じじのそらの珊瑚さんおすすめリスト 2012年7月20日10時34分から2012年12月23日8時51分まで ---------------------------- [自由詩]夏の鍵/そらの珊瑚[2012年7月20日10時34分] 圧縮されたファイル 記憶という 過ぎ去った時間 遠くで花火の音 安全地帯からは それをみることは叶わない 蒸れた熱が 蜃気楼のように、ゆらぎ ここではない何処かへ連れていく 発火を待つ 白いマグネシウム この手のひらに 夏をひらく鍵 圧縮されたファイル 解凍を繰り返し 変容していく ---------------------------- [自由詩]とうもろこしを茹でながら/そらの珊瑚[2012年7月21日19時12分] 子どもの頃 夏になると 庭に母がとうもろこしを植えた 毎日水やりをするのは 弟と私の仕事だった 「これ、なんていうとうもろこしか知ってる?」 「とうもろこしに名前なんてあるの、おねえちゃん」 「名前っていうか、種類のこと。人間にだって、いろんな種類があるでしょ」 「優しい人とか、そうじゃない人とか?」 「それを言うなら、怖い人でしょ」 弟とは反対言葉クイズで、いつもけんかになる 優しいの反対言葉は優しくない 楽しいの反対は楽しくない と弟はいう まだ小学校に上がる前だったから、無理もなかったのだけれど 「このとうもろこしはハニーバンタムって言うんだよ」 「へーなんだかボクシングみたい」 父は大のボクシングファンで 私たちはよくテレビの試合を一緒に見ていて バンタム級という言葉を知っていた 「赤コーナー、ハニーバンタム級チャンピオン!」 採れたてのとうもろこしの皮を向きながら よくそんなことを言ってふざけあっていた とうもろこしのひげが 人の髪の毛みたいだった 父親の弟はプロボクサーで いいところまでいったのだが 試合で受けた強いパンチが原因で 命を落としてしまった 好きなボクシングで命を落としたんだから あいつは本望だったさ 父はよくそう言って笑ったが それからはボクシングの試合を テレビで観ることはなかった それについては誰も何も言わなかった 気づいても言わないほうがいいことがあるのだろう 「ほんもうってなに? おねえちゃん」 「しあわせってことかな。よくわかんないけど」 それから私たちは ハニーバンタムごっこをして 遊ぶことを止めた 家族に咎められたわけではない 死にまつわるもので それ以上触ってはいけない気がしたのだろう ましてや それで遊ぶのはいけないと あの頃 死は 遠い遠い特別な存在だったが 年月を経て 今の私には それはちょっとだけ 身近かになった 今まで命を落とすことはなかったけれど それはただ幸運だったのだろう そんな幸運がいつまで続くのかは 誰にもわからない 毎年夏になると 大好きなとうもろこしを 大きな鍋でぐらぐらと茹でる めいっぱい茹でる もうこれ以上は食べられないというまで茹でる それが一年でも多く 味わえたら それだけで本望という気がする あの頃 とうもろこしの一粒一粒を 前歯でこそげとるように 時間をかけて食べるのが好きだった あの頃 時間は余るほどあったから そんなことをして時間を浪費していた 子どもたちが 手を離れつつある今 そんな時間が私のところへ ふたたび戻ってきたようだ しあわせなことに ---------------------------- [自由詩]明日のわたし/そらの珊瑚[2012年7月25日8時23分] 明日のわたしはわらっていますか? 明日のわたしはかなしんでいますか? 明日のわたしはなにをみつめていますか? 明日のわたしが生きているのなら 生きていることに ありがとうをいうでしょう 今の私が たとえ絶望の淵に 佇んでいようとも 明日のわたしは生きていますか? 生きて 明日をみつめていますか? ---------------------------- [自由詩]小さな命/そらの珊瑚[2012年7月31日8時19分] 小さな命は消えてしまった 新しい駅を造るために もともとあった川はせき止められ ある日 ただのどろの土地になっていた 川を移転させるらしい 駅がほしいのは 人間だけで 川に住んでいたあの子たちには なんの関係もないというのに 人間の欲望に限りはない あの子たちが欲したのは ただひとすじの川だけなのに ダンプカーが 土煙をあげて何台も行き交う 工事の音が鳴り響くけれど あの子たちは何も言わない 駅が出来て マンションが出来て 店が出来て 人が増えて 