梅昆布茶のおすすめリスト 2022年1月9日13時37分から2022年3月27日12時10分まで ---------------------------- [自由詩]まずは釘で傷をつけてから/ただのみきや[2022年1月9日13時37分] ヨナクニサン 大地の振り上げた鞭が三日月に絡んだ朝 重さを失くした新雪をふるい分けて這い出した ヨナクニサンの群れ マイナス8℃の空気をふるわせて厚い翅はゆらめく 縄文の焔 畏怖と言う美しい授かりもの 匂い そこかしこ蒼い陰をくぐり抜け侵食するものたちよ 縫い付けよう戯れの激しくもあえかな糸で 死者の便りのように耳朶を食むことば殺して 遊びのために とぎれとぎれ 思い起こす事は出来る 堆積した事実というぼた山のふもとで 人は育つものだ 世界に内包されている 天然の美を見つけ出すこと それを模倣することでは飽き足らず そのマッスを切り出して さらに純化して抽出しようとする 此岸彼岸を行き来して 創作という神の真似事に うつつを抜かしている ぼた山を掠めて射し込む 落日の餘光(よこう)に生の苦楽を讃えつつ 紡がれては編み上がる 暖色情緒の柄模様から こぼれ落ちての神隠し 人が夢の中で見て忘れている土地を 目覚めたままで徘徊して 金が欲しいと言いながら 金にならないものにしか のめり込んだことはなく 遊びのために生まれて来たと 思えばあきらめもまた楽しい ことばのためのことばたち 指先は瞑る ふれる場所から汚してしまう 分裂の祈りにも似た片言の墓場で剥製となって 春の蕾の中 羽衣は嫋々(じょうじょう)と 一点の深く濃い喪失を追いかける 杖をついた男の死と腐敗と白骨化 ことばの上にそっと乗せられた 気持ちの震え 花に止まった蝶を掌で包むように 水面の月のようにじっとしない 女が揺れているのか映すわたしか揺れるのか 酒瓶よりも青く揮発したこころ                    《2022年1月9日》 ---------------------------- [自由詩]探り吹き/壮佑[2022年1月9日14時54分]  探り吹き 小さな羽根飾りが付いた 中折れ帽子のヒデキさんは ハーモニカ歴六十年だ 楽譜は読まずにメロディーを 口で探って覚えていくから 僕は探り吹きだ、と言って笑う 特別養護老人ホームを慰問して 「ふるさと」や「旅愁」を吹くと 涙ぐむ高齢者もいるそうだ 「ハナミズキ」「涙そうそう」 「月光」「長い間」「桜坂」 今どきのJ‐POPを吹いたら 若いリスナーにも受けるのでは? 提案してみると うーん…… 丸顔メガネが考え込んでいる 探り歩くエリアの外の曲らしい 求める音を探り当てたら うん、これだ 次の音へ 楽譜にいつも大切なものが 書かれているとは限らない 大切なものを自ら探って歩いた 永い旅の終章を生きる人達に 懐かしい曲を聴かせている  ちょっぴり 黄昏のハーモニカ吹きは 浮かない顔でやって来ると 大きなお腹を深々とソファに沈めた 演奏会はどうでした? 全然ダメ ひどいもんだった あんなに不揃いになるとはねえ ああ情けない 情けない 老人大学祭のコンサートで 二十人くらいで合奏したのだけれど テンポがバラバラになったらしい まことに残念無念なご様子 オーバーオールに包まれたお腹が 今日は心なしか小さく見える 次また頑張ればいいじゃない 失敗しても何をしても あなたは秋風のハーモニカ吹き しょげっぷりが ちょっぴり 面白かった ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇一九年一月一日─三十一日/田中宏輔[2022年1月10日15時38分] 二〇一九年一月一日 「ウルトラQ」  元旦からひとりぼっち。ウルトラQのDVDを見てすごす。やっぱり、ウルトラQの出来はすばらしい。ちくわを肴に、コンビニで買ったハイボールも2杯のんで、いい感じ。ウルトラQ、涙が出るくらい、いい出来だ。 二〇一九年一月二日 「二つの卵」 二つの卵は とても仲良し いつもささやきあっている 二人だけの言葉で 二人だけに聞こえる声で 二〇一九年一月三日 「卵予報」 きょうは、あさからずっとゆで卵でしたが 明日も午前中は固めのゆで卵でしょう。 午後からは半熟のゆで卵になるでしょう。 明後日は一日じゅう、スクランブルエッグでしょう。 明々後日は目玉焼きでしょう。 来週前半は調理卵がつづくと思われます。 来週の終わり頃にようやく生卵でしょう。 でも年内は、ヒヨコになる予定はありません。 では、つぎにイクラ予報です。 二〇一九年一月四日 「卵」 あなたが見つめているその卵は あなたによって見つめられるのがはじめてではない あなたにその卵を見つめていた記憶がないのは それは あなたがその卵を見つめている前と後で まったく違う人間になったからである 川にはさまざまなものが流れる さまざまなものがとどまり変化する 川もまた姿を変え、形を変えていく その卵が 以前のあなたを いまのあなたに作り変えたのである あなたが見つめているその卵は あなたによって見つめられるのがはじめてではない あなたにその卵を見つめていた記憶がないだけである 二〇一九年一月五日 「リサ・タトル」  イギリスSF傑作選『アザー・エデン』さいごに収録されたリサ・タトルの「きず」を読んで寝よう。ギャリー・キルワースの掌篇3篇は笑った。質の高いアンソロジーだった。むかしはじめて読んだときも、アンソロジーとして、質が高いと思ったのだけれど。  リサ・タトルの「きず」を読み終えた。おもしろかったという記憶通り、おもしろい作品だった。内容は憶えていなかったのだけれど。きょうから、イアン・マクドナルドの『火星夜想曲』を読む。まあ、きょうは、後書きと冒頭の作品の一部で眠りにつくことになるのだろうけれど。楽しみだ。これは初読だ。 二〇一九年一月六日 「創卵記」 神は鳥や獣や魚たちの卵をつくった 神は人間の卵をつくった 卵は自分だけが番(つがい)でないのに さびしい思いがした そこで、神は卵を眠らせて 卵の殻の一部から もう一つの卵をつくった 卵は目をさまして隣の卵を見てこう言った 「おお、これこそ卵の殻の殻 白身もあれば黄身もある わたしから取ったものからつくったのだから  そら、わたしに似てるだろうさ」 それで、卵はみんな卵となったのである 二〇一九年一月七日 「朗読会の準備」  クリアホルダー20枚と用紙500枚を買ってきた。1月19日(土)の朗読会で配布する、ぼくの詩のテキストを印刷するためだが、いま考えているのは、18枚に相当する量で、30分の朗読では、多すぎるかもしれない。途中でやめるということも考えている。ザ・ベリー・ベスト・オブ・ザ・ベストだ。  わずか1時間で、1月19日(土)の朗読会の、配布用のテキストが印刷できた。頭のなかの計算では数時間かかると出たのだけれど、機械はすごいね。「王国の秤。」を落として、「マールボロ。」を採った。はじめて書いた詩である「高野川」から、最新作の「いま一度、いま千度、」まで、選びに選んだ。  朗読会は、1月19日の土曜日に京都の岡崎で催されます。もう予約でいっぱいなので、新しく参加されることはできないと思いますが。宮尾節子さん主催です。ぼくはゲストになっています。30分ほど朗読する予定です。(対談含めてかもしれませんが) 二〇一九年一月八日 「約束の地」 その土地は神が約束した豊かなる土地 地面からつぎつぎと卵が湧いて現われ 白身や黄身が岩間を流れ 樹木には卵がたわわに実って落ちる 約束の地 二〇一九年一月九日 「調子ぶっこいてバビロン」 そういえば きょう、仕事場で このあいだの女性教員ね そのひとに 「田中さんて なんで、そんなに余裕のある顔してるの つぎの仕事を探さなきゃならないっていうのに。」 なんて言われました。 べつに余裕のある顔してるんじゃなくって そういう顔つきなのっていうの。 