になって戯れて ゆっくりと花のよう 開いてゆく姿態 見えないなにかと抱き合って * 磨き上げられた無言があった 人々は群れて山になった 裾野が広がっても標高は変わらなかった 折れ曲がった言葉 こわれた水道管 勢いよく立ちのぼり 中空で希薄になる 虹色の笑い声 わたしはわたしの柘榴を啜る 瞳のコイン コインには月蝕の肖像 * メタモルフォーゼ ペンと紙があればいい 戯れというテーゼ 空白を削る 奔放に 隠蔽された 女たち 煙の犬 狩ることも狩られることもなく 時間を交換し合う 鉛の祈り 貝の声 追い詰められて毒を飲んだ ミズクラゲの 静かな爆発 * こじんまりと自堕落に 黒砂糖を燃やしていた 旗のように翻る舌 おまえは剃刀の上を渡って来る光 顔中の開かずの間 * 疑問符と感嘆符に変えられた人間の地下茎に 真綿の無邪気さに包まれた罪のふくらみがある * 忘却の水から逃げるように互いに鋭い欠片を込めて 重ねた手 手の中に隠した心中 * 獅子の口を持った金星が会話の溺死者から時計を盗る ベッドの中で太陽を齧るおまえは暗黒 * たどる 草木に触れながら 光の中を そして光はわたしの中を このゆらめきはわたしではない 光はわたしを現わさない 全てのものは光と衝突し姿を現わすが 楽器ではない わたしは声だ 永遠の眼差しが虚空から孵したもの わたしは感じる者  歌う者 歌は踊り ああ眼差す者  現わす者  名指す者よ ゆらめいている 木蔭と木漏れ日 厚みのない世界でのみ手を取り合える わたしたちは共に 記号の中に現われる * ひとつの豊穣が燃え上る 前髪を切りそろえた 姑息なあどけなさ 熟れたプラムを指で潰す トカゲの尻尾の絶叫 注射器の中で眠っている 空に盗まれたふたつの石 * 瞼の裏のうすむらさき がらんどうのラジオ 酒に浸した脳からインクが染み出している 言葉に滋養はない ただ味だけがある 沼の主を呼び寄せる 音だけがある * 瞳の夜が焼かれて 皮を剥がれた世界 * いつまでも見えないものに目を凝らし 澄み切った虚空にそばだてよ 見つけることで見失い 失うことで得る 忘却への出棺 こちらからあちらへ あちらからこちらへ 贈り合い交わし合う鎮魂 折り畳まれた宇宙を耳元に広げて ハツカネズミより小さな夢をかじる 心臓に重ねたピストルの 銃身がもぞもぞした 朝日を含む 澄んだ涎の銀の糸 * 腰から下が魚のまま肺呼吸を始め 嵐を妊娠しては辺りを巻き込んで行く おまえは超重力の血まみれ時計 倒れて来た本棚の下でバラバラになって 元に戻るには失ったピースが多すぎた 着心地のよい音楽がわたしを鳥の群れに変えてしまう そして鳥たちは記号の群れに 見つけた いや消えた いつもよりはやく                    《2022年5月15日》 ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇二〇年六月一日─三十一日/田中宏輔[2022年5月16日0時01分] 二〇二〇年六月一日 「夜のみだらな鳥」  ドノソの『夜のみだらな鳥』を読み終わった。さいごのとこらへんは、修道院に住まう老婆たちの話になっていた。ディートと呼ばれる男が老人なのか赤ん坊なのかわからないまま、終始、二人称で語り掛けてくるのがシュールといえばシュールな物語だった。 https://pic.twitter.com/lDiYmYRQb6 二〇二〇年六月二日 「木村孝夫さん」  木村孝夫さんから、詩集『福島の涙』を送っていただいた。重いテーマ。冒頭に置かれた詩「宿題」では秀逸な比喩とタイトルに象徴されるモチーフが特徴的だったが、ほかの作品でも、テーマにそって、真摯な内容がつづられている。 https://pic.twitter.com/AwuUjluOxy 二〇二〇年六月三日 「百円おばば」  祇園に住んでたころ、八坂神社の右側にあったうどん屋「初音」に行った。鍋焼きうどんをよく食べた。たぬきうどんもよく食べた。ただそれだけの思い出だけど。百円おばばと遭遇したことがあった。道行く人に百円ちょうだいと言って百円もらってたおばばだ。さきに食べ終わった百円おばばがお金を払うとき、財布らしきもののなかには百円玉がぎっしり入ってたことも思い出した。父親が見てごらんと言ったので見たのだけれど。 二〇二〇年六月四日 「宇宙嵐のかなた」  太陽が降るって言い方はしないけれど、お日さんがかんかんに照ってるときって、太陽が降ってるような感じがしないだろうか。  きのうと、きょうとで、ヴァン・ヴォクトの『宇宙嵐のかなた』を読んでいた。5点満点でつけるとしたら2点くらいか、へたすれば1点。銀河帝国と、それに参加するように迫られる辺境惑星の政治的なやりとりなのだが、どうにも幼稚すぎる展開だった。 https://pic.twitter.com/uLkubTXnVE  きょうから寝るまえの読書は、ハリイ・ハリスンの『殺意の惑星』これも古いSF小説だから、それほど期待していないけれど、カヴァーの絵は、ヴァン・ヴォクトの『宇宙嵐のかなた』と同じくらい、好みである。友人に譲らず、手元に残して置いた理由である。https://pic.twitter.com/VTNIVuYIjw 二〇二〇年六月五日 「殺意の惑星」  ハリイ・ハリスンの『殺意の惑星』を読み終わった。他の惑星を破壊しようとしている惑星に主人公が行って、阻止するっていう話だったけれど、『人間がいっぱい』という傑作を書いていたハリスンだけに話はうまかった。古いという印象も少ししたが。 二〇二〇年六月六日 「神鯨」  きょうから寝るまえの読書は、T・J・バスの『神鯨』再読になるが、大傑作だったと記憶している。楽しみ。 https://pic.twitter.com/AgnHrOD1g4  T・J・バスの『神鯨』主人公の人間らしさが、ほんとに共感できるものだったことを思い出した。自分のクローンの生存権についての話だ。自分の身体のことよりも、人権のないクローンについての思いやりについて思い起こした。自分なら、どうかと。自分の欠損した下半身のためにつくられたクローンについての見解だ。ぼくならどうだろう。自分のためにクローンの身体を使うだろうか。クローンに生存権も人権もない状態でだ。この小説の主人公は、クローンの生存権も人権も認めていたのだった。つまり、自分のために犠牲にしなかったということだ。 https://pic.twitter.com/VuLBtEVi4p  いま Amazon で古書値を見たら2000円近くしてた。この間まで1円で出てたと思うのだけれど。 https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E9%AF%A8-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%AB-SF-312-T-J-%E3%83%90%E3%82%B9/dp/4150103127/ref=sr_1_3?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E7%A5%9E%E9%AF%A8&qid=1591443098&sr=8-3…  ハリイ・ハリスンの『人間がいっぱい』いま Amazon で見たら4000円を超えてた。SF小説は古書値がわからないね。  俗だけれど、持っててよかった。内容もよかったけれど、カヴァーがいいんだよね。 こんなの。 https://pic.twitter.com/HWXjkgEwJl 二〇二〇年六月七日 「コデイン」  Gyaoで韓国ドラマを見ていて、覚えた薬物の名前コデイン。役者の役名パク・ヘヨン。覚えていなくてもいいものなのにね。憶えていなくちゃならないものは忘れちゃうのにね。  いま、えいちゃんの経営している焼き鳥屋の日知庵の従業員をしているのだけれど、ときどき、学校の講師時代のことや塾の先生のときのことや学生時代の学生だったときの記憶がよみがえって、夜中にうとうとしてたら、1分から数分近く、授業の準備をしなきゃとか、朝に起きたときに、授業に出るために準備しなきゃと思うことがあって、これはボケのはじまりかなって、怖くなることがある。親は両方とも死んでいるのだけれど、生きているとして考えてるときもあったりして、これまたボケのはじまりかなって感じることもある。記憶に関することだけれど、怖いことだ。 二〇二〇年六月八日 「神鯨」  T・J・バスの『神鯨』の再読が終わった。憶えていたところが印象だけだったのに気がついた。細部に至るモチーフは忘れていた。全体的によくできた物語だった。けっして読みやすい物語ではなかったが、再読してよかった。     https://pic.twitter.com/I2OkYGHVaH 二〇二〇年六月九日 「『怪奇と幻想』第1巻」  きょうから寝るまえの読書は、アンソロジー『怪奇と幻想』第1巻。再読である。目次を見たら、ロバート・シルヴァーバーグの「墓場からの帰還」とリチャード・マシスンの「魔女戦線」のみ記憶に残っている。全16篇ある。いや、シルヴァーバーグのものも、マシスンのものも、タイトルから内容を思い出したぞ。ただし、その記憶が正確かどうかは、わからず。いまチラ読みで調べてみよう。両方とも記憶通りの作品だった。極度の健忘症なのだけれど、憶えていることもあるのだった。 https://pic.twitter.com/7Xsy11NeHD 二〇二〇年六月十日 「『怪奇と幻想』第1巻」  ドキドキするような読書をしたいものだが、なかなかできないでいる。読む順番を考えて読むし、一字一句、読み残しのないようにして読むからなのだろうけれど、アンソロジー『怪奇と幻想』第1巻、たいくつな読み物が多い。古いってこともあるのかもしれない。 https://pic.twitter.com/8fYEcmwoYz 『怪奇と幻想』第1巻。たいくつなものが多かったけれど、再読してよかったと思えるものにぶつかった。クラーク・A・スミスの「分裂症の神」だ。アイデアが奇抜なだけではなく、叙述もよかった。あと4篇。おもしろいものに遭遇するだろうか。 二〇二〇年六月十一日 「『怪奇と幻想』第1巻」 『怪奇と幻想』第1巻を読み終わった。残る4篇のうち、ヘンリー・カットナーの「ヘンショーの吸血鬼」が面白かった。クラーク・A・スミスの「分裂症の神」と、この作品の2作品のためだけでも再読する価値はあった。きょうから寝るまえの読書は『怪奇と幻想』第2巻。これまた再読である。楽しみ。 二〇二〇年六月十二日 「『怪奇と幻想』第2巻」 『怪奇と幻想』第2巻の再読が終わった。カール・ジャコビの「水槽」、ジェラルド・カーシュの「骨のない人間」、ウィリアム・ホープ・ホジスンの「闇の海の声」がなつかしかった。後者の2作品は、カーシュ、ホジスン個人の短篇集でも読んでいた。また、よく記憶していたもので、フランク・グルーバーの「十三階の女」があった。最後の一行で笑ったのが、ドナルド・ウォンドレイの「赤い脳髄」。あ、こんな書き方もあるのだなと思った。記憶にない作品だった。 https://pic.twitter.com/eJnDLVy9UE 二〇二〇年六月十三日 「『怪奇と幻想』第3巻」  きょうから寝るまえの読書は、『怪奇と幻想』第3巻の再読。シリーズ最後のアンソロジー。タイトルと内容を憶えているのは、オーガスト・ダーレスの「淋しい場所」1作のみ。E・M・フォースターとか、D・H・ロレンスの作品も入っている。古い。徹底的に古い。 https://pic.twitter.com/2Y5N3Wd4i7 二〇二〇年六月十四日 「『怪奇と幻想』第3巻」 『怪奇と幻想』第3巻、読み直しがすすまない。梅雨に入って、体力がなくなったからだろうか。文章を読むスピードがだんぜん遅いのだ。まだ冒頭の作品。 二〇二〇年六月十五日 「イタリヤからイタリアになたのは」  イタリヤからイタリアになったのは、いつごろだろうか。『怪奇と幻想』第3巻の冒頭の作品、レノックス・ロビンスンの「顔」に、イタリヤという言葉が出てきて思ったのだけれど、現代ではイタリヤとは言わずに、イタリアと言うよね。違うかな? 二〇二〇年六月十六日 「『怪奇と幻想』第3巻」 『怪奇と幻想』第3巻、あと2篇で読み終わるのだけれど、憶えているのは、きょう読んだばかりなのに、わずかに2篇だけ。すさまじい忘却力。ファンタジーに属する物語ばかりなのだけれど、気色の悪い話ばかりだ。あと、2篇も、たぶん、そうなんだろうなと思う。 『怪奇と幻想』第3巻の再読が終わった。終わりから2番目の作品、アーヴィン・S・コッブの「信念と希望と愛と」に「イタリア」という言葉が出てきた。冒頭の作品、レノックス・ロビンスンの「顔」には「イタリヤ」とあったことを鑑みると、「ハンカチ」と「ハンケチ」のようなものなのかもしれない。  怪奇もののついでに、きょうから寝るまえの読書は、怪奇もののアンソロジー『ウィアード』1にしよう。これは4巻ものの第1冊目。いま収録されている短篇のタイトルを見たが1作品も憶えていなかった。https://pic.twitter.com/HFO4HTcPye  いま奥付きを見たら、全5巻出ていることになっている。ぼくが持っているのは第4巻までなのだけれど、第5巻なんて見たことがない。ネットで検索しても出てこなかった。第5巻は発売予定だったものかもしれないね。もう少し調べてみるけれど。 どうやら、第4巻までらしい。第5巻まで出す予定だったんだろうね。 二〇二〇年六月十七日 「『ウィアード』1」 『ウィアード』1を、いま212ページまで読んだところで、記憶に強く残るのは、ロバート・ブロックの「エチケットの問題」で。とくにその冒頭の「鼻」の比喩。全体のモチーフは憶えていなかったのだけれど、怒涛の「鼻」の比喩には記憶があった。 https://pic.twitter.com/Z71V2ubypp 二〇二〇年六月十八日 「『ウィアード』1」 『ウィアード』1の再読が終わった。さいごに収められていた、ニクツィン・ダイアリスの「サファイアの女神」がおもしろかった。ふつうのファンタジーだったけれど。  きょうから寝るまえの読書は、『ウィアード』2の再読。記憶にあるのは、ロバート・ブロックの「ノーク博士の謎の島」のタイトルのみ。 二〇二〇年六月十九日 「指が長くなってる夢を見た。」  指が長くなってる夢を見た。気持ち悪いの。ただ長いだけで、何をするわけでもなかったのだけれど。 二〇二〇年六月二十日 「エズラ・パウンド、ジェイムズ・メリル」  夢を見た。予備校で教えていたときの女子生徒に英語の参考書を勧めていたのだが、その参考書の例文がエズラ・パウンドやジェイムズ・メリルのもので、ああ、ぼくも買おうかなって思ったのだった。じっさい、買って持っている。 二〇二〇年六月二十一日 「日知庵」 日知庵に飲みに行った。常連さんばかりで、なじみの風景だった。 二〇二〇年六月二十二日 「『ウィアード』2」 『ウィアード』2、ラブクラフトの「エーリッヒ・ツァンの音楽」と、フリッツ・ライバーの「蜘蛛の館」を読んだ。後者のサスペンス風の展開がよかった。ラブクラフトのもよかった。 https://pic.twitter.com/AaJpBhzSks 『ウィアード』2、オスカー・シスカルの「カシュラの庭」を読んで、恨みって怖いなと思った。メアリー・エリザベス・カウンセルマンの「黒い石の彫像」芸術家の執念を感じた。ラルフ・ミルン・ファーリイの「快楽の館」フィッツ=ジェイムズ・オブライエンの「チューリップの鉢」まあまあよかった。 二〇二〇年六月二十三日 「葉山美玖さん」  葉山美玖さんから、個人詩誌「composition」第4号を送っていただいた。葉山さんの詩は3つ載っているのだけれど、目に記憶があって、「うどん」という詩の最終連「自分の顔を/呑み込みそうだ」が印象的だった。短い詩、いまのぼくには書けそうにないな。 https://pic.twitter.com/EZoTfrH3Ca 二〇二〇年六月二十四日 「『ウィアード』2」 『ウィアード』2に収録されている、ロバート・ブロックの「ノーク博士の謎の島」を読み終わった。ユーモア怪奇小説の部類に入ると思うけれど、怪奇ものでユーモアのある作品って、めずらしいと思う。あと、ソープ・マクラスキイの「忍びよる恐怖」がよかった。これで第2巻は再読、終了。 二〇二〇年六月二十五日 「『ウィアード』3」  きょうから寝るまえの読書は、『ウィアード』3。目次を見ても、さっぱり思い出せず。トップは、またしてもラブクラフト。これは決め事なのかな。「壁のなかの鼠」というタイトルだが、さっぱり内容が思い出せず。自分の記憶力のなさに驚かされる。さて、寝るまでにいくつ読めるかな。 https://pic.twitter.com/tzyYfS7Ylj  フィッシング詐欺にあった。すぐにカード紛失届を出したので大丈夫だと思うけれど。気をつけないといけないね。Amazon くらいでしか使ってなかったけれど、カード番号の変更は、いま見たら、簡単にできないみたい。まあ、2、3週間後だけれどね。 @ekaba62 アマゾンのアドレスから来たから本物だと思ったのだけれど、よく見たら、アドレスが偽物くさくって、すぐにイオンに行って、カードの紛失届を出したんだけど、うかつだったわ。もう二度と引っかからないように注意します。個人情報書きまくってしまった。  ようやく古い番号は削除した。機械音痴だから、そんなことに3、4時間もかかってしまった。  長時間、パソコン相手に、クレジットカードの情報を削除してたから、読書はあまりすすめなかった。これから寝るまで、どこまで読めるか。アンソロジー『ウィアード』3、収録作6作目読了。6作目は純粋な海賊もの。なぜに、これが怪奇幻想小説なのか迷うところ。 間抜けだった。魔女が出てきて魔法を使っていた。忘れてた。 二〇二〇年六月二十六日 「『ウィアード』3」 『ウィアード』3の再読が終わった。どれも平均点くらいのもので、びっくりさせられるようなものはなかった。人間の想像力に限界はないと思うけれど、怪奇ものというカテゴリーには、限界があるのかもしれない。その点、SFには限界がないように思える。いや、怪奇ものにも限界はないのかもしれないぞ。なんといっても、人間の想像力には限界がないんだからね。  きょうから寝るまえの読書は、『ウィアード』4の再読。ラブクラフトのものは、冒頭ではなくて、3作目に収められている。フランク・グルーバーの「十三階」は、『怪奇と幻想』第2巻に収められていた「十三階の女」と同じもの。このシリーズが終わったら、何を再読しようか楽しみ。 https://pic.twitter.com/sElF3O6KxA 二〇二〇年六月二十七日 「5行目は行方不明になったまま戻らない。」 5行目は行方不明になったまま戻らない。 このフレーズを5行目にした詩をつくろう。 二〇二〇年六月二十八日 「『ウィアード』4」 『ウィアード』4の再読が終わった。ポール・S・パワーズの「不老不死の秘薬」、リチャード・マティスンの「スローター邸の惨劇」がおもしろかった。とりわけ、マティスンのものは、彼の長篇『地獄の家』を思い起こさせるものであった。ポール・アーンストの「奇妙な患者」もおもしろかった。 二〇二〇年六月二十九日 「草野理恵子さん」  きょうから寝るまえの読書は、アンソロジー『幻想と怪奇』の第1巻『ポオ蒐集家』3巻ものの1冊だ。ハイスミスの「すっぽん」は名作だった。また、ジャコビの「水槽」、ダーレスの「淋しい場所」といった、つい1、2週間まえに読んだものも収録されているが、名作集だから仕方ないか。 https://pic.twitter.com/Becxcvf7rd  ジョン・マーティン・リーイの「アムンゼンの天幕」も収録されてて、数週間前に読んだ記憶がある。いま、Amazon で、『幻想と怪 ポオ蒐集家』がいくらしてるか見たら、3500円してた。シリーズのほかの2冊は、数百円から4、500円だったのだけれど。古書の値段って、ほんとにわからないものなんだね。  もう少し情報を正確に。Amazon で、『幻想と怪奇 宇宙怪獣現わる』は700円、『幻想と怪奇 おれの夢の女 』は485円だった。  ジョン・グッドウィンの「繭」も収録されていた。傑作選は、こういうことがある。でも、文字の大きさが異なるので、ちょっと新鮮だ。  ディックの「植民地」も入ってた。つい1か月くらいまえに読み直したという記憶があるのだけれど、なにで読んだのかは思い出されない。  草野理恵子さんから、同人詩誌『Rurikarakusa』第14号を送っていただいた。「有毒植物詩」というタイトルの詩を書いてらっしゃる。トリカブトとバイケイソウという植物について書いてらっしゃる。やりつづけるということのむずかしさ。頭が下がります。 https://pic.twitter.com/HE41eKVwv1 二〇二〇年六月三十日 「『幻想と怪奇 宇宙怪獣現わる』」 『幻想と怪奇 ポオ蒐集家』の再読を終えた。きょうから寝るまえの読書は、『幻想と怪奇 宇宙怪獣現わる』の再読。収録作を目次で見ると、ゼナ・ヘンダースンの「なんでも箱」が入っていて、なんだかなという感じ。記憶しているものがあと一つ、ハイスミスの「かたつむり」SF作家の短篇が多いようだ。   https://pic.twitter.com/zV2cB73gKs 『幻想と怪奇 宇宙怪獣現わる』、まだ半分しか読んでいないけれど、迫力で、シオドア・スタージョンの「それ」が断トツにおもしろかった。ゼナ・ヘンダースンの「なんでも箱」はいつ読んでも名作だ。何度読んでもよい。ロバート・ブロックの「ルーシーがいるから」ブロックは裏切らない。 二〇二〇年六月三十一日 「あした区役所に行かなければならない。」 あした区役所に行かなければならない。 ---------------------------- [自由詩]語らない詩人/アラガイs[2022年5月21日2時30分] 俯いて、含み笑いを浮かべて、 、ニヤついてはいない、じっと足もとに視線を落とし、 ときどき、うん、ふん、へえと頷く男、その男詩人、白い球赤い球、黒い球、 黙ったままで、眼がふらんでる空に、やわなつま先、その男   詩人 ---------------------------- [自由詩]日常/TwoRivers[2022年5月21日19時51分] 二十三時 もうすぐ寝るまでの もったいない時間が 照明の下のソファーにある 父親の死とか 明日の仕事の乗り切り方とか 全部雨音に消えて 現実が今だけになる 叶うのは いつも小さい願望で 叶わない 夢と名付けられた凡て 明日も雨 生年月日が今日になりそうな 暗い日常を守ってる ---------------------------- [自由詩]言葉の本質を掴めない/ツィート連詩/足立らどみ[2022年5月22日8時40分] ツィート連詩 1  今朝から、ずっと 計算しているのに 解のでない物語り 曲は知っていても おどれない音楽 亀裂に埋まった垢は とれないままでいる   らどみ 2 最後まで 威張らないでね 我が君よ お願いだから 怒らないでね らどみ 3 正しい間違い 錯誤の整然 沈黙する言葉 朝と夜の境   くらげ 4 晴れの日に傘は要らないと 道端に捨てられた私も 自分がなりたかった本当の姿を ずっとあなたに見ていた    くらげ 5 既に残暑だと 肉体は告げる (次 何処に飛ぶかわかります) (なら いってみる あとでさ) うわの空 残酷なのは 社会より 過去を忘れず 比較する、差異 らどみ 6 捜査令状は机の上に放置して見ず 創作令嬢が身内なのは知っている なのに愉快犯はケムリのよう 本質を掴むのは刑事の仕事ではないか   ECA ---------------------------- [自由詩]円周率の旅/服部 剛[2022年5月23日0時45分] あの頃「敷かれたレール」から逸(そ)れて 長らく僕は、台本のない道を歩いてきた 最近ふと立ち止まり ふり返った背後の道に 無数の数字が記されていた 3.14159265359……… どうやら僕は自分が誰か?を知るために 円周率の道を歩いてきたようだ ある人はそれを「無謀」と呆(あき)れ ある人はそれを「馬鹿」と叱り ある人はそれを「勇気」と讃え ある人はそれを「すてき」と伝えた 僕は単なる馬鹿じゃなく  とびきりの勇気があるわけじゃないけれど ひょっとすると「すてき」なのかもしれない  とうの昔に踏み出した足は このまま円周率の旅を歩いてゆくだろう 何処へ続いているかは、誰も知らないから 明日の風に身をまかせ、僕は闊歩(かっぽ)するだろう 君に打ち明けるなら、この 3.14159265359……… の道を往くことは 何にもましてわくわくと 胸の鼓動が高鳴るんだ この手紙を書き終えた僕は ふたたび歩き始めよう  昼は花々と木の葉たちが歌い 夜は星々がそっと囁く この世界が 二度とない物語だと 知る日まで ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇二〇年七月一日─三十一日/田中宏輔[2022年5月23日1時50分] 二〇二〇年七月一日 「『幻想と怪奇 宇宙怪獣現わる』」 『幻想と怪奇 宇宙怪獣現わる』の再読終了。