乾 加津也のそらの珊瑚さんおすすめリスト 2013年1月13日7時47分から2016年3月2日12時38分まで ---------------------------- [自由詩]雑踏/そらの珊瑚[2013年1月13日7時47分] ひかりをみつけたよ 人が踏みゆく 黒いアスファルトのなかに 埋まっている 埋まっていた だけど 誰も 拾わない 拾えやしない だいあもんどなんかより き れ い どこへ続いていくんだろう あ し た 駅へむかうこの道をたくさんの足が みゅうじかるのように ひかりを踏みしめていく ---------------------------- [自由詩]ほころびを縫う/そらの珊瑚[2013年1月15日8時03分] ほころびを縫う 小さな欠落をたぐりよせながら そのひとつひとつを 確かめるように埋めていく ほころびのない人生など ない 冬の夜にほころびを縫って いる 母さんにもらった針と糸で ---------------------------- [自由詩]ひとひらの雪/そらの珊瑚[2013年1月15日10時32分] 雪は ひとひらと数えます ひら、ひらと 落ちてくる様は 心がなにかを探しているようで 雪を ひとひらと数えます ふたひら みひら あとはもう数えるのは止めました あしたの朝には よりそって たくさんの雪になるでしょう たくさんの答になるでしょう ---------------------------- [自由詩]かりぬい/そらの珊瑚[2013年1月17日8時10分] 赤いウミウシの模様であった デパートの包装紙 それで母はちゃっちゃかと洋服の型紙を作る かつて何かを包んだものの匂いがしていた ヒトガタに切った人形が 夢のなかでトモダチになるように 平面であったパーツが 母の手のなかで立体になっていく 裁ち鋏がチャコペンシルの線路の上をざくりざくりと進んでいく 織り布の断面はやがてほつれてやわらかい 仮縫いであった 動かないで、と言われて みじろぎしないで待っている まち針 しつけ糸 糸を寄せればおあつらえのドレープが現れる 眼を閉じて魔法のかかり具合を確かめていた どんなに平面な今だって 仮に縫ってみればいいさぁ 出来上がった洋服は 明日のために少しだけ大きくて ウミウシの空気を含んでいた 始発駅であった 風の生まれる岬にて わたしは包まれ あたらしい中身になっていく ---------------------------- [自由詩]アナザー ドア/そらの珊瑚[2013年1月19日9時04分] 廃屋になる少しまえ きみょうに やねがかたむきはじめた それは ただのきっかけだったが 終わりまで止むことの 許されない 狂ったアリアだった ちょうつがいが蝶に戻って飛び立つころ えんきんほうが ぐずぐずになった 転調 世界は歪み 肩をすくませて調律師は出ていった 細い亀裂が加速する 見知らぬ時間が追い越していく そして 誰もいない 廃屋になろうとしている わたしは初めて ほんとうの空の青さをを知り 泣くだろう ---------------------------- [自由詩]針金ハンガー/そらの珊瑚[2013年2月7日8時59分] 備え付けの グレイのロッカーの扉を開けると 中に針金のハンガーが二本 ぶらさがっていた わたしの前に 入院していた人が 使って残しておいたものだろうか ただ一本の針金からできている いかつい肩 ねじれた首 はてなのかたちの顔がある 足はないから どこへもいけず こんなところにいるのです さあ、今度はあなたの番ですよ、というように 会うこともないであろう 見ずしらずのもとの住人の やさしげな顔に肉付けされていく あとから来る人へ 贈り物と呼べないような ささやかな贈り物 病室からは池が見え のんびりと水鳥が浮かんでいた いつかどこかでみた 名もないあおい水彩画のようで わたしは 春まだ浅い淵で 鑑賞に訪れた客のひとりになった ---------------------------- [自由詩]宴 / 春の祝福/そらの珊瑚[2013年2月18日8時27分] なぐさめが 嘘だと知っていた けれど この世の中に ほんとのことなど 在るのだろうか