街はにぎわっていくだろう 消えた小さな命のその上で ---------------------------- [自由詩]ラ シルフィード/そらの珊瑚[2012年8月1日16時39分] 雨上がりの 苔の上で眠る あの幸せを 私はどうして手放してしまったのか 雨上がりの 苔の上で眠る それをするには 私は大きくなりすぎてしまった 雨上がりの 苔の上で眠る 極上の絹に似た肌触り 安住の美(うる)わしき寝台 苔に集うものたちは だれもが 少し臆病で 少しさみしいのです ---------------------------- [自由詩]黄昏待ち/そらの珊瑚[2012年8月4日10時54分] おひさまに干されたふとんは 懐かしい匂いがする 平屋建ての木造家屋 屋根より高く育ったヒマワリ リュウノヒゲにふちどられた細い通路 赤いバラのアーチでは テントウムシがアブラムシを食べていた 銀色のトカゲの背がぎらりとひるがえる 熟れすぎたイチジクは 川べりに落ちてアリが群がる 空に吹き上がる圧縮された雲 海を渡ってきた湿り気を帯びた風 絵を描く父とポニーテールの母は 今の私より ずっと若い 西日があたると 世界は黄金色になる 黒い影を漂白するこもれびのパズル 木陰に置かれた乳母車の中で 私は夢の中 あれからずっと黄昏を待っている ---------------------------- [自由詩]とつきとうか/そらの珊瑚[2012年8月8日10時33分] とつきとうか 出口の見えないトンネルの中を さまよい歩く気分でした 年中睡いくせに その眠りは浅く 私は大海に漂う一枚の木の葉のようでした 沈みかかっては(眠りに落ちては) 浮力のために浮かんでしまう(目覚めてしまう) 覚醒している時は 常に気持ちが悪く 水さえももどしてしまいました とぎれなく吐き続けていると 呼吸ができなくて 窒息しそうになりそうな苦しさでした 実家で飼っていた犬が亡くなり よその犬を見るたび泣いていました テレビでドッグフードのコマーシャルを見るたび泣いていました 命の儚さを想い泣いていました 命を生み出すことは死を生み出すこと その畏れを前にして泣いていました 大きなお腹を抱えた妊婦は それでもはたから見れば 幸せそうに見えたことでしょう 生来いくじなしの私は ほんとのことをいえばとても怖かったのです 私に宿る小さな命に私自身を乗っ取られるような気がして とつきとうか やっとトンネルを抜け出して見た月は 生涯で一番輝いていたのでした この世に初めて触れたとき あなたは泣いてくれました ---------------------------- [自由詩]盆送り/そらの珊瑚[2012年8月10日10時59分] おばあちゃんが言った ふりかえっちゃいけないよ 茄子の牛に乗って空へ帰る人たちを 見てはいけないと言った だってさみしくなるだろう 送る方も 送られる方も、さ 藁を燃やして送り火をたく 子どもだった私は いいつけを破ってこっそりふりかえる 薄闇に 白い煙がぼんやりと立ち上っているだけで さみしくなんてならなかった 砂利道に咲いた鶏冠花 家路への目印かのような赤色を灯す 逝く夏を惜しむかのように ひぐらしがなく おばあちゃんを見送ってから もう何十年もたつ ふりかえってみたくなる 逢えるんじゃないかと思って ふりかえってみたくなる さみしくなってもいいから、さ ---------------------------- [自由詩]たくらむ小骨/そらの珊瑚[2012年8月12日21時31分] いつまでも咳が出る のどにつまった小骨のせいだ はやく、はやくとせかされる あほう、あほうとわらわれる うかうかすると 小骨から 芽が出て つるが伸び ぼくのいのちをのっとりにくる 食道はジャングルと化し 胃液にも負けない頑強な幹を太らせ 足裏からは根が生え出したら 自由という自由は奪われる いつまでも涙が出る 心にささった棘のせいだ ---------------------------- [自由詩]あの夏/そらの珊瑚[2012年8月21日13時42分] 焼けた砂浜を 飛び跳ねるようにして 海へとかけてゆくこども 裸足の裏がじりじりと焦げる ポップコーンが無鉄砲にはじけて白い入道雲になる どこまでいってもたどりつけない水平線 追えばどこまでも逃げていく 地球は丸いって知ったのはつい昨日のことだった 疑問符は砂粒くらい在って 用意された答えは逃げ水のようだと知った 三角の波を越えて沖のロープまで泳いでいけば