空丸ゆらぎのたまさんおすすめリスト 2012年3月21日11時48分から2014年1月13日11時44分まで ---------------------------- [自由詩]きつねうどん/たま[2012年3月21日11時48分] ゆうてみて あたしのどこがきつねなのか そらぁ お天気の日に雨はおっかしわなぁ そんでもなぁ この雨を降らしたんはあんたやで しょぼくれた顔してうどん食べてたから 声かけたんや ねぇ あのお店の通りに お稲荷さんあったの覚えてる? あたしいつもあんたを見てたんや あたしは今日から あんたの油揚げや あんたはコシのないうどんのままでええ そんな夫婦があたしの夢なんや ほな、なにかぁ ぼくはやっぱし、きつねにだまされたんかぁ? うん、そうしといて 一生、だまされたままでいて たまには天ぷらに 化けてあげるから ---------------------------- [自由詩]きっとね 2011/たま[2012年6月2日21時48分] かたつむりがね いないとさみしいよね 木の葉の影の雨宿り でもね 木のてっぺんにもいるんだよ きっとね だって だって ひなたぼっこしたいから アリさんがね いないとさみしいよね ブランコゆれてる昼下がり でもね 一緒にはあそべないんだよ きっとね だって だって おしごとしてるから  まわる  まわる 地球よ  とおくいのち かさねて   まわる  まわる 地球よ  きみのあした ゆめみて  まわる  まわる 地球よ  あおい  あおい 地球よ   メダカさんがね いないとさみしいよね 田んぼの中の帰り道 でもね 見つからない時だってあるんだよ きっとね だって だって かくれんぼしてるから ミンミンゼミがね いないとさみしいよね 小さな森の夏休み でもね 土の中にもいるんだよ きっとね だって だって 冬はさむいから  まわる  まわる 地球よ  とおくいのち かさねて   まわる  まわる 地球よ  きみのあした ゆめみて  まわる  まわる 地球よ  あおい  あおい 地球よ  あおい  あおい   地球よ   ---------------------------- [自由詩]M 2012/たま[2012年6月25日10時31分] すこし太った と しわだらけのあなたが言う たしかに  しわの数はへっていないけれど わずかに 浅くはなっている 一年ぶりに 団地にUターンしたのが良かったのか また  独居老人になってしまったけれど 十九で双子の姉を 二十一でこのわたしを 産みおとし 二十八で夫を亡くし それから  ひとりで生きてきた がまんを転がすようにして育てた息子は ことし 五十才 年末の寒波が身にこたえたのか ひとり暮らしの部屋はさむい と めずらしく弱音をこぼした あなたがいま 一緒に暮らしたいひとは 娘でもなく 息子でもなく さきに逝ってしまった父だと  気づいたのは つい最近のこと おかしなめがねかけてなぁ と 息子の老眼鏡を覗いて  くすっと、笑った おかしかったのはめがねではなく すっかりおいやんになってしまった  息子の顔 それと もうひとつ あなたが覗いたのは  三十四で死んだ父の 初老の顔だ 母よ  のこり少なくなった がまんを わがままに変えてもいいから たくましく生きてほしい あなたがいつ逝っても  この息子は 後悔などしない 年老いた  父のすがたになって あなたを 見送ってやれるのなら ようわからん息子や と とぼけた顔して また 笑うかもしれないけれど 学校へ行け とは ひと言もいわなかったあなたが 十八のわたしに アタマとチンボは生きているうちに使え と言った あの日から あなたは母であることを捨てたのかもしれない しわだらけの父になる日は まだ とおいけれど 母よ 百まで生きてみないか ---------------------------- [自由詩]朝の日記 2012夏/たま[2012年7月9日10時20分] あした咲く朝顔は 雨の軒下でこうもり傘みたいに とじています あしたも雨なのかな 朝顔って、おかしな花(ひと)だね 傘をもって 生まれてくるなんて いちど咲いたら もう、とじられない朝顔 みたいな顔して 死んじゃったね みんな泣いてるよ しかたないよね 生まれてきたんだから あした死ぬとわかっていても 予行演習なんてしないよね あしたのことなんか だれにもわからない だから 傘をもって生まれてきても おかしくなんかない 雨のふらない人生なんて ありえないのだから お帰りなさい よくがんばったね 雨の日の部屋で あなたは朝顔みたいな顔して 眠っています あした咲くとわかっていても 朝顔を手折るひとなんていないよね みんな つながっているのだから わたしもいつか咲きます その日がきたら また、会えるから いつものあかるい顔をみせて もういちど 笑ってください ほら、今朝の朝顔のように もういちど 咲(わら)ってください  義妹(いもうと)へ ---------------------------- [短歌]ちぎれたしっぽ/たま[2012年7月27日11時42分] ぼくも夏毛になりましたって そんなアホな  暑中お見舞い申し上げます   たま 雨の日はほら また寝ぐせがついてる犬のひげにアイロン だめかしら どしゃぶりの雨の中しつこく猫をさがす犬  飼い主の顔が見たい ン?ぼくか 明けても暮れても雨の日は 梅雨 猫はふざけてこたつをさがす 抜けても抜いても夏はまだ来ない コロコロころがす犬の背中は 絨毯 ナスの浅漬けサバの塩焼き 焼酎ロックでひやしそうめん 梅雨しのぐ ピーマンの花落ちて猫笑う畦にヒキガエルのしぶい顔 なに食べた? 一日一歩みっかで三歩 犬と歩けば何歩になるの? 犬はいぬ僕はぼく 繋がれたままのプライバシー 雨傘のした一歩はなれて歩く どこまでもいつまでも つながっていたい夏の雲 黄昏てまた紅い犬をさがす道 雨の日に似合わないもの猫のふぐりと まだ紅い いちご畑 合羽着て猫またぎを釣る年金波止場はもうすぐそこに ほっといてんか そんなことよりも 犬にも年金猫に小判は もう採決したのかおらが村は 100年たっても笑ってる犬のしあわせちぎれたしっぽ ヒトになれ 真っ蒼な夏 犬も猫も蝉には勝てない朝のめいわく 梅雨明け十日 陽とおなじ角度で歩く朝の猫  夜あそびは大人の近道なの 夏休み もういいかいもういいよ  いいかげんに上がれよ おらが村の花火大会 ここまできたらもう安心?  おやすみなさい カミナリこわい午後の犬たち ---------------------------- [自由詩]恋/たま[2012年8月11日20時29分] 昨日とおなじものは いらないのに 明日になったらやっぱり おなじもの? 君はかわっても ぼくはかわらないのかな いくつになっても? うん。 将来のゆめを語るひとでいたい 九十才まで生きて 恋をするの そう、 いくつになっても 昨日とおなじものはいらない ぼくの知らない明日がほしい 今日はもういいの? うん。 とっても いそがしいから ---------------------------- [自由詩]空のピアノ/たま[2012年9月13日13時22分] 空のピアノを見ましたか ほら・・、 二重橋のような、おおきな虹のことです ト音記号と、ヘ音記号のついた おおきな、虹 ドは、どこにあるのかなって 迷いませんか ふしぎなことに 上の虹と下の虹は、配色がちがうそうです まるで ピアノの譜面のようだと、思いませんか ドはいつも、まん中にあります ドを見つけたら、呪文をかけてください お・み・そ・しる・れ・ばーー♪ って ね、もう数えなくても ドレミが、読めるでしょう? あなたはオカリナ。いつもさみしいひと だって、音がたらないの ふたりが重なれば、ピアノになれる どんなKEYの曲でも、唄うことができる だから、 わたしと重なって、ピアノになろう あなたが上なら わたしは下になります 今日の雨がどんなにこわくても 明日からは ひとりで泣かないで ほら・・、もう見えたでしょう? あんなにおおきな 空のピアノ ---------------------------- [自由詩]ぼくのテレパシー 2010/たま[2012年9月26日13時12分] まいにち、テレパシーをとばしている とどいたのかなぁ 今日は雨だけど ・・・ れんちゃんにとって 六月はもう、真夏とおなじだった 朝から暑くてたまらないみたい ひんやりつめたい板間の風通しのよい階段のしたが 日ながいち日 れんちゃんの指定席になる 梅雨入りしたばかりの日よう日の午后 今日は畑しごともおやすみだから窓のしたの座椅子が ぼくの指定席となる とばしても、とばしても かえってこないテレパシー こんな場合はなんていうのかなぁ やっぱし、 おんしんふつう ・・ かなぁ ふと、気になって 階段のしたの、れんちゃんにテレパシーをとばす れんちゃーん ・・・ 心のなかで三回呼んでみた れんちゃん、むっくり頭をあげてぼくをみる おおっ、つうじたかな? って、おもったら れんちゃん、めいわくそうな顔をして ねむい頭を床にもどすと とれーど・まーくのじゃあーきー腹がふうせんみたいに ふくらんで ぷいっと、ため息ついて寝てしまった あれっ ・・・ 無視されたの? なーんてかわいげのないやつなんだろ おんなも四十をこえるとねぇ ・・・ あっ、これはとどくとまずいかも 髪がのびてくると天パーはたいへん 歳とともにほそくなったアンテナがからみ合って あー、これじゃあ、とばないかもね ・・・ でも、れんちゃんにはとどいてるみたいだから だいじょうぶだとおもうけど ねぇ、ママ。れんちゃんにテレパシーがつうじたよ。 ちがうでしょ。 それはね、アイコンタクトっていうのよ。 なんだ ・・・ そっかぁ。 雨の日は耳がうるさい わあわあ、きいきい うまくとばなかったテレパシーが耳のなかで 出口をさがして 右往左往しているみたいだ とおくても近くてもぼくのテレパシーは健気に とんでいくはず はやぶさみたいにね そう、しんじていたい もし、ぼくのテレパシーが半けい五メートルしか とどかなかったら とおくはなれたひとは愛せなくなる なんだかいちばんつらいなぁって、おもう テレパシーだって道にまようことがあるのだろう 知らないまちから招待状がとどいた れんちゃん、ちょっと出かけてくるね。 おるす番たのんだよ。 東京は何年ぶりだろうか 上野から十五両編成のながい列車にのった 小金井行だった 大宮あたりをすぎると都会のにおいがきえた 田植えのおわったばかりの水田の一角に こおばしく色づいた麦畑がみえた 水無月のとなりに麦の秋が佇むうつくしい風景だった 久喜でのり換えてようやく 羽生というまちにたどりつく みわたすかぎり平らな大地に まあたらしい駅舎だけがぽつりと目立つまちだった ああ ・・・  ここならどこまでもとばせるかもしれない 南も北もわからないけれど あてずっぽうにとばしてもだめかもしれないけれど ここならきっととどくかもしれない 何年かかってもかまわない 寄る辺ない遥かな真闇の海を旅したとしても きっとかえってくる はやぶさのように 天の川に蒼白の虹をかけて もえつきた ぼくのテレパシーが あのひとを つれて ---------------------------- [自由詩]月極のひと/たま[2012年10月5日14時26分] 月極(げっきょく)さんは資産家だ 日本全国に空き地を持っている でも、どこに住んでいるのだろう 月極さんのお家がない そう思うと、ちょっとかわいそう パートさんになった 月極で働くひとだ 国民保健は自腹 滞納は認められない 月極で生きるひとになった 黒いスーツ着て 黄金色の田んぼに立っているひとがいる よく見たら、案山子だった スーツを着た案山子は ゴトウ洋服店のセールスをしていたのだ でもねぇ、宣伝効果はあるのかなぁ 案山子の頭のなかに カオスがある カオスとともに生きるひとは 詩人なのかもしれない 屋根のない国に住む 月極さんなんだと思う 看板屋さんに憧れて 美術の先生にレタリングを教えてもらった ケント紙をB1のパネルに水張りしてポスターをつくった ドラッカーの「断絶の時代」 社会にでてほんとうに看板屋さんなった 親方に初めて仕事を任された 月極さんの駐車場だった 失恋をして 看板屋さんを辞めた どこか遠くへ行こうと思った 東京ならかっこいいと思って 十九の春 都会の案山子になった ひとりぼっちは好きだったし 品川にも、月極さんはいてはったから ぼくはなんだかうれしくて ここで生きようと思った ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]眠れないパンジー/たま[2012年11月8日21時07分] もう、十一月だ。 現フォもすっかりサボッてるけど、ここんとこ畑仕事もサボってる。 十一月は関西では玉葱の植え付けシーズンです。休日の朝、買ったばかりのラパンに乗って、玉葱の苗を買いに行きました。十二年間、黒いカブトムシに乗っていたのですが、この夏に故障して修理に出したら、国内に部品がないからと言われてひと月ほど乗れませんでした。また故障したら嫌だし、春から収入が減ったからハイオクで走る車は維持できなくなったし、二十年間、ペーパードライバーの家内が乗りたいと言うし・・、それでカブトムシを廃車にしてラパンを買ったのですが・・。 あ、そや、玉葱や・・。 あれ? おばちゃん、玉葱ないなぁ・・。 そうなんよ、今年は雨が多くてデキが悪てなぁ。お昼に入荷するから予約しとこか・・?。 あ、そうなんや。ほな、晩生200本予約しとくわ。あ、茎ブロッコリーもほしいけどぉ・・。 あ、あれなぁ、今年暑かったから苗できんかったんよ・・。 え、そうなん?。あれ、おかずになったのになぁ・・。 たまに夕食に出るステーキの傍らに、軽く炒めた茎ブロッコリーは最高の野菜だったのに残念だった。でも、収入が減ったからステーキもアテにならないかも・・。ああ、もういらんのかなぁ、茎ブロッコリー・・。 お昼ごはん食べて、苗を取りに行った。 一束600円。二束で1200円。約200本だ。玉葱の苗を知らない人は、茎の直径3ミリほどの細いネギを想像してください。長さは15センチぐらいです。それが100本だと大人の手でひと掴みほどになります。 お店を出ようとして、ふと、店先のパンジーの苗が目に入った。 あ、そうや。ぼちぼち、パンジーも植え付けなあかんなぁ・・。 でも、このお店は高いから安いとこで買うことにした。 ラパンにはエンジン・キーがない。ボタンを押すとエンジンがかかる。軽のくせして、ベンツみたいな車だと思った。あ、でも、ベンツには乗ったことない。ぼくはまだこの先三十年は生きるつもりだから、もうひと稼ぎしてベンツを買いたいと思ってる。まだ、まだ、年金詩人にはなりたくないのだ。ベンツ乗るまで死ぬもんか・・、 よーし・・。 あ、ちゃう、玉葱や・・。 自転車こいで畑に行く。 年間、一万一千円で借りてる我が家の菜園は、すべて玉葱で埋めつくしたら一000本は植えることができるだろう。でも、200本で十分だし、それでほぼ十ヶ月は玉葱を買わなくていい。玉葱は保存ができるからだ。ただし、早生はだめ、梅雨時に収穫する晩生でないと保存はできないのです。だからいつも晩生にするのだけど、そうなると、五月の夏野菜の植え付けシーズンに玉葱が邪魔になる。 ナスビ、トウモロコシ、胡瓜、トマト、西瓜、甘トウガラシ、など、夏野菜はいちばんの楽しみだから、五月の畑には大根や玉葱など冬の野菜はなるべく残したくない。だから、200本はぎりぎりの選択なのです。 日が暮れるまでに苗は無事に植えつけた。 