まーつんのただのみきやさんおすすめリスト 2014年8月15日23時18分から2020年1月18日12時34分まで ---------------------------- [自由詩]右と左/ただのみきや[2014年8月15日23時18分] お岩さんを知っているでしょう そう四谷怪談のひろいん 江戸時代 牡丹燈籠のお露さんと 番町皿屋敷のお菊さんと 三人で結成した 納涼しすたーず せんたーでうらめしやをしていた あのお岩さんです (僕は本当はお露さんのふぁんなんだけど) お岩さんて 三人の中でも顏力なんばーわんなんですけど 顏の右側はきれいなままで 顏の左側だけがぐっちゃり醜いんですよ だからもし 四谷怪談を知らない人が 右だけ見たり 左だけ見たりしたなら お岩さんに対する評価や好感度は きっと真逆になるのでしょうね だけど日本人なら かの四谷怪談 知らない人などいるはずもありません それはなんと恐ろしい物語でしょう それはなんと悲しい物語でしょう 一つの殺意はやがて 終わることのない怨念を生んだのです そして 日本人なら知っているはずなんですが 怪談よりも遥かに恐ろしい 遥かに悲しい 未だ怨念燻り続けるものがあることを 右から見ても結構ですから 左から見ても結構ですから あれだけは二度と繰り返さないようにと つくづく想う そんな今日なら良いのですが           《右と左:2014年8月15日》 ---------------------------- [自由詩]私を認めて/ただのみきや[2014年8月23日19時55分] 私は自分の信じたいものを信じ 見たいものを見つけ出し 聞きたい言葉を探し出し 不都合な事実は無視し耳を塞ぐ 反論に備えて(怯えて)理論武装する あたかも敵国を想定して軍事演習をするように そもそも真実よりも あるいは事実の多面性を学び立場異なる人々と 理解し合い共存し合うことよりも 私が信じていることの優位性を 否むしろ私の優位性を証明したいだけなのだ だから仮に真逆のことを信じていても 私のやることは同じだろう 現実では手に入らないものを ネットの世界で手にしたくて 奇妙な矛盾だが 本名を隠し キャラクター作りに余念はない 実の姿は誰にも見られない知られない 穴倉の中に隠れるように 他人の気持ちなどお構い無しに ネットで得た知識の寄せ集めを自論の如く書き込む 反論されたら徹底的書き込みは自分からは止めない 止めたら負けだ サイトの規約に引っかからないスレスレの所まで 相手が反論しなくなるのは きっと私に論破されるのが怖いからだ そう思うと なんだかとっても良い気分 だから今日もとあるサイトを見て つけ入る隙のある投稿を捜している そもそも揚げ足を取ること以外 何も言えることはないのだが 私の専門知(本当は受け売りの集合知だけど)で 書き込めるものを見つけては 力を誇示して見せてやる …えっ? 虚しくないかって? 全然虚しくないにきまっているじゃないか! 寂しくなんかない! 吾輩の辞書に「虚しい」という言葉はない! あと「相手の気持ちを尊重する」という言葉もない! それから「思想の違いを受け入れる」という言葉もない! 怯えた小型犬のようにいちいち咆えずにはいられない! 情緒的成熟に伴う心の余裕など一切ない! だから だから 認めてほしい 私が此処にいることを お願いだから 誰か 誰か          《私を認めて:2014年8月23日》 ---------------------------- [自由詩]沸騰点/ただのみきや[2014年8月27日23時25分] 破水した光の枝垂(しなだ)れ 終わらない夏の囚われ わたしは煮え立つ釜のよう せめぎ合いの果てに溢れ出す        しろくのけぞる       朝顔のうなじ        ひとしずくの咎(とが) 藍あおく隠匿し 石のように欹(そばだ)てながら巻かれめく       理性とは消失した指先の感触か        歓喜に震える       蜜蜂の純愛 溺れるように泳ぎ        あぐねては 掻き抱く夢の花粉       狂おしい黄金 舞いかける焦点の先       死の被膜の向こう       あるいはそんな遊戯 遡上する鎧魚の顏  記憶と記憶が交配する夜明け前 正気のサイレンが血を巡り渡る その前に 何度でも 柘榴のように搾り終えるまで               《沸騰点:2014年8月23日》 ---------------------------- [自由詩]かっぱちゃん/ただのみきや[2014年9月4日21時36分] ちいさなちいさなかっぱちゃん あめふりあめふりだいすきさ かっぱだからあめもみずもへいちゃら おおきなおいけをぴしゃんぱしゃん ぼくはおいけのかいじゅうだ おそらのくももぴしゃんぱしゃん たのしいたのしいあめふりさ ほらほらままがよんでるよ かっぱちゃんのままはかっぱじゃないよ ぴったりでにむにきれいなかさ           《かっぱちゃん:2014年9月4日》 ---------------------------- [自由詩]煮詰められた腸/ただのみきや[2014年9月10日22時09分] 人型サボテンは狂い咲き 愛人は血を流し過ぎたのだ 肌蹴た胸に呪詛めく黒子口移しで 器から器へと移動しながら 情熱は霧散して往く愛は 溶けないままで重く沈殿する  裂く天つめたい銀河の余韻 懐に夜を包み隠し その瞳に一万年前の星の光を宿した男が 昼間見ているものなど何もない 暴力的な光の洪水は 暴力的な世界に心を瞑らせる おろし金の上つつましく 正座をしたあれは誰の諦めか トランプを配る颯爽とした手つきで 日が捲られて往くわたしは 悪食なこの時空の舌先から全速力で逃げる 高邁な理想に囚われた蝸牛だ 風や音を見送ることしかできない 悲しみを知った人間と良く似ている そして反対に 夢から覚めないまま笑ったまま 極彩色の地獄へ墜ちて往く 花火のような一団とも     《煮詰められた腸:2014年9月10日》 ---------------------------- [自由詩]残らない詩のために/ただのみきや[2014年9月13日21時35分] ぼくらは言葉を繋げて この暗い宇宙を何処まで渡って往けるだろう 一冊の詩集が時を越えることは 真空パックの棺が難破船のように 意識の浅瀬に漂着し鮮やかに燃え上ることだ 死んだ詩人についての薀蓄(うんちく)よりも 幽霊の朗読を聞いていたい 星の囁きのように過去は瞬いている いまも此処に ぼくらは言葉を重ねて この白い虚無を何処まで開拓して往けるだろう 一編の詩も残ることなく死んで逝った詩人たちは 野辺に倒れた無名兵士であり畑の肥やし やがて誰かの不可思議な花が咲き 食べ方も戸惑うような果実が生じる 農夫は死ぬ 詩は時の方舟に乗る 種は遠く運ばれ蒔かれ 黒く湿った心から無数の命が芽吹いては ――繰り返されるのだ そしてまた ほんの一握りの詩だけが時代を越えて往く ぼくは言葉を捏ね回し 未来の人々に届く詩を描きたいと思っている だがそれと同じくらい自分の言葉は 消えて無くなった方が良いとも思っている 美しい言葉が善であるとは限らない 詩が慰めや愛に満ちているとは限らない 詩人やその家族が幸せであるとは限らない 詩が詩のために書かれるようになってから 詩は容易く良心の圏外へと飛び出して往った 詩を愛するとは両刃の剣を呑み込むことだ あるいは心中 己が死と己が詩  どちらがどちらを道連れにするのやら だけど遺書という抜け道くらいはあって良い      《2014年9月10日:残らない詩のために》 ---------------------------- [自由詩]わだかマリのために/ただのみきや[2014年9月20日22時43分] わだかマリは美辞麗句に対する発酵した恋情を 月明りに晒された真っ赤な隠語に注射しながら 言葉が死滅した宇宙を金縛りのまま浮遊する 陽気な殺意のクラリネットが舌先を蛇のように操ると 殻も割らずに中身だけを朝焼けの海に落下させる 浮腫んだ声色と玉虫色の瞳 異端の母の呂律羅列(ろれつられつ) 検事に判事 被告に弁護士 聴衆までもが素早い 無理やり意味を着せられた無意味の意味を問う 指先に一条の見える苦と無我の思路が甘く垂れて 色褪せた口づけから蝶が咲き青くどこまでも脳に 泳ぎ続ける悪癖の足を一本ずつ捥(も)いで往く 遠ざかるはずの過去が爆風のように追い迫る 風の中で痴態を演じる蔓草に彩られた裸婦像の視線 万物の遠吠えが菌糸のように覆う自他の区別もなく わだかマリは盲目突進を繰り返す柔らかな騎士の乳房     《わだかマリのために:2014年9月20日》 ---------------------------- [自由詩]快速処方箋/ただのみきや[2014年9月27日20時42分] 苦行に明け暮れサラリーマンは電車の棚で蛹になった 無関心という制服に包まれたシュークリーム並の少年たちが 耳におしゃぶりを挿したまま喃語と一緒に痰を吐きまくるから ユニクロを着た老人たちの血圧は上昇し 戦争体験を折っては飛ばし始めたがいっこうに届きはしなかった こんな話は聞かせたくないと赤ん坊は泣いて母親の耳を塞ぎ 車内アナウンスはただただ弁解と謝罪を繰り返す ヤスデは重荷だった自分には毒も牙もないからだ いつもこんな馬鹿げた人間たちを運ばなければならない 月は笑って観ていた娯楽番組なのだ地球は サラリーマンの脱皮が始まった 未満の蝶は卑猥さをヒラヒラさせながら駄洒落ることもなく 原子力に対する歪んだ愛を語り出したから 女は流星のように閃いて恋人を刺殺すると 車内を駆け抜け笑い声だけが風になった あとには山椒魚の卵のようにゼラチンに包まれたひらがなの山 小面を着けた別の女が現れて短歌を火にくべ燃やし始めると 甘い匂いが漂い始めたがそれはすぐに人の焦げる匂いに変わった 遠近法だけが人々を金魚鉢の日常に浸らせる魔法だと 平和の鳩は双頭の鷲に内臓を喰われながらもにこやかだった ああ小面を外してもあまり変わらない顏の女は乱れ髪 「君死にたまふ ことなかれ主義者め! 