とうに足のつかない海の底に ひんやりとした冷たい手があって 何かをつかまえようと浮遊している ぷかぷか浮いている板の上でしばし休憩する ふりむけば海岸(おか)があんなに遠い おもちゃみたいな人とパラソル 乱反射する砂粒 蜃気楼 信じられないくらい 遠くにきてしまった いつのまにか ふりむけば何もかもがこんなに遠い ---------------------------- [自由詩]しんぶんし/そらの珊瑚[2012年8月28日10時05分] 冬の朝 ランドセルを背負う前に 背中にしんぶんしをおふくろが入れてくれた と夫が言う ホカロンなどなかった時代 結構あったかかったんだな、これが しんぶんしはあったかいのか まだ明けきらぬ朝 バイクの音がして 新聞がポストへ配達される あなたはいそいそと取りに行く おふくろの しんぶんし 上から読んでも 下から読んでも あの日も 今も 同じ  しんぶんし ---------------------------- [自由詩]少年と少女/そらの珊瑚[2012年8月30日15時11分] 無邪気であり かつ残酷でもある少年は 少女にはわからない遊びに夢中になったりする 原始の森から続く通過儀礼のように せみとり くわがた かぶと虫 昆虫標本 はばたくために作られた軽い羽 戦うために作られた鋼鉄の角 歩くために作られた6本のきゃしゃな足 命を ピンでさし留めて 透明のアクリルケースに飾る 命を 少年たちは意気揚々と飾る 大人になる途中の 夏のコレクション 少女はつまらなそうに眺めている ほおづえなどしながら 夏が終わるのを待っている ---------------------------- [自由詩]こおろぎ/そらの珊瑚[2012年9月12日8時36分] 浴室にこおろぎがいた おまえ、どこから入ってきた? こんなところにいたら いずれ泡にまみれて死んでしまうよ ここは地獄のお湯屋だよ どこの世界にも ちゃんと生きているつもりでも なぜだか間違ってしまう奴がいるものだ ほら おいで そんな私の思惑など 知らぬこおろぎは 手を伸ばせば唐突に飛び上がる どこに着地するかなんて 一ミリも考えていないような無鉄砲さで 逃げ惑うコオロギをようやく捕まえる 小さな手足をもぞもぞと動かし ひねり潰されては大変と言わんばかりに 必死に抵抗している わたしは神になったつもりでいたが ほんの出来心で悪魔にもなれることを まるで本能で知っているかのように 窓を開けて にぎった手のひらをそっと開く ためらいとも取れなくはない ほんの少しの躊躇のあと やはりこおろぎは無鉄砲に跳躍していった どこに着地するのか こおろぎには確かめようもないのだろう はなから確かめようなどという気はなく ただ生きているから はねてみる しょせん重力からは 逃げられないにしても 今直面している災厄からは逃げられた もう戻ってくるなよ ここはおまえが唄うには狭すぎる こおろぎが去っていった暗闇からは もはや秋の匂いがしていた ---------------------------- [自由詩]うつろい/そらの珊瑚[2012年9月15日15時58分] 蝶に似た花に 花に似た蝶がとまっていますね うろこに似た雲が ここではないどこかから流れてきて ここではないどこかへ泳いでいきます そこは空ですか ええ 海によく似た空です せつなさとかなしみが 混ざり合うように 九月の蝉が啼き続けています 彼らの下半身はほとんど空洞であるそうです 空洞であるからこそ 響き合うものがあり 響かせたいものがあるからこそ 空洞を必要としています そこは空洞ですか ええ 心によく似た空洞です わたしによく似たあなた あなたによく似たわたし 合わせ鏡のこちらとそちら もうひとつの世界をのぞいてみたら いつか見たキリコの絵にあった 黒いシルエットの少女が 空洞を抱えた輪を転がしながら 走っていきました どこへ? うつろわないものはないのでしょうか ええ うつろわないものなどないのです あなたもうつろいのなかを生きているのでしょうか ええ わたしもまた からん からんと ---------------------------- [自由詩]みたまに/そらの珊瑚[2012年9月20日9時15分] 気づくと 無意識に祈っている 例えば エンドレステープのように流れる 交通事故のニュースを見れば 家族の交通安全を祈り 遠い国で 爆撃によって命を落とす人がいるニュースを見れば 平和を祈り フランダースの犬を観れば 結末は知っているのに 