憶えていたのは、パトリシア・ハイスミスの「かたつむり」だけだったが、繰り返しになるが、シオドア・スタージョンの「それ」1作品があるだけでもこのアンソロジーの存在価値はある。いま目次を見て半分も思い出せず、自らの忘却力にいまさらながら驚く。 https://pic.twitter.com/ZcorBEsFkw 二〇二〇年七月二日 「『幻想と怪奇 おれの夢の女』」  きょうから寝るまえの読書は、『幻想と怪奇 おれの夢の女』シリーズ3巻目、さいごのアンソロジーの再読だ。目次を見て1作品も思い出せず。まあ、読むときに新鮮でいいのだけれど、読んでる途中でも思い出せないことがほとんどだから、まあ、新刊本を読んでるのといっしょだな。お得と言えばお得だ。 https://pic.twitter.com/Myk1yhnxtO  あ、ゼナ・ヘンダースンの「なんでも箱」も憶えていたのだが、彼女の短篇集でも、さまざまなアンソロジーでも読んでいて、もう憶えていなければ、ほんもののボケだな。なんべん読んでも名作。 二〇二〇年七月三日 「前掛けを洗うこと。」  前掛けを洗うこと。カードを受け取りに郵便局に行くこと。ほら、フィッシング詐欺に以前に遭ったでしょ。新しくつくってもらったクレジットカードね。 二〇二〇年七月四日 「死人使い」 『幻想と怪奇 おれの夢の女』の再読を終えた。レイ・ブラッドベリの「死人使い」以外、いま読んだ3篇の短篇しか憶えていない。なんという忘却力。情けない。憶えているのは、よほどの傑作か怪作だということだろう。「死人使い」は萩尾望都が、好きなブラッドベリのなかでは、嫌な作品に挙げていた。 https://pic.twitter.com/UP68iJ8uqR 二〇二〇年七月五日 「『死霊たちの宴』」  きょうから寝るまえの読書は、ゾンビ・ホラーのアンソロジー『死霊たちの宴』上下巻。10年以上もまえに読んだかなという記憶がある。きてれつなゾンビものが入ってた記憶があるが、詳細は思い出せない。カヴァーが超好みだった。 https://pic.twitter.com/ABcPHX0mCn  日知庵の帰り、駅の近くで、こけて、まゆの上を傷つけちゃって、血まみれ。59歳で、飲んだくれて、血まみれ、ひさびさ。手でまゆのあたりを手でさぐって血を見て、ひゃーって感じだった。でも、こんなことがあっても、ときにはいいかなっとも思うぼくがいる。ぼくはおかしいのかな。 あしたは高木精神医院に。 二〇二〇年七月六日 「ホーム・デリヴァリー」  日知庵からの帰り道、ヨッパでこけて、顔を地面にぶつけて血を出してしまった。帰って部屋に戻って顔を見ると、眉毛のうえを血まみれにしてしまっていた。ああ、齢をとると、ヨッパになると、まともに歩くこともできないのだと思った。でも、お岩さんのようになったまえよりひどくはなかったのでОkか。 『死霊たちの宴』上巻、チャン・マコンネルの「花盛り」、リチャード・レイモンの「森のレストラン」の2作品を読んだけれど、エロと暴力が特徴的な作品だった。ゾンビが出てくる作品のアンソロジーだと、そうなるか、と思わせられた。2作目は記憶にあった。 https://pic.twitter.com/I6WeTt0Mh8  3作目に収録されていた、ラムジー・キャンベルの「唄え、されば救われん」は、ラザロを出してきた。甦る死者としては当然と言えば当然か。さて、4作目は、スティーヴン・キングの「ホーム・デリヴァリー」いったいどんな作品だろう。楽しみだ。    キングの作品を読み終わった。記憶していたものだった。妊娠中の妻が蘇った死者である夫を殺す話だった。夫はロブスター漁をしていて、嵐の夜に死んだ溺死者だったのだが、4か月後に海から家に戻ってきたのだった。 二〇二〇年七月七日 「パステル都市」  パステル都市がいま改訳中だそうで、新刊で出たら買おうと思っている。数年まえに友だちに譲っていて、先日、読み直そうと思って本棚になかったことに気がついたのだった。首をちょん切る歩行機械が登場する未来の中世的な世界で不思議な小説だった。はやく出してほしいな。 二〇二〇年七月八日 「すべてがひとときに起こること。それこそが永遠」  ゾンビのアンソロジーを読んでいるのだが、ただ人肉を食らうバケモノとして扱っているのではなくて、物語にさまざまな工夫がしてあって、読ませるものになっている。ここひと月、ふた月ばかり、怪奇と幻想ものを読んできて飽きそうになっていたが、ゾンビもの、なんだか読んでて生き生きとしてきた。 https://pic.twitter.com/XLWUsbSril  フィリップ・ナットマンの「始末屋」は短いながらも続篇を期待させられる終わり方だった。エドワード・ブライアントの「地獄のレストランにて、悲しき最後の逢瀬」は読み物として優れていた。スティーヴ・ラスニック・テムの「胴体と頭」はアイデアが抜群だった。すべて読み直しをしてすぐ思い出した。    ゾンビ・アンソロジー『死霊たちの宴』上巻の再読を終了した。グレン・ヴェイジーの「選択」は、哲学というか神学というか、そんな方面に赴いたもので、ゾンビ臭くなかった。レス・ダニエルズのものは、ゾンビに赤ちゃんが生まれるというもので、しかもその赤ちゃんは、ふつうの人間だったというもの。         グレン・ヴェイジーの「選択」には、「すべてがひとときに起こること。それこそが永遠」(夏来健次訳)というすてきな言葉がある。「「詩人て、だれのこと?」」(夏来健次訳)という言葉もある。  きょうは徹夜しちゃった。きょうから寝るまえの読書は、ゾンビ・アンソロジー『死霊たちの宴』下巻の再読。どれだけ、ぼくを楽しませてくれるかな。 二〇二〇年七月九日 「西原真奈美さん」  西原真奈美さんから、詩集『光りのパース』を送っていただいた。実景があって、その実景だけがもたらせる豊饒さというのがある。西原真奈美さんの詩がそうだ。ご自分のことを書かれても景物を書かれても父やねこのことを書かれてもその豊饒さがうかがえる。おこころが豊かであられるのだろうなと思う。 https://pic.twitter.com/rrryXjecwl 二〇二〇年七月十日 「闇の展覧会」  本棚を探してもなかったので、ハヤカワ文庫から出てた『闇の展覧会 霧』、『闇の展覧会 敵』、『闇の展覧会 罠』を Amazon で買い直した。3冊で、送料込みで2050円だった。『敵』は、背に破れがあるらしいので、覚悟している。カヴァーが命のぼくだから。2050円、新刊本2冊が買えたなあ。再読。 二〇二〇年七月十一日 「がっちり食べまショウ」 『死霊たちの宴』下巻の途中だけれど、4作品を読み直した。ダグラス・E・ウィンターの「レス・ザン・ゾンビ」は純文学みたいだった。スティーヴン・R・ボイエットの「パブロフの犬のように」とブライアン・ホッジの「がっちり食べまショウ」とジョー・R・ランズデールの「キャデラック砂漠の奥地にて、死者たちと戯るの記」の3作品は、設定が凝っていて、ああ、文学とは、順列・組み合わせなのだと再認識させられた。この3作品は、暴力描写もすさまじくて、暴力描写がゾンビ作品の特徴なのだと、これまた再確認させられた。 二〇二〇年七月十二日 「『影よ、影よ、影の国』」  徹夜で、『死霊たちの宴』下巻を読み終わった。ニコラス・コイルの「サクソフォン」は人間並みの知能と行動力をもったゾンビたちの話で、ロバート・R・マキャノンの「わたしを食べて」は、ゾンビが一般人化しているなかでの恋愛ものだった。あとひとつの話は特におもしろいものではなかった。 https://pic.twitter.com/jvVcpgBrLV  きょうから寝るまえの読書は、カヴァーが超かわいい、シオドア・スタージョンの『影よ、影よ、影の国』の再読。楽しみ。 https://pic.twitter.com/EEd39OzBwm  Amazon で注文してた『闇の展覧会 罠』が到着した。並み程度の状態。読むのは、1、2週間後かな。 https://pic.twitter.com/LYaj3xbXZy 二〇二〇年七月十三日 「廿楽順治さん」  廿楽順治さんから同人詩誌『Dawn Beat』第16号を送っていただいた。廿楽さんの作品「船岡山」「東京大明神」の2作品、うまいなあと思わせられる。どこからこんな詩を思いつかれるのか、聞いてみたい気がした。 https://pic.twitter.com/gfOIrNoT9X 二〇二〇年七月十四日 「『闇の展覧会 敵』」 『闇の展覧会 敵』商品説明には背表紙に破れがあるとは書いてあったが、表表紙に破れがあるとは書いてなかったので、返品希望した。ショップからの連絡待ち。でも、もう新たに、Amazon で、『闇の展覧会 敵』を別のショップで買った。 https://pic.twitter.com/fQd6zUMiIB 二〇二〇年七月十五日 「広田 修さん」  広田 修さんから、詩集『societas』を送っていただいた。さまざまな題材を扱っておられて、ひとつひとつの作品が、じっくりと練られてつくられているなと思った。「僕は仕事ができない」「裏返る」など、ひじょうに共感できる作品がある一方、「年度の終わり」といった突き放される作品もある。重厚。 https://pic.twitter.com/YCeKfCzVH9  広田さんの作品、「無口ゆえに」にも大いに共感できた。「時間」といった作品にも共感できた。しかし、「一職員」といった難解な作品もある。きょうじゅうに読み切れないと思う。読み切るのに時間を要する詩集のようだ。 『闇の展覧会 霧』が到着した。新刊本のようにきれいだったので、大満足。きょうから寝るまえの読書にするつもりだ。楽しみ。再読だけれど、きっと新鮮な気持ちで読めると思う。細部を憶えていないからね。 https://pic.twitter.com/jcMTZEn1HX  到着した『闇の展覧会 敵』表表紙に破れがあったけれど、これで読むことにした。本文は新刊本のようにきれいだったからね。 https://pic.twitter.com/5XQMzemsFW 『闇の展覧会』は『敵』『罠』『霧』の順番だったようなので、この順に読むことにする。そのまえに、シオドア・スタージョンの『影よ、影よ、影の国』の残り、2篇を読まなければならない。スタージョンの作品、ぼく好みの独特の視点から語られていて、好き。 https://pic.twitter.com/zf16jlNzpX 二〇二〇年七月十六日 「『死霊たちの宴』」  Amazon で、『死霊たちの宴』上下巻のカスタマーレビューを書こうとしたら、ぼくには書き込める資格がないということがわかった。過去1年間のあいだに、5000円以上の買い物をしていなかったためであった。そうか。過去1年間に、Amazon で、5000円以上、本を買っていなかったか。 https://pic.twitter.com/vLBpDUXcxR 『闇の展覧会 敵』を読んでいるのだが、たくさんの怪奇幻想ものをつづけて読んできたからか、刺激がなくなってきた。叙述の仕方を読みながら味わっているという感じだ。驚かせてくれる作品にはなかなかたどり着けそうにないな。 https://pic.twitter.com/Kwor0C32z4 ジーン・ウルフの作品でさえ、刺激的ではなかった。 『闇の展覧会 敵』ロバート・ブロックの「クリスマスの前夜」はグロなだけの作品だった。ジーン・ウルフの作品はピントが合ってない写真のようだった。ロバート・エイクマンの作品「マーク・インゲストリ──客の物語」は散漫な印象。  ラムジー・キャンベルの「闇の孕子(はらみご)」はラブクラフトの焼き直し。アイザック・バシェヴィス・シンガーの「敵」は読ませるが、怪奇ものとは言い難い。あと4篇、どだろ。  クリフォード・D・シマックの「笛吹く古井戸」には、シマックらしい情景描写の細やかさを味あわされた。作中に出てくる、恐竜の胃袋に入っていた石の話は、ほんとうの話なんだろうか。興味深い。再読なのにすっかり忘れていた。  つぎのチャールズ・L・グラントの「赤黒い薔薇の庭」は、さいごのあたりの描写が意味がわからなかった。怖くもないし、嫌な気分にもなれずに、ただ放り出されたかのような感じがした。 二〇二〇年七月十七日 「あと2篇だった。」 あと3篇。ここまで1篇も記憶になかった。記憶力の低下がはなはだしい。  あと2篇だった。カール・エドワード・ワグナーの「なつの終わるところ」とジョー・ホールドマンの「リンゼイと赤い都のブルース」 両方とも叙述が優れていた。ワグナーのものはまだ怪奇ものと言えそうなものだったが、ホールドマンのものは怪奇ものとしては弱かった。  すべて既読なのだが、本棚になかったので、Amazon で、ホラー・アンソロジーの『ハードシェル』、『スニーカー』、『ナイト・ソウルズ』、『999 狂犬の夏』、『ナイト・フライヤー』、『カッティング・エッジ』を買った。総額で、3000円ほどだった。『ナイト・フライヤー』の中の1作しか憶えていない。  きょうから寝るまえの読書は、『闇の展覧会 罠』これまた1作も憶えていない。 https://pic.twitter.com/d5tZUR03Sk  ついでに、これまた既読だけれど、本棚になかったので、吸血鬼アンソロジー『血も心も』もAmazon で買った。送料込みで400円ほど。  ついでに、『幽霊世界 』(新潮文庫)もAmazon で買った。送料込みで500円くらい。  本を8冊買ったので、Amazon でカスタマーレビューが書き込めることになった。1年のあいだに5000円以上の買い物をすればよいのだ。さっそく10冊ばかり、レビューを書き込んだ。 二〇二〇年七月十八日 「高野 尭さん」 『闇の展覧会 罠』冒頭の作品は、ぼくの好きな作家、シオドア・スタージョンの「復讐するは……」であった。男性に犯された女性が復讐するというものだが、病気をうつすというもの。HIVを経た現代では、現実的である。スタージョンのものは即効性の痛みを伴うものだったが。 https://pic.twitter.com/a638Lbv52T  二番目に収録されていたエドワード・ブライアントの「闇の天使」も復讐ものだった。ブードゥー教のように、人形を用いて、というもの。これも女が男に復讐するのだが、なんと相手の男を妊娠させてしまうというもの。  高野 尭さんから、詩集「逃散」を送っていただいた。ぼくなど太刀打ちできない言葉の構築性をもってらして、おいくつくらいの方かしらと思って奥付を見たら、1961年、ぼくと同じ年にお生まれになった方だった。この方のような言葉を使って生活することなど、ぼくには到底できないと思った。 https://pic.twitter.com/MMfEPeub8l 二〇二〇年七月十九日 「ゲロンチョン」  3番目に収録されてたリチャード・マシスンとその息子のリチャード・クリスチャン・マシスンの「精神一到……」は生きたまま棺に入れられて葬られた男の話で、オチがよかった。次に収録されてたジョイス・キャロル・オーツの「ビンゴ・マスター」はまったくの普通小説で、ホラーではなかった。  5番目に収録されていたエドワード・ゴーリーの「莫迦げた思いつき」は1ページごとに絵がついていて、絵のしたに、3、4行の文章が載っているもの。これはホラーというより寓話のような感じがした。これまた記憶にいっさい残っていなかった。  ラッセル・カークの「ゲロンチョン」を読み直した。これまた記憶にいっさいないものだった。叙述がうまい。タイトルは、エリオットの詩から。つぎに読み返す機会があるとしても10年くらい先になると思うけれど、きっと話は忘れていると思う。明日にも忘れているかもしれない。いや、きっと忘れてる。 二〇二〇年七月二十日 「しかし、そもそも石とは何か?」  レイ・ブラッドベリの「見えざる棘」は時間もののSFだが、ホラー風味はなかった。ゲイアン・ウイルソンの「罠」は鼠が襲ってくるものだが、ありきたりだった。『闇の展覧会 罠』は、ちょっと平凡な作品が多いかな。あと長めの1篇で終わり。おもしろいかな。どだろ。 『闇の展覧会 罠』さいごに収録されてたT・E・D・クラインの「王国の子ら」を読み終わった。254ページから382ページまであり長めの短篇だった。叙述はうまかったが、ほとんど普通小説で、終わりにちょこっと怪奇ものめいた描写があるだけだった。  きょうから寝るまえの読書は、『闇の展覧会 霧』の再読だ。本分の3分の2を占めるスティーヴン・キングの「霧」だが、叙述がうまかったことだけは憶えている。他の4篇ともども再読が楽しみだ。 https://pic.twitter.com/ZiH5xRZxt6  秋山基夫さんから、詩集『シリウス文書』を送っていただいた。詩型を見て、つくづくフォルマリストなのだなと思われた。「夢とわかれば覚めなかったのに/覚めないままに生きながらえて」といった詩句にこころの目がとまる。 https://pic.twitter.com/lMcAuOCEYN  Amazon で購入した本が7冊届いた。『スニーカー』、『999 狂犬の夏』、『ナイト・ソウルズ』、『ナイト・フライヤー』、『カッティング・エッジ』、『ハード・シェル』、『血も心も』、『ハード・シェル』の表紙に破れが、『スニーカー』の表紙に折れがあったのが残念。 https://pic.twitter.com/hGziFiGIov 『闇の展覧会 霧』冒頭のデニス・エチスンの「遅番」を読んだ。だいたいの内容はつかめたが7割くらいといったところ。はぐらかされている部分があって、作品にくっきりとした輪郭を与えない。 https://pic.twitter.com/db5t68mGpk リサ・タトルの「石の育つ場所」つくりものめいたところが目立つ。 「しかし、そもそも石とは何か?」(リサ・タトル『石の育つ場所』広瀬順弘訳、68ページ、うしろから4、5行目)  マンリイ・W・ウェルマンの「昼、梟(ふくろう)の鳴くところ」ようやくこれぞ怪奇もの、というものに出合った。点数をつけるとすると低い点数になるものだけれど。 二〇二〇年七月二十一日 「『幽霊世界』」 Amazon で注文していた『幽霊世界』が到着。 https://pic.twitter.com/up9IClCGOt  デイヴィス・グラッブの「三六年の最高水位点」は、読んでて楽しい作品であった。デイヴィス・グラッブの作品はソノラマ文庫海外シリーズの1冊『月を盗んだ少年』が本棚にあるので、そのうち再読しようと思った。さて、これからキングの「霧」である。シリーズで唯一、記憶に残っていたものである。 「霧」やっぱりおもしろかった。動きがあって、映像が思い浮かぶ。映画のようだ。詩も動きのあるものが好きだ。小説も動きのあるものが好きだ。映画版とはさいごが違うが原作の小説のほうがよい。  きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジー『ナイト・フライヤー』の再読。スティーヴン・キングの作品だけは憶えている。記憶に残る情景描写を書く作家であるということであろう。 https://pic.twitter.com/7Hc62uaTC9 二〇二〇年七月二十二日 「『ナイト・フライヤー』」  キングの「ナイト・フライヤー」のさいごの場面は、記憶していた通りだったが、そこに行くまでの箇所は、記憶してなかったが、読みながら思い出していた。何年さきになるかわからないけれど、また再読するときも同じようにさいごの場面しか覚えてないんだろうな。  つぎに収録されているポール・ヘイズルの「昼食に女性を」は、タイトル通りの作品で、とても短い作品だった。途中まで読んで、思い出した。優雅な筆致で残酷な作品だった。 「昼食に女性を」のさいしょのページ、大きなくしゃみをして、開いたページを唾で濡らしてしまった。すぐにティッシュで拭いたけれど、ちょっとしわしわになった。でも、時間がたって見てみたら、しわしわがなくなっていた。不思議。でも、よく見ると、波のように、しわしわが残っていた。およそページの4分の1くらい。唾がたくさん出たものなあ。 二〇二〇年七月二十三日 「血の口づけ」  きのうの夜はものすごい食欲だった。日知庵でまかないで出してもらった鰻丼とサラダやおかずを食べたあと、帰りにお土産でもらった赤福まんじゅうひと箱と、とんかつ弁当を部屋に戻って、1時間ほどかけて食べた。たぶん、いままで食べた量のなかで最高だったと思う。どれもみな、おいしかった。  つぎは、デニス・エチスンの「血の口づけ」を読んだのだが、作品のなかの作品というか、脚本仕立ての作中作のアイデアはいいとしても、地の部分がよくわからないもので、作中作はわかるものだけに、読んでて、もやもやした気になった。  そのもやもやを解消するために、地の部分を、地の部分だけを、もう一度、読み直した。意味はわかった。怪奇ものではなかった。作中作はゾンビ映画の脚本だったので、いちおう怪奇ものの短篇ということになるのかな。 二〇二〇年七月二十四日 「オレンジは苦悩、ブルーは狂気」  クライヴ・バーカーの「魔物の棲(す)む路(みち)」は、ダーレスの「淋しい場所」を思い出させる雰囲気だったけれど、さいごの場面が唐突すぎて、それまでの物語と乖離しているような感じがした。さいごの場面をどうにかしたら、ずっとよい作品になっていたような気がする。  トマス・テッシアーの「餌(えさ)」はホラーといっても、魔物が出てくるんじゃなくて、ただ太った女性が出てくるだけで、食べることに執着した女性に、さいごは男性が圧し潰されて死んじゃうという話。ホラーというよりコミック。  M・ジョン・ハリスンの「パンの大神」好きな作家だけに贔屓目かもしれないけれど、幻想系の純文学めいたものに思えた。点数をつけるとすると5点満点で3点かな。雰囲気はある。優れた作家だと思うけれど、M・ジョン・ハリスンの短篇は、長篇ほどおもしろいものではない。長篇はすこぶるおもしろい。  デイヴィッド・マレルの「オレンジは苦悩、ブルーは狂気」を読んだ。これまた読んだ記憶がいっさいないものだった。アイデアがすばらしい。叙述も見事だ。ただ怪奇ものというよりは幻想系だろうと思う。  ピーター・ストラウブの「レダマの木」40代の作家が7歳のときに経験した性的体験を中心に物語は進む。ようは、幼児性愛者にいたずらされたことがつづられるのだけれど、そこの描写がけっこう生々しかった。怪奇ものでも幻想系でもなかった。なんでホラー・アンソロジーに入れたのか理由がわからん。 二〇二〇年七月二十五日 「死者との物語」  チャールズ・L・グラントの「死者との物語」釣りをしている家族と女性がでてくるが、ふつうの会話がなされるだけで、タイトルを見ると、だれかが死者なのかもしれないけれど、そんな雰囲気もなくって、こんなんありなんかいなと思わせられた。 二〇二〇年七月二十六日 「大和田 始さん」  トマス・リゴッティの「アリスの最後の冒険」隠遁した女流作家が朗読会で朗読するというのがおもな場面だが、ちっとも怪奇ものじみたところがないシロモノだった。  ラムジー・キャンベルの「このつぎ会ったら」自分のことを作家だと思い込んでいて、ベストセラー作家たちが自分のアイデアを盗んで出版していると妄想している男が主人公。ホラーでもなんでもない。つまらない作品だった。  尊敬している翻訳家の大和田 始さんに、ぼくのツイートに、いいね、していただいてびっくりしている。とてもうれしい。M・ジョン・ハリスンの『パステル都市』を改訳してらっしゃるところだけれど、改訳、ほんとうに楽しみにしている。  ホイットリー・ストリーバーの「プール」を読んだ。これまたホラーでも、幻想系でもないシロモノだ。息子がプールで溺れ死ぬというだけの作品だ。ストリーバーといえば、『薔薇の渇き』、『ラスト・ヴァンパイア』、『ウルフェン』といった傑作長篇を書いた作家なのに。この短篇はよろしくなかった。 二〇二〇年七月二十七日 「『血も心も』」  ハリイ・ハリスンの『人間がいっぱい』がいまいくらくらいするのか、Amazon で見たら7119円してた。1か月まえくらいには、4000円だったと思うけれど。たしかに名作だけれど、値上がりしすぎだと思う。ハヤカワは復刊するべき。アシモフ、クラークばかり復刊せずにね。 https://pic.twitter.com/E7HnpgCliF  さいごに収録されていたジャック・ケイディの「暗黒を前にして」これもホラーじゃなかった。戦争のときに悪さをした人物が戦後にノイローゼになり、その友人も狂っていて殺し合うというもの。むかし、『ナイト・フライヤー』手放したのもわかる。  きょうから寝るまえの読書は、吸血鬼アンソロジー『血も心も』の再読。おもしろかったかな。これまたひとつも憶えていない。 https://pic.twitter.com/zvwJfNyNnJ  1つ目のダン・シモンズの「死は快楽」は、シモンズの長篇『殺戮のチェスゲーム』の冒頭をはしょったものだった。意志の力で他人にいうことをきかせる超能力者同士の殺し合いを描いたもの。『殺戮のチェスゲーム』自体は別のところに主題があるし、分厚い上中下巻に分冊されたもので壮大な物語である。  2つ目のゲイアン・ウィルスンの「海はどこまでもぬれにぬれ」は、ルイス・キャロルの詩からインスパイアされたもの。短い作品だった。  3つ目のギャリー・キルワースの「銀の首輪」は、吸血鬼に聖水の注射をしたって話だ。はじめて読む話だ。この本もまた再読なのだけれど、すさまじい忘却力のせいではじめて読んだ気になるのであった。  4つ目のハーラン・エリスンの「鈍刀で殺(や)れ」説教伝道師が聴衆の犠牲になっているという話だ。直接、血を吸われるために、とうとう一人の少女に刺されてしまったというわけ。  5つ目のスコット・ベイカーの『静脈条虫」シャーマンと呼ばれる魔術師の物語。おもしろかった。ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を思い出した。話はぜんぜん違うけれど。  6つ目のレオニード・ニコライヴィッチ・アンドレイエフの「ラザロ」読みながら、どんな物語か思い出していた。さいごのところが思い出されなかったけれど、物語自体は興味深かった。ラザロについては、ゾンビのアンソロジーでも触れられていた。なんといっても、よく知られた話だからね。  7つ目のハーヴィ・ジェイコブズの「乾杯!」アイデアがさえてるって感じ。  8つ目のシャロン・ファーバーの「砂漠のヴァンパイア、よみがえる」読んでも意味がぜんぜんわからない話だった。吸血鬼も出てこず、怪奇ものですらなかった。 二〇二〇年七月二十八日 「『血も心も』」  9つ目のエドワード・ブライアントの「夜はいい子に」は、逆転の発想でおもしろかった。少女たちにエネルギーを奪われる吸血鬼の物語だった。  10作目、フリッツ・ライバーの「飢えた目の女」タイトル通りの作品だった。  11作目のタニス・リーの「ジャンフィアの木」雰囲気のある作品だった。伏線もしっかりしていたし。  12作目のスーザン・キャスパーの「闇(やみ)の申し子」医学的な理由で血を欲する女性の話。吸血鬼って感じはしなかった。  13作目のスティーヴ・ラズニック・テムの「夜想曲」は詩だった。なにも感じない。 二〇二〇年七月二十九日 「死者にまぎれて」  14作目のガードナー・ドゾワ&ジャック・ダンの「死者にまぎれて」は、ナチ収容所に囚われていたユダヤ人の吸血鬼の物語だった。これは、シモンズの長篇『殺戮のチェスゲーム』と重なる部分もあって、おもしろく読めた。 二〇二〇年七月三十日 「『999 狂犬の夏』」  15作目のチェット・ウィリアムスンの「その悲しみを……」役者の話。他の役者の才能を奪う話。血ではなく、感情を奪うのだ。  16作目は、SF作家としてよく知られた、ぼくの大好きなジョー・ホールドマンの「ホログラム」これは詩だった。だが、感情移入できなかった。  17作目、さいごに収録されていた物語はSF。才能の枯渇した芸術家が、こころに接触する機械を操る主人公に診てもらう話。けっきょく芸術家は、現状維持を望み、才能は枯渇したままという話。この本も5点満点中、3点といったところか。  きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジー『999 狂犬の夏』の再読。これまた一つも作品を憶えていない。 https://pic.twitter.com/ylqzhDxuP6  1つ目、ジョー・R・ランズデールの「狂犬の夏」おもしろかった。アメリカ南部の風土がよく表現されていた。ホラーというよりミステリーって感じかな。 二〇二〇年七月三十一日 「『999 狂犬の夏』」  2つ目のトマス・リゴッティの「影と闇」は、ホラーというよりも形而上学的な問題を作品にしたもののように受け取れた。読むのが少し苦痛だったのは、ぼくが哲学的な言葉の言い回しに慣れていなかったせいだろう。  3つ目は、スティーヴン・スプライルの「ヘモファージ」とても短い吸血鬼ものだった。もう少し長くてもよかったのに。というか、叙述がうまいので、もっと長く味わっていたかった。 ---------------------------- [自由詩]言葉の胎児/葉leaf[2022年5月25日5時45分] 一歳になる君の中には 言葉の胎児が眠っている まだ器官が発達の途上で それでもときおり胎動を返す 言葉の胎児がぐんぐん育っている パパやママのおしゃべり 呼びかける言葉 絵本の読み聞かせ テレビ番組の歌 すべてが言葉の胎児を養っている 名前を呼べばこちらを向き 褒められれば喜び 叱られれば泣く そんな君の中の言葉の胎児 やがて君は言葉を発するようになる 胎児はそのときはじめて外気を浴びるのだ ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇二〇年八月一日─三十一日/田中宏輔[2022年5月30日0時02分] 二〇二〇年八月一日 「リハーサル」  ホラー・アンソロジー『999 狂犬の夏』の4つ目は、トマス・F・モンテルオーニの「リハーサル」舞台で起こる怪異談。といっても、芝居がはけてから起こる出来事を扱っている。父親に愛されなかった劇場の掃除係兼警備員の主人公が架空の舞台で芝居のような感じで亡くなった父親と話をする。さいごには和解するというもの。 二〇二〇年八月二日 「闇」 あしたは高木神経科医院に。処方箋をもらいに。  5つ目は、デニス・L・マッカーナンの「闇」財産を継いだ男が邸の闇のなかになにものかがいると思って怯え、死ぬ話だが、さいごのオチで、話が循環するものであることがわかる。 二〇二〇年八月三日 「死の舞踏」  マーヴィン・ピークの短篇集『死の舞踏』が Amazon でいくらくらいするのか見たら、9800円だった。W・H・ホジスンの『夜の声』は2493円だった。ジェラルド・カーシュの『壜の中の手記』はまだ新品で出ていて607円だった。古書で247円だった。よい本は、絶版にしてほしくないな。 二〇二〇年八月四日 「別天地館」  さいごの6つ目は、ウィリアム・ピーター・ブラッティの「別天地館(エルスウエア)」本文273ページから459ページまで、この短篇集のおよそ半分の長さのものだ。さすが『エクソシスト』の作者だけはある、びっくりさせられる結末だった。  しかし、そろいもそろって、読んだ記憶がさっぱりないのだが、アルツだろうか。読み直しをしているのだけれど、これじゃ、新刊本を読んでるのと、違いが一つもない。お得といえば、お得なのだが、ほんとにアルツの疑いが……。  きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジーの『カッティング・エッジ』の再読だ。目次を見ても、1作も思い出せず。 https://pic.twitter.com/VaQqYwWbuL 二〇二〇年八月五日 「アジア系の外国人」  ぼくの住んでるマンション、さいきんアジア系の外国人が何人も入ってきて、夜中がうるさい、朝は6時台からうるさい。なんとかならんのかいという感じ。 二〇二〇年八月六日 「荒木時彦くん」  荒木時彦くんから、詩集『今日、考えていたこと』を送っていただいた。「殺人」というタイトルの詩が2篇と、「散歩」と「タバコ」というタイトルの詩篇が載っていた。「殺人」という詩、そうとう怖い。冷静に書いてある分、ほんとうに怖い。「散歩」は気楽に読めた。 https://pic.twitter.com/iAL8i8J2WM 『カッティング・エッジ』、1作目、ピーター・ストラウブの「ブルー・ローズ」催眠術を使って弟を殺す兄の話だ。しかも子どものときの話だ。  2作目は、ジョー・ホールドマンの「怪物」だ。ベトナム戦争ものだ。タイトルからすると、本物の怪物がいたかも、と思えるが、本文を読むと、主人公の黒人青年が怪物だった可能性もある。 二〇二〇年八月七日 「空隙」  3作目は、カール・エドワード・ワグナーの「空隙」性転換手術した絵描きのドラッグ漬けの話。ホラーでもなんでもない。  4作目は、W・H・パグマイア&ジェシカ・アマンダ・サーモンソンの「蒼(あお)ざめた震える若者」ノイズ・ミュージックをやってる若者のバンドのボーカルが首を吊って死んだという話を聞いた30歳の男が、その場所で、大音量のノイズを耳にするというもの。 二〇二〇年八月八日 「バラバラ殺人のためのBGM」  5作目は、マーク・レイドローの「バラバラ殺人のためのBGM」バラバラ殺人犯の青年と、狂った母親の物語。 6作目は、ロバータ・ランの「さらば、闇(やみ)の恋人」男を殺した色情狂の女の話。 二〇二〇年八月九日 「からくり絵本」  清水鱗造さんから、小説『からくり絵本』を送っていただいた。巣と呼ばれる住居とからくり絵本と呼ばれる機械など、SFの設定で話が進む。巣と呼ばれる住居から、T・J・バスの『神鯨』というSF小説が思い出された。人類のほとんどが巣(ハイブ)と呼ばれる住居に住んでいる設定だ。 https://pic.twitter.com/hKQr4dTAbG 二〇二〇年八月十日 「向こう側」  7作目は、チャールズ・L・グラントの「向こう側」眠るたびに、身体に傷がついていく男の話だ。小さな傷なら、ぼくにも生じたが、この物語では小さな傷ではない。しかし、ただそれだけの物語だ。  8作目は、スティーヴ・ラズニック・テムの「いじめ」タイトルとは関係なくて、家庭崩壊と家自体の崩壊を描いたもの。 二〇二〇年八月十一日 「やつらの目あては」  9作目は、ジョージ・クレイトン・ジョンスンの「鍬(くわ)を持つ男」近所の野良猫を殺した男の話。ただ殺しただけの話。  10作目は、レス・ダニエルズの「やつらの目あては」妻と妻の愛人を殺した男が目にしたのは、死体となってまたセックスしはじめる妻と妻の愛人の死体の姿。  11作目は詩で、リチャード・クリスチャン・マシスンの「吸血鬼」ほとんど何も感じなかった。 二〇二〇年八月十二日 「とぎれる」  12作目は、チェルシー・クイン・ヤーブロの「とぎれる」交通事故にあった女性が支離滅裂な状況におかれるという話、女性の頭が狂っているというふうにもとれる。  13作目は、ウィリアム・ノーランの「最後の石」現代に甦った切り裂きジャックの物語。読んでる途中で、内容を思い出した。  14作目は、ニコラス・ロイルの「非関連性」知り合って3週間目の女性に手を出して、拒絶された男が、彼女を逃し、二人で忍び込んだ夜の女学校を彷徨う話。幻想的だが、中途半端な印象。 二〇二〇年八月十三日 「手」  15作目は、ラムジー・キャンベルの「手」嵐の夜に教会のなかに入ると、そこは迷路のようなところで、不気味な目に遭うという話。 16作目は、レイ・ラッセルの「鐘」神と取引した男の話。  17作目は、クライヴ・バーカーの「魂のゆくえ」長篇の断片のような感じの作品だった。おもしろかった。 二〇二〇年八月十四日 「死の収穫者」  18作目は、ロバート・ブロックの「死の収穫者」60代後半の老作家と死神の契約の話だ。寿命を1年延ばす代わりにひとをひとり殺すというものだ。オチは見抜けなかった。  19作目は、エドワード・ブライアントの「転移」お天気おねえさんの男遍歴と職業遍歴。ただそれだけ。  さいごの20作目は、ホイットリー・ストリーバーの「苦痛」SMを哲学的に語ったものという感じ。 二〇二〇年八月十五日 「ソフト病」  きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジーの『ナイト・ソウルズ』の再読。これまた、ひとつも憶えていない。 https://pic.twitter.com/utnV3A9I6W  1作目は、ロバート・R・マキャモンの「夜襲部隊」 ベトナム帰還兵がつくりだした悪夢の世界が展開される。おもしろかった。  2作目は、リチャード・マシスンの「埋もれた才能」露店でのゲーム、ボール投げのゲームに勝ちつづける男の話。ただそれだけの物語。  3作目は、F・ポール・ウィルソンの「ソフト病」身体の骨がぐんにゃりして死にいたる病気が発生したニューヨークの話。主人公は片足だけがソフト化し、その後、病気の進行が止まったのだが、娘も同様に足だけで進行が止まったのだが、まわりに生きている人間はだれもいなくなるという話だ。 二〇二〇年八月十六日 「廃車置き場」  4作目は、ラムジー・キャンベルの「追体験」第二次世界大戦中の実体験が現実世界に混じる話だ。つまらなかった。  5作目は、ロバート・ブロックの「ささやかな愛を」妻を殺した男が、その罪悪感からマネキン人形を妻として扱い、狂ってしまう話だ。ブロックだけに、話にひとひねりを加えている。  6作目は、ウィリアム・F・ノーランの「廃車置き場」車の事故が起こると、廃車置き場にもってこられて、被害者が、廃車置き場の持ち主の爺と犬に食べられるって話。 二〇二〇年八月十七日 「天使の交換」  7作目は、ゲイアン・ウィルソンの「代理教師」SFだが、地球ではない惑星で、エイリアンと戦っている状況で、小学校6年生に地政学的な説明をするだけのシロモノ。まったくおもしろくなかった。  8作目は、ジェームズ・ハーバートの「モーリスとネコ」核シェルターに閉じこもった男と猫の話。気に食わない猫を殺したあと、呼吸困難で自分も死ぬ。ただそれだけの話。  9作目は、ジェシカ・アマンダ・サーモンソンの「天使の交換」死神と眠りの天使とが役割を交換するというもの。 二〇二〇年八月十八日 「隠れ場所」  10作目は、スティーヴ・ラズニック・テムの「隠れ場所」新しい父親の連れ子の弟を、隠れ場所でいなくさせるというもの。弟は5歳。自分は12歳にもならない姉。その隠れ場所は姉が想像する化け物がいた。  11作目は、レイ・ブラッドベリの「伝道の書のはるか後は」は詩。聖書を下敷きにしたもの。つまらなかった。  12作目は、トーマス・モンテレオーネの「夜は早く凍てつく」雪の深い夜に死神と出くわす話。  13作目は、チャールズ・L・グラントの「老人たちは知っている」死期を、死ぬ日を知っている老人たちの話。 二〇二〇年八月十九日 「大きな岩のある海辺」  14作目は、ダグラス・E・ウィンターの「スプラッタ──ある警告」断章形式の物語のコラージュ。とくに目を引くところはなかった。  15作目は、レイ・ラッセルの「シャデク」大ほら吹きの俳優の物語。さいごに、身長まで偽っていたことがわかる。  16作目は、J・N・ウィリアムスンの「ワードソング」姿を現さない、また編集者以外に作品を読ませない天才作家の話だ。  17作目は、ジョー・R・ランズデールの「大きな岩のある海辺で」わずか7ページの作品だが、ほのめかしの手法が効果的な、佳作だった。  18作目は、チャールズ・R・ソーンダーズの「フェチットを越えた男」息子に殺されると思い込んだ療養所に入っている老俳優の話。  19作目は、デニス・エチスンの「あなたに似たひと」男女もの。ホラー要素がほとんどない。つまらなかった。 二〇二〇年八月二十日 「ポプシー」  20作目は、リチャード・クリスチャン・マシスンの「サード・ウィンド」ジョギングに熱中していた男が、走りつづけるうちに止まれなくなり、足が勝手に動き出すというもの。ワン・アイデア・ストーリーそのもの。  21作目は、アラン・ロジャースの「死からよみがえった少年」エイリアンによって、死からよみがえさせられた少年の話。わりと楽しく読めた。  Amazon で、ぼくのベスト詩集『ゲイ・ポエムズ』が売れたみたいだ。うれしい。ひとりでも多くのひとの目にとまってほしい。 https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%A8%E3%83%A0%E3%82%BA-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4783734070/ref=sr_1_1?dchild=1&hvadid=187117446159&hvdev=c&jp-ad-ap=0&keywords=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94&qid=1597517739&sr=8-1&tag=yahhyd-22…  さいごの22作目は、スティーヴン・キングの「ポプシー」幼児誘拐者が誘拐しようとしていたのが実は吸血鬼で、その幼児吸血鬼の祖父にやられるって話。 二〇二〇年八月二十一日 「幽霊世」  きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジー『幽霊世界』目次を見たら、これまた、ひとつも物語を憶えていない。どだろ。おもしろいかな。 https://pic.twitter.com/NWv9hCV6x4  1作目は、キャスリン・プタセクの「来る夜も来る夜も」毎晩死んだ父親が家に戻ってくるという話だ。さいごに死んだ父親は自分自身だと明言するところで終わる。ぜんぜん怖い話ではなかった。  2作目は、ゲイリー・ブランドナーの「負け犬の徴」幽霊が主催するパーティーにやってきた男が、さいごにその幽霊に殺されるというもの。  3作目は、チャールズ・デ=リントの「タイムスキップ」雨の日に繰り返し現われる幽霊に話しかけて、幽霊のいる世界に引きずり込まれる話。  4作目は、スティーヴ・ラズニック・テム&メラニー・テムの「静寂」お化けの出てこない幽霊屋敷の物語。夫婦のひとり娘が邸のなかで姿を消す。  5作目は、ジャネット・フォックスの「従僕」暴力をふるう夫から逃れて廃屋に隠れていた妻のもとに夫がやってくるが、廃屋に夫の死を願って、その願いがかなえられるというもの。 二〇二〇年八月二十二日 「ブランカ」  6作目は、トマス・テッシアーの「ブランカ」幽霊ものというよりか、政治的なもの。  7作目は、ジェイムズ・ハワード・クンストラーの「(ナインゲイブルズ)」山荘を旅館にして経営している夫婦の話。ホラーなどとは言えないシロモノ。  8作目は、チャールズ・L・グラントの「最後のカウボーイの歌」老人たちが公園で過ごしている描写がほとんどで、ひとりの老人が亡き妻に死の世界にくるように言われてるっていう設定。ふつうに怖くもなんともないもの。 二〇二〇年八月二十三日 「真実の輪」  9作目は、トマス・F・モンテルオーニの「真実の輪」戦争でスナイパーだった男が敵の耳を切り取って死体の数を数えていたのだが、地雷で両足を失ってしまう。その男の知り合いであった医師が、その男に復讐するために病院にきたその男に殺された幽霊たちと遭遇する話。  10作目は、ゴードン・リンツナーの『刀鍛治の双眸」江戸時代の話。刀鍛治が自分よりすぐれた刀鍛治の腕をねたんで殺したのだが、その刀鍛治に憑りつかれるという話。  11作目は、ラムジー・キャンベルの「旅行案内書」M・R・ジェイムズの古書を買った老人が、その古書に書き込まれていた場所にいくと死神が待ち構えていたというもの。ラムジー・キャンベル、読ませる作家だ。静かだが怪奇ものの叙述がうまい。 二〇二〇年八月二十四日 「帰郷」  12作目は、P・W・シンクレアの「帰郷」一年目の若き教師が帰郷して、幽霊の少年と幽霊の犬を見る。ついでに、自分の死んだ弟の幽霊まで見だす話だ。 二〇二〇年八月二十五日 「トランシーバー」  13作目は、ドナルド・R・バールスンの「トランシーバー」雪の夜のことが書いてあったが、読んでる途中で、なんども居眠りをしてしまったため、内容がわからず。ただ退屈な読み物だったことが記憶に残った。 二〇二〇年八月二十六日 「兄弟」  14作目は、ウィリアム・F・ノーランの「今夜当劇場にて先行ロードショー」自分が殺されるところが映画になっているのを見る男の話。ただそれだけ。  15作目は、メリッサ・ミア・ホールの「柔らかな羽のささやき」少女の姿をした死神が老女のもとを訪れる話。  16作目は、デヴィッド・B・シルヴァの「兄弟」12年間、兄が生きていたと思っていた双子の弟がいて、じつは兄は生まれた時には死んでいたことを知るという話。 二〇二〇年八月二十七日 「柴田 望さん」  さいごの17作目は、ロバート・R・マキャモンの「幽霊世界」世界中で、幽霊が出現して、やがて実体化していくという話。  柴田 望さんから、同人詩誌『フラジゃイル』第9号を送っていただいた。たくさんの方たちのたくさんな詩型を見て、現代詩は豊饒なのだなと思いました。 https://pic.twitter.com/qB4TfW3287 二〇二〇年八月二十八日 「スニーカー」  きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジー『スニーカー』の再読。これまた1作も憶えていない。 https://pic.twitter.com/l5bZN3AD5b  1作目は、スティーヴン・キングの「リブロイド」パラレルワールドもの。ホラーではなくSFである。 二〇二〇年八月二十九日 「スニーカー」  2作目は、スティーヴン・キングの「スニーカー」便所に出る幽霊の話だが、怖くもなんともなかった。 二〇二〇年八月三十日 「火星人ゴーホーム」  自分の持ってる本が、いま Amazon でいくらくらいするのか見るのは、なぜだか楽しい。フレドリック・ブラウンの本は、高いのが少ない。しかし、『火星人ゴーホーム』が7119円で売ってた。これは法外だ。きちがいじみた話だったけれど、ぼくの持ってるのは、初版のカヴァーのものである。 https://pic.twitter.com/qzanduaTPN 二〇二〇年八月三十一日 「献辞」  3作目は、スティーヴン・キングの「献辞」ホテル勤めの黒人の清掃婦が客で来ていた白人作家の精液をなめとる話。黒人清掃婦は妊娠して、息子を得るが、その作家と同じように息子も作家になる。その作家が息子の父親だと思っているという話。 ぼくの詩集が65円で売られていた。だれか買っておくれ。これ→ https://www.amazon.co.jp/Wasteless-Land-6-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4879958301/ref=sr_1_15?dchild=1&hvadid=335400668286&hvdev=c&jp-ad-ap=0&keywords=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94&qid=1598883769&sr=8-15&tag=yahhyd-22… ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇二〇年九月一日─三十一日/田中宏輔[2022年6月6日0時36分] 二〇二〇年九月一日 「転移」 『猿の惑星』を書いたピエール・ブールの単行本『ジャングルの耳』が、Amazon で5983円してた。ぼくは、3000円でネット古書店で買った記憶がある。3000円くらいの価値はあると思うけれど、6000円近くの価値はないかなあ。 https://pic.twitter.com/GsYJzJU58N  古書をネットで買うとき、帯が付いているものには注意が必要だ。背ヤケしている場合、帯のついてるところがヤケていないため、本全体としてみると、ちぐはぐになってしまうからである。  ホラー・アンソロジー『スニーカー』の4作目は、ダン・シモンズの「転移」事故のせいで、癌バンパイアなるものが見えるようになった男の話。癌は癌バンパイアによって引き起こされる病だというわけだ。自らの命をかけて癌バンパイアを退治するという結末。恐怖・怪奇ものという感じではなかった。たんたんとした描写だからかもしれない。 二〇二〇年九月二日 「ヴァンニ・フッチは今日も元気で地獄にいる」  5作目は、ダン・シモンズの「ヴァンニ・フッチは今日も元気で地獄にいる」大物のテレビ伝道師のまえに現われたのは、ダンテのつくりだした地獄に堕ちた男だった。その男とのやりとりをぜんぶテレビ中継されてしまうというもの。この作品は、読んだ記憶があった。というか、ヴァンニ・フッチがダンテのことを「この頭のいかれたちび野郎」と口にしたところで、ああ、この作品は読んだことがあるなと思い出したのであった。ダンテ・アリギエリは、ぼくにとっては、尊敬する偉大な詩人のひとりだからね。  クリストファー・プリーストの『ドリーム・マシン』が、いま、Amazon でいくらくらいするのか見たら、2945円してた。もう3000円台になっちゃうようなものは、さっさと復刊させちゃえばいいのにと思う。ぼくの持ってるのは、初版のカヴァーのもの。カヴァーは初版のほうがいいのが多い。 https://pic.twitter.com/Pc44eTsUVO いま見たら、242円だった。 二〇二〇年九月三日 「皮?ぎ人」  ふと思い浮かんだので、探したら、岩波文庫の『ダフニスとクロエ』が本棚になかった。そういえば、だれかに、「これは世界最古の恋愛小説だから、読みなさい。」といって渡した記憶がよみがえった。