梅昆布茶のおすすめリスト 2020年10月18日20時49分から2020年10月26日6時35分まで ---------------------------- [自由詩]チェーン脱着所にて/道草次郎[2020年10月18日20時49分] 山あいのさみしい川べりの 物置小屋の青いトタン屋根の上に 紅葉したもみじが 五六枚かかっていた 大町の山間部の秋は ダム湖の水面に近い方から色付く 楓が黄色く イロハモミジはわずかに赤く 動こうとしない湖面に水鳥が 大人しいみなおを残し泳ぐのが視えた よく失くす情緒が たまにこうして千秋の風に乗って来る 横木に座っていると 風の連れてくるとりどりの色で身が染まる とても長く 大人になれなかったけれど あまりに長い日々を みえないものに捧げてきたけれど やっと泣けた 深まりつつある秋の袖口が 人肌の水に濡れ ゆるすもゆるさぬも無くなり 道行く人の姿を くるしさなく見ていられた もう 詩は書かなくても会いに行ける そんな気がしていた ---------------------------- [自由詩]フリッパーズ・ギターは/Wasabi [2020年10月18日22時37分] フリッパーズ・ギターは 『全ての言葉はさよなら』のなかで 分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ と歌い、 若い頃は、本当にその通りだと思ったし、その歌詞が身に沁みた だけど。 分かりあえないことは当たり前の前提で 相手を思いやったり、相手の言葉をヒントに 想像すること 慮ることで 少しでもわかりあえたり できることもある。 大人は そうすることによってしか 他者との関係を縮められないし その努力が 無意味ではないと わかるんだよ ---------------------------- [自由詩]ありきたりな幸せの構図/こたきひろし[2020年10月19日6時37分]  私達は幸せになります の しあわせ 嘘みたいに こうの鳥が運んで来てくれた しあわせは まるで額縁に嵌め込まれた絵だったかも知れません が それは ほんの束の間 いつ暗転するか解らない 舞台 それを怖れる不安に陰をつくられてしまった 受け止められる幸せの形にはサンプルがあるのに 襲って来る不幸の形にはサンプルがない 姿は何も見えなくても 生まれついて持って来てしまったかも知れない 障害 生まれてからも いつ欠けるかわからない 五体  私達は幸せになります  私達は幸せになります の誓いは 気づいたら 私達から君はいなくなって お互いが 私だけになってしまっている ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]新奴隷制時代の幕開け/一輪車[2020年10月19日8時10分] 次期米大統領候補バイデンは痴呆症だけではなく変態性欲者なのですが、 いや、ほんとです! 冗談で書いているのではない、証拠など 山のようにある。一例。 https://ameblo.jp/nihonkaigi-yachiyo/image-12602963834-14771558940.html しかしこの愚かな操つり廃老人など、じつはどうでもいい。 この痴呆変態老人を裏で操っているのは副大統領候補のハリスであり、 その背後にいるのは中国の習近平であり、 その中国を裏で操っているのはGAFAマイクロソフトなどの 無国籍巨大IT企業なわけです。 つまり次の大統領選でトランプが敗ければ米大統領は 習近平とGAFAの代理人がなるわけです。 それがハリスですが、おそらくトランプ陣営もただでは済まさない でしょうから、大統領選挙後、米国は内戦状態になる危険性があります。 各州が独立的な状態になり、州兵同士で戦闘がはじまる危険性もあるでしょう。 トランプに反旗をひるがえしているFBIと、トランプに忠実なCIAも 暗闘を繰り広げるでしょう。 そうなると中国の思うつぼですが、ロシアが黙っていない。 ロシアは最後まで中国一国の覇権に抵抗するでしょう。 EUという中国の奴隷国家群から離れた英国もトランプ陣営を援護するでしょう。 しかし、 いずれにせよバイデンが大統領になれば地球上にカオスがもたらされます。 善きにつけ悪しきにつけ世界を束ねてきた米国の統制力が崩壊するということは すなわち民主主義の終焉ということです。 民主主義の次になにが来るかというと、新しい奴隷制度です。 ITを駆使した奴隷制度です。 非上級国民は頭の中から尻の穴のなかまで容赦なく暴露され管理されます。 それだけなら、かつてナチスなどもやったことの量的な過剰ということになり 怖ろしいけれども、そら怖ろしいとまでいえないのですが、 新しい奴隷制度のそら怖ろしいところは、それが倫理のカタチをとって襲いかかって くるということです。 ほれ、コロナ騒動で営業自粛をしない店舗が襲われたように、自粛をうながすような 倫理のカタチが人をして奴隷に駆り立てるシステムができあがるでしょう。 これは怖いですよ、ほんとに怖い。 だからこそ表現に携わる人たちはそのことを敏感に感じて政治的な発言にも注意深く 耳を傾け 世界がいまどのようになっているのか考えてもらいたのですが、このSNSを見る限り 絶望といってもいい。 わたしたちがこれから新しい奴隷制に強制的に組み入れられようという時代に、その 強制的な倫理の形成をなす、いわゆるポリティカル・コレクトネスだのリベラルファシズムだのを 頭から信奉している方々ばかりだからです。 そういう盲目的なサヨク風感覚が善だと盲信している。そしてそれに準拠したイメージの作品がここでは良とされる。 しかしねえ、わたしにいわせるとそんなものはこれからくるおぞましい新奴隷制社会を 裏で補うなうものでしかないのですよ。 つまり人殺しのお仲間ということになる。かなりセンセーショナルでエキセントリックな物言いということは わかっていますが、そういうことがちっともわかっていないで、わたしに「死ね」と罵声を浴びせかけた サヨク風リベラルふぁしすとの醜いおばさんもいた。笑 鵜飼千代子というばあさんですが 笑止です。 NHKしか出演しない権威主義の辺見庸ですよ。その辺見のデタラメな政治的プロバガンダを批判したら激怒してこのサヨクおばさんは おれに長いものに巻かれる卑劣な男、死ねだと。大笑いだ。 こういうキチガイが善人を気取り、最終的には巨大な権力の補完勢力として回収されていゆく。 あとには弱者たちの屍が野にさらされる。 そういう者が管理者の仲間として存在するこのSNS。そこでこのように怠惰な 欺瞞の 善人つらをした詩の投稿がなされ、世界の有様に盲目な詩の投稿がなんの批判もなく飛び交う。 こんなことはせかいでも日本だけでしょう。 痴呆症のバイデンが米大統領になればこの日本という国はどうなるのか? もうすべての配置は終わっているのです。あらゆる罠や装置が準備万端、整って号令を 待っている状態、それが今の日本です。 明日にも、そこらじゅうで阿鼻叫喚が聞こえてくるのですよ? あなたがたはいったいなにをしているのですか? ---------------------------- [自由詩]ほんの紙片/道草次郎[2020年10月19日8時54分] そうあるように あるものが あるだけなのに なにかの切り屑のせいで首までが埋まってしまっている 上昇が原理ならよかったのに 鱗のはがれたものだけが天へゆけるのならよかったのに 人の望みはついに望まれることはないのだから 樹の枝ぶりはけして空へ届かぬのだから 人生には絶望をしてはならないし 希望もしてはならないのだから ラベンダーの香りの線香の匂いが漂ってくる朝には 夾雑物一つとてないことを知ることになる ひとのつくった船は海面しかしらない 海の体積をかかえた惑星が宇宙にはいくつあるだろう それぞれが神であり それぞれが疑いなく神であり そういう所に我々は暮らしていて 沈黙が沈黙をうむ このことの比喩を脳みそに搜すのは堕落だから せめて歩く あるいて歩いて上気する身体熱を放散して小さなカイロとなる体 茅の辺りでたちどまり汗ばんだあたまで沈黙をかんがえる しかしすでに比喩の必要はなくなる 必要と思われたものがそうでなくなるのをあつい身体はただしく呑む このようにして比喩はうまれない あつい身体だけを残して どこかで祝杯があがる