誰か助けてください と 祈る 祈りとは 常に災厄や不幸な出来事と 背中合わせに存在し あたかも 憎しみあうしかない恋人同士のように 磁石のように 惹かれあっている この世が幸せのみで 形作られる日がきたら 恋人のことを憎むことからやっと開放され 私は祈りを忘れることだろう 気づくと 無意識に祈っていた と同時に 私も誰かに祈られているのかもしれない  と思うと 血液が正しく循環し 体温が少し上がるのがわかる 今日も平凡な一日でありますように と もし わたしが肉体を失う時が来ても 祈り続けるであろう それは魂の仕事だから 祈る ---------------------------- [自由詩]露草/そらの珊瑚[2012年9月22日11時02分] 秋が始まる頃 ようやく 旅人が帰ってきた ちょいと 長い散歩だったかな と 悪びれもなく おかえりというのも 待ち焦がれていたようで まったくもって しゃくなので おみやげは? と聞くと くたびれた三角の帽子の中から 一輪のあおい花を取り出してみせた 双子のような花弁の ひとつは孤独 ひとつは自由 ぼくが最も愛する花なんだ とても瑞々しい露草だったのに 冬が始まる頃 しおれてしまった 仕方ないさ 魔法の効き目は永遠じゃない と 彼は言ったが さほど残念そうにはみえなかったし 実際そうなんだろうと思った 生きていくのに必要なものはなんですか? アランフェス協奏曲だった 彼が最後に弾いてくれたのは 悲しげな音色が あおく色づき 異国の風景が立ち上がる あれも魔法なんでしょう 効き目は永遠じゃないにしても そしてまた彼は旅に出た 生きるのに必要なものはそう多くない とか言って かばんひとつとギターだけを持って わたしが 冬眠から覚めた頃 戻ってくるでしょう 春が始まる頃 ---------------------------- [自由詩]なで肩の運勢/そらの珊瑚[2012年9月23日8時43分] 朝起きたら おもいのほか寒かったのです 肩がひんやりします すっかり秋ですね 早起きしても ひぐらしの声はどこにもありません 朝起きたら 寝違えていたのです 眠りながら何かを間違うなんて 我ながら器用なヤツだと笑いながら 実は正しい眠り方さえ知らない事実に 愕然とするのでした そんな時は手のひらで まず温めてみようとしましたら 実は肩のほうが温かかったのでした 身体は中心部分により近い方が 温かいというのは どうやら本当らしいです 雪山で遭難したらこの手は真っ先に わたしの心臓に見捨てられることでしょう ああ、素晴らしく不器用なわたしの手よ そのとおり あなたは器用なんかじゃない 器用な人は 寝ている時だって 上手に夢を見るものでしょう と ようやく復活したシクラメンの葉が言います 不器用だけど とりあえずこの朝に戻ってこれました 見た夢はきれいさっぱり忘れていましたが なで肩には そうたくさんの物は もともと載せられないんでしたね 今日の運勢は 物事そう悪いことばかりにアラズ なのでした ---------------------------- [自由詩]ためいき/そらの珊瑚[2012年9月25日8時22分] 空がせつなく見える日は 誰かのためいきが聴こえる ためいきは 透明の煙になって 立ち上り つどいあって やがて白い雲になる 空がせつなく見える日は あなたもためいきをついているのでしょう ---------------------------- [自由詩]アイス ボックス/そらの珊瑚[2012年9月25日10時04分] 冷えすぎません 電気要りません 上の空間に氷入れます その氷が溶けるまでです わたしがアイスボックスでいられる時間は あなたからもらった 昨日の茉莉花が せめて今日だけでも 芳しくありますように その氷が溶けてしまったら 恋は思い出になることでしょう それからわたしも常温の箱に戻るだけなのです ---------------------------- [自由詩]おせっかい/そらの珊瑚[2012年9月26日7時54分] 出かけるのなら 帽子を被ってお行きなさい いざという時には バケツになるから 出かけるのなら 傘を持ってお行きなさい 空から降ってくるのは 優しい雨だけと限らないにしても 出かけるのなら ハンカチを持ってお行きなさい 行き着いた星で ぼくはここにいると振れば 誰かがそれに気づくことでしょう 最後の人類を見送ったあと わたしは たんぽぽ茶を淹れました 春の形見の香りがします