梅昆布茶の道草次郎さんおすすめリスト 2021年1月4日18時22分から2021年6月7日18時47分まで ---------------------------- [自由詩]慈雨と沐雨/道草次郎[2021年1月4日18時22分] 雨のように大地が 海の端に こぼれていく 濃霧を裏返すと ヤドカリの心臓が 宝石になる 渡り鳥たちは スクリーンのなか 黒色(こくしょく)の雨に打たれる 年老いた青空は 十二単(じゅうにひとえ)の感情で 虹を胚胎し 逝き急ぐ水は 断崖のランス ポセイドンの槍 彗星のように さめながら 永遠(とわ)は横なぐりのあめ ---------------------------- [自由詩]錯乱と円環と/道草次郎[2021年1月21日9時58分] どんなに弱いか ぼくがどんなに卑屈か知ったら みんなぼくを傍に置いてくれるのだ それがけっきょくはこの世界 世界の優しさは残酷だ ぼくのりせいは りせいと呼ぶにはあまりにみにくくて それは自己愛だろうか よいじこあいとそうでないじこあい そのどちらかな でもねじつは何もかも 詩だってなにもかも 考えすぎな苗床に咲いた花だよ そしてぼくは狂ったふりを 死ぬまで続けていくんだろうか そうして全部をダメにしたあとの 賽の河原の夢ばかりを ここ3日ばかしみてる ぼくはもう自分の口から発せられる鳩のオリーブの葉を信じられないし でもそういう気持ちもいっときのものかも かんがえようでは 大したこともなくって べつになやむことじゃない こうして詩をかいていても詩はこの詩に すでにあきれていて あなたはあなたにとって大事なものに どうぞ集中すればいいんだ しかしよく出来ていてひとを楽しませりなぐさめたり するものはなんていいんだろう たとえばホッカイロなんてすばらしい ぼくは真剣にホッカイロに匹敵する詩を 書こうとしたことがある でもむりだった こういうことを馬鹿とおもうのは しあわせな人間だ ぼくはほんとうに自分が救われたかったし できれば他の人だってすくいたい ところで いったいどこへいけばこの頭を なくせるんだろう ぼくはまっさらになることが一番だとおもう つまりは死ぬこと しかしこれは危うい考えだ ひとりで始末をつけられることなどない ぼくはぼくの葬式の心配をする 独在性というのを あんまりかんがえることは幼いひとたちを なかせるよ だからぼくはぼくの死後のあることを信じる つまり しんじることの根っこはあわれに相違ない このようにぼくの錯乱は 円環をとじる ---------------------------- [自由詩]本を買うんだ/道草次郎[2021年1月22日3時09分] たくさんな人のたくさんなこころ そのどれをとっても たった一つのものだ 少し離れていればよだかの星か天の蠍に それは 見えるけれど 近寄ればすぐ灼かれてしまう ぼくはあす 近くのBOOK・OFFで 700円が110円になるのを一年近く待っている エリアーデの『世界宗教史〈1〉石器時代からエレウシスの密儀まで』(上) (ちくま学芸文庫) を買うだろう もう待てないのだ 下巻を買う金もなく 上巻のみを買うだろう それが あすへぼくを運ぶ舟となる ---------------------------- [自由詩]冷えている人へ/道草次郎[2021年1月25日23時00分] うつとは端的にいうと 左手を一晩中冷たい床に投げ出していても何ともないことです 何ともなくはないのですが それでもそれはやはり何ともないことです そこがおかしなところです そこがかなしいところです 冷えたのならあたためよう という思想だけで人間充分やっていけそうなのに どこでどうまよったやら そうなってしまってそれきり時間は固着です やめましょう たとえば ほんとうは五月を書きたいのです 五月の風 五月の色 五月の海 五月の帽子 それをのみ書きたいのです だからとても かなしい かなしい…… 角度しだいでうつろな空も変わるのに 勿体なく なにもかも勿体なく あまりにもそれは勿体ないのです 左の鎖骨のあたりまで冷えてしまったら それはとても悪い事 