ぼくは詩人ではないからその祝杯に捧げる歌をきかない 真実が好きなのは詩人もそうでない人も同じ その違いは ほんとうは定かであるとはいえないのだ なぜこんな紙片をポケットに紛れ込ませたか それを知る神すら すでに 姿がなくなり久しい ---------------------------- [自由詩]紙っぺらに殴り書き/道草次郎[2020年10月19日12時32分] 言ってはいけないことはないけれど 言えないことはある 言えないことなんて無いというのは暴論です われわれに与えられた自由は 無限の宇宙の中でこのように制限されていて しかし制限というのも言葉だから とてもむつかしい考えが要ります 詩人はなにをするのでしょうか ばらされて然るべき精密時計をばらさぬまま熱く素描するでしょうか それとも 正邪をわらう烏を飼って鞭を手に祈るでしょうか よく わかりません なにかとはなになのか がわかりません 論理学ではありません 尤も論理学がどういうものか知っている人はいませんが あれもこれもみんな 中途で抛擲された構文の寄せ集めで生け花を活けるしかないでしょう 詩人はなんですか これはばかな質問です 詩人は人間の属性ですか それとも詩の属性ですか じぶんにはじつは分からぬことはあまり重要ではありません 分かったという秩序の呪いに比べたら それはいにしえびとの破顔一笑のようなものに過ぎないのです ---------------------------- [川柳]たくさんの名前が世界にあって/水宮うみ[2020年10月19日14時35分] たくさんの、色んな名前で呼び合った シャボン玉はじけるように始まった きみの明るさが羨ましかった日 とても遠い場所で優しく日が落ちる ---------------------------- [自由詩]私の欲望/無限上昇のカノン[2020年10月20日0時16分] 望んだのは平凡で退屈な人生 波乱万丈な日常はいらない つまらない毎日と嘲笑されようとも 何も変わらない日々が1番の幸せ 食べるものに困らない 布団で眠れる それだけで十分満ち足りている トラウマを抱えて生きていくのは辛い 恐れを抱いて生きるのは苦しい 望んでいるのは平凡で退屈な人生 試練のない人生 面白くないと思われてもいい それが私の幸せなのだから 欲がないねと天使たちが囁く ---------------------------- [自由詩]キスも抱擁もない歴史/こたきひろし[2020年10月20日5時22分] 時給900円 一日八時間 週五日 一日当たり150円のガソリン代 その他に何もなし あるのは 半年ごとの契約更新 以上から年金健康保険等など引かれる 私の年収は幾ら何だろう 計算した事ない 毎月の手取り額はしっかりと頭に入るけれど ああ 何があっても この社会の底辺迄は沈みたくないと言う思いに 必死にしがみついて 生きてきた 重ねた歳月 途中どうしても欲しくなった 家庭と家族 与えられた命はたった一個しかなかった なのに 幸福を手にする為に産まれてきたんじゃないと イヤと言う程に知ってしまった 苦しみと 悲しみと 痛み そして虚しさ それらを拾い集める為に この世界に産み落とされたんだ それを解って 母親は産んでくれたのか それを解って 父親は一粒の種を落としたのか そして 私には二人から 温かいキスも抱擁もされた記憶はなかった 言葉にならない さびしさがこの胸に降って積もる ---------------------------- [短歌]砂浜/夏川ゆう[2020年10月20日5時26分] 台風の進度予想は難しい自由自在に進度を決める 新しく出来た温泉施設行くサービスも良い心をほぐす 夏らしい色に染まった浮輪買う砂浜はカラフルな模様 暇あれば海に出かけてぼんやりと広い世界にすっぽりはまる ---------------------------- [自由詩]秋の光景/ひだかたけし[2020年10月20日15時22分] 瓦が白く光っている 烏が一羽とまっている 広がる秋の光の中を 烏と瓦が交わっている 互いの輪郭守りながら 光の海を泳いでいる )この蒼穹は何処まても高く )光の群れを集めては放散し  