お別れにおせっかいばかり焼いて 肝心なことを言いませんでした 忘れていたわけじゃありません 言えなかっただけなのです さ、よ、な、ら、と ---------------------------- [自由詩]トルソー/そらの珊瑚[2012年9月27日8時59分] いつもそれは突然だった その日のために まるで気配を消し去る魔法を操っているかのように トルソーには腕も足も頭もない それはきっと造形の芯 トルソーは不完全であることを堂々と嘆いている それはきっと完全の芯 トルソーは赤い心臓を隠しもっている それはきっと塑造の芯 一本のゆるやかに蛇行した川べりに沿って 突然現れた無数の曼珠沙華 黄泉の国にて 昨日までの時間を頭部製造に費やしていた 一切の枝も葉もない 複雑に絡み合った血管を剥き出しにして 高々とこうべを掲げ 一年に一度の約束を思い出させる やっと逢えた わたしのトルソー  またの名は分身 ---------------------------- [自由詩]紙の民/そらの珊瑚[2012年9月28日8時16分] 一枚の紙の軽さを想う 一冊の本の紙の重さを想う 数冊の本の紙の重さをさらに想う いつしか私自身の重さを軽々と超えていく 一枚の紙の厚みの薄さを想う 一冊の本の束ねられた紙の背表紙の厚みを想う 数冊の本の紙の厚みをさらに想う それは私自身の高さを軽々と超えていく ここに一枚の白い紙がある やがてそこに文字が書かれる 重なり合って綴じられて本と呼ばれるようになる それは私自身の指を使ってめくられていく めくられたそばから パルプは羊の胃でどろどろに溶かされ腸から吸収されていく いくつかの変換ののち 温かい熱がそこから生まれ 水蒸気となって空を漂い やがて森へ還っていく   一枚の紙に包まれて 身体をキャラメル化しながら 睡りにつこうとしたその夜に 一冊の本が訪ねてきた 初めて会ったようでもあり どこか懐かしいインクの匂いを漂わせて 私は紙を愛しているのだろう 私は本を愛しているのだろう ---------------------------- [自由詩]野ぶどう/そらの珊瑚[2012年10月2日8時35分] 教会に行く小径で 野ぶどうを摘んだ 手のひら いっぱいにのせた 紫色の小さな実 食べるわけではないのに 文句も言わずに摘まれる優しい実 あの頃の わたしの宝物だった 欲張りな少女の手のひらから 転がり落ちたそのひとつぶ 土の中で静かに睡り もうそろそろ芽を出す頃 もうわたしの宝物ではないけれど きっと誰かの宝物になることでしょう ---------------------------- [自由詩]メモワール/そらの珊瑚[2012年10月3日8時11分] 治りかけの小さな傷は ちょっと痒くなる 我慢できなくなって その周りをおそるおそる掻いてみたりして 治ってしまえば こんな小さな傷のことなど きれいさっぱり忘れてしまうだろうに 治りかけの傷は たぶんさみしいのだ 自分の存在がやがてなくなってしまうことが 見えない傷はどうしているのだろう 身体の内部で生まれやがて消えていくそんな傷 宿主にさえ知らせることなく 未来永劫痕跡さえ発見されない もっともっとさみしい傷 弟の手のひらに引き攣れたような傷がある 幼児の頃 母がアイロンをつけたままにして置いて それを触って火傷した傷 弟にはその記憶はないが 母はその傷を見るたび もうやり直せない自分の過失を悔やんでいたに違いない 今は子離れして弟と手をつなぐなんてこともない母が そのことを思い出すことがなくなりますように 小さい頃公園に かいせんとう と呼んでいた遊具があった 丸い大きな輪にぶら下がってくるくる回る仕組み ある日数人で激しく回って遊んでいると 理由はわからないのだが 私以外の子が全員手を離してしまった 私は回旋する力にひとり取り残され 重みで輪は傾きしばらく地面に引きずられた 手を離せばいいものを どんくさい その時出来た傷は今も足にあるが それを見るたび、少しだけ切なくなる あの時 おいてけぼりにされた自分を思い出して 回旋塔はその後撤去されてしまった 治っても消えない20センチほどの手術痕が 私の胸にある 時間をかけてゆっくりと薄くなってきた それを見てももう辛くはない それどころか愛おしいくらいだ いろんな傷を吸収して 今 ここに存在する このくたびれた身体もまた 愛おしい ---------------------------- [自由詩]ころもがえ/そらの珊瑚[2012年10月5日8時40分] おまえも