」 何かに似ていると思っていた音がSP盤のノイズだと気が付き 幽霊というほどでもない物忘れが激しかっただけの老人たちが ぼんやりと煙のように消えて逝くと物語は脱線を始め 車窓から一斉に櫂を突き出して電車は次元を超えて往く ワームホールの向こう側でヤスデはミミズと恋に落ち 超新星の爆発的祝祭のもと天使たちも錐揉みしながら落ちて往った その果てに 水中に燃える古い駅舎がある 封印された恋情を物語の中の友情に置き換えた 年老いたジョバンニはカムパネルラを捜し彷徨っている 少年という小箱へそっと仕舞った妹を求め無垢な修羅がやって来た ああカムパネルラの首筋に激しいキスを 修羅に渡してなるものか 逃げよう! これを読んでいる誰かの頭の中へ ポイントを切り変えて文字の上を素足で走って 遠心力が欲望の鎌首を擡げさせる肉の密度の湿り気に またひとりサラリーマンの脱皮が始まった さあ裸にオナリナサイ爆弾にオナリナサイ オナリナサイオナリナサイオナリナサイオナリナサイ 青筋立ったこめかみに少女の真っ赤な唇 冷たい銃口 嘘か真か麻薬か砒素か 文字撒き散らし彗星電車は矢のように脳裏を貫く夢 ああ永劫回帰線を越えて駅ビル調剤薬局へ もるひねよりもひねくれてひねもすのぼりくだりかな                《快速処方箋:2014年9月27日》 ---------------------------- [自由詩]美濃夢詩びと/ただのみきや[2014年10月4日20時50分] 大人になっても子どもの姿 蓑蛾(みのが)の雌は蓑(みの)の中 雄が訪ねて来るのをじっと待つ 翅も持たずに交尾をし 卵を産んで死んで往く 大人になっても幼いこころ 美しく濃い夢の詩を 繋ぎ合わせて身を包む 愛と死の走馬灯 運命の訪れにこころ欹てながら 人とは違う種(しゅ)だろうか カモノハシのように例外だらけの それとも翼のない天使の類(たぐい)か だけど自分は何者かと 悩み問うのは人間だけ 逃れられない 人は人であることから たとえ虫の息だとしても     《美濃夢詩びと:2014年9月29日》 ---------------------------- [自由詩]誰ももうネジを巻くな/ただのみきや[2014年10月8日21時46分] 誰かが外から力をねじ込んだ 固く ギリ ギリ と 蜷局(とぐろ)を巻いて震える はらわた 突き上げるような衝動! 目を見開き 歯をむき出して 喧しくシンバルを鳴らし  ── 鳴らし つづけて やがて 終わりが来たなら もう誰もネジを巻いてくれるな 猿はもう十分 怒りも争いも十分だ      《誰ももうネジを巻くな:2014年9月30日》 ---------------------------- [自由詩]根っから て訳じゃない/ただのみきや[2014年10月25日14時27分] 穴の開いた心に水を汲む すぐに流れてしまうのに 来る日も来る日も水を汲む 生きるためではない 生きている そう感じたいから 疲れたり  笑ったり 今日もこうして水を汲む いくら汲んでもわたしが満ちる訳ではない 如雨露(じょうろ)のまねごと ただ それだけ      《根っから て訳じゃない:2014年10月22日》 ---------------------------- [自由詩]TRICKSTER/ただのみきや[2014年11月5日19時20分] サイドミラーに小さな蜘蛛 縁を歩けば一人 面を歩けば二人 奇妙なポーズ        虚空と戯れる長い脚 見えないイトで織りなす罠 偶然と必然の色分けは自分 幸福と不幸を計る分度器も 鋭角――痛み悲しみの先端よ いったい幾つ集まれば円満の喜びに至るのか すべてが筒抜けの空の下 西日がニヤリと覗き込む 達観したふり  顏は伏せずに焼かれるまま 後悔はしない  したくない  そうやって生きて来て ほとんど全てのことを後悔している 車は前へ進んで往く おれはミラーを飽きもせず覗いている 遠ざかる景色 いよいよ小さくなり 記憶――真実と偽りの混合物は バラのように萎れ 夕日のように爆ぜる なのに おまえだけは飄々 ひとりになったり ふたりになったり 八つの腕で     アブラカタブラ 見えないイトで何を企む トリックスター 今日 おまえは味方 ――たぶん おまえだけが今日の味方              《TRICKSTER:2014年11月5日》               http://www.geocities.jp/izumikawauso/archetype/ ---------------------------- [自由詩]かりん ?