そらの珊瑚の石村さんおすすめリスト 2017年8月24日22時26分から2021年11月10日21時27分まで ---------------------------- [自由詩]月の夜/石村[2017年8月24日22時26分] 米カリフォルニア州の出張先にて父危篤の報に接した日の深夜一時、外に出て見上げた空に浮んだ月を見てゐるうちにふと現れたことばを記した。その約六時間後、日本時間の八月十日午後十一時五十七分、父逝去。享年七十六歳。 月がわづかにかけてゐる たいせつなひとが往かうとしてゐる み空にちひさくうかんだ月の ちやうど右肩あたりのところが わづかにかけてゐる しづかな夜に たいせつなひとが往かうとしてゐる ---------------------------- [自由詩]草色/石村[2017年8月31日1時39分] 花がしづかに揺れてゐる。 その横に小さな言葉がおちてゐる。 姉さんがそれをひろつて、お皿にのせた。 子供たちは外であそんでゐる。 まぶしいほど白いお皿に、うすい草色のそれがのつてゐる。 「ひとつしかなかつたけど」 と姉さんがいつた。 かなしさうな顔だつたが わたしは姉さんの顔をおもひ出せない。 そこだけがいつも、はつきりしない。 (二〇一七年五月二十九日) ---------------------------- [自由詩]肩がいたい/石村[2017年9月17日0時58分] かわいい小鳥が鳴いてゐる かわいい小鳥が鳴くたびに 肩がずきりといたい ええ わたしは鳥だつたんですよ ひとのゐないところでは いまでもときどき鳴きます (二〇一七年五月十八日) ---------------------------- [自由詩]晩祷/石村[2017年9月30日1時06分]    The Evening Prayer だんだんみじかくなる 滴(しづく)よりも もうきこえません うけとつてください 無口なともだちよ (二〇一七年三月三十一日) ---------------------------- [自由詩]春のスケツチ三題/石村[2017年10月13日8時56分]    ? わすれてもらへるなんて うらやましいことです たれの目にもふれず こころのうちに咲き たれに憶えてもらふこともなく たれにわすれられることもなく 時のはてにいたるまで 風にちひさくゆれつづける この花々のうつくしさ しづけさ と くらべてみてください    ? 山あひの駅にはなつかしいひとたちがゐる。 ホームのベンチで涼しげに陽ざしを浴びながら お弁当をひろげて 汽車がくるのをまつてゐる。 その路線は二十五年前に廃止されたと どこかの誰かがきめたらしいが この世がほろんだ頃に汽車はまた来るとみな知つてゐるので たれもあはててはゐない。    ? おろかな ひとの子 己がこころのうつくしさに すこしもきづかない (二〇一七年三月十九日) ---------------------------- [自由詩]骨/石村[2018年9月12日17時07分] 誰が私に声をかけなかつたのかわからない。 葱の花がしらじらとした土の上でゆれてゐる。 その下に妹の骨がうめられてゐる。 捨ててしまはなくてはならない。 丘をこえて夜汽車が濃い海におりていく。 星行きの便は運休だつた。神の使ひをのせて。 (二〇一七年十月某日) ---------------------------- [自由詩]或る秋・連絡船/石村[2018年10月6日17時22分]   或る秋 切り取られた空が 造り酒屋の軒先にひつかかつて はたはた ゆれてゐる おかつぱの姉さんと 坊主頭の弟が 口をまんまるにして それを見つめてゐる ふたりの足元で 子猫がまるまつてゐる 或る秋の 朝がおはるまで (二〇一八年九月二〇日)   連絡船 なくなつた人たちをのせて 連絡船が行く 温かい海の上を 台風が来るといふのに 風はなく 波もない おだやかな海の底から やさしい歌声がわきあがつてくる ああ よかつた いいところへ行くのですね ほんたうに よかつた わたしも 行くのでせうか ほんたうに 行くのでせうか (二〇一八年十月六日) ---------------------------- [自由詩]やさしい世界の終はり方/石村[2018年10月14日22時21分]  よく晴れた十月の午前  山の上の一軒家にひとりで住んでゐる松倉さと子さんのところに  郵便局員がたずねてきた。 「ごめんください、お届けものです」 「あら、何でせう」 「どうぞ、これを。すぐに開いてください。たいせつなお知らせです」 「――まあ、おどろいた。世界が今日で終はるんですつて?」 「さうなんです。あと十九分です。遅くなつて申し訳ありません」 「いえいえそんな、こんな山の上ですもの。わざわざ知らせていただいただけで十分よ」 「なんとか間に合つてよかつたです。おかげさまで、これでぜんぶ配達できました」 「それで、あなたはどうするの?あと十九分しかないなんて。今からぢやお家に戻れないでせう」 「はい、それはもう始めからわかつてましたから」 「まあ、そんな、私なんかのためにこんな遠くまで来ていただいて……ご家族の方に申し訳ないわ」 「大丈夫です。