瓦が白く光っている 烏が一羽飛び去っていく 広がる秋の光の中を 烏と瓦が離れていく 互いの輪郭守りながら 光の海を泳いでいく ---------------------------- [自由詩]静かさ/ひだかたけし[2020年10月21日22時31分] 今を静かさが支配している 静かさは私という不安を抱き留めている 私は静かさのなかで震えている 静かさのなかですべては始まるから 静かさがすべてを支配するから 私は吐きそうになりながら耐える 宇宙の巨大な沈黙に 身を委ねながら耐えている ---------------------------- [自由詩]東苗穂にあるケーキショップあかね/板谷みきょう[2020年10月21日23時12分] 末娘が10歳の誕生日を迎えた日 7歳上の長女と妻は 誕生日のプレゼントを 用意していた ボクはと言えば 実は すっかり誕生日だったことを 忘れていたのだ ねぇ。お父さんは 何を “はと”のプレゼントにしたの? 「忘れてた。」とは 言えなかった それで 「誕生ケーキを選んで貰うことを お父さんからのお祝いにしようと 思ってるんだよ。」 そう答えて 家から車で30分程の場所にある 美味しいことで有名な ケーキショップあかねに 末娘を誘い出掛けた 本当は事前に 誕生ケーキを注文してたから 受け取りに行くだけ だったのだけれども… 店内に入り誕生ケーキを受け取る時に 店員の女性が 「誕生日のお祝いでしたら 蝋燭とプレートをどうしましょう?」 そう聞いてきたので 「幾らです?」と尋ねた 無料だと知ったお父さんのボクは 「今日誕生日なのは、うちの娘なんです。」 と娘を紹介して 挨拶をさせた 「お嬢ちゃんは、幾つになるの? …そう。 それなら、蝋燭を10本入れておくね。 お父さん。 プレートは、なんて書きましょうか?」 娘の名前は“はと”って言うので 「はとちゃん、お誕生日おめでとう」で お願いします。 そうお願いしたら 娘が 「お誕生日ありがとう。って 書いて下さい。 家族みんながお祝いしてくれるし ケーキもお父さんからの プレゼントだから だから ありがとうって書いて下さい。」 女性店員は 「私も今まで、ずっと この店で誕生ケーキを売ってきましたけど “おめでとう”じゃなく “ありがとう”って書くのは初めてです。」 夕食にケーキを箱から出した時に 末娘は大きな声で 「誕生日ありがとう。」と言った そんな娘も31歳になった ---------------------------- [俳句]風のゆくえ/もっぷ[2020年10月23日23時14分] 秋晴や洗い晒しのキッチンクロス アールグレイにレモンを添えて午後を飲む 窓辺から隣の芝と草の花 わが猫と明日も在りたし秋の風 はばたいてどこへ帰るか秋のくれ ---------------------------- [自由詩]川に映った影/夏川ゆう[2020年10月24日5時16分] よく晴れた日曜日 川沿いの心地良い風 秋の深まりが肌寒さを呼ぶ ゆったりとした川の水 生活の影がゆらゆら映る これからみんな 厚着になっていく 寒さが加速していく 川沿いは綺麗に整備されて 自由に散歩を楽しむことが出来る 川に映った自分の影を見ている 自分自身のあらゆる情報 影に映り込む 幸せな状態が表れている 川に映ったビル群の影 長閑な雰囲気を生み出す ---------------------------- [自由詩]恋人と爆弾/ただのみきや[2020年10月24日21時28分] 逆説的 ルイス・キャロルが実在のアリスを愛し物語を捧げたように わたしも捧げたかった わたしも溺れたかった ボードレールがジャンヌ・デュバルの肉体に溺れたように 高村光太郎が千恵子を詠ったように 失くしたものを嘆いて詠いたかった 北村透谷が石坂ミナへ書き送ったみたいに 暮らしで萎れるようなものを大仰に称えることはせず バイロンのように次々対象を変える訳でもなく ディキンソンのように内に秘め 言葉のアイコンへと熟成するまで黙々と しかしわたしは詩人ではなく 誰に恋することもなかった 故にいつまでも詩を書いて 居もしない恋人を探しさまよっている 百鬼夜行 