アラガイsのyo-yoさんおすすめリスト 2011年12月6日12時19分から2020年7月30日21時26分まで ---------------------------- [自由詩]小さな窓から/yo-yo[2011年12月6日12時19分] 小さな窓から 小さな部屋の小さな空へ 移りかわる日々 晴れた日は手さぐりの虚ろ 雨の日はとおい耳 風の日は過ぎていく水 暗い夜はあてどなく ただ凍えている 小さな窓から 12月の雲 いずこへか魂をはこぶ 春の津波はなお 森の深くまで押し寄せてきた 吹きだまりには 落葉のやま いまは雲の道もみえない 小さな窓から 小さな光 近いのか遠いのか かすかに夢の声を明るくする 星の宇宙からノックして 光るものを言葉にかえるひと 小さな窓から 見つめつづける ---------------------------- [自由詩]弔辞/yo-yo[2013年4月30日7時03分] 父が商人になったきっかけは 一本のから芋の蔓だったのです 長男だった私は そんなことを弔辞で述べた そばで母や妹たちのすすり泣きが聞こえた その前夜 父はきれいに髭を剃ってねた どこかへ出かける予定があったのだろう だがそれきり 目覚めることはなかった 春浅い夜ふけ 寝たままの父を家族がとり囲んだ 寒いので父の布団に手足をそっと入れる 体に触れると 凍った人の冷たさがあった から芋の蔓が大事な食料だった時代 大事な金銭のやりとりがあったのだろう 父はそのことを息子に話した 金を儲けることは楽しい 商売は一番だと 冬は練炭火鉢 夏はお中元売り出しの団扇 父は店でひとり 野球放送を聴きながら釣竿をいじっている から芋で釣れる魚もいるそうだ 雑炊とから芋の蔓のまずさを 私はすこしだけ知っている けれどもついに から芋の蔓の育て方と それをお金に変える方法は知らなかった たまに私が家に帰るとき そして家を離れるとき 西日を避けるための大きな暖簾の前で 父はぼんやり立っていた 視線の先には私があり橋があり駅があった 真面目に真剣にやらなければ 勝つことはできない それは父が息子に教えた 釣りとパチンコの必勝法だったが いまだ私は勝ったことがない ---------------------------- [自由詩]山の水/yo-yo[2013年8月28日6時00分] 山の水があつまる わんどの深みに ザリガニのむき身を放りこむ 暗い川底が ぐるるんと動いた夏 七輪でおばあさんが焼く ナマズの蒲焼き 田んぼの畦を吹きわたって 麦わら帽子の ひさしをかすめて いくつもの夏が 細い野道を帰ってゆくようだ 虫になって草を分ける 小さな山を越え 小さな山に辿りつく 足の下の土がやわらかい そこに おばあさんは眠る わんどの水を焦がして ナマズの風になる 夏は 山の水が澄みわたるので 遠い川が近くなる ときどき夢からあふれて 黒い生きものが泥をまきあげる 水の底が 空よりも深くなる ---------------------------- [自由詩]そらの窓から/yo-yo[2015年3月23日7時43分] うぐいすが 空の窓をひらいていく 小さな口で ホーっと息を吸って ホケキョっと息を吐いて 春はため息ばかり 風を明るくする ---------------------------- [自由詩]サインは、さよならとまたね/yo-yo[2015年3月28日7時50分] 前田くんはピッチャーで ぼくはキャッチャー サインは ストレートとカーブしかなかったけれど あの小学校も中学校も いまはもうない 前田くんはいつも 甘いパンの匂いがした 彼の家がパン屋だったから だがベーカリーマエダも いまはもうない 最後のサインは さよならだった さよならだけでは足りなくて もういちど さよならと言った それでも足りなくて またねと言った あれから春はいくども来たけれど またねは来なかった いつもの朝がある さよならともまたねとも言わないで 朝だけが朝としてやってくる 