ころもがえするんだろうと 犬に話しかける ええ そろそろ冬毛が生えてくる季節です けれど 私には長袖も半袖もありませんし 化繊や木綿や絹だとか 細かな品質表示はもとより 陰干し、半日陰干し、よく陽に当てる などというめんどうな洗濯表示ももちろんありません ざばっと洗うだけでいいのです そしたら ぶるっと乾かしますから アイロンがけも不要です 時々毛玉が出来ますので ブラッシングして下さったら嬉しいです 純毛100%です そもそもクローゼットさえ 持ち合わせていないのですから 太ったわけではありませんよ ころもがえ したんです 人間は不便だね だけど 秋の服をあれこれ合わせるのを 楽しむことが出来る 遠い日 洞窟で捨てた自らの毛皮を懐かしむように  十月一日ころもがえ ---------------------------- [自由詩]靴底/そらの珊瑚[2012年12月14日8時54分] 靴底を裏返してみる 均等に減っている 癖のない人が うらやましい 愛用すればするほど そこに紛れもない自分の足跡が刻まれる 靴底なんてどうでもいいぢぁありませぬか それでもうらやんでしまうのが人間なのでしょう 靴底に裏書きしていく 歩くことが 自動記録装置に直結していて 歩き始めた一歳から それは引き継がれている 不器用な私の証拠 私が詩を描く理由のひとつに 不格好に磨り減った この靴底がある 吐き出した言葉を靴底に足し バランスをとる なんとか転ばずに 今日を歩いていくために ---------------------------- [自由詩]美しい矢/そらの珊瑚[2012年12月18日9時22分] かなしみを知る人の瞳に 映る光は 美しい矢を描く 夜を知る人の瞳に 映る光を 星と呼ぶ いつか必ずなくなるさだめの 命もまた 美しい矢を描くだろう 天涯のあちらこちらに 美しい矢が静かにささっている ---------------------------- [自由詩]ひらがな/そらの珊瑚[2012年12月20日8時35分] ひらがな、が落ちてくるように 迷いながら雪が降ってくる 日本にちりぢりになった あ、い どれだけのあいの組み合わせが あるのだろう やがて あ、と、い、は 溶け合って境界線をなくす ただの透明の水に戻り 土の中で冬眠する 春になればそれらは芽吹き ぬかるんだ田んぼで こどもたちが あ、をひろう 次は い、をひろう ひろいあつめて 無邪気に  つみあげて  それは 泥にまみれた  自分のあいになる 母さんのあいになる 父さんのあいになる 一年生の教室で隣に座る子のあいになる 見も知らぬ 自分によく似ている 世界のどこかで あえぎながら あいを忘れてしまった人のあいになる あいは降る場所を選ばない たとえそこが沸騰した地獄であって 一瞬で蒸発してしまおうとも ひらがなの五十音表が あい、から始まり 小さな人差し指が線をなぞって覚えていくように ふたたび 人はそこへ戻って始めることができる 不思議な記号が そうして言葉になって満ちていく あなたに拾ってほしいのです 温かい手のひらの上でほどかれて あなたにしみこんでいくのです たったひとつの直線を 気ままに切って重ねたり 元気に跳ねさせてみたり 止めてみたり ゆったりとながしてみたり 時にはゆるやかに円を描いてみせて ひらがなが成り立っている だからどれも少し似ているので あいは迷うことがあるけれど 空を見上げれば とても易しいひらがなたちが降ってくるのです ---------------------------- [自由詩]かくれんぼ/そらの珊瑚[2012年12月21日9時13分] 誰かが だましているんだなと思う ぽかぽかとして 冬なのにこんなにあたたかい日は だから あたしは まーだだよと言う あわてて かえるが起きてこないように 誰かに だまされてもいいかと思う こんなに やさしい嘘ならば あたしは空に両手を広げる そして もーいいよと言う 誰かに向かって ---------------------------- [自由詩]しあわせ/そらの珊瑚[2012年12月23日8時51分] よくばりになると しあわせは逃げていく くらべると しあわせは逃げていく おいかけると しあわせは逃げていく 手の届かない 遠いところへ 逃げていってしまったと 思っていたら しあわせは 地球を一周まわってきて 後ろから肩をたたいたりする ---------------------------- (ファイルの終わり)