生まれ出るものはほんの一部 残りは澱み 怪異の温床となる わたしの中から言葉を見つめる 無数の無言の目 史実を記した者は残したいことを記し 残したくないことは記さなかった 史実に残らなくても人の心に残ったものは 伝承から伝説へ やがては昔話へ姿を変えた 人は理性に包まれた混沌 美しい包み紙に重きを置く現代の躁鬱 粗末な掛け布からはみ出した古代の分裂 歯車のように仕組みの中で仕組みを捉え 夢の中でも眠りに飢える それでも空は海より深く 深淵を見通す眼差しもあろうかと恐れて 大気中の強迫観念 あなたの皮膚を透かし見る 乳房の奥の宿り木 銀のハサミの首飾り 剥奪された勲章は二次元 影のない真実の猿ぐつわに喘ぎ 東雲に自決した青いほうれい線 財布の紐に絡まったなまくらリアリストたちよ 紙人形のクラブで静かに海を磨け フランス語で煙草を吹かしながら 鍋に落下した空が鶫に変わる頃 トマトソースがピアノを犯罪者に仕立て上げる ジャズは裏口から間男みたいに逃げて行く ジャマイカ娘の髪の中で 蚊のように囁く恋 注射する堕胎が網膜で妊娠する 金庫のダイヤルを回す指先で 明るい液晶のワルツが砂漠に植えた 結び目もない歌詞の秘密と その運用をガスオーブンに隠した 子どもたちの足の裏の嘘 剥げ! 吸血せよ! 大勢死んだ船が出た バッタのように愛はマッチを擦って 貪って悪びれず強情に寄進する 薄くスライスされた思考を透過する ザラメの煌めき 大気は苦い乳首を噛む 立像 高く澄んだ空の水気に酔いしれて 敷き詰められた枯葉は恍惚と光を仰ぐ 黄金の朝 忽然と 群れから離れた若い鹿のように あなたは立っていた あらゆる神秘を内在させた一行詩のように 光はその衣を編み 背の高い影が傅(かしず)いていた 色彩は冷たく沸き立って 美は地獄のように否応もなく わたしの目はあなたを愛した 時は球形 すでに完成されて 人は無限の誤謬へと自らを贄にする 秋という真鍮を鳴らすわたしは透明に溺れ 傍から見れば猿だろう いま蒼ざめた顔が いま蒼ざめた顔が一つ 長い睫毛のような翼を広げて ひとりの男の夢へ降り立った 涙は香料を含む 水底から見上げる波紋 聞えない歌の口形が男をあやしていた 眠りと目覚めの間の逢瀬 朝には黒い灰の花びら 光の中に霧散して 忘れられてしまう一つの顔 幸せ あたたかい鍋物 ――魚介か鶏がいい 美味い酒 ――ぬるめの燗で 魚の刺身 ――すこぶる新鮮な 採って来たきのこ ――どう料理してもいい 広々とした時間 すこし密になった間柄 いい音楽 気軽で 意味深で 興が乗れば楽器に手を伸ばす 気の合うやつらと絡んでみる  良い具合に冗談が回る   キザな台詞も上々に 明日の心配がない 今だけがたわわにある 座り心地の良い豊潤な 今だけが これらは幸せそのものではなく 幸せだったころの残像や残響 器の欠片にすぎない 再び味わいたくて 状況だけは似せようと努力する 悲しいほど自分を魔法にかけて 既に無いものを在るかのように 不思議の国 日常は単調な景色だがそれは 時間をかけて組み上げられたジグソーパズル ふと突然 ぬけ落ちた所が目についた これこそ非日常! 冒険への抜け穴! ――――――落とし穴と呼ぶ者もいる 追記 どこで殺められたか わたしの亡霊が風になり 枯葉を元気に走らせる                   《2020年10月24日》 ---------------------------- [自由詩]はなむけ/道草次郎[2020年10月24日23時41分] 何かを他の何かでいいかえるしか 何かを括る方途が無いので 世界はこのような仕方で むかしから戯れております あたらしいものはあるのですか ないのですか どちらでもよいじゃありませんか そういうのは飽きました そういうのは昔の昔の大昔に 飽きられて終わった話です だから遊んでるんです 真面目なものは真面目に遊んでいますし ふざけたものはそのままふざけているのです ですからとても安心してよいでしょう 考えるのはもう古いです そんなのは永遠階層のだいぶ下らへんで 飽きられたものなのにいまさらなんですか 遊びなさい遊びなさい だからかんがえたら仕舞いです こういう括りも遊びの一つ 遊ぶことはまた不思議な倫理ですから 遊び尽くしたらもしかして 真面目のオマケもあるやもしれない という 遊びをいったいあなたたちは何千年してきたのでしょう 枠を忘れてさあ踊りましょう それが これら一切への餞ですとも そうですとも ---------------------------- [自由詩]美しくも輝きもないのに/こたきひろし[2020年10月25日7時46分] 朝、車で通勤の途中の細い道端に咲いていた白い秋桜の花が何本か根本から倒れてました。 