ああ 調子ぶっこいてバビロン きょう 20数年ぶりにあったひとがいてね そのひとに さそわれちゃった、笑 ぼくの数少ない年上のひとでね 相変わらずステキでした 二〇一九年一月十日 「水根たみさん」  水根たみさんから、詩集『幻影の時刻』を送っていただいた。10行にも満たない短詩がいくつも載っている。長くても、14、5行。いさぎよい感じ。ここまで言葉を短くできるのかという思いで、詩行を読んだ。 二〇一九年一月十一日 「卵」 卵を割ると つるりんと 中身が 器のなかに落ちた パパが 胎児のように 丸まって眠っていた ぼくは お箸を使って くるくるかき回した パパはくるくる回った 二〇一九年一月十二日 「卵」 卵を割ると つるりんと 中身が 器のなかに落ちた ぼくはちょっとくらくらした ぼくが胎児のように 丸まって眠っていた ぼくは お箸を使って くるくるかき回した ぼくはくるくる回った ものすごいめまいがして 目を開けると 世界がくるくる回っていた 二〇一九年一月十三日 「空卵」 卵を割ると 空がつるりんと 器のなかに落っこちた 白い雲が胎児のように 丸まって眠っていた ぼくは お箸を使って くるくる回すと 雲はくるくる回って 風が吹いて 嵐になって ゴロゴロ ゴロゴロ ピカッ  ババーン って 雷が落ちた ぼくは 怖くなって お箸をとめた 二〇一九年一月十四日 「イアン・マクドナルド」  イアン・マクドナルドの『火星夜想曲』ぼくには読みにくい文体だ。ここ10日間ほどで、まだ数十頁しか読めていない。きのう、Amazon で、『三分間の宇宙』と『ミニミニSF傑作展』を買った。短篇SFのアンソロジーだ。到着するのが楽しみ。中断中の読書、3冊。楽しくない読書はやめるようにしている。 二〇一九年一月十五日 「卵」 コツコツと 卵の殻を破って 卵が出てきた 二〇一九年一月十六日 「卵」 コツコツと 卵の殻を破って コツコツという音が生まれた コツコツという音は 元気よく コツコツ コツコツ と鳴いた 二〇一九年一月十七日 「卵」 藪をつついて卵を出す 石の上にも卵 二階から卵 鬼の目にも卵 覆水卵に戻らず 胃のなかの卵 二〇一九年一月十八日 「『三分間の宇宙』と『ミニミニSF傑作展』」  何日かまえに、Amazon で注文した、SFアンソロジー『三分間の宇宙』と『ミニミニSF傑作展』が届いた。『三分間の宇宙』は新刊本のように、きれいだ。タイトルだけで、本文が一文字もない作品も載っている。そういえば、『源氏物語』にも、そういうものがあったかなあと記憶している。間違えてるかな? 二〇一九年一月十九日 「たくさんのひとり」 いま朗読会の1次会から帰ってきた。貴重な一日だった。  たくさんのひとりという言葉を使って朗読しておられた方がいらっしゃって、そうだね、ぼくたちは、たくさんのひとりだよねって思った。 二〇一九年一月二十日 「まーくんと、きよちゃん」  まーくんと、きよちゃん。ぼくの誕生日に、日知庵で、ぼくのために焼酎の『夢鹿』を一本、入れてくださったお客さま。お名前を憶えておかなくちゃね。とてもチャーミングなカップルだ。きよちゃんは、喜代子ちゃんというのが本名。とてもかわらしい女子だ。まーくんも同じく、とてもかわいらしい男子だ。 二〇一九年一月二十一日 「卵」 教室に日光が入った きつい日差しだったから それまで暗かった教室の一部がきらきらと輝いた もうお昼前なんだ そう思って校庭を見た 卵の殻に その輪郭にそって太陽光線が乱反射してまぶしかった コの字型の校舎の真ん中に校庭があって その校庭のなかに 卵があった 卵のした四分の一くらいの部分が 地面の下にうずまっていて その上に四分の三の部分が出てたんだけど 卵が校庭に現われてからは ぼくたちは体育の授業ぜんぶ 校舎のなかの体育館でしなければならなかった 終業ベルが鳴った 帰りに吉田くんの家に寄って宿題をする約束をした 吉田くんちには このあいだ新しい男の子がきて 吉田くんが面倒を見てたんだけど きょうは吉田くんのお母さんが 親戚の叔母さんのところに その子を連れて行ってるので ぼくといっしょに宿題ができるってことだった 吉田くんちに行くときに 通り道に卵があって ぼくたちは横向きになって 道をふさいでる卵と 建物の隙間に 身体を潜り込ませるようにして 通らなければならなかった そのとき 吉田くんが ぼくにチュってしたから ぼくはとても恥ずかしかった それ以上にとてもうれしかったのだけれど でもいつもそうなんだ ふたりのあいだにそれ以上のことはなくて しかも そんなことがあったということさえ なかったふりをしてた ぼくたちは道に出ると 吉田くんちに向かって急いだ 二〇一九年一月二十二日 「卵」 わたしは注意の上にも注意を重ねて玄関のドアをそっと開けた 道路に卵たちはいなかった わたしは卵が飛んできてもその攻撃をかわすことができる 卵払い傘を左手に持ち ドアノブから右手を静かにはなして外に出た すると、隣の家の玄関先に潜んでいた一個の卵が びゅんっと飛んできた わたしは さっと左手から右手に卵払い傘を持ち替えて それを拡げた 卵は傘の表面をすべって転がり落ちた わたしは もうそれ以上 卵が近所にいないことを願って歩きはじめた こんな緊張を強いられる日がもう何ヶ月もつづいている あの日 そうだ あの日から卵が人間に反逆しだしたのだ それも、わたしのせいで 京都市中央研究所で 魂を物質に与える実験をしていたのだ 一個の卵を実験材料に決定したのは わたしだったのだ わたしは知らなかった そんなことをいえば だれも知らなかったし 予想すらできなかったのだ 一個の卵に魂を与えたら その瞬間に世界中の卵が魂を得たのだ いっせいに世界中にあるすべての卵に魂が宿るなんてことが いったいだれに予想などできるだろうか といって わたしが責任を免れるわけではない 「これで進化論が実証されたぞ」と 同僚の学者の一人が言っていたが そんなことよりも 世界中の卵から魂を奪うにはどうしたらいいのか わたしが考えなければならないことは さしあたって、このことだけなのだ 二〇一九年一月二十三日 「きみは卵だろう」 バスを待っていたら 停留所で 知らないおじさんが ぼくにそう言ってきた ママは、知らない人と口をきいてはいけないって いつも言ってたから、ぼくは返事をしないで ただ、知らないおじさんの顔を見つめた きみは卵だろう 繰り返し、知らないおじさんが ぼくにそう言って ぼくの手をとった ぼくの手には卵が握らされてた きみは卵だろう 待っていたバスがきたので ぼくはバスに乗った 知らないおじさんはバス停から ぼくを見つめながら 手を振っていた 塾の近くにある停留所に着くまで ぼくは卵を手に持っていた 卵は、なかから何かが コツコツつついてた 鶏の卵にしては へんな色だった 肌色に茶色がまざった そうだ まるで惑星の写真みたいだった 木星とか土星とか水星とか どの惑星か忘れたけど バスが急停車した ぼくは思わず卵をぎゅっと握りつぶしてしまった 卵の殻のしたに小さな人間の姿が現われた つぎの停留所がぼくの降りなければならない停留所だった ぼくは殻ごとその小人を隣の座席の上に残して立ち上がった その小人の顔は怖くて見なかった きみは卵だろう 知らないおじさんの低い声が耳に残っていたから 降りる前に一度けつまずいた ぼくは、一度も振り返らなかった 二〇一九年一月二十四日 「テーブルの上に残された最後の一個の卵の話」 透明なプラスティックケースのなかに残された 最後の一個の卵が汗をびっしょりかいている 汗びっしょりになってがんばっているのだ その卵は、ほかの卵がしたことがないことに 挑戦しようとしていたのだった 卵は、ぴょこんと プラケースのなかから跳び出した カシャッ 二〇一九年一月二十五日 「記憶」  ふと、京大のエイジくんのことを思いっきり思い出してしまって、そのエイジくんに似ている、いま好きな子とのあいだに、いくつもの共通点があって、人間の不思議を感じる。