もしあなたもそのご経験がおありなら せめても右手の手のひらで 自分の身とも思わずにそれを温めてください なんだかそれが たくさんなたくさんな かなしい夜への ささやかな抱擁のような気がするのです さあ 自分自身を すこし他人にしてあげて ---------------------------- [自由詩]古本屋来訪/道草次郎[2021年2月5日0時21分] ひさしぶりに古本屋にいき 古本をみてまわった 買う金がないのでおやじと話をした ひさしぶりに人と話す しかも本のことがわかる人と話すのは 何年ぶりだろう 数年前の岩波文庫の充実ぶりを褒め クレジオかネーゲルをさがしているフリをする おやじはジャズのレコードマニア 文学はまあまあ識ってる 以前来たときよりおやじ ずいぶん老けたなあ ひとしきり駅前通りの区画整理の話をし 紙の本の廃れに無難な相槌をうつ 「お客さん、20代?ああ30代ね。研究者さんかなにか?」 吹き出しそうになり思わず言ってしまう 「とんでもない。ただの労働者ですよ、しかも失業中の」 店を出て雪が溶けたばかりの てらてらした道路をトボトボ歩く そして こころの中でこうつぶやく (労働者?…ただの?…労働者。なんてこった。ああっ!なんてこった!) 雲間からはへんな明るさの陽ざし 今夜もまた 湿った重たい雪がふることだろう ---------------------------- [自由詩]アトー/道草次郎[2021年2月8日21時13分] 鎖で繋がれた折りたたみ自転車(通称キュキュ)を 散歩につれていったアトー どこか遠くの外国の人のような名前 でもれっきとした日本人 キュキュは電信柱におしっこを引っ掛け ほかの自転車にうううーっと唸る 途中でつかれて地面にぺたり おやつをねだってくる アトーはポケットから機械油を取り出し キュキュに飲ませてやる キュキュは車輪をいつもより 勢いよく回転させてよろこぶ アトーは街を見上げる ビルディングの窓という窓が ウインクを返してくる アトーは胸に手を当てアルゴンを吸い キラキラした妖精を吐きだす アトーは想う アトーってなに?そして、キュキュとは? ---------------------------- [自由詩]ことぶれ/道草次郎[2021年2月9日9時43分] もののあはれとはそれは 風の包帯 先だつ批判をやわらにつつみ まるで 苫屋(とまや)に吸われるもんしろ蝶 ひなたの蜥蜴 春の ことぶれとも ---------------------------- [自由詩]ボール投げ/道草次郎[2021年2月11日7時03分] ひたすら壁にむかって投げ続けた ひとりだった みんな学校へ行っていた じぶんのふるさとをこうして 時々 思い出す事がある 電車が通ると夏草がゆれた およそ色んなものが おもえば 透明にかなしかった 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[自由詩]スケッチ1/道草次郎[2021年3月2日8時38分] 位相 90°進むと生まれいずる者の虹 90°遅れると死に去る者のハリケーン ガイア理論 アンコールワットのほとりで佇む老爺 土間の麒麟 喪われた土間の麒麟 茅葺き屋根から突き出たその首が都会の遊覧船を眺めている アクアリウム豚 アクアリウムに屯する豚たち 高層ビルで覆われた惑星の薄膜のような意識を食べている ---------------------------- [自由詩]やわらかな痕跡/道草次郎[2021年3月5日23時24分] 波間に かき置きして いつもの行動範囲から 少しはみだしたところを 回遊して来たら ぼくんちでは ぼくの 葬式を出していた しょうがないから ぼくは ぼくんちのまわりを グルグル まわった 来る日も来る日も ずっと まわり続けた いつの間にか 痩せて 小さくなってしまったが それでも 何億年間かは まわり続けたとおもう 今もまわっている ほら きみの耳たぶが じつは ぼくだ ---------------------------- [自由詩]三つの墓について/道草次郎[2021年3月7日2時28分] 「象の墓場」 大地が肉あるものを篩(ふるい)にかけてしまわないのは、それはやはり大地の優しさからではない。