/ただのみきや[2014年11月12日22時14分] 垣根越しに 老女の艶やかな手 切ないほど甘い いびつな頭をもぎとって 埋められた犬のため 息を光に押し出した 枯れた莢を揺らすように 踏むと何処かで誰かが死ぬ 枯葉の音に冷たく欹て 歩く家々に売るものは 甘い口約束だけ 香りながら腐って往く ひとつのいびつな 不実の陰影 胡桃を割る鴉の瞳が 不意に見やる 逆光に顏を落された男 乳房に沈むように 秋風も拭えない 匂いに時を踏み迷う 黒鍵が目隠しを始める        《かりん ?:2014年11月11日》 ---------------------------- [自由詩]放置車両/ただのみきや[2015年1月24日20時44分] 公園の駐車場に もう長いこと車が放置されている 違反切符と張り紙だらけ ミラーはとっくに割られている 今では雪に埋もれてかまくらだ 出はいりできない時間がそこにある ワックスを効かせたピッカピカの新車時代 エンジンを熱く燃やして走り続けていた頃 焼けたアスファルトを 尖った砂利の道を 冷たい雨の上を 駆け抜けたタイヤは 今ではひしゃげている フロントガラスの向こう かつて誰かの手が 温かい血の通った手がふれた ハンドル 心と意思が流れ込んだ その美しい円は静止したまま もう二度と ――メイワクナホウチシャリョウ 持ち主の居所は知れず 事情も知れない  が たぶん 直して乗るくらいなら 買ったほうが安上がりなのだ 処分するにも相応金がかかる モノをひとのようには扱えない だが  ひとをモノのように扱うのは止した方がいい 馴れて麻痺してしまう前に ひとがひとしくひとらしく生きられる 未満の世界なのだここは モノはひとほど手がかからないが ひとはモノほど無口ではいられない ――メイワクナチホウヤロウ じきに わたしも             《放置車両:2015年1月21日》 ---------------------------- [自由詩]終ノユメ/ただのみきや[2015年1月31日23時28分] 朝の五時半を少し回ったころでした 六畳の畳が漂流し始めたのです 思わず活けようとしていた椿を咥えましたの そうしてうんと股を開いて立ち上がりました 初めてですこんな太ももの上まで晒しちゃって きれいだったのね わたしの脚 そしたら文字が浮き出ていて 何やら難しい漢字とカタカナでシタリとかサレタリとか そうこうしている間もなく わたし頭がパッと咲いちゃったみたい かるめんになってふらりめんこを踊って 本当に若いって素晴らしいことなんだなって ほら水から上がった動物がぶるぶるってよくやるでしょう あんな風にできちゃうの嫌な記憶をみんな 《――古のダムが決壊! 》 誰かの声が何度も響いてから お腹の中へ すとん って なんだか身籠ったみたい ええ もう艶めかしくて わたし興奮してすごく変だったと思うんですけど そんな自分を見ているもうひとりの自分がいて まるで観音菩薩みたいに落ち着いていましたの すると重力が傾くって言うのでしょうか ご近所の噂話とか新聞の見出しとか 昔好きだった人がよく言っていた文明批判とかが みんなお鍋を傾けたみたいに流れてしまって わたしが過ごした時代も水没しちゃいました 誰かの眼球が小魚みたいに群れて泳いで行きました あれきっと 未来を捜していたのでしょうね いま思うと 難しい理由なんて誰も欲しくなくて ただ少しでも豊かに幸せになりたかった 人ってそういうものでしょう わたしいつの頃からか光るものが二重三重に見えちゃって ちょっと落ち込んでいたんです だけどほら地球がずれて重なって陰陽の双生児みたい 清水の舞台から飛び降りるつもりで わたし地球から飛び降りましたの 仰向けに真っ逆さま お花畑に寝転ぶみたいに 嫌 もう 恥ずかしいわ わたしったらその時 いっちゃったみたい うふふ 可笑しいでしょう                    《終ノユメ:2015年1月31日》 ---------------------------- [自由詩]無題/ただのみきや[2015年2月4日22時32分] いくら死人に口なしと言ったって 死んで間もない死人はそっとしておけ 代弁なんて口寄せじゃあるまいし 死んで間もない死人をパペットにするな 祭り上げるな自分たちのために 理想の英雄に仕上げるな こき下ろすな本当のことは何も知らないのだから もう弁明も弁解もできない相手を 