そこは大東宅建の集合住宅の駐車場の前でした。 倒れている秋桜の花の姿を見て、倒れている人の姿を想ってしまった私は、私の神経は複雑に捻じれているのかも知れませんでした。 昨夜遅く。一緒に寝ている妻がしきりにうなされていました。 それで私は眠りを覚まされました。 それが悲鳴をあげているようなすすり泣いているようなうなされ方でした。 よぼど悪い夢でも見ているのだろうと思いました。可哀相になり、悪夢からいったん開放してあげたくなりました。そしてふたたび眠りにおちれば次は良い夢を見れるかも知れないと思ったからです。 しかしやめました。たとえどんな夢を見ていたとしても、途中無理やり現実迄引き戻されたら、誰だって不機嫌になるだろうと思いなおしたからです。 夢は最後迄見て完結するのでしょう?  美しくも輝きもない日常の繰り返しでした。  そんな暮らしの中で私の求める幸福とは何なのか解らなくなっています。  過去にはそれなりに波乱万丈の歴史があったような  気がしています。  ですが、今となっては遥か夢の彼方です。 もしかしたら幸福って、幸福感って この美しくも輝きもない日々の底がいきなり抜け落ちて はじめて感じるのかもわかりません。 すべてがピリオドを打たれてしまう前の ほんの束の間に ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]散文三つばかり/道草次郎[2020年10月25日8時53分] 「いくつかメモ」 誤解を恐れず端的に言うとバランスが欲しい。換言すれば、あれもこれも欲しい。低い水位で流れるのでいい。こういうことを言うのはバランスを欠く要素だからと、すぐに排除することに飛びつかず、こういうことを言うことも低い流れの一部としたい。詩を書くことに誠実であるとはこういうことかと、ふと思ったりする。 つまりなるべく言葉の練度をきわめ、なまくらの批判を次々と繰り出さないこと。ここまでは、詩人の取りうるよくある態度。贅言をなるべくしない。抑制の面持ち、これもよいだろう。 しかし、自分は誘惑を断ち切れない。もっとも美しいものは、俗なるものの収斂のうちに存するという信仰に永らく囲われている。審美家を殊にさげすむ者が、審美家に一番近接だという逆説だ。自分の立ち位置を知るのは自分一人では無理だとやがて思うのが自然の道理で、自己批判の慰めはいったん置いて野に出るのは必定。 自己の限界を知り、こころを野に飛散させてみる。野に出てみれば、自分のかんがえがいかに偏っていたかが知られ、呆然と立ち尽くすのみとなりもう一言も発することは出来ないと思い定めたりもする。 けれども何事も経験とおもい、というか面食らったからどうにかなるというのでもないので、また少しずつ歩き始める。 小説を書くことをする人は、移ろう自分の影を物語のベールに包む。しかし物語の視点はなにか。それはたしかに大きな問題のように思われる。しかしながら、問題が大きいからといって物事が進まないという試しがないように、物事はすすみ小説は書かれ発行される。その時々の自分を視点にするかどうか。ほんものの小説、誤解を恐れずいえばその視点は何にあるか。その視点の無さにあるか。神にあるか。実存にあるか。それはわからない。それはいかようにもあることができるから。 と、ふとチャンネルを変えるように音楽を聴くこと。なんの音楽かは重要ではなくて、とにかくなんらかの音楽をきくこと。そういう事の中にも倫理はあるのだから、どうも人間は倫理を愛することもできてしまう。 世界の条件は終われないこと。終わるのは終わったら終わるのだから終われない。位相の変移か。存在の裏返しか。ほんとうに死んだら死ねるのか。