これで来年の玉葱は確保できた。しかし、問題はこれからだ。 あいつらまた来るやろなぁ・・。 耕したばかりの畑は野良猫のフン場になる。少々、濡れていてもあいつら平気で穴掘ってフンをする。 あくる日の夕方、れんちゃんと散歩しながら畑に行った。 あ・・・、やっぱ、やられてる。 畝の中ほどに大きな穴がふたつ、そのまわりに植えつけたばかりの苗が散乱していた。猫の詩は美味しいけど、現実の猫はそうはいかない。たとえ、詩人であろうとここは心を鬼にして怒り狂うしかない。 まったく、もぉ・・。 なぁ、れんちゃん、あんたここで留守番してるかぁ? でも、れんちゃんは猫に馬鹿にされる犬だからそれもできないし、去年はネットを張ったけど今年はもうやる気もないし、どうしようもないなぁ・・、打つ手なしか・・。 あ、そや、パンジーや・・。  と、言ってもパンジーが猫を撃退するのではなくて、この散文はパンジーが主題だということです。では、もう少しお付き合いください・・。 十一月になるとパンジーの苗を植木鉢に植え付けて、玄関先に並べることにしています。いつも多くて五つぐらいだから苗の数はしれている。もう二十年ほどそんなふうにパンジーを楽しんでいるけど、土いじりを始めたころは熱心に園芸書を読んで育てたものです。 パンジーの育て方でいちばん大切なのは、花柄を摘むこと。つまり、咲き終わった花を指でつまんでちぎり取るのです。そうすることでパンジーの開花期を延すことができるのですが、なぜかと言うと、花が終わると必ず種になります。種がたくさん出来るとパンジーはもう花をつけなくなるのです。だから、種がつきはじめた花柄を摘んでやると・・、 あ、こら、あかんわ・・。と言って、 いつまでも花を咲かすのですが、パンジーがそんなこと言うわけありません。・・おい。 ところがそれがたいへんな労力を必要とします。甘く見てはいけません。なんせ春になって株が大きくなるといっぱい咲くのですから、もう毎日の仕事になります。 ある年、ビオラを植え付けました。ビオラはパンジーにそっくりだけど、ひとまわりちいさい花です。それがまたいっぱい咲くのです。おまけに花がちいさいから花柄摘みは相当な根性がいります。さすがのぼくもビオラは三年ほどでやめました。 そんなわけで我が家のパンジーは六月になっても花を見ることができるのですが、これはもう、パンジーにとっては迷惑としか言いようがないでしょう。パンジーは春が来たらさっさと種を宿して眠りたいはずですから。 あ、そうそう・・。 なぜ、こんな散文ができたかというと、山人さんの散文「熊の餌について」を拝読したからです。人は「植物にとっての危機感」を利用することで、花を咲かせたり、実を収穫したりするのですが、植物にとっては迷惑な話しかもしれません。 そんな気がして、我が家のパンジーにひと言謝っておこうと思うのです。 パンジーさん、ごめんなさい。 今年もよろしくね・・。 山人さん、ありがとうございました。 ---------------------------- [自由詩]わたしバックします/たま[2012年11月19日14時56分] 冬の玄関にはわたしにいちばん近い花を置くたとえば蒲公英 辿り着いた岬に根をおろして君は海をみていたね昨日も今日も 陽だまりを送ってくださいとあなたが言う十一月の蒲公英を送る 今年最後の夕日を見たからもう数えません眠れない夜は 今日のわたしは砂丘を運び終えた海のようにだらしなく時化る 呑みたいときに呑めばいいサンタさんのポケットウィスキー 美味しい缶コーヒーの呑み方はよく振ってから缶のまま呑む 空き缶の上手な捨て方は思いっ切り蹴飛ばして海に捨てる 空いたままはいやだからせめて塩水を詰めておいてください年の瀬は 夕日にいちばん近い海で恋をする五十男のノベルは売れない 売れない自己愛を塩漬けにしておやつの時間に食べる年金作家 冬と名づけた夜の底にわたしひとり分の落とし穴と雪景色 風邪薬が効きすぎて耳が遠くなったわたしに風船ガムひとつあげる 平熱に下がってもまだ手離せないあなたという名の体温計 眩しいと言えない季節に生まれたわたしの眼に凍てた鱗雲 膝をついたオリオンの傍らを往く還らないソユーズの軌跡十一月 石灰の女は着地点を見失ったミューズ縊死した左手に冬日 等高線が混みあってあぶないから気をつけてわたしバックします 直進は上手いけど若葉マークのラパンは曲がれない雪の辻 噛んでくださいってどこを?二十年ぶりの歯科でお姉さんに遊ばれる 痛かったら左手をあげてください右手はお姉さんの死角だから できれば一期一会で済ませたい左手だけのお姉さんとは 冬の窓辺にはわたしにいちばん遠い花を置くたとえばシクラメン では良いお年をお迎えください・・。なんて十一月は喪中の人 ---------------------------- [自由詩]北の亡者/Again 2012霜月/たま[2012年11月29日12時25分]  も吉と歩く 何もない冬の午後 も吉と歩く はたちの頃 一年ほど日記をつけた 何も残せず ただ消えてゆく日々が とてもこわかった 時間はたっぷりあったのに いつもの散歩道 水路は涸れて 空の色も映らない メダカや鮒はどこへいってしまったのか 雑草のタネを顔にいっぱいつけて も吉は糞をしている 何も残せないからといって あんなに苦しむなんて 冷たい季節風が わたしの生命をあらう よく生きてきたね いろいろあったね まだまだつづくよね そんなふうに呟いては トントンと背をたたくのはきっと 北の亡者にちがいない 冬は蘇生の時 今日は何も残さなくていい そんな気分がうれしくて も吉とふたり 遠回りして歩く              (一九九七年作品)    ※ あれから、いくつ 冬を数えただろうか ことしも星が降るように枯葉が地に落ちて それは 北の亡者の数えきれない足跡なのかもしれない ひとつとして 同じものがない 生きてきた日々のように 遠くからやってくる未来のように 書くことは、読むことだから わたしは、わたしの詩を読みたくて書いている 日記はいまも書かないし、書くこともないだろう だから、こうして 詩を書いているのかもしれない それは、遠い記憶が 未来からやってくるようなもの 再び、出逢って学ぶために わたしの詩は、明日のわたしだけれど 書けない日々があったとしても 何もこわいことはない たぶん も吉と歩いた、遠い日々が 帰ってきたのだと思うから も吉の骨は父の墓のなかにある わたしもそう遠くない未来に白い骨になる そうしたら また、一緒に暮らせるだろう 生きていても、死んでしまっても わたしはこの街にいて おまえもここにいる ずっと、ここにいて ずっと、冬を数えている 未来は永遠にやってきて わたしは歩きつづけるだろう 色とりどりの 北の亡者の足跡を、踏みしめて おまえとふたり いつもの散歩道 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]あずきの恋人 (連載?)/たま[2012年12月13日16時44分] 「あずきー、ねぇ、あずきー。」  おかあさんがわたしを呼んでいる。  わたしはいま、絵本を描いているところだから、おかあさんの用事はなにもできないことを知っているはずなのに……。  ぱた、ぱた、ぱた……、って。  スリッパの音がして、おかあさんが二階にやってきた。 「あずきー、おかあさんねぇ、これからおばあちゃんをお医者さんに連れていくから、下の部屋で留守番しててちょうだい。ね、わかった?」 「えっ……、おばあちゃんどこかわるいの?」  「うん、ちょっと血圧がたかいみたいなの。帰りはおそくならないと思うけど、おとうさんにも電話しとくから、あずきはお留守番してて。ね、たのんだわよ。」 「うん、わかった……。」  お昼ごはんを食べたばかりだった。おばあちゃんはお昼ごはんいらないといって、寝ていたから、おかしいなって思ってたけれど……。だいじょうぶかなぁ、おばあちゃん。  ばた、ばた、ばた……、って。  おかあさんと階段をおりた。おばあちゃんはもう、おもての車のなかにいるみたい。おかあさんは靴をはいてあわてて玄関をでていったと思ったら、すぐにもどってきた。 「どうしたの? おかあさん。」 「あずき、車のカギとってちょうだい。冷蔵庫のよこにあるから……。」  おかあさんはあわてん坊だから、わたしが付いていったほうがいいかもしれない。車の運転もヘタだし……。 「おかあさん、ひとりでだいじょうぶ?」  車のカギをおかあさんの手のひらに、ぎゅうっと、おしつけて聞いてみた。 「うん、ありがとう。だいじょうぶよ。じゃあ、いってくるわね。」 「うん……。」  玄関の前でおかあさんの車をみおくった。おばあちゃんは車の助手席から、わたしに手をふってくれた。おばあちゃんはだいじょうぶかもしれないなぁ……。わたしはちょっと安心した。  玄関にカギをかけて二階の部屋からスケッチ・ブックと、絵の具と、筆と、えんぴつをもってきて、わたしは台所のテーブルで絵本を描くことにした。台所はクーラーが効いていてとても涼しいから、絵本に集中できるし、午後はイチローが家にやってくると思った。  イチローはわたしの家に遊びにくるノラ猫なんだけれど、ちょっと痩せていて、からだの毛もうすい茶色だったから、わたしは女の子だと思っていた。でも、おばあちゃんは、この子は男の子だよ……って。それで、よくみたら、どことなくニューヨーク・ヤンキースのイチロー選手に似ていたから、わたしたちはこの子はイチローだねって……、きめちゃったの。  イチローは午後になると、わたしの家にやってきて、おかあさんにおやつをもらっていたけれど、夜はどこにいるのかわからなかった。でも、学校の帰りに猫又木山団地の自転車置場で、ときどき、昼寝をしていてそんなときは、イチロー……、って、呼んでやっても知らないふりをするくせに、家にくるとちゃんと返事をするから、ちょっと、ずるい猫なんだけれど……、  イチローはわたしが描いている絵本の主人公だったりする。  わたしはちいさいころから絵を描くのが大好きだった。  小学校に入学したとき、おとうさんにスケッチ・ブックと、水彩絵の具を買ってもらって、わたしは家のなかにあるテレビとか、そうじ機とか、玄関の靴とか、おかあさんの化粧品とか、おとうさんのひげそりとか、おばあちゃんに買ってもらったぬいぐるみとか、目覚まし時計とか……、そんなものばかり毎日、描いてきたから、スケッチ・ブックはもう十一冊もたまっているけれど、四年生のときに、クラスの由美ちゃんが家に遊びにきて、わたしのスケッチ・ブックをみせたら、こどもみたいね……って、言われたの。  そのとき、わたしはちょっとへこみかけたけれど、わたしの絵のどこがこどもみたいなの……? って、聞いたら、由美ちゃんは、こどもは手でさわれるものしか興味がないのよ……って、おとなみたいな顔をして言うから、じゃあ、手でさわれないものってなんなのよ……って、聞きかえしたら、由美ちゃんは、それはおとなの世界よ……、って。  でも、わたしは由美ちゃんの言うことは、つじつまが合わないと思った。  おとなの世界はよく知らないけれど、こどもの世界にだって、手でさわれないものはあるはずだと思うし、わたしの場合はまだ、その手にさわれないものに気づいていないだけで、由美ちゃんだって、こどもの世界の手にさわれないものを知らないまま、おとなのふりをしているだけだと思う。  だから……、わたしはあまりへこまないようにしようって、じぶんに言い聞かせたのだけど、もし、ほんとうに、手にさわれないものがあるとしたら……、それは、どんなものなんだろう。  わたしは、おとうさんや、おかあさんに聞いてみようかなって思ったけれど、おとうさんも、おかあさんも、ふだんは単純な話しかできなかったから、たぶん、聞いてもわたしは納得できないだろうなって気がして、ちょっと、悩んでしまうけれど、じぶんで考えることにしたの。  そうして、わたしは五年生になった。  ある日のこと、家族そろって晩ごはんを食べていたら、おばあちゃんが、あずきはさいきん絵を描かなくなったねぇ……、って、言ったの。そしたら、おとうさんも、おかあさんも、あ……、ほんとだね。どうして描かないの? って、言うからわたしは、絵ばかり描いててもおもしろくなくなったからよ……、って、言ってやった。そしたら、おとうさんが、じゃあ、あずき……、絵本とか描いてみたらどうかなぁ……、って。  え……、絵本?  わたしは思わず聞きかえした。  一時間ほど、夢中になって絵本を描いていた。  でも、絵本って、とてもむずかしくて思うように前に進まない。絵本は絵を描くだけではなくて、いくつも絵をつなげて物語にしなければいけないし、その物語の主人公や、脇役や、ストォリーを考えるのがけっこうたいへんだった。学校の図書館や、本屋さんで、いろんな絵本を読んでみたけれど、たくさん読んだからといって、わたしが絵本を描けるという保証はどこにもないし、とりあえず、イチローを主人公にして、わたしと、おかあさんと、おばあちゃんを脇役にして、思いつくままに絵だけを描くことにしたの。  うーん……、絵本が描けるひとの頭のなかって、どうなってるのかなぁ……。  シャリ、シャリ、シャリ……。  あっ……、知らない間にイチローがやってきて窓の外にいた。いつものように窓ガラスを前足でこすって、部屋のなかに入れてくれってさいそくしている。わたしは窓をあけてイチローを入れてあげた。  アー、アー、アー……。  イチローはいつも、猫じゃないみたいな声で鳴いた。 「イチロー、おなかすいたの?」  アー、アー……。  イチローはテーブルの椅子にちょこんとすわって、わたしの顔をみてまた鳴いた。まるで、わたしとこの飼い猫みたい……。 「ねぇ、イチロー。おかあさんにナイショでソーセージあげるから、今日はわたしのモデルになってね。」  イチローはあまり感情を顔にださない猫だから、絵本のなかのイチローもみな、おなじ顔になってしまう。だから、ストォリーが思い浮かばないのはきっとそのせいかもしれない。今日はじっくりイチローの顔を観察して、猫の気持ちがわかるわたしになりたいと思った。  イチローはソーセージを食べると椅子にすわったまま眠りはじめたの。 「もぉ……、ねちゃったらだめじゃん。」  わたしはイチローを抱きおこしてひざのうえに乗せると、イチローの顔に両手をあてて、ほっぺたを指でつまんでひっぱったり、耳をつまんで前やうしろにたおしたりして、怒った顔や、笑った顔や、泣きそうな顔や、いろんな表情の顔をつくっては絵本のストォリーを考えたの。イチローはときどき嫌そうな顔をしたけれど、たぶん、ソーセージをもらったから仕方なさそうにおとなしくしていた。  そのときだった。  パタ・パタ・パタ・ター、って……。  窓の外をバイクが走ったと思ったら、イチローはわたしのひざから飛びおりて、玄関にむかって鳴きながら走っていった。  アー、アー、アー……。 「えっ、どうしたんだろう……?」  だれかが来たのかもしれない。わたしはイチローのあとを追いかけて、玄関のドアを開けてみたけれどだれもいなかった。イチローは玄関の前のしろい郵便ポストのうえに、すばやく飛び乗ると、ほそくて長いしっぽをまっすぐ立ててふりかえった。  アー、アー……。 「あ……、そっかぁ。郵便屋さんが来たのね、きっと……。」  わたしはポストのなかをのぞいてみた。 「ん……? なにかはいってる……。」  それは郵便ではなくて、ノートぐらいの大きさのうすい紙だった。チラシかもしれない……、わたしはそう思った。  青いインキでなにか書いてある……、『手づくり絵本教室のお知らせ』……。えっ……?  一瞬、わたしの息が止まって、頭のなかがまっしろになった。 「うっそぉーー。」  