ほら、ここから五分ほど降りたところに大きな松の木があるぢやないですか」 「ええ、あるわね」 「その根元がちやうどいい案配で座れるやうになつてゐて、そこから港を見下ろす景色が素晴らしいんです。今日はいいお天気ですから島も海もよく見えます。そこでお弁当を食べながら待つつもりです。母が今朝つくつてくれたんです」 「お母さまが?まあまあ、お母さまおさびしいでせう、こんな時にあなたがお家にゐないなんて」 「でも、だいじな仕事ですから。今日出がけに、母もさう言つて見送つてくれました」 「さう……えらいわね。お母さまもあなたもえらいわ。ありがたう、ほんたうに、ありがたうね」 「どういたしまして。ぢや、私はこれで失礼します。あと十七分しかありませんから」 「さうね、さうね、少しでも早い方がいいわ」 「はい。では、失礼します。お目にかかれてよかつたです」 「ありがたうね、ほんたうに、ありがたうね。さやうなら、元気で――」  さと子さんは茶の間に戻り  あかるい窓際に置かれた遺影と骨箱に話しかけた。 「あなた、あと十七分で世界が終はるんですつて。  こんなことつて、あるのねえ。不思議だわ。  でも今日はもうお掃除もお庭の手入れも済ませましたし、  お昼のしたくもしなくていいから、  あとはずつとあなたと一緒にゐられるわ。一緒にゐませうね」  さう言つて、さと子さんは遺影に向かつてにつこり微笑んだ。  遺影の横で、さと子さんがけさ摘んできたコスモスがゆれてゐた。     (二〇一八年十月十三日) *筆者注――本作はツイッターの創作企画「やさしい世界の終わり方」参加作品です。参照リンク:https://twitter.com/search?q=%23%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A%E6%96%B9&src=tyah ---------------------------- [自由詩]羽・廊下・絵本/石村[2018年10月22日11時23分]    羽  とんぼが旗竿の先にとまつてゐる。  セルロイドのやうな羽の一枚が、半分切れてゐる。  緑の縞の入つた黒い胴を一定のリズムで上下させ、三枚半の羽を震はせながら、とんぼは虚空を睨みつけてゐるように見える。  だれのうまれかはりなのだらう。 (二〇一八年十月十五日)    廊下 廃校の廊下。どこまでも続いてゐて先が見えない。 三人立つてゐる。 一番手前にゐるのが、去年死んだ友だち。 その向かうにゐるのが、太つたお巡りさん。 一番向かうにゐるのが、わたし。 下校のチヤイムが鳴ると、お巡りさんが突然走り出した。 「逃げて」と友だちがさけんだ。 わたしも走り出した。どこまでも続く廊下を。 わたしの姿が見えなくなつた。どこまで逃げて行つたのか。 チヤイムは鳴り続いてゐる。きつと、この世の終はりまで。 (二〇一八年十月十八日)    絵本  うすみどり色の表紙のその絵本には、わたしの知らないことがかかれてゐます。  わたしはその本を手に取ることができません。  絵本はずつとテーブルの上に置きつぱなしです。  旅に出ました。  旅先の宿で、女将さんが私を呼びとめ、「お忘れ物です」と言つてうすみどり色の絵本をわたしに手渡してくれました。  わたしは絵本を宿のテーブルに置いていきました。  家に戻ると、テーブルの上にうすみどり色の絵本はありません。  お茶を飲み、ほつとひと息ついてから、わたしは泣きました。  泣いても泣いても、泣き足りない思ひでした。 (二〇一八年十月十九日) ---------------------------- [自由詩]けだもの・部屋/石村[2018年10月29日21時10分]   けだもの ひとの声がする 空がなく 土もない 紙の色の月がうすく照らす このわづかな世界に やさしく 神々しく いつくしみ深く ひとの声がする 《祈りなさい》 《目覚めなさい》 《愛しなさい》 うるさい わたしはけだものなのに (二〇一八年十月二十三日)   部屋 昨日まで、うつくしいひとが座つてゐた部屋です。 きちんと畳まれた制服の上にオーボエが置かれてゐます。 文机には音楽の教科書がひらかれてゐます。 床下にはきつねがうずくまつて、まだ次の曲を待つてゐます。 お母さまが入つてきました。これからお掃除です。 きれいな月の、秋の夜です。 (二〇一八年十月二十九日) ---------------------------- [自由詩]少々早い辞世の歌/石村[2018年11月6日20時39分] 色画用紙をひろげて 影をうつす 木炭でなぞる しばらく眺める 笑いがこみあげてくる なんと へんなかたちなのだ 俺といふやつは 俺は笑つた 笑つて 笑つて 笑ひ尽くした いい気分だつた ああ すがすがしい日だ もう 終はりにしても よからうか ---------------------------- [自由詩]秋にとどいた手紙/石村[2018年11月16日15時42分] 手紙がある うす桃いろの 手ざはりのよい 小ぶりな封筒の 崩した文字の宛て名も品が良い 封を切つて なかを開けるに忍びなく 窓際の丸テーブルに置かれてゐる さて 何がかかれてゐるのであらうかと あれこれ想像をめぐらす楽しみを もう少し 味はふことにしよう そんなことを思ふうち 機会を失ひ 昨年の秋から そこにある さあ さらすか さらすまいか たつた今 この秋の昼下がりのさはやかな空気に 一年前の秋の言葉を それとも 来年の秋の空気にするか 俺に何度も秋がのこされてゐるなら 十年後 いや二十年後にでもするか その頃でも俺がまだ ひんやりとしたこの秋の空気を 吸ふことができるとしたら 二十一年後に開封された言葉は さぞかし鮮やか 爽やかだらう さて どうしたものか この手紙を (二〇一八年十一月四日) ---------------------------- [自由詩]静かさ/窓/祈り/石村[2018年11月25日0時08分]   静かさ 静かさ、といふ音があると思ひます。 