るるりらのおすすめリスト 2020年8月17日9時45分から2022年2月1日22時03分まで ---------------------------- [自由詩]独白/道草次郎[2020年8月17日9時45分] たくさん詩を書いて たくさん詩を消した 推敲などろくにせず 縋るように投稿した 作品と呼べるものなどなく とても人様にお届けできるものではなかった それでも悪くないねと誰かが言ってくれると ほんの少しだけ生き延びられる気がした そんなぼくの生きようをだれが笑えるか そんなぼくのみっともなさをだれが笑えるか ぼくが吐き出してきた詩はぼくそのものだった ぼくはすごい詩を書きたいわけじゃない 誠実になりたいわけでもない ぼくはただやり場のない気持ちをぶつけたかっただけだ ぼくはいまハローワークへ行く勇気が出ないからこんな詩を書いている そんなぼくをだれが笑えるか これがいまの正直な自分だ この自分というものをぼくはこの先ずっと愛し続けなければならない それだけが確かなこととしてエベレストみたいにそそり立っているのだ ---------------------------- [自由詩]星の刻/道草次郎[2020年8月19日10時33分] 星の刻 ぼくは砂漠のトカゲで 歩き疲れたラクダは銀河を見ていた 水溜まりにはジュラ紀の鬱蒼が ネアンデルタール人の女の子とも恋をして 弄ぶ時流のうねり 倦むことなき鍾乳石たち____ 単細胞生物だった思い出は キリマンジャロの彼方へ疾うに消え失せた 白亜紀の火粉が暁新世の扉に降りかかると さすらい人の太陽が2億年ぶりの帰還を果たす 漂着した羊皮紙を齧り齧り 化石化したスマートフォンに竹節虫(ななふし )のような指を這わせる____ 星の刻 ぼくはふたたび古代魚となって 始原の海へ泳ぎだす ほやほやの脊椎が痒くてたまならない ---------------------------- [自由詩]はなび/AB(なかほど)[2020年8月20日9時02分] やわらかいことばで 伝えようとすると よけいにかたくなに なってゆく ひとは水なんだってさ そんなことも 夕方にもなればようやく ひとごこちのつける その風にふと あの人の花のかおり そらに溶けてゆくのは そらに溶けていったのは 即興ゴルコンダより 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ふわわん ふわりんりん あはは くすぐったいよう- 夏の温度がさがって ほら クッキリした青い夏のうしろ姿は 日焼けした子たちの笑い声 あの眩しい光にあたりながら歩いたんだね走ったんだね たくさん ね 私の膝あたりのちんまい子から そう これから恋をしたり したいこと探していく 若い子たちの こんがり いきぐるしかったなつかしさがめのうら うららかであります 豚ばら肉をヒノキのまな板に平らかにおいていく まな板ね 世田谷のぼろ市で威勢のいいおっちゃんから買ったの 洗ったししとう えのきだけは石づきを落として 割いておく で、ししとうとえのきだけを豚ばら肉で巻きながら 鉄のフライパンを中火で熱しておく ごま油をたらり B級品を安く買ったのだけど もはやすっかりどこが悪かったのかも忘れて活躍中です 豚ばら肉で巻きあがったのを、巻き始めたとこを下にして敷き詰めて ちょっと生姜焼きも食べたかったから えいやあっ 生姜のすりおろしもパパっとかけちゃう 塩もふっちゃう胡椒もふっちゃう じうじうじうじう じうじうじうじう 豚肉ですから赤いとこ残しちゃだめですよ ほとんど焼けたと思っても油断大敵だから 醤油を細うく ひとまわし いちばんちっさい火にして ガラスブタして蒸し焼き わあ ここにもブタさん (そういや、今日は使わないけど、オトシブタさんもいる) 鍋の下の青い火 にくじう じゃなかった 澄んだ肉汁 少し焦げてきた醤油のにおいが躍ったら 夏の終わりの夕ごはん ---------------------------- [自由詩]妊娠は航海/よしおかさくら[2020年9月17日11時05分] 子どもを産みたい本能をグラフ化するのは難しい 明日は産みたくない昨日なら産みたかった 子ができる工程もそれは楽しみたい 神聖視とは神秘とはなんだろう 人間は動物だ 神の子を産むなら 受胎告知を夢見れば済む事 妊娠は航海である 二百八十日間の船酔い 安全なマリーナに辿り着いてから産みたい 出発の時期も 港も選べないだなんてあってはならない ただでさえ死地への旅路かもしれないのに 腹がせせり出るまでも 長い 歩いただけで 足の付け根の痛みは強く 蹴られ続けて少ししか食べられない 豪華客船でも眠れない 明日か明後日か とうとう痛みが来た ---------------------------- [自由詩]泡立ち/はるな[2020年9月28日23時44分] 木たち 花たち さまざまなプラスチックたち 混ぜ返される色色の 日々の泡立ち いくつもの あらゆる種類の 嘘をついて来た そうして私が 出来て動いて居る 触れる ものの全ては ここにあるのに なぜ私だけ 本当に 嘘なんだろう? 