惑星の核部(コア)に必ず一個はある象の墓場のお蔭なのである。琥珀に浮かぶを殊更に拒むその牙が晒す、黒に描く円弧(アーク)のお陰なのである。 「青の墓」 空と雲は青いところで遊んでいる。やわらかにそしてゆるやかに、みずからを癒している。いちめんエメラルドグリーンだった頃、空と雲はいくらか病んでしまった。クレセントムーン(三日月)は羊歯と飛龍の俤(おもかげ)。青さ、それはたぶん深すぎて思い出せぬ空の記憶なのだろう。または慰撫の色相に波打つ手の墓なのかも知れない。 「授乳とお墓」 君が笑わなくても君の存在は笑っていて、君が泣いていても君の存在は喜んでいて、君が怒っていても君の存在は育っていて、君が喋れなくても君の存在は諭していて、君が眠っていても君の存在は満ち足りていて、そして、君が天寿をまっとうしたとしても君のお墓は吸い続けることだろう。 ---------------------------- [自由詩]ついーと小詩集2/道草次郎[2021年3月7日19時29分] 「大地」 大地がぼくを落とさないでおくのは それはやはり 大地がやさしいからだ そうかんがえないと 「今」にいられない 「ゆきがふる」 あの子 ゆきにさわりたいから ゆきにさわって うわあ と言った 人に それいじょうの行為は ない気もする ゆきがふる 「知らないってことが」 知らないってことが どれだけ有難いことか知れないから 雨の音に遠く耳をすまし 雨のおくに眼をおいていく ひとつずつひとつずつ ゆっくりと そうしたらまた ひとつずつゆっくりと ゆっくりと ゆっくりになってゆく やっぱり さみしいなって 笑いながら 「もう」 もう どうしてよいものやら このかんがえは かんがえにすぎないと たくさんの しょもつはいう もう どうしてよいものやら つかれているのだろうか こずえのとりが みんなもずにみえる きっと つかれている もう どうしてよいものやら ふくじゅそうのわきには みにすいせん つんつんつんつんつん まだおはなはさきのこと もう どうしてよいものやら もう ほんにどないしよかしら もう もう もう あ、うしみたいだ もう はるはあやうし 「にこっ」 きみがにこっとすると 赦される きみがもいちどにこっとすると むねが痛む きみがさいごににこっとすると にこっとしている みっつの表情がこんなにも ぼくを揺すぶるなんて 全く 思いもしなかったよ 「はな」 お花さん お花さん あなたのせいざはなんですか あたしは ねずみどしよ 「はる」 ちょうちょさんがね けっこんしきあげるんだよ だからお花が さくんでしょう? 「用途」 詩集を買いました 良い重しです 用途をその詩人は やさしく定めませんでした ---------------------------- [自由詩]啓蟄と芽ふき/道草次郎[2021年3月8日18時50分] じっと殻に背を丸め 春を待つ蛹(さなぎ)のように森は いまだ あわい揺曳(ようえい)の入江 冬木立のはざま 小橋のそでに ゆたかな寝がえりをうつ にがい蕗(ふき)のとう おもむろに 耳たぶのハンモックへ 春の符牒は 交わされてゆく そこはかとない 愁いをしたがえた風は 醪(もろみ)のように まだ林で遊んでいる ---------------------------- [自由詩]くしゃみ/道草次郎[2021年3月8日23時14分] することがないので なにかをした なにかをしたら なにか変わるとおもったけど なにも 変わらなかった だから することがないのを そのままにした そのままにしたら なにか起きるかもとおもったけど なにも 起きなかった ハックションっ!! ったく やんなっちゃうなあ 全くさ ---------------------------- [自由詩]ついーと小詩集4/道草次郎[2021年3月14日11時36分] 「海をすてた」 海をすてた いっぱいだったから 外に捨てた 外は広いから 海はしずくにみえた にんげんが 外にいったら ちいさすぎて なんだかバカみたいだ だからぼくは ここにいることにする ここってつまり 中のこと 中はなんだか 心が休まるんだよね 「歩行」 ふとした事がきっかけで 歩き出すものがある 僕は暫く機械になっていよう 潤滑油、知りませんか? 