わたしはこどもみたいに大声をだしてしまった。                                    つづく   ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]あずきの恋人 (連載?)/たま[2012年12月22日9時10分] (ようやく、外山先生の絵本教室が始まった……)  鈴木さんの絵はおそろしくヘタだった。  画用紙だと思った紙はよくみると、カレンダーの裏紙で、そこにクレヨンと水彩絵の具でわけのわからない絵を何枚も描いて、机のうえにひろげてあった。 「おっ、たくさん描けましたねぇ。じゃあ、鈴木さん、一枚目はどれですか?」 「はい。これです。」 銀色のおおきな渦巻きが、まっ黒な背景のなかに描かれていた。 「うん? これはなんですか……。」 「銀河系だよ。」 「なるほど、宇宙に浮かぶ銀河系ですね。」  とてもそんなふうにはみえなかった。どうみても、蚊とり線香だとわたしは思った。 二枚目も、まっ黒な背景にちいさなマルがいっぱい描いてあった。 「ん、これは……?」 「太陽系……。」 「あ、そっかぁ、まんなかの赤いのが太陽で、このちいさな青いのが地球ですね。」 「そう。」  そう言われたら、そんな気がするけれどちいさくてよくわからなかった。  三枚目は、おおきなマルが黄色い背景のなかに描かれて、マルのなかにはうすい茶色の横縞がいくつもあった。 「うん? これはどこかでみたような気がしますね……。」 「ジュピターだよ。」 「ジュピター? あ……、木星なんだ。」 「そう、あたしはね、ここで生まれたんだよ。」  はあ? なにそれ……。  わたしたちが唖然としていると、鈴木さんはいっきにしゃべり始めた。 「ジュピターはガスでおおわれた惑星だからわからないけど、ガスのなかにはひろーい海があって、海のなかにはおおきな大陸がひとつあって、大陸にはあたしたちの国があって、国のまんなかには三万メートルのたかーい山があって、その山のうえにはとてもりっぱな神殿があって、その神殿にはあたしたちの大王さまが住んでいるんだよ。はい、これが神殿の絵……、それから、これが大王さまの絵。大王さまの名前はユーピテルって、言ってとても偉大なおひとなのよ。」  大王さまは猫みたいな顔をして笑っていた。 「あ、それからね……。じつは、あたしは大王さまのいとこなんだけど、大王さまの一族は魔法が使えるんだよ。それでね、国民の悩みはみーんな解決しちゃうのよ。ね……、おもしろいでしょ?」  鈴木さんの絵は大王さまの笑った顔がさいごだった。 「うーん、おもしろい物語ですねぇ。」  外山先生はまじめな顔をして言ったけれど、わたしはちっともおもしろくなかった。いまどき、そんな物語をおもしろがるこどもなんているのかなって、思った。 「じゃあ、鈴木さんは魔法使いなんですね。」 「……、そうだよ。」  わたしはうつむいておかあさんと目線を合わした。おかあさんはちょっと困ったみたいな顔をして口に手をあてると、ぐふん、って、咳払いしたの。 「では、鈴木さん。この物語はまだまだ始まったばかりですから、この先のストォリーが大切だと思います。たとえば、鈴木さんはいま、地球にいますね……。木星で生まれた鈴木さんがどうして地球にいるのでしょうか。それから、鈴木さんは魔法使いなんだけど、この地球でどんなひとと出会って、どんな魔法を使うのでしょうか。そして……、」 「あ、それはね、ないしょだよ。ひ、み、つ……。」 「え、そーなんですか? あっはっはっはっはっ……。」  外山先生がおおきな声で笑った。 「うっふっふっふっふっ……。」  やだぁ、おかあさんまで笑ってる……。それにしても、鈴木さんは外山先生の言うことを理解できていないみたい。絵本のなかの物語なのに、まるで現実の話しをしてるみたいだった。 「わかりました。まぁ、いいでしょう。では、鈴木さんはもうすこし、絵のつづきを描いててください。ひみつがバレない程度でかまいませんからね。いいですか?」 「はい。」  やっぱし、小学生みたい……。 「さあ、あずきさん、お待たせしました。つぎは、あずきさんの絵をみせてもらいましょうか。」  えっ、わたし……!  わたしはあわててかばんのなかから、スケッチブックを取りだして机においた。心臓がドキドキしてる。 「あずきさんはいつもスケッチ・ブックに絵を描くのですか?」 「はい、そうです。」 「うん、とてもいいことだと思います。スケッチ・ブックだと、せっかく描いた大切な絵を失くさないし、よごれたり痛んだりもしないし、それに、絵本だったらそのまま本になりますからね。」  あ、そっかぁ……。 「では、あずきさん。一枚目をみせてください。」  わたしはスケッチ・ブックの硬い紙でできた表紙をめくった。  一枚目はほとんど白紙の状態で、画面の中央にひだりから、イチロー、わたし、おかあさん、おばあちゃんの絵が、親指ぐらいのおおきさで一列に並んでいた。 「これは絵本の表紙ですね。」 「はい。」 「うん、なかなかシンプルでいいと思います。水平に並んだ絵はみな、おなじおおきさをしていますね。このイメージは、すごくおとなだと思います。あずきさんは不公平なことが嫌いなんですね。」  え、そうなの……? 「絵本のタイトルはまだ、決まってないのですか?」 「う、うん……、あ、はい。まだ、なにも……。」 「この子がイチローですか?」 「はい。イチローと、わたしと、おかあさんと、おばあちゃんです。」 「あれっ、おとうさんはいないのかな?」 「あ……、わすれてた……。」 「じゃあ、おとうさんも入れてあげてくださいね。」 「はい……。」  おかあさんったら、クスクス笑ってる。おかあさんだってときどき、忘れてるのに……。 「あ、それから絵本の登場人物はもうすこし、多いほうがいいかもしれませんね。たとえば、となりのおばさんだとか、クラスの友だちだとか……、家族だけだと平凡なストォリーになってしまって、おもしろくないかもしれません。」 「あー、じゃあ、あたしも入れてよ。ね、あずきちゃん。」 「え……?」  鈴木さんがいきなり割りこんできた。もー、邪魔しないでよ。 「鈴木さん……、しずかにしててくださいね。」 「あらっ、そおなの……。」  鈴木さんは外山先生にしかられて、ちょっと不服そうだった。 「では、あずきさん、二枚目をみせてください。」  二枚目はわたしの部屋を画面いっぱいに描いていた。 「これは、あずきさんの部屋ですか?」 「はい、そうです。」 「…… ……。」  外山先生はなんだかうれしそうな顔をして、しばらく、わたしの絵をみつめていた。 「とてもていねいな絵ですね。えんぴつの線がやさしくて、水彩のいろも淡くしずんで……、うん、ぼくはこんな詩的な絵が大好きですよ。」  わっ、なんだろう。こんなにうれしいのって、久しぶりじゃん。でも……、 「先生、シテキって、なんですか?」 「あ、ごめん。ちょっと、むずかしかったかな。えーとね……。」  外山先生はホワイトボードに、詩的……と、書いてそのよこに、ポエム……と、書いた。 「詩的というのは、あずきさんのこの絵のなかに詩があるということです。でも、それはぼくの感情にすぎません。この絵のどこに詩があるのかと問われても、ぼくはうまく答えることができないからです。それは、手でさわれないものであり、ことばで表現することも、とてもむずかしいのです。」  えっ! 手でさわれないもの……。うそだぁ!  わたしは由美ちゃんに、こどもみたいね……。って、言われてからずいぶん悩んでしまって、そうじ機や、テレビや、ぬいぐるみみたいな手でさわれるものはもう、描けなくなったから家の外にでて、公園とか、学校の運動場とか、ちかくの川の堤防でぼんやり写生したり、雨の日は、わたしの部屋のふだんはよくみたことのない、カーペットの模様とかを、ていねいに描いたりしていた。 「先生……。」 「はい、なんでしょう?」 「手でさわれないものって、どんなものか教えてください。」 「うーん……、とてもむずかしい質問ですね。」  でも、外山先生だったら、教えてくれると思った。 「あずきさんはじぶんのことが好きですか?」 「え、じぶんのこと……?」 「そうです。あずきさんは、あずきさんを、愛していますか?」  そんなことって、あるのだろうか。わたしが、わたしを愛するって……、なに、それ? 「わたし……、よくわかりません。そんなこと、考えたこともないし……。」 「うん、そうだね。ぼくもわからなかったんですよ。おとなになるまえは、じぶんのことなんてだれも考えないものです。だから、おかあさんに叱られたり、友だちにいじめられたりしたら、どうしても、じぶんを守りきれなくなって、もう、死んでしまいたいと思うこともあるのです。あずきさんにはまだ、わからないかもしれないけど、じぶんのことを好きになるって、とても、たいせつなことなんです。」  外山先生はゆっくり、ていねいに話してくれたから、わたしはなんだかわかる気がした。 「手でさわれないものは、あずきさん……、あなたのからだのなかにあるのです。だから、まず、じぶんのことをしっかりみつめてください。あずきさんは、ちいさいころからたくさん絵を描いてきましたね?」  え……、どうして知ってるの? 「それは、あずきさんが絵を描くことが好きだったからですが、好き……って、言うのは、じぶんのことをよく知りたいという感情なんだと思うのです。絵を描いたり、本を読んだり、ギターを弾いたり、詩を書いたり……、なんでもかまわないのです。好きになるっていうこと、好きなものがあるっていうこと、それが、手でさわれないものを知ることにつながると、ぼくは思います。」 「あたしは人間が好きなんだけどねぇ。」  また、鈴木さんが割りこんできた。もー、こんど割りこんできたら首しめてやるから……。 「うん、それもいいですね。」  え……、なんなの? 「あずきさんもいつか恋をします。好きなひとに、好きだと言うのはとても苦しくて、勇気がいるのですが、そんなときも、手でさわれないものを知ることができると思います。そうして、一歩ずつ、あずきさんはおとなになっていくのです……。あ……、あずきさんはもう、好きなひといるのかな?」 「ええっ? い、いません。」 「ぐっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……。」  もー、なによ! このおばさん! わたしは鈴木さんを思いっきりにらみつけてやった。 「あ、そうだ。絵本教室にもどりましょうか。あずきさん、へんな話しになってしまって、ごめんね。」  外山先生はそう言って椅子にすわると、また、わたしの絵をみてくれた。 「あずきさんはいま、絵本を描いていますが、いちばん困っていることはなんですか?」 「ん……、ストォリーが思い浮かばないので、ちょっと、困ってます。」 「うん、あずきさんの場合はとても絵がしっかり描けているし、それに、あずきさんの絵のなかにはもうすで、ことばがいっぱいあります。だから、ほんのすこしだけ、ことばを書き加えたらたらいいと思います。たとえば、詩を書くみたいにね。」 「え……、詩、ですか?」 「そうです。じゃあ、このあずきさんの部屋の絵をよくみてください。この絵のなかから、なにかことばが思い浮かびませんか?」  う……ん、外山先生の言うことは、なんとなく理解できたけれど、わたしはムズムズするばかりでなにも思い浮かばなかった。 「うふっ、あずきにはちょっと、むずかしいわね。外山先生だったら、どんなことばを思い浮かべますか?」  おかあさんが助けてくれた。 「あっ、ぼくですか? うーん、そうですねぇ……。」  外山先生はまた、立ち上がるとホワイトボードのまえでしばらく考えてから、青い字で、  わたしはここにいます。  ……と、書いたの。               つづく ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]あずきの恋人 (連載?)/たま[2012年12月30日17時21分] 「ねぇ、あずきちゃん、イチローはね、あずきちゃんに恋をしてるのよ。きっと……。」  え……、恋? 「そんなの、うそだぁー。」 「あっはっはっはっはっ……。」  外山先生とおかあさんがまた、おおきな声で笑うから、わたしはむっちゃ不愉快になってしまった。おかあさんたちは楽しいかもしれないけれど、わたしは、鈴木さんがいなかったら、もっと、楽しい絵本教室だったのに……。  こんなおばさんとはもう、二度と会いたくないわ……。 「じゃあ、あたしはもうぼちぼち失礼しますね。」  うそっ……? 鈴木さんはそう言って、机のうえを片付けはじめたからびっくりしたの。 「えー? 鈴木さん、もう、帰るんですかぁ。」  外山先生もおどろいたみたい。 「はい、はい。あたしの仕事はもう、おしまいだよ……。すっかり、疲れちゃったわ。」  えっ、仕事って……、なによ、このおばさん?  鈴木さんは手早く、机のうえを片付けると、おおきな紙袋をひとつ手にぶらさげて、ドアのまえに立った。そうして、外山先生とおかあさんに、ちいさく頭をさげてから、 「じゃあ、あずきちゃん、元気でね。」   ……って。 「うん……。」  鈴木さんはなんだかさみしそうな顔をして言ったから、わたしは思わず、うなずいちゃった。  パタン……。  ちいさな木のドアをしめて、鈴木さんはでていった。 「あれ……、ほんとに帰っちゃったね。」  外山先生はちょっと、困ったような顔をしていた。 「まぁ、いいかな。では……、あずきさん。つぎの絵をみてみましょうか。」 「あ、はい……。あのぉ……、」 「はい、なんですか?」 「あと、ひとつでおわりなんですけど……。」  その先はまだ何も、描けていなかった。 「うん、いいですよ。じゃあ、つぎの絵をみて、絵本教室もおわりにしましょう。」  あ、もう、おわりなんだ……、んー、がんばってもうすこし、描いておけば良かったなぁ……。さいごの絵はわたしの家のちかくの、おおきな河の堤防のうえから描いたパノラマだった。    *  夏草のおいしげった   堤防の  コンクリートの   急な階段をのぼると  わたしの街がみえた    少年野球のグランドや   テニスコートや   あおい畑がひろがる   河川敷のひろい河の向こうには  おおきな建物が   いくつもならんで  街の真ん中には  小さく   しろいお城がみえた  東の空には   宇宙までとどきそうな  入道雲がどこまでも どこまでも   高くかがやいて  そのしたには   あかい鉄橋が   河をわたって  とおい街へと   わたしたちを運んだ    北の空のしたには   背のひくい家や   あかるい色をした病院の建物や  猫又木山団地の   五階建ての棟がいくつも重なって  その向こうには  わたしが学ぶ   花山東小学校の屋上がみえた    河が流れてゆく   西の空のしたには  いくつもの   おおきな橋がかかっていて  その先には   ふるさとの海がある  わたしの街は   未来からやってきた汐風があそぶ  河口の街だった    * 「うん。これはまいったなぁ……。あずきさん、すごいね、このスケッチ。あずきさんの住む街がひと目でわかりますよ。この五階建ての建物がならんでいるところが、猫又木山団地ですね?」 「はい、そうです。」 「じゃあ、このちかくにあずきさんのお家があるのですか?」 「うん、このへん……、」  わたしは猫又木山団地のすぐしたに、ひと指し指を立てた。 「そうですかぁ……。うーん、この絵はね……、あずきさんの物語のなかで、とてもだいじな絵になると思います。それはなぜかと言うと……。」  外山先生はまた席をたって、ホワイトボードに、  5W1H……と、書いたの。 