そのうち買い求めなければならない。『ルバイヤート』もだ。手元にない。  さっそく、Amazon で、『ダフニスとクロエ』は古書で、『ルバイヤート』は新刊本で買った。本を人に譲る癖があるおかげで、買い直しをしなければならないはめになるが、よい本がたくさんのひとの目に触れることはいいことだ。そう思って、自分を慰めよう。  ちなみに、『ダフニスとクロエ』は、本体1000円、送料262円、『ルバイヤート』は、本体572円、送料0円だった。  6作目の作品は、ダン・シモンズの「イヴァソンの穴」半世紀前に起こった南北戦争のときのことを恨みに思っていた軍人の話。恨みを抱いていた相手の家で急死したが、相手もまた地面にあいた穴に吸い込まれて死ぬという、わけのわからない話だった。  さいごの7作目の作品は、ジョージ・R・R・マーティンの「皮?ぎ人」主人公は人狼。309ページから451ページまである中篇。おもしろかった。長篇にしてもよかったんじゃないかと思えるほど。皮を?がされる人狼たちという設定が異様だった。  きょうから寝るまえの読書は、ホラー・アンソロジーの『ハードシェル』の再読。これまた、目次を見ても、1作も記憶にない。ほんとに忘れっぽいというか、もう健忘症も末期症状かもしれない。これ、おもしろいかな。どだろ。   https://pic.twitter.com/a4OSY4h1K2 二〇二〇年九月四日 「フン族のアッチラ女王」  ジョージ・R・R・マーティンの「皮?ぎ人」がよかったので、彼のもっとよい作品『フィーバードリーム』上下巻がいま、Amazon でいくらくらいするか検索してみた。上巻が3668円で、下巻が860円だった。東京創元社から出てたもの。復刊すべき。ぼくの持ってるのは初版で、絵が上下巻繋がってる。 https://pic.twitter.com/erBO9uyA8I  1作目は、ディーン・R・クーンツの「フン族のアッチラ女王」フィニイの『盗まれた街』のように、高等生物に寄生する異星の怪物の話だが、こころあたたまるハッピーエンドで終わる。ハッピーエンドものを読むと、ほっとする。齢だなあ。  2作目は、ディーン・R・クーンツの「ハードシェル」警官が切り裂き魔を追い詰めたら、そいつは変幻自在の化け物だった。ところが反撃された警官も、犯人と同じく人間ではなかった。変幻自在の化け物だったのだ。 二〇二〇年九月五日 「日知庵」  きょうは、詩を2つつくった。それほど難儀はしなかったけれど、ほいほいというわけではなかった。むかしは、ほいほいとつくっていたのだけれど。きょうは飲むぞ。日知庵に行くのが楽しみ。 二〇二〇年九月六日 「きょうも日知庵で」  Amazon のネット古書店で注文していた『ダフニスとクロエー』が、きょう到着した。1000円+送料だったが、その甲斐もあったかな。新品同様の美しさ。さすが100%の評価の古書店だ。よかった。いつ読むか未定だけれど、再読は近々にしたい。老人とのキッスを拒否する若者の場面が印象的だった。 https://pic.twitter.com/4GlRdt3Sjk  きょうは、詩を4つつくった。あしたは、ひとつつくるつもりだ。それで、半年から1年ほど、つくらない時期がまたくる。さいごの詩は、いつつくるんだろうか、自分ではわからない。  そのお祝いで、きょうも日知庵で、しこたま飲んできた。おいしい料理とお酒。ぼくの晩年は、おいしい料理とお酒で満杯だ。  焼きさんまと、ホルモン炒めと、手作りハンバーグ。そして、ネギマとつくねとしいたけとささみの串焼きと、焼酎とビールだ。ホルモン炒めは2度、頼んだ。 あと、ご飯と卵焼きも食べた。 二〇二〇年九月七日 「田中庸介さん」  きょうは、あとすることがないので、ホラー・アンソロジー『ハードシェル』のつづきでも読もうかな。ひさびさの解放感。詩がするすると出来上がったおかげだと思う。 https://pic.twitter.com/I9xMy2QIbQ  きょうは、詩をひとつつくるつもりだったが、2つつくった。詩の資料にしていたワードを手違いで消去してしまい、あせったのが逆に脳に刺激を与えてくれたみたいで、つぎつぎと詩句が出来上がっていったのであった。  郵便受けを見に行ったら、書物が2つ届いてた。1冊は、Amazon で注文していた新刊本の岩波文庫の『ルバイヤート』で、もう1冊は、詩の同人誌『妃』の第22号だった。『ルバイヤート』は新刊本の輝きを放っていた。きれい。でも、いつ読み直すかわからない。『妃』は、いまから読む。 https://pic.twitter.com/17e97pST5N 『妃』第22号を読ませていただいた。田中庸介さんの「洗濯男」と「ステープルと音楽」がよかった。具体的な事物が出てきたり、具体的な事柄を扱ってたりするものが、いまのぼくのこころの目には飛び込んでくるようだ。よく知ってる名前の方たちが多数、書いていらっしゃる。おもしろかった。 https://pic.twitter.com/LImA4LVSVh 二〇二〇年九月八日 「天皇の写真が燃えるシーン、美しかったけれど。」 @kitamuraharuo 天皇の写真が燃えるシーン、美しかったけれど。 二〇二〇年九月九日 「大腸癌」 @sumire07211 父親が病院で亡くなったのですが、亡くなったときの病室の異様な臭い、酸っぱいものが腐ったようなにおいがしていたことを思い出しました。 @sumire07211 父親は大腸癌で亡くなりました。 二〇二〇年九月十日 「黎明」  いま日知庵から帰った。帰り道、バスを降りたところでこけてしまって、左膝のところをズボンが破けてしまった。また、右肘をすりむけてしまった。ヨッパのぼくがしそうなことだね。気をつけなくっちゃ。ズボンはもったいないけど、捨てちゃわないといけない。ほんとにもったいない。肘と膝が痛いよ〜。  いくつものことを同時にする。むかしはできたんだけど、いまは無理。詩が書けてるおかげで、読書のほうはさっぱり。ホラー・アンソロジー『ハードシェル』も読むのを中断している。読まなきゃね。 https://pic.twitter.com/IWPL27Fn8s きょうも、詩をひとつつくったのだ。  3作目は、ディーン・R・クーンツの「黎明」無神論者の主人公の男が妻を交通事故で失い、一人息子を癌で失ったあとに、到達する境地を描いたもの。ホラーでもなんでもなかった。 二〇二〇年九月十一日 「捕食者」  4作目は、エドワード・ブライアントの「捕食者」アパートの上階に引っ越してきた男に言い寄られる女の話だ。どこがホラーなのか、さっぱりわからない。都会の人間関係にホラーがあるってことだろうか。ただ単に、ぼくが女性じゃないから、男に言い寄られる恐怖が感じられないのだろうか。  脳みそが完全に覚醒状態に入ってるみたいだ。けさも夜中の3時に寝たのに5時に起きて、いままで詩をひとつつくっていたのだ。高木神経科医院でクスリを替えてもらったからかもしれない。 二〇二〇年九月十二日 「バク」  5作目は、エドワード・ブライアントの「バク」長崎に原爆を落とした男はいま原子力発電所の副所長になっていた。新しい原発をつくろうかどうかという議論をする公聴会に行くまえに、日本人の少女の幽霊と会う。女の幽霊とも会う。毎晩のように見る悪夢を食べてくれるバクの人形を彼女から渡される。 二〇二〇年九月十三日 「亡霊」  6作目は、エドワード・ブライアントの『フラット・ラット・バッシュ」友愛会のようなもののイニシエーションを扱っているのだが、なにを書いているのか、さっぱりわからず。このひと、才能ないんじゃないと思っちゃった。  7作目は、エドワード・ブライアントの「亡霊」霊能力を持つ女性と20年来の友人の女性がいて、その女性の20年まえの知り合いが嫉妬で殺されていたというもの。このひとの文体、ちっともおもしろくない。  きのうは、日知庵でアルバイトをしていたのであるが、ぼくのタイプの知り合いの今村くんが、お母さまといっしょにこられた。お顔がそっくりだったのが印象的だった。8月にお父さまが亡くなられたという。言葉が出てこなかった。こんなときはどう話しかければよいのだろうか。  きょうは、昼から、ヴァンダー・グラフ・ジェネレーターを聴きまくっている。『Still Life』がいちばんよい。『The Quiet Zone/The Pleasure Dome』もよい。どのアルバムもよいのだが、この2枚がとくにお気に入りだ。 二〇二〇年九月十四日 「石塚理昭さん」  石塚理昭さんから、詩集『わたしのむすめをみませんでしたか』を送っていただいた。三行一連の詩句がなんの脈絡もなくつづく。一連で意味が完結しているため、脈絡がないのが新鮮な雰囲気を醸し出している。 https://pic.twitter.com/SG6xowH84K  石塚理昭さんから、詩集『韻出羅舟』を送っていただいた。二篇と一篇の付篇からなる詩集だ。さいしょの二篇を読み解くことは難しい。意味がわからない箇所がいたるところに現われる。音はきれいだ。耳のよい詩人さんなのだろうと思われる。 https://pic.twitter.com/Lm7Eku7aBT  石塚理昭さんから、詩集『ドラムス少女』を送っていただいた。だいたいの作品が2ページに収まるようにつくられている。石塚理昭さんの生活の一端がうかがえる詩がいくつも収載されている。いわゆる生活詩というものだろうか。興味深く読ませていただいた。 https://pic.twitter.com/P2An5ztTWS  きょうは、タワー・オブ・パワーを聴きまくっている。『Back To Oakland』、『Urban Renewal』、『Tower Of Power』、『We Came To Play』がいいかな。  8作目は、エドワード・ブライアントの「荷物」共生生物に身体を支配されている主人公が愛した女性もまた別の共生生物に身体を支配されていたというもの。  9作目は、エドワード・ブライアントの「コルファックス・アヴェニュー」6ページほどの短い作品だ。ヒッチハイクしている少女を、車に乗った二人の男が殺す話だ。殺すシーンは残虐でもなんでもない。男のひとりが、しきりと腹が減った。ハンバーガーが食べたいと言うのがユーモアと言えばユーモアか。  10作目は、ロバート・R・マキャモンの「水の底」プールで息子が死んだのだが、それが水のなかにいる化け物のせいだと気がついた父親が敵を討つというもの。単純な物語だが描写が確かで、すぐれていた。  塩田良平さんが明治書院から出された『文章の作り方』という本と、丸谷才一さんの書かれた『文章読本』の2冊を、ひとに勧めた。ぼくの文章というか、レトリックのもとになった本だからだ。残念なことに両方ともいま手元にはない。ひとに譲ったのだろう。  11作目は、ロバート・R・マキャモンの「五番街の軌跡」時間に追われたかのように急ぐエリート・サラリーマンが、道端で乞食に出会い、無視しようとすると、突然、時間が早く過ぎてしまい老年になってしまう。ふたたび乞食に出会いあやまると、若返って元通りになるというハッピーエンドのお話。 二〇二〇年九月十五日 「海東セラさん」  さいごの12作目は、ロバート・R・マキャモンの「ベスト・フレンド」地獄からやってきた怪物たち3匹が、17歳の少年の身体のなかに潜んでいて、少年の両親や妹、それと病院内の人々を惨殺していくという物語。やっつけられたが、さいごに一匹だけ、生き残った可能性があるというところで終わる。  きょうから寝るまえの読書は、オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の再読。たぶん、今晩、ひと晩で読み終わると思うけど。 https://pic.twitter.com/z22DkaBPIS  やたらと解説が長いので、びっくりした。びっくりするくらい、解説が長い。  ふたたび、きょうから、寝るまえの読書は、ロンゴスの『ダフニスとクロエー』の再読。初秋のさわやかな風が似合っている。 https://pic.twitter.com/kGljGsrcUT  海東セラさんから、同人詩誌『グッフォー』の2017年春号・第67号と2020年春号・第73号を送っていただいた。67号の「べつの樹」では観察の妙を、73号の「すきま」では思弁の妙を見せていただいたように思いました。他のご同人の方々の作品の凛としたたたずまいも見せていただきました。 https://pic.twitter.com/l3DkKxdVW7 二〇二〇年九月十六日 「ダフニスとクロエー」  いま50ページを読んでいるのだが、老人の接吻を拒んだのはダフニスではなかった。エロースだった。ぼくの記憶違いだった。牧歌的な情景と、15歳の美少年と、その2歳年下の美少女の恋。文章を深く味わいながら読んでいる。じつに充実した時間だ。  ダフニスが海賊にさらわれたり、クロエーが他国の人間たちにさらわれたりするが、ダフニスの恋敵だった青年の回心とクロエーの恋するがゆえの行為と、神に敬虔な彼らのこと、神に助けられたりしながらの恋と冒険の織り交ぜだ。 素朴だが、つぎつぎと事件がつづく飽きさせない展開だ。 それにつれて、恋のほうも、だんだん発展していく。  102ページの終わりくらいに、年上の女からセックスの手ほどきをされるダフニス。それまでは、クロエーと抱き合って接吻するだけだったのだ。しかし、手ほどきを受けても、それをすぐにクロエーにすることはしなかった。  121ページの終わりから122ページのほうに出てくる林檎の木のいちばん高いところに実っている林檎の実がとてもすばらしいものであるというところは、だれも手を伸ばせないところにあるというのは、サッフォーの詩を思い起こさせる描写である。たぶん引用もとがサッフォーの詩なのであろう。 獲るのに勇気のいった林檎の実をダフニスはクロエーに贈る。  149ページで、捨て子だったダフニスが領地の主人の息子だったことがわかる。  163ページで、捨て子だったクロエーも裕福な家の子だったことがわかる。  そして、ふたりはめでたく結婚する。167ページで本文は終わる。あと、169ページから211ページまで、長い訳注と解説がつづく。  高い枝になっていた林檎の描写がサッフォーの詩の影響であることが、訳注179ページから180ページにかけて書いてあった。  解説を読むと、このロンゴス作の『ダフニスとクロエー』は二世紀後半から三世紀前半につくられたものらしい。 二〇二〇年九月十七日 「終わりの始め」  きょうから、寝るまえの読書は、『世界ユーモアSF傑作選1』、『世界ユーモアSF傑作選2』の再読である。ホラーがつづいていたので、ひさびさのSFで、うれしい。一作も憶えてはいない。再読なのに、初読のようにういういしい。おもしろいかな。どだろ。 https://pic.twitter.com/SUvfrJYwUr  1作目は、読んだ記憶のなかった、チャド・オリヴァー&チャールズ・ボーモントの「終わりの始め」アダムとイヴものの変形譚。ちっともユーモアもない、おもしろくもなんともない作品だった。なぜに、このような凡作をトップに置いたのか、皆目わからない。 二〇二〇年九月十八日 「ベムがいっぱい」  2作目は、エドモンド・ハミルトンの「ベムがいっぱい」人間の作家が書いたSF小説を読んだ数多くの人間の想像力のせいで、火星に着陸した探検隊のまえに、小説に出てきた怪物たちが出現するというもの。読んだ記憶があった。他のアンソロジーにも入ってたと思う。オチは忘れていた。 来週は、水曜日、金曜日、土曜日、アルバイト。  3作目は、ラリー・アイゼンバーグの「美味球身」栄養価がすごい物質が発明されて、それが催淫効果もあることがわかり、世界中が狂喜し食べたのだが、のちに、それが体内でニトログリセリンになり、ちょっとした振動でも爆発することがわかる。しかし、すでに大部分の人間はそれを食べてしまっていた。 二〇二〇年九月十九日 「魔王と賭博師」  4作目は、ロバート・アーサーの「魔王と賭博師」魔王と3回の賭けをして、3回とも勝つと言われた男がじっさいに勝つ。魔王は怒って、以後、賭博師が二度と勝負に勝てないと呪いをかける。賭博師はそれを逆手にとって億万長者になり幸福になり健康で長生きする。子孫も繁栄する。 二〇二〇年九月二十日 「西田 純さん」  西田 純さんから、個人詩誌『朱雀』第27号を送っていただいた。行の切り替えが抜群によい。耳のよい詩人であると同時に、目のよい詩人でもある。「今から 二十年 三十年も/すぐ やってくるのだろうか」「山の寺の」と題された詩の詩句である。ぼくも自らに問うてみた。遠い先なのか、短い先なのか。 https://pic.twitter.com/LxFgXvaTz4  5作目は、ウィリアム・テンの「おれと自分と私」タイムマシンで、3回同じ場所に行った男が、その場で3人の自分がかち合わせることになる。こういうのもタイム・パラドックスというのかな。  6作目は、シリル・M・コーンブルースの「カワイソウナトポロジスト」5行のSF詩。小隅 黎訳 花の踊り子ヴァージニア、 くるり脱ぐのはお手のもの。 ところが、SFの読みすぎで、 こんぐらかせて死んじゃった。 メビウス・ストリップをやろうとしてね。 7作目は、アーサー・エディントンの5行のSF詩。小隅 黎訳 呼吸のつづく狒々(バブーン)がいて、 いつもバスーンを鳴らしづめ。 なぜって、「何十億年も、 こうして吹いているうちにゃ、 きっと名曲を吹きあてる」  8作目は、ロバート・ブロックの「ノーク博士の島」他のアンソロジーでも2回ほど見かけた。クレージーな作品だ。ノーク博士がじっさいに行っている実験結果をコミック・ブックスが載せていることになっていて、奇怪な実験や改造人間たちが出てくる。そのなかでロマンスも誕生するサスペンスもの。  9作目は、ゴードン・R・ディクスンの「コンピューターは問い返さない」書簡形式。形式自体はめずらしいものであるが、作品自体の内容は、それほどおもしろいものではない。というか、まったくおもしろくない。  むかしは、音楽を聴きながら本を読んでも、両方、楽しめたのだけれど、齢をとってからは、本を読みながら、音楽を楽しむことができなくなった。単なるBGMとしてなら、ジャズやボサノバを聴くことはできても、プログレなんかを本を読みながら聴くことはできない。何らかの力が減じているのだろうか。 二〇二〇年九月二十一日 「主観性」  10作目は、ロバート・シェクリイの「宇宙三重奏」主人の乗った宇宙船が難破したが、発見されたときには、主人はロボットに殺されていた。ロボットに必要な潤滑油を、ロボットが人間の死体からつくり出すために。これがユーモアかな。単なるグロテスクな話に過ぎないと思う。  11作目は、ノーマン・スピンラッドの「主観性」恒星間飛行を成し遂げるために宇宙飛行士たちは薬物で精神状態を保っていたのだが、その薬物が幻覚剤で、実在しない化け物たちを出現させて実在させてしまう。そこで地球に帰りたいと望むと瞬時に地球に帰る。しかし、化け物たちが宇宙船から出てくる。  12作目は、アラン・E・ナースの「コフィン療法」コフィン博士たちは風邪を治すワクチンを開発したが、そのかわり、それが嗅覚に異常をもたらせることがわかった。ものすごい悪臭を感じさせるのであった。そこで、博士らはふたたび風邪を引くワクチンを開発したのであった。悪臭はしなくなった。  13作目は、ウィル・スタントンの「ガムドロップ・キング」UFOに乗ってやってきた宇宙人の王さまと、地球人の子どものあいだの友情話。ほのぼのとしている話のなかに、地球人の子どもの現実の厳しい話がまじわっている。口調が『星の王子さま』みたいにのんびりしていてよい。  14作目は、ピーター・フィリップスの「夢は神聖」ファンタジー作家が自分の夢から覚めないので、その作家のファンタジー世界に侵入して、その作家を正気にさせる話。「事実──ああ、『事実』とはなんと美しい言葉だろう──」(浅倉久志訳)というのが印象的な言葉だった。 二〇二〇年九月二十二日 「女嫌い」  15作目は、フィリップ・ホセ・ファーマーの「進めや 進め!」コロンブスの時代の僧侶の話だが、よくわからなかった。 『世界ユーモアSF傑作選1』のさいごになる16作目は、ジェームズ・E・ガンの「女嫌い」言葉を巧みに操る男の女性異星人説。紹介されてるユーゴスラビアの諺が傑作だった。「男は一生に二度幸福にめぐりあう、妻をめとるときと妻を埋めるときと。」(小尾芙佐訳) 二〇二〇年九月二十三日 「種あかし」 『世界ユーモアSF傑作選2』のさいしょになる1作目は、ジェームズ・E・ガンの「種あかし」これは、『世界ユーモアSF傑作選1』のさいごの作品、同じ作者の「女嫌い」と対になった作品で、女のほうから男を見た物語である。「やっときたのね──ペットちゃん」(小尾芙佐訳)が最後のセンテンス。 二〇二〇年九月二十四日 「埃まみれのゼブラ」  2作目は、クリフォード・D・シマックの「埃まみれのゼブラ」部屋のなかのある場所に品物を置いておくと、異次元から別の物が運ばれ、物々交換される。どんな品物が交換されるのかはわからなかったが、同じ物を置くと交換さるものも同じ物である。集埃機が送られてきたので、それで儲けたのだが…… 二〇二〇年九月二十五日 「火星をまわる穴、穴、穴」  3作目は、ポール・アンダースンの「冒険児クロンカイト」氷河期時代の冒険譚。おもしろくなかった。  4作目は、ジェローム・ビグスビイの「火星をまわる穴、穴、穴」ものすごく低空で軌道をめぐるごくごく小さな月が火星にあったという話。非現実的すぎると思う。 二〇二〇年九月二十六日 「ナラボイア」  5作目は、アラン・ネルスンの「ナラボイア」精神科医のところに、被害妄想の逆の男が訪ねる。その男に、幻覚の逆、すなわち、幻覚のような現実を見せつけられた精神科医のほうがサナトリウムに行くはめになる。 二〇二〇年九月二十七日 「詐欺」  送った記憶のないインスタグラムが、メッセージで、ぼくが送ったことになっています。無視してください。ツイッターを使った詐欺だと思います。 二〇二〇年九月二十八日 「北爪満喜さん」  6作目は、キャサリン・マクリーンの「雪だるま効果」大学の学長に、社会学の教授が、社会学の存在意義を尋ねる。社会学の教授は、土地開発に関することで、社会学の成果を証明する。単なる政治談話を読まされてる気がした。  7作目は、H・アレン・スミスの「天国と地獄」聖書の記述から、天国と地獄の気温を推測して、天国は摂氏525度、地獄の気温は摂氏445度以下と算出した。  8作目は、E・B・ホワイトの「要約すれば……」読み物が増えすぎ、読者はすべての読み物を読めなくなった。そこでダイジェスト版が出て、ダイジェスト版のダイジェスト版が出て、しまいには……という具合になった。  9作目は、デーモン・ナイトの「早熟」胎児の段階から意思を持ち、母親に小説を書かせたりする。生まれたときには、ふつうの赤ちゃんになっていた。  10作目は、ハワード・ショーンフェルドの「創作論理学入門」主人公の著述家が、自分の作品にふたりの自分を書き込んで、そのうちのひとりを殺害する。さっぱりわけのわからない作品だった。  11作目は、ウィリアム・テンの「地球解放」宇宙種族の2大勢力に交互に征服され解放される地球人。真の解放は? という話。テンの作品にしては退屈なものだった。  12作目は、ロン・グーラートの「債鬼」借金を重ねても賭けをやめられない男が主人公。さいごは、債権者を撃ち殺そうとするところで終わる。  北爪満喜さんから、詩集『Bridge』を送っていただいた。実景が織り込まれた詩篇がいくつもあって、適度な抽象性とあいまって、読む目にやさしく語りかけてくれているのだなと思わせられた。とりわけ、「消えられないあれを」「水の夢」「光の十字」が強く印象に残った。 https://pic.twitter.com/kWPj6BEoo6 二〇二〇年九月二十九日 「マーティン・ボーグの「奇妙な生涯」」  13作目は、ジョーン・コリンの「マーティン・ボーグの「奇妙な生涯」」母親に惑星にひとりロボットたちと残されて20歳までおむつえおさせられ、話すことも立って歩くことも教えられなかった青年が、途中で女性になり、云々とわけのわからぬ愚策であった。 二〇二〇年九月三十日 「寿限無、寿限無」  14作目は、カート・ヴォネガット・Jr.の「ザ・ビッグ・スペース・ファック」3つのこと。アメリカ合衆国では子どもが虐待されたことで親を訴えられること。人口が増えすぎたので、宇宙に精子をばらまくこと。さいごに、登場人物たちがヤツメウナギに食べられちゃうこと。わけわからん作品だった。  15作目は、R・A・ラファティの「寿限無、寿限無」大天使ミカエルが配下の天使に命じて、6匹のサルにランダムにタイプライターを打たせて、シェイクスピアの37篇の戯曲を得ようとする話。ユーモアのかけらもない。編者の浅倉久志さんには、ユーモアのセンスがないのではないだろうかとまで思えた。  いくらCDの棚を見ても、ジョンの『Walls & Bridges』がなかったので、Amazon で買い直した。