思い 考え 息をしていた 軋む音がする 扉が開かれる 眠ろう ---------------------------- [自由詩]庭園/よしおかさくら[2020年9月30日12時59分] 何かが破損している意思の 立て石を滑る力よ 牛の乳を絞る動きと同じに枝豆弾けて 膝は高らかに笑い 崩れ落ち 寂しさとも心細さとも違う 薄っぺらな心で 振り子の反動でしか動けず 何処へ行こうと泣く 頭から片時も離れない歌の如く 誰かの心をひたすらに占めたい 柔らかい 木漏れ日を浴びて眠れ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]庭の話など/道草次郎[2020年10月4日1時06分]  歳を取り年々感じるのは、死んだ父にますます自分が似てきたという事だ。父は自分が十七の時に他界した。享年五十八。逝ったのは冬のおそろしく寒い夜更けの事だった。その時のことは今も鮮明に覚えている。  何といっても植物が好きな人だった。ことのほか花木を愛しており、実家の庭には種々の珍しい花木と見たこともない花々が植えられていた。それらの大半は現在も残存しているのだが、自分には、その名前すらよく判らない樹や花も少なくはない。  父が入院していたとき、いつもその枕頭には植物図鑑があった。元来恐るべき蔵書家で、またそういう方面の仕事を生業にしていた手前他に幾らでも読みたい本はあっただろうに、何故か植物図鑑だけは手放せない様だった。それだけ好きだったのだと思う。  元気だった頃は、夜も明け切らぬうちから林檎と葡萄の消毒と草刈りを済ませ出勤。帰宅してからは何時間もかけて水やりをして雑用もこなす。そんな生活を当たり前のように何十年も続けていた。家庭状況その他の事情は違えど、自分には到底できない事と今になり振り返れば思う。  父に似てきたというのは、見た目云々に関しては言うまでもなく、その好むところが似通ってきたという意味でもある。食い物然り、読む本然り、母に言わせれば一寸した拍子にする返事然りである。しかし、もっとも自覚するのは、先ほども触れた通り植物への関心についてである。  父は本当に植物に詳しかった。そして、植物を愛していた。行きつけの植木屋では半分冗談で先生と呼ばれ、会社でも植物博士で通っていたらしい。そんな父を見て思春期を過ごした自分は、父のやっていた事を何となくただ見ていただけであった。やがて父が世を去り、一人暮らしをする為に自分が家を離れてしまうと庭はみるみる内に荒廃していった。致し方ない事ではあったが、それは情けないことでもあった。  我が家の庭の真ん中には、シンボルツリーとして、花の木という名の大樹が鎮座していた。とある大風が吹いた日の未明の事である。根方から二股に分かれているうちの一方が、予てよりひどく朽ちていた洞の脆弱さに耐え切れずに、一気にドッスンと倒れたのだ。倒れた幹はちょうどそのとき母が寝ていた部屋の上に直撃した。損害は樋がひしゃげたのと屋根の一部がわずかに破損したのみで済んだが、破壊音がした瞬間、母はついに大地震の到来かと吃驚し飛び起きたそうだ。そのあと母と二人で、「これはお父さんが守ってくれたのか、それとも怒ったのか分からないね」と言い合ったものだ。そんな事もあり、父が存命なら丈夫に立派に育って行けた筈の樹木たちは年々に脆くなり、その結果として倒木の憂き目にあったりするようになった。  しかし、これは生態系における常識なのだろうが、珍しいものや土地に根付きにくいものはやがて他の優勢なものに駆逐される。珍花より雑草のほうが強壮なのは誰でも知っている。父は花木の珍種をことに好んだ。なかなか人が育てない樹を手に入れてきて、それを育て上げることに喜びを感じているような所があった。だから当然その父が居なくなり、面倒を見る者がなくなればそれらの珍種が朽ちるのは時間の問題だった。ものの数年で殆どが病気をわずらうようになり、十年を過てからは倒木はざらだった。  しかし、なかには強いものもあるにはある。  例えば棗(なつめ)の樹である。これを人家の庭に普通に植えることがよくあるのかは知らないが、この樹はじつにたくさんの棘を持っている。それはそれは恐ろしく尖った棘である。これは自分の思い込みかも知れないが、前年に剪定を施された樹は必ずと言っていい程かかる年の棘を増やしてくる。それどころか棘は前より鋭くなっている。