もしかしたら、人間って、ひとりしかいないのかもしれないって思ったことがある。ただひとりの人間が、何人もの人間のフリをしたがって、何人もの人間のように見えてるだけじゃないのかって。そう思えるくらいに、似ているのだ。顔ではない。雰囲気かな。魂かな。姿かたちではないものだ。ああ、そんなことを言えば、ヒロくんとも似ている。みんな、同一人物じゃないのかってくらい。しかし、これは錯覚だろう。ぼくの脳が、何人もの人間を結びつけようとしているだけで、ひとりひとりまったく違った雰囲気、魂をもっているのだろうから。ただ、脳の認識のうえでは、何人もの人間がひとりに見えることがあるというだけで。けさ、ノブユキの夢を見た。もう25年もまえの恋人を。 二〇一九年一月二十六日 「断片」  ひとはそれぞれの人生において、そのひと自身の人生の主人公であるべきである。したがって、他者に対しては、自己は他者を生かす背景に退かなければならない。けっして他者の人生において、自分が主人公となってはならない。と同時に、自己の人生において、他者を主人公にしてはならない。さまざまな感情に振り回されることのない、たしかなものがほしい。ひさしぶりに訪れた建仁寺の境内の様子は、子どものときに記憶していたものとすっかり違ったものになっていた。わたしの子どものときには、わたしたち子どもたちの姿があちこちに見られた。高学年ならば野球の真似事をしていたのではなかっただろうか。低学年ならば、境内の公園の遊具を用いて遊んでいたものであった。池が二つあった。その一つで、わたしたち子どもたちは、よくザリガニ獲りをしていた。そんな光景は、いまは、どこにもない。子どもたちの姿さえ、どこにも見当たらないのだった。訪れるのは、わたしのような役人か、政府関係者か、切腹を見にやってくる外国人くらいのものであった。戦後になって、首都が東京から京都になり、切腹会場が東京から京都に移されて、建仁寺の境内の様子が様変わりしたのであった。ズズッという音がしたので振り返った。ホムンクルスが串刺しになった。わたしは立ち上がって、男の顔を見た。男はいやしい身なりの霊体狩りで、齢はわたしと同じくらいか、少し上であったろうか。「ここは聖なる霊場である。ここでホムンクルスを獲ることは禁止されておるはず。」男は少しもひるまず、こう答えた。「お役人さまは、お知りじゃないんですね。このあたりでも、近頃は、醜いホムンクルスが徘徊するようになって、わっしらのような者に、ホムンクルスを狩るようにお達しが出されたんでさ。」わたしは自分の無知を恥じて、口をつぐんだ。男はそれを悟ったかのようないやらしいニヤけた笑いを顔に浮かべて、突き刺したホムンクルスを腰にぶらさげた網のなかに入れた。傷ついたホムンクルスの身体から銀白色の霊液が砂利のうえに滴り落ちた。「このホムンクルスのように、化け物じみた醜いホムンクルスたちが増えたのは、つい最近のことですが、ご時世なんでしょうな。」「それ以上、口にするな。」わたしは男を牽制した。どこに目や耳があるかもしれなかった。政治に関する話は、きわめて危険なものであった。男の姿が目のまえから消えてしばらくしてからも、わたしの身体は緊張してこわばっていた。肉体的な苦痛ほど恐ろしいものはない。わたしはそれを熟知していた。なぜなら、わたし自身が拷問者だからだ。わたしにわからない。どうして苦痛が待っているのに、男も女も、日本人も外国人も、反政府活動をするのか。第二次世界大戦で、日本がアメリカに勝ち、アメリカを日本の領土としてから、もう二十年以上もたつというのに、アメリカを日本から独立させようなどという馬鹿げた運動をするのか。国家反逆罪は死刑である。死刑囚から情報を引き出すために拷問するのが、わたしの仕事であった。また、眼球や内臓を摘出したあと、エクトプラズムを抜くために、わたしたちの手から術師たちの手に渡すのだが、そのまえに、まぶたと唇の上下を縫い合わせるのだが、その役目も、わたしたちは担っていた。 二〇一九年一月二十七日 「イマージュ」  鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピンの微笑みのエスカレーターの瞑想の溜まり水の肘掛け椅子の小鳥の映画館の薬莢の古新聞の電信柱の蜜蜂の肘掛け椅子のビニールの牛の藁屑の理髪店の新幹線のレモンの俯瞰の花粉の電気椅子の首吊り台の雲のいまここのいつかどこかのかつてそこの自我の密告者の麦畑の船舶のカンガルーのエクトプラズムのハンカチの襞の寄木細工の草の内証の等級の新約聖書の自明の連続のオフィーリアの多弁の乾電池の朝食の時計のトランプの絆創膏の護符のバインダー・ノートの孔子の老子の荘子の政府承認の散文の韻文の抑揚の踏み板の首吊り縄の勲章の衣装のルーズ・リーフのコンセントの歌留多の帽子の絵空事の逮捕の証明書のぼっきの遺伝性機能障害の検査官の杜甫の陶淵明の去勢の描写の退屈のスパイ行為の旧約聖書の情念のサボタージュの堕落の壁の政治的偏向の因果律の表現のタイルのタオルの葱の小松菜の逐電の代謝作用のレコードのハミガキチューブの古典の技巧の細胞の組織の飛び領土の直線の亡霊の故郷の世界のコーランの原始仏典のチャートの汗の株式相場の計算用紙の意味の構造の漢字の経験の翻訳の瞬間の全体の官能の食料品店の心臓病の収集の薬玉の土曜日の寝台の手袋の顔の曲がり角の森羅万象の金魚の石榴の自転車の蝙蝠の幸福の鉄亜鈴の約束の珊瑚の嵐のつぐみの左手の教理問答の彫像のゼニ苔のウミガメの無関心の修練の献血の飛行機のつぼみの砂肝の道標の犯罪者の群青の異端者の刑罰の電極のチョコレートの意識の知覚の因果関係の非能率の膝頭の壺の光の風景の事物の言葉の音の葉脈の噴水の羽毛の噴水の間違いの存続の鼓動の樹冠の犬の亀裂の娯楽の技法の臨界の砂浜の蚊柱の鍵束の呼吸の神話の紙やすりの座薬の継母の自然の服従の奢侈の経路の埃の食虫植物のヨットレースの舌打ちの撫子の洗面台の受話器の因果律の告発の周期の背中の万葉集の釘抜きの微笑みの悲しみの平仮名の山脈の軍需工場の贓物占いのスパンコールの麻痺の渦巻きの赤錆の手術室のハンバート・ハンバートの考察のジュリアン・ソレルのスポーツ観戦のドン・ジョバンニの俳句の勢子のDNAの砂糖菓子の証言の肉体のコマの胡麻の素朴の軋轢の潜在的同性愛者の有刺鉄線の単位の美の事情の技術の不穏の明晰のヒキガエルの知識の木炭の発音の魂の売春宿の特権階級の太平記の嘘の真実の異議の働きの輸入品の人生の隔離状態の接触の摩滅の物語の現実の井戸の存在の舞踏家の無為の沈黙の殖産興業の小太鼓の原爆の違反者の抑揚のカインの営みのアベルの形容詞の通年の活版印刷のミンチカツ・ハンバーガーの猿の微振動の猫の霞の圧迫の雨の回転運動のマルガレーテの対称移動のジュリエットの杖のハムレットの翼のリア王のショッピングモールの芭蕉のファウストのアーサー王の神のコーヒーのクーラーの破局の悶えのカメラの糊のポールのジョンのジョージのリンゴの黒人の白人の哲学の季節の偏見の創造の黄色人種の骸骨のピンクの仮定の青の紫の向日葵のニガヨモギの裸電球の暁のクエン酸の馬頭星雲の薄暮の朝日の真夜中の正午の文庫本の図鑑の辞書の感情のボール箱の物証の治療のダイダロスの歯ブラシの比喩のエンジンのタオルの事典の韻律の休暇の雑誌の孤独の叫びの螺旋の出来物の表面の剃刀の括約筋の潰瘍の内部の露台の鱗の声のモザイクの交接の繊毛の接触の屏風の喉の階段のイメージの現実の波の肉体の焦点の麻薬の足音の旋回の儀式の背骨のゲップの名残のジャイロスコープの出産の弾丸の迷信の拷問の凧の深淵の堕落の緊急の排泄の漆黒の禿の勝利の偏光のクラゲの恥辱の放棄の愚連隊の弾丸の象牙の皮膚の響きの切り株の人混みの