秋の夜長、しをれかけた百合を見ながら 静かさに耳を傾けます。 (二〇一八年十一月八日)   窓 十一月のあかるい午後です。 野原いちめんにすすきが波打つてゐます。 野原のまんなかに窓がうかんでゐます。 窓の向かうは、雪がちらついてゐます。 すつかり葉を落とした立ち木もみえます。 小さい子供が、窓に手をかけてのぞいてゐます。 寒さうな手に、姉さんが手をかさねて云ふのです。 行つてはいけない、と あたらしい風が吹き 季節が変はります。 ちやうど 二本のすすきが枯れたところです。 (二〇一八年十一月十二日)   祈り 血がながれてゐるが それでいい ひとはあるいてゆく いのりのかたちで (二〇一八年十一月十六日) ---------------------------- [自由詩]初冬小曲/石村[2018年12月13日23時18分] くらい 翼をひろげて 古い調べから とほく紡がれ 凍てついた 水を恋ふ しづかな もの ひとの姿を 失つた日 ひとの心を おそれた日 雪を待つ 地へと降り立ち ひそやかに 宿る 遺され 忘れられ なほ命であれ! たけだけしく ほとばしり もだえ おののき 身をふるはせ ひとつきり 憧れの螺旋をえがいて はてることなく 高く うたひ出せ お前 遥かなもの しづかな ものよ ---------------------------- [自由詩]ちひさな国/石村[2018年12月22日17時15分] おとぎ話の中の国は もう わたしのことをおぼえてゐません キセルをくはへたお爺さんは もう わたしのことをおぼえてゐません アコーディオンをかかへた青年と まきばで働くやさしい娘さんは もう わたしのことをおぼえてゐません とんぼをとりに行つたこどもたち 巣穴にひそんでゐる野うさぎたち 婚礼の準備をしてゐる村びとたち おだやかな風がふく ちひさな国は もう だれのこともおぼえてゐません 布張りの本の手ざはりは いつも あたたかでした その本は もう ひらかれません よごれた星にすむ わたしたちみんな わすれられてしまつたから ---------------------------- [自由詩]星崩れ症候群/石村[2018年12月30日13時45分] 聖書をよく焚いてから飴玉を投げ上げてください。 反転します。  落下しない  林檎  蜜柑  それから  檸檬。 安物です、この宇宙は。 (モーツァルトはK.516クインテットの楽譜の余白に「演奏不能」と落書きし、ピリオドの代はりに鼻くそをなすり付けました。冬の寒い日、ヴィーンで。) 預言者はいつも暇さうです。 良く晴れた午後に街の広場で娘たちが輪になつて踊つてゐます。 「宝石を持つてきましたか、先生?  もう時間がないのです。診察を始めてください。」 鳥たちがいつせいに飛び立ち、銀河を啄み始めました! おそろしいことです、みるみる暗くなつてきましたよ。 眠る必要はありません。永遠は無事凍結されました。 神話を一週間分出しておきます。来週また来てください。 カルテに書き忘れたどうでもよいひと言。 星崩れ症候群。 (二〇一八年十一月二十七日) ---------------------------- [自由詩]一月一日のバッハ(再掲)/石村[2019年1月2日17時40分] 一月一日、お正月。軒さきを小さな人がとほつた。 岬の根元にある町の上に、夏の海のやうな空がひろがつてゐる。 中学校の音楽室で、若い先生がバッハのオルガン曲をひいてゐる。 春には結婚するさうだ。角の煙草屋のはなし。 三軒となりの家の前で、七輪と網を出してお父さんが餅を焼いてゐる。 小さい姉さんが指をくはへながら、膨らむ餅を見てゐる。 もつと小さい妹は、姉さんの髪をくはへながら、お父さんの手を見てゐる。 寒いはずだのに頬が赤らんでゐないのは、何かの病気だらうか。 一月五日の朝、三軒となりの家の下の子が急に死んだといふはなしを角の煙草屋できかされる。 とおもつたすぐ後に、妹はくはへてゐた姉さんの髪を離して地べたにうずくまつた。 一月一日、お正月。軒さきをまた小さな人がとほつた。 今日はよく晴れてゐる。先生はまだバッハをひいてゐる。 (二〇一七年一月一日) ---------------------------- [自由詩]秘法(第一巻)ほか九篇/石村[2019年2月1日12時06分] (*筆者より―― 昨年暮れ辺りに自分のかくものがひどく拙くなつてゐることに気付き暫く充電することに決めた。その拙さ加減は今回の投稿作をご覧になる諸兄の明察に委ねたいが、ともあれかいてしまつたものは本フォーラムに全て記録・保管しておきたいので、前回投稿以来フォーラムに載せてゐない複数の作を一度に掲載することにした。