とは言えこの樹は木質がしっかりとしていて成長も逞しいので、枝を落とす必要はどうしても生じる。よって、毎年大変痛い思いをしなければならなくなる。しかも、年々棘の脅威は増すのだ。病気にも十全な抗体があるらしく、秋には臙脂(えんじ)色の熟れた実をふんだんに落とす。その樹の枝々を剪定するのは、どことなく、縫い針だらけのクリスマスツリーの飾り付けでもしている様な気分だった。そういうじつに恐ろしい樹だけは、憎まれっ子世に憚るではないが、負けずに生き残っているというそんな話である。  それから、ブナ、クヌギ、ナラの類である。これらもじつに強い。所謂ドングリをならすのがこれらの樹なのだが、確かにあのドングリ一つとっても全く硬くて丈夫なものだ。ブナもナラもクヌギも何本かあった。これらはあまり病気にならない。もともと強いのだろう。でも、あまりに強く枝の勢いも盛んな為、あっという間に茂ってしまい周りに害を成すきらいがある。周りにあるのが、他の植物や家の物置などだけならば放っておけばいいが、場合によっては公道や隣家へもその手を伸ばすことがある。いったい何本この手でそれらの図々しくはみ出した枝を切ったか知れない。いきなり根本からチェーンソーを入れるわけにはいかないので、上のほうから徐々に少しずつ枝を落としていく。梯子に乗ってそれをやるからうっかりもしていられない。大きなナラともなれば電線にまで達するほどの高さだから、気を抜いていると死ぬのである。落とした枝も幹もこれがまた厄介で、けっきょくはバラバラにしないと燃やせない。何か月か放置して乾燥させた後、畑の一角で盛大に焚くのである。新聞紙や焚き付けの為にストックしてある藁などを使い、火を付ける。いくら乾燥させてあるとはいえ最初はどうせ燻っているから、長い柄杓に少量のガソリンを汲んでそれを上からぶちまけてやる。そうすると、一気にぼわっと燃え立ち驚くほど赤々と焔える。ブナやナラはこういう面倒な事をしなければならないので、有るだけで、随分と困るのだ。  もう一つ、とりたてて珍しい事ではないのだが、自分にとっては印象深い話を。  ヤマボウシという樹がある。どうもこの樹にまつわる話は変わっていて、実のなるものは不吉だという言い伝えに端を発する。なぜそういう伝承があるのかその詳細に関しては不明である。ただ自分が覚えているのは、父にヤマボウシの白い花がきれいだと言うと決まっていつも、「あんまりよくない、不吉な花だから・・・」と話を濁された事である。それは何かこうモヤモヤしたしこりのような感情を幼心に残した。ヤマボウシは美しい白花を付けるのだが、不吉と言われるとなぜかその白さが少し青みを帯びてくるから不思議だった。言い伝えや伝承の類が事実であるか否かは、何というか、あまり重要ではない気がする。白いものが青白く見えてくるというのが、父の捉えどころのない濁しとともに脳裏に立ち昇って来る時、ある種の真相を自分がそこに見てしまう事の方が肝心である気がする。或いは、父は自分が記憶したようには言わなかったのかも知れない。しかし、記憶のそういう不確かさも織り込み済みで立ち現れて来るものこそ、もしかしたら本物の記憶なのかも知れない、そんな事をつらつらと考えたりする。  父に似てきたと言ったら父はたぶん笑うだろう、お前などまだまだと言いたげに。最近どうにかやっと植物を愛でる気持ちが分かってきた、ような気がするという話である。心が惑ってわなわなとなるような宵口にふと玄関を出て、庭へと続く飛び石の方に行く。暗がりに咲く孔雀草やジニア。白い花を咲かせるシュウメイギクの細いうなじのような茎。そういった花々の姿に、近頃、心奪われることがあるというだけの話だ。  あまりに何もかもが変わり過ぎたここ最近の事々に追いつくように、花々も樹木も、その身にしんしんと秋を刻み付けつつあるようにみえる。そこにあるものがただ美しい、それだけなのである。父もやはりそうではなかったか。美しいと感じることに理由など要らない。歳月が自分を父に似せたのか、それとも、父が歳月を自分に送って寄越したのか、それはどちらにしても同じことだろうか。  ただ季節は一時も止まることなく、こうしている間にも冬の足音は近づいている。もしかしたら、花木を愛するというのはその季節の音を聴く事と似ているのかも知れない、そんな風に考えたりもするのだ。 ---------------------------- [短歌]秋深し金木犀のご近所に銀杏植えたの誰や出てこい/46U[2020年10月5日11時46分] 秋深し金木犀のご近所に銀杏植えたの誰や出てこい #においが混ざり合って大惨事に。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]振り返ること?