るるりらの石村さんおすすめリスト 2017年8月24日22時26分から2018年9月20日11時01分まで ---------------------------- [自由詩]月の夜/石村[2017年8月24日22時26分] 米カリフォルニア州の出張先にて父危篤の報に接した日の深夜一時、外に出て見上げた空に浮んだ月を見てゐるうちにふと現れたことばを記した。その約六時間後、日本時間の八月十日午後十一時五十七分、父逝去。享年七十六歳。 月がわづかにかけてゐる たいせつなひとが往かうとしてゐる み空にちひさくうかんだ月の ちやうど右肩あたりのところが わづかにかけてゐる しづかな夜に たいせつなひとが往かうとしてゐる ---------------------------- [自由詩]草色/石村[2017年8月31日1時39分] 花がしづかに揺れてゐる。 その横に小さな言葉がおちてゐる。 姉さんがそれをひろつて、お皿にのせた。 子供たちは外であそんでゐる。 まぶしいほど白いお皿に、うすい草色のそれがのつてゐる。 「ひとつしかなかつたけど」 と姉さんがいつた。 かなしさうな顔だつたが わたしは姉さんの顔をおもひ出せない。 そこだけがいつも、はつきりしない。 (二〇一七年五月二十九日) ---------------------------- [自由詩]もどつていく/石村[2017年9月8日0時11分] 猫といつしよにすはつて 落ち葉がものすごいいきおひで 木にもどつていくのをみてゐました 世界がどんどんまき戻されて 文明がはじまるまえの 澄みわたつたあをぞらにもどりました かなしいことがあつた あの朝にもどりました この星をさつていくかみさまたちが 金色のふねにのつて につこりわらつて やさしい顔で 手をふつてゐます みんないつてしまつた わたしたちをおいて ここにおいて    (二〇一七年五月十八日) ---------------------------- [自由詩]肩がいたい/石村[2017年9月17日0時58分] かわいい小鳥が鳴いてゐる かわいい小鳥が鳴くたびに 肩がずきりといたい ええ わたしは鳥だつたんですよ ひとのゐないところでは いまでもときどき鳴きます (二〇一七年五月十八日) ---------------------------- [自由詩]雲/石村[2017年9月24日1時14分] 猫がちひさくねてゐる がらんとしたひる下がり 友だちの本棚に 一冊きり のこされてゐた うすい詩集をひらく 表紙は白 何もかかれてゐない 一ページ目 「私は生きよう」 二ページ目 「私は生きてゐる」 三ページ目 「私は生きた」 四ページ目は うす青い空をうれしさうにながれていく ひと筋の雲 ええ もうすぐわたしもいきますからね そつちにいきますから さういつて わたしは詩集をとぢた なにをとぢたのか    (二〇一七年五月四日) ---------------------------- [自由詩]晩祷/石村[2017年9月30日1時06分]    The Evening Prayer だんだんみじかくなる 滴(しづく)よりも もうきこえません うけとつてください 無口なともだちよ (二〇一七年三月三十一日) ---------------------------- [自由詩]春のスケツチ三題/石村[2017年10月13日8時56分]    ? わすれてもらへるなんて うらやましいことです たれの目にもふれず こころのうちに咲き たれに憶えてもらふこともなく たれにわすれられることもなく 時のはてにいたるまで 風にちひさくゆれつづける この花々のうつくしさ しづけさ と くらべてみてください    ? 山あひの駅にはなつかしいひとたちがゐる。 ホームのベンチで涼しげに陽ざしを浴びながら お弁当をひろげて 汽車がくるのをまつてゐる。 その路線は二十五年前に廃止されたと どこかの誰かがきめたらしいが この世がほろんだ頃に汽車はまた来るとみな知つてゐるので たれもあはててはゐない。    ? おろかな ひとの子 己がこころのうつくしさに すこしもきづかない (二〇一七年三月十九日) ---------------------------- [自由詩]日暮/石村[2018年8月29日17時48分] 白いりんごをのせた皿に薄陽がさしてゐる。 月をたべた少女が硝子の洗面器にそれをもどした。 日が暮れる。わづかに年老いてゆく。 ---------------------------- [自由詩]水平線/石村[2018年8月29日17時52分] 鳥の船が沖をゆく 夏の朝 雲の峰が溶け やがて海になる (二〇一八・八・一〇) ---------------------------- [自由詩]砂/石村[2018年9月2日17時05分] うつくしいひとたちに遇ひ うつくしいはなしを聴きました 空はたかく 澄んでゐました かなしみはもう とほくにありました よろこびは すぐそばに そして 手のとどかぬところに 水色の 雲のやうに やさしげなものとして―― 妹たちは なくなつた ふるさとに かへつていくでせう 今夜の 古い夜汽車で 行李いつぱいに 夏草と蜜柑の想ひ出をつめて さやうなら また来るね さう 告げた しゆんかんに わたしの後ろで 星が 砂になりました さらりと きえていきました――     (二〇一七・十・三一) ---------------------------- [自由詩]小さな村で見た/石村[2018年9月20日11時01分] いつぽんの川がながれてゐる。 川べりの道は夏枯れた草に覆はれてゐる。 川はゆつたりと蛇行して その先はうつすらと 野のはてにきえ 太古の記憶へとつづいてゐる と村びとたちは云ふ。 川の右岸を 白い服 紺の帽子のこどもたちがあるいてゆく。 男の子も 女の子も 一列であるいてゆく。 今日はいつまでも夕方にならない。 こどもらの列は ながながとつづいてゐる。 みな顔がわらつてゐる。 何がたのしいのか 面白いのか わらひながらあるいてゆく。 川が見えなくなる先の そのまた先に 入道雲がむらむらとつき出してゐる。 ひとりのこどもが その雲に紺の帽子を投げた。 それを合図にするやうに こどもらはみな帽子を投げた。 幾千もの帽子が 高く高く舞ひ上がつていつた いつまでも青い空へ それら幾千もの帽子は 入道雲を吸ひ込み 空に溶けていつた。 がらんとして高い。秋空。   (二〇一八年九月一二日) ---------------------------- (ファイルの終わり)