1500円ちょっと。ぼくは聴き込み過ぎたら、飽きて売っちゃう癖があるからな。『Imagine』もない。これは買うの躊躇。アルバムとしては不出来だったからね。タイトル曲はベストに入ってる。ベストはある。  いま、『Imagine』のほうも Amazon で買った。ぼくは気紛れだからなあ。500円ほど。で、いまBGMで聴いてるのは、はっぴいえんどの『風街ろまん』  さいごの16作目はチャド・オリヴァー&チャールズ・ボーモントの「われはクロード」SFというよりはファンタジー。要はアダムとイヴものだが、ユーモアどころか文学的面白味もないシロモノだった。編者の浅倉久志さんのユーモア精神を疑ってしまった。  Amazon で『世界SFユーモア傑作選1』と『世界SFユーモア傑作選2』のレビューを書き込んできたが、どちらも星ひとつで、「つまらなかった。」「まったくつまらなかった。」というタイトルで書いた。ぼくの審美眼が厳しくなったのだろう。仮にも「傑作選」なのだからおもしろくなければならない。 https://pic.twitter.com/UGereJ76Dn 二〇二〇年九月三十一日 「賢者の贈りもの」  きょうから寝るまえの読書は、O・ヘンリーの『O・ヘンリー名作集』多田幸蔵さんの訳だ。このひとの訳で、O・ヘンリーを読むのははじめてだ。岩波文庫で読んでるけれど、訳者が違うので、感じがどうなのか興味ある。表紙が好みだったので買った。 https://pic.twitter.com/keZ4J7R3zE  1作目は、かの有名な「賢者の贈りもの」若き妻は髪の毛を売り、夫の時計バンドを買い、夫は時計を売って、妻のために髪飾りを買うという話だ。夫のジェームズ・ディリンガム・ヤングは、ぼくの詩集『The Wasteless Land.』に登場させた。哲学・宗教・文学、その他の、引用でつくった詩集だったのだ。 ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇二〇年十月一日─三十一日/田中宏輔[2022年6月13日0時12分] 二〇二〇年十月一日 「みやうち ふみこさん」 『O・ヘンリー名作集』の2作目は「警官と讃美歌」冬は寒いので、なにか悪さをして刑務所に入ろうと、いろいろ努力するホームレスが主人公。どうしても努力が報われない。さいごに、街のオルガン弾きの音色を聴いて改心してまともに働こうとする。しかし、そう決心したとたんに警官に捕まる。裁判で禁固三か月を言い渡される。  みやうち ふみこさんから、詩集『母の詩(うた)』を送っていただいた。お母さまが入院されて亡くなるまでのことどもを細部にわたって、日記形式で書かれたもの。日記形式といえば、ぼくの『詩の日めくり』と比較したりして、読ませてもらった。感情的にならず客観的に書かれてある印象だ。 https://pic.twitter.com/poRDcVj4pb  3作目は、「アイキイ・シェーンスタインの惚れぐすり」調剤師が恋敵に持たせた薬が、飲ませたい人物じゃない人物に飲まれることによって、恋敵の恋が成就するという皮肉。 二〇二〇年十月二日 「三月のある日のことであった。」  4作目は、「金(かね)の神と恋の神」上流階級の女性に恋をした金持ちの青年が、恋は金では得られないと思っていたが、父親の計らいで、恋を成就させることができた。父親が内緒でお金を使ってだ。  5作目は、「献立表(アラカルト)の春」「三月のある日のことであった。」という平凡な一行目からはじまる恋の物語。主人公の名前がセアラだったのだが、ぼくに詩を送ってくださってる海東セラさんのお名前を思い出した。もしかして、お名前はこれからなのかもしれないと思った。 二〇二〇年十月三日 「緑の扉」  6作目は、「緑の扉」冒険家肌の青年が偶然に好みの女性と知り合うというもの。黒人のチラシ配りが配っていたチラシに「緑の扉」と書いてあって、いっしょに配られた歯科医院のチラシと考え併せて歯科医院のある建物に入って緑の扉を開けると、若い女性が出てきて云々という物語である。 二〇二〇年十月四日 「二十年後」  7作目は、「馭者台から」長いとこ、馬車に乗っかっていた女性を金がないからといって警察署のまえに連れ出す馭者。しかし、それが自分の妻であることをさいごに読者に知らせる。仕掛けは十分に効果的だった。ある意味、短篇は読者を騙すものだからね。  8作目は、「多忙な仲買人の恋物語」言葉通りに多忙な仲買人があまりに仕事が忙しくて、もうその彼女ときのう結婚したばかりなのに、また彼女をきょう見て求婚してしまうというもの。  9作目は、「二十年後」有名な作品なのか、読んだことを思い出した。二十年後に再会しようと約束していた男たちが、指名手配犯と警官だったという話。約束の時間よりまえに会って本人と確認した警官は自分では逮捕できないと思って、代わりの警官を約束の場所に行かせて逮捕させた。  10作目は、「家具つきの部屋」ひとりの娘を探していた青年が偶然借りた部屋で、彼女の残り香を嗅ぐ。主人公の青年には知らされないが、一週間まえに、娘はその部屋でガス自殺していたのだった。  11作目は、『催眠術師ジェフ・ピーターズ」詐欺師の二人組が仕込んだネタは、片方が無許可で医療行為をなしたる者に、もう片方がその男を追ってきた警官役になって、市長を騙すというもの。 12作目は、「結婚精密科学」結婚詐欺師二人組の話。 二〇二〇年十月五日 「取りもどされた改心」  13作目は、「運命の道」羊飼いであり詩人である青年が主人公。あり得るいくつかの生き方のなかで、かならず殺されるか、自殺してしまう。  14作目は、「取りもどされた改心」金庫破りが主人公。金庫破りをやめて真人間になり、銀行の令嬢と結婚まですることになっていたのだが、土壇場で金庫破りの腕を見せなければならなくなった。だが、温情ある警官はそれを見逃したのであった。 二〇二〇年十月六日 「草野理恵子さん」  きょう到着したジョン・レノンの『心の壁、愛の橋』っていうCD、パソコンで聴けなくしてあるやつだった。ぼくはいまパソコンでしかCDを聴いていないし、買った意味がない。なんなんだ、これって。詐欺じゃないのかって思う。どうしよう。  草野理恵子さんから、同人詩誌『Rurikarakusa』の第15号を送っていただいた。草野さんの「有毒植物詩」「色彩詩」「人体詩」といった範疇の作品、「#99 ヒエンソウ」「#21 白(しろ)」「#41 アリス(指)」「#45 燃える小屋(脚)」というタイトルからしてすでに草野さんらしさが出ている。 https://pic.twitter.com/g5jokZziAZ 二〇二〇年十月七日 「丸田麻保子さん」  丸田麻保子さんから、個人詩誌『黒々と透明な』第2号と、詩集『あかるい時間に』を送っていただいた。言葉に引っかかるところがなくて、改行も適切なので、ぼくのブレスにあっていて、読むのが容易だった。詩も長くはなく、読みやすい長さのものであった。意味もわかりやすかった。 https://pic.twitter.com/DSWgryitng 二〇二〇年十月八日 「東川絹子さん」  東川絹子さんから、同人詩誌『オリオン』36号と、詩集『ぼくの楽園(らくえん)』を送っていただいた。ブレスがぼくより長い詩句だ。意味で改行されてあるからだ。「ほんものの亀」という作品に「時間ってほんとうにあるんだろうか あるのは空間だけではないか」とあり、考えさせられた。 https://pic.twitter.com/dvF4rUzFS4 二〇二〇年十月九日 「学校もいろいろござんす」  15作目は、「学校もいろいろござんす」学校というものに一日も通ったこともない、文字の読めない娘が、他人に手紙を読んでもらって、さいごに彼氏からの求婚の手紙を女友だちに読んでもらって、結婚することになる話。  ブルガーコフの『犬の心臓・運命の卵』(新潮文庫)をAmazon で買った。ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を以前に読んで感動したからだが、ブックオフで、『犬の心臓・運命の卵』を見たからでもある。状態が悪かったので買わなかった。新刊本で欲しいと思ったのであった。  16作目は、「勝利の瞬間」スペインとの戦争で武勲をたてた青年だが、思っていた女性には他の男と結婚されてたという話。野望がどこではじまり、どこで終わるかわからないというさいごのところに出てくる言葉通りの物語。  17作目は、「善魔女のパン」好意を持っていた、古いパンをいつも買っていく男を貧しい画家だと思い込んだ女主人が、ある日、古いパンにバターを入れておいてあげたのだが、男は画家ではなくて、古いパンで製図の下絵を消してた建築製図家だったので、せっかく書いた製図をダメにしたという話。  18作目は、「リューマチ強盗」リューマチの強盗が入った家の主人もリューマチだった。そこでリューマチ話が持ち上がり、意気投合した二人は、酒場にいっしょに行くという話。  19作目は、「睡魔との戦い」アヘン中毒にかかった医師を起こしておくために、でたらめに言ったことが、ほんとうの話だったというわけ。  20作目は、「ハーグレイヴズの一人二役」落ちぶれた南部の少佐の仕草などをまねて役者として成功した若者が、その少佐にうとまれたことから、少佐の若いころの黒人の雇われ人のふりをして、恩を返すというていで、困窮している少佐にお金を施したという話。  21作目は、「マーチン・バーニイの変身」船でこきつかわれていた男が、船長に復讐しようとする話、かと思ったが、復讐するのをやめた話。  22作目は、「赤い酋長の身代金」とんでもない悪ガキを誘拐してしまって、とんでもない目に遭う二人組の話。  ふと、イアン・マクドナルドの『火星夜想曲』が、Amazon で、いくらくらいするのか調べてみたら、1639円してたので、びっくりした。読みにくい作品だったからだ。 https://www.amazon.co.jp/%E7%81%AB%E6%98%9F%E5%A4%9C%E6%83%B3%E6%9B%B2-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3-%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89/dp/4150112037/ref=sr_1_1?dchild=1&hvadid=335455841255&hvdev=c&jp-ad-ap=0&keywords=%E7%81%AB%E6%98%9F%E5%A4%9C%E6%83%B3%E6%9B%B2&qid=1602248925&sr=8-1&tag=yahhyd-22…  23作目は、「けちんぼうの恋人」百貨店の手袋売り場の売り子の女の子にのぼせあがる青年の話。相手の男は29歳の御曹司なのに、売り子の女の子が相手の男を見下げている。女に見る目がなかったという話。  24作目は、「自動車を待たせて」公園に淑女が坐っている。男が近づいた。話をする。淑女が立ち去った。ただの勤め人だと自己紹介していた男は後をつける。淑女だと思われていた女性はウエイトレスで、男のほうが有閑階級の人間だとさいごにわかる。 二〇二〇年十月十日 「都会の敗北」  25作目は、「都会の敗北」上流階級の娘と結婚した田舎出の弁護士。都会で知り合い、都会で結婚した二人。田舎から手紙が来る。二人は田舎に行く。都会で洗練された娘に、田舎がどう思われるか、青年はびくつく。しかし、娘は、ひとりの人間と結婚したのだという思いをする。ほっとする青年弁護士。  26作目は、「ラッパの響き」恩人が殺人事件の犯人だった。警官は恩人をまえにして何もできなかった。お金が入用なときにたて替えてくれたのだった。しかし、犯人が自分から新聞社に電話をして挑発をしてくれたおかげで、賞金が出ることになり、警官はその賞金を得て犯人を捕まえることができた。 二〇二〇年十月十一日 「振子」  27作目は、「振子」決まりきった結婚生活を送っていた男の妻が突然いなくなった。彼女の母親が倒れたからという置手紙が残されていた。彼女との日常生活が断たれてしまったのである。茫然自失する彼。しかし彼女が突然、帰ってくる。母親が大丈夫とのこと。男はまた決まりきった日常生活に戻る。  28作目は、「煉瓦粉長屋」お金持ちの青年が見かけた女性に恋ごころを抱くのだが、どうにもならず仕舞い。 二〇二〇年十月十二日 「最後の一葉」  29作目は、「最後の一葉」重病の女性が窓から見える木の葉がぜんぶ散ると、自分も死ぬと言う。それを聞いた老画家は、寒い夜に窓に一枚の葉を描いて、女性の気を振るい立たせた。よい方向に病状が向かうが、老画家のほうは肺炎にかかって死んでしまう。読んだことのある超有名な作品。 二〇二〇年十月十三日 「都市通信」  さいごの30作目は、「都市通信」ナシュヴィルで起こる強盗事件。その間に、ひとりの夫人のなりわいが語られる。とくに印象的なことといえば、一枚の同じ紙幣がいくども現われるといったことだろうか。 二〇二〇年十月十四日 「犬の心臓・運命の卵」  きょうから、寝るまえの読書は、ブルガーコフの『犬の心臓・運命の卵』きょう、Amazon から届いた。新刊本のカヴァーの美しさに満足。 https://pic.twitter.com/mHsyyMNbFW 二〇二〇年十月十五日 「人間(じんかん)」 「おはようございます。」はあるけれど、「こんにちはございます。」も「こんばんはございます。」もないんだね。日本語の不思議。  人間(じんかん)なる言葉を思いついた。まっさきに人間(じんかん)問題という言葉が浮かんだ。 二〇二〇年十月十六日 「犬の心臓・運命の卵」 「犬の心臓」を読んだ。人間の脳みそなんかを犬の頭のなかなんかに移植する話で、移植する人間がとんでもないやつなので、とんでもない犬人間が出来上がる。そこからはハチャメチャな展開で、さいごに、もう一度リセットしなおそうとするところで終わる。なんだかさびしいさいごでした。  きょう、大谷くんからメールで教えてもらった。人間(じんかん)という言葉があるって。  けさ見た夢は生々しかった。黒人女のストリップショウなのだった。ずっと、「アイマイアイ」「ワワワワワイ」という言葉が流れていた。目が覚めても、その声が聞こえてきたのだが、近くでやってる工事現場の音だったのだ。夢と現実が音で繋がっていたのだ。そんな黒人女のストリップショウなど、趣味でもない。でも、みょうに生なましかったのだ。黒人女同士のレズビアンショウまであった。そんなものは見たいと思ったことなど、ただの一度もなかったものだ。 「運命の卵」を読んだ。ある光線によって卵が無数に繁殖することがわかった。鶏が死ぬ病気が流行ったので、鶏の卵にその光線を当てるつもりだったのだが、手違いで、大蛇アナコンダやワニの卵に当てたものだから、街も村も大騒動。さいごはソビエトの気候の寒さのせいで大蛇もワニも死に騒動もやんだ。 二〇二〇年十月十七日 「世界のもうひとつの顔」  きょうから、寝るまえの読書は、アルフレッド・ベスターの短篇集『世界のもうひとつの顔』の再読。楽しみ。 https://pic.twitter.com/FXS5j1Fepn  1作目は、「時間は裏切りもの」十一年前に殺された恋人とそっくりな女性を求めつづける男に、その殺された女性からつくり出された人造人間と会わせたところ、男のほうは女を求めたが、女のほうが拒んだ。十一年もの歳月が別人と思わせたのであった。  2作目は、「マホメットを殺した男たち」タイムマシンで過去の有名人を殺して現在を変えようとした科学者がいたが、殺すたびに、自分の存在が希薄になっていくことを、もうひとりのタイムトラベラーの科学者に教えられるというもの。  3作目は、「この世を離れて」女から間違い電話がかかってくる。違う場所にいても、何度も。それで会おうとするが、会えない。ふたりは、別の並行世界にいたのだった。 二〇二〇年十月十八日 「ピー・アイ・マン」  4作目は、「ピー・アイ・マン」なにが書いてあるのか、よくわからない。よくわからないものを読むことが少なくないので、とくに驚くべきことではないが。男女の愛についての話だとは思うが、それもよくわからない。a  5作目は、「花で飾られた寝室用便器」20世紀に原爆で25世紀に吹き飛ばされた男が、25世紀では骨董品となっている20世紀の品物を盗んでは集めていた。さいごには自分と同様にして25世紀に吹き飛ばされた女性を娶って、また違う世紀に飛ぶ。  6作目は、「そのままお待ちになりますか?」人生がうまくいかないと思った青年が、悪魔と契約しようとする。契約書をつくる過程で、ごちゃごちゃとする。契約にのっとった事柄をしなかったがゆえに、契約が破棄されそうになる。こんどは天使と契約しようとする。 二〇二〇年十月十九日 「年間SF傑作選1」  さいごの7作目は、「昔を今になすよしもがな」地球でさいごの生き残りだと思われていた男女の物語。さいごの場面で、ほかにも生き残りがいたことがわかるが、それが友好的な連中かそうでない連中かわからないところで物語は終わる。  きょうから、寝るまえの読書は、『年間SF傑作選1』の再読だ。もう3、4回、再読しているが、目次を見て、思い出せる作品はゼロだ。すさまじい忘却力。古書で買ったのだが、裏表紙に書かれてある190円の価格を見て、感慨深いものがある。 https://pic.twitter.com/M4sWsAUCTW  1作目は、ホリー・カンティーンの「あとは野となれ……?」魔術を会得した青年が、倍増法をつかって、いろいろなものを倍、倍にしていく。しまいには自分をも倍、倍にしていく。そこで起こったのは? という話。国家転覆というのか内戦というのか、とてつもなく規模が大きくなる。  2作目は、バーナード・ウルフの「なくならない銅貨」タイトル通りに、ポケットのなかの1セント銅貨が無尽蔵に出てくる話だが、主人公はこわくなって、その魔法をやめてくれるように井戸のなかのものに頼む。頼みは受け入れられ、難なくすごす主人公。  3作目は、ウォード・ムーアの「マクシルの娘と結婚した男」異星人の男と結婚した女性の物語。異星人の男には、牛の乳の出をよくしたり、作物の実りをよくしたりする能力があった。そんな異星人の男を愛した女の物語。静かだが感動的なものであった。 『年間SF傑作選1』が、いま、amazon でいくらくらいするか、見てみたら、1円だった。 https://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B4%E5%88%8ASF%E5%82%91%E4%BD%9C%E9%81%B8%E3%80%88%E7%AC%AC1%E3%80%89-1967%E5%B9%B4-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9-%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%AB/dp/B000JA9SI6/ref=sr_1_fkmr2_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E5%B9%B4%E5%88%8Asf%E5%82%91%E4%BD%9C%E9%81%B81+%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%83%AB&qid=1603118450&sr=8-2-fkmr2… 二〇二〇年十月二十日 「わたしを創(つく)ったもの」  4作目は、R・C・フェランの「わたしを創(つく)ったもの」コンピューターに小説を書かしてみたら、それが大傑作だった。二作目をつくらせてみたら? 二〇二〇年十月二十一日 「一色真理さん」  5作目は、ロジャー・プライスの「JG」人間の言葉を理解し、しゃべれるようになったゴリラの話。悲劇的なさいごでなくて、喜劇的なさいごでよかった。  6作目は、ヘンリー・スレザーの「知らぬが仏」わずか2ページの作品だが、おもしろかった。3人の白人の科学者がインディアンのところに行く。ガイガーカウンターが鳴る。インディアンが白人たちを食べると、いままで鳴っていなかったガイガーカウンターがインディアンに対しても鳴るようになった。  一色真理さんから、詩集『幻力』を送っていただいた。詩は短いものが多いが、書かれてあることがらは、はっきり記憶に残る。レトリカルではあるが、その技術が前面に出ているわけではなく、作品の意味内容をしっかりと定着させているものだと思われる。 https://pic.twitter.com/M2bTwfpo1g 二〇二〇年十月二十二日 「為平 澪さん」  為平 澪さんから、詩集『生きた亡者』を送っていただいた。「台所」というタイトルの作品に、「カタチあるモノはいつか壊れるというけれど/いのちある人のほうが簡単にひび割れる」とあるように、随所にきらめく言葉がある。おいくつくらいの方なんだろうと思って奥付を見た。ぼくよりずっとお若い。 https://pic.twitter.com/ArmI7NHVuz  予約で本を注文した。2000年代海外SF傑作選らしい。ポイントが10%ちょっとつくのでお得だ。  https://www.amazon.co.jp/2000%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E6%B5%B7%E5%A4%96SF%E5%82%91%E4%BD%9C%E9%81%B8-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E8%BC%9D%E5%B9%B8/dp/4150123063/ref=sr_1_17?dchild=1&hvadid=335477676893&hvdev=c&jp-ad-ap=0&keywords=sf%E5%82%91%E4%BD%9C%E9%81%B8&qid=1603302570&sr=8-17&tag=yahhyd-22…  7作目は、ハワード・ファーストの「大蟻」巨大な蟻のようなものを目にしてとっさにゴルフクラブでたたき殺す教授。しかし、それがはたして、自分に敵意をもっていたかどうかはわからない。ほかの惑星からきた知能をもった生物である可能性もある。としたら、教授の行為は正当化できるか否か。 8作目は、クルストファ・アンヴィルの「別の名」アメリカとソ連が一触即発になっているとき、脳みそが戦争にまつわる重要な言葉を使えなくする装置が使われた。それで、両参謀は戦争の仕掛けをしあわなくなるというもの。  9作目は、エリザベス・エメットの「魅惑」城主が亡くなったので、その城の図書室の蔵書を整理するために雇われた司書の女性が、その城の亡くなった城主の存在を感じる。肖像画では醜い男なのだが、自分の顔にも痣があった。蔵書に城主の書いたものが見つかる。精神のすぐれた城主だったと思われる。  10作目は、マーシャル・キングの「海辺の情景」第17番惑星に降り立ったものたちと、その場にいた生物たちとのディスコミュニケーションを扱ったもの。わかりにくい叙述だった。おもしろくもなかった。  11作目は、ウィリアム・サンプロットの「雪男」新聞社のカメラマンがヒマラヤに登って、雪男の写真を撮ってくるように言われる。雪男の家族に遭遇はしたが写真は撮れなかった。  12作目は、ウォールト・ケリーの漫画「頭はつかいよう」2ページの漫画だが、どこがSFなのか、またどこがおもしろいのかさっぱりわからなかった。  13作目は、ヒルバート・シェンク二世の「エド・リアは/さほど狂っていなかった!」3ページにわたるSF詩。つまらない作品だった。SF詩ですばらしいのは、エドガー・アラン・ポオの『ユリイカ』くらいしか知らない。  14作目は、R・プレットナーの「てっぺんの男」途中まで飛行機で山に登った男がてっぺんに着くと、山の聖者がすでにきていて「ここまで歩いてきたのですか?」と言われる話。ぼくの目から見て、SFではなかったし、さほどおもしろいわけでもなかった。  15作目は、ジョーゼフ・ホワイトヒルの「家の中」はじめて読んだときには、びっくりさせられた物語だった。ただ夫婦の日常生活を描いただけのものなのだが、妻を「別もの」として表現してあるため、何者かわからずサスペンスフルな作品となったのである。さいごに、妻の一言で物語の仕掛けがわかる。  さいごの16作目は、レイ・ブラッドベリの「怪しい世界を真剣に探る」宇宙から発信された電波を受信するという、いわゆる「オズマ計画」を中心に、宇宙人との交信という問題から宇宙人の生態についてまで、詳細に書かれてある。前作「家の中」と同様に、これもSFではないだろう。少なくとも狭義の。  きょうから、寝るまえの読書は、『年間SF傑作選2』の再読である。これももちろん、3、4回読み返している。目次を見ると、憶えているのは、ロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」と、コードウェイナー・スミスの「ショイヨルという星」の2作品のみ。