/道草次郎[2020年10月6日22時52分] 自助グループがその後どのような経過を辿り雲散霧消したのかはまた別の機会に触れるとして、今回はぼくが当時していた仕事の話を少しだけ。 ぼくは20代後半の時、これはどこかで書いたかも知れないが、ホームヘルパーという仕事をしていた。訪問介護とも呼ばれていて女性ヘルパーの数が圧倒的に多い職業だ。 まあ、なんでこの仕事を選んだかなんて実はこれと言った理由もないのだが、ただ何となく「人にやさしくする自分」というのをデフォルト状態と見なしてしまうフシが自分にはあり、これは今思えば思い込みに過ぎないのだけど、とにかく、その時は殆ど成り行きでそういう職に就いてしまったというのが本当のところだ。 じつに色々な利用者がいた。何から話せば良いかかなり迷ってしまう。 朝のごみ捨てのサービスをする為だけにわざわざ20キロ先から直勤して、玄関のチャイムを鳴らすと、いきなり「殺すぞ!」と怒鳴り付けられた時はさすがにびっくりした。あんまりびっくりしてかえって爽快だったぐらいだ。あの時の朝空の美しさは今でも覚えている。 それからこれは別の利用者だが、生活保護の金が入るとすぐにナンバーズ4を買って来いというのもいた。しかも、そのナンバーズ4が奇跡的に当選するのだから始末が悪い。気が付くと、ピカピカの新しい冷蔵庫なんかが台所にあって、なぜかヘルパーであるぼくが古い冷蔵庫の中の腐った食材を全部かきだすハメになったり…そんな笑い話みたいな事もしばしばあった。 あとは、蛆だらけのゴミ箱を隅々まできれいにしろと言われ、はい、と素直に言い雑巾で拭いている所に便所スリッパを投げつけられた事もあったし、床に落ちた糞尿みたいな得体の知れない塊を2時間も3時間も拭き続けたこともあった。鼠とゴキブリが駆けずり回る密室で恐ろしい異臭に苛まれながらゴミの分別をすることもしょっちゅうだった。昔水商売で荒稼ぎした90近いおばあさんの利用者にシコタマ絞られてしまい、自転車に乗って上司と謝りに行ったこともあった。 こうやって書くと辛い事ばかりのようにも見えるが、それは事実しんどい事でもあったのだが、家で引きこもりみたいな生活をしていたぼくにとっては何もかもが勉強だったし、家で考えあぐねている生活の方がよっぽど苦しいものだった。だから、来る日も来る日も多くの事を甘んじて受けた。 とりわけ覚えているのは末期の大腸癌を患っていた利用者の方だ。大変な強面で無口で頑固一徹、昭和の親父みたいな人だった。その人の目の前でヤカンの水をぜんぶひっくり返してしまった事があった。あの時は本当に死ぬかと思った。ヤクザみたいな人だし、末期ガンだし、ぼくの切る千切りキャベツに大いなる不満を抱いていたらしいし、全くチビりそうになったものだ。その件があってから程なくしてぼくは担当を外されてしまった。しばらくしてその人が亡くなったという話を人づてに聞いた時は、何とも言えない気持ちだった。優しくあるということの無力さは勿論、死期にある人もしくは死んだ人に対する自分の残酷な感情を知った。 それから、こういう人もいた。この人もやっぱり末期ガン患者で、人工肛門をされていた。なぜか部屋中に白いカサカサしたものが大量に落ちていたのが強く印象に残っている。その人の家に行くと、自分はその事ばかりが頻りに気になって仕方なかった。その人は古いポルシェを所有していて、ぼくが訪問する度にそれをとびきり安く譲ってやると言った。ぼくは「そんな高価なものいただけませんよ」とかわしていたけれど、後で先輩ヘルパーに聞いたら、どうやらあれは負債に過ぎないらしく、処分するにも金がかかるから玄関にああして置いておくより他にないという事なのだった。その人はいつも、どうしてもあじフライが食べたいと言った。提供できるサービス時間の都合上、最寄りのスーパーへしか行くことができず、しかもそのスーパーにはさんまのフライしか置いていなかった。だからいつも、「すみません、今日もさんましかありませんでした」と言わなければならなかった。その人はそんな分かり切ったぼくの報告を、少しだけ哀しそうな顔をしていつも聞いていた。 1月2日だったと思う。どうしてもと頼まれ訪問した時、もうどうにも悪い状態となったその人がソファに崩折れるように沈み込んでいた。床は血糊と人工肛門から溢れ出した汚物とで足の踏み場もない状態だった。自分の職務能力の限界をすぐさま覚ったぼくは事務所に連絡をした。するとものの10分で課長補佐が現れた。課長補佐はベテランのヘルパーで看護師の資格もあるから、ストーマの処置を速やかに行い、ぼくに床を綺麗にするよう指示をした。ぼくは言われるがままにそれをし、時間がきたのでその旨を課長補佐に伝えると帰っていいと言われた。その時見たその人の後ろ姿が、僕が見たその人の最後の姿となった。ぼくはその人にあじフライ一枚すら買ってくる事ができなかったのだ。 