疑義者は天才は、意味論と論理学と数学に囚われている。 人間の蓋然性と人間の可能性のあわいに、おそらく詩魂は転がっている。 「特殊相対性理論」 何かを好きになるということは、現実を愛しているということ。自分が産まれてから今までのことを考えてみて、何かを好きになったことがなければ、その人は人である可能性は低いけれど、もし万一そういう人がいたならば、詩人はそういう人の為にも書かなければならないはずだ。ニュートンではあんまりかなしいからアインシュタイがしたようなことを、した詩人の何人かを知っているが、その詩人らはたしかに時空の調律師を飼っていたか、それに飼われていたかのようにみえた。 「詩の人質」 詩を人質にとってその頭に銃を突きつけるぐらいなら、女を人質にとってその頭に銃を突きつける映画を観た方がまだマシなのに、いっこう映画も小説も漫画もじっと浴びることができない。今から数えておよそ120日前には、3時間おきにする赤ん坊の世話の合間にNetflixの無料期間中を利用して、『COSMOS〜いくつもの世界』をこっそり観ていた時は、こんなことになろうとは予想だにしなかった。昔から宇宙や生命の話が好きだった。BBCはすごいことをやる。今でもそれは思う。ニール・タイソンも悪くないけれど、やっぱりカール・せーガンはスターだとも思う。120日前に許された、ほんの僅かな自分の時間の使い道はそういうものに費やされていたのだ。 ところが今は先に言った通り詩を人質にとり、目の下にくまをこしらえた銀行強盗さながら、その頭に銃口を押し付けているのだ。これは一種の堕落である前に、どうした状態変化だろうか。人間はみんな自分の来歴というものから現在の自分の状態というものを算定するが、俯瞰的な視点がこのように自身の経験という縦軸にのみ終始する場合、それはまだ浅薄な視点と言わざるを得ない。世の中という横軸をかませないと俯瞰的視点は体をなさないのだ。社会へ目を向けること。これはすなわち自身の歴史に奥行を与えることだろう。或いはそれは自身という牢獄を解き放つ鍵であるのかも知れない。 今考えていることはそれまでだ。やることをやらねばならない。考えることはもうやめる。中断だ。あまりにも自分は囚われすぎている、おそらく書くことに。焦りすぎている、何もかもに。筆をおく。 ---------------------------- [自由詩]わたしはまだ子供でした。/こたきひろし[2020年10月25日11時43分] 田んぼの土手には篠竹をが生い茂り雑草も入り混じって、その先に見えるのは連なる山並みの内の立ちそびえる山の肌でした。 でも山と土手の間には川が流れて、その手前には川原が有る筈でした。 だからでしょう。長い間に篠竹と雑草がかき分けられ踏みしだかれて、一か所だけ川原に降りてゆく途が出来てました。 わたしは子供でした。 友だち一人いない子供だったわたしはなぜか家族の中でも浮いた存在でした。 いつも一人ぼっちだったのです。それというのも肉親にさえも馴染まない子供だったし、自分の殻に閉じこもる子供だったから、たとえ親兄弟と言っても可愛げなかったからでしょう。 明るい笑顔って大切なんですよね。ちっとも笑わないと周りに誤解を生むんですよね。その結果、皆が皆離れていってしまうでんですね。もし成長して大人になっていたらそれは身に沁みてわかっていた筈なのです。 でも自分には苔みたいに張り付いたしまっていた性質を変えられずにいたと思います。その理由としてすべてに不器用だったからです。 一人ぼっちだった子供だったからわたしはいつも一人遊びばかりしていました。 夏のある日でした。わたしは川原に降りていきました。川原には流木が沢山あったのです。 真夏の太陽の中で流木は水分をすっかり失っていました。干からびてました。 子供だったわたしは浅はかな遊びを思いつきました。 流木を集めて筏を組もうと考えました。 わたしの家は川原の近くに有りました。その時間誰もいない筈なのです。 わたしは直ぐに家に帰り納屋からナタと縄を持ち出して川原に戻りました。流木から筏作りに邪魔な部分にはナタを振り下ろしました。 集めた流木を縄で縛りつけて、やっと筏らしき物が完成しました。 