廃墟の高木の茂みの鈴の模様の繁殖の移植の抱擁の恍惚の布地の汚染の睦言の大衆の蔓の火打ち石の海鳴りの緊張の気泡の道の根の演技の橇の憂鬱の記録の噴水の壁掛けの緊張の眉毛の習慣の屈折の桟橋の平面の棍棒の瘡蓋の乳房の眉毛の真珠の刷毛の挨拶の信頼の解説の休息の襲撃の陰毛の物語の誤解の躊躇いの雑草の炎の物腰の強さの弱さの根の結晶の魂の寄生虫の万華鏡の曖昧の覇者のタクシーの騒動の鶏の胃の腸の肺の歓喜の音階の神秘の感触の一枚の溝の隠喩の霧の伸縮自在の追跡の恋歌の波紋の潅木の鳴子の象徴の人間の爆発の楔形文字の饗宴の旋律の木造のトマトケチャップの福音の隣人の頭蓋のマヨネーズの手術の霊感の悲劇の定期券の寝室の読み物のオーバーヒートの性的倒錯の頌歌の凸凹の司祭の蹄鉄の溺死の瞳の狼狽の非在の歓楽街の親指の精神安定剤の地雷の空集合の枯れ枝の跳躍の共鳴の消滅の象形文字の有刺鉄線の存在様式の境界の騙し合いの切符の跳躍の湿疹の手榴弾の田園交響曲の警察の驚愕の手紙の片隅の無人の胸部の思春期の急流の未遂の図書館の地平線の群集の無意識の自動皿洗い機の運動靴の周辺の臍の観覧車の憂いの銀紙のバス停の花壇の白旗のこめかみの頂点の吊革の吸い取り紙の懺悔の踏み越し段の籠の頬の妄想の劇場の陶器の奴隷の囀りの膨張の波動の唸りの洟水の背鰭の軋りの偶然の朝市の被写体の動揺の威厳の木っ端微塵の藪睨みの反復の審問の実体の瞼の突起物の語彙のこおろぎの微熱の絨毯の鼻梁の契約の気配の吟味の喪服の目配せの持ち前の雨音の滑走の武装解除の欄干の義足の上辺の胎動の瀕死の橋梁の指令の血筋の刹那の痙攣の沸点の波間の花びらの権利の水圧機の衝動の触角のエレベーターの符牒の生簀の眩暈の養子の鍾乳洞の数年前の例外の浴室の蛹の駐車場の破片の台風の動機の水槽の容貌の承認の純粋の迷走の虐待の美徳の跳躍の旋律の使徒の足蹴りのなだれの帽子の眩しさの犠牲者の観念論の悔恨の擦れ違いの城壁の封印の漣の尾鰭の輪郭の盲人の狼藉の趣味の国家の行列の神経の迷走の起源の解毒剤の穿孔器の元老院の深層心理の遠心分離機の異星人情報局の紙くずの摘み手のひと刷毛の滑稽の満足感の化粧のピーナツバターの自学自習の生まれ育ちの執刀医の瞑想の血管の謝罪の難点の相殺の花盛りの孵化の把手の留置場の小枝の虹彩の心無しの面影の量子ジャンプの軌道追跡装置の永劫の揮発性の移植の化石の返信の新陳代謝の斥力の割増料金の一瞥の孤島の昏睡状態の拒絶の意思疎通の略奪の新聞紙の弛緩の興奮の先祖の液体酸素の空腹の引力の映写機の緊張の王さまの兆候の激痛の湖岸の人形の難点の不機嫌の習わしの多幸症の瞬きの処方箋の暗黙の減圧室の妥協の茫然自失の物真似の長時間の告白の岸辺の意識の汚染の取り違えの真実の屈辱の芥子の静寂の袋小路の伝染病の微笑の訂正のガラガラのグリグリのバリバリの前歴の水流の偽りのアルマジロの段々畑の糸巻きの憎悪の残量の動作の咽喉の胚芽の悲哀の範囲の潜水艦の闘技場の試験結婚の饒舌の回収の両眼の縫合の禿げ頭の交信の大気圏突入の円環体の蜃気楼の胎児の壁紙の軌道の妊娠の避難の礼儀の汚染の鰐の催眠術の継ぎ目の急降下の輪転機の蜜蜂の大津波の胞子の渓谷の雷電の擬態の翻訳の慈善家の熱風の水蒸気の蝶の消化不良の象の幽霊の結び目の放浪の隊列の嫉妬の抱擁の泥炭質のまがいものの便箋の日没の狩猟場の音楽室の地すべりの電位差の巻き毛の官吏の凝結の鯨の剥製の宇宙飛行士の絶滅の理解の落下の殺戮の交換台の精神改造の戦さ化粧の徘徊の悩みの宇宙人同形論者の基盤の異種族嫌悪症の構造の大股のないがしろの塊の否定の状況の遮断の崇拝の間違いの鉄くずの水牛のスキャンダルの脊髄液の霊魂の繊維のひき蛙の陳列の宿命の費用の輻射熱の横笛の腐敗の還付の突然変異の反動の不意打ちの頭文字の輸出入の塒の呪いの錯覚の鸚鵡の所要時間の合唱の正体の檻の足元の思案の貧困の呟きの鉱山の傍観の砂漠の踊りの爬虫類の演説の凝視の折柄の初耳の彫刻家の爆破! 二〇一九年一月二十八日 「美しい言葉」 荘子は、美しい言葉は、燃え盛る炎のようだと書いていた。 二〇一九年一月二十九日 「ジャック・ケルアック」  未読だったケルアックの本を読む。「ディテールこそが命なのだから。」(ケルアック『地下街の人びと』2、真崎義博訳、新潮文庫100ページうしろから4行目)この言葉以外、目をひくところは、どこにもなかった。とくにこころ動かされる場面も描写もなく、ただただだらしない文体がつづいていく小説だと思った。 二〇一九年一月三十日 「荒木時彦くん」  荒木時彦くんから、詩集『crack』を送っていただいた。余白をぞんぶんに使いこなした、といった印象の詩集だ。 二〇一九年一月三十一日 「西原真奈美さん」  西原真奈美さんから、詩集『朔のすみか』を送っていただいた。朗読会でお聞きした「箱買い」という言葉に再度、出くわして、ぼくにはなかった経験をなさっているのだなあと、あらためて思った。「次の重さ」も重たい気がして、ひさかたぶりに重たい詩を読んだ気がした。 ---------------------------- [短歌]自然体/夏川ゆう[2022年1月10日19時37分] 柔らかい山の匂いでリラックス山に入れば直ぐ自然体 桜咲きチューリップも咲いていた急な暑さで時期が重なる 入院の友に桜の動画送る「桜が見たい」そのメール見て 四月でも月前半でも夏のよう花冷えという言葉を探す ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]年明けからの毎日/番田 [2022年1月10日19時43分] 何かを感じ取っている、存在していることによって、電車の音を聞いているようにして。年が明けてからすることもなく、スーパーで野菜を買う以外はこれといった行動をしたことはなかった。呼吸を繰り返しているだけの檻の中の動物にも似ていた。知るべき、何かがあった気もしたけれど。食事を、時には、作っていた。ラジオからは新しいウイルスの蔓延を告げる情報が発せられていた。今回は、特に、警戒をする必要もないウイルスなのだという。そんなウイルスを、ウイルスと呼んでよいのかわからなかった。僕はうどんをよく作っていた。鳥である場合が、具としては多い。時には、何か他の食事を考えねばと思っていた。しかし、それを食べることばかりが続いている。そばでもいいから茹でるべきなのだろう。しかし、そばは切らしていた。夏の間はよく食べていたが、在庫がないままだった。買い出しに出かけるときにはいつもそのことは忘れていた。 図書館で借りていた本は、読みきれずに終わりそうだった。この本を借りていたときは、まだ、外は暖かさが残っていた気がする。記録的な大雪が北海道では心配されていた。新潟においても雪は何もニュースにもならずに過ぎていくほどなのだから、相当なものなのだろう。そんなことを考えていると、不意に、少しだけ寂しくもなったりもした。友達は皆、結婚してしまった。関係のあった女の子も、今では、一児の母親だった…。僕は、今では都会を離れて、郊外で暮らしている。そうしない理由もあまりなくなったからだった。誰かと、代々木公園で毎週のように会っていたのはいつだっただろう。今でも池の畔ではあの噴水は上がっているのかもしれない。記憶というものは誰にとっても良いものであったりもするけれど、僕はそれ自体をなくしていきそうな不安が今はあった。記憶の中にいる僕を取り戻したいと、季節の中で考えたりもする。意味は、何もないようだった。それは、誰にとっても、同じなのかもしれないが。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ライタァジェノサイド/月夜乃海花[2022年1月11日2時35分] 人には書く理由がある。 ただ、自分の感性を見せつけるため。 ただ、ありのままの文字を色付けるため。 ただ、そこに紙があるため。 「何故、僕が物語を書くのか?」 