Amazon で価格を見たら、200円だった。 https://pic.twitter.com/7b2km0SIxf 「たんぽぽ娘」が新しく編集されて本になるまで、集英社コバルト文庫の『たんぽぽ娘』と、この『年間SF傑作選2』にしか「たんぽぽ娘」が収録されていなかったので、かつては高かったのだけれど。集英社コバルト文庫の『たんぽぽ娘』は、検索して調べると、いまでも、Amazon で9803円もしてる。 『年間SF傑作選1』は、正直言って、レベルがいまいちだったけれど、『年間SF傑作選2』は、コードウェイナー・スミスの「ショイヨルという星」1作でもってよし、ときて、ロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」があることで、十二分に傑作選なのであった。再読が楽しみ。 二〇二〇年十月二十三日 「星からの道」  1作目は、カーティエ・ハールパットの「星からの道」男女の老人たちがピクニックしたりしているのだが、話がいっさいわからない。SF風味もいっさいない。なんじゃ、こりゃ、という物語。1ミリもおもしろくない。  わからないのは、ぼくの読解力がないためかと思い、読み直した。ラジオ短波で通信のやりとりをしていた主人公の老人に、土地を分けてもらおうとする相手が、なんと地球人ではないとニュアンスで綴られる。これがわからなくさせてる原因。宇宙人とはっきり書かない。老人は土地を奪われると怖れる。相手の宇宙人は、奪おうなんて思っていない。というわけだが、さいごは、老人の友だちの老女のところに、みんなで行こうという話になる。宇宙人は子どもも入れて総勢7人。ほのめかしの手法が多用されてて、わかりにくかった。あんまりわかりにくい作品だから、これからもう1回読み直す。ほのめかしって、高度な技術だから、わかりにくくてやだな。ホラーならまだ許せるけれど、SFでほのめかしなんて、なしだよね。ぼくは、SFは直球が好きなの。主人公の老人は齢をとって引退してから村に引っ越してきた。村の住民は6軒。老人の趣味はラジオ短波で人と通信すること。その通信に、宇宙人が出てきて、土地が欲しいと言う。主人公の老人の友だちの老女がひとのいない邸を持っていて、彼らにそこをあてがおうとするところで終わる。まとめるとこう。途中に、ピクニックが出てきたりして、話を膨らませているところが、えらい。さいごのところも、ほのめかしで、いま人の住んでいない邸の「(…)鍵は彼女がもっている」で終わる。難民の宇宙人の話だったというわけ。評価が変わっちゃった。この「星からの道」傑作だったわ。 二〇二〇年十月二十四日 「ダング族とともに」  2作目は、ジョージ・P・エリオットの「ダング族とともに」大学に勤める者がフィールドワークで、一部族のなかで、戦士となり、予言者となって、また大学に戻って教授となる話。SFではない。 二〇二〇年十月二十五日 「?ただちになんなりと?」  3作目は、ロバート・ビバリー・ヘイルの「?ただちになんなりと?」画家の話。脈絡のない話。未来人らしき女性が現われる。 二〇二〇年十月二十六日 「シナの茶全部」  4作目は、デヴィド・ロームの「パーキー」芝居小屋に雇われているテレパスが、異世界の者に目をつけられて、という話。ただそれだけ。  5作目は、ジュリアン・F・グローの「早撃ちの死」西部劇の時代に、異星人の武器を手に入れた男の話。この物語は憶えていた。  6作目は、R・ブレットナーの「シナの茶全部」悪魔との取引モノである。悪魔をとらえる罠を仕掛けた男がシナの茶全部を欲しいと言って、悪魔を解放する約束をする。約束は果たされた。シナの茶の莫大な量に押しつぶされた男の家と男。この話は憶えていた。 二〇二〇年十月二十七日 「たんぽぽ娘」  7作目は、ロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」もう5、6回は読んでいるだろう。この巻でも、集英社のコバルト文庫の『たんぽぽ娘』でも、また河出書房の奇想コレクションの『たんぽぽ娘』でも。なんべん読み直しても楽しめるすてきな作品だ。  8作目は、J・F・ボーンの「エディの受賞」ノーベル賞が癌を95%治すコンピューターに授けられようとする話。  9作目は、マック・レナルズの「自由」冷戦後のソ連側の反体制派の話。SFというよりは政治話。 二〇二〇年十月二十八日 「クエーカー砲」  10作目は、フレデリック・ポール&C・M・コーンブルースの「クエーカー砲」戦争もので、プランク・タンクという無感覚にさせる拷問を二度も受けた者が情報を漏らしたことで、戦争に勝つように計画した話。おもしろくなかった。  11作目は、キッド・リードの「ユダの爆弾」若者がギャングとなって跋扈している社会。20歳で死ぬことになっているが、20歳を過ぎても生きられる道はある。おっさんと呼ばれる連中だ。若者たちはおっさん連中がつくる爆弾で殺し合う運命である。  12作目は、ジョン・ハースの「秒読み」宇宙飛行が珍しくもなくなった時代の話。オンボロ宇宙船に乗り込む男の話。 二〇二〇年十月二十九日 「ショイヨルという星」  13作目は、フリッツ・ライバーの「ビート星群」宇宙空間に出たビート族が地球に返送されそうになった話。芸術家や科学者など、さまざまな人間からなるビート族が地球に返送されると放送されると、管理者が、それは困ると言い出す始末で、さいごは地球に返されないというところで終わる。  14作目は、コードウェイナー・スミスの「ショイヨルという星」スミスの作品は、どれも独特な、異様な雰囲気を持つものだが、この作品ほど異様なものはない。究極の地獄を描いたものだが、さいごに救いがある。コードウェイナー・スミスの本はコンプリートに集めた。 二〇二〇年十月三十日 「長い夜」  15作目は、ジョン・ウィンダムの「アステロイズ 二一九四年」宇宙基地となった、ニュー・カレドニアの話。ジョン・ウィンダムは大好きな作家だけど、これはおもしろくなかった。  さいごの16作目は、レイ・ラッセルの「長い夜」魔法使いに吸血鬼にされたアルゴー三世は死ねなかった。血もないし、死をもたらせるものもなかったので、苦しみだけ。という状況。 二〇二〇年十月三十一日 「年間SF傑作選3」 きょうから、寝るまえの読書は、『年間SF傑作選3』の再読である。 https://pic.twitter.com/xVSknWFLs4  1作目は、ジェラルド・カーシュの「不安全金庫」弗素八0+なる物質が爆発しないように難儀する人々の物語。つまらなかった。ジェラルド・カーシュは好きな短篇作家だけれど。  2作目は、R・A・ラファティの「恐怖の七日間」見つめたものが七日間、消滅する装置をつくった子どもがいる。七日後に、消滅したものが出現する装置をつくった子どもがいる。兄と妹の兄弟だ。天才家族のお話。  3作目は、ハリー・ハリスンの「玩具店」なにやら奇妙な仕掛けの装置を売りに出している二人の男。宇宙上昇の研究につながる代物だそうだが、あまりよくわからない話だった。 ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇二〇年十一月一日−三十一日/田中宏輔[2022年6月20日0時35分] 二〇二〇年十一月一日 「生贄(いけにえ)の王」 『年間SF傑作選3』の6作目は、ポール・アンダースンの「生贄(いけにえ)の王」アメリカ人側の宇宙飛行士が生き残り、敵側に捕まった。敵側のキャプテンは、機械に接続された超頭脳の持ち主だった。妥当な見解をも持ち合わせていたが、アメリカ人の宇宙飛行士は、戦闘的な手段で、彼を破壊した。 二〇二〇年十一月二日 「クリスマスの反乱」  7作目は、ジェイムズ・ホワイトの「クリスマスの反乱」超能力者の小さな子どもたちが、サンタクロースがいると思って、おもちゃのロケットがどこでつくらているかを探っていると、本物のロケット基地のロケットに辿り着いて、ロケットを発射させてしまう。 二〇二〇年十一月三日 「パステル都市」  股関節の痛みがずいぶんとやわらいだ。それでか、朝から調子がよい。めずらしく詩句も2つばかり思い浮かんだし、ラッキーな日だ。貧乏はしていても、好きな音楽と、好きな詩と、好きな小説と、仕事ができる限り、この世は天国だ。もう少し暖かいと、公園で詩集でも読んでいるのだが。  M・ジョン・ハリスンの『パステル都市』を、Amazon で買い直した。まえに持ってたのだけれど、友だちに数年前に譲っていたみたいで、本棚になかったからだ。どうして手放してしまったのか、ぼくの大好きな作家なのに。930円+送料350円だった。 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E9%83%BD%E5%B8%82-1981%E5%B9%B4-%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%AASF%E6%96%87%E5%BA%AB-M-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%B3/dp/B000J816MY/ref=sr_1_1?dchild=1&hvadid=386492703790&hvdev=c&jp-ad-ap=0&keywords=%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E9%83%BD%E5%B8%82&qid=1604384313&sr=8-1&tag=yahhyd-22… 二〇二〇年十一月四日 「プリンス」  きょうは、一日中、プリンスを聴きまくって、充実した時間を過ごせた。夜の遅い時間からは、読書のつづきを。いま、『年間SF傑作選3』のちょうど半分くらいのところ。あとしばらくの間、プリンスを聴きつづけよう。ジョン・レノン、マイケル・ジャクソン、プリンス、天才は早死にが多いのかな。 二〇二〇年十一月五日 「あのころ」  8作目は、レイ・ブラッドベリの「世にも稀れなる趣向の奇跡」二人の男は砂漠で蜃気楼を見る。都会が、ザナドゥが映っている。二人は、観客から金をもらう。蜃気楼が見えなくなる。しかし、そのあとで、金をもらうことをやめる。蜃気楼はふたたび見えることになる。  9作目は、ウィリアム・F・ノーランの「あのころ」精神病患者の見たまま現実が起こる。散文詩のようだった。 二〇二〇年十一月六日 「パステル都市」  Amazon で買った本、きょう届いてた。M・ジョン・ハリスンの『パステル都市』だ。想像してたものよりも、ずっといい状態の本でよかった。手放したSF小説のなかで、いちばん読み直したい作品だった。 https://pic.twitter.com/ZloN1bMNUE  二〇二〇年十一月七日 「宿久理花子さんと篠原義男さん」  宿久理花子さんから、詩集『here』を送っていただいた。冒頭の詩篇「シ、どこでも/」言葉の切断の仕方に現代の詩を見た。二篇目の「地下」という詩篇では、「一時間あたり千二百円が支払われる」という詩句に目がとまる。ぼくの時給と比較してだ。どの詩篇にも目をみはる詩句が出てくる。素晴らしい。 https://pic.twitter.com/iv3wYY6HON  10作目は、J・G・バラードの「狂気の人たち」自分の父親を自殺に追いやった人物を殺そうとする青年。それをやめさせようとする二人の精神科医。しかし、やめさせられそうにないところで物語は終わる。  11作目は、ブライアン・クリーヴの「アンジェラのサチュロス」美少女に恋したサチュロス。美少女もサチュロスのことを愛している。途中、邪魔が入るが、さいごは目出度くふたりの恋は成就する。  篠原義男さんから、詩集『宇宙の闇のソの渦の中』を送っていただいた。「メシを喰ラう資格はナイ」の「芸術家になりたい と 60前後の職を転々とシ/一・二ヶ月勤めては生活が出来てしまうコトへの不安に辞めてしまう/金などイらナイと 生活は出来てはイけナイのだト 生活を拒否シ」独特の仮名遣い https://pic.twitter.com/TSJL6dqnTz  12作目は、フレドリック・ブラウンの「人形芝居」宇宙連合の全権大使がやってきた。ロバに乗って。地球人の異星人嫌いを試すために、人間に似た人形を使って、さいごに、ロバの格好をした者が、本物の全権大使だとわかる。この作品は記憶していた。  13作目は、マック・レナルズの「地球人、ゴー・ホーム!」火星旅行の案内である。 二〇二〇年十一月八日 「分科委員会」  さいごの14作目は、ゼナ・ヘンダースンの「分科委員会」宇宙人の船団と一触即発の状態で、地球人の子どもが宇宙人の子どもと遊んでいる。その姿を母親が見て、母親の夫が関わっている交渉会議に出席して、和解の方法を見つけるというもの。読んだことを憶えてた。ゼナ・ヘンダースンは優れた作家だ。  きょうから、寝るまえの読書は、『年間SF傑作選4』の再読だ。目次を見て、読んだことのある記憶にあるのは、バーナード・マラムッドの「ユダヤ鳥」と、コードウェイナー・スミスの「酔いどれ船」の二作のみ。しかもタイトルしか憶えていない。「ユダヤ鳥」はおもしろかったことだけは憶えている。 https://pic.twitter.com/ruQ74bM0DR  いや、内容も憶えている。と思っている通りの作品ならば、気狂いじみた作品だった。ゲラゲラ笑って読んだことを思い出した。  ちなみに、いま、Amazon で、いくらくらいするのか調べてみたら、64円だった。 https://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B4%E5%88%8ASF%E5%82%91%E4%BD%9C%E9%81%B8%E3%80%88%E7%AC%AC4%E3%80%89-1968%E5%B9%B4-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB/dp/B000JA9SHC/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E5%B9%B4%E5%88%8Asf%E5%82%91%E4%BD%9C%E9%81%B8+4&qid=1604769242&s=books&sr=1-1…  送料を考えにいれなければ、3円だった。すげえ安いな。ぼくが買ったころは、もっとずっと高かった記憶がある。まあ、そのころは、Amazon を使ってなかったけれどもね。ネットで古書店で買ったか、ヤフオクで買ったかしてたんだけれども。  ロバート・シルヴァーバーグの『第四惑星の反乱』を、Amazon で買った。コンプリートに集めたつもりだったが、この作品は、見逃していた。 https://www.amazon.co.jp/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E6%83%91%E6%98%9F%E3%81%AE%E5%8F%8D%E4%B9%B1-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-C-32-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0/dp/4265010172/ref=sr_1_48?dchild=1&hvadid=335422632672&hvdev=c&jp-ad-ap=0&keywords=%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0&qid=1604776443&sr=8-48&tag=yahhyd-22…  持ってたはずなのだけど、本棚を見てなかったので、ロバート・シルヴァーバーグの『不老不死プロジェクト』を買い直した。 https://www.amazon.co.jp/gp/product/4488649041/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o00_s00?ie=UTF8&psc=1…  これまた、本棚を見てなかったので、ロバート・シルヴァーバーグの『一人の中の二人』を、買い直した。 https://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J8U22E/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o00_s00?ie=UTF8&psc=1…  これまた、アシモフとの共著、ロバート・シルヴァーバーグの『アンドリューNDR114 』も買った。ブックオフで105円のときに買っておいてもよかったのだけれど、アシモフとの共著というので、買わなかったものだ。 https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BCNDR114-%E5%89%B5%E5%85%83SF%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%95/dp/4488604102/ref=sr_1_14?dchild=1&qid=1604836860&refinements=p_27%3A%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0&s=books&sr=1-14&text=%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0…  アシモフとの共著、ロバート・シルヴァーバーグの『夜来たる』を買った。 https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9C%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%82%8B-%E9%95%B7%E7%B7%A8%E7%89%88-%E5%89%B5%E5%85%83SF%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%95/dp/4488604099/ref=sr_1_6?dchild=1&qid=1604836860&refinements=p_27%3A%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0&s=books&sr=1-6&text=%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0…  ロバート・シルヴァーバーグの『生きていた火星人』を買った。これで、コンプリートかな。ふう。結構、買い忘れていたものだ。駄作が一作もないという作家である。https://www.amazon.co.jp/gp/product/4251080025/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o00_s00?ie=UTF8&psc=1…a  きのうときょうの二日間で、6000円以上、本を買ったことになる。すべて、ロバート・シルヴァーバーグの本である。持っていて、ひとに譲ったものもあるけれど、初見のものもある。読むのが楽しみ。駄作が一作もない作家である。これで部屋にあるものと合わせると、コンプリートだと思うのだけれど。 二〇二〇年十一月九日 「ジープを走らせる娘」  1作目は、ウィリアム・テンの「新ファウスト・バーニー」地球を宇宙人に売り渡しかけた男の話。  2作目は、アルフレッド・ベスターの「ジープを走らせる娘」これは、このあいだ読んだベスターの短篇集『世界のもうひとつの顔』にあった「昔を今になすよしもがな」である。地球に残ったさいごの男女の物語である。物語のさいごのところで、他の生き残りがいたことがわかるのだが。  3作目は、フリッツ・ライバーの「二百三十七個の肖像」亡くなった偉大な俳優である父親の肖像が、不逞の息子と話をする。肖像は自分を壊せと息子に迫るが、息子はそれを拒否する。ぼくも、この作品と同じ設定で、「陽の埋葬」を書いたことがあった。ぼくのは父親の声で語る鸚鵡の剥製との会話でだが。  4作目は、チャールズ・ボーモントの「とむらいの唄」ソロモンという名の目の見えない老人がいて、肩に鴉を乗っけてるんだけど、彼が家にきて、とむらいの唄を唄うと、その家の人間が死ぬということだったが、ソロモンを殺した青年がいて、公判を待っていると、夜にソロモンのとむらいの唄が聞こえる。 二〇二〇年十一月十日 「ユダヤ鳥」  5作目は、バーナード・マラムッドの「ユダヤ鳥」である。言葉をしゃべることができる鳥がいつく話だ。憶えていた物語とは違っていた。子どもがなついていたので追い出さなかったが、とうとう頭にきて、父親が殺してしまう話だ。風刺的な物語だ。  6作目は、フレドリック・ブラウンの「二つの規範」おれという主語が、異なる人物につぎつぎ書きつづられる。男女の性交を匂わす画面がテレビに映し出される。それを何人ものおれが見て、けしからんと思い、うらやましいとも思う。  ロバート・シルヴァーバーグの『不老不死プロジェクト』、『第四惑星の反乱』、『一人の中の二人』が届いた。『一人の中の二人』が、10ページにわたって、ページ折れしており、カヴァーに汚れがあったので、返品リクエストをした。『不老不死プロジェクト』、『第四惑星の反乱』には問題なし。 https://pic.twitter.com/x9mdAmSoOs 二〇二〇年十一月十一日 「アンドリューNDR114」  Amazon で注文していたロバート・シルヴァーバーグの『生きていた火星人』、『夜来たる』、『アンドリューNDR114』が到着した。『夜来たる』は天に点シミがいっぱい、『アンドリューNDR114』はカヴァーがずれているし、『生きていた火星人』は三方にシミが多くて、どれもきちゃない。仕方ないか。 https://pic.twitter.com/bGGzNsNHcC 二〇二〇年十一月十二日 「明朝(みんちょう)の壺」  一人暮らしをして、かれこれ35年ほどになるが、40代までは友だちもいて、しゃべっていたが、50代半ばに何人かの友だちと縁を切り、しゃべる相手がいなくなって、詩をつくる機会が少なくなった。しゃべるって、大事なことなのだなと痛感するこの頃。いま友だちはえいちゃんと大谷良太くんだけだ。  7作目は、E・C・タブの『明朝(みんちょう)の壺」世界が戦争によって滅びることを予見した男が美である明朝の壺を盗み出す。超能力者を追う超能力者が、彼を捕まえて話し合う。そして彼をソビエト側に亡命させることにした。世界が滅びるのを避けるために。未来が予見通りでもないことを知って。 二〇二〇年十一月十三日 「80年代SF傑作選・上下巻」  ひさびさに、Amazon 以外のネット経由で、古書店に注文した。ハヤカワから出てた『80年代SF傑作選・上下巻』である。本体、2冊で、2000円だった。Amazon でなら、下巻だけで、6000円もしたのだった。あと、『90年代SF傑作選』をどこで買うかだな。  キャン・ドゥで、グラスを買うこと。〒604-8061京都府京都市中京区寺町通六角下る式部町255 二〇二〇年十一月十四日 「カシェルとの契約」  8作目は、ジェラルド・カーシュの「カシェルとの契約」雑誌社の社長に、自分の4年間の時間をやるから金を前借した作家がいた。契約が成立して、作家は金を前借してしこたま飲みに回った。翌日、社長が自殺したことを知らされる。バーテンに訊かれる。「この2年間どこにいらしてたんですか? 二〇二〇年十一月十五日 「酔いどれ船」  さいごの9作目は、コードウェイナー・スミスの「酔いどれ船」第三宇宙を旧型のロケットで、第四地球から地球に一瞬にして航行してきたアルチュール・ランボーは、恋人のエリザベートに会おうとしていた。物語は複雑だが、要点はこういうものだった。「人間同士のあいだでは、うそだけが真理だ。」(宇野利泰訳、330ページ、6行目)という言葉が印象的だった。  きょうから、寝るまえの読書は、『年間SF傑作選5』の再読である。目次を見ても、記憶しているものはなかった。タイトルだけ憶えていたものはあった。ロジャー・ゼラズニイの「伝道の書に薔薇を」Amazon で調べると、1440円が底値だった。 https://pic.twitter.com/zdluGeXK4L  1作目は、キッド・リードの「オートマチックの虎」虎の精巧なロボットというべきおもちゃを買った男の話。虎の威を借るそのままの話。虎がいるからこそ自信もつき、大きな態度でいれたのだが、虎をうっちゃっておいてから運がなくなっていった。さいごは虎も壊れて、男は文無しになってしまう。 あしたは、高木神経科医院で、処方箋を。 二〇二〇年十一月十六日 「きらめく生きもの」  2作目は、アーサー・C・クラークの「きらめく生きもの」海面と深いところの温度差を利用した発電プロジェクトに加わった男が、海の深部で巨大なイカを見るというもの。そのイカがプロジェクトの邪魔をしていたことがわかるというもの。  ネットで古書店に注文していた『80年代SF傑作選』の上下巻が到着した。並上の状態かな。上巻のカヴァーにわずかな汚れと、上下巻の天にわずかな点シミがあるくらい。Amazon では下巻だけで6000円したものが、上下巻で2000円だったのだから、よかった。送料280円。良心的だ。 https://pic.twitter.com/6u0GOE3Kny  2014年にAmazon で、思潮社オンデマンドから出した翻訳詩集『LGBTIQの詩人たちの英詩翻訳』が売れたみたいだ。うれしい。美しい、かわいらしい詩がいっぱい載ってるから、ぼく自身の詩集より、おすすめです。 https://www.amazon.co.jp/LGBTIQ%E3%81%AE%E8%A9%A9%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E8%8B%B1%E8%A9%A9%E7%BF%BB%E8%A8%B3-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4783727643/ref=sr_1_2?dchild=1&hvadid=335400668283&hvdev=c&jp-ad-ap=0&keywords=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94&qid=1605527120&sr=8-2&tag=yahhyd-22…  3作目は、マック・レナルズの「平和主義者」戦争を回避するためには、軍事研究をしている科学者や政治家などを殺すこともいとわない平和主義者の組織があった、という話。その組織の一員が当局に包囲されているときに、逃げられたのに、殺すのに飽きたからという理由で殺さず、逆に殺されるという話。 二〇二〇年十一月十七日 「新百科辞典」  4作目は、スティーヴン・ベッカーの「新百科辞典」辞典形式のSF。アメリカが全体主義の国になっている。  5作目は、ジョン・D・マクドナルドの「ジョー・リーの伝説」改造車を駆って突っ走る19歳の青年が17歳の少女と駆け落ちした。警察をあざ笑うがごとき暴走車の疾駆。警察は捕まえようとする。しかし、8か月もまえに運河に突っ込んで彼らは死んでいた。  6作目は、ジェイムズ・D・フーストンの「ガスマスク」高速道路の上で6日間も高速渋滞で身動きできなくなった男の話。高速渋滞は六日以上もつづく模様。そこで主人公はガスマスクを買おうと決心したのだった。  7作目は、フッセル・ベイカーの「おそるべき変身」機械になりたいという人間が増えているという話。  またまた、2014年に Amazon にて、思潮社オンデマンド詩集として出した、ぼくの翻訳詩集『LGBTIQの詩人たちの英詩翻訳』が売れたみたい。うれしい。おもしろい詩がたくさん載ってるから、よろこんでいただけると思う。 https://www.amazon.co.jp/LGBTIQ%E3%81%AE%E8%A9%A9%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E8%8B%B1%E8%A9%A9%E7%BF%BB%E8%A8%B3-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4783727643/ref=sr_1_2?dchild=1&hvadid=335400668283&hvdev=c&jp-ad-ap=0&keywords=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94&qid=1605527120&sr=8-2&tag=yahhyd-22&fbclid=IwAR3Uyu0dqOoIIctYTiR3uH4r9GU1YoKYg7ooS7PNqzeyuH-K5092npksfu4… 二〇二〇年十一月十八日 「第三帝国最後の秘密兵器」  8作目は、ヨゼフ・ネスワドバの「第三帝国最後の秘密兵器」ナチスさいごの秘密兵器とは、一晩で、男の子どもを大人に成長させる方法だった。子どもは父親そっくりに成長していた。このアイデアを軸にした物語。 二〇二〇年十一月十九日 「降りる」  9作目は、トマス・M・ディッシュの「降りる」えんえんと下り続けるエスカレーターに乗った男の話。1週間以上も。さいごは、男は「くりこみ口の板の上に頭をのせ」(大谷圭二訳)、「両手の指は、ぎざぎざした溝の中にあった。」(大谷圭二訳)エスカレーターのぎざぎざは彼の肉を剥ぎ取りはじめた。  10作目は、ロマン・ギャリーの「退廃」アメリカのシンジケートのボスがイタリアに行って芸術家になってしまった。彼をアメリカに連れて帰ろうとした連中は、目的があって、イタリアに迎えに行ったのだが、芸術家では困るというので殺してしまう。  11作目は、フリッツ・ライバーの「心安かれ」ロボットがいたるところで働いてくれている未来の合衆国で、公共道徳局宛てに、自分の生活環境について不安を抱いている女性が一人いた。彼女宛てに、安心するようにアルミニューム紙で、長官名義であなたの危惧は思い過ごしですよと書簡を送ってきた。  12作目は、フランク・ロバーツの「それはあなたかも」平和が続いている未来都市で、テレビ中継をしながら当選者を出す番組がある。当選者はなにかもらえると思ったら大間違い。殺されるのだ。民衆の手によって。その権利が抽選にあるのだった。不安を消す薬を常用しているという設定でもあった。 二〇二〇年十一月二十日 「2000年代海外SF傑作選」  Amazon で注文していた、ハヤカワSF文庫の『2000年代海外SF傑作選』が届いた。新刊本らしく、カヴァーも完璧にきれいだ。いまジョディス・メリルが編集した『年間SF傑作選』を第一巻から第五巻まで読み直しているが、古書のいい感じの汚れ方、日の焼け方をしている。小口、天は焦げ茶色だ。 https://pic.twitter.com/FxpoaK0OCN 二〇二〇年十一月二十一日 「清水鱗造さん」  清水鱗造さんから、小説『昆虫弁当』と、批評集『『現代詩手帖』詩書月評 一九九〇年/清水鱗造 批評集 第二分冊』を送っていただいた。小説、さっそく読ませていただこう。前作と同様にマジック・リアリズムで書かれてありそうな雰囲気。楽しみ。批評集も、ぼくは読むのが稀で、これまた、楽しみ。 https://pic.twitter.com/tYxk10iFm6  Amazon で、『2010年代海外SF傑作選』 (ハヤカワ文庫SF)を予約で買った。12月下旬に出るやつだ。これまた楽しみ。古書になって買うことになると、元値よりも高くなることが多いので、新刊本で買っておくのだった。 https://www.amazon.co.jp/2010%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E6%B5%B7%E5%A4%96SF%E5%82%91%E4%BD%9C%E9%81%B8-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E8%BC%9D%E5%B9%B8/dp/4150123101/ref=sr_1_2?dchild=1&qid=1605965233&s=books&sr=1-2&text=%E6%A9%8B%E6%9C%AC+%E8%BC%9D%E5%B9%B8… 二〇二〇年十一月二十二日 「大谷良太くん」  きのう、大谷良太くんちに行く途中、東寺のブックオフに寄ったんだけれど、小説の棚がなくなっていて、漫画の棚ばかりになっていた。写真集とかの棚はあったのだけれど。びっくりした。 二〇二〇年十一月二十三日 「人類の恩人」  13作目は、ジェイムズ・T・ファレルの「人類の恩人」頭のあまりよくなかった主人公が、夜学に通い猛烈に勉強して、創作機械をつくった。その創作機械のおかげで、出版社はもうかり、作家はいなくなった。主人公は本は好きだが作家のことは嫌いであったのである。  14作目は、ハップ・ケイウッドの「シンクロモクラシー」政治が各家庭にあるコンピューターによって操作されている未来の話。中継した世論が直ちに政治に反映される仕組みになっている。1ページちょっとの作品だった。  15作目は、ロジャー・ゼラズニイの「伝道の書に薔薇を」火星人の言葉を完全に把握した地球の天才詩人の話。火星人は不妊症にかかっていたが、詩人と結ばれた火星人の女性とのあいだに子どもが生まれることになった。それで火星人は滅びることがなくなったのだが、詩人から彼女は離れていった。  16作目は、ドナルド・ホールの「すてきな犬のぬいぐるみ服」九歳の男の子が犬のぬいぐるみ服を買ってもらって、犬そっくりにふるまう。犬と間違えられて、スラム街の一家に連れてこられる。服が脱げなくて、さいごまで犬と間違えられる。言葉をしゃべると、言葉をしゃべる犬だと思われる。 二〇二〇年十一月二十四日 「昆虫弁当」  清水鱗造さんから頂いた小説『昆虫弁当』を読み終わった。主人公の男女のカップルがオオサンショウウオを旅に連れて行くのだけれど、そのときオオサンショウウオ自身が用意した餌になる昆虫を入れた弁当箱が昆虫弁当というわけ。前作と同様、マジック・リアリズムで書かれた不思議な小説だった。 https://pic.twitter.com/0nU0Pfne5N  17作目は、ノーマン・ケーガンの「数理飛行士」タイトルにある数学のスペシャリストが数学的空間を移動したり、いろいろ実験をしたりする話。数学的用語が頻出する難解な作品だった。  18作目は、ホセ・マリア・ヒロネリャの「赤い卵」マウスにできた癌細胞が、独立して、意志を持ち、赤い卵となって、空中に飛び上がった。だれにとりつこうかと思案した結果、癌の切除手術で優秀な外科医にとりつくことにした。  19作目は、M・E・ホワイトの「積極的考えの力」両親のいない少女の話。普通小説だった。 二〇二〇年十一月二十五日 「実地教育」  20作目は、デヴィッド・R・パンチの「実地教育」死についての実地教育というわけで、父親だけで息子と娘を育てている家庭での話。ソーセージを土のなかに埋めて、6っか月後にどうなっているか見たところ、蛇が葉巻の空箱でつくった棺のなかに入っていたというもの。普通小説だな、これも。  21作目は、フィリップ・H・スミス&アラン・E・ナースの「一つ多すぎた奇跡」医師が奇跡的な治療を施す。どのような重病者も治す。ところがそのせいで、医師は多忙となり、自身の奇跡的な力を放棄する。こんどは逆に診た患者が死ぬ。医師はさいごに自殺する。  さいごの22作目は、ジョン・ブラナーの「最後の孤独な人間」コンタクトという方法で、人格が転移される社会の話。削除も可能。同情心から、だれもコンタクトがないという男の人格をコンタクトしたら、そいつの嫌な性格が移ってしまったというわけ。相手は自殺して削除ができなくなっている。  きょうから、寝るまえの読書は、『年間SF傑作選6』の再読である。目次を見ても、1作も思い出されない。やはり、すさまじい忘却力だ。 https://pic.twitter.com/0Qq7II87GM  1作目は、ロバート・J・ティリーの「ほかのなにかを」未知の惑星に不時着したただひとりの生き残りの博士は、音楽を通じてその惑星の生き物と意思疎通をした。地球からの救援隊がやってきてその動物を殺して博士を地球に連れ帰ったが、博士はふつうの暮らしに満足できないものを感じていた。  2作目は、J・G・バラードの「火山の舞踏」火山の近くに住んでいる主人公のまえで踊りをつづける乞食。火山が活発に活動してくる。主人公の姿が消える。  3作目は、R・A・ラファティの「火曜日の夜」5分で大富豪になったり、乞食になったりする男がいたり、7分で書いたものが5分で大ベストセラーになったりする世界。理解することはあまり意味がない作品である。  4作目は、A・K・ジョーゲンスンの「成人の日」成人になるためには、コンセックスという有機物でできたものを、股間に装着しなければならなくなっている社会の話。よくわからないが、人口抑制に関することだからだそうだ。  5作目は、ジョセフィン・サクストンの「障壁」しのび返しのついた巨大な障壁にさえぎられた男女の恋物語。さいごは、ふたりとも障壁に登り、しのび返しに突き刺されて死ぬ。見ると、しのび返しには、ほかのカップルたちの遺骸がいくつも見られた。 二〇二〇年十一月二十六日 「生存者」  6作目は、ウォルター・F・モウディの「生存者」アメリカとソ連が戦争オリンピックなるもので、戦争の代わりをしている未来。100人ずつの兵士で殺し合いをさせて、生存者がいる方が勝ちになるものである。その戦闘の模様はテレビ中継されている。作品では、アメリカが勝った。 二〇二〇年十一月二十七日 「月面上の決闘」  7作目は、フリッツ・ライバーの「月面上の決闘」異星人と月面上で戦う地球人の話。銃で撃ち合うのだ。ちょっとノスタルジイを思い起こさせる作品だった。 「きみの名前は?」(ボブ・クロサカ『なしうる者よ、なせ」吉田誠一訳、『年間SF傑作選6』151ページ)  8作目は、ボブ・クロサカの「なしうる者よ、なせ」大学の教室で、「なぜ、数学を学習しなければならないのですか?」という質問を学生がする。学生は得意の超能力を見せつけるが、教授のほうが上手をいく超能力を見せつけて、終わり。学生は納得したかのような様子で教室を出ていく。おもしろかった。  9作目は、アリステア・ベヴァンの「スーザン」不思議な力をもった少女の話。先生からも、母親からも、こう訊かれる。「あなたはだれなの?」と。 二〇二〇年十一月二十八日 「海東セラさん」  海東セラさんから、個人詩誌『ピエ』第21号を送っていただいた。「わざわざ乗せた傾きをその手で保つひとの背に、空が半分覗いている。」といった詩句に目がとまる。「矩形に切り分けて進むうちにすっぽり埋まってそのひとそのものがまず消える」ビジョンを見ようとして、頭のどこかで考えている。 https://pic.twitter.com/efQZavmtRa  むずかしくはないけれど、そう簡単なものでもない。「黙したまま、起点はくりかえしつくられる。」そう簡単なものでもない。  ぼくの最新詩論集『『マールボロ。』の詩学』が、Amazon で買えるようになったみたいです。よろしくお願いします。こちら→ https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%80%82%E3%80%8F%E3%81%AE%E8%A9%A9%E5%AD%A6-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4910324011/ref=sr_1_12?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94&qid=1606495606&s=books&sr=1-12…  10作目は、トマス・M・ディッシュの「ゴキブリ」ゴキブリ嫌いの女性がいて、あるときゴキブリに命じたら、ゴキブリが命じられたように活動することがわかった。隣に住んでいる三人組が嫌いで、三人組の部屋にゴキブリが集まるように命じた。ゴキブリは三人組を襲った。彼女はゴキブリの女王なのだ。  11作目は、ロン・グーラートの「ターミナル」老人施設での出来事。終末処理と言われる安楽死にされる男の話。本人にはっきりとした記憶はないが、自分は老人ではないと思っている。しかし、施設側のアンドロイドたちは、彼を終末処理すべき老人として扱う。老人問題と安楽死の関係が興味深い。  12作目は、トム・ハーゾグの「陰謀」夫を殺そうとしている妻。電気髭剃り機に忠告を受ける夫。殺されかけていることに気づく夫。偶然の手違いで夫が死んでしまう。どうしようかとヘアブラシに尋ねる妻。口をきく電気髭剃り機やヘヤブラシというガジェットがおもしろかった。 二〇二〇年十一月二十九日 「伊藤浩子さん」  伊藤浩子さんから、詩集『数千の暁と数万の宵闇と』を送っていただいた。前詩集の実験性を経た硬質の言葉が突き刺さる。レトリカルな詩句の連打に、心地よく酔わせていただいた。不思議だ。同じ日本語の詩でも、こうまで統制のとれた硬質の言葉が紡ぎだされるなんて。 https://pic.twitter.com/q8s53oz0TD 二〇二〇年十一月三十日 「メールシュトレーム II」  ツイッター社から、「ご利用のアカウント(@atsusuketanaka)に新しい端末からログインがありました(2020年11月28日)。確認してください。」 って、きたけれど、その時刻にその場所からログインしてないので、悪者が出た可能性がある。 @ekaba62 怖い社会だね。  きょうは、これから市立病院だ。糖尿病の診療だ。ちょっと太ったので心配だ。  ちょっとどころではなかった。半年前に比べて8キロも太っていた。今回の数値はよかったけれど、このままでは次回の数値が危ぶまれるということで、重々、注意してやせるように言われた。これからはインスタントラーメンを食べるのをやめようと思った。  13作目は、アーサー・C・クラークの「メールシュトレーム II」ポオのメールシュトレーム月面版である。隊員は助かる。 14作目は、ゴードン・R・ディクスンの「戦士」宇宙からやってきたひとりの軍人。迎え撃とうとするのは、地球でも大物のやくざ者。軍人はひとりで立ち向かい、やくざ者を倒した。正確に言えば、死ぬように仕向けた。軍人が散弾銃を浴びても平気だったことが謎であるが、古いSFだが不思議だ。  15作目は、アート・バックワルドの「火星はわがもの!」火星人がいたことがわかり、地球では、アメリカとソ連が火星を東西に分けて、それぞれの主義において支援した。ほかの国々も、火星に軍事支援を行い、火星人を支配しようとした。  16作目は、ブライアン・W・オールディスの「スカーフの世界」生物を合成してつくれるようになった時代。原始人を10人つくり、そこに動物をつくって、パノラマとして観衆に見物させていた。この作品は、その原始人のひとりに焦点をあてて描かれたもの。オールディスらしさにあふれていた。  17作目は、ロバート・D・チアージの「感応精神病と関連のある極度の電解失調の特異なる一症例」一夫人の死の症例。夫人は感応能力を持っていた。夫の被害妄想と、家の崩壊という災難に見舞われて死亡した。 二〇二〇年十一月三十一日 「円環の廃墟」  18作目は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「円環の廃墟」夢見るひとも、だれかほかのひとの夢であったという話。夢見ることで、ひとを創造したと思っていた人物も、またほかの人間によって夢見てつくられたものであるというもの。  19作目は、ジェラルド・カーシュの「遠からぬところ」戦争ものだ。敵から火薬などの武器を奪って逃げる少年兵士たち。途中に川があって、一時間のうちに橋を架けなければならない。敵が追ってくるからだ。どうにかして川に橋を架けて逃れた。箴言じみた言葉が二つ、目を惹いた。ひとつは、「人がほんとうに存在するのは、思い出されるときだけだ」(吉田誠一訳)、いまもうひとつは、「まともな人間はみな、地獄をのぞいたことがあるのだ。」(吉田誠一訳)  20作目は、ロアルド・ダールの「廃墟にて」人肉を食べるまでの状況。「少し分けてあげても構いませんがね、次の食事を提供すると約束してくださるのならば。わたしはまったく汚染していません」(吉田誠一訳)  さいごの21作目は、ボブ・オタム・ジュニアの「から騒ぎ」「ここは宇宙の果てです」という大きな看板が出ているところに出くわす宇宙の地図製作者たちの話。オチのある落語のような話。 ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇二〇年十二月一日─三十一日/田中宏輔[2022年6月27日0時01分] 二〇二〇年十二月一日 「年間SF傑作選7」  きょうから、寝るまえの読書は、『年間SF傑作選7』の再読である。これは4作ほど憶えていた。バラード、ラファティ、ボブ・ショウ、バロウズの作品だった。 https://pic.twitter.com/AQiRquzZqv 二〇二〇年十二月二日 「シネ魔術師」  日知庵からの帰り道、セブイレで缶チューハイ2缶買って、部屋で飲みながら、文学極道とビーレビに投稿されている詩作品を眺めていた。詩という形式を選んでいるけれども、小説の方向でもいいのではと思える作品がいくつかあった。小説は、詩よりも集中度を求めるから、ぼくは書くのは苦手だけれども。  Amazon で、自分の詩集の売れ行きを調べていたら、書肆山田からさいごに出した『The Wasteless Land.VII』が古書で売れていたことがわかった。引用を駆使した作品を集めた詩集だった。古書でも、売れて、うれしい気持ちである。 https://www.amazon.co.jp/Wasteless-Land-7-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4879958565/ref=sr_1_1?dchild=1&qid=1606838921&s=books&sr=1-1&text=%E7%94%B0%E4%B8%AD+%E5%AE%8F%E8%BC%94…  1作目は、テューリ・カプファーバーグのSF詩「シネ魔術師」ぜんぜんつまらなかった。  これから、近くのスーパー、「ライフ」に行って、昼ご飯と晩ご飯にする、「のり弁」を買ってこよう。休みの日は、いつも、このパターン。「のり弁」は2種類あって、アジのフライと、白身魚のフライと、2種類買ってくる。  いま帰ってきた。白身魚のフライの「のり弁」はやめて、「太巻き寿司」にした。帰りに、セブイレで、ほうじ茶を買った。ぜんぶで、1000円以内で買えた。  2作目は、ハーヴィー・ジェイコブズの「浮世離れて」俳優と女優が海辺の邸で暮らしている。巨大な怪物が海から上陸して二人を襲うが、怪物はためしに男の指を食べたが、まずかったので、二人を襲うのをやめた。その代わりに、二人を取材に来た記者を車ごと食べて海に戻っていった。  3作目は、キッド・リードの「肥育学園」太った少女が減量学園に放り込まれる。彼女は体重が落ちていく。ポップ・スターが学園に訪れる。彼女の太っていたころの写真を手に入れる。彼はデブ専だったのだ。彼女はやせてしまっていた。彼女は代わりに少女たちを太らせて彼のまえに連れて行く。 二〇二〇年十二月三日 「気球」  4作目は、ドナルド・バーセルミの「気球」市の一部を覆うほどに巨大な気球が街に出現する話。ひとびとは、その気球になれ、平穏無事に事はすみ、さいごに気球も片づけられる。  詩論集『『マールボロ。』の詩学』が Amazon でも買えるようになりました。よろしくお願いします。 https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%80%82%E3%80%8F%E3%81%AE%E8%A9%A9%E5%AD%A6-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4910324011/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94&qid=1606895472&s=books&sr=1-2… 二〇二〇年十二月四日 「コーラルDの雲の彫刻師」  5作目は、J・G・バラードの「コーラルDの雲の彫刻師」タイトル通り、雲を彫刻する男たちの物語。巨大な幼児の顔。大富豪の女性の顔。さまざまなものが彫刻される。作品は彫刻師のふたりの死という悲劇のなかで終わる。短編連作集『ヴァーミリオン・サンズ』に入っていた作品で、もっとも印象に残っている作品だった。 二〇二〇年十二月五日 「ルアナ」  日知庵からの帰り道、セブイレで缶チューハイを2缶買って、いま、部屋で飲んでいる。おみやげにもらった卵焼きとポテサラがおいしい。あしたは、溜まっている洗濯物を洗濯しなくちゃ。あしたしなければならないのは、ただそれだけ。  6作目は、ギルバート・トマスの「ルアナ」宇宙から持ち帰った胞子を秘密に育てていた博士がいる。胞子は巨大なキノコとなった。博士はキノコを彫刻して女体にして、ルアナと名付けた。博士はルアナを愛した。博士の同僚の外科医がキノコを食べて死ぬところで終わる。毒キノコだったのである。  7作目は、テューリ・カブファーバーグの「W-A-V-E-R」SF詩である。ましなほうである。ラジオ局が一時間の沈黙を放送したら、白紙の抗議文がごまんと郵送されてきたのだが、どれにも切手が貼ってなかったため燃やされた。