歩き方から学ばなくても たぶん途切れとぎれの存在で 僕は道に貢献して行きます 信号機、夜はどうですか? 「三びきの仔犬」 三びきの仔犬がカメラに向かって走って来る コロコロしている とても可愛い この可愛さを伝える術は詩にあるんだろうか 映像やイラストや音源によらず それを伝えるにはどうすればいいのか ぼくにはそれができそうにない そのことが 途轍もなくかなしい 「鈍感な者が詩を書く」 吉野弘さんがどこかで もっとも鈍感な者が詩を書くと言っていた 15の時はふーんと思ったが いまは身にしむよ その時見た吉野さんの近影 まるで近所のおじさんみたいだった 歯、抜けてた 『神曲』についての試論みたいなものは読み飛ばしたけど 吉野さんみたいな詩人 やっぱり 居ないとすこし寂しいな ---------------------------- [自由詩]笑顔/道草次郎[2021年3月21日8時41分] 雨粒がポタリポタリと落ちるのを ショッピングモールの四階の暗い駐車場で 一緒に見ていた やわらかい君の太ももはあたたかかった じっと雨粒を見つめているその長めの睫毛は ぼくにとてもよく似ている ぼくもその時 初めてそれを見る人のように 雨粒を見ていた やがて遠くの軽ワゴンの後部座席から声がして 君はピクリとする そのピクリに締め付けられる何かを感じ スニーカーをキュッといわせ つむじ風のような気持ちで車の方へ戻る 5mむこうにママがいて とびきりの笑顔とジェスチャーの花束を抱えている それに気付いた君は キャッキャと両脚をバタバタさせながら ぼくの下っ腹を勢いよく蹴る 帰宅してから独り ママが撮ったその時の写真を見た まるで 笑顔の方が顔に貼り付いて来たような 君のとびっきりの笑顔 その横で困り顔の男が少し眩しそうに 両方の目を細めている 写真を見るまでは 区切られた奥の空に 陽のあることは気付かなかった ---------------------------- [自由詩]銀のロケット/道草次郎[2021年3月23日18時43分] 遠い遠い場所 過去とも未来ともつかない時 銀のロケットは宇宙を渡った ゆく先々には 驚くべき光景の数々があった じつに多彩な星の世界が めくるめくように展開していった 銀のロケットは 飽くこと無く虚空を突き進み やがて 巨大な壁にぶち当たった 銀のロケットはこんな事もあろうかと 超高性能のドリルを搭載していた 難なく壁は破られた 壁の向こう側へ漕ぎ出したその瞬間 銀のロケットは 銀の輝くペンダントへと姿を変え あっけなく床に落ちてしまった ベッドには一人の少女が寝ていた ベッドからはね起きた少女は 銀のペンダントをすみやかに拾い上げ 嬉しそうにそれを自分の首に飾った 細い指がチャームを開く そこには 少女が見たこともないような 美しい星々が渦巻いていた 少女はニッコリと笑い ベッドに入るなりそのまま眠ってしまった 遠い遠い場所 過去とも未来ともつかない時の 取るに足らない ささやかな出来事である ---------------------------- [自由詩]窓越しの桜/道草次郎[2021年3月29日22時04分] どうやら うつ状態らしい 見かねて モスバーガーを奢ってあげた これが 今のぼくにできる 精一杯だ オニオンリングは 案の定 バラバラになり だけど 食べてる間 ずっと ポロポロと涙を流したり へんに むせたりしていた 窓越しの桜 きれいだよ 帰る時までに気付けるといいね ---------------------------- [自由詩]未詩集1/道草次郎[2021年4月3日22時34分] 「にげる」 なにものからも逃げたものが なに食わぬ顔でなにもしないでいる すると なにものをもにがしたものが現れて なに食わぬ顔でいるものの所在を 不明瞭にしてしまう なに食わぬ顔でいるものはおもう