こういうことが日常茶飯事のように起きる毎日には言うまでもなく慣れてきていたし、場合によっては飽きてさえきていたのだが、そうしたさなかにありながらも、自身の真実の姿を直視せざるを得なかった瞬間が幾度となくあった。それは、こうした様々な体験を、個人的な幾つかの場面においていみじくも利用してしまった時である。 たとえば、先述した年明けに亡くなられた末期ガンの利用者の方についてがそうだった。それは当時付き合っていた彼女とちょうど上手く行っていない時期で、たしか友人何人かと食事をした時だったが、ぼくはなぜかその日は無口だった。元々複数人での雑談というものが極めて苦手ということもあったし、たぶん特に意味もなくそういう態度をとっていたのだと思う。きっと彼女にはぼくが面白くなそうに見えたのだろう。その事を後になって車の中で責められたことがあった。その時ぼくはうまく弁解しなければこの関係がいよいよ面倒な方向へ行きかねないと思った。だからつい、自分が今携わっている仕事の深刻さを引き合いに出してある種の同情を乞うたのだ。ぼくは人の血と糞尿を拭いてきたばかりなんだ、という感じに。こうした事を平気に行う自分というものを睥睨しつつ、一時のはかない関係修復の為だけに取扱いに慎重を期すべき事柄を姑息にも利用したのである。少なくとも、ぼくはそういうふうに自分を見た。そういう自分を意識しながら、それをしたと思う。そういった経緯の一切の中にある何か非常に深いもの、底光りをするようなものの存在を認めざるを得ない自分というものを直覚しながら、そして一方ではそれを全的に否定しつつ。 と、言いながらも日々は坦々と過ぎてゆき、やがてこのホームヘルパーという仕事にも限界を感じ始めたぼくは、そこから身を引くことを選んだわけだが、あの時の経験はいったい何だったのだろうと、時々、このようにして思い返すことがあるのだ。 少なくともぼくにとってあの経験は、ぼくの範疇を逸脱してはいない。何もかもが、独りで部屋にいた時と同じに、起こるように起こったのだと思う。ただひとつ言えるのは、感覚の鈍感な凡人にとって想像力を刺激するボタンを見つけるのは至難の業であるという事だ。なかなか独り部屋にいてはそのボタンがどこにあるのか分からないのが普通だから。 新しい感情を発見する為に、たぶん人は外の世界に出ていくのではない。おそらく人は自ら発見した素描のような直覚に想像力の肉を施す為にこそ外に出るのだ。今は何となくそんな事を考えたりする。これは間違っているかも知れないが、別に間違っていても一向に構わない。そう思えたという事それ自体が収穫であり、人生のスタートラインに立てたという自覚こそ自分が求めていたものだったからである。 _______________________ 次回へ続く。 ---------------------------- [自由詩]かじってごらん砲を放て/ブルース瀬戸内[2020年10月7日11時54分] 私はリンゴであると宣言しても リンゴじゃないよと宣言しても 丸みを帯びた至高のフォルムと 英語でアッポーと呼ばれるのを 冷静無垢に考え併せてみるなら 私はかなりの確率でリンゴです それでも宣言したい時はあって それは確認かもしれないけれど 私はリンゴであると宣言します 私はリンゴであると自覚します かじってごらんとの誘い文句で 宇宙の果てを射程にとらえつつ 買ってくれた人に伝えるのです 消費社会の記号的存在ではなく 栄養学的見地の王様を気取らず しりとり先でゴリラを独占せず 本来の魅力を今こそ全開にして かじってごらんを放つわけです かじってごらん祭りではないか そんな穿った見方も一掃すべく 情熱と覚悟と誠意をひっさげて かじってごらん砲を放つのです 決して忘れてはいけないことを 決して忘れないことが大事です 私の魅力は何なのかを忘れない ということで優しくかじってね ---------------------------- [短歌]ワンス・ア・ディ/アニュリタ[2020年10月7日19時42分] 過ぎ去りし日々を思わず 帰らざるその一日の落葉を思う ワンス・ア・ディは少女の名前 猫になり女になりて消失したひと その時は失うことを思わざり 唯の一日 明日またねと 湖はワンス・ア・ディの瞳にも 似てると思う吾を視てるか 異世界のワンス・ア・ディに恋をせし 少年の日は誰も報いず ---------------------------- [自由詩]いつからそこにいたのだろう/Lucy[2020年10月15日20時50分] 線路の脇の赤茶けた砕石の荒野 そこに芽吹いてしまったジシバリ 細長い茎のてっぺんに ちいさいタンポポに似た花を掲げ 電車が来れば車輛の下に潜り込むほどレールに近いのに 倒れずに ふらふら風に揺れている 砕石の層の下の土にまで まっすぐに根を下ろしたのだ こんなところに芽吹いたことを 嘆いただろうか それとも喜んだだろうか 意を決してここに立つことを 自ら選んだのであろうか 目立たないから抜かれずに済んでいるのか それとも心優しい保線係がわざと抜かずに見逃したのか 雨にも 照り付ける陽射しにも 嬉しがったり 憂いたりして うつろう季節に身を委ねている 一本の野草 か細い命の豊かさが 黄色い花を揺らしている ---------------------------- [自由詩]陰陽説/道草次郎[2020年12月23日18時03分] 過度な太陽光を浴びた後 くらがりにいくとやけに青くなる 子供の頃のきおくが ブルーがかっているのは そのせいか ついぞ過度になりがちなくらがり そこに常住すると ブルーは顕われない ブルーは 透明なこどもの土踏まず もえつづけた夏の午後が精査した 千里眼の島 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]卵化石/田中修子[2020年12月25日1時50分] ね、みんなは、恐竜だったころをおぼえている? むかし博物館に家族全員を、父がつれて行ってくれた。幸せな会話で窒息しそうな電車、はやく終わらないかな。 父はティラノサウルスが好き。わたしはトリケラトプスが好き。 そのころ母がとっていた子ども新聞に、トリケラトプスの男の子と女の子が恋に落ちて、滅びていく恐竜世界を冒険するまんがが載っていた。火山がドカンと噴火して、灰がおちて、空がどんよりと曇って、濃いみどりの羊歯や、大きなイチョウやソテツが、どんどん燃え上がり容赦なく枯れていく。二匹の両親は、二匹を守って死んでいった。寒くて寒くて、二匹はからだを寄せ合いながら、まだどこかに残ってるあったかな理想郷を探して……わたしは結末まで読まなかった。 だって、そのトリケラトプスの男の子と女の子が、あったかいとこにぶじたどり着けて結婚して幸福な結末を迎えたとしても、もうぜったいに二匹とも、死んでしまっていた。 恐竜はうんとむかしに、ゼツメツしてしまったのだ。 かなしくて仕方がないから、うんっと思いっきり力を込めて左手の親指の爪を半分まで引っぺがした。 我が家では、神さま仏さまのはなしは科学的根拠のないものとして、あざけりと共にあったが、お兄ちゃんは後日、生き仏様をあがめるようになる。お兄ちゃんがコワイものに変わってしまった気がしたし、それに父は「お兄ちゃんのことは、なにかあったら刺し違えてでも止める」と熱い青年のまなざしで云って、母は「まぁパパ」と感涙するのである。どうしたらいいんだろう、わたしはせめてかわいらしくニコニコした。 でも、お兄ちゃんが借りていっしょに見てくれたジャン・コクトーの、「美女と野獣」のしろくろの映画の、お姫さまの長いまつ毛と目の深い陰翳・ドレスのきらびやかさ・野獣のかなしみと、ふたりの深い愛は、わたしの目のうらにいまでもあざやかにある。 父母・ティラノサウルスがほえるようにわらうと、頑丈な真珠の白い歯が見え、レースの羊歯はめくるめくように湿度の高い甘やかなにおいで中生代世界を装飾し、黄金のイチョウはひらひら落ちる。半透明の翡翠でできたトリケラトプスのわたしは、ふるふる震えているミニお兄ちゃんをうしろにまもり、突進して、しゅんとした父母・ティラノサウルスを三本角の頭突きで追い返したあと、ソテツの宝石みたいに赤い実をカリリカリリとたべてお腹がグルグルしちゃうんだな。 上野駅で迷わぬように、父が手をひいてくれる。父の手は、銀色の製図用のペンで設計図を描きなれた乾いたさらさらのぬくもりで、書きダコがあって、深いあったかい肌色をして、神さまみたいに大きかった。父のつくった偉大な建造物を、わたしは生涯乗り越えられないだろう。もし父が逝っても、あのひとの巨大な足跡は、各地に残り続けてるのだから、さみしくなったら、彼が設計に携わった建物の中のカフェに行ったらいい。--この小さな島がいつか、火山の噴火によってあるいは、たかいたかい津波によって飲み込まれるまで、あのひとは、遺すものをつくったんじゃないだろか。 わたしは地球の燃え尽きたあと、きらめく星になりたい。 少年のように、父は目を輝かせてチケットを博物館の入口にて買い求めた。おっきいお札がさーっと消えてゆく。おにいちゃんは幽霊みたいにボンヤリして、消えていく代金を母は目をキリキリさせてじっと眺めている、わたしはあとで母がバクハツして、家族が青く透き通ったカチンコチンの氷河期にはいるのを、いまから、みがまえる。 そうそう。そういえば、零下の雪と氷の世界を、わたしは、毛皮を着て風にさまよい歩いた。あれ、さむかったなぁ、おなかも減るし、家族も仲間もじゃんじゃん死んでった。歩けなくなったおばあちゃんの遺体から、着古した毛皮を引っぺがして、からだに重ねて、歩いて行った。