燃やされた場所に新しいラジオ局ができた。放送するのは大気雑音だけだった。  Amazon で、古書で、SFマガジン700【海外篇】 (ハヤカワ文庫SF) を買った。送料込みで930円。新刊本で買っておいたほうがよかったな。 https://www.amazon.co.jp/SF%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3700%E3%80%90%E6%B5%B7%E5%A4%96%E7%AF%87%E3%80%91-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BBC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF/dp/4150119600/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=SF%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3%EF%BC%97%EF%BC%90%EF%BC%90&qid=1607175299&s=books&sr=1-2… 二〇二〇年十二月六日 「フレンチー・シュタイナーの堕落」  8作目は、ヒラリー・ベイリーの「フレンチー・シュタイナーの堕落」第二次世界大戦で、イギリスがドイツに占領されているパラレルワールドもの。ヒットラーに予言を告げることができる娘がイギリスで失踪してから一年、ヒットラーは彼女の行方を追っていた。最終的には彼女はヒットラーの手を逃れた。  9作目は、ボブ・ショウの「去りにし日々の光」スロー・ガラスというアイデアで、ぼくがはじめて読んだものだった。光がひじょうにゆっくりと通るガラスのことで、厚さによって十年分の風景でも映し出してくれるものである。物語は売り手の家族の悲劇を現わしているけれども、静謐な感慨を呼び起こす。  10作目は、ジョージ・マクベスの「山リンゴの危機」隣り合う一家同士の喧嘩。つまらないことで石を投げつけ合ったりする。ただそれだけの作品。SFでもなんでもない。 二〇二〇年十二月七日 「カミロイ人の初等教育」  11作目は、R・A・ラファティの「カミロイ人の初等教育」天才児童たちをつくるための教育プログラム。 二〇二〇年十二月八日 「海東セラさん」  海東セラさんから、詩集『ドールハウス』を送っていただいた。緻密で繊細な散文詩の集積だ。ぼくには書けそうにないほどに緻密な表現が連綿とつづく。それだけでもある種の美が見られる。 https://pic.twitter.com/ERbZ5AJtPz 二〇二〇年十二月九日 「宮坂 新さん」  12作目は、ソーニャ・ドーマンの「ぼくがミス・ダウであったとき」一つの性だけをもつ不定形な蛋白質生物である種族のひとりの物語。タンクに入ってある女性のパターンを吸収する。地球人の女性そっくりになるぼく。わたしともいう。さいごは自分の自由な姿にもどることができた。わけわかめの物語。  13作目は、トマス・M・ディッシュのSF詩「地球見物」タイトル通りの作品。さいごの連 きのうぼくはイタリアを訪れた──ローマ、 フィレンツェ、ヴァニス、有名な教会と 博物館。見おとしたものはほとんどない。 だが明日は、やれやれ、故郷へ帰れる。              (大谷圭二訳)  14作目は、ブライアン・W・オールディスの「コンフルエンス」惑星ミリンの住民たちの言葉の辞典。辞典形式の小説。  宮坂 新さんから、詩集『ナガレミが鳴きだす頃までに』、『落下する速度』、『six』および、同人詩誌『オオカミ34号』、『id:02』、『id:06』を送っていただいた。同人詩誌のほうは、知ってるお名前の方が多い。こんなにたくさんの現代詩はひさしぶりだ。楽しませていただこう。ありがたいことだ。 https://pic.twitter.com/BiOZz4uNIU 二〇二〇年十二月十日 「せまい谷」  Amazon で、ネット古書店で買った『SFマガジン700【海外篇】』が届いた。カヴァーにちょっとしたスレがあるけれど、並の状態の本かな。送料別で、580円だったから仕方ないか。いつ読むのかわからないけれど、積読状態だ。 https://pic.twitter.com/Ew7wZzb6la  15作目は、R・A・ラファティの「せまい谷」2メートルほどの幅しかない谷に、800メートルの幅があるように見える魔法がかけられた。逆だ。800メートルの幅がある土地が見かけ上、幅2メートルほどにしか見えない土地がある。インディアンが魔法をかけたのであった。 二〇二〇年十二月十一日 「おぼえていないときもある」  16作目は、ウィリアム・バロウズの「おぼえていないときもある」警官に捕まったと思ったら、捕まえられた方が連邦警察官だったりする話。「広場がカチッと焦点をとりもどした。」(大谷圭二訳)という言葉がとくに印象的に残る。  17作目は、フリッツ・ライバーの「冬の蠅」主人と夫人とひとり息子の幼子がいる居間。父親が夢想のなかで見る黒いフラノや黒い道化師、黒い娘や黒い老婆、それに哲人や死神。狂気一歩手前の父親の夢想と、それに関わりなく営まれる妻や子どもの姿が交互に描かれる。 二〇二〇年十二月十二日 「『マールボロ。』の詩学」  詩論集『『マールボロ。』の詩学』が Amazon でも買えるようになりました。よろしくお願いします。 https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%80%82%E3%80%8F%E3%81%AE%E8%A9%A9%E5%AD%A6-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4910324011/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94&qid=1606895472&s=books&sr=1-2… 二〇二〇年十二月十三日 「2000年代海外SF傑作選」  さいごの18作目は、サミュエル・R・ディレーニイの「スター・ピット」宇宙船の修理工場を経営している男が主人公である。ゴールデンと呼ばれる精神病者たちだけが行ける宇宙がある。物語は、要約できるほど単純なものではない。いい感じの読後感だ。中篇くらいの長さだったが、飽きなかった。  ディレーニイのがさいごだと思っていたが、あとひとつ19作目が残っていた。テューリ・カブファーバーグのSF詩「個人主義」原子爆弾が、弾丸になりたがったという話。なぜだか仲間の爆弾に訊かれてこう答える。「物たりないのさ」  きょうから、寝るまえの読書は、『2000年代海外SF傑作選』だ。最新の短篇SF傑作選だ。楽しみ。 https://pic.twitter.com/AZr5YAaRVm  1作目は、エレン・クレイジャズの「ミセス・ゼノンのパラドックス」二人の女性がレストランでケーキを切り分けるだけの話。超細かく切り分けるのだけれど。おもしろくなかった。 二〇二〇年十二月十四日 「懐かしき主人の声(ヒズ・マスターズ・ボイス)」  2作目は、ハンヌ・ライアニエミの「懐かしき主人の声(ヒズ・マスターズ・ボイス)」自分の独立国家で、自分のクローンを一万体つくろうとした男が、自分のひとりのクローンの裏切りに合って、処刑されたのだが、その男を主人とする犬と猫によって、救い出される物語。おもしろかった。  3作目は、ダリル・グレゴリイの「第二人称現在形」ドラッグで自我を焼失した少女の物語。新しい人格が定着される。もとの人格を取り戻してくれることを希望する両親。自分がもとの自分ではないと自覚している新しい娘。もとには戻れない。 二〇二〇年十二月十五日 「スロー・リバー」  SFマガジン2月号・百合特集号が予約が多くて、増刷につぐ増刷だそうで、時代は百合、レズビアンなのね。ぼくは、ニコラ・グリフィスの『スロー・リバー』を最高のレズビアンSFだと思っているんだけど、だれも『スロー・リバー』について言わないのは、どうしてだろうか。 https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9/dp/4150112258… 二〇二〇年十二月十六日 「夜の声」  ウィリアム・H・ホジスンの『夜の声』がいま、いくらくらいするか、Amazon で見たら、9755円もした。映画『マタンゴ』の原作が入っていて、幻想文学を読むなら、おすすめだけれど、ちと高い。復刊すべき書物であろう。 https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E5%A3%B0-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-536%E2%80%901-W%E3%83%BBH%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%B3/dp/4488536018/ref=sr_1_10?dchild=1&qid=1608112368&refinements=p_27%3A%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%B3&s=books&sr=1-10&text=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%B3…  4作目は、劉慈欣の「地火」炭鉱労働のひどさを、技術革新の面からひるがえって見たもの。20世紀初頭から中葉までの劣悪な労働だった炭鉱労働に新しい技術がもたらせた功績を、中心に、その経過のひとつに大事故をはさんで見つめさせる物語だった。 二〇二〇年十二月十七日 「シスアドが世界を支配するとき」  5作目は、コリイ・ドクトロワの「シスアドが世界を支配するとき」同時多発テロや世界戦争のために、ほとんどの人間が死んでしまった状況で、生き残ったシスアドがネットを使ってなんとか世界を再建しようとする話。 『90年代SF傑作選』下巻のほうがさきに届いた。並かな。1704円(送料込み) https://pic.twitter.com/yvggbFsKYN 二〇二〇年十二月十八日 「コールド・ウォー」  日知庵からの帰り道、セブイレで買った缶チューハイを、日知庵でいただいたおでんを肴に飲もうっと。帰ってきたら、郵便ポストに、『2010年代海外SF傑作選』が届いてた。新刊本だ。きれいだから、うれしい。 https://pic.twitter.com/bidRo4eJi7  6作目は、チャールズ・ストロスの「コールド・ウォー」米ソ間のみならず中東も絡んで、世界戦争になるというところに、異星とのトンネルが見つかって、それも6個も、そこには人間が生息できないようなものがあって、世界は終わりを迎えるところで、物語は終わる。おもしろさはなかった。  7作目は、N・K・ジェミシンの「可能性はゼロじゃない」ニューヨークで、確率的にはゼロに近い減少がつぎつぎ起こる。ただそれだけ。  8作目は、グレッグ・イーガンの「暗黒整数」数学定理の証明が異なる別の数学体系の宇宙との、数学を用いての戦争。いったんは終息した。おもしろかった。  さいごの9作目は、アレステア・レナルズの「ジーマ・ブルー」惑星規模の巨大な作品までつくってしまうジーマという名前のアーティストが使う青色の意味が明かされる。意外なことに、ジーマはもとは人間ではなかった。プール掃除用のロボットだったのである。青はプールの色だった。というわけ。 二〇二〇年十二月十九日 「2010年代海外SF傑作選」  きょうから、寝るまえの読書は、『2010年代海外SF傑作選』。楽しみだ。 https://pic.twitter.com/YZlP41Z3yt  1作目は、ピーター・トライアスの「火炎病」突然、目に見えるものが青い炎に包まれて見える病気が発生した。主人公は火炎病になった兄をなんとかしたいと思っている青年。研究していくうちに、異次元の生物がネットを通じて人間とコミュニケーションをしたくてしたことだったことがわかる。  2作目は、? 景芳の「乾坤(チェンクン)と亜力(ヤーリー)」子どもから学ぶように命じられたAI。子どもは3歳半。ダークエネルギーのことを尋ねられたAIは、宇宙に向けて1300機もの飛行物体を飛ばした。子どもは航空宇宙機関から特別貢献賞を与えられる。 二〇二〇年十二月二十日 「ロボットとカラスがイーストセントルイスを救った話」  3作目は、アナリー・ニューイッツの「ロボットとカラスがイーストセントルイスを救った話」タイトルの通り、衛生局のロボットがカラスと協力して、病気の人間たちを助ける話。この話に出てくる人間たちは、なかばホームレスのような人間たちのこと。なかなか好感の持てる話だった。  4作目は、ピーター・ワッツの「内臓感覚」Googleの文字を見ると狂暴化する事件が相次ぐ。腸内細菌のせいなのか。それを調べにきた調査官もGoogleから派遣されたのであるが、スケープゴートとしてGoogleが狙われたかのようにGoogle側が仕掛けたのかもしれない。さいごはわからない。 二〇二〇年十二月二十一日 「プログラム可能物質の時代における飢餓の未来」  5作目は、サム・J・ミラーの「プログラム可能物質の時代における飢餓の未来」ポリマーでできた怪獣が跋扈する近未来の世界で、ゲイの主人公が付き合っていた恋人が浮気をするのを目撃したが黙っていた。後に恋人は災難で死に、恋人の浮気相手は盲目になり、彼を殺そうとするが殺せず、セックスする。  6作目は、チャールズ・ユウの「OPEN」これはSFではなく散文詩だ。彼と彼女がいて、ふたりの部屋に door という単語が浮かんで、翌日には、それが本物のドアになっていて、そのドアをくぐる自分たちというのと、こちらにいる自分たちというものの区別があって、というわけわかめな物語。  7作目は、ケン・リュウの「良い狩りを」中国人の妖怪退治の跡継ぎだった少年が、蒸気機関車に関する機械を扱う仕事について、機械いじりの能力を高めていく。やがて、かつて出合った妖怪の娘と再会したのだが、彼女の身体は機械になっていた。青年は、彼女の機械の身体を完璧なものとする。  8作目は、陳 楸帆の「果てしない別れ」脳の病気にかかって植物人間状態に近くなった主人公が、政府の依頼で、深海生物との意思の疎通を頼まれるというもの。主人公には妻がいて、ミッションのつどその妻との思い出が思い出される。さいごは主人公が植物人間状態から脱して妻と暮らすところで終わる。   9作目は、チャイナ・ミエヴィルの「?  ?」無についての考察である。  きょう、Amazon のネット古書店に注文していた『90年代SF傑作選』上巻が届いた。並の状態かな。いつ読むかわからないけれど、いま読んでる『2010年代海外SF傑作選』を読み終わったら、『80年代SF傑作選』上下巻を読むつもりだから、そのあとかな。 https://pic.twitter.com/XhQkc6oejU  10作目は、カリン・ティドベックの「ジャガンナート──世界の主」マザーとよばれるものの内部に子が生まれ育つ。マザーは食料を見つけられず死ぬ。子のひとりが、マザーの外に出る。マザーとは別の生物に出合い、その生物の子らを口にする。走って筋肉を伸ばしたいと望むところで物語は終わる。ジョン・ウインダムの「蟻に習いて」を思い出してしまった。似た設定だが、「蟻に習いて」では男がひとりも生まれてこない世界だった。 二〇二〇年十二月二十二日 「柴田 望さん」  さいごの11作目は、テッド・チャンの「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」ネット・ゲーム上の動物たちを可愛がっている主人公たち。その動物たちの運命の物語。バージョンアップさせるために必要な資金をどうやって得るか。一体の動物がネット上でのセックス・ドールとして売り渡される。  きょうから、寝るまえの読書は、『80年代SF傑作選』上巻。どれだけ、ぼくを楽しませてくれるだろうか。 https://pic.twitter.com/uNPoVUfw6f  柴田 望さんから、同人詩誌『フラジゃイル』第10号と、二宮清隆さんの詩集『海へ』と、「地域からの発信」という文章が掲載された本のなかの本文のコピーを送っていただいた。二宮さんの詩集、実話っぽいところに目が惹かれる。 https://pic.twitter.com/MSRGeOf8uj 二〇二〇年十二月二十三日 「ニュー・ローズ・ホテル」  1作目は、ウィリアム・ギブスンの「ニュー・ローズ・ホテル」主人公がサンディーという名の女性に時折、呼びかける二人称形式の物語。なにやらヤバい商売の話で、ウィルスが関係している。雰囲気はダークだが、詳細はわからない。SFかどうかも。 二〇二〇年十二月二十四日 「暗黒神ダゴン」  Amazon のネット古書店で、創元推理文庫から出てた『暗黒神ダゴン』を買った。本棚を見てもなかったからだ。買っておいたはずなのだけれど、見当たらないということは、だれかに譲ったということだ。表紙が好みだったのに。148円だった。(送料別) https://www.amazon.co.jp/%E6%9A%97%E9%BB%92%E7%A5%9E%E3%83%80%E3%82%B4%E3%83%B3-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%9A%E3%83%AB/dp/4488523129/ref=sr_1_10?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E3%83%80%E3%82%B4%E3%83%B3&qid=1608102452&s=books&sr=1-10…  なんでいまごろ買ったのかっていうと、一年くらいまえにどこかの書評で翻訳の文章がすごくよいと読んだからなのだけれど、いま良い翻訳というものに出合う機会が少なくなっているように思えて、きっちりした文章を読まなければと思ったからである。それにしてもひとに譲る表紙ではなかったのだけれど。しかし、価格が手ごろだったのには、こころから感謝する。スワンウィックの『大潮の道』や、グリフィスの『スロー・リバー』など最高のSF作品も、いま、Amazon では1円とか30円で売っているのだ。作品の質と価格が釣り合っていない。世のなかのいろいろなものが釣り合っていないような気がする。 二〇二〇年十二月二十五日 「世界のもうひとつの顔」  自分のコメントが反映しているかどうかを見るために、Amazon で、アルフレッド・ベスターの『世界のもうひとつの顔』を検索したら、ちゃんと反映していたのはともかく、いま、30000円もしているのにびっくり。30000円の価値はないと思う。 https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E9%A1%94-%E5%89%B5%E5%85%83SF%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/4488623034/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E9%A1%94&qid=1608913064&sr=8-1… 二〇二〇年十二月二十六日 「ピー・アイ・マン」  ベスターの短篇集なら、かぶっているものが多い、奇想コレクションの『願い星、叶い星』がもっとやすくで売っているのだから。 https://www.amazon.co.jp/%E9%A1%98%E3%81%84%E6%98%9F%E3%80%81%E5%8F%B6%E3%81%84%E6%98%9F-%E5%A5%87%E6%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/4309621856/ref=pd_sbs_6?pd_rd_w=PGwO1&pf_rd_p=c295905f-82f9-4d73-8142-c393a4211258&pf_rd_r=R0E763WSCCJ41JNENAFA&pd_rd_r=f1df1865-91ca-469c-93a8-8a78b63ddd37&pd_rd_wg=8Cj5A&pd_rd_i=4309621856&psc=1… 444円だ。 『世界のもうひとつの顔』と同じ内容のもの、以前に、『ピー・アイ・マン』というタイトルで出されていたものは、同じ Amazon で、200円から売りに出されている。30000円とは、読書家をバカにしたような値付けだ。 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/4488623026…  それに、単行本『願い星、叶い星』に2篇を足した文庫が新刊本でまだ手に入るのだ。 https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0-%E3%83%99%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%82%91%E4%BD%9C%E9%81%B8-%E5%89%B5%E5%85%83SF%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/4488623050…  文庫本の『イヴのいないアダム』これは、ぼくは持っていない文庫であるのだ。単行本に新たに2篇加えたということに腹を立てていたからだ。こういう商売はいただけない。腹が立つ。 『世界のもうひとつの顔』1000円で売っているネット古書店があった。こういう存在に、ぼくは救われたような気がするんだな、ほんと。 https://talkingbook.theshop.jp/items/29257789  いま、Amazon で、『80年代SF傑作選』下巻が5000円、『90年代SF傑作選』下巻が7989円というのが底値なのにも腹が立つ。毎日、ネット古書店で検索かけまくって1000円代で、なんとかぼくは手に入れたけれど、これらの値付けも読書人をバカにしてるなって思う。  古書値の値崩れを期待している本が2冊あって、上巻は値崩れしているが下巻がまだまだ値段が高い本があって、それらも毎日のように Amazon を見て調べている。なんという本かは書かないけれど、SF小説ではない。 Amazon 以外のネット古書店では売っていない本なのだ。残念。  Amazon で注文していた『暗黒神ダゴン』が到着した。本文はきれいだったけれど、表紙に?れなどがあり、並下かな。ちょっと機嫌が悪くなる。 https://pic.twitter.com/6kUusI7v2R 二〇二〇年十二月二十七日 「ツインキャスター」  2作目は、ポール・ディ=フィリポの「ツインキャスター」手のさきから念動力で、顔の整形などができる能力を持った医師が主人公。同じ能力を持った女性に復讐される物語。さいごは和解してチャンチャン。  3作目は、キム・スタンリー・ロビンスンの「石の卵」大型バスで移動する主人公。ある場所で、そこを掃除し、自分の仕事場にする。客は人造人間たち。物語は短く、説明がほとんどない。 二〇二〇年十二月二十八日 「いまは選ばないことにしています。」 @saginuma_2012 死ぬことも選べますが、いまは選ばないことにしています。 二〇二〇年十二月二十九日 「親に捨てられる夢を見た。」  親に捨てられる夢を見た。子どものぼくをデパートに置いてきちゃうっていう夢。それとも迷子の夢なのかな。 二〇二〇年十二月三十日 「ただ部屋に閉じこもっている。」 なんの予定もなく、読書をする気分でもなく、ただ部屋に閉じこもっている。 二〇二〇年十二月三十一日 「ふるさと遠く」  ウォルター・テヴィスの『ふるさと遠く』がようやく適切な価格1112円になっていることに満足。いままで60円とかひどい低価格だった。質に合わせた価格が読書人にはのぞましい。 https://www.amazon.co.jp/%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E9%81%A0%E3%81%8F-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%83%86%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9/dp/4150106835/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E9%81%A0%E3%81%8F&qid=1609399390&sr=8-1… ---------------------------- (ファイルの終わり)