「簡単な話だ。文章を書くということ程、便利なものは無い。たった一行で誰かの人生を表すことが出来る。例えば『彼は戦時中に生まれ、戦後数年で死んだ。』これだけで、彼という人物は生まれて、殺されたのだよ。私の手でね。」 「どんな馬鹿でも紙面の上では神になれる。それが文章だ。どんな凡人でも天才を作ることが出来る。文字という色を混ぜて、奏でてね。色彩にも音符にも限界がある。だが、文字は無限だ。どんなに混ぜたところで、真っ黒に濁ったり、騒音で喧しくなったりはしない。さぞかし、素敵だとは思わないか?」 彼は少し特殊な小説家であった。というのも、彼の書いた作品の登場人物は最後には必ず全員亡くなるのだ。それが言わずもがな、賛否両論となり話題になった。 「人は神を創るのが大好きだ。その癖に神が出来た途端に嫉妬する。嫉妬して、怯えながら生きていく。自分が神の影になって忘れられないように。神を崇めるふりをして、実質ただ迷子になるのを嫌がっているだけさ。僕はね。そんな馬鹿な人間が大嫌いで、それでも面白くて、愛せるかどうか、ただ悩んでいるところなのだよ。一種の暇つぶしとでも言うのかな?」 「さて、本題に移ろうか。どうして僕の作品の人物は皆死ぬのかを聞きにきたのだろう?どうして、と言われてもそう定められたとしか言えないのだがね。先程も言った通り、たった一行で誰かを生み出すことは出来る。そして殺すことも出来る。もしくは生かすことも出来る。仮に君が小説の中の人物だとしたら、どちらが良い?小さな物語で美しく幕を閉じるか、それとも中途半端に描かれたまま、続きが書かれるのを待ちながら幽霊のように彷徨い続けるか。或いは他人に勝手に自分の人生を決めつけられるかもしれないね?文章を読むというのはややこしくてね。読む人が多いほど、書面の登場人物の生き方が増えていくのさ。」 「僕が彼らを殺すのはね。僕にとっての償いなのだよ。エンタァテイナァとして人々の人生を産んでしまった神としてのね。僕のことを『書面の快楽殺人鬼』と呼ぶ人もいるようだけれど、ただの懺悔を繰り返してるだけの影だよ。彼らを見世物にしてしまった。彼らを勝手に産んでそして被害者にしたり、加害者にしたり、本当は平穏な人生を送りたかったかもしれないのに壮絶な人生にしてしまった。僕の償いは彼らに届くだろうか。僕が生み出したのは物語というただの見世物小屋に過ぎなかった。」 彼は万年筆をくるりと掌で回して嗤う。 「さて、君はどうしたい?ここで死ぬか、それともまだ他人に勝手に人生を創造されるのを待つか。これで最期だ。」 万年筆は、いや、万年筆を持った影はぐにゃりと小説家に近づく。万年筆は緩やかにカーブを描いて小説家を刺した。108回。彼が小説に出した登場人物の人数を。彼の目や手は黒く滲んでいった。 「ああ、それで良い。僕も所詮は書面の上の神だ。やっと楽になれる。創られた神は案外辛いものだ。次は君の番。だろう?」 そして、この小説家もまた生み出されて殺された人物となった。 もう万年筆は動かない。 なんて。そんな筈は無く。 万年筆は待っている。 誰かが持つのを。そして、繰り返す。 一種の箱庭の御伽噺。 ---------------------------- [自由詩]空いろ/草野大悟2[2022年1月11日12時32分] どこかに、 たしかに、 あるよね。     公園の枯れ葉を這う蟻を見つめながら あなたが言う。 どこかに、  たしかに、 なんか あるわけないよ。 散りかけの白い山茶花を眺めながら  おれが言う。      くりかえされる 二人のえいえんは、 空いろをしている。   ---------------------------- [自由詩]魔導帝国アルスガルデ/朧月夜[2022年1月11日12時36分] ゴルドウィンは、エランドルの執着がどうしても理解できなかった。 ゴルドウィンは、エランドル・エゴリスに詰め寄った。 「なぜ、新しい世界を導いて行こうとしないのか。  お前にはその才覚も、カリスマもあるではないか……」 それに対して、エランドル・エゴリスは答えたと言われている。 「ゴルドウィン・アルゴよ、お前は間違っている。わたしは……」 その後の言葉は失われている。 だが、エランドル・エゴリスはたしかに世界一の魔導士だった。 エランドルと決別したゴルドウィン・アルゴは、 グリーリア人という亜人種を生み出し、 南半球に巨大な魔導帝国を作った。それがアルスガルデである。 その末裔の一つが、エインスベルの故郷でもあるファシブルの国である。 アルスガルデは約千年に渡って繁栄したが、 内部抗争によって滅んでしまった。今は、その遺跡だけが残っている。 ---------------------------- [自由詩]冬の雨(改訂)/ひだかたけし[2022年1月11日14時27分] 雨の一滴が右手の甲に 落ちた ズシリと 重たかった ミシリと 胸の空洞が鳴った 私は慌てて滴を振るい落とした 軋む胸が一瞬、 張り裂けそうになって ---------------------------- [短歌]空洞・三月/はるな[2022年1月11日17時24分] もう来ない誰かの代わりに花を折り 空洞がまた広がっていく はじめからないものばかりを失って 立ち上がるたびに笑う三月 ---------------------------- [自由詩]林檎/TwoRivers[2022年1月11日20時22分] 林檎が声を殺して 泣いている 想像ですが ずっと信じていたことが 裏切られたのでしょう 聞き飽きた励ましの言葉では 林檎は泣き止みません 境界面に滲み出ている 涙みたいな光が 優しく諭す (忘れた頃に報われるから) (次会う時は初めまして) 林檎が声を殺して 泣いていた 引き裂かれそうなその姿は いつの間にか 眠った時のように 見えなくなった ---------------------------- [自由詩]あの娘はあんな子だ/坂本瞳子[2022年1月11日22時25分] あの娘はあんな子だ 指折り数えているのは なにかを数えている訳ではなくて 人の目を引くためだ あの白い肌輝くか細い指が折られるのは 誰だって見ていたいものさ あの娘はあんな子だ 幼い子に混じってゴム飛びをしたりして スカートを翻して 飛んだり跳ねたりして あの細いくせに肉付きのいい長い脚だもの 誰だって見ていたいものさ あの娘はあんな子だ 考え事をしているように首を傾げたりして 時折長い艷やかな黒髪を掻き上げるようにして 耳にかけたりする そしてさりげなく白い項も見せつける 誰だって見ていたいものさ あの娘はあんな子だ 人の視線というものを意識して浴びている 影でなんと言われようと気にしない 誤解なんてもろともしない 自らの美しさを増強させる姿は勇ましくもあり 誰だって見ていたいものさ ---------------------------- [自由詩]ボール紙/番田 [2022年1月12日0時26分] 見えない事物の明るさとして その手に触れようとしていたものは どんなものなのだろう 書かれた紙の上にあるものは ---------------------------- [自由詩]無垢の人/ひだかたけし[2022年1月12日18時46分] また白痴な顔を晒し 振り返る君の孤独はやるせない 冬の大空に羽ばたいて 青い大気を吸い込んで 静かに呼吸を繰り返す 君の無垢は無限の広がり いつかの不在を先取りし 果てなくラアラア唄っていく* 生まれ落ちたのはいつの日か 消えていくのはいつの日か 不断の忘却を反復し 無限の大洋を渡っていく ラアラア無垢な声響かせ 無限の大洋を渡っていく (いつしか光りが狼煙上げ 母なる大地を引き裂いて 君の久遠の本性を 眩暈のうちに露わにする そのとき君は悠然と 快と不快から引き離たれ 未知なる次元へおもむいて ) *中原中也『都会の夏の夜』より ---------------------------- [自由詩]眼鏡をかけた彼の人は/坂本瞳子[2022年1月12日21時58分] 眼鏡越しのその眼差しは やさしそうにも 悲しそうにも見えて 決して本音を見せてはくれないのだと 寂しくなる 意地悪をしてみたら 意地悪を仕返してくれるだろうか 眼鏡を取り上げたら むきになって取り返そうとするだろうか 私はよっぽど性根が悪いらしい 分かったふりをする気はないのだけれど 寄り添いたいと思っている いいえ 寄り添って欲しいというのが正確だ 思っているだけで行動が伴わないから 気持ちが伝わらないのだろう だけど言葉にするとそれはとても嘘のようで 誠実さを求めて今日も彷徨っている ---------------------------- [自由詩]水筒の風景/番田 [2022年1月13日0時36分] 昔僕は見ていたのだ 遠くの校門の風景を そこを通って立ち去った日の景色を 歩いていた 確かに 僕は 緑の絵を描いていた日も  ロータリーの駅前の寂れた空で 目立っていたのは パチンコ屋 グーグルで表示した時には もう あの頃のCDショップの賑わいは無く 西日の差したホテルの影も無くなっていた 電車に乗って 僕は まだ舗装されたばかりの駅から 帰った もうすぐ卒業だというのに このホームを踏まずに帰るのはもったいないと いつもの電車の窓から 青い田んぼを見つめていた ---------------------------- [自由詩]※五行歌/まぐろは、はしる/足立らどみ[2022年1月13日5時53分] あおいうなばら まぐろは、はしる DHAに 浸したまなこで 世界をみながら ---------------------------- [自由詩]水奏楽/塔野夏子[2022年1月13日11時45分] 月も星も潤む宵に 身のうちに水奏される調べがあり その調べを辿ってゆくと やわらかな彩りでゼリイのようにゆらめく ちいさなユートピアがあらわれる ---------------------------- [自由詩]ひとり/ひだかたけし[2022年1月13日17時48分] 抜けるような 美しさを保ったまま 時が経過する 微かに 彼女の息遣い 振る舞われる 原色の舞い 忘れさられて 過ぎ越して 上昇する 下降する もう一つの世界 もう一つの夜 もう一つの可能性 視界が開け  遥かな未知を 辿っていく 今 わたしがひとり ここにいる ---------------------------- [自由詩]み空のうた/ひだかたけし[2022年1月14日19時13分] ハロー、ハロー 青い旗が揺れている 燦々と降り注ぐ光のなか どてら姿のおじいさんが過ぎ わたしはイートインでコーヒーを啜る 長閑な午後の一時です 雪の吹雪く北の国 寒風吹き荒ぶ東の国 高いみ空から降って来る 一つの静かな宿命です ---------------------------- [自由詩]地下鉄/はるな[2022年1月16日12時44分] 地下鉄の 甘ったるい渇望を乗り継いでる どんな嘘も許されるし どんな事実も みのがされる そういう街で わたしは スピードに乗るのをおぼえたのだ ---------------------------- [自由詩]詩の日めくり 二〇一九年二月一日─三十一日/田中宏輔[2022年1月17日20時27分] 二〇一九年二月一日 「現代詩集」  集英社から出た『世界の文学』のシリーズ、第37巻の『現代詩集』は、まず学校の図書館で借りて読みました。のちのち、ネットの古書店で買いました。ウィドブロの『赤道儀』など、すばらしい詩篇がどっさり収録されていました。500円で買ったかと思います。送料別で。 二〇一九年二月二日 「Amazon」 これを嗅いだひとは、こんなものも嗅いでいます。 これを噛んだひとは、こんなものも噛んでいます。 これを感じたひとは、こんなものも感じています。 二〇一九年二月三日 「波と彼」 「波のように打ち寄せる。」というところを 「彼のように打ち寄せる。」と読んでしまった。 寄せては返し、返しては寄せる彼。 二〇一九年二月四日 「作品」  今月、文学極道に投稿した2作品が、じっさいの体験をもとにしたものだということに気づくひとはいないかもしれない。ぼくの実体験じゃなくて、ぼくの恋人や友だちやワンナイトラバーの実体験をもとにしたものである。人間とはなんと奇怪な生きものなのであろうか。じゃくじゃくと、そう思いいたる。 二〇一九年二月五日 「俗だけれど」  ジャン・マレーの自伝をブックオフで108円で買う。ジャン・コクトーの詩集未収録詩篇が巻末に数十篇掲載されていて、読んだ記憶がなかったので、買うことに決めた。まだパラ読みだけれど、ジャン・マレー自身の記述の細やかなことに驚く。よい買い物だった。古書店めぐりをしていて、はじめて目にした本なので、その点でも、手に入れられて、うれしかった。 二〇一九年二月六日 「詩は言語の科学である。」 「詩は言語の化学である。」としたら、だめだね。あからさま過ぎるもの。 二〇一九年二月七日 「若美老醜」  若い頃は、年上の人間が、大嫌いだった。齢をとっているということは、醜いことだと思っていた。でも、いまでは、齢をとっていても美しいひとを見ることができるようになった。というか、だれを見ても、ものすごく精密につくられた「もの」、まさしく造物主につくられた「もの」という感じがして、ホームレスのひとがバス停のベンチの上に横になっている姿を見ても、ある種の美的感動を覚えるようになった。朔太郎だったかな、老婆が美しいとか、だんだん美しくなると書いてたと思うけど、むかしは、グロテスクなブラック・ジョークだと思ってた。 二〇一九年二月八日 「あっちゃ〜ん!」 「あっちゃ〜ん!」ときには、「あっちゃ〜ん! あっちゃ〜ん!」と二度呼ぶ声。父親がぼくになにか用事を言いつけるときに、二階の自分の部屋から三階にいるぼくの名前を呼ぶときの声。ずっといやだった。ぞっとした。気ちがいじみた大声。ヒステリックでかん高い声。 二〇一九年二月九日 「ジキルとハイジ」 クスリを飲んだら ジキル博士がアルプスの少女ハイジになるってのは、どうよ! スイスにあるアルプスのパン工場でのお話よ ジャムジャムおじさんが作り変えてくれるのよ 首から上だけハイジで 首から下はイギリス紳士で 首から上は 田舎者の 山娘 ぶっさいくな 女の子なのよ プフッ さあ、首をとって つぎの首を 力を抜いて さあ、首をとって つぎの首を 首のドミノ倒しよ いや 首を抜いて 力のダルマ落としよ 受けは、いまひとつね プフッ ジミーちゃん曰く 「それは、ボキャブラリーの垂れ流しなだけや」 ひとはコンポーズされなければならないものだと思います だって まあね ミューズって言われているんですもの 薬用石鹸 ミューウーズゥ〜 きょうの、恋人からのメール 「昨日の京都は暑かったみたいですね。 今は長野県にいます。 こっちは昼でも肌寒いです。 天気は良くて夕焼けがすごく綺麗でした。 あつすけさんも身体に気をつけて お仕事頑張って下さいね。」 でも、ほんまもんの詩はな コンポーズしなくてもよいものなんや 宇宙に、はじめからあるものなんやから そう、マハーバーラタに書いてあるわ 二〇一九年二月十日 「実感」 あ、背中のにきび つぶしてしもた ささいな事柄を書きつける時間が 一日には必要だ 二〇一九年二月十一日 「彼女は」 彼女は波になってしまった。 彼女は彼になってしまった。 二〇一九年二月十二日 「ウォルター・テヴィス」  ウォルター・テヴィスの短篇「ふるさと遠く」がSFアンソロジー『三分間の宇宙』に含まれていた。わずか3ページ半だ。最新の訳を数か月まえに読んだのだが、40年まえの翻訳で、また読もう。もう、5度目くらいだ。味わい深い傑作だから、よい。