わたしの躰に産みつけられ 冬を越した 薄黄色い卵(カプセル)が もうすぐ 孵化を始めるだろう わたしは あらがう術を持たず どこへも行けないで ただ 喰べつくされるのを こうべを垂れて待っている 春の祝福 それは ゆるやかに効いていく麻酔に似ている 宴 それは 静脈を巡る子守唄 現れては消える 幻のような白い光に包まれて わたしは あなたに 成った ---------------------------- [自由詩]咳/そらの珊瑚[2013年2月26日8時47分] 人なかで咳が出ると はやく止まれとあせる 半径3メートルにいる人たちから 無言で疎まれていると感じて 目的地のことなどどうでもよくなり 消え去りたくなる 独りで居るとき咳が出ると ほっとする 誰にも気兼ねなく 憐れまれることなく 咳をまきちらかす この躰の中にある 要らないものを 咳という激しい動力によって 外へ押し出している 強制執行 一方通行 無償交換 連続関数 そして からっぽになったあかつきに 美しい空洞になっていくことを 夢想してみたりする 人生にはそんな気休めが必要 誰もいない半径3メートルの空気が薄くなっていく 咳はわたしに息を吸うことを許さない そこはどんな目的地だったのか 嵐になれば あっけなく川に流されるみどりの中洲だろうか 揺れる吊り橋でしか 行くこと叶わぬあおい島なのか それとも 点滅を繰り返すあかい灯台もしくは避難港か 咳が終わるとき 脱力したぽんこつになり 涙が出ていることに ようやく気付く それらは乾いたあと しろい道になった たどってゆきなさい どこかに つながっているはずだから  ---------------------------- [自由詩]川岸にて/そらの珊瑚[2013年3月20日14時51分] 女の子の 苗字と名前にある わずかな空白に 小さな川が流れて いる せせらぎのような気安さであるから そこをいったりきたりすることが できる 時々流れてくる桃を 無邪気に拾って遊んでみたり する そのうち胸がふくらんで 好ましい手が三つ編みをほどいて いく ああ 気がつけば わたしの川は もう渡ることが叶わない 大きな川になってしまって いた ---------------------------- [自由詩]川という女/そらの珊瑚[2013年3月30日7時25分] もう なんにちも 雨は降らないし 降りようがない 雨乞いの呪文も もはや効き目は薄れ わずかばかりの 水を流して やり過ごしている  さかな 苦しいだろう さかな 底に怯えているだろう さかな 右往左往しているだろう さかな 砂を吐き出しているだろう さかな わたしを恨んでいるだろう それでも わたしは孕む 川べりを這うようにして かずらが みもだえしいしい  幾本も 巻きつき からまり 命へつながっている あれは わたしの臍帯 いつ 産み月が 来るとも知らされず 川という女が みごもっている *「詩と思想」(読者投稿作品)2013年8月号にて入選した作品です。  選者小川英晴氏から「ポエジーが生動していない」という  とても有難い批評をいただきました。これからの詩作の目標にしていきたいです。 ---------------------------- [自由詩]みつめる/そらの珊瑚[2013年4月5日10時12分] みつめる みつめる じっとみつめる そうすると 何かが 語りかけてくる 種を手放したあとの たんぽぽが 茎に残された 小さな瞳で 私をじっとみつめる 世界には なんと 多くの瞳が あることだろう みつめたい みつめたい じっとみつめていたい 涙が あふれてくるのは 瞬きを我慢しているから みつめる 春という名の ほんの少しだけ かなしい季節を ---------------------------- [自由詩]痩せた猫/そらの珊瑚[2013年4月9日8時17分] 声がする 崖っぷちに かろうじて 爪を立て 呼んでいる 誰かを よるじゅう 求めている 雨に打たれて 傘も持たない 家もない 母もない 優しい思い出も持たない 痩せた猫が わたしを呼んでいる 骨と皮だけになり 眼も見えず それでも おまえは呼ぶことを止めない ふるえながら 