冷蔵庫のパンとマーガリンには賞味期限がある 前田くんが焼いたパンではないけれど 食卓にはパンとヨーグルトとサラダ 左の掌をポンポンとたたく 今朝のサインは さよならとまたねでいく ---------------------------- [自由詩]雨が降りつづいている/yo-yo[2015年7月4日15時48分] もう止まないかもしれない そんな雨が降りつづいている 街も道路も車も人も みんな水浸しになっている ほんとに誰かが 大きなバケツの水をぶちまけたのだろうか 梅雨の終わりの最後には 雨の神さまがバケツを空っぽにして騒ぐんや そう言ってた祖母はいまや雨よりも高いところにいて ぶちまけた水で溺れそうになった父も すでに雨の向こうへ行ってしまった 裏には山があり前には川がある 年老いた母はひとりぼっちで泣いているかもしれない 家財道具を二度も川にさらわれた タンスやフスマが流されてゆくのを呆然と見ていた父が 海釣りの竿が浮いているのを見つけて 慌ててどろ水のなかに飛び込んだ がらんどうになった家の中に残ったのは 壊れた冷蔵庫と釣竿だけ あれから父は 黒鯛をなんびき釣っただろう 生き残った人間だけが水浸しになっている もう魚になって生き延びるしかないかもしれない 山が崩れ家が埋まり橋が壊れる 雨戸を閉じて母は川の音を聞いている 山の音を聞いている たぶん 誰も帰ってこないと嘆いている たぶん 雨が降っても降らなくても嘆いている たぶん 電話の呼び出し音が鳴っている 痛い痛いと腰を曲げたまま母は立ち上がる たぶん 急に起きたので貧血でぼんやりしている たぶん 黒い受話器まであと数歩 たぶん それともすでに 母もまた雨の向こうまで行ってしまったか 電話の呼び出し音はつづいている 雨も降りつづいている ---------------------------- [自由詩]夏の魚/yo-yo[2015年8月12日7時30分] コップのなかに 残された朝と 醒めきらないままの 水を分けあう 魚のかたちをして 水がうごく 夏のはじまり ゆっくり水際を 泳いでゆこうとする 小さな魚だ 草となり ただ草となる それだけの 夏があることを 魚は知らない 水となり ただ水となって いくつも水紋をひろげ やわらかい鰭で 夏の回想を重ねていく そして魚は 水の雲を砕こうとして 空にはじける 一瞬の夏を残して ---------------------------- [自由詩]秋の魚あはれ/yo-yo[2015年9月11日18時20分] 木の葉が 風に散っていく 表になり裏になり 葉脈の流れをとめて 秋の波紋がひろがっていく セコと呼ばれる河童が 山へと帰っていく季節だった 雨が降ったあとの小さな水たまりが 河童の目ん玉でいっぱいだった その道を 山から川へと帰っていく人もいた その人は 一枚の葉っぱが 魚に変身するのを見たという 美しい魚だった エノキの葉っぱが魚になったので エノハと名付けられた 水が激しく落ちこむ瀬に 大きく竿を振って瀬虫を放りこむ 手元にぐぐっとくる動きを引き上げる しびれたように痙攣しながら あはれ銀色の魚体が 宙を泳いだ 一瞬の秋が落ちる そのとき 釣り人の手に残されたのは 色あざやかな 一枚の葉っぱだった ---------------------------- [自由詩]山口くんの木/yo-yo[2016年3月12日7時56分] 山口くんが木になった あれは小学生の頃だった 木にも命があると 彼は言った 山口くんの木は どんどん空に伸びて 校庭の イチョウの木よりも高くなった あれから彼に会っていない 晴れた日も雨の日も イチョウの葉っぱはいつも 山口くんの手の平の 日なたのようだ ---------------------------- [自由詩]みんな空へ帰っていく/yo-yo[2016年3月17日10時12分] 卒業式の日に 飼っていたホオジロにリボンをつけて 冷たい空に放してやった 冬の鳥だから 