なにものからも逃げたつもりでも こうしてあやしくなる ならば なにものからももはや逃げることは能わない 何食わぬ顔でもいられない と ただなにかの状態というのが認められ 認めているだけでは済まされない なにかがあり 意識の兆すところに遍く 離反して立つ同淵の顔がそぞろあるばかりだ と なんらかのなにかは いつまでもそう口を閉ざしている そういう話も 特段新しいわけではない のであるが 人は人の辿る道をふたたび辿るべく人であることをなかなかよさない そのことをすっかり認めた人のことを なんと呼べば良いのだろう それが分からないから 索して 見つからず また索し 日々の丘陵をこうして また またいでここまで来ている こうやって ほら 覆いかぶさるように覗き込んでいるのが じつは 他でもないなにものかなのだ 「湾岸戦争」 湾岸戦争が怖くて廊下でじっと時が過ぎるのを待っていた。一匹の蛾が仄闇から羽根をばたつかせやって来る。ずいぶん乱雑な飛び方でだ。まるで狂ったかのように薄暗い電灯へぶつかり、何度も体当たりするのが視える。中性子のまわりを廻転する傲岸な電子のようだ。黄色い人口灯の下、色褪せた歯磨き猫のシールを剥がす指先。右手の人差し指の爪の間にはいつも黒い汚れが溜まっている。そうするより他に手立ては無いと、どこかで子供ながらにさとっていたのだ。ステンレスの流しに立てかけられた青い洗面器。緑青のふいた裏戸の蝶番。軋む三枚目の床板。ドクダミと黴とが混ざった独特の臭気。塵埃の舞わない脳の滅菌箇所に八歳の記憶はこうして保管されているのだ。強風が吹きその身体がなぎ倒されたとしても、八歳のあの瞬間は揺るぎはしない。繰り返し再生され、繰り返し再生され、また繰り返し再生されるだけの話である。湾岸戦争は終息の気配さえ見せない。全てはあの時のまま、固定点は暗い森の何処かにその位置を占め続けているのである。 「おくります」 しずかな雨を おくります おかねのかわりで なんですが そらとぶ夢を いのります あえない身のうえ だからこそ ちいさなお花の くびかざり いつか野はらで あみましょう 「お月見」 ひとりはふたり なぜって ひとりの自分がいるんだし ふたりはひとり なぜって ふたりのひとりはよりひとり どちらも あんまりさびしくて 人恋しさに 月を見る 「予感」 雨がふりそうだ 風がつよい 匂いがする つむじ風が起こり オオイヌノフグリも 小刻みにぷるぷると震える どこかとおくと こここの胸に 二つの 波がうねりださんとする時 どうしてか 心は いつもおちついている 「そらは」 こころはふるえる とうめいにはなれない のぎくのようにはなれない しおれたはなをみて とめどなくあふれてしまう おろかにも このこころはふためく そらがいたいという そらは じぶんがはれていることをしらない わたくしもだ 「雑貨屋の店先で」 ひきのばされれば 何だってすきまができてしまう そこに沈められるもののことを あるいは悲哀とするならば さくら貝などは一体どうしたものだろう しばしあごを支えて上目遣い だってこんなにうつくしく 人の気持ちを素敵にさせるものは そうはあんまり無い あれはやっぱりあのままがいい 春海の舌で うっそりと濡れているのがいい そう思い さくら貝のペンダントを戻した ---------------------------- [自由詩]漢検2級を取ったことがある/道草次郎[2021年4月11日10時37分] 昔、17の頃 漢検2級を取ったことがある 余命わずかの父は 送られてきた賞状を 額に入れ壁に飾った ぼくはすこし嫌な気がしたけど 今そのことがふと思い出され 父の心がスっと入ってきた気がして すこし なく いま 履歴書を書いている 父は ぼくの知っている限りで もっとも博識な人で たぶん ぼくに似た精神の持ち主だった ぼくの履歴書は 完璧にごちゃごちゃとしている いっぽう父は高卒以来 出版社一筋の人 休みの日は 休みもせずにりんごとぶどうをやっていた 父は若くして死んだが ぼくが生きる限り 父の成せなかった幾つかのことが ぼくという器をつかうだろう それが 春風のように 世にトポトポと零れることを ぼくは 昔から知っているような気がする ---------------------------- [自由詩]ひと房/道草次郎[2021年4月16日17時16分] スズランスイセンが揺れている こくこくと揺れている つまずいたら 抱きとめる つもりか はる ひと房の 想い ---------------------------- [自由詩]春雨は途切れることなく葉から葉へ/道草次郎[2021年4月17日16時11分] 雨。 