一緒くたにするな問題を政治だ宗教だ正義がどうのと ひとりの死を 誰かの家族の死を 今は涙のさかなにしていても 今は興奮して正義を叫んでいても 十年後にも泣いているのは 残された家族だけだ 手綱で抑え切れない土佐犬のような 表現の自由 犬が嫌いなんじゃない 甘やかしすぎる飼い主が嫌いなんだ               《無題:2015年2月4日》 ---------------------------- [自由詩]独楽/ただのみきや[2015年2月21日19時19分] 独り 楽しむ と記し 独楽(コマ) と読む 独り楽しむためには 独りで己を支えなければならない 独りで支えるためには 日々 回り続けなければならない そして回り続けるためには 己の真中に通さなければならない 固い一本の「芯」を(「心」あるいは「信」かも) 少々尖ったところも必用だ 独り楽しむ者たちが集まると 侃々諤々 喧嘩ゴマ ( さて我らのいのち  回転力は何処からきたものか ) 「先祖代々伝えられた尊いもの いのちはいのちを生み 受け継がれて往くものよ」 「いのちを与えるものは全能の神のみ 全ては神から発し 神によって成り 神に至るのだ」 「いやいやいのちは万物に宿るもの 生も死も 万物流転の呼吸に過ぎない」 「始まりは未知なる偶然  あとは 我思う 故に我ありだ 生きるも回るも我が意思の為せること」 さあさ負けるな  火花を散らせ! やがて力は尽きて往く 軸が揺れ始める 像がぶれ始める 老いはかならず訪れる  当たり前のことだ そうしてある日 至極当たり前のことが起きる 大きく傾いて 倒れて それっきり 本当の色や紋様が明らかになる ( モウ一度 回リタイカ? ) 「 イイヤ モウ 十分  独リハ十分 楽シミマシタ 」                 《独楽:2015年2月20日》 ---------------------------- [自由詩]灰色の道/ただのみきや[2015年2月28日20時07分] 灰色の道の上に ひとつの疑問が落ちていた ずいぶん昔 この胸に生まれ しなやかに若木のように育ち そして出て行った いつか答えを見つけるのだと 朝の光が包む白い道を 振り向くこともしないで いま車に轢かれたように ぺしゃんこになって死んでいる 疑問にわたしが追いついたのは 答えを見つけたからなのか 見つからなかったからなのか たぶん疑問を 失くしてしまったからだろう わたしは膝を折り屈みかけ 想い直して 立ち去った いまさらどうにもなりはしない 虫歯の神経を抜くようなもの すぐに馴れてしまうだろう 道はますます狭くなり あたりは暗くなる一方 何が疑問だったのか いまはもう憶えていない ただアスファルトに張り付いた 濡れた花びらのような 若く美しい横顔だけが残像で ほつれた糸を 弄んでばかり            《灰色の道:2015年2月28日》 ---------------------------- [自由詩]親父とわたしと息子/ただのみきや[2015年3月4日21時08分] 一人前 たまご三個は使いたい これは食べ盛り男子向きなのだ たまごを割ってボウルに入れ 醤油をたっぷり入れる 過ぎない程度に良く混ぜる どんぶり飯に乗せて食べるのだから しょっぱいくらいがちょうど良い コショウも少し効かせたら尚良い 好みによって七味唐辛子でも構わない フライパンを強火で熱し 多めの油を良く回す かなり熱い状態のフライパンに 一挙にたまごを流しこむ しばし かき混ぜない フライパンを揺すって卵が滑るくらい フライパンの大きさとたまごの量にもよる このあたりは感覚だ まだ表面はナマの状態で 箸で 大ざっぱに 数回混ぜる 均等にとか細かくとか ひっくり返すとか 一切なし そして火を止める あとは余熱だが 余熱が入り過ぎないように あらかじめ用意したどんぶり飯 あるいは皿のごはんに一挙に乗せる たまごをフライパンに注いでからこの間 ほんの一分か二分だろう しょうゆ味の半熟たまごやきがたっぷり乗った 「たまごふわふわ」の出来上がりだ 紅ショウガなんか添えるとグッと別嬪さん 今のわたしにはちょっとクドイ こどもの頃は本当に美味かった インスタントラーメンと「たまごふわふわ」 親父が作れるごはんはそれだけだった 母親が一時入院してから ご飯と味噌汁も作れるようになったらしい 何年か前に息子に作ってやると すっかり気に入ったようで(食べ盛り男子) 家では「父さんのたまご丼」と呼ばれている いつか息子も自分で作るのかもしれない てっとり早く安上がり栄養は バランス抜きなら十分なのだ 親父の実父は腕は良いが喧嘩っ早い家具職人だった 実父が死んだ後 父の母は父とその弟を連れて再婚した 再婚先で息子が二人 娘が一人生まれた 