恨むこともせず ひたすらに 生きることを止めない そっと 抱けば 一輪の野の花のように 軽い たったひとつ残った熾火のように かすかな 熱 痩せた猫が 今夜も わたしを呼んでいる なけなしの声で ---------------------------- [自由詩]あしうら/そらの珊瑚[2013年5月15日14時48分] 明け方 素になった あしのうらが のんびり呼吸をしていた 朝、起きて 人が再び活動を始めたときから あしうらは忙しい 意にそまない誰かであっても 一緒に過ごさねばならない 破れかけた靴下と 汚れた運動靴と 坂道をのぼる自転車のペダルと 学校へ行けば 長いこと洗っていない室内履きと 汗と 臭いと 汚れにまみれて 歩く 歩き続けていく あしうらは 今日も 二拍子のリズムさながらの 息継ぎを繰り返しながら 娘のあしうら 無防備なようで 実は強い地 くぼみには透明な水が湧き ゆるやかなカーブを描いた丘の先に 丸い果実のような指が 横一列に鈴なりに並んでいた 未来へ続く長い道のり たった にじゅうごせんちの長さで 彼女の全体重を引き受けて 踏みしめていくだろう あしうら ---------------------------- [自由詩]【仮にみどりと名づけてみる】群青五月のお題、緑から/そらの珊瑚[2013年5月25日10時33分] 「ママ、なんでみどりなのに、あおっていうの?」 信号を指さして そう問う まだ乳くさい我が子を 天才だ! と思った遠い日 わたしは なんと答えたのだろう 仮に みどり、と名づけてみる 仮に あお、と名づけてみる 仮に さみしさ、と名づけてみる 街のあちこちの信号が 仮に しあわせ、と名付けた 思い出のスイッチをおすように 点滅を繰り返している その眼をよく見れば 小さな点の集合体 あの日も この日も 集い合って 答えのない今、を作る 仮に みどり、と名づけてみる 五月の空の 子つばめの 飛びたってゆく未来の色を ---------------------------- [自由詩]ゆくすえ/そらの珊瑚[2013年5月29日13時36分] ゆくすえは どこまで見まもることが できるのだろう 吃音のことで それほど悩んでいたなんて 知らなかったけれど 親は子の悩みを まるごと肩代わりすることはできないし してあげたいけれど してはいけない ゆくすえの ゆくすえを 想像すれば そこに わたしはもういないから 紙の扉に うすあおい朝が 透けている 始まったばかりの 雨の季節の ゆくすえを 誰かが 無言で 見おくっている ---------------------------- [自由詩]花まんま/そらの珊瑚[2013年6月4日8時51分] おそらくは やわらかな春の香り おそらくは かぐわしい早乙女のような おそらくは この世に用意された おびただしい 喜びと悲しみのあわいで おそらくは それは 幻の香り さくらは香りをもたないと 現実を 知ってしまっても あれがまやかしの類だとは到底思えない 記憶の淵につかまりながら 爪先立って覗き込む そっと顔を寄せれば ゆらめいて くゆり 薫る 確かに在る おそらくは わたしの 知っている香り 縁の欠けた ままごと茶碗一杯に盛られた ひとまとまりになった うすももいろのはなびらが 匂う 無邪気な素手でつかめば しなやかに 快活に 空気をまとった そのひとひら、ふたひらが 馴染んだ茣蓙(ござ)の上に あふれこぼれ 戯れて  やがて風をつかまえて離れていく 気がつけば夕暮れて もうだあれもいなかった おそらくは今日 誠実な枕になって わたしをねむらせる おそらくは明日 尊い糧になって わたしをたべさせる ---------------------------- [自由詩]【草子樺】 詩人サークル群青 6月の課題『慈』から/そらの珊瑚[2013年6月11日13時21分] 人は はぎとった他者に 記し 記してきた 鳥は記さない 慈しみあう つがいの声は 白い森に響き 溶けて消えていくだけ 草子樺(そうしかんば)は カバノキ科シラカバ属 落葉高木 樹皮をはぎとられて 紙となる そこに わたしは 記していこう 到底あの鳥の声のように潔くは生きられないのなら それが 今、 つなぎ止めることの出来ない 今、を生きている 証のような言葉であればと 強く刻みつける ---------------------------- [自由詩]ねがえり/そらの珊瑚[2013年7月10日10時51分] 水中花は 水がある限り 生き続けます におい こえ てざわり ある種の予感 見えはしないのに 確かに在ったものたち 次は 何に生まれ変わりますか? 