それにしても短い。短いヴァージョンだったりしてね。 二〇一九年二月十三日 「ヴァン・ヴォクト」  ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号』を堀川五条のブックオフで、82円で買った。持ってたはずなのだけど、あらためて自分の部屋の本棚を見てなかったからだ。82円というのは、2月17日で店じまいでということで、80%引きということでだった。一部は読んだ記憶はある。ジュブナイルもので。 二〇一九年二月十四日 「バレンタインチョコ」 きよちゃん、きょうこさん、藤村さんからバレンタインチョコ。 二〇一九年二月十五日 「B級ばっかり」  よく行くレンタルビデオ屋がつぶれたので、山ほどDVDをもらってきた。さきに、若い子たちが、若い男の子たちが有名なものを持って行ったあとなので、ぼくは、あまりもののなかから、ジャケットで選んでいった。ラックとか、椅子とか、カゴとかも持って行っていいよというのでカゴを渡されて、ま、それで、DVDを運んだんだけどね。でも、見るかなあ。ぼくがもらったのはサンプルが多くて、何ていうタイトルか忘れたけど、一枚手にとって見てたら、店員さんが、それ、掘り出し物ですよって、なんでって訊くと、まだレンタルしちゃいけないことになってますからね、だって。ううううん。そんなのわかんないけど、ぜったい、これ、B級じゃんってのが多くて、見たら、笑っちゃうかも。でも、ほんとに怖かったら、やだな。ホラー系のジャケットのもの、たくさんもらったんだけど、怖いから、一人では見れないかも。ヒロくん、近くだったら、いっしょに見れたね。あ、店員さん、「アダルトはいらないんですか?」「SMとかこっちにありますけど」だって。けっきょく、SMも、アダルトももらってない。もらってもよかったのだけれど、どうせ見ないしね。そしたら、若い男の子が、ここ、きょうで店じまいですから、何枚でも持って帰っていいみたいですよって言ってくれて。その男の子、ぼくがゆっくりジャケット見て選んでるのに興味を持ったらしく「みんな、がばっとかごごと持って帰るのに珍しいですね」と言って、さらに、近くにお住まいですかとか、一人暮らしですかとか、笑顔で訊いてくるので、ちょっとドキドキした。前に日知庵で日系オーストラリア人の男の子にひざをぐいぐい押し付けられたときは、うれしかったけど、困った。恋人がいたので。で、きょうの子も、明日はお仕事ですか、とか、早いんですか、とか訊いてきたので、あ、もう帰らなきゃって言って、逃げるようにして帰った。いま、ぼくには、大事な恋人がいるからね。間違いがあっちゃ、いけないもの、笑。あってもいいかなあ。ま、人間のことだもの。あってもいいかな。でも、怖くて帰ってきちゃった。うん。ひさびさに若い男の子から迫られた。違うかな。単にかわったおっさんだから興味を示したのかな。ま、いっか。 二〇一九年二月十六日 「Close To You。」 「おれ、あしたも、きてるかもしれないっす」 「あっちゃん、おれのこと、心配やったん? 」 ごらん 約束をまもったものも 約束をやぶったものも 悲しむことができる。 「おれ、あしたも、きてるかもしれないっす」 「あっちゃん、おれのこと、心配やったん?」 ジュンちゃん きょうは むかしのきみと 楽しかったころのこと 思い出して寝るね。 ぼくと同じ山羊座のO型。 きみの誕生日は18日で ビートたけしといっしょだったね。 きみが ぼくの部屋のチャイムを鳴らすところから 思い出すね。 ピンポーンって。 ぼくの部屋は二階だったから きみは 階段をあがってきて ただそれだけなのに ひろいオデコに汗かいて ニコって笑って うひゃひゃ。 十九歳なのに 頭頂はもうハゲかけてて ハゲ、メガネ、デブ、ブサイクという ぼくの理想のタイプやった。 おやすみ。 ジュンちゃんは 見かけは、まるっきりオタクで 俳優の六角精児みたいだったけれど 高校時代はそうとう悪かったみたい。 付き合ってるあいだ その片鱗が 端々にでてた。 ひとは 見かけと違って わからないんだよねえ。 二〇一九年二月十七日 「Close To You。」 水にぬらした指で きみの背中をなぞっていると 電灯の光が反射して 光っていた たなやん おれが欲しいのは、言葉やないんや 好きやったら、抱けや おれ、たなやんのこと 好きやで うそじゃ たなやんなんか、好きやない いっしょにいるとおもろいだけや 一生、いっしょにいたいってわけやないけどな テーブルの上に 冷たいグラスの露が こぼれている 何度も きみの背中に 水にぬらした指で文字を書いていく 首筋がよわかった ときどき きみは 噛んでくれって言ってた ぼくは きみを後ろから抱きしめて きみの肩を噛んだ ヘッセなら それを存在の秘密と言うだろう ぼくの指は けっして書かなかった 愛していると グラスの氷がぜんぶ溶けて テーブルの上は水びたしになってしまった いま、どうしてるんやろか ぼくが30代で エイジくんが京大の学生だったときのこと どうして、人間は わかれることができるんやろう つらいのに それとも いっしょにいると つらかったのかな そうみたいやな エイジくんの言動をいま振り返ると ぼくも彼も ぜんぜん子どもやった ガキやった やりなおしができないことが ぼくたちを 生きた人間にする そう思うけど ちと、つらすぎる 二〇一九年二月十八日 「名前を覚えるのが仕事」 日知庵で、お隣になったひと、お名前は竹内満代さん。 二〇一九年二月十九日 「カヴァー」  本は持ってたら、カヴァーをじっくり見れるから好き。これからより齢をとって、どれだけ読み直せるかわからないけれど、持っているというだけで、こころがなごむ。初版のカヴァーがいちばんいいと思う。創元も、ハヤカワも。 二〇一九年二月二十日 「きみや」  いま、きみやから帰ってきた。かわいらしいカップル、長野くんと荒木さんと出会い、イタリア語がしゃべれる遠山さんご夫妻と出会った。人生はめぐり合いだなあと、つくづく思ったきょうだった。遠山さんがイタリア語ができることを知ったのは、たまたま、きみやにイタリア人のカップルが来ていて、遠山さんがイタリア語をしゃべって応対されていたからだ。遠山さん、若いころにイタリアで仕事をなさっていたらしい。流ちょうなイタリア語だった。 二〇一九年二月二十一日 「忘我」  電車のなかで数学の問題を解いていたら、降りるべき駅をとっくに通り過ぎていた。いつも、授業の4、50分前に学校につくようにしているので、なんとか折り返して間に合ったけれど、ぎりぎりだった。ぼくは、問題を解いている間、自分自身が角や辺になって、図形上を動いていたような気がする。このとき、ぼくは、もう人間のぼくではなくて、角そのもの、辺そのものになっていたのだと思う。全行引用詩をつくっているときにも、この忘我の状態は、しばしば訪れる。ところで、ぼくが、ぼくの作品で、ぼくのことを描いているのが、ぼくのことをひとに理解されたいと思っているからだという意見がある。とんでもない誤解である。たくさんの「ぼく」を通して、「ぼく」というもののいわば「ぼく」というもののイデアについて考察しているつもりなのだけれど、そして、その「ぼく」というのは、ぼくの作品の『マールボロ。』のように、「ぼく以外の体験を通したぼく」、「ぼくではないぼく」というものも含めてのさまざまな「ぼく」を通して、イデアとしての「ぼく」を追求しているのに、引用というレトリックも、その有効な文学技法の一つであり、そのことについて、何度も書いているのだけれど、だれひとり、そのことについて言及してくれるひとがいないのには、がっくりしてしまう。それだから、ぼくの作品について、ぼく自身が語らなければならないのだけれど、ぼくの視点からではなく、異なる視点から言及してほしいとも思うのだけれど、そんなに難しいことなんだろうか。 