何故か長男は連れ子の父の弟で 親父は実母の弟の家へ養子に出された そこには男の子がいなかったから 親父の名前は伊藤忠(いとうただし)だったが 養子に行った先の名字が只野だったから ただのただし ハンドルネームのような名前になった 親父は勉強が良くできて真面目だった たぶん 他にどうしようもなかったのだろう 伊藤家の長男になった父の弟は 何でもこなす神童タイプだった 詩を書いて投稿しても入選した 父とは真逆 四十も過ぎた頃 語り部になった おかしなもので売れに売れ テレビに出たり映画にもなったり やがて金でトラブルを起こし 行方を眩ました 去年長野で死んだことを聞いた(すでに死んでいた) わたしには兄がいるが 兄には娘がひとりだけ わたしには息子が二人(ひとりは先に天国へ) わたしの作った「たまご丼」を食べているこの子が 結婚しなければ あるいは子供が出来なければ あるいは娘しか生まれなければ 親父がむりやり養子に行かされた 只野の家系は潰えるのだ 別段珍しいことではないのだろう そらならそれでいい 息子は国立高専へ合格し 四月から釧路へ行く 五年間の寮生活 わたしよりとっくに背が高く やっと買ってもらったスマホに夢中 わたしよりも良い男だ 唯一 生きなけばならないと自分を叱咤する 理由のもの カンが強くて夜泣きばかりしていた頃や 平日の教会の駐車場でひとりぼっちシャボン玉をして 『 はじめはひとりだったけどー   ともだちたくさんふーえたー   またあそぼうね ばいばい 』 柔らかな声でひとり歌っていた幼稚園の頃の面影が わたしにはっきりと見てとれる 恐らく消え去ることはないのだろう 『 ああ父さんは寂しくて死んでしまうかもしれない   うさぎみたいに…… 』 口にも顏にも出さないが 父親らしいことを何か言ってやりたくて 言葉と時を捜してはいるのだが くだらない冗談ばかり 酔った時の親父のように 酔わない自分が饒舌になっている 離れる前に もう一回 「たまごふわふわ」作ってやろう それくらいしか思いつかない             《親父とわたしと息子:2015年3月4日》 ---------------------------- [自由詩] それ/ただのみきや[2015年3月14日22時34分] わたしたちはそれを知っている わたしたちはそれについて知らない 刈り入れたものを幸と不幸に仕分け 四角四面の境界で善悪のチェスをする しかも恣意的に 晴れた日に傘と長靴で出歩く者への嘲笑と 裸で歩き回る者への賛辞は絶えることがない 記念日ばかりが増え死者の声が満ちる わたしたちはそれを見ている わたしたちはその顏を知らない 天災の姿であれ人災の姿であれ 前触れもなしに訪れる懇願の余地すらない 奪って往く 日常を 心を いのちを 残されて茫然とし愕然とし憤然として 爆ぜ あるいは 黙し 群れが形成される 孤独な生き物を生む わたしたちはそれを見つめながら わたしたちはそれを異なる名前で呼ぶ 運命と呼び摂理と呼び偶然と呼び確率と呼び結果と呼ぶ 割り切れる答えを求めながら魂は地獄を巡る 人は各々おのれの磨いた鏡に映る顏こそ真と思う 政治という鏡 科学という鏡 宗教という鏡 哲学という鏡 歴史という鏡 社会学や人類学という鏡 経済という鏡 鏡を持たず音叉を生まれ持った者は鳴り響いて止むことがない わたしたちはそれを忘れてしまいたい わたしたちはそれを忘れることはできない 同じ名を呼びながら違う顏を見つめることも表裏だ 「幸せ」と呼びながら各々違う「幸せ」を夢想する 「善悪」も然り 言葉の定義の問題ではなく複写する心の問題だ 恋人の名を呼びながら空想の美人に想いを馳せるのに似ている だから論じる論理を振りかざす人間は極めて非論理的な存在だ プログラムの総体のゲームで感情的欲求を発散するようなもの わたしたちはそれを共有している わたしたちはそれを共有することができない ひとつの歴史 ひとつの世界 それと釣り合う重荷がある 人は共有よりも統合を求めるいつも己に都合が良いかたちで だから負い切れない総体として担うことはできない 誰もが加害者であり被害者でありながら 誰もが救済者であり被災者でありながら 目の当たりにするといつも幼子に戻って泣くばかりだ わたしたちはそれに抗うことができない わたしたちはそれに抗い続けるだろう                     《それ:2015年3月14日》 ---------------------------- [自由詩]シスター・シエスタ/ただのみきや[2015年3月18日20時37分] やわらカイ貝殻カラかなもじの ぬるっとした意味うまれる りょうせいるいかしら もしかしてしかしら しらしからぬしかしら おかしらつきのおかしなしかしら ナンタイドウブツカシラ ヘンタイシタイカシラ シタイカイボウシカタナクシタイカシラ シカシモカカシモヘッタクレモ 無く慕い歌う詩かしら 文字文字…… 文字文字…… 神様…… 御名を崇めます…… 怪繰り怪繰り すまし顔シテイマス 誰ニモ見セラレナイシヲアナタニササゲマス シエスタシナガラカイタシ ねながらねったし ――本当にしかしら? もしかしてゆめかしら ひるねしすぎのゆめにすぎないのかしら からしだねひとつぶのゆめにすぎないから 詩かしらモシカシテ これってつまずきのイシかしら あたしってイシはかたいのかしら あなたはすみのかしらイシだから ひみつの詩の罪 ことばがさきにすべること 赦して下さるかしら             《シスター・シエスタ:2015年3月18日》 ---------------------------- [自由詩]雪のとけた校庭で/ただのみきや[2015年4月1日18時34分] 「みんなが俺を蹴りやがる 逃げても逃げても追って来る 囲まれては蹴りまくられて 仕舞には頭突きでふっとばされて 時には拳で殴られて そんな毎日 地獄の日々―― 」 「みんなが私に夢中なの 渡したくない人 奪いたい人 私を中心に みんなもう必死 追いかけられるのは最高の気分 拍手に歓声 高らかな笛の音 それが人生 輝く毎日―― 」 なんて言わない思わない 中身は空気のカラッポ能無し 地球ほども円くって 兎みたいに跳ねたと思ったら 大砲みたいに飛んでった 泥だらけのサッカーボール          《雪のとけた校庭で:2015年4月1日》 ---------------------------- [自由詩]風の痛点/ただのみきや[2017年9月6日20時03分] 木々が襟を立てて拒む間 風は歌わない 先を案じてざわざわと 意味のないお喋りを始めるのは木 いつしか言葉も枯れ果てて 幻のように消えてしまう すっかり裸になると しなやかに 風は切られて 歌い出す すすり泣くように 他者によらねば現わせない 存在の悲哀を ほら 鞭のように撓(しな)った枝先あたり 奏でているのではない あれは 己を裂いて ふるえる声            《風の痛点:2017年9月6日》 ---------------------------- [自由詩]ルールとマナー/ただのみきや[2017年10月21日20時01分] 早朝の駐車場 誰かが捨てたごみ袋を丁寧に カラスが広げている コンビニ弁当の容器や紙クズを ひび割れたコンクリートの上 器用に嘴を使って 秋晴れの清々しい空の下 目ぼしいものはなにもない お粗末な食卓を後に 悠々と歩き去る 黒服で  後ろ手にしたようなその姿 車もないのに信号が変わる 人もカラスも食事をする 人の食べ残しをカラスは食べるが カラスの食べ残しを人は食べない カラスにはカラスのルールとマナー 人には人のそれがある カラスには生まれついて人には後づけの カラスは自分のそれを守っている 人はしょっちゅう破るルールもマナーも やたらにあれこれ作っておいて そのくせ気分と都合で 止むを得ない 今回だけ 誰も見ていない 大したことじゃない とかなんとか カラスのように気ままに生きたい? 馬鹿げた逃避だ そんな度胸もないくせに カラスは想わないだろう人間になりたいなんて きっとこれからも邪魔になれば カラスなんて殺してしまうだろう何羽でも 奴らだって啄むだろう 人の死体があれば残飯と同じように ――自分本位 カラスには当然のこと 人には(建前上)良くないこと そんな隣人同士たがいの存在を 末永く当たり前のように 瞳の端で捉えながら 人だけが時折思いやるのだ 自分本位な動機に小綺麗な理由を着せて             《ルールとマナー:2017年10月21日》 ---------------------------- [自由詩]鐘楼/ただのみきや[2018年4月7日21時16分] 鐘を失くした鐘楼の 倒れ伏した影が黄昏に届くころ わたしは来てそっと影を重ねる 深まりも薄れもせずに影は その姿を変えなかった わたしは鐘 貝のように固く閉じ 自らの響きに戦慄いている 水底のような街に暮らす 人々の等身大の時の流れを 鍵も扉もない空の向こうから 不意に人ごと丸呑みにする 永遠という虚無の大食漢を 剣の切っ先で威嚇するように 鐘楼は立っていた だが時を告げ知らせる声は失われ その偉丈夫とは裏腹に 倒れ伏した影こそが魂だったのだろう わたしたちの影はいま溶け合う 遠い残響に震えながら 陶器の中の幽霊のように 互いにとても冷たかったが ひとしずくの雨が影を影より暗くした 空耳のように後に続くものは何もない            《鐘楼:2018年4月7日》 ---------------------------- [自由詩]名無しの快楽/ただのみきや[2018年5月16日20時39分] 