時々、蛙。 波状に、しきり たゆみなく それでいて、まろく 忘れてしまう。 よいものはみな うっとりの 忘却の底。 じつに 屋根も素敵に育ち。 巻貝をくぐる ほぉ 南風。 私も いつかしか深緑な雲母。 ---------------------------- [自由詩]綿毛となって/道草次郎[2021年5月26日21時06分] ふうわり 綿毛となって とんでゆけ 忘れの国へ とんでゆけ そうだよ 地の底だって じつは天井 (かなしいね かなしいよ) さあ 思いの儘に とんでゆけ ふうわり 風をまくらに とんでゆけ 忘れの国へ ほわほわと ---------------------------- [自由詩]橋向こうの播種/道草次郎[2021年5月27日22時17分] ねえ ねえ ところで エピクロスの残存する幾らかの断片を 読むことぐらいしか もう したくはない (やけになまっちょろい物言いダナ) 小洒落た珈琲屋でひとり 超閲覧注意画像を見まくる俺は おさなく かつきよらのものを さくじつに於いて いだいたのだ でも なんにも感じず また 笑けてもこず (あぁ、もかぶれんどなぞよせば良かったのに) ポプラが空に 夢精するのをぼんやりと ひとり ながめていた とさ (ひどいったらない、でもご愛嬌か) ナム ナム 橋向こうに 種のとぶ ---------------------------- [自由詩]校庭/道草次郎[2021年5月31日9時24分] 十四の時にはじめて詩を書いた 校庭の桜がこわくて仕方なかったから 衝動買いの寝袋はけっきょく 使わないまま 今でも行けない場所がある ぼくはいまだに同級生がこわい ---------------------------- [自由詩]『5わのアヒル』を聴きながら/道草次郎[2021年6月3日19時04分] 『5わのアヒル』という子供の歌をききながら 水溶き片栗粉をこしらえてる トロミというのをしっかりと扱えたら いろんなことが すこしはマシになりそうなので だから 水溶き片栗粉なのだ 『5わのアヒル』という歌は とてもすきなので 『5わのアヒル』の歌いがいは もう聞く気がでない、とそう言うわけなのだ だから そういうあんばいなのだ 今夕は 兎に角、 そう 仕上がっている すべての今夕と今夕のかなしみに ここ、 ここに至って 何はなくとも ふりちぎれんばかりの 幸よ、あれ おれはそうねがうほかもうない ---------------------------- [自由詩]気が付いたら綱渡りをしていたことを思いだした、ひとりで/道草次郎[2021年6月7日18時47分] とたんにきみはきみが綱のうえにいるのをしる そういうのを 場面暗転というんだ ヒマラヤのてっぺんに打ちつけられた杭があり その杭からとおく伸びる綱の一閃 その綱はオリンポス山の頂に穿たれた杭へまで伸びているのだ きみは両手を広げでバランスをとる まるで大鷲のようだ めまいをおこしそうだから じっと瞑目して いっぽ またいっぽと歩を進める 寒風が首筋をおびやかし くちびるは凍る 月は ムーンは南西の空だろう もう少しすすめば ふたつのじゃがいもみたいな双子の月のお出ましだろうか きみはむねのあたりが わなわなとする まだ火星はとおい きみが息を吸うと 肺胞全てが運命にひざまずく きみは きみがめをふたたび開けたら なにもかも元通りになると期待する でも きみは真空の鷲だ そう どこからみても きみはもう引き返せない そのことはよく知っているはずだ ---------------------------- (ファイルの終わり)