さうすれば読者諸兄にあつては詰まらぬ作品をひとつひとつ閲覧せねばならぬ面倒も省けるといふものだらう。)   秘法(第一巻)    ? 骰子蹴つて鍋に放り込む 万華鏡のアンチテーゼ 漆黒。    ? ばら瑠璃(月夜のトランプ) 「ペルシャンブルーの砂漠がですね、  象の骨を磨いてゐたのですよ。」 キャラバン隊のポスターを剥がす少女の初恋。    ? 薄荷ラッパのせいで桟橋落ちたのには困つた。 そこで 幽玄。 (宝船を解体してからこの旅を終はらせませう) ドビュッシーの蒔絵は未完成でしたが――気にしません、私。    ? (クレーの帽子)    ? 虹の線形代数。    ? 蝶がプリズムの先端でゆれてゐる午後。 アテネの路傍では哲学の授業がつづいてゐます。    ? (まだ歌つてゐますね!)  Einsatz! それからクレタ島に行つてきます。 鳩を取り返しに。    ?    ?    ? (ユピテル魔方陣でお別れします) 姉さんのリボンの裏に刺繍されてゐた秘法です。 「光あれ」と 二度と云つてはならない。 (二〇一八年十一月二十七日)   十二月スケッチ とほい国のひとから 今年も はつ雪のたよりが届きました 今日はきれいな朝です すんだ まるい空に たかく フルートがきこえます モーツアルトがかき忘れた音符です いろんなことが 思ひ出されます さよならあ と云つて その子は落ちていきました かへりおくれた鳥のやうに おぼえてゐますか もう 冬です (二〇一八年十二月四日)   太陽の塔 退屈で残酷な世界は 知らないうちにほろびてゐた 神さまは 人間をこさへたことさえわすれてゐた 太陽の塔をみあげて 「よくできてゐるな」と感心し 二百五十六万年ぶりの定期巡回を 終へたのだつた (二〇一八年十二月五日)   冬の室内 ふりつむ雪を温める 優しい姉妹の憂愁(メランコリア)   琥珀 ちひさくなつてゆくいきもの (白亜紀の蝶がしづかに目をさます) (二〇一八年十二月十二日)   銀世界 雪に埋れた日時計が時を刻む 終末まであと二分。 (二〇一八年十二月十五日)   墓碑銘 どうしやうもなくて 笛を吹いてくらしてゐた王様が 楡の木かげで 息をひきとつた 家来たちが宮廷で グローバリズムと地球温暖化について ながながと議論してゐる間に 行方不明となつてから 十年後のことだつた 会議は今もつづいてをり 解決を見るけはひもなく 十年すぎても家来たちは 王様が行方不明であることに 気付いてゐないのであつた 森のきこりの息子がひとり 楡の根元に穴をほり 王様のなきがらと 笛をうづめた それから小刀をとりだして 楡の木の幹に 「ぼくのともだち」 と彫りつけて 目をつぶり 手をあはせた (二〇一八年十二月十七日)   降雪 冬の底にかさなつて行く沈黙 ああ さうか これは ことばのない いのりのやうなもの 白くなつた世界に 目をつぶりたくなる (二〇一八年十二月二十一日)   冬支度 星あかり しづかに おろかなる 男ひとり 影を置く 月は凍つてゐて ものみな息を凝らし 時の刻みに 耳傾ける (硬い空気に何とも  良く響くのだ それが)  幼くて逝きし者たちの  明澄さこそ羨ましい!  何をか云はん  俺よ 何をか云はん?  老いさらばへた病み犬の  今はの際の呟きか    はたまた  三匹の羊どもに逃げられた  冴えない羊飼ひがこぼす  愚痴でもあるか?  どつちにせよ  似たやうなもんだ  冬の落葉にうづもれた  こがね虫の乾いた死骸が  ときをりからつ風に吹かれて  立てる音みたやうなものだ  俺よ  おまへはつくづく駄目なやつだ  駄目なやつだから  とつとと命を仕舞ふ  支度でもするさ…… 星あかり しづかに おろかなる 男ひとり 影を置く 月は凍つてゐて ものみな息を凝らし 時の刻みに 耳傾ける 冬だ 支度をするがいい (二〇一八年十二月三十日)   罪 いいんだ 花は さかなくてもいいんだ いいんだ 麥の穂は みのらなくてもいいんだ いいんだ うたは うたはれなくても 笛は ふかれなくても 絵は えがかれなくても 木は 彫られなくても なみだは こぼれなくても 空をふるはせ ひびくものらよ どうして うまれてくるのか その罪に をののきながら (二〇一八年一月二日) ---------------------------- [自由詩]旧作アーカイブ1(二〇一五年十二月)/石村[2019年3月11日13時36分] (*筆者より――筆者が本フォーラムでの以前のアカウントで投稿した作品はかなりの数になるが、アカウントの抹消に伴ひそれら作品も消去された。細かく言ふと二〇一五年十二月から二〇一七年二月までの間に書かれたもの。これを随時アーカイブとして投稿し、フォーラム上に保管しておかうと思ひ立つた。実際に目を通して下さる奇特な方は少なからうと思ふけれど、私の手元に死蔵しておくより僅かなりとも人目に触れる可能性のある場に晒しておけば、まだしも作品の生命が保存されることにもならう。どれほどみすぼらしからうが貧しからうが、書かれたものにはひとに読まれる機会を得る権利があり、作者といへどその権利を封殺すべきではない。)   菫(すみれ) やさしい人たちから遠く離れて 忘却の季節を通り抜けて ひややかな秋の角笛に心ざわめかせながら 胸に深くつき刺さる微かな痛みだけを なぜか大切にもち歩いてきた 黄昏時の懐かしい路地裏で 捨てられた昔の時計が今も時を刻む 神々の幼な子たちが告げる一瞬の永遠は 貧しい心にはすみ切つたかなしみの形でしか響きはしない 悲しいことばかりだつた どこにも正しい言葉はなかつた 惨めな魂にばかり遭ひ その誰よりも僕が惨めだつた 美しかつた神殿が崩れ落ちた時 たれもがそれを悲しんだ いつかその人々も去り その悲しみたちも忘れられた その片隅にあどけなく咲いてゐた ひと叢の菫(すみれ)の行く末を 見守つてゐたのは君だけだつた ため息の中で数億年が過ぎ その頃と同じ青さの空の下にゐる 僕はまたここに戻つてきた ほんたうに大切だつたただひとつの言葉を 今なら 君に云ふことができる 星々のめぐりは もう 終はろうとしてゐるのかもしれないけれど やさしい人たちは いつか帰つてくる いつでもそこの木蔭で 黄菫たちに囲まれて いとけない眠りを眠つてゐる 君のもとへ (二〇一五年十二月三日)   小さな風 麗かな春の日に 星をめざして一心に飛んでいつた燕が 今朝 そこの丘の端に落ちて死んだ たれも知らなかつた お前がどれほどそこに近付いたかを あとひと飛びといふところで力尽きた お前の望みの気高さを 思ひ上がつた科学にも 卑劣な物理法則にも 屈従を説く哲学にも耳を貸すことなく お前は一心に突き抜けた その広大な空間を ただひとつの約束を 果たすために ほんたうにあとひと飛びといふところで 残された最後の羽根が しづかに燃え尽きた たれも知らなかつた 仲良しだつた森の妖精が  一緒に歌をうたつて過ごしたあの丘の外れで  しめやかな春の雨に濡れた亡骸を見た その悲しみを 妖精は丘の外れで いつまでも泣き暮らした 季節は幾度となくめぐり それでも妖精は泣き暮らし いつしかその姿は淡くなり ―― 薄れゆき ―― ―― 丘々を吹き渡る小さな風となり ―― 麗かな春の日に あの人のために野花を摘んでゐた 少女の頬に そつと触れた 少女は 知らなかつた なぜ自分が泣いてゐるのかを   (二〇一五年十二月二十日)   花束 遥かな、遥かなむかし 時がうまれて間もない頃 夢見がちなひとりの天使が まだ小さかつた宇宙のかたすみに いつまでも枯れることのない 花束を投げた この宇宙をどこまでも広げていく あらゆる命たちが ひかれ合ひ 巡り合ひ 触れ合ひ 心通はせる そのよろこびを 絶やすことのないやうに ―― 彼らが心を向けさえすれば いつでもそこから 色とりどりのいとほしさが薫り立ち その心をみたすやうに ―― と その命たちは かなり愚かではあつたが 素直でやさしい心映へをしてゐた やがて彼らは 降りていつた 小さな青い星に 丘の上で 川のほとりで 薫る風の中で しんしんと降りつむ雪の中で そぼふる温かい雨の中で その花束をたずさへて 彼らはそれぞれに巡り合ひ 触れ合ひ 心通はせた ―― その笑顔の美しかつたこと! 花束はいつまでも 枯れることはなかつたが 命たちはやがて 人と呼ばれるやうになり 愚かにも 互ひを傷付け 自らを憐れみ 蔑み 貶め 犯した罪にふさはしい 非道な獣にならうと決めた もちろんそれは嘘だつたので 彼らの心は安らがなかつた 花束はいつまでも枯れずに そこにあつた 人はなほも むなしい努力を続けた  たれもがみな 非道な獣であることが いかに正しいかを示すために 互ひに非道な行ひを 重ね続けた 互ひを憎み 恨み 傷付け 責め苛み 何万年も同じことを繰り返したが もちろんすべてが嘘だつたので  彼らの心は 安らがなかつた 花束はいつまでも枯れずに そこにあつた 花束に心を向けることは いかにもたやすいことであつたので さうしないためには 英雄的な苦心が必要だつた 人は必死だつた ありとあらゆる偽りを考え付き 実行し 複雑な上にも複雑な思想を築き上げ 何万巻もの書物をまとめたが もちろんすべてが嘘だつたので  彼らの心は 安らがなかつた 花束はいつまでも枯れずに そこにあつた 花束はいつでも そこにある 君が心を向けさえすれば いつでもそこから 色とりどりのいとほしさが薫り立ち 君の心をみたす 愛するひとを想ふとき 友のしあはせを願ふとき 君の心に いつはりがないとき 君の笑顔が美しいとき 嘘をつくのは止めよう 君のまごころ  それが君だ 枯れることのない花束をたずさへて 僕らはどこまでも生きていく この宇宙を ちよつと愚かだけど 素直でやさしい命たち 丘の上で 川のほとりで 薫る風の中で しんしんと降りつむ雪の中で そぼふる温かい雨の中で この花束をたずさへて 今日 僕らは巡り合ふ  こみ上げてくるやうな笑顔を向け合ひながら そしてふたつの心が安らぐ 夢見がちな天使がほつとため息をつく (二〇一五年十二月二十五日)   雪が囁く しづかな 夜に きこえない 音で 或るかなしみが お前の心に かさなつた 雪の上に もうひとつの雪が ふれ ひとつになるやうに 僕は何も 囁かなかつた  何ゆえに 僕は出て行くのだらう そして 何処へ 忍び入る 恐れ お前はすでに 僕から遠い ひとびとは ああ ああ はなれていつた ふたつの想ひに 欠けてゐたものはなかつた それでも 雪は ふり続く 古い儀式のやうに かへる場所のない 子どものやうに ひとはたたずむ お前が見たものを 僕は見なかつた さうして絆が 解(ほど)けてゆくと どうして お前に わかるだらう どうして 僕に わかるだらう? (二〇一五年十二月二十九日) ---------------------------- [自由詩]家族は唐揚げ/石村[2019年4月8日16時45分] 「家族は唐揚げ」 どこからともなく 湧いて出た その一句 そのしゆんかんから なにゆえか 俺の心を とらへて離さぬ 幾百万もの言葉があり 百の何乗だかの組合せがある中で 天使か悪魔のはからひか かくも見事に生じたる 一期一会の この機縁 この一句 「家族は唐揚げ」 いい じつにいい なんともいへずいい ふるひつきたくなるほど いい一句ぢやないか 風韻がある 滋味妙味がある 俳味もある 豊かな陰影を宿しつつ 簡潔にして明快 かういふのをポエジイといふのだ さうはおもはないか いやしくも詩人たるもの これを一篇の詩に物せずして 何を詩にするのか これほど響く言葉 身に染み 胸に迫る言葉が 詩にならぬといふ法はない そこで俺はこころみた 「家族は唐揚げ」を 一篇のみごとな詩と仕上げ この不朽の一句が 未来永劫 人類の脳裏に 刻まれんことを期して まづ俺は 心の中で 大鍋を火にかけ いくたりかの家族に 唐揚げ粉をまぶし 180℃に熱した たつぷりの油で からりと揚げてみた うむ どうもこいつは あまり詩的な光景ではない やうだ つまりこれは 文字通り字義通りの言葉ではない 叙事叙景ではだめなのだ ならばこれはどうだ 「家族は唐揚げ  ハサミはペンギン  男は故郷  女は海峡  バハマは不況……」 それから えー―――― 違ふ さうぢやない 言葉遊びではないのだ 「家族は唐揚げ」は そんなうすつぺらな 上つつらな 響きだけの 調子がいいだけの 一句ではないのだ ことによると俺は 宇宙の深奥 秘中の秘に迫る真実 神の一句を手にしてゐる  かも知れないのだ これを駄洒落や語呂合せの一部に 埋れさせてしまへば 末代までの恥辱とならう しからばそれはメタフォアか はたまたシンボルか いづれにせよ何らかの観念を 表象するものか 否! 否、否、否、否! 「家族は唐揚げ」は 修辞ではない アレゴリーではない 表現技法ではない 一個の存在そのものだ 無謬完全の意味観念を豊かに内包し 大銀河に悠然とひろがり ありとあらゆる生物無生物の 原子核の核にまで浸潤する 普遍妥当性をば有する 美を超えた美 叡智を超えた叡智 フェルマーの定理もリーマン予想も 物の数ではない それほどの真理の精髄が この一句に 集約されてゐるのだ だが ああ! 俺にはこの一句を 詩に物するすべがない どう足掻いても 書けはせぬ アダムとイヴ以来の プロメシュース以来の この神秘の一句が内包する 宇宙の内奥に肉薄するには わが詩魂はあまりに貧しく 思想は低く 着想乏しく 想像力に欠け 技量はあはれなまでに拙い 無念なるかな 遺憾なるかな  痛憤痛惜の念に堪へずして 俺は唇を噛み 歯をきしらせ 血涙を呑んだ ああ 天にまします神なる御方は 何ゆえに この妙なる一句を わたしなぞに授け給ふたのか! それでもやはり 家族は唐揚げ かぞくはからあげ カゾクハカラアゲ kazokuwakaraage いい じつにいい なんど反芻しても いいものはいい 家族は唐揚げ ああ なにゆえに かくはわが心を悩ませる この一句 家族は唐揚げ 家族は唐揚げ 家族は唐揚げ もひとつ行かうか 家族は唐揚げ さあ 皆さんも どうぞ ご一緒に 家族は唐揚げ (二〇一八年四月八日) ---------------------------- [自由詩]なつぐも 他二篇――エミリ・ディキンソンの詩篇に基づく(再掲)/石村[2019年4月19日15時59分]   なつぐも ―エミリ・ディキンソン " AFTER a hundred years --"に基づく― ともだちがだれもいなくなったとき わたしはその野原にいきます 青々と茂る夏草のむれのなかに ちいさくつき出ている石があります その下には むかし この野原でゆきだおれて死んだ 詩人がうめられています その石には 詩人が死ぬまぎわに もらしたことばが きざまれていたと だれかがおしえてくれました 長年の風雨にさらされて 文字はすっかりうすれています こどもらがときおりやってきて その石にきざまれた文字をなぜていきます あの子らには よめるのでしょう わたしはぼんやりとそこにすわって 耳をすますでもなく 夏雲をみあげます すると次の年へゆくさやかな風が そのひとのうたを はこんできてくれます わたしがここらに落としていく記憶も この風がひろいあつめていくでしょう そうして百年後の夏あたり またこの野原にもどってきて 夏雲をおいかけてここにきた 旅びとにでもわたしてくれるでしょう AFTER a hundred years Nobody knows the place,? Agony, that enacted there, Motionless as peace. Weeds triumphant