ちょっとまえ、七万年前くらいかな? でもいまおもえば、命がけで歩いた氷原は、けっこう綺麗な風景だった。夕暮れには、氷原は、赤く青く金に、どこまでもあてどなく、きらめいてね。月があがってね、ふっと息を飲んで、それきりだった。 --わたしたち家族は、人をかき分けてまわる。 それで、ある展示の、孵らないで化石になってしまった恐竜たちの卵、というのをみたら、胸が痛んだ。 あ、わたしたち、一億数千年ぶりに、邂逅したんだ。 --- 某サイト投稿作品 ---------------------------- [自由詩]雨の時制/道草次郎[2021年2月2日0時55分] 雨のおとがした 雨がようやくふっている ---------------------------- [自由詩]ひとつ/入間しゅか[2021年4月3日7時10分] ひとおもいに ひとしきりながした ひとよのなみだを ひとみにやどし ひとりだと ひとたまりもない ひとのよを ひとりの ひととして ひとつのしに いきる ---------------------------- [自由詩]つぶやかない(四)/たもつ[2021年5月23日9時07分] 外野を抜けた白球を追って走る 走者が一掃して 試合が終了しても ひたすら追いかける 悲しみも寂しさも ただの退屈だった 人の形を失っていく それでも最後の一ミリまで走る (午前7:25 ? 2021年4月19日?) ビーカーの中に 夜が落ちた 何も量れないように 目盛は消しておいた そっと手 物も事も普通にある (午前8:04 ? 2021年4月20日?) 私が私だったころ 私はまだ私のことなど知らなかった ただ無邪気に 私は私だろうと思っていた いつ私は私になったのか 私にはわからないし 私にはわからなかった 気がつくと私は私ではなく私だった 私だったころの口癖を思い出す 時々仕草の真似もしてみる (午前7:46 ? 2021年4月21日?) 仕事に疲れて 夕日を見ていると 自分などいてもいなくても 何も変わらない だからもう少し 生きていようと思う 吹かれてみればわかる 風は美しい (午後6:01 ? 2021年4月30日?) 羊たちが集まって来て 僕のお墓を作ってくれた 立派とは言えないけれど 質が良いことは一目でわかった 眠れない夜に 数を確認したことへのお礼だそうだ みんなでお参りをして 僕の墓前でお茶会をした ありがとうを言うところで目が覚めた 朝食の片付けを済ませ 娘の結婚式の支度を始める (午前7:27 ? 2021年5月2日?) あなたが言葉の 真似事をしている 風に揺れて それが似ているのか似ていないのか 僕にはわからなかった それでも並んで一緒に揺れると 確かに伝わってくるものが 言葉なのかもしれない こうしているうちに 僕らが何事でも何者でもなくなる いつの日かを思う (午前7:50 ? 2021年5月3日?) 雨が降っている 雨が降っていると思う 濡れて咲く人もいれば 乾いた列車で出掛ける人もいる 雨が止めば 雨が止んだと思う人がいる 雨が止んだと思う (午前7:53 ? 2021年5月6日?) 万年筆の隣に 漁港があった 海が近いのだろう 出口から入って来た人が 今、入口から出て行った (午前7:17 ? 2021年5月7日?) たくさんの枕を積んで 貨物船が入港してきた 市場は朝から声と匂いで たいそうな賑わいだった やがて日蝕が始まり 空白の頁は廃棄された (午前8:00 ? 2021年5月10日?) 列車という名前の犬が 一番線に到着した 乗車は出来ないけれど お手の仕方を教えてあげた 列車は駅員におやつを貰うと 次の駅を目指して出発した 雨上がりにはよく 虹がかかる街だ (午前7:42 ? 2021年5月12日?) ---------------------------- [自由詩]メランコリックにできている/微笑みデブ[2021年7月21日4時52分] ブランコにのせた蚕 白球と青空 鏡の中の痩せた王子様 上昇する空気層 透明にならない心残り 落としたアイスクリーム スプーンのない午後 洞窟の奥の先の躁鬱 通り雨に花柄傘 リモコンの前にきみがいると 効きが悪いような気がしている 蝙蝠となりそこないの森 ちがう味の卵焼き 蜥蜴となりそこないの森 ブランコにのせた蚕 ---------------------------- [自由詩]一次審査のひと/たま[2021年8月3日8時57分] 昨年のこと とある詩のコンクールの審査を依頼されて はい、はい。と気軽に引き受けた どうせボランティアなんだから 身構えるほどの責任もないだろうし 兎にも角にも 年金詩人は暇だったのだ 七月の下旬 海水浴場のバイトを終えて帰宅すると ズシリと重い レターパックが届いていた え、何これ? 