わたしはその達成感に歓喜しました。 そしてわたしは力の限りに筏を引っ張って川の水面に浮かばせました。 わたしはたまらずに筏に乗ってしまいました。 流木を手にして漕いでしまいました。 筏は川の流れに乗ってくれました。 その内に思わぬ早い流れに飲まれて筏は縄が緩みだし、直ぐにばらばらになりました。 後日 わたしは下流で水膨れの子供の死体になって発見されました。 ---------------------------- [自由詩]霊感体質の先輩看護婦さん/板谷みきょう[2020年10月25日15時31分] 病院に勤務していた頃 「私には霊感があるの。 霊感体質なんだよねぇ。」と 言っていた独身で年配の 先輩看護婦さんがいた ボクはその看護婦さんと 夜勤をするのが 凄く苦手だった それは 病棟巡回の時とかに 男の子が佇んでるのが見えたとか 休憩室の棚に女の人が座ってるとか 平気な顔をして 言い出すからだった 日中あんなに元気だったのに 夜間になって容体が急変して 治療努力の甲斐もなく 亡くなってしまう患者がいる そんな時に 当直に当たった医師も大変だろうが 夜勤に当たった看護婦も そりゃあ大変なのだ 申し送りの時に ●●号の患者さんは危ないみたいよ そんなことを 霊感体質の看護婦さんは 口にすることもあったけど 危篤状態の患者がいる時には 死に関する言葉を口にしないことは 暗黙の約束だったりしていたのに       霊安室で“エンゼルセット”を持って       死後の処置を任された時には       遺体と二人きりになり       線香を焚いた後に       日中に元気だったことや       夕食を口にしてた時のこととか       点滴を抜く時や綿を詰める時にも       つい話し掛けながら処置をしていた 病棟巡回は 各病棟で行っているのだが 院内で 妙な噂が立っていたことを知った 霊安室の階を巡回していたら 線香の匂いがしていて 話し声が聞こえてくる そして 必ず翌朝には 亡くなった患者がいる 病院理事長の耳にその噂が入った頃には 放置できない状況になっていたらしく 事務長が 今度、病院で浄霊供養をすることになった 費用が三十万円も掛かると嘆いていた かの看護婦さんまでが 色めき立って浄霊について語り出し 病院事務、医局、薬局、病棟の 医療関係者が参列する中 無事滞りなく 浄霊供養は執り行われた 暫くして事務所で見付けたのは 病棟の夜勤看護婦の噂の 聴き取り記録だったのだが 何気なく日付を見てたら あれっ? 霊安室の近くの不思議な現象を 噂してる夜勤看護婦は みんなボクとは別の病棟勤務だ 日付を追うと ボクが夜勤で死後の処置を していた夜だった そうなのだ ボクが亡くなった患者に 話し掛けながら処置をしていたのが 原因だったのだ 三十万円の供養費用のこともあって ボクは 病院を辞めるまで そのことは黙っていた 霊感体質の先輩看護婦さんは ボクが辞める前に 出勤しなくなり アルコール依存症で入院してしまった ---------------------------- [自由詩]欲しいものを欲しいだけ/こたきひろし[2020年10月26日6時35分] この地球もろとも 人間も人間以外も滅びてしまえ なんてさ 願ったりしたのは 絶望に打ちひしがれたからさ 欲しいものは何も手に入らなくて いらないものばかり投げつけられてさ 受け止めきれずに 辛くて 悔しくて 苦しくて 痛くて 全てが嫌になってしまった やり切れなくて 気力なくして ヘルプヘルプと 手をあげたって 誰もその手を触ってさえくれなかった 藁をも掴むその手を握れば 地獄の底へと引きずり込まれる かも知れないから みんな皆、自分が可愛いからさ 暗いトンネル長く続いた トンネルの先に何があるんだ いつか光は見えて来るのか トンネルさえも壊れて押し潰されるのか そんな時代があっても なかったとしても 欲しいものを欲しいだけ 手には入らないから 欲しいものは増え続けるから 無いものねだりを繰り返すだけ その内に 欲しいものが何なのかさえ わからなくなるから ---------------------------- (ファイルの終わり)