ranged, Strangers strolled and spelled At the lone orthography Of the elder dead. Winds of summer fields Recollect the way,? Instinct picking up the key Dropped by memory. ***   青い鳥 ―エミリ・ディキンソン "HOPE is the thing--"に基づく― 希望というものには青い羽根がはえているらしく ときどきとんできてわたしの肩にとまる そしてくだらない歌をいつまでもうたう わたしがふきすさぶ風にもてあそばれているときも あいつは甘くやさしいうたをうたう こっちはぼろぼろ もみくちゃなのに のんきなものだ どんな大嵐も あんたの口はふさげないわね とおもうと ふと笑みがこぼれる そしていつも それにすくわれる 空も土も凍りつくよな寒さの日にも 島影さえ見えない大海原で ひとり船を漕いでいるときも のんきな歌をうたってくれるあいつ なにも食べないので餌代もかからない なかなか健気なやつなのである HOPE is the thing with feathers That perches in the soul, And sings the tune without the words, And never stops at all, And sweetest in the gale is heard; And sore must be the storm That could abash the little bird That kept so many warm. I 've heard it in the chillest land, And on the strangest sea; Yet, never, in extremity, It asked a crumb of me. ***   ふたつの墓 ― エミリ・ディキンソン "I DIED for beauty -- " に基づく ― うつくしいものでいるために わたしはしんで お墓になりました お墓ぐらしになれはじめたころ おとなりさんができました まごごろをまもるために しんだひとでした おとなりさんは たずねます 「ねえ どうしてきみはしんじゃったの」 わたしはこたえます 「うつくしいものでいたかったの」 「そう じゃあ ぼくらはともだちだ ぼくはまごころをまもるためにしんだんだから おんなじだよねえ」 そうして にたものどうしのふたつのお墓は まいばん しずかにかたりあいました ながいながい しあわせなときがながれ やわらかいみどりのこけが すこしずつふえ わたしたちのくちびるを とざすときがきました 「さよなら げんきでね」 「さよなら ありがとう」 そして ふたつのくちびるはきえ ふたつのお墓にかかれたなまえも みえなくなりました I DIED for beauty, but was scarce Adjusted in the tomb, When one who died for truth was lain In an adjoining room. He questioned softly why I failed? "For beauty," I replied. "And I for truth,--the two are one; We brethren are," he said. And so, as kinsmen met a night, We talked between the rooms, Until the moss had reached our lips, And covered up our names. *後記――ここに掲載したのは米国の大詩人エミリ・ディキンソン(Emily Dickinson, 1830-1886)の数ある作品の中から、折に触れて筆者の心を捉へた三篇を過度に自由なスタイルで日本語にしたもので、翻訳詩といふよりは翻案、換骨奪胎と言つた方が相応しい。最近は「超訳」などといふ言葉もあるが勿論これらの翻案は何も「超えて」などゐないので、この語を用ゐるのも適当ではない。この三篇に何らかの興趣なり感動なりを覚える読者がゐるとすれば、それは偏にディキンソンの無比な詩魂の美しさと詩想の霊妙によるものであり、不満や違和感を覚えるとすればそれは偏に筆者の菲才と不徳の致す所で、原作には何の関はりもないといふことを予めお断りしておきたい。なほ、読者諸兄の便宜を考慮して各篇の末尾に原詩を引用した。ディキンソンの元の詩篇にはいづれも題名がなく、冒頭の一行の引用で識別されるのが慣例である。また、熱心な研究者諸氏による忠実な訳詩集や対訳詩篇も数多く刊行されてゐるので、ディキンソンの作品に関心を抱かれた方はぜひさうした作品集を繙いて頂きたい。 ---------------------------- [自由詩]永遠/石村[2019年5月6日16時50分] ある夜 死んでしまつた 畳の上に食べかけの芋がころがつてゐる その横におれがころがつてゐる 目をとぢることも ひらくこともできない お迎へもこない 月の光が障子の桟に溜まつて 零れていく 時間といふのは長いものだ おれは永遠を手にしたのだ あまり うれしくもない (二〇一八年四月二十五日) ---------------------------- [自由詩]模倣/石村[2019年6月11日17時27分] イ短調ロンドの孤独に犬のやうにあくがれて せつかく育てた硝子(がらす)色の菫(すみれ)を ただなつかしく僕は喰ひ尽してしまつた。 失意のかたい陰影を 新緑のプロムナードにつめたく落として 僕は終日時空をよぎる少年の真似をした―― 涼風吹く庭の白いテエブルで 球体に似て全てを嫌ふ きみの形而上学を僕は聴かう。 *初期作品より(執筆時二十三歳) ---------------------------- [自由詩]或る友へ/石村[2019年7月8日16時45分] どうでもいいぢやないか それは君のくちぐせであり ぐうぜんにも 君からきいた さいごのことばでもあつた ひと月まへ 一緒に飲んで 別れ際にきいた いつものせりふだ その前に何をはなしてゐたか うかつにも おぼえちやゐないのだが どうでもいいぢやないか さうだな 俺もさうおもふ 君が死んだと知らされて ひと晩たつて 今にして しみじみおもふよ 星がきれいだ さうか 七夕様だものな 織姫と彦星はぶじ逢瀬を遂げたか 来週末も低気圧は日本列島に停滞するか 俺のうすい財布にいくら残つてゐるか 米中貿易戦争の落としどころはどの辺りか そんなこんな どうでもいいぢやないか なあ 君 葬式には行かなかつたよ お互ひ いずれどちらがくたばらうと お悔やみなんぞはいはずにおかうやと いつだつたか 話したな 生きるのが面倒になつたから さつさと切り上げただけのことだ 何も悔やむことなどありはしない めでたいはなしとはいへないが よよと泣き崩れるほどの かなしいはなしでもないよ どうでもいいぢやないか 川つぺりからいい夜風が吹いてくる 遠くでパトカーのサイレンがきこえ だんだんと小さくなつていき あとはまつたくしづかなものだ ふかい夜空を見上げると 死んだ人たちの笑ひごゑが 天にみちてゐるのがわかるよ 君 君もそこにゐるんだな 心まづしきひとの世に ほんたうのことなどありはしないし いつはりのこともありはしない ひと夜の芝居が 幕を下ろすだけだ 君の冥福など祈りはしないよ そんなのは地上の人間の不遜だ とりあへず 俺はもう少し生きるやうだ 愚かな選択かもしれないが 賢い選択など どのみちこの世に ありはしないだから まあ 君のいふ通りさ どうでもいいぢやないか (二〇一九年七月七日) ---------------------------- [自由詩]旅・遺作/石村[2019年12月30日15時53分]   旅 こころは しらないうちに 旅に出る 笛のねに さそわれて むかし 人びとがすんでゐた 海辺の村で 潮風にふかれてゐる いつになつたら かへつてくるのか 神さまにあふまで かへつてこないつもりか   遺作 午前二時をすぎると たれにもひかれたことのないピアノが ひとりでに 鳴りだす たいせつな詩を 書きわすれた 詩人のやうに (二〇一九年十二月三十日) ---------------------------- [自由詩]初春/石村[2020年2月12日10時56分] どういふことだ まだ ひとのかたちをして 星の上にゐる 急がなくてはいけない 廃村のはずれの小さな草むらに 菜の花が咲きはじめてゐる ……風にゆれてゐる やさしいやうな かなしいやうな 春にならうとしてゐる午後 俺はけだものになりたくて おだやかな海にさけぶのだ 神なる者どもが降りてきて 俺らをのこらず 喰つてしまふ前に ---------------------------- [自由詩]告別/石村[2021年11月10日21時27分]    我が友、田中修子に 時折西風が吹く そして天使が笑ふ するとさざ波が寄せ返し 沖を白い帆が行き過ぎる 砂に埋れた昨日の手紙を まだ浅い春の陽ざしが淡く照らす 生まれたばかりの小さな蝶が その上でしづかに羽をやすめてゐる それで時には幸せだつたのかと 僕はお前に問ふてみたのだが もうどこにもお前はゐないのだから こんな風に暖かくやはらかい光に 何もかもがやさしく包まれてゐる午後にも 失はれたものは失はれたままだ ひえびえとしたさびしさばつかりだ さうだ去年の今ごろは 硝子の笛を吹いてお前とこの海辺を歩いた 今日とかはらぬおだやかな陽を浴びて 時折の西風がお前の傘を飛ばした すると天使が笑つた お前も笑つた 僕は今日とかはらぬ道を歩いてゐたのに けれどお前がもうどこにもゐないといふことは どんなに僕が呼び掛けたとしても 答へが永遠にかへつてこないといふことだ お前がきかせてくれた名も知らぬ歌が めぐる季節の内に忘られてしまふといふことだ それでも僕が生きてゐるといふことだ お前以外のすべてがここにあるといふことだ それがどんなにつらくさびしいことかを お前に知らせるすべがないといふことだ…… 時折西風が吹く そして天使が笑ふ もう昨日までの時計は止めて 歩いて行かう お前がゐた日々の憧れだけで するとさざ波が寄せ返し 沖を白い帆が行き過ぎる ---------------------------- (ファイルの終わり)