一秒に 『チョモランマ』と三回唱えることが出来れば 願いごとが叶います 改札をくぐり抜ける人はみな 『チョモランマ』とつぶやいていた それでも十人にひとりくらいは 『エベレスト』と言う 誰かにとってのチョモランマは 別の誰かにとってのエベレストだから 誰かにとっての願い事は 別の誰かにとっては呪いかもしれなくて とりあえず ボン ボヤージ! 雨あがりに 庭でシャボンをとばす その ひとつひとつに 少女は虹を架ける シャボンは いつだって空に届く前に はかなく割れる あるものは 虹の記憶を持って漂い あるものは 成仏できなかった魂として はざまを浮遊している そこから先に行くには 契約書に署名してください 名前が思い出せなかったので でたらめに書いた それでは捺印を なければ拇印でも結構ですと 兎に詰め寄られる 私は渦状紋をとられまいと 指をぐーにして逃げた 底なし沼は嘘つきだった 底がないように見せかけて 実は 底は存在する それらは夢の断片 ねがえり、を打つたびに 灯がついて 私は 現実に戻された 朝になり 枕の下から 電球のスイッチが見つかる ねがえり、 ねながら、 かえること ---------------------------- [自由詩]もらい乳/そらの珊瑚[2013年8月6日7時01分] ばーばに手を引かれ ゆるい坂道をてくてくいけば 「コカ・コーラ!」 わたしは畑に捨てられていた瓶を指さして叫ぶ ママ、という言葉は知っていたけれど ママ、と呼ぶ対象がいなかった 日々蓄積されていく 闇鍋さながらの言葉のうずのなかで 混沌から素手で拾い上げるかのように 供物であった 高々と差し出した音は 「コカ・コーラ」 生まれて初めて しゃべった言葉が 「コカ・コーラ」 黒い流体 得体が知れなくて 発泡しながら喉の奥をひりつかせていく 乱暴に愛撫するように だって工場生産だから 母性なんかなくったって 子は産める グラマラスな硬質ボディの本質 呪文のような 「コカ・コーラ」 夏の終わり  逃げ水にゆらぐ鶏頭はますます赤く 太陽は水素爆発の手綱を緩めない 地に落ちた蝉に 麦わら帽子をかぶせた 名前を刻まない墓標として 今度生まれてくるならば ピッコロみたいなモノガタリを響かせる声を下さい 祈りは届かなくたって 祈り続けることが大事 無駄な祈りはひとつもない それが 真摯であるのなら 音符は産みだされ 羽は再生され 曲を奏でることだろう 蟻の軍列(パレード)がゆく 生殖という冠をかぶった(かぶらされた)女王に忠誠を誓い 貢ぎ物を運び続ける コカ・コーラのマーチが終わるころ 牛舎についた どこか懐かしいような獣の臭いに 体ごと抱き込まれるような気がして 慄き、思わず息を止めた ばーばは一升瓶を捨てたりしない それは繰り返し 牛の乳が注がれるものだから 実らない母性がフル回転している 実らせないよう仕組まれた母性がじゃぶじゃぶと搾取されている わたしは ほんとうは牛の仔 抗うことを放棄した かなしい眼をした黒い顔の母がいた 白い乳はほのかに甘く生暖かく 喉の奥を慈愛で浸らせて 今も 私の一部でごくりごくりと反芻されて生きている ---------------------------- [自由詩]白骨の湯/そらの珊瑚[2013年11月9日15時03分] 露天風呂に 注がれる湯を見ていた 細い竹筒を通って それは 私のいる場所へと 落ちてくる 水面に触れるだけで  透明だった湯は たちどころに白く濁る 真暗闇なのに ほのかに明るいのは ただひとつの月のせい その光とて 光源は別のところにある からくり その光が浮かび上がらせた からくり ――心は変わるものなのです そのことを責めても それは  ただのからくりなんだと 思い当たる