命がけで海の深みに潜り 古の眠れる宝を手に入れた男の話 錆びついた鍵を抉じ開けた 宝箱の中には 見覚えのある割れた手鏡ひとつ 結果より過程 得るよりも追求 流離うなら古代ギリシア すべての道(生)はローマ(死)に通ず 秘密は 永遠に蕾 未完のまま全く美しい            《名無しの快楽:2018年5月16日》 ---------------------------- [自由詩]五月の桜/ただのみきや[2018年5月19日19時18分] 天は雲から雨を紡ぐ 恵み災い七重八重 おぼろ単衣に織り上げて  過ぎ去る盛り嘆いてか  逝ったものを想ってか 俯く顔(かんばせ)つめたく包む 想い溢れて七重八重 火から滴る涙しずかに         《五月の桜:2018年5月19日》 ---------------------------- [自由詩]静止性/ただのみきや[2018年5月30日18時43分] 流れ出た血が固まるように 女は動かない 動かない女の前で暫し時を忘れ 見つめれば やがて そよ吹く風か 面持ちも緩み ――絵の向こう 高次な世界から 時の流れに移ろい漂う 一瞬の現象でしかない わたしを眺めている 叩かれて扉を開けただけ たぶん 画家も彫刻家も こちらに流れ出るには 静止性こそ相応しい 生々しさと普遍性を併せ持つ 人を引き寄せて止まない作品たち 時の流れを覗く箱眼鏡         《静止性:2018年5月30日》 ---------------------------- [自由詩]ホトトギスの木/ただのみきや[2018年6月6日19時57分] 道路が出来て分断されて この木は孤独に真っすぐ伸びた 辺りの土地が分譲されて 真新しい家が茸みたいに生えてくると 繁り過ぎた木は切られることになった ざわざわと全身の葉を震わせて 震わせて木は ただ立っている 六月にしては暑い日だった 太陽の斧が振り下ろされて 影はすでに静かに倒れている ホトトギスが一羽 このごろは居座っていた 身を擦り寄せるようにして てっぺんかけたかー そう 鳴こうとするが 舌が回らずにどもってばかり 言いたいことが言えなくて 鳴けども泣けども伝わらない 心を鎮め 想いを込めて 木の葉に隠れて叫んでみるが 応える声も仲間もなく 暑さに唸る蝉ばかり ホトトギスの言葉は解らなかったが 木には それが 声のない自分の心の声に思えた 日の光も届かない懐の奥深くから 悲しく 苦しげで どこか陽気で 訴えるような節がある 自分が歌っているのだと思った 鳴かねば殺すと言うのなら 鳴いてもいつかは殺される 不愉快だからと我慢がならぬと 被害者面して殺すのか 鳴かせてみせると言う者は 鳴きたくなくても鳴かすのか 騙して脅してお世辞を言って 拷問してでも鳴かすのか 鳴くまで待つという者は 鳴いたら最後やって来て 自分の手柄と言うだろか 自分のものだと言うだろうか 何十年も前のこと 雑木林を削り道路は出来た こちら側に一本 孤独に真っすぐ伸びた木は 今日 切り倒される 全身の葉が細波立った 懐深くホトトギスはやっぱり 言葉足らずの舌足らず鳴けども泣けども 蝉たちは無表情で読経を続ける 業者のトラックがいま到着した               《ホトトギスの木:2018年6月6日》 ---------------------------- [自由詩]点の誘い・線の思惑 ニ/ただのみきや[2020年1月18日12時34分] モデル マネキンのようにスラリとして 颯爽と 人前を歩く 絵画や彫刻の面持ちで 料理を盛る皿よりも大切な役目を担う  これを着たら     あなたもわたしのよう 美は憧れであり 夢は 醒めるまで現実 解ってはいても楽しいもの 一部のセレブのものから 庶民のものまでいろいろだが 見つめるだけなら赤いリンゴ たべるなら白い果肉を 視力裂果 朝に組み敷かれたまま 光と影だけを纏っている 雪の深さを 長靴で測る 迸る息がマスクを濡らす 見つめるより 雪は 目を瞑るほうが白い 斑な闇の向こうに開く 澄んだ瞳の見る白銀がある 時計は時間の長さを計るが 時間の深さを測りはしない わたしたちのやりとり・一 それは跳ねあがる魚であり 投げ込まれる指輪でもある 一瞬水面の上と下を混濁させる 水琴の音色 波紋が覆う やわらかな鏡の虚像を隅々まで わたしたちのやりとり・ニ 二人はこうして一つの花を見ているが  それは異なる花の姿で 今日こうしてわたしたちは出会ったが  その今日は別々の日で こうして話しかけるわたしの声も  あなたの声でしかない                   《2020年1月18日》 ---------------------------- (ファイルの終わり)