冬の山へ帰してやったよ せんせいの声も ピアニカのドミソも みんな憶えていたいけど ばいばい おばあちゃんの声が 赤土の窓からとび出してくるんだ たまごやき焼いたよって帰っといで おばあちゃん 春だからみんな 空へ帰っていくんだ だれだろう 空のどこかでノックしている コンコンコン けきょけきょけきょ 窓を開けたら ぼくの部屋もからっぽだ ---------------------------- [自由詩]つばさ/yo-yo[2016年3月27日14時38分] 小さな穴を掘って 小さな埋葬をした 小さなかなしみに 小さな花を供えた 小鳥には翼があるから 虫のようには眠れないだろう 空を忘れてしまうまで 地中で長い長い夢をみるだろう ひとには翼がないから 夢の中でしか空を飛べない かなしい目覚めのあとで ゆっくりと手足をとりもどしていく あかるい朝も くらい朝も あらたな始まりを告げるのは 空の羽ばたく気配だ ---------------------------- [自由詩]桜かな/yo-yo[2016年4月4日7時24分] きょうの桜は いつかの桜かもしれない きょうの私が いつかの桜をみている いつかの鵯が きょうの桜を啄んでいる きょうの私は いつかの私かもしれない いつかの私が きょうの桜をみていて きょうの鵯が いつかの桜を啄んでいて いつかの桜が きょう散っている さまざまのこと思い出す桜哉 (芭蕉) ---------------------------- [自由詩]なんとなく春だから/yo-yo[2016年4月7日7時30分] 花だから咲いたらすぐに散ります 誰かが言いました わたしは薄いうすい一枚の紙です 折り鶴が言いました わしは古いふるい一本の木だよ 仏像が言いました ぼくは孤独でまぬけな人間なんだ 木偶(でく)の坊が言いました なんとなく春だから あたしの恋文は空をさまよう 風の便りが言いました ---------------------------- [自由詩]恋する地球を恋する/yo-yo[2016年4月20日6時40分] 遠くの山々が のどかに雲の帽子をかぶっていた日々 春の野をいっぱいの花でみたし 初夏の木々を新鮮な緑で塗りかえてくれた 美しい地球よ 恋しい地球よ どうか 山を崩さないでくれ 家を人を押し流さないでくれ 川の水を濁さないでくれ 恋する人々を 狂おしく嫉妬しないでくれ 人はただ 美しい地球の四季に恋し 美しくなりたいだけなんだから *   初恋の味 まだ恋をしたことがないので 彼女はカルピスを飲んでみました 初恋の味は 甘くて 酸っぱくて 冷たくて あたまの芯がきいんとなって 失神しそうになりました けれども なんだか物足りません 口づけの味がわからないのです 恋をストローで飲んだので 夢中で吸い込むばかりだったのです *   黒ねこ 黒ねこが ペリカンを好きになりました 好きだという気持を 彼女にどうやって伝えようかと 彼はとても悩んでいます ペリカンは水辺にばかりいるし 黒ねこは水が嫌いなのです 届かない想いを なんとかして届けたい 魔女の宅急便に電話して 空のダンボールを用意したのですが 黒ねこはただ 箱の中にうずくまったきりです *   羊 その動物園の 彼女は羊の飼育係です ぜんぶの羊の顔を それぞれ見分けることができる それがひそかな自慢です 不眠症の彼女は ベッドの中で羊を数えながら眠ります 夜の羊はどれも おなじ顔をしているので うまく数えることができません 気がつくと いつも羊がいっぴき足りないのです だから休日は 普段よりも化粧をていねいにして 迷子の羊を探しに出かけます *   フランス アテネ・フランセの フランス人のフランス語の先生に 彼は恋をしました ジュ・テームあなたが好きです 彼のフランス語が通じません 日本語も通じません ミラボー橋の下を セーヌ川は流れるそうです 恋も流れるそうです ジュ・テームあなたが好きです ぼくの苦しみは川に似ている 