そして誰でも 最後は まごうかたなき 白い骨という真実になるのです 現実を上手に隠す 靄(モヤ)という幻想の晴れ間 私の手脚は 茹で上がり 奇妙なまでに年老いて ほぐれていった ---------------------------- [自由詩]ヒビいった/そらの珊瑚[2013年11月15日23時17分] MRIに写った骨に ほんの少しの ヒビ在り しばし見入る ヒビは歌わない ましてや笑わない 責めたりしないし 冗談も言わない 財布の心配もしない 後悔もしない 原因があって 結果があるように 金曜日の雨は次第に晴れて ヒビは正しくそこにあった 硬い芯は 硬いがゆえに 時にとてももろい かたくなで あろうとすればするほど 融通が利かない それはそれは カタブツの生き様 ヒビの断面は ヒビの断面を 無言で呼び合って 引き寄せ合う 接着剤もないのに 再びくっついて 三週間後には 元に戻るという 生きていることは とても残酷な仕組み スロープを歩く人は傍観者でなく ことごとく終末へ向かっているから けれど 今日、生きていることは とても優しい仕組み 松葉杖に支えられながらも こぞって修復へ向かっているから ---------------------------- [自由詩]とうめいな容れ物が収集を待っている/そらの珊瑚[2013年11月17日16時43分] ペットボトルのごみの日 中身(心)はもうとうになくて キャップ(顔)やら 包装(洋服)やらを 捨て去ったら みな 潔い裸になった とても清々しいごみの日には カラスさえも 素通りする もう 個を証明する手立てが そこにはなかった 私がとうめいな容れ物になったら 紛れもなくそれが私だと 証明することはとても難しい 木枯らしにはまだ慣れていないから とても 寒々しくて 空を見上げる 光を捨て去った いくつかの星々もまた いつ来るとも知れない 収集を とうめいな石になって 待っているのだろうか ---------------------------- [自由詩]こわれもの/そらの珊瑚[2013年12月24日8時50分] 冬の肌は こわれもの 夕餉の火を落とし 手にたっぷりと クリームを塗る ひび割れから そっとしみこむように 日常というものは 重力がある限り 何処に行ったとしても そう変わらない 人の心は こわれもの こうして 修復を繰り返し ほんの少しずつ 強くなっていければいい あの日 手放してしまった 赤い風船が 求めた 空が 今も続いていますように 睡りというものは 自覚のない死と似ている 最期に わたしに届いたのは 犬の遠吠え ああ、漣のような この真夜中の美しさを 抱きしめて 瞳をとじよう たとえ明日 世界が終わっていようと ---------------------------- [自由詩]閉経/そらの珊瑚[2014年1月30日8時17分] 黒いアイリスは 男の喪に服した女だ ジョージア・オキーフが描いた 花の絵は どれも女の顔に見える 花が儚く美しいという概念は もしかしたら幻想なのではないか もうこれ以上 対象に接近したら 焦点がぼやけてしまう そのぎりぎりのカメラを 彼女は持っていたように思う 花の顔はいつか身籠る器官だ 人間の女のように隠したりせず 無邪気に 陽光のもとにさらしている 黒いアイリスは もう二度と産むことのない女だ 愛に殉じた女である ---------------------------- [自由詩]女同士/そらの珊瑚[2014年2月3日8時41分] 娘の反抗期も そろそろ終わりかなあと やれやれと思う反面 なんだかそれはそれで 一抹のさみしさもあり 手放した自覚もなく ああ、季節というものは こんな風に過ぎてゆくものなんだと思う かあさん、下向くと二重あごになるよ と あえてそんな指摘をしてくれるのは 世界に一人だけだろう 三重あごになったとしても だんなや息子はそれに気づきさえしないだろう そうか そんなら上を向いて行こう 目、腐ってんじゃないの とか とにかく口が悪い でも針穴に糸を通してくれるのは娘 福はうち、といいながら 福の神も 豆ぶつけられるって なんだかかわいそう、と殊勝なことを言う その昔 豆を鼻に入れてしまい 取れないと言って 泣いた娘の顔が なぜか浮かんできて 私は思わず吹き出した 節分の朝 ああ、季節というものは。 ---------------------------- [自由詩]ただそれだけのこと/そらの珊瑚[2014年2月22日8時37分] スーパーで並んでいたときのこと 小学校一年くらいの男の子が 母親とおぼしき人に 何やら言いに行ったかとおもうやいなや ばしっと音が響きわたるほどの勢いで 頭をはたかれた 理由はわからないけど その女の人はしばらく怒りの言葉を吐いていた 男の子は泣かなかった 代わりに そうするしか他に術がないかのような うすらわらいのようなものを浮かべていた ただそれだけのこと ただそれだけのこと わたしはただそこに居合わせただけなのだ 見ず知らずの親子のことなんて 忘れてしまおう 明日には そんなの簡単だと思っていたら 楽しいことや嬉しいことには たちまち羽が生えてきて 飛んでいってしまうくせに 男の子には一向に羽が生えてこなくて だから今朝だって 取り残されて汚れてしまった 北向きの残雪を見て なぜか思い出しては ばかみたいに悲しくなる 春が来るまで あのスーパーには行きたくない それまで ――ただそれだけのこと と はたかれた痛みにも いつか羽が生えてくる(ような気がする) おまじないを唱えていよう ---------------------------- [自由詩]桜百景/そらの珊瑚[2014年3月10日9時11分] ゆっくりと 頁をめくる それは 何かを 惜しむような 誰かを 見送るような こころもちで 結末を 知ってしまえば この手の中の 物語が終わってしまうから 桜は咲いて散る 散るからこそ ふたたび咲く おそれるな 私の 本棚に並ぶ 百の裏表紙には そう描かれていたことを 思い出す 春 ---------------------------- [自由詩]青い手紙/そらの珊瑚[2014年5月19日9時08分] どこかに わたしの詩を読んでくれる人がいて わたしはその人のために書いたのでもないのに ありがとうと伝えてくれました それではだれのために書いたのだろう もうひとりのわたしが 小さな森に棲んでいて 夜をこわがり泣くものだから おとぎばなしを書いただけ 明日も朝が来るように いつかは終わる頁であるけど 五月のポストに 一通の青い手紙が届くのです 新しい靴をおろすには これほど最適な日はないでしょう ---------------------------- [自由詩]おかえりなさい/そらの珊瑚[2015年1月8日9時50分] ほどよく乾いた小枝や 抜け落ちた羽根や 通り過ぎていった月日の さまざまを ちりばめておく もうそこは きみのねぐら以外のナニモノでもない 広い宇宙のなかで ただひとつだけ 選んだ平安な場所に 帰っていく 夕陽が染める朱の街の往来 静かな地球の回転 絵画のような鳥の隊列 人もねぐらに帰ってゆく 指切りが 怖かった 嘘ばかりついてと 叱られたから 必ず私は 針千本 飲むだろうから だけど たとえ  あなたが 昼に嘘を何万回つこうが そんなものは 飲ませない だから 本当も嘘も 何もかも手放して 眠る夜の幸せを 目指して 生きているなら 生きているなら 今日も 帰っておいでと 冷えた 冬の 小さな指を 空で 結び合う ねえ 生きているなら ---------------------------- [自由詩]蜜柑をむく女/そらの珊瑚[2016年3月2日12時38分] 蛇口が みずうみにつながっているように 蜜柑は 五月の空へつながっている かぐわしい白い花 まぶしい光に 雨だれに ゆっくりと過ぎてゆく雲に 蜜柑をむくと その皮は しっとりと柔らかく はなびらのかたちにひらいてみせる ひらいてそうして おしまいになる 果実を手放し あとはあっけなく ひからびてゆくだろう わたしは どこへつながっているのだろう 爪の先がかすかに香る 刹那の命 今週末 冬は気化され 春になる予報 そんなふうにすべての天気図が 理由もなく過ぎてゆくことを 恨んだりしない蜜柑が ここにある ---------------------------- (ファイルの終わり)