二〇一九年二月二十二日 「ガラ携」  いま日知庵から帰ってきました。きょうも、日知庵におこしくださり、ありがとうございました。ぼくのガラ携には、きていませんでした。機械のことに、うといので、ぼくにはさっぱり理由がわかりませんが、機種によって違うのかもしれませんね。 二〇一九年二月二十三日 「突然、死んだ父が」 突然、死んだ父が、ぼくの布団のなかに入ってきて 添い寝してきたので、びっくりして飛び起きてしまった。 二〇一九年二月二十四日 「水道の蛇口をひねると」 水道の蛇口をひねると 痛いって言うから ぼくは痛くもないのに 痛くなってくる ぼくは静けさを フリーザーに入れて 水道の蛇口をひねって 痛いって言うから ぼくは痛くもないのに 痛くなってくる できた沈黙に ぼくの声を混ぜて 水道の蛇口をひねって 痛いって言うから ぼくは痛くもないのに 痛くなってくる 水道の蛇口をひねるだけで ぼくは痛い 沈黙のなかにさえ ピキッとした音を聞いてしまう 山羊座は地獄耳なのだ 本人が地獄になる耳なのだけど 水道の蛇口をひねると 痛いって言うから ぼくは痛くもないのに 痛くなってくる 二〇一九年二月二十五日 「確定申告」  確定申告が終わった。ことしは支払わなくてはならないかなと思っていたら、還付金が出た。税金のからくりが、さっぱりわからないで生きている。 二〇一九年二月二十六日 「文学」  文学作品は、いったん読み手が頭のなかで、自分の声にして読んでいるので、どの登場人物の声も読み手の声だと言える。複数の話者がいても、すべて読み手の声だと言えるので、文学鑑賞とはまことに倒錯的な行為だと言えよう。 二〇一九年二月二十七日 「がりがり」 チャイムが鳴っている がりがりと、薬を噛み砕いて飲み込むと 教室に入った 生徒たちのなかには まだ薬を飲み込んでいない者もいた 口に放り込んでいる者や カバンのなかの薬入れの袋を開けている者もいた 「さあ、はやく薬を飲んで、授業を受ける気分になりましょう」 電車に乗る前でさえ、薬を飲まなければ不安で 電車に乗ることもできない時代なのだ さまざまな状況に合わせた薬があって それさえ服用してれば、みんな安心して生きていける とても便利な時代なのだ 二〇一九年二月二十八日 「この人間という場所」 胸の奥で とうに死んだ虫たちが啼きつづける この人間という場所 傘をさしても いつでもいつだって濡れてしまう この人間という場所 われとわれが争い、勝ちも負けも みんな負けになってしまう この人間という場所 二〇一九年二月二十九日 「何十年ぶりかに」 きょう、待ち合わせの場所に 行ってたのだけど ぜんぜん来なくって 何十年ぶりかに すっぽかされてしまった 付き合わない? って、きょう言おうと思ってたのだけれど 縁がなかったってことなのかな 好きだったのだけれど そんなに若くない 頭、ハゲてて めがねデブで 典型的なサラリーマンタイプの 30代後半で このクソバカって思ったけど バカは、ぼくのほうだね 二〇一九年二月三十日 「蛙」 ピチャンッ って音がしたので振り返ると 一番前の席の子の頭から 蛙が床に落っこちて ピョコンピョコンと跳ねて 教室から出て行った その子の頭は 池になっていて ゲコゲコ 蛙がたくさん鳴いていた ほかの生徒の顔を見ると ぼくの目をじっと見つめ返す子が何人かいたので その子たちのそばに行って 缶切りで 頭を ギコギコ あけていってあげた そしたら たくさんの蛙たちが ピョコン、ピョコン ピョコン、ピョコンと跳ねて 教室じゅうで ゲコゲコ鳴いて あんまりうるさいので 授業がつづけてできなかった と思ってたら すぐにチャイムが鳴ったので 黒板に書いた式をさっと消して ぼくもひざを曲げて ピョコンピョコンと跳ねて 職員室に戻った 二〇一九年二月三十一日 「箴言」 才能はそれを有する人間を幸福にするものとは限らない。 ---------------------------- [俳句]自由律俳句 2022.01.16(日)〜2022.01.17(月) 共に夕べ/田中恭平[2022年1月17日20時35分]   煙草断って二時間は大丈夫なのだが 歌いつかれて妻は眠るよ ひさびさポテトチップス食べる闇の中 肉体労働おえて頭こんらんしている 携帯はあるか ないか バイクか 確認したくて不安なのです 木枯らし やっと落ちつけて緑のたぬき啜り 風呂入る 妻に風呂の扉の向こうにいてもらう   ---------------------------- [自由詩]春の指令/塔野夏子[2022年3月25日11時32分] 一面のチューリップをそよがせよ 春に かなしみに あまりにもふるえ 透きとおってしまう 心臓のために ---------------------------- [自由詩]ささくれ/そらの珊瑚[2022年3月26日9時59分] いつもだったら 爪切りで刈り取ってしまうのだけど うっかりしているうち それが ニョロニョロになってしまったので 育てている 明日を思いわずらうなと 私の人差し指の先に生えた ニョロニョロが言う この指は 小さな春の岸辺 空に浮かべて ひととき自由 ---------------------------- [自由詩]パンドラがあけた大きい方の玉手箱/ただのみきや[2022年3月27日12時10分] 老けてゆく天使 明るい傷口だった セックスはままごと遊び 片っぽ失くした手袋同士 始めから気にしなかった 一個の果実のような時間 なにも望まなかった 白痴のように受け入れて 虐待され続けた犬のよう なにかを養いながら 壊すように研ぐように 素晴らしき世界の自殺 ハートの形のサンドバッグ 太陽が笑うと雨粒全てが光を宿す こころはパントマイム 紐みたいに互いの輪郭をほどいた 泡立つクリームの朝 メトロノームは少しずつ早く 頭の中は散らかったまま 光よりもきみはもう遠い 正義と正義感 仮装は楽しむため 変装は欺くため 変装の自覚のない人は 自分を欺いている? 自分に欺かれている? 名付けられないもの 愛は名付けようのないものに付けられた名 少しもじっとしていられないふるえる小鳥 ためらいも手加減もできない猛禽 得る前は天の果実 失われた後は残酷に抉られた肉の洞 その間にあった現実は真実とは限らない 感情の断片に彩られたモザイク画 いつからか人は愛を創作するようになった 逃げ出さないための小鳥の籠を 宙吊りにされたままの終わらない幸福を 叙事詩として 昔話や歌や小説として 映画にテレビドラマ 漫画やアニメ 人は愛することを作品から学んでいる 愛に関わる諸々全てが なにかの作品に影響された模倣なのだ わたしは愛を愛と名付けられる以前に戻したい こころの混沌にのたうつもの 発見と本能に呼び覚まされて戸惑いもがくもの 比喩から比喩へと転生を続け言葉の身体に宿り 毒を持つと知りながらも惹きつけられる 一匹の蛇の飢え美しいもつれへ 悪の華 警報が出る そのうち慣れる いのちが吹っ飛ぶ それすら慣れる 慣れることを恐れるな 冷静に見分けろ 迅速に行動しろ くだらん思想の拘りも 無駄な口論もやめて 絵に描いた餅を置くために 重箱の隅をつつくくらいなら 黙って金を出せ 黙って体を動かせ 自分にできることはこれだけと 安全な詩の中で平和を呟くくらいなら いっそとぐろを巻いてやろう 馬鹿ども肴に酒を飲もう 正義と正義感の違いを嗤いながら 偽ダイヤよりはるかに美しい 悪の華でも愛でようじゃないか 肉体の春 風と光にとけてゆく なのにここにある肉体 肉体は肉体を求めている ときどき人であることが嫌になる 風と光にとけてゆく 霞のようなものを抱擁したい 春の女神と呼んでみたい                《2022年3月27日》 ---------------------------- (ファイルの終わり)