「ご、ダブリュ、いち、エイチ、と言うのは、文章の基本と呼ばれるものです。たとえば、新聞の記事や、テレビやラジオのニュースのように、いろんなできごとを早く正確に伝えるためには、文章のなかに、5W1Hと呼ばれる六つ要素がひつようです……。」  つぎに、外山先生が書いたのは英語だった。  えっ、こんどは英語なの……? やっぱし、イチロー選手みたいだ。 「ここに六つの単語を書きました。ひとつ目は、When(ホエン)、意味は、いつ。ふたつ目は、Where(ホエア)、どこで。三つ目は、Who(フー)、だれが。四つ目は、What(ホワット)、なにを。五つ目は、Why(ホワイ)、なぜ。六つ目は、How(ハウ)、どのように。この六つの単語の頭文字をならべると、ご、ダブリュ、いち、エイチになりますね。」  ほんとだ……、ダブリュが五つと、エイチがひとつなんだ。 「では、この六つの単語の意味をつづけて読んでみます……。いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように……と、読めますね。これは文章を書くための基本ですが、ぼくは、詩を書いたり、物語のストォリーをつくる場合も、けっして忘れてはいけない、たいせつな基本だと思います……。」  うーん、やっぱし、鈴木さんがいないとおもしろくないのかなぁ……。 「あはっ、ごめん、ごめん……。では、あずきさんの絵に、お話しをもどしますね。まず、この絵をみてわかることが、ふたつあります。ひとつ目は、When(ホエン)、いつ……、ですね。つまり、この入道雲をみて、季節は夏だとわかります。ふたつ目は、Where(ホエア)、どこで……、ここは、あずきさんの住む街……、つまり、物語の舞台なのです。」 「あ、なるほど、そう言うことでしたか……、すごいわね、あずき。」  なによ、おかあさんったら、そんなこと、わたしにだってわかるわよ。もう、わたしが生徒なのよ……。 「そこで、もういちど、あずきさんの絵をはじめからみてみますと、あずきさんの部屋の絵と、イチローの絵がありますから、三つ目の、Who(フー)、だれが……に、当てはまるのは、あずきさんとイチローであることがわかります。つまり、あずきさんとイチローが、この物語の主人公なのですね。」  あ……、やっぱし、外山先生は魔法使いなんだ。すごい! 「さぁ、もう、わかりましたね。では、あずきさん、まだ足りないものは、なんですか?」 「えっ、わ、わたしですか?」 「そうですよ。ぼくの生徒は、あずきさんなんでしょう?」  うっふっふっふ……。  また、おかあさんに笑われてしまった。もう、わたしったら……、なによ。 「足りないものは、四つ目と、五つ目と、六つ目ですね。ですから、あずきさんの物語は、まだ半分しか描けていないことになります。ね……、あずきさん、わかりましたか? ここから先の絵は、その足りないものを描いてください。そしたら……、あずきさんの絵本はきっと、完成します。」  おかあさんが、ホワイトボードの英語をメモしてくれていた。でも、ほんとうにわたしの絵本は完成するのだろうか。まだ、足りない絵なんて、想像もできなかった。 「では……、ぼちぼち、おわりますから、さいごになにか質問があれば、お聞きしたいと思います。」 「あのぉ……。」 「はい、あずきさん、なんでしょうか?」 「この先は、どんな絵を描いたらいいのですか? なにかヒントをください。」 「おっ、なるほど、ヒントですか? あずきさんらしい質問ですね。」  外山先生は腕を組んでしばらく考えてから、 「じゃあ、ひとつだけ……、ついさっき、鈴木さんが言ってましたね、イチローは恋をしているかもしれない……って。ぼくはこれがヒントだと思います。そこで、まず、イチローの恋の相手を探してみてください。もし、みつからなかったら、あずきさん……、あなたがイチローの恋人になってあげてください。」  えっ、やっぱし、わたしなの? 「うん、そうだと思いますよ。……あ、ヒントはそれだけ。じゃあ、ほかに質問はありませんか?」 「はい……。」  おかあさんが手をあげたの……。 「はい、おかあさん、なんでしょうか?」 「あのぉ、外山先生はおいくつですか?」  えっ、なによ、それっ。もー、おかあさんったら、なに考えてるの? 「あっ、ぼくですかぁ? うーん、そうだなぁ……、たぶん、三十歳かなぁ……。」  はあ……? たぶんって、なんなの? あ……、そうだ、魔法使いはじぶんの年齢なんて気にしないんだ、きっと。 「あらっ、まだ、お若いですね。」 「はい、そうみたいです。あ……、おかあさんも……、とても若々しくて、きれいですよ。きょうはお会いできて、うれしかったです……。」 「えー、そうですかぁ。わっ、うれしい! ね……、あずき。」  ……。そんなこと知らないわよ、わたし……、関係ないでしょ。 「じゃあ……、もう、時間もありませんから、本日の絵本教室はこれでおわりたいと思います。あずきさん、おかあさん、お疲れさまでした。」 「いいえ、こちらこそ、ほんとうにありがとうございました。あずき……、外山先生にお礼を言いなさい。」  うん……。 「ありがとう。」 「あずきさんの絵は、とてもすてきでしたよ。あずきさんは、手でさわれないものを描くことができますね。だからもう、悩まないで、思うままに描いてください。きょうは、あずきさんの絵をみることができて、すごくうれしかった。だから、ありがとう……って、言うのは、ぼくなんですよ。」  え……、そんなこと言わないで……、やだぁ、わたし、涙がでそう……。  外山先生は廊下に立って、わたしとおかあさんを見送ってくれた。  わたしがなんどもふり返って、ちいさく手をふったら、外山先生は両手をひろげて、おおきくふってくれたけれど、おかあさんと手をつないで階段をおりると、外山先生はみえなくなった。 「よかったね、あずき。」 「うん。」  ひさしぶりだなぁ、おかあさんと手をつなぐなんて。  あれっ……?  廊下や階段に貼ってあった、青い矢印がなくなっている。一階におりると、絵本教室の立て看板もなくなって、だれかいるのかなって思って、事務所のなかを覗いたけれど、やっぱし、だれもいなかった。 「わっ、暑いわねぇ。」  ひろい駐車場にはおかあさんの車だけがぽつんと、とめてあって、ドアをあけたら顔が焼けそうだった。 「ねぇ、あずき。これからスーパーに寄って、お買い物するからいっしょに行ってね。」 「うん……、おばあちゃんはだいじょうぶ?」 「あら、そうね……。」  おかあさんが家に電話して、おばあちゃんが元気そうだったから、このまま買い物に行くことになった。動きはじめた車の窓ガラスをいっぱいにあけて、わたしは猫又木山文化会館の三階をみあげたの。  あっ、だれかいる……、鈴木さん?  たしかに、三階の廊下の窓にだれかがいて、こちらをみていたけれど、すぐに、わたしの視界からみえなくなった。                                         つづく ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]あずきの恋人 (連載?)/たま[2013年1月6日10時06分]  えっ……、 「どうして? どうして会えないの。」 「外山先生はね、また、猫にもどっちゃったんだよ……。」  猫に……?   えっ? なによ、それ……。 「鈴木さん! わたしね、すごく真剣なの! ほんとうに外山先生のこと知っているのだったら、ちゃんと話してください。おねがい……。」  わたしはまた、泣いちゃいそうだった。  となりの部屋にはちいさなタンスがあった。鈴木さんはタンスのまえにしゃがんで、いちばん下の引き出しから、なにか黒っぽいものをだしてきて、テーブルのうえにおいた。 「これをみてもまだ信用できないと思うけど、これはね、あの子の学生服なんだよ。」  あの子……って?  学生服はうすいビニールでつつまれていて、クリーニングにだしたままみたいだった。胸のポケットのところに、ちいさな名札がついていた。 『花山中学校 二年三組 外山』……。  えっ! 「鈴木さん、あの子って、外山先生のこと?」 「そうだよ。この学生服はね、あたしがあの子に会ったときに着ていたものなんだよ。もう、三年もまえのことだけどね、ちょうど、あたしが地球にやってきた日に、あの子に会ったんだよ……。」  三年まえ……って? 「え……、じゃあ、三年まえに外山先生と会ったときは、中学二年生だったの?」 「うん、そうだよ。」 「鈴木さん……、それはちょっと、おかしいと思います。このあいだ、おかあさんと聞いたんです。外山先生は、三十歳だって言ってたわよ。」 「あら、そうかい。三十歳ねぇ……、まぁ、そんなものかもしれないねぇ。」 「鈴木さん! そんなことないでしょう、三年まえに中学生だったひとが、どうしていま三十歳なの!」  わたしはすごく腹を立てていたの。 「あ、それはね……、三年まえにあたしがあの子に魔法をかけて、猫にしちゃったからなんだよ。猫や、犬はね、人間の四倍ぐらいの速さで歳をとるから、あの子がいま、人間にもどったら、三十歳ぐらいになっちゃうだろうね。」  あ……、それはわたしも知っていた。おばあちゃんに聞いたことあったから……、 「でも、どうして? どうして、外山先生を猫にしちゃったの?」  鈴木さんはしばらく、とおくをみていた。 「あの日はね、もうすぐ桜が咲くころだったけど、地球におりたばかりのあたしはさむくて凍えそうだったよ。あたしがね、地球にやって来たのは、大王さまの命令なんだけど、それはね、だれにも言えない悩みをかかえて、ひとりでつらい思いをしている地球のこどもたちの、いのちを救うこと……、あたしの魔法でね。」  おとなはだめなんですか……? 「あ、おとなはね、だめだよ。まだ未熟なんだよ。あたしはね。」  そうよね、鈴木さんってちょっと、頼りないから……。  ぐふっ……。 「あずきちゃん、あの子はね、マンションの五階から飛びおりて、死ぬつもりだったんだよ。だから、あたしはね、死ぬまえにいちど、猫になってみないかい……? って、あの子を助けるつもりで言ったんだよ。とても、つらいことがあったんだろうね。あたしにはなにも言わなかったけれど……。それで、あの子を猫にして、つらいことを忘れさせようとしたんだけど、猫になったあの子はね、もう、人間にもどるのはいやだって……、あたしは一週間ほどしたら、人間にもどすつもりでいたのにね。あたしはまだまだ、未熟な魔法使いなんだね……。」  わたしは何もかもわかった気がした……。 「鈴木さん……?」 「なんだい?」 「イチロー……、なの?」 「そうだよ。外山先生わね。」 「でも、どうして? 外山先生はもう、人間にはもどりたくなかったのでしょう?」 「あ……、それはね、あずきちゃんのおかあさんに恋をしたからだよ。」  えっ、おかあさんに……。 「そうだよ。それでね、どうしても、もういちどだけ人間にもどって、おかあさんと会いたいって言うから、あずきちゃんには申し訳なかったけど、絵本教室を計画して、あずきちゃんとおかあさんを誘ったんだよ。」 「じゃあ、あのチラシは……。」 「あたしだよ。電話にでたのも、あたし……。」  あ、そうだったのか……。 「ごめんね、あずきちゃん。あずきちゃんにまで、つらい思いをさせてしまって、あたしはほんとうにだめな魔法使いなんだよ。」 「ううん、そんなことないよ。あたし、外山先生に会えてうれしかったもん……。あ、でも、あたし、もういちど、外山先生に会いたかった……。ね、だめなの? 鈴木さん。」 「たぶんね……、あの子はもう、人間にはもどらないって……。あたしの言うことは聞いてくれないんだよ。それにね……、あたしはもう、ジュピターに帰らなきゃあいけないし……。」 「え……? 帰るって、どうして?」 「あたしはね、もうすぐ、魔法が使えなくなるんだよ。それでね、また、ジュピターに帰って修行をして、大王さまのつぎの命令を待つんだよ。」  ちょっと、まってよ!  そんなひどい魔法使いなんていないと思った。わたしはまだ、鈴木さんの話を信じる気になれなかった。 「いつ、帰るの?」 「あさっての夜だよ。ほんとはね、ことしの春に帰る予定だったんだけど、あの子をこのままにしておけなくてね……。」 「じゃあ、鈴木さんが帰ったら、外山先生はどうなるの?」 「……、イチローのままだよ……。」 「うそだぁ! そんなの、わたしはいやよ。ぜったいに、いや!」  わたしはやりきれなくて、くやしくて、また、涙がでてきちゃった。  鈴木さんは眼鏡をはずしてタオルで顔をぬぐうと、しょんぼりうなだれてしまった。わたしもどうしていいのかわからなくて、まぶしい窓の外を、ぼんやりみていた。  あ……、そうだ。 「ねぇ、鈴木さん……。」 「ん、なんだい?」 「わたしを、猫にしてちょうだい。」 「え……?」 「できるでしょう? わたしに魔法をかけて! わたし、猫になって、イチローと話がしたいの。」 「あずきちゃん……。」 「わたしを猫にしてくれたら、鈴木さんのことも信じられるし、イチローと、話もできるでしょう? ねぇ、おねがい! わたしを猫にしてちょうだい。」  鈴木さんは唖然としてしばらく考えこんでいた。 「あずきちゃん、ひとつだけあたしと約束してちょうだい。かならず、人間にもどるってね。あずきちゃんまで猫になっちゃったら、あたしはもう、ジュピターに帰れなくなるよ。」 「うん、約束する。わたしはだいじょうぶよ。」 「じゃあ……、ひと晩だけだよ。」 「うん。わかった。」  鈴木さんはまた、となりの部屋に行って、タンスの引き出しから紅い布袋をだしてきて、テーブルのうえにおいたの。  ゴトン……って、すこし、重そうな音がした。  紅い布袋のなかには、野球のボールぐらいのおおきさのガラス玉が、ふたつ入っていた。鈴木さんはガラス玉をひとつ手にすると、ていねいにタオルでくるんで、スーパーのレジ袋に入れた。 「手をだしてごらん。」  あ……、はい。  両手をそろえてテーブルのうえにさしだすと、鈴木さんはレジ袋をわたしの手のうえにのせた。  ちょっと、重い。 「これを持ってお帰り。今夜の十時に魔法をかけるから、あずきちゃんはじぶんの部屋で、このガラス玉をしっかりにぎりしめて、待っててちょうだい。あたしもこのガラス玉をにぎりしめて、あずきちゃんに魔法を送るからね。いいかい……、十時だよ。だれにもみつからないようにね。」 「うん……、あ、イチローは?」 「あの子は団地の公園で待たしておくから、あずきちゃんは猫になったら、こっそり、家からでておいで。」 「ん……、できるかなぁ。」  わたしはちょっと、不安になった……。 「だいじょうぶだよ。落ち着いてね、部屋の窓はすこしあけておくんだよ。でないと、家からでられないからね。」 「うん……。」 「じゃあ、もうお帰り……。」  うん……。  レジ袋に入ったガラス玉をしっかり手に持って、わたしは鈴木さんの家をでた。 「ただいま……。」  あかあさんはリビングの奥のキッチンで、夕飯の用意をしているみたいだった。わたしはスリッパもはかないで、こっそり、廊下をあるいて階段の手すりに手をかけた。 「あずきー、どうしたの、おそかったわね。」  あ、みつかった……。 「うん……、あのね、団地の公園で鈴木さんに会ったの、それで……。」 「へー、鈴木さんに? ご近所だったのね。」 「う、うん。」 「あら、なにもってるの?」  う、やばい……。 「あ、これ? これね、鈴木さんにもらったの。魔法使いのガラス玉だって……。」 「うふっ、そうなのぉ、鈴木さんっておもしろいひとねぇ。じゃあ、そのガラス玉、あずきの絵本に使えるわね。あ……、それで、どうだったの?」 「え? なに……。」 「なにって、外山先生ことでしょう。」 「あ、外山先生はね、もう、いないんだって……。」 「えっ、どういうこと?」 「ん……、出張なの。しばらく帰ってこないそうよ。」 「ふーん、そうなの……、お仕事があったのね。」  おとうさんもときどき、出張でいなくなるから、おかあさんはなんとなく信用してくれたみたい。  あ……、よかった。  わたしは二階の部屋にあがって、鈴木さんのガラス玉を手にとって、しばらくながめていた。どこかでみかけた夜店の、輪投げの景品みたいな、ただのガラス玉だった。  だいじょうぶかなぁ、なんだかニセモノみたいだけど……。                  つづく ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]あずきの恋人 (連載?)/たま[2013年1月14日12時06分] (わたしは猫になって、イチローに会いに行ったの)    きょうの午後、鈴木さんに出会った公園にようやくたどり着いた。  この公園のどこかに、イチローがいるはずだけれど、わたしの目に猫の影は映らなかった。青い外灯の灯りの下では、コガネムシが二匹、ぶんぶん、羽根を鳴らして飛んでいる。  イチロー……。どこにいるの? ねぇ、わたしよ……。  あかるい夜空に、星がひとつ流れた。 「ぼくはここにいるよ。」  え……、どこ?  ベンチのうしろのフェンスの際に、スチール製のおおきな物置があった。イチローはその屋根のうえにいて、すばやく地面に飛びおりると、ふたたび、ジャンプしてベンチの背もたれのうえに、つんっと、背すじをのばしてすわった。 「やぁ、あずきさん、元気にしてましたか?」 「……、外山先生!」  それは、まちがいなく外山先生の声だった。  あ……、やっと、会えた。 「あずきさん、そんなとこにいないで、ベンチにあがりなさい。」  うん……。  ベンチにあがると、外山先生も背もたれからおりてきて、ふたりならんで腰かけたの。なんだかうれしくて、わたしのしっぽがだらしなく動いていた。 「ねぇ、あずきさん、絵本は進んでますか?」 「ううん、ちっとも……。」 「うん、そうだね、むずかしいよね。じゃあ、なにかヒントをあげようかな……。」  う、うん……。 「えーっと、なにがいいかなぁ……。あ、そうそう、イチローの恋人はもう、みつかったのかな?」 「うん……、鈴木さんに聞きました。おかあさんだって……。」 「あ、そうなんだぁ。じゃあ、絵本教室のことも聞いたんですね?」  うん……。外山先生のことも……。 「あずきさん……、ごめんね。ぼくのわがままで、あずきさんと、おかあさんにいっぱいめいわくをかけてしまって、ほんとうに、申し訳ないことをしちゃった。なんだか、恥ずかしいね。もう、あずきさんとは、こうしてお話しすることはないと思っていたから……。」  わたしも、もう会えないと思ってたの……。 「でもさ……、あずきさんまで猫になっちゃったから、ぼくはびっくりしたよ。あずきさんって、ほんとにやさしくて、まっすぐなひとなんですね。」 「いいえ……、そんなことないです。鈴木さんに魔法をかけてもらったのは、外山先生にもういちど、会いたかったからです。わたし……、外山先生にお願いがあるの……。」 「ん、なんですか……。」  わたしは勇気をだして、じぶんの思いを伝えなければいけないと思った。 「あの……、もういちど……、もういちど人間にもどってくれませんか……。」 「……。」 「だめですか?」 「う……ん、あずきさんには、ぼくの気持ちが理解できないと思うけど、ぼくはいまのままが好きなんですよ。ほら、猫って、気ままで、自由に暮らすことができるから……。」  そんなの、うそだ……。 「じゃあ、外山先生はいまのじぶんが好きなんですか?」 「……、どうして?」 「わたし、外山先生はさみしいだけなんだと思います。」 「え……。」 「猫って、ひとりが好きだから、どんなにさみしくても、がまんできるのだと思います。でも、それは、じぶんを愛したことにはならないと思うし、わたしはじぶんが猫になったら、もう、じぶんのことは愛せないと思う……。」 「……。」 「たぶん、わたし、猫になっちゃったから……、そんな気がするの。」 「うん……、あずきさんは、おとなになりましたね。」 「いいえ、わたし……、『あずきさんは、あずきさんを愛していますか……。』って、絵本教室で、外山先生に聞かれたことを思いだしたのです。じぶんのことを好きになるって、とてもたいせつなことなんだって、外山先生は言いました。」 「あ、そうだったね……。」 「外山先生……、わたし、ひとりぼっちだったら、じぶんのことを愛せないと思います……。」 「……。」 「おかあさんや、おとうさんや、おばあちゃんがいて、たくさんじゃなくても、ともだちもいて、だから、わたしは、じぶんのことを愛せるのかもしれないって、そんな気がします……。ね……、わたし、まちがってますか?」  外山先生はあかるい夜空をみあげていた。またひとつ、星が流れた。 「あずきさん、ぼくも、そう思います。まちがってなんかいません。あずきさんは、あずきさんを信じて、いまのまま、まっすぐ生きてください。」  え、じゃあ、外山先生はどうなの……? 「ぼくはもう、人間にもどることはできません。もし、ぼくがいまもどったら、また、くるしいだけ……。三年まえに、鈴木さんがいなかったら、ぼくは死んでいました。あのときと、いまのくるしみはちがっても、また、死んでしまいたいと思うでしょう……。だから、ぼくはもう、もどれないと覚悟したのです。」  うそ……! 「くるしいって……、おかあさんのこと?」 「うん……、そうかもしれないね。ぼくはすこしはやく、おとなになりすぎたのかもしれない。もし、中学生のままだったら、おかあさんに恋をすることはなかったと思うし、たとえ、恋をしたとしても、こんなにくるしくはなかったでしょう。あ……、でも、もうすこし猫でいたら、忘れちゃうかもしれない……、おかあさんのことはね。」  外山先生はさみしそうに笑って、そう言った。 「え……、でも、それはだめ! だって、あした、鈴木さんは帰っちゃうの! そしたら、外山先生はもう、もどれなくなっちゃうって言ってたのよ、ねぇ……、お願いだから、いますぐ、人間にもどってほしいの……。」 「あずきさん、ありがとう……。あずきさんも、おかあさんもやさしいね。ぼくは、猫のままで生きていきます。鈴木さんがいなくなっても、あずきさんと、おかあさんがいます。だから、そんなに心配しなくても、ぼくはだいじょうぶですよ。」  やだ! わたしはやだ……。 「わたし……、外山先生が大好きなんです。だから……。」  あ……、言っちゃった。 「うん! あずきさん、それがいいかもしれない。」  えっ? なによ、それって……? 「ほら、ヒントですよ。あずきさんは、あの絵本をいちばんにみせたいひとはだれですか?」  いちばんにみせたいひと……? 「ええ、そうです。たぶん、あずきさんはそんなこと考えないで、絵本を描き始めたのだと思います。でも、それがだれだかわからないままだと、物語は進まなくなるのです。たとえば、そのだれかさんは、おかあさんだったり、おとうさんだったり、あずきさんのいちばん好きなひとだと思います。」  わたしのいちばん好きなひと……、なの? 「うん、たぶんね。だから、そのひとに伝えたいことを物語にしたらどうかなって……。」  うん……。  外山先生はまた、わたしに魔法をかけようとしている。でも、わたしはもう、いちばん好きなひとがわかった。  東の空にいつの間にか、オレンジ色した淡い月がでていた。 「あ……、もう、こんな時間だから、お家に帰りましょうか。」  やだっ、そんなの、ずるい! 「外山先生……、わたしどうしても、もういちど会いたいの。このまま会えなくなったら、わたしも、くるしくてたまらなくなっちゃう……。わたし、まだこどもだけど、もうすこし、おとなになって、もういちど、外山先生に会いたい……。」  そんなこと、夢かもしれない。でも、いまここで、わたしの気持ちを外山先生に伝えなければ、ほんとうに会えなくなってしまうような気がした。 「あずきさん、またいつか……、ぼくに会えるかもしれないよ。」 「え、ほんとうに……、いつ?」 「うーん、それは、ぼくにもわからないけど、そんなにとおくない……、未来に。」  みらい……?  じゃあ、わたしはもう、おとなになっているの……? 「うん、そうだね……。きっと、すてきなおとなになっていると思う。だから、ぼくも、もういちど、あずきさんに会いたいなって……、うそじゃないよ。」  うん。うれしい……。 「さぁ、あずきさんちまでぼくが送るから、ね、帰りましょう。」  う、うん……。  未来って、どれぐらいとおいのだろうか。わたしはまだ十一歳、いくつになったら、おとなになれるのだろうか。あ、でも……、外山先生はどうやって、人間にもどるつもり? 「ねぇ、外山先生は、ほんとうに人間にもどれるの?」 「うん、生きていればね、かならず、未来はやってくるんだ。そしてね、きっと、いいことがあるんだよ。」  きっと……、なの。  だったら、わたしは未来を信じようと思った。いつか、きっと、外山先生に会える……。  帰り道は、外山先生と仲良くならんであるいた。オレンジ色の月がとてもあかるくて、わたしのからだがすこし、かるくなった気がする。  猫って、お月さまが好きなのかな。                   つづく ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]あずきの恋人 (連載?)/たま[2013年1月20日10時59分]  東の空にいつの間にか、オレンジ色した淡い月がでていた。 「あ……、もう、こんな時間だから、お家に帰りましょうか。」  やだっ、そんなの、ずるい! 「外山先生……、わたしどうしても、もういちど会いたいの。このまま会えなくなったら、わたしも、くるしくてたまらなくなっちゃう……。わたし、まだこどもだけど、もうすこし、おとなになって、もういちど、外山先生に会いたい……。ねぇ、だめですか……。」  そんなこと、夢かもしれない。でも、いまここで、わたしの気持ちを外山先生に伝えなければ、ほんとうに会えなくなってしまうような気がした。 「あずきさん、またいつか……、ぼくに会えるかもしれないよ。」 「え、ほんとうに……、いつ?」 「うーん、それは、ぼくにもわからないけど、そんなにとおくない……、未来に。」  みらい……?  じゃあ、わたしはもう、おとなになっているの……? 「うん、そうだね……。きっと、すてきなおとなになっていると思う。だから、ぼくも、もういちど、あずきさんに会いたいなって……、うそじゃないよ。」  うん。うれしい……。 「さぁ、あずきさんちまでぼくが送るから、ね、帰りましょう。」  う、うん……。  未来って、どれぐらいとおいのだろうか。わたしはまだ十一歳、いくつになったら、おとなになれるのだろうか。あ、でも……、外山先生はどうやって、人間にもどるつもり? 「ねぇ、外山先生は、ほんとうに人間にもどれるの?」 「うん、生きていればね、かならず、未来はやってくるんだ。そしてね、きっと、いいことがあるんだよ。」  きっと……、なの?  だったら、わたしは未来を信じようと思った。いつか、きっと、外山先生に会えるなら……。   帰り道は、外山先生と仲良くならんであるいた。オレンジ色の月がとてもあかるくて、わたしのからだがすこし、かるくなった気がする。     猫って、お月さまが好きなんだろうか。  リビングの庇から、わたしの部屋の窓にジャンプして、ようやく家に帰りついた。  外山先生が玄関のガレージから、心配そうに見あげていてくれた。わたしがしっぽをふると、外山先生もしっぽをふって、 「じゃあね……。」って。  ちょっと、さみしかったけれど、わたしはもうすっかり疲れきっていた。ちいさな灯りのついた部屋に入ると、ベッドのうえにまるくなって、眠ってしまったの。    窓の外があかるくて、もうすっかり、日はたかく昇っているみたい。わたしはベッドのうえで、ぼんやり目がさめた。  しばらく、天井をみつめていたら、ゆうべの出来事がすこしずつ、よみがえってきた。  夢だったかもしれない……。  そう思ったけれど、でも、そんなことない。たしかに、わたしは猫になって、外山先生と会うことができた。そして、もういちど、人間にもどってほしいと伝えたはず。  あ、いけない、起きなくっちゃあ。  うっ……。  なんだか、手や足の筋肉が痛くてたまらなかった。いつか、学校で跳び箱したときみたいに……。  あれっ、わたし、パジャマを着てる? あ、もう人間にもどったんだ……。  重いからだを手すりにあずけて階段をおりた。 「あらっ、あずき、だいじょうぶ?」  おかあさんはリビングの床に掃除機をあてていた。 「うん、だいじょうぶよ。ちょっと、足が痛いの……。」 「足? どうして……。」 「ん……、わかんない。」  もう、十時をすぎていた。 「ねぇ、あずき。おとうさんね、きょうから三日ほど出張だから、晩ごはんはカレーにするわね。また、手伝ってくれる?」  うん……。そうだった……、おとうさん出張なんだ。  おとうさんはあまりカレーが好きじゃなかったから、出張の日はカレーをたくさんつくって、あくる日はカレーうどんになった。わたしは玉ねぎを刻んだり、じゃがいもの皮をむいたりするのが好きだったから、いつも手伝っていたの。  でも、きょうはあまり楽しくないかもしれない。鈴木さんが木星に帰っちゃうんだ。 「ねぇ、おかあさん、お昼ごはん食べたらすこしだけ、鈴木さんとこへ行って来てもいい……?」 「いいわよ。でも、あまりおそくまでお邪魔したらだめよ。」 「うん、すぐ帰るから。」  できれば、鈴木さんを見送ろうと思った。どんなふうにして木星に帰るのだろう。やっぱし、宇宙船に乗って……?  アー、アー。 「あら、イチローさん、きょうは早いわね。」  イチローが窓のうえにぽつんとすわっていた。 「お腹すいたのかな、もうすぐ、お掃除がおわるから、ちょっと、待っててね。」  アー……。  イチローは、わたしのことはちっとも気にしていないようすで、おかあさんばかりみていた。  やっぱし、おかあさんのことが好きなんだ。  わたしはちょっと、くやしかったけれど、おかあさんにイチローのことは話せないし、このまま、わたしだけのひみつにしておこうと思った。  そうだ……、鈴木さんが帰ってしまったら、イチローはわたしとこの家猫になればいい。おとうさんはあまり猫が好きじゃないけれど、イチローのことは知っているから、だめとは言わないはず。イチローはもう、わたしとこの家族なんだから。     お昼ごはんを食べてから、鈴木さんのお家へ行った。  玄関のドアが開いていて、なかを覗いたらきのうあったはずの、下駄箱や、台所のテーブルや、冷蔵庫なんかがなくなっていて、まるで、空き家みたいだった。 「こんにちは……。」  台所の奥の部屋から、鈴木さんが顔をだした。 「あら、あずきちゃん、いらっしゃい。」  鈴木さんは雑巾を持っていて、窓や畳のふき掃除をしているみたいだった。 「さぁ、あがりなさい。もう、なにもないけど、まだ、あたしの家だからね。」 「うん……。」  奥の部屋も空っぽだった。ベランダには履き古したサンダルが一足あるだけ。 「朝からね、古道具屋さんにみんな持って行ってもらったんだよ。ほとんどゴミだけどね。あ……、そうそう、あずきちゃん、ゆうべはありがとうね。イチローはよろこんでいたよ。」 「え、ほんとに?」 「うん、あずきちゃんに会えてよかったって……。」  でも……、 「ねぇ、鈴木さん、イチローはいつか人間にもどれるかもしれないって言ってたけど、鈴木さんが帰ってしまっても、ほんとうにもどることができるのですか?」 「そうだねぇ、あたしの力じゃあ、無理だけどね……。」 「……それは、どういうこと?」 「うん、ジュピターに帰ってね、大王さまにご相談してみようと思ってるんだけど、大王さまはとても厳格なおひとだから……。」  大王さま……って? あ……、そうか! 「じゃあ、鈴木さん、大王さまだったらイチローがいやだって言っても、人間にもどすことができるんですか?」 「あ……、それはね、まだわからないよ。たとえ、大王さまであっても、イチローが拒んだらできないかもしれない……。さいきんは、いろいろ問題があってね、あたしたち魔法使いもたいへんなんだよ。」  もぉ……、木星のひとって、ややこしいんだからぁ。  わたしはすこし、がっかりしたけれど、なんだか、希望が持てそうな気がした。 「ねぇ、鈴木さんは、どうやって帰るの?」 「あー、それはね、迎えの舟がやってくるんだよ。今夜ね。」  え、舟で……? 「どこへやってくるの?」 「河川敷のグランドだよ。」 「少年野球の?」 「そうだよ、十二時にね。」  そんなおそくに……。あ、でも、行きたい。 「あの……、わたし、見送りに行ってもいいですか?」 「へっ、あずきちゃんが?」 「うん。」 「うーん、そうだねぇ、あずきちゃんなら、許してもらえると思うけど……、真夜中だよ。だいじょうぶかい?」 「うん。だいじょうぶ。」  今夜はおとうさんがいないから、なんとかなると思った。それに、おかあさんも、おばあちゃんも、寝ちゃったら朝まで起きないひとだから。 「じゃあ、いらっしゃい。もう、会えなくなっちゃうんだからね。さいごはちゃんとお別れしましょう。それもそれで、さみしくなっちゃうけどね……。」 「鈴木さん……。」 「ん、なんだい?」 「ありがとう。」 「……、どうしてだよ。おかしな子だね。」 「だって、鈴木さんがいなかったら、わたし、外山先生に会えなかったんだもの。だから、鈴木さんにお礼を言いたいの。ほんとうに、ありがとう。」 「あずきちゃん……、あたしこそ、ありがとう……。うれしいよ、そんなふうに言ってくれて、あたしみたいなだめな魔法使いに……、ほんとに……、ぐふうぅうう……。」  鈴木さんは眼鏡をはずして、手のひらで顔をかくして泣いちゃったの。わたしもすこし、泣いちゃった……。 「じゃあ、河川敷で待っててね。わたしが行くまで帰らないでね……。」  鈴木さんと約束して、わたしは家に帰った。  目のまえは真っ暗だった。  河川敷の向こうには、河をへだてた対岸の街の灯りがあったけれど、堤防から河川敷におりる階段は真っ暗で、もう、秋の虫がいっぱい鳴いていた。わたしは家から持ってきた、ちいさな懐中電灯を点けてゆっくり階段をおりた。  おかあさんたちが寝ちゃったのは、十一時ごろだったから、いまは十一時半ごろだと思う。こっそり家をでて、急いで走ってきたからちょっと息がくるしかった。階段をおりたら、コンクリートの歩道があって、その歩道に沿ってサッカーや、ラグビーのできるひろいグランドがある。  少年野球のグランドはそのとなりにあって、それほどおおきくないバックネットと、そのうしろに木製のベンチがいくつかならんでいた。バックネットに近づくと、だれかがベンチにすわっているのがみえた。 「鈴木さん……?」  わたしは小声で呼びかけた。 「あー、あずきちゃん、あたしだよ。よく、来れたね。」  鈴木さんはおおきな紙袋をひとつ、小脇においてベンチに腰かけていた。 「さぁ、こっちにおいで。」  わたしは懐中電灯を消して、鈴木さんのよこにすわった。  アー……。  えっ、イチロー?  イチローが鈴木さんの膝のうえで寝そべっていたからびっくりした。 「イチローもついてきたんだよ。」 「うん、そうだよね、イチローも、鈴木さんを見送りたいんだと思う。」 「ねぇ、あずきちゃん、この子も家がなくなっちゃうから、あずきちゃんとこへおいてくれないかねぇ。」 「うん。心配ないよ。わたし、もうそのつもりだから、おとうさんに頼んでみる。おかあさんはもちろん、いやだって言わないし、イチローもいやじゃないよね。」  アー。 「そうかい……。じゃあ、この子をあずきちゃんに預けるから、つれて帰ってちょうだい。」  鈴木さんはそう言って、イチローをわたしの膝のうえに乗せたの。イチローはまたすこし、やせたみたいだった。 「さぁ、ぼちぼち時間だね。」  鈴木さんはおおきな紙袋を手にとって立ちあがると、バックネットの裏をまわって、グランドに向かってあるきはじめた。わたしも、イチローをだいてあとをついて行った。風はなかったけれど、とても涼しくてしずかな夜だった。  鈴木さんは三塁ベースのあたりで立ち止まった。しばらく、ふたりならんで立っていたけれど、わたしはわけがわからなくて、小声で聞いたの。 「舟って、海からやってくるの……?」 「そうだよ、おおきな、おおきな海からね。……ほらっ、やってきたよ。」  そう言って、鈴木さんは真上をみあげた。  えっ、空なの……?  あ……。  なんだろう? 灰色のまるい雲のようなものが、星空に浮いていて音もなく、ぐんぐんおりてくる。あっ、すごい! もう、このグランドからはみでそうなおおきさになった。 「ね、きれいな舟だろう……。」  鈴木さんはうっとりとした声でつぶやいた。  えっ、これって、空飛ぶ円盤じゃん……! わたしはそう思った。  円盤はグランドから三メートルほどの高さまでおりてきて静止した。わたしと鈴木さんは、おおきくてまるい天井のような円盤の下に立っていた。唖然としてみあげていると、灰色の天井がぼんやりあかるくなってきて、まるで、おおきな蛍光灯の下にいるみたいだった。  すこし離れた円盤の底がすっと開いて、青白い灯りのなかから、滑り台のようなスロープがのびてグランドにくっついた。  あ……、だれかおりてくる……。  おおきなひとの影と、そのうしろにちいさなひとの影がふたつ、スロープのうえにみえた。 「え……、あのお姿は……、ユーピテルさま?」  鈴木さんがだれかの名を呼んだの。  ユーピテル……さま? あれっ、どこかで聞いたような気がする。  おおきな影のそのひとは、ゆっくり、わたしたちに近づいてきた。サンタクロースのようなぶくぶくのコートを着て、しろい毛皮の帽子と長靴、それにごっつい手袋をして、その顔は赤毛の猫みたいに毛むじゃらだった……。  あ、このひとはたしか、大王さま……?  わたしは鈴木さんが描いていた大王さまの絵を思い出していた。  ぐぉっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ……。  え……。なに、このひと? いきなりおおきな声で笑ったの。 「いやいや、あいかわらず、地球はさぶいとこじゃ……。おー、アモル……、ながいことご苦労さまじゃった。元気にしておったか?」 「ユーピテルさま……、お久しゅうございます……。」  鈴木さんは大王さまのまえに跪くと、両手を胸にあててふかくお辞儀をした。  アモルって、鈴木さんのなまえなのかしら……。 「ふむ、ふむ、アモルもたいへんじゃったの。こんなさぶいとこでの。ジュピターに帰ったら、しばらくゆっくりしなさい。」 「ユーピテルさま、まことに申し訳ございません。このわたくしが、未熟者でございました。どうか、お許しをくださいませ……。」  ぐぉっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ……。 「まぁ、いいではないか。それも修行の道じゃ。あまり気に病むでない……。さて……。」  え……、わたし?  大王さまがわたしをまっすぐみつめて、目をほそめたの。 「あんたが、あずきさんですかの?」  あ、あんたって……、 「あ、はい。わたし、井上あずきです……。」 「ふむ、では、その子がイチローかの?」 「……はい、そうです。」 「ふむ、ふむ……。そうじゃったか、いやいや、会えてよかったの。」 「あの、もしかして……、おじさんは、木星の大王さまですか?」  ぐぉっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほへ? おじさん……。 「うむ、そうじゃよ、わしが大王さまじゃ。」  あ、やっぱしそうなんだ。 「アモル、あずきさんはわしのことを知っておったのかの?」 「あ……、はい。すこしだけ、お話しております……。」  鈴木さんはそう言って、また、ふかくお辞儀をした。 「ふむ、そうじゃったか。では、あずきさん……、わしがどうして地球にやってきたのか、わかるかの?」  ……うん、わかります。 「大王さま、わたし、お願いしたいことがあります……、聞いてもらえますか?」 「ふむ、なんじゃの、言ってごらん。」 「わたし、この子を人間にもどしてほしいのです。」 「ふむ、ふむ、人間にもどすのかの……。」 「はい。どうか、お願いします。」 「ぐふっ、ぐふっ、ぐふっ、あずきさん……、この子を、人間にもどすだけでいいのかの?」  大王さまは、わたしの目をこわいほどにみつめたの。  え……? ちょっとまって……、あれっ? あ……、あ、そうだ!  一瞬、わたしのからだのなかで、オレンジ色のひかりの輪が、ぱちんって、弾けた気がした……。  大王さま、この子を……、この、外山先生を……、中学生にもどしてくさい!  ぐぉっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ……。 「いやいや、あずきさんはかしこい子じゃの。ふむ、ふむ、ふむ、じつはの、あずきさん、わしもそのつもりで地球にきたんじゃよ。」 「えっ、じゃあ……、できるんですか?」 「ふむ、それはの、その子に聞いてみてくれんかの。」  あ……、そうだった、イチローの気持ちがだいじなんだ……。  わたしは腕のなかのイチローとみつめ合って、ふたりの想いがひとつに重なることを祈った。 「イチロー……、もう、いいでしょう。ね、もどりましょうね。」  アー……。  イチローはちいさな声でへんじをすると、わたしの胸に顔をこすりつけたの。  鈴木さんがうつむいたまま、泣いていた。 「ふむ、ふむ。そうか、それがいい。それがいいとも。じゃあ、あずきさん、その子をわしの腕に預けなさい。」  そう言って、大王さまはおおきな両腕を、わたしのまえに差し出した。わたしはその腕のなかに、イチローをそっと預けたの。  大王さまは抱きしめたイチローの、ちいさな頭のうえに右手をかざして、しずかに目を閉じた。  そしたら、ぼんやり、大王さまのからだがオレンジ色にかがやきはじめて、イチローと、大王さまはオレンジ色のひかりの輪につつまれた。  あ……、イチローのからだが、オレンジ色のガラスみたいに透けてゆく……。  イチロー……。  アー……。  やがて、大王さまの腕のなかで、イチローは消えた。 「ふむ、あずきさん、あの子はぶじにもどりましたよ。もう、会えないかもしれんが、それは、しかたないことじゃ。あの子の時間を、もどしたのじゃからの。」  うん……、いいの。  きっと、どこかに、中学二年生にもどった外山先生がいる……、わたしはそれだけでうれしかった。 「大王さま……、わたし、かならず、会えると信じています。外山先生は、そんなに、とおくない未来に、きっと、また会えるって、言ってました。だから、わたし、信じています。」  ぐぉっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ……。 「ふむ、ふむ、そうじゃったのか。あんたはほんとにかしこい子じゃ。未来はの、信じなければやってこないもんじゃ。それがいい、それがいいとも。」  ぐぉっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほへっ……、へっ、へーくっしょん! 「ユーピテルさま!」 「ぐふ……、アモル、そろそろ、帰るかの。」 「はい。ありがとうございました。」  鈴木さん……。 「あずきちゃん、じゃあ、お元気でね。」 「うん、鈴木さんも……。」  あれ……、鈴木さん?  気がつくと、わたしのまえにとてもきれいな、若い女のひとが立っていたの。  えっ、これがほんとうの鈴木さんの姿なの……? わたしはなんだか、うれしくって、泣いちゃいそうだった。  鈴木さんと、大王さまはスロープに向かって、ゆっくりあるいて行った。そうして、青白い灯りのなかに立って、わたしに手をふってくれた。  さようなら……。  わたしもちいさく、手をふった。  あかるい星空に、灰色の円盤は音もなく吸い込まれて行った。  ちいさな、ちいさな、オレンジ色のひかりの輪をひとつ、地球にのこして……。                   つづく ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]あずきの恋人 (最終回)/たま[2013年1月26日14時13分]  鈴木さんと、大王さまはスロープに向かって、ゆっくりあるいて行った。そうして、青白い灯りのなかに立って、わたしに手をふってくれた。  さようなら……。  わたしもちいさく、手をふった。  あかるい星空に、灰色の円盤は音もなく吸い込まれて行った。  ちいさな、ちいさな、オレンジ色のひかりの輪をひとつ、地球に残して……。  夏休みはきょうまで、あしたから二学期がはじまる。  朝からとてもいいお天気だったけれど、わたしはどこにも出かけるつもりはなかった。部屋の窓もドアもおおきく開けて、扇風機をまわして、首にタオルをまいて絵本を描いていた。あしたは、由美ちゃんに絵本をみせるねって、約束してたから、ちょっと、焦っていたけれど、もう、ほとんどできていて、まだ、できていないのは表紙のタイトルと、さいごの一ページだけ。  机のうえにスケッチ・ブックをひろげて、筆や、パレットや、筆洗を置くとせまくなるから、消しゴムとかが、すぐにどこかへいってしまった。  あ、また、消しゴムがない……、もぉ。  椅子をよけて、机の下をさがしたけれどもみつからない。ベッドの下に転がったのかもしれないと思って、床のカーペットに顔をこすりつけてさがしたら、  え……?  鈴木さんのガラス玉がベッドの下に転がっていたの。  あれぇ? わっ、いけない!  わたし、ガラス玉を返すのを忘れていたんだ。  だいじょうぶかなぁ、鈴木さん……。  きっと、たいせつなガラス玉なのに、いまごろ、大王さまにしかられているかもしれない……、ん……、ごめんね。  しばらく、ガラス玉をにぎりしめて、わたしはぼんやりしていた。もう二度と、オレンジ色にかがやくことはなくても、このガラス玉さえあれば、いつか、かならず、外山先生に会うことができる。わたしはそう思った。  あ……、そうだ。  鈴木さんはこのわたしに、ガラス玉を残してくれたのかもしれない。きっと、そうなんだ……。  ありがとう、鈴木さん……。 「あずきー、ねぇ、あずきー。」  おかあさんが階段の下で呼んでいる。 「なにー? おかあさん。」 「カキ氷つくったから、おりてきてー。」  あ、もう三時なんだ……。  牛乳やバナナやメロンが入っている、かあさんのカキ氷は夏休みのたのしみだったけれど、ことしはもう、おしまいかもしれない。わたしがキッチンのテーブルでカキ氷を食べていると、おかあさんはリビングの窓辺に立って、なぜか心配そうに外をみていた。 「どうしたの、おかあさん?」 「ねぇ、あずき……、きのうからイチローさんがやってこないの。どうしたのかしらね。」  あっ……、やばい。どーしよう……。  わたしは知らないふりができなくて、困ってしまったけれど、ほんとうのことも言えなかった。 「あ……、おかあさんごめんなさい……。」 「え、どうしたの?」 「あのね、鈴木さんね、引っ越しちゃったの。」 「あらっ、鈴木さんが?」  うん……。 「でも、どうして? イチローさんと関係があるの?」 「うん……、イチローはね、鈴木さんとこの家猫だったの。」 「えー、ほんとうに? あらっ、じゃあ、イチローさんも引っ越しちゃったの?」 「うん……、だまってて、ごめんなさい。鈴木さん、急に引っ越しちゃったの……。」 「そうなのぉ……。」  おかあさんはなんだか気がぬけてしまったみたいに、リビングのソファにすわりこんでしまったから、わたし、心配になって、おかあさんのとなりにすわったの。  おかあさん……、かなり、ショックだったかもしれない。 「でも……、イチローって、ふしぎな猫だったわね……。おかあさんね、イチローがそばにいると、ときどき、外山先生かしらって、思ったりしたの。」 「うん、わたしもよ……。」 「ほら、あの絵本教室って、なんだったのかしらね。ねぇ、あずき……、鈴木さんって、ほんとうに木星からやってきた、魔法使いだったかもしれないわよ。」 「え……? あ、そんなことないって、やだぁ、おかあさんったら……。」 「そうかしら……。」  おかあさんは女の子みたいな顔をして、ため息をもらしていた。 「あらぁ、どうしたの? なんだかふたりとも深刻そうねぇ……、ほっほっほ。」  おばあちゃんがやってきて笑ったから、おかあさんも笑って、ちょっと、元気がでたみたい。おばあちゃんがいつもの、テレビドラマの録画をみたいって言うから、おかあさんがテレビを点けている間に、わたしはこっそり二階の部屋にもどった。  おかあさんにはしばらく、いい子でいようと思った。    さて、絵本の表紙に、登場人物が全員そろったから、わたしはタイトルをつけた。  『あずきの恋人』……って。  ちょっと、はずかしくて、由美ちゃんにツッコまれたら困るけれど、わたしはすごく気に入ったの。  タイトルの下には、ひだりから……、  イチロー。  わたし。  おかあさん。  おばあちゃん。  おとうさん。  鈴木さん。  大王さま……、そして、  外山先生。  みんな笑って、なかよく並んでいる。  表紙をめくると……、  わたしの部屋の絵。外山先生が書いてくれた、ちいさな付箋が貼ってある。 /わたしはここにいます。  それは、わたしの声だと、外山先生は言った。  おとうさんに勧められて、わたしは絵本を描き始めたけれど、それは「手でさわれないもの」を描きたかったからだと思う。  イチローだった外山先生は、それを知っていたはず。だから、おかあさんと、わたしを絵本教室に誘い出して、「手でさわれないもの」を、わたしに教えようとした。  もちろん、外山先生のほんとうの目的は、おかあさんに会うためだったけれど、わたしの絵をみて、たくさんほめてくれたし、いまのわたしに必要なことも、たくさん教えてくれた。  そんなふうに外山先生は、わたしに魔法のような暗示をかけたのだけれど、ほんとうに暗示をかけたかったのはわたしではなくて、おかあさんだった。  絵本教室のあと、イチローにもどった外山先生は、おかあさんの気持ちをしっかり掴んでいたから、あのまま、イチローにとって、しあわせな生活が続くはずだった。  わたしが鈴木さんにお願いして、猫になったのは、外山先生も予想できなかったと思う。だから、あの夜の、外山先生はほんとうに困ってしまって、わたしのわがままなお願いを、聞いてくれたのかもしれない。  そう、あれは、わたしの身勝手なわがままだった。  もし、大王さまが地球にやってきたのは、外山先生を救うためではなくて、鈴木さんを救うためだったとしたら、外山先生はほんとうに人間に戻りたくて、戻ったのではなくて、鈴木さんに感謝したくて戻ったのだろうか。 「あずきさんは、あずきさんを愛していますか……。」って、外山先生はわたしに聞いたけれど、「手でさわれないもの」は、「わたし自身」なのかもしれない。 /わたしはここにいます。と、外山先生が書いたのはそういう意味なんだろう。  外山先生はそれを知っていたから、わたしが、わたしを見失わずに、生きて行けるようにと、教えてくれたはず。  生きていればかならず、未来はやってくる……。きっと、外山先生もそう願って、中学生に戻ることができたのだと、わたしは信じたい。  絵本が完成したら、もう、何もかも思い出になってしまうのだろうか。  ちょっぴり、くやしいけれど、描ききれなかった絵が、たくさんあったように思う。でも、だからこそ、わたしの絵本のなかには、「手でさわれないもの」がたくさんあって、わたしの思い出のなかでずっと、かがやき続けながら、いつか、この絵本を、外山先生にみてもらえたら、わたしの絵本は、ほんとうに完成するのだと思う。  その日がくるまで、わたしはつよく生きていたい。この絵本をいちばんに、見せたいひとのために。  さいごの一枚は、  イチローのうしろ姿をちいさく描いて、わたしはことばを添えたの。  わたしの未来の恋人へ。                    おしまい。 ---------------------------- [自由詩]雲の子/たま[2013年2月24日11時08分] 親はいないのか 捨てられたのか たかいのか ふかいのか 風がきつい まぶしい 今日の空 ひとのかたちで 風に捨てられて おまえは なんていう名の雲か 太郎か、次郎か 花子か、雪子か 名づけたら わたしが、親か 雲の子 おまえは自由でいい 手も足も 口も耳もないから 自由でいい ただなんとなく ひとのかたちに 似ていればいい ---------------------------- [自由詩]北の亡者/Again 2013如月/たま[2013年3月4日9時18分]  生きる 乾いた空の木の枝は 去年と同じ姿をしている 彼らは信じて疑わない この冬が やがて春になることを 人はどうして姿かたちを変えるのだろうか 老いることは人も木も同じはずなのに この冬空を信じて生きる人は きっとつよくてやさしくて ウラもオモテもない人にちがいない いつもの散歩道 も吉は慌ただしく糞をする ころころとした健康的なウンチのあと も吉の腰はしばらく曲がったままだ いつまでも坊ちゃんのような顔をしているけれど おまえもしっかり年老いた 北の亡者の許へ おまえを還す日が近いことを わたしは十分承知しているつもりだけれど ほら、あの木の枝のように つよく生きることはできない だから もう少し生きていてほしい 春は近いから あの冷たい木の枝がもうすぐ みどりに萌えるから それをまた一緒に眺めよう この冬空を信じて 生きてゆこう            (一九九九年作品)    ♯ 二月はいつも曖昧に暮らしている。 今日は二十七日なのに、もうひとつ、日曜日が残 っている気がして、楽しみにしていた。 友人のライブが月末の日曜日にあって、行くつも りで予定を立てていたのだ。 二月の月末って、三十日だったっけ……。 たぶん、そんな曖昧な感覚でいたのだろう。約束 した予定ではなかったから、ことなきを得たが、 気づいたときにはもう、日曜日はどこにもなくて ちょっと、へこんだ。 十六日には朗読会の予定があって、土曜日だった けれど、会社は営業日だから有給をとって、車で 一時間ちょっと走って、道に迷って、ようやく、 現地に着いたら、朗読会場の喫茶店が閉まってて、 もういちど案内状を確かめたら、 あらっ、三月十六日かぁ……って、呆れたばかり だったのに。 書くものが何もなくなってからが、ほんとうの創 作だと、或る作家がいう。小説の場合はたしかに そうも言えるだろう。では、詩作の場合はどうだ ろうか。たぶん、いつも何もない状態だと思う。 だとしたら、詩作は、ほんとうの創作だと言える のか? なんだか、ややこしい話になってしまう。 そもそも、ほんとうの創作ってのが怪しい。 わたしの場合は、年四回発行の同人誌があるから、 何もなくても予定は立てなければいけない。ただ、 それだけの話なら、わかりやすいのにと思う。 二十三日には、若かりしころに所属していた山岳 会の先輩を十数年ぶりに訪ねた。小学校の先生を していた先輩は、定年後に短歌を書き始めた。 雪や岩と、夢中になって遊んでいたころは、お互 いに、詩歌とは無縁だった。二時間あまり、短歌 や、詩の話ばかり、山の話はひと言も出てこなか った。八十二歳だという。 ようやく果たせた、十数年ぶりの予定だった。 今年も春一番が吹いて、消えてしまった二月の予 定は、いつか来る日の、予感だったかもしれない。 も吉と歩いたあのころの、果たせなかった予定は すべて忘れても、残された詩のなかに書き記した 予定は忘れることはできない。それはただひとつ、 生きるということ。何も書けなくなっても、それ だけは果たさなければいけない。 も吉が残した、わたしの主題なのだから。 ---------------------------- [短歌]玉葱なひと/たま[2013年6月29日9時04分] 乾いてる軒下暮らし梅雨の日もそれが定めとうな垂れて ほんとうに美しい玉葱の芯どうしてもほら泣いてしまいます 玉葱の玉を採ったら葱だらけでもそれは夢二兎(にと)を追うひと 玉葱の芯に隠れて冬の夢凍てついたまま凍てついた夏 この星(ひと)にしがみつくなら玉葱の針のような根アザラシの髭 玉葱の身を剥くひとはいませんか蚊帳に隠れて泣きたい夜に どうしても言えません刃を落とすのはあたしの情け憎いだなんて あなたはいつも食べるだけ涙見せても笑うだけだから男ね 九条の葱に憧れたあんなに細く色っぽく八百屋の軒で 一度でいいのバーベキュー海辺のようなベランダで茄子はいらない 陽だまりの芯は凍えてくしゃみするそんなあなたは玉葱なひと 幾重にも芯を閉ざした玉葱のあたしに似てる陰(ほと)のかたちは あたしたち長い日が好きネギ属の白夜の下で夢語るひと 薄いのは薄情だねって言うけれど皮で染めたの黄色いハンカチ 思いきり刻んで炒って殺してもカレーライスはあなたの味方 今朝の夢肉じゃがになるパパママこの子鍋の底まあるいお腹 玉葱の嘘聴くたびに泣くほんとはねどこにもないの芯なんて  ---------------------------- [自由詩]雨の日の猫は眠りたい 2013/たま[2013年8月1日9時57分] 葉月の昼下がりのどうしようもなくもてあました窓の したで、たったいま、わたしにできることをすべて思 い浮かべてみても、ただ、雨の日の猫のように四つ足 を投げだして眠ることしかできなかった。 そうして浅い夢をいくつも、いくつもわたり歩いては、 エノコログサの生いしげる夢の戸口に立ち尽くして濡 れていた。 長い雨だった。 いつまでも犬のまま雨に濡れて生きるのはやめようと 思った。いないはずの恋人、もしくはあり得ないわが ままをどこまでも、どこまでも、追いかけていたいわ たしはきっと雨の日の犬にちがいなかった。 もう、いいと思った。 芯まで濡れたこのからだを乾かさなければやさしく老 いることもできない。 だからもう、浅い夢をわたり歩くのはやめようと思っ た。雨の日の猫のように明るい窓のしたや、乾いた木 の階段の上から二段目あたりで涼しい顔をして、たっ たひとつでいい、やわらかい猫の手のとどく夢を見て いたい。 まぁるい顔をした牡猫のようなわたしがいつもの食卓 に頬杖ついてあつい紅茶をすすりながら朝のパイプを 銜えていたとしても妻さえ気付かないはず。 それでいいと思った。 目覚めた午後はほどよく冷えた西瓜をたべる。 汗にまみれたTシャツもブリーフも脱ぎすてて居間の 椅子に腰かけて、真新しいタオルを日やけしたほそい 首にかけて肋骨の浮きでたうすい胸を隠し、すこしで てきた下腹とちじれた陰毛の影に、だらしなくぶらさ がった部品の位置を気にしながら張りのないおしりは、 色あせた合成皮革に吸いついている。 午後の日差しはわずかに粗い粒子をともなって白いカ ーテンをゆらしている。窓の外には大きなケヤキの木 があってその梢の上には乾いた宇宙があった。 この地上にたったひとり分の木陰さえあればわたしは こうして裸でいたかった。 ときには犬でもなく、猫でもなく、ヒトでもない。 まるで西瓜のような生きものでしかないわたしをたし かめてみたかった。 階段のしたに眠るちいさな犬をまたいで二階にあがる。 廊下をかねた二畳ほどの板間の小窓から蒼い稲穂の波 打つ海が見えた。ささやかな営みをのせて季節をわた る箱舟がたどりつく港はまだ遠くても、いま、この海 になにを捨てればいいのだろうか。 洗いざらしの生あたたかい衣服を身につけてちいさな 犬と散歩にでかけた。 日にやけたアスファルトの雑多な小径はいく日も降ら ない雨を思い出そうとしては遠ざかる意識をつなぎと めようとしていた。よく手入れされた畑の心地よい表 情や、人の手をはなれた田畑の夏草に埋めつくされた 投げやりな視線のなかをちいさな犬と歩く。 老いることは忙しいか。 ちいさくても犬のかたちをしたおまえは犬のしあわせ を手に入れたか。 恋はしたか。 もうすぐ、わたしの年齢に追いつくことを知っている か。 過ぎ去った日々の晴れた日と雨の日をかぞえてみても、 それは昼と夜の等しい数をかぞえるように無意味なこ とだと思わないか。 季節だけがたしかな暮らしを運んでくる。 晴れた日は犬のように生きて、雨の日は猫のように眠 ればいい。それでも追いつける夢はあるはず。 老いることはどうしようもなく忙しいことだと知って いても、雨の日の猫は眠りたい。 浅くても、ふかくても、この地上にひとつとして、 無駄な眠りはなかった。 ---------------------------- [自由詩]朝の日記 2013夏/たま[2013年8月25日11時05分] ひもじいといって、啼く蝉はいない 白亜紀の時代から ひとはひもじい生きものだったという そのひもじさに耐えて、恐竜から逃れて 生き延びることのできる生きものだったという 生きて 生きて 生き延びてと、ことしの蝉は啼きさけぶ 白亜紀は無理でも せめて、縄文の海辺にもどりたい たとえひもじくても そこには汚染を知らない海がある いつもなら、蒼い稲穂に花が咲くころ その花粉の香りにつつまれて 夏の朝を迎えているはずなのに もう、田んぼとは呼べない雑草の 生いしげる原っぱ も吉や、れんちゃんとともに 二十年あまり親しんだ田んぼが 面影もなく消えた その原っぱに介護施設ができるという 戦前戦後の飢えを生き延びた人びとが 冷めたテーブルの席で、午後のおやつを待つ  ひもじくても ひもじいと、言えない老後 それはおやつではなくて 帰りたくても帰れないふるさとの野山のような 遠い風景なのだ たとえば、十九の夏を わたしは蝉のように生きたと 今になって気づく ほんとうにひもじい夏はこれからやってくる もうすっかり、覚悟はできているはずだ どんなに ひもじくても おやつのある老後はいらないと 生きて 生きて 生き延びて せめて、もう一度 縄文の海辺にもどってわたしたちは死にたい ひとの手垢を知らない放射線を浴びて たったひと夏でもかまわない ひもじいといって 啼く蝉はいないのだから ---------------------------- [短歌]茄子紺のひと/たま[2013年9月6日11時12分] 茄子紺に染めてあなたのまわしなら俵踏みしめ恋尽きるまで 長茄子の紫の花何気なく紫紺に染める我が実知ってか 茄子は「成す」花の数だけ実をつけてしあわせになる畦のあなたと 足りないのあなたの肥やし気まぐれだからあたしの愛は食いしん坊 あなた時々浮気する紅いくちびる色っぽいトマトなひとに さそり座の身の上話し朝まで聴いて夜も眠らず実を肥やす 水茄子のどこがいいのよ糠臭いあたしを焦がすキッチンのひと 激辛のスープなんて恐くないそうよあたしはインドの生まれ スイカの隣ネギの畦ジョウロの陰のナメクジのあなたのウワサ たまには痩せる気まぐれなあなたの肥やし心細くて切なくて 雨の日にあなたは来ない日暮しの晴耕雨読の窓辺恋し あなたの愛は去年と同じ空あおく風あおく茄子紺のひとよ 今夜は少し色っぽい麻婆茄子よたまにわね覚悟しなさい ひと夏の恋なんて言わない秋茄子は嫁に喰わすな浮気バレても 天の川流されて夢辿り着く冷やし素麺茄子の味噌和え 長茄子の長月の恋哀しくて畦のひと追う赤蜻蛉ゆく ---------------------------- [自由詩]北の亡者/Again 2013神無月/たま[2013年10月23日12時52分]  ブランコ 息を吸って 息を吐いて 息を吸って 息を吐く いつも意識の片隅で 緊張している 生きるために 前脚を出して 後ろ足を出して 前脚を出して 後ろ足を出す も吉は必死に歩いている 耳も目も遠くなって 鼻だけが頼り でもブランコの柱は 匂わない だからゴツン…… さて わたしはどこまで 生きてきたのだろう も吉の姿はそう遠くない わたしの姿 だとしたらそれは 幸せな姿かもしれない この頃 そんな気がしてきた 犬の時間と人の時間いったい どちらが退屈なのか も吉に尋ねてみようか 息を吸って 息を吐いて 息を吸って ほら 秋はもうこんなに深い           (二〇〇〇年作品)   ♯  ひとは半世紀も生きれば、様々な生きものたち の死に出逢うことになる。  わたしが生まれて初めて出逢った死は父の死だ った。八歳のとき、病室から帰った父が居間の仏 壇の前で横たわっている、その不確かな感触の中 で、からだの芯から凍えきった父の横顔は、わた しのすべてを拒絶して近づくことすらできなかっ た。そのとき、わたしを支配したのは父の死とい う現実のみであって、わたしの感情を揺さぶるこ ともなく、足早に過ぎ去ってしまった。  泣くこともできなかった父の死を、わたしはず っと引きずって生きていたのだろう。幾度となく、 肉親や友人の死に出逢うたびに、死というものを どう受けとめたら泣くことができるのか、という 自意識の壁をわたしは超えることができなかった。  二〇〇一年六月、も吉は十五年の命を閉じて、 北の亡者の元に還った。この「ブランコ」はその 前年の秋に書いたものだけど、「北の亡者」は全 六章あってこれは第六章の最初の作品になる。こ こからも吉の晩年の作品がつづくが、も吉の死が わたしの半生を根底から覆すことになることを、 このときはまだ知らずに書いていた。  梅雨明けをもたらす雨が音をたてて降りしきる 夜、も吉は長い前脚をわたしの両手に預けたまま、 まるでこのわたしにお辞儀をするかのようにコク リ、コクリと三度、頭をふって息をひきとった。 まだ温かいおしっこがお腹のあたりから溢れ出て、 ようやく今生の苦しみから解放されたのだろう、 も吉は乾ききった口をとじて穏やかな顔をみせた。  も吉の死の衝動は父の死を超えて、わたしの頑 なな自意識を木っ端微塵に打ち砕いたのだった。 その夜から数年、わたしは幼い子供のように泣い て暮らすことになる。そうしてようやく、死の受 けとめ方を知って、生きものたちの死を共有でき るひとに、なることができた。  北の亡者というテーマが生まれたのは、も吉が 我が家にやってきた明くる年のことだから、も吉 がわたしのために与えてくれたテーマだと信じて いる。でも、その、も吉はどこで、だれから、そ のテーマを受けとったのだろうかと、つい考える ことがあってふと気づいたことがある。  も吉がやってきた年、わたしの年齢は父の享年 と同い年だったのだ。 ---------------------------- [自由詩]曲がり角のひと/たま[2013年11月14日11時41分] ひとはまっすぐ生きられない かならず、曲がり角はやってくる 見覚えのない交差点はこわい 視界の閉ざされた曲がり角は、もっとこわい たとえば 人生がなくても小説は書けるという それは狂気なのだと思う 留まることなく 崩壊するための そのひとはいつも曲がり角に立っている ほんのすこし、俯いて ひとつしかないおおきな瞳には 見えないはずの曲がり角の向こうが 写っているはず この角を曲がれば、崩壊するかもしれない ささやかな日々の暮らしも だからといって 留まることはできないと知っているのなら なにも期待しないで 狂気を受け入れるしかない たしかに、人生がなくても小説は書けるだろう でも、いつかは疲弊する いや、それは 疲弊のなかで、もがくようなものだ とても、崩壊とは呼べない たとえ、創作であったとしても ただ、単に (現代)という仮面をつけただけだ 曲がり角のひとよ あなたのその鏡のような瞳には 希望が宿るのでしょうか 勇気が宿るのでしょうか このわたしの狂気を写すたびに いつも、やさしく声をかけてくれる 行ってらっしゃい。 行ってきます。 ---------------------------- [自由詩]星座/たま[2013年11月28日19時43分] 五時間半のパートも毎日つづくと 腕も、足も、腰も痛くなって お風呂上がりにはからだじゅうに  星を貼って、寝ます 星は、 ツボとよばれるからだの黒点に貼るから いくつか貼ると わたしのからだに星座が生まれます 星座は夜空を移動して 朝になると 消えている星もある それはたいてい枕の下であったり パジャマの裏に隠れていたりするけれど ときどき、 貼った覚えのないところに星があって おどろくこともある それで、 からだに星座が生まれると 悪さの好きな神さまがやってきて わたしのからだに憑依するらしい つまり、 マレビトになるのです マレビトは生者でもなく、死者でもなく ヒトのかたちを借りた、神だという 神になったわたしは 暗い空にいて 天使たちに星を分け与えます 時給八百円の天使たちは 下界に舞い降りて こころに痛みのあるひとを見つけては 星をひとつ こころのツボに貼るのですが 最近は、とてもいそがしいという そんな夜が三日ほどつづくと ようやく、からだじゅうから痛みが消えて わたしは、 詩を、思い出すことができるのです 詩は、 生者と、死者の、共有する空間に、存在して おそらく、 マレビトが暇つぶしに描くものではないかと 思うことがあります だから、夢のなかで マレビトになったこのわたしが描いた詩を ヒトにもどって 思い出しては こうして ことばを綴るのです もし、嘘だと思うのでしたら あなたもからだじゅうに 星を貼って、眠ってみてください おそくても三日後には すばらしい詩が、誕生するはずです お手元に、星がなかったら ご近所の薬局でお買い求めください ちなみに わたしはロイヒのツボ膏です ---------------------------- [自由詩]終の日/たま[2013年12月31日19時26分] いつの日も 夕日は、約束に似ている すっかり、 日が落ちるまで 果たせなかった約束をかぞえては また、 あしたに賭ける ぽつりと、残された オレンジの雲は あしたへとつづく わたしの、 かけがえのないつばさ ことしはいくつ、果たしたのかな また、 あしたね オレンジのつばさに、手をふって そう、 またあした たとえ、 そこにもう わたしがいなかったとしても 終(つい)の日の約束は 迷わず、帰ってくるだろう この星に この空に ---------------------------- [自由詩]北の亡者/Again 2014睦月/たま[2014年1月13日11時44分]  絵ハガキ 古びたペアリフトが、白く耀く斜面と雲ひとつな い青空の隙間を、カタコトと、揺れながら私を山 頂へと運んでゆく。飽き飽きとした水平線上の生 活を忘れ、雪の斜面を滑り落ちることだけが目的 の、単純な行動を繰り返す。 眠くなるほど長いリフトを降りて、少し右に下る と、小さな丘のような丸い山頂が見えた。スキー の板をはずして氷のような雪面をよじ登る。頂に は木札のぶらさがった丸木が一本、ポツリと立っ ていた。 南に向って立つと、目の前に八ヶ岳の険しい稜線 と、広い裾野が「へ」の字に見える。その裾野に 重なるようにして北岳を宿す南アルプス。すぐ横 に駒ヶ岳の中央アルプス。少しはなれて、どっし りと太い山容の御嶽山。さらに北に目を移すと、 ノコギリ歯のような北アルプスの山稜。かすかに 槍ヶ岳のするどい山頂が確認できる。そして日本 海へと続く山々。 見わたす空には一片の風さえない。広大なパノラ マに目を奪われる。私の足元は一八三四メートル。 美しすぎる風景に天然の色を付けると、死んでし まった絵ハガキのようになってしまうことがある。 風を失してしまったからだ。 私は今、生きた絵ハガキの中に居る。一片の風さ えないのに、このパノラマは生きている。大気か ら滲み出ているからだ。見えないものさえ大気の 中に滲み出てくる。私にはそれが北の亡者のほほ えみに見える。はるかな大陸からやって来た四季 の王者が笑っているのだ。 古びたペアリフトに乗って友がやって来た。私は 頂を降りる。丸い山頂を背にして、少しきつい斜 面を不器用に滑り落ちると、一気に風が私の身体 にうず巻いた。 風はすぐ身近に潜んでいたのだ。            (一九九三年作品)    #  一月の槍ヶ岳に登ったのは一九八〇年前後のことだった。その当時は暖冬が続いたとはいえ、一月の北アルプスの山稜は半端な覚悟では登れない。それなりの訓練と装備を身につけた四〜五名の仲間と、パーティを組んで登ることになる。  例年、九月に入ると週末は六甲山系の岩場にテントを張って、朝早くから垂直に近い岩壁を、一二本爪のアイゼンを付けて登る。つまり、冬山の氷壁を登る訓練になるのだが難しいのは下りだった。斜度四五度ほどの岩の斜面をまっすぐ前を向いて下る。硬い岩盤と鉄のアイゼンの爪は馴染まないから、腰を落として膝を曲げてガニ股にならないよう、つま先はまっすぐ真下に向けてゆっくり下る。高度なバランス感覚を要求されるが、背には一〇キロ余りのザックを背負って負荷をかける。二〇メートルほどの斜面を何度か往復すると膝が笑ったが、厳冬の北ア縦走には欠かせない訓練だった。  その頃、私が所属していた社会人山岳会は、会員数、十名ほどの小さなクラブだった。夏はロック・クライミング、冬は雪山の縦走。北アはもっとも近くて交通の便も良かったから、夏も冬も北アのどこかでキャンプしていた。とりわけ、五月連休の残雪の北ア縦走は、私には最高のハイキングだった。そんなふうに雪山メインのクラブなので、めったに新人はやってこないし、女もいなかった。  その年の夏、二名の新人がやってきた。熊ちゃんは身長一七八センチ、体重は八〇キロあって体格ではクラブ一番になった。私は一六九センチの五五キロぐらいだったから、熊ちゃんと並ぶと私が新人に見えた。その熊ちゃん、体格は申し分なかったが、アイゼンをつけて登り始めるとバランスが悪くて見ていられない。六甲山での練習はいつも熊ちゃんとペアを組み、四〇メートルのザイルで身をつなぎ私がトップで登る。  練習が十一月に入った頃、私はオーバーハングを越えたところで十メートル余り滑落した。オーバーハングの下でザイルを握りしめた熊ちゃんが、落ちてくる私を必死になって止めたにちがいない。硬い岩盤の数センチ上でザイルにぶら下がったまま、私は振り子状態で止まった。私にとってたった一度の滑落だったが、もし、その日の相棒が八〇キロの熊ちゃんでなかったら、岩盤に叩きつけられて私の首の骨は砕けていただろう。  新人二名を連れてその年も正月山行は北アルプスと決めていた。四泊五日の行程で、新穂高温泉から槍平に入って幕営し、翌日、西鎌尾根を登って槍ヶ岳山頂直下の肩にある冬期避難小屋で一泊、その翌朝に、槍の穂(山頂)に登頂してその日のうちに槍平に下る予定だった。パーティは新人二名を加えて七名になった。  山行初日は天候に恵まれて快調だった。凍りついた滝谷出合で記念撮影をして槍平に入る。予定通り二日目は西鎌尾根に取り付いて登りはじめるが、粉雪の混じったガスに包まれ視界はかなり悪い。尾根は一本だし、登りであるからまず、ルートを外すことはないが、稜線に出てもガスは晴れなくて槍の山頂は見えない。先行パーティの踏み跡を確かめながらようやく、避難小屋に辿り着くことができたのだった。  槍の肩の冬期避難小屋は文字通り、冬場だけ開放された木造の小屋である。数パーティは入ることができるが、もちろんコンロ持参の自炊になる。小屋の入り口は落とし戸になっていて、小窓はあるがほとんど外の景色は見えない。薄暗い入り口近くにトイレがあって便器が血に染まっていた。たぶん、血尿だろう。小屋の中に遭難者がいるはずだった。どこで滑落したのだろうか。  翌日早朝、私は避難小屋の落とし戸を押し開け、上半身をねじって空を見あげた。するとそこには信じられないものが、朝日を浴びて待ちかまえていたのだった。  新田次郎の小説「孤高の人」の主人公加藤文太郎は実在の登山家である。その加藤文太郎が槍ヶ岳の北鎌尾根で遭難する日の朝、私と同じようにこの避難小屋の落とし戸から半身を出して、朝日を受けて耀く槍ヶ岳の山頂を見ている。それは神々しいほどの氷のドームだった。夢にも見ることのできないこの槍の穂の光景を目にして、私は満面の笑みを浮かべていた。  山頂への登攀ルートは所々に垂直の鉄梯子があるが、凍りついた岩のドームをよじ登ることになる。まず、私がトップで山頂を踏むと、新人二名をザイルで吊り上げる。残りのメンバーは中堅とベテランだからザイルはいらなかった。狭い山頂には小さな祠が祭られていた。標高三一八〇メートル。遥かかなたに日本海が見えたはずだが、今はもう記憶のかけらすらない。  二年後の冬。その年、私は体調を崩して正月山行には参加できず、北アに向かったパーティは四名だった。入山三日目、天候に恵まれて涸沢岳から奥穂岳へと、快調に縦走していたパーティに思わぬ事態が起こった。パーティのトップを歩いていた熊ちゃんがアイゼンを岩角にひっかけて転倒し、そのまま狭い稜線から滑落して行方がわからなくなった。一〇〇〇メートル余りは滑落しただろう。雪深い沢の底で、熊ちゃんは意識を失ったまま凍死した。  六甲山で滑落する私を止めてくれた熊ちゃんを、私は止めることができなかった。もし、私が山行に加わっていたら、熊ちゃんの滑落はなかったかもしれない。そんな意味のない想いを抱いたまま、その年の夏は仲間を募って、熊ちゃんの追悼山行になった。奥穂岳の山頂の近く、何故か人の頭ほどの丸い石が、稜線から視界の途絶えた沢に向かって敷き詰められていた。その川原のような稜線に花束を添えて仲間とともに深く黙祷を捧げた。  夏山の爽快な青空の下、汗と涙が滲み出てやむことのない山行だった。私の北アルプスはそれが最後だった気がする。  詩を書き始めたのは結婚をして冬山から遠ざかり始めたころだった。山にまつわる想い出はたくさんあっても、私は山の詩を書くことはしないし、この先も書くつもりはない。山行は現実の詩の世界であって、それ以上の詩は存在しないと思うからだ。今、生きている私が書くべきことは例えそれが観念の世界であったとしても、未来へと続く「今」なのだと思う。そうしてそれが、熊ちゃんとの約束であり、私にできる最善の追善なのだという思いがある。  「北の亡者」を書き始めた頃、山を離れてもやはり冬が来ると雪山が恋しくなる私は、妻と、も吉を家に残してスキーバスに乗車したが、何故か、軽いザックを背負って、気分は山スキーだったのだ。 ---------------------------- (ファイルの終わり)