開封すると詩のコンクールの応募作品が ドッサリ出てきた その数、一五三編 バイトの疲れもあって 思わず発熱しそうだった コンクールは 小学生部門、中学高校生部門、一般部門の 三部門だった わたしは 小学生部門の担当になったらしい というのはコロナ禍の影響で 審査に係わる連絡会議は一度もなく すべて事後承諾だったし レターパックに同封されていた 依頼書を読むまでは 審査のやり方さえ知らなかったのだ 一次審査のわたしは 当然のこと 応募作品をすべて読むことになる そうして二〇編の入選候補作を選出し 一〇点満点で採点したあと それぞれの選考理由を書くことになるが 採点については大雑把でいい そもそも、詩の評価を採点方式でやるなんて おかしいではないか いかにもお役所がらみのコンクールだと思うが 問題は、選考理由なのだった バイトを一日休むことにした 各日のバイトだから一日休むと三連休になる しかし、審査は三日で終わらなかった とにかく、 小学生の詩は面白すぎる 大人さえもついてゆけない、シュールな物語や 豊かな発想に支えられた、確かな詩や たどたどしいことばで綴られた 生まれたばかりの詩、と呼べるものなど それらはすべて、詩の宝物なのだと思った それぞれの詩にひそむ それぞれの作者の秘密を読み解くことに わたしは没頭した 小学生部門を担当できたのは幸いであった 字を書くのは苦手だから 二〇編の選考理由をパソコンに打ち込んで プリントしたものを一作ごと採点表に切り貼りして ようやく審査を終える 採点表だけを投函すると 応募作品はわたしの手元に残ることになる 作品には作者名がない 作品だけを読んで審査するのは ほんとうに公平なんだろうかと思う おそらく 審査に漏れた一三三編の作者名を わたしは、永遠に知ることはない どうしても歯がゆい想いがする それが、 一次審査のひとなのだろうか レターパックには 謝金振込依頼書が一通混じっていた なんと 審査料がもらえるのだ 海水浴場の一〇日分もあった ---------------------------- [自由詩]告別/石村[2021年11月10日21時27分]    我が友、田中修子に 時折西風が吹く そして天使が笑ふ するとさざ波が寄せ返し 沖を白い帆が行き過ぎる 砂に埋れた昨日の手紙を まだ浅い春の陽ざしが淡く照らす 生まれたばかりの小さな蝶が その上でしづかに羽をやすめてゐる それで時には幸せだつたのかと 僕はお前に問ふてみたのだが もうどこにもお前はゐないのだから こんな風に暖かくやはらかい光に 何もかもがやさしく包まれてゐる午後にも 失はれたものは失はれたままだ ひえびえとしたさびしさばつかりだ さうだ去年の今ごろは 硝子の笛を吹いてお前とこの海辺を歩いた 今日とかはらぬおだやかな陽を浴びて 時折の西風がお前の傘を飛ばした すると天使が笑つた お前も笑つた 僕は今日とかはらぬ道を歩いてゐたのに けれどお前がもうどこにもゐないといふことは どんなに僕が呼び掛けたとしても 答へが永遠にかへつてこないといふことだ お前がきかせてくれた名も知らぬ歌が めぐる季節の内に忘られてしまふといふことだ それでも僕が生きてゐるといふことだ お前以外のすべてがここにあるといふことだ それがどんなにつらくさびしいことかを お前に知らせるすべがないといふことだ…… 時折西風が吹く そして天使が笑ふ もう昨日までの時計は止めて 歩いて行かう お前がゐた日々の憧れだけで するとさざ波が寄せ返し 沖を白い帆が行き過ぎる ---------------------------- [自由詩]蝸牛のうた/マークアーモンド[2022年1月25日21時28分] 仮寓の蝸牛には やり残したことがいっぱいあるのだが 奇遇という気球に乗って 無音の空の旅をしてみたかった 修羅場という修羅場がなくて 絵になる風景も知らずに 雑踏に紛れて遺伝子の旅は終わる とある蛙さんと一緒に見た昭和の空には 広告ビラを撒き散らすセスナと 持久走を走りきった君の汗の タオルになった僕はちょとだけ勝利者 ---------------------------- [自由詩]good-bye/ちぇりこ。[2022年2月1日22時03分] お花があって それから けむり? 雨ふりの森の中みたいな ちがうよ びゃくだん! くすくす しっ! こえだしちゃ だめ おそーしき? そう おそーしき ぼわぼわって空気が 静止 止まってる 静かになった空 冬の夕がたの おわりみたいな 白い人 なんか いろいろ ゆるされた人 横たわったまま ほら つま先から飛びこんで あ ちいさな「。」になっちゃった じゃあね ばいばい ---------------------------- (ファイルの終わり)