中央線御茶ノ水駅の下を 流れているのは 神田川です *   雨女 気象予報士の彼女は 雨女です それでも天気予報は 晴れの日は晴れなのです 全国的にお洗濯日和ですなどと言いながら ほんとに晴れてていいのかしら、と 彼女はひとりで曇ります 休日はコスモスの花びらを数えたり 枝毛を抜いて占ったりします 遠距離恋愛の恋人は てるてる坊主のような雨男です 彼は傘がないので テレビは天気予報とサザエさんしか見ないそうです *   ホトトギス テッペンカケタカ ホトトギスはそういって鳴くのだと 彼が教えてくれました テッペンカケタカ 鋭く空を切りさいて飛び去る あれから彼女の 空のてっぺんも欠けてしまったのです 虚しくて 思いは空へ空へと抜けていくのです テッペンカケタカ もういちど聞きたいのは ほんとの空の声です *   ミルキーウェイ ぼくはほとんど水だ と彼は言いました 手の水をひろげ足の水をのばす 水は水として生きて 水として果てる そのとき大気の端とつながり 水からいちばん遠い水と出会う そこで彼は はじめて彼女の水に触れました 彼女は言う 水から生まれ水を孕むわたし 軟らかくて丸い 始まりはいつも一滴のしずく さらに大きなものを ふたりは宇宙と呼びました ---------------------------- [自由詩]風の国から/yo-yo[2016年8月20日9時47分]   「風のことば」 西へと みじかい眠りを繋ぎながら 渦潮の海をわたって 風のくにへ 古い記憶をなぞるように 活火山はゆたかな放物線で 懐かしい風の声を 伝えてくる 空は雲のためにあった 夏の一日をかけて 雲はひたすら膨らみつづけ やがて空になった ぼくは夏草の中へ 草はそよいで ぼくの中で風になった 風には言葉がなかった 洞窟のキリシタンのように とつとつと言葉を風におくる ゼウスのように 風も姿がなかった 風のくにでは 生者よりも死者のほうが多い 明るすぎる山の尾根で みんな石になって眠っていた 迎え火を焚いて 家の中が賑やかになった 古いひとびとは 古い言葉をつかった 声が遠いと母がぼやく 耳の中に豆粒が入っていると 同じことばかり言うので 子供らも耳の中に豆粒を入れた ひぐらしの声で一日が明けて ひぐらしの声で一日が暮れた 翅は青く透きとおり せみの腹は空っぽだった 送り火を焚くと ひとつずつ夏が終る 耳の中の豆粒を取り出すと 母の読経が聞こえた きょうは目が痛いと母が言う きのうは眩暈がし おとといは便秘じゃった 薬が多すぎて配分がわからない 母の目薬は探せないまま いくつもトンネルをくぐり抜けて ぼくはまた船に乗る とうとう風の言葉は聞けなかった *   「隠れキリシタン」 ペトロ・パウロ・ナバロさま フランシスコ・ボリドリノさま 異国の方のお顔とお名前の見分けが いまだワタクシには出来ませぬ アイタタタアイタタタ アーメン ワタクシの病んだ骨はどうなりますじゃろ 骨と骨がこすれあうと 老いた骨は悲鳴をあげまする アイタタタアイタタタとは この国では骨が泣く言葉でござりまする 母なるマリアよ いや骨粗しょう症の母さまよ かつては5人の子供らのために そして夫とその愛人のために いまは自分自身が生きるために アナタの骨は痛みマスル アイタタタアイタタタと骨を砕く母さまよ アナタの痛みは 殉教者たちの慰めとなりマスル ヨハネ・ヒョーヱモン(兵右衛門) ドミニコ・ナンガノ・ヨイチ(永野與一) パウロ・ジャソダジョー(八十太夫) トマス・ウスイ・フィコサンブロ(臼井彦三郎) アドリヤン・スンガ・サンザキ(須賀三吉) パウロ・レオエイ・モッタリ(服部了永) ドミニコ・シェヱモン(清右衛門) 彼らの声はとっくに神の国に届いておりマスル 南無末法下種の大導師 高祖日蓮大菩薩御報恩謝徳 南無妙法蓮華経 アイタタタアイタタタ チーン 信徒アナン(阿南)もコーノ(河野)も いまだセクト・ホッケ(法華宗)にござりまする 信仰深い母さまよ この西向きの洞窟に朝の陽は入りまセヌガ 竹林からもれてくる水晶の光は 光明と暗闇と歓喜と苦悩と 光と影のはざまに真理を宿した Verbum Dei(神の言葉)のようにもみえマスル この洞窟の壁はかつて 病んだ骨のようにもろく崩れマシタ モンターニュ・ド・フー(火の山)の熔岩とヨナ(灰)は この深い盆地を埋めつくしマシタ 大地は昼も夜も鳴動をやめマセズ ミサ・イル(燃える岩)は鳥のように空を飛び交い ときには洞窟の奥までも貫き通しマシタ もはやゼウスもヤハウェもアッラーも 神の力は無力のように思えたのデシタ ときに夜空を仰ぐと星の輝き 星宿というこの国の素敵な言葉を知りマシタ 星と星は糸のような韻律で連なり 古い象形文字の地図をひろげマスル Viva(バンザイ)!海の塩よポルトガルの涙 波涛の夢は遥かなリスボン河口の港にたどり着きマスル かつて海を渡った殉教者たちの航跡を 霜のごとく静かに星は記憶したでありマセウ 星の地図に刻まれた歳月を辿るうち この国にある星霜という美しい言葉も知りマシタ アイタタタアイタタタ ワタクシには異国の言葉はわかりませぬが シンガ(志賀)のトノ(殿)より薬を賜ってござりまする ワタクシの貧しい食事よりも豊かな 薬研(やげん)のコンペイトウのような白い輝きは デュウ(天主)よりも神々しくみえまする いまやこの白いロザリオ(玉薬)なしには いっときも命をつなぐことはできませぬ リーゼ錠とやらは心の緊張や不安をやわらげ 酸化マグネシウムとやらは胃の酸を中和し便通をうながし つくし散とやらは食欲不振や消化不良を改善し パリエット錠とやらは胃・十二指腸潰瘍や逆流性食道炎を快癒し ラニラピット錠とやらはうっ血性心不全や不整脈の症状をおさえ ラシックス錠とやらは尿量を増やしてむくみをとり血圧を安定し バイアスピリン錠とやらは血を固まりにくくして血液の流れをよくし ニトロダームとやらは狭心症の症状を鎮めるベッタリ膏薬でござりまする アイタタタアイタタタ ワタクシめの骨の骨と肉の肉 この血の色はもはや穢れて白く濁ってはおりませぬか ペトロ・パウロ・ナバロさま フランシスコ・ボリドリノさま アイタタタアイタタタという骨の言葉は あなた方の神に届きまするか ---------------------------- [自由詩]恋する地球を恋する/yo-yo[2019年5月3日11時06分]   <初恋の味> イチゴは 甘くて酸っぱい マーブルチョコレートは ちょっぴり甘い 初恋は 夏ミカンの味 体じゅうが夏ミカンになって ピアノをさぼった 今日のわたし カルピスを飲んで 古い話ばかりしてしまう *   <黒ネコ> 黒ネコが ペリカンを好きになりました その想いを伝えたくて 彼はとても悩んでいます ペリカンは水辺にばかりいるし 黒ネコは水が嫌いなのです 届かない想いをなんとかして届けたい 魔女の宅急便に相談したけれど 黒ネコはただ ダンボールの中にうずくまったきりです *   <羊> 彼女は羊の飼育係です 13匹いる羊の顔を それぞれ見分けることができる でもそのことは秘密です 不眠症の彼女は ベッドで羊を数えながら眠ります 夢の中の羊は どれも同じ顔をしているので 判別することができません いつも1ぴき足りないのです なので休日は 普段よりも化粧をていねいにして 迷子の羊を 探しに出かけます *   <フランス> アテネ・フランセの フランス人のフランス語の先生に 彼は恋をしました ジュ・テームあなたが好きです だけど彼のフランス語は通じません 日本語も通じません セーヌ川は ミラボー橋の下を流れているそうです 恋の歌も流れているそうです ジュ・テームあなたが好きです ぼくの苦しみは川に似ている 中央線御茶ノ水駅の下を 流れているのは 神田川です *   <雨女> 気象予報士の彼女は 雨女です 晴れの日がつづくと 彼女の気分は曇りがちです お昼休みは コスモスの花びらを数えたり 枝毛を抜いて占ったりしています 遠距離恋愛の彼氏も てるてる坊主のような雨男です 日曜日は傘がないので ひとりテレビで サザエさんと天気予報ばかり みています *   <ホトトギス> テッペンカケタカ ホトトギスはそういって鳴くのだと 彼が教えてくれました テッペンカケタカ 鋭く空を切りさいて飛び去る あれから彼女の 空のてっぺんも欠けてしまったのです 虚しくて思いは 空へ空へと抜けていくのです もういちど聞きたいのは あの日の空から聞こえてくる テッペンカケタカ *   <ミルキーウェイ> ぼくはほとんど青い水だ と彼は言いました 手の水をひろげ足の水をのばす 水は水として生き やがて一本の川となって 新しい水と出会う ミルク色した彼女は言う 水から生まれ水を孕むわたし やわらかくて丸い 始まりはいつも一滴のしずく さらに大きなものを ふたりは 宇宙の川と呼びました ---------------------------- [自由詩]マラソン/yo-yo[2019年9月18日14時10分] ヨーイ ドン 校長先生のピストルで ランナーはみんな逝ってしまった あれからぼくは どこを走っているのだろうか 豆腐屋がある 醤油屋がある 精米所がある お寺があり風呂屋があり 芝居小屋がある かんじんが居て落ち武者が居る カミナリ先生の家があり ター坊の錆びた自転車がある 新聞販売店があり製材所がある 床屋があり薬局があり 鍛冶屋があり 郵便ポストがある 桐の下駄が積まれた工場があり 竹の篭を作る職人が居る 仕立て屋があり雑貨屋がある 肉屋があり宿屋もある お地蔵さんがあり共同井戸がある ポチがいてタローもいる 歯科医院があり文具店があり 坂を上ると 小学校の古い木造校舎があった 二宮金次郎と土俵が あった 長い廊下とオルガンが あった 金木犀が咲く ぼくの家はもうない 道だけがある ---------------------------- [自由詩]てっぽう/yo-yo[2020年7月30日21時26分] とうにもう 枯野の向こうへ行きやったけど おれに初めてフグを食わしてくれたんは おんじゃん(おじいちゃん)やった 唇がぴりぴりしたら言いや フグの毒がまわったゆうことやさかいにな おれはフグの味なんか ちっともわからへんかった フグみたいに 喋るまえに口をぱくぱくしよる おんじゃんの口はがま口と変わらへんねん いつも腹巻のどんづまりに入っとった グチが出よるかゼニが出よるか そんな腹巻は好きやったけどな おれたちは引きこもりやった おんじゃんは関節と入れ歯ががたがたで おれは背骨と前頭葉がゆるんどった 朝おきて顔をあろうて飯食うて おれが五七調でじゃれたりしとると おんじゃんの顔が宗匠づらになりよった われはあほか 俳句には季語ゆうもんがないとあかんのや 春には春の秋には秋の花が咲きよるやろ 春夏秋冬 のんべんだらりのおれ 花の名前も知らへんかった 念仏のような俳句がなんぼのもんや おんじゃんの腹巻の中へ突っ返してやった ほしたら宗匠はきんたまかきながら 口をぱくぱくしとったもんや 五七五や たったの十七文字や われはそんなんもでけへんのか言うて 大根でも切るように切って削って 言葉を五七五に揃えようとしとった ほんでもって言葉がだんだん少のうなって 俳句ひとつぶんくらいになってしもた それがおんじゃんの一日や おれの一日も似たようなもんやったけどな 唇がぴりぴりしたら そのあとどうなるゆうねん 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る とうとう盗作やらかして おんじゃんを怒らしてしもた そうやねん枯野をかけ廻ってたんや おんじゃんの夢もおれの夢も ほいで四日後におんじゃんが死んでまうなんて なんでやねん あほな頭じゃ考えられへんかった おんじゃんは 辞